3018さんのコメントがありがたかったのと、本が来てちょうどいい機会だったので「人を見る目」について書いてみます。ただし、これには本当に含蓄があるのでまたテーマにすることがあるでしょうけど。
Amazonで頼んでいた『コンシェルジュ』の11巻が昨日ようやく届きました。この巻から『グロリアの宝石』といわれるスーパー・コンシェルジュ、朝霧花織が登場します。
ある宝石商で朝霧は一人の若い女性と出会います。母の形見である琥珀(アンバー)の指輪を光り輝かせるようにしてホテル・グロリアで開かれる宝石展覧会でまだ見ぬ祖父に会いたいと言う彼女。朝霧は彼女の希望に沿ってあまり光り輝く宝石ではない琥珀の指輪を誰もの目をひく素敵な指輪にしつらえます。
展覧会当日。
「What?」「Oh!」
光り輝く彼女の指輪に参加者の視線が集まり、そしてそれに気づいた老紳士が駆け寄ります。
「君! その指輪をどこで手に入れた!? これは私が娘のエミリーにやったものだ!」
「エミリーは私の母です。父は長谷川圭介。私は娘のるみです。」
そしてカバンの中に手をいれ何かを探し出す彼女。そこに朝霧があらわれて・・・
「コレをお探しですか?」
手に持っているのは小型のナイフ。
「人が人を探すとき、それが善意に基づいての行動とは限りマセン
ご両親が駆け落ちしたとおっしゃった時 私が「素敵」と言ったのニ
あなたは何もおっしゃらなかっタ」
「男性なら見落としたかも知れまセン
怒りの感情がそこに見えまシタ 」
これ、なのですよね。私が人を見るときに最も大切にすることは。
自分の例でいうならば、
「私はあなたの○○な所、好きですよ。」
というようなことをよく言います。
ただ、ある女性はその言葉に対して
「ハイハイ、私、告白されましたー」
と、おどけて返してきたのですよね。珍しいリアクションだったのでよく覚えているのですが、なぜそんな返しになったのか、一瞬で推察しました。
たぶん、この人はあまり男性からこのようなことを言われたことがないのだな。だからその気恥ずかしさに耐えかねて、こういうリアクションになったのだろうな、と。
私は自分の愚かさを知らないのと同じぐらい自分の優れたところを知らない人生は不幸だと思うので、人に対してどちらもよく口にしますが、この人のまわりにはそういう男性がいなかったのだろうな、そうだとしたら、それはとてもさびしいことだ・・・と勝手に思ったのでした。
また逆に、
「ははは。ありがとう。」
と言うわりにはそこにぜったいあるはずのテレや気恥ずかしさがその言葉に微塵も感じられない女性もいました。私はその言葉を聞いて、ああ、この子は今までたくさん、こういうことを男性から言われ続けてきたのだろう。だからそれぐらいでは感情の揺れは起きないのだ。"世の中から愛されてきた女性"か、うらやましくもあるが、かわいそうでもあるな。人から向けられる好意を当たり前と思うなら、人から優しくされて涙を流すということはこれからもないのだろうから。
と思うわけです。
朝霧花織の例で言うなら「素敵」という言葉に何も返さなかった。私の例ならば「あなたの○○な所、好きですよ。」という言葉に茶化して返したか、ありがとう、と返したか。それぐらいのことです。しかし、そのセリフを発したとき、聞いた者でしかわからない、いや聞いていても気をつけていなければ見逃してしまうようなわずかな"感情" これをどれだけ"感じられるか"ということが、人と話す上で、その人を理解する上で、最も大切なことだと思うのです。
だからいつぞや「そんなこと、誰でもいえる」と言われて大変腹をたてたのは、その裏に確かに存在する、あのときの感情を、何も知ろうともしないでなにを知った風なクチをきくのか!と憤ったからです。
言葉に感情をのせられる、私はそれを"自分の言葉をもっている"と表現します。やはり自分の言葉を持っている人は魅力的だし、逆にどれだけ正しいコトを言っていようが自分の言葉でなければ人の心には届きません。他人の言葉から自分の言葉への脱却。これが魅力的なヒト、になるための条件だと私は思うのですよね。
ね、言葉って奥が深いでしょう?
「10分話していればその人のことは8割わかる。でも残りの2割は100年いっしょにいてもわからない。」
10分話していれば自分の言葉か、他人の言葉か、すぐにわかりますから。そして、やはり女性は感情の生き物という言葉があるとおり、まだ女性の方が自分の言葉で話している人が多い気がします。
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