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うさぎ仙人

うさぎ仙人

2004年01月16日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
・・・・・今の時代、あらゆるものが複製の対象になっている。

人生も芸術も一回性のもので、複製、コピーができるなんて錯覚を、いつの間にか無意識に身につけたようです。

一回性という感動が水割りのように薄められて、感覚が鈍くなっているようだ、瞬間の感動が。

何度も感動をしようとしても結局、感動に感動している慣れ親しんでるだけで、鋭い初回の感動は味わえないのではないか、と、音楽、画、本など人についてもそうだと思う。

新しい発見という体験が在るだけで、感動じゃなさそうですし、素直で素朴な、ボキボキ、とした最初の感動を忘れてはいけない、それが本質なんだと思う。

何度も、と思うそれが、それを薄くし、そして流してしまうようだ。
残るのは、感動しようとしている自分に感動してる自分?。

けれど、人は芸術など様々なものから触発され、ココロの平静を取り戻し、救われてまた、立上がることができる。

でも感覚と頭だけになってしまうと、実態の生活をまた、見失うことになってしまうのでバランス、平衡感覚は必要だ。

男と女は指の感覚?使い方がまるで違うようです、女は物に触りたがり、子供にサワリタガリ、男にサワリタガリ、あらゆるものにサワリタガル。

そして女は指先を通じて自身のエゴを、様々なものに流し込んでいるようだ、スコシズツ、絶え間なく、そんな自分のエゴを注ぎ込んでゆけるのもを必要とし、それが無いと自己喪失を起こす、エゴの放電放出でバランスをとっている。

男が、モノを触ることの意味は、それを利用する為にサワルようだが、芸術家とか彫刻家などには女と同じ指使いをする男もいる、男女イロイロいるのですべてではないけれど。

それなので女はモノがあればタフに生きられ、救われる。
男はモノを利用するためにに触るので、モノからはリジェクト(拒否)されているのです、なので男は何とか手を使い物に戻らなければいけない感覚が湧いてくることになる。

そして、男は空想、ロマンティックになり、女は現実的、リアリスティックになることになる傾向が出てくる。

女はベタベタ、モノに自身を注ぎこみ、男はモノをどう使うか?と利用することを念頭に対象物を見ることで、おのずと行動が違ってくる、たったコレだけ立上がる地点が違うだけでも、感覚でのサッパリとベタベタの差って大きいね?

けれどもニンゲン、男も女も手を使うことはどんな時にも必要で、自分の喪失から回復するには孔子さんの言うところの『バクチでもよいから、手を使え』と、頭で肥大させた妄想を、手を使う事で振り払うことができるようです。

なにごとかで、倦んできたときにはチョットした間と、手と、笑いを足すことで一歩がでてくるようだ、ヒトはみな。


西洋の女は舞台に出てきてステージの上で男を操る。
オリエントの女は、カーテンの後から男を操る。

結局、まぁ、男は操られるんですが、どちらにするか、選ぶのは自由なんですが、男はつらいよ!ですね?

エレガントで剛健が触知されちゃっているんだ、永遠にね。

いつのまにか、蔦に絡まっている男たち、キズキナサイね?

女のタンジブルに絡まっているんだ、オトコタチハみんな。

・・・・・・オレの複製をダレカ創ってくれないかな~?





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最終更新日  2004年12月10日 17時56分35秒
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