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うさぎ仙人

うさぎ仙人

2017年12月04日
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・・・明るく空も海も山々も輝いており、風も雲も嬉々として遊んでいるような今朝・・・。

 既に師走の中こんな小春日和の日は稀で無いだろう今日、寒さも程々に澄んだ空気は透明感を魅せて、騒然とした世間の中をクレンジングしてくれている穏やかさ。

 政治は政治されていることを感じさせないことが最上であり、意識しなければいけないようでは治まっているとはいいがたいと先人は言う。

 作為的に法を定めることは、人間生まれた侭が最も完全に近い姿なのだが、その生まれたままのモノを後天的に変えゆくことが完全さを失うことの何ものでもないし、知恵を用いて人間が考え出した道徳や価値観をつけ加えること、文明の産物の道具を日常生活で用いることは、完全さからの堕落に他ならないと。
 不自然な努力により得られたモノは、本来的に人が持っているモノを失わせるに過ぎないと言う。

 人は素朴な感情として『孝慈』を持合せており、外部から教育などにより得られた虚飾を去ることで、自然の発露として『孝慈』を取り戻せると言う。「六親和せずして孝慈有り」というその孝慈は外から押付けられた道徳としての孝慈であり、本来的に人が持合せて居る孝慈の違いを説いて無為の生きかたがよいと言う。

 素直な態度表に出し、心の中に純朴さを大切に抱き、俺が俺がの気持ちを少なくし物欲を減らすことが始まりと言う『老子』は孤高過ぎて近寄りがたいが素晴らしいネ・・・。

 もっと簡潔に言っているのは結局は、不自然な行為は長続きしないと繰り返す
『瓢風は終朝せず 驟雨も終日ならず』(激しい雨は半日もすれば止み 夕立も一日中は続かない)とあり、自然ですらそうで在るならば自然を手本とする人間もその法則に従うのは当然だと言うのです。

 なので政治も『無為の政治』が求められ、作為有る政治との違いを知らなければ老子の云う、『道』の真意を会得することは出来なく人智の限られた作為に振回されるだけの社会が続く事に為るだけだと。

 『道』の働きは大である
 これから生まれた天(作用)も大
 地(の生み出す力)も大
 (それに従う)王者も大

 この宇宙(城中)には四つの大あり 地上の支配者である王もその一つ 王が代表する人間は地(静かな安定)を手本(法)とし、地は天(永遠に変わらない動き)を手本とし、天は道(無心の働き)を手本とし、その道は自然(ありのままの姿)を手本としていると言う。


・・・(武力は控え目に)するのが良いと、軍隊が陣を敷いた後には土地の荒廃しか残らず、大きい戦の後は必ず凶作の年がやって来ると。

『道に外れた行為は早く終わりが来ることを示している』

 今から2300~2400年前から既に洞察し至言をものしていた老子、時間の鑢にかけられた人間は何が変わったと云うのだろうか?武器だけが近代化し人間の本質は依然変わらずのままでは災厄の増大化、被害の甚大化を時間が促進しただけで争いの沈静化へは何ら貢献しない野蛮なままの人類が蔓延っているだけで、争いの終焉、平和の招聘には何時まで経っても貢献できない稚拙な人の塊が跋扈し続けている地球上と言えるネ・・・。


・・・科学の進歩が、人の本質の進化・進歩へと繋がる科学へと向かわなければいけないネ・・・





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最終更新日  2017年12月06日 01時57分01秒
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