シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2006年02月12日
XML
カテゴリ: 夢日記
 今日の夢は、なんだか野球学校にいって卒業した夢のようだった。野球学校なんて、日本では存在しない(キューバーはあるみたい?)のに、そこが夢のいいところという感じだ。その野球学校を卒業し、卒業証を、なぜか大沢親分から貰うというものだった。あとは忘れてしまった。

 昨今、また、皇位継承問題が、再燃しているが、とてもじゃないが、唯物論者じゃ解決できない問題である。古代の秘儀に通じていないと、皇室を理解することはできないだろう。全く、無知が無知を呼ぶ議論で、物質主義的感覚で、解釈し、あまりに乱暴である。

 現代の唯物論的教育を受けて、それに準じた唯物的思考や、経済主義的生活を行ってきた、いわゆる現世感覚主義者に、実は、超感覚的世界があるのだといっても、理解不能で、敵対視されるのがオチなので、そういう愚を冒さないで、いかに納得させるのかが、現天皇制の存続に繋がることだろうが、これはかなり難儀な話である。

 だから、無駄な努力ばかりで、無知が無知を呼ぶために、タブーとされてきたのだろう。なにしろ、現代では、神は愚か、あの世の存在を信じるものなど気が触れた連中で、頭がおかしいとされえないからであり、現代科学が全てを解明しええていると錯覚している人々が多いからであろう。

 私も若いときはそのような人間で、一応、物理学を修めてきたが、科学では、説明方法をみつけているだけで、真実そのものを体現しているわけではないことに注意しなければならないだろう。

 では、神秘学で解釈できる、天皇制を簡単に書く。
 ある番組で、文化研究の唯物論者が天皇制の3つの主な歴史の流れを述べていた。
 1.太古では、女神信仰であった。
 2.中国から男性父系制度が移植された。
 3.近代になってキリスト教的男女平等主義が移植された。

 これらは、あまりに、表面的にみた流れにすぎない。時代背景、それも精神的なものが考慮されていないし、人間自身がいまのようであったとは限らない。人間は日々進化しているし、なかには堕落しているものもいる。神秘学では、おおまかにいえば、進化とは、精神進化のことをいっていて、それは、魂が、霊をうけるに足る霊的素質(精神)を身に着けているかどうかのことを指している。

 なにより、進化とは、霊を受け入れやすい人体を、いかに構築するかであり、その精神的な模範が、日本では天皇家に求められてきたと思われる。では、なぜ、女系がダメなのかを簡単にいうと、深い神秘に通じないと理解できないことなのだが、男性は精神的な意志を引き継ぎ、女性は精神的な形態(イメージ)を引き継ぐものとされている。それは男女分離のときの役割分担から発生したことであるという。

 人間は本来、太陽(あの世)の子であり、地球(この世)の子ではない。女性は、生物学的に、男性よりも強く出来ている、これは女性の方が、精神的にあの世にいて、この世のいわゆる物質的ものに興味がいかないし、例えば、現代では、機械的なものや道具に精通し難い性質があることに気がつくだろう。

 なので、女性のときに、人体に現れない、本来の精神的な意志薄弱性が、その女性の子、とくに男性のときに、意志薄弱性が、表面に出て、いわゆる、血友病などの血液疾患に表れる可能性が高くなるのである。精神的模範の天皇の血に、そのような穢れた血が入ることは断じて避けなければならないものであり、だから女系はダメなのである。

 それに天皇の系統は代々祭祀なのであるから、霊能力者であり、秘儀参入者でないといけない。その才能を継承のときに、本来は、伝授されないといけないのである。だから、益々、精神的意志薄弱だと、形式化してしまうのである。

 そして、上記の3つの歴史的な流れの背後には以下のようなものをあげることができる。
 1.太古の女神信仰は、遥か太古のレムリアの記憶から来ている。レムリアは、南アジアに存在したとされる。レムリア中期に、人間は両性具有から、男女分離に至った。そして男女分離にいたり、生理作業を分業体制にすることで、霊を魂に宿すことを可能にした。そして脳がつくられたとされる。

 そのときに、自然(神々)から精神的な知恵を継承し、記憶にまで高めたのが、女性とされるのである。女性のなかで善悪を判断し、道徳は女性からはじまった。だから、レムリア期の文化の名残りを引き継ぐ民族には、女神信仰が、社会の記憶として残っているのである。それらが、巫女として残り、恐らく、卑弥呼というのは、巫女の代表のようなものだったのだろう。

 2.中国から男系父系制度の移植というのは、まさしく、太古アトランティス文明の名残りであろう。中国というのは、アトランティス後期人の末裔であり、非常に悟性が発達したために、血統血縁主義で、執着心も強く唯物論的であるとされるので、霊的に進化をするのにはもはや、精神的に硬直化しすぎ、主知主義的なので、これ以上の進化は望めない民族であるとされる。

 この男系父系制度は、アトランティスの国王もしくは指導者個人の記憶を伝承する制度の名残りであろう。詳しくはアトランティス人の神秘学的解釈のブログを読んでほしい。

 恐らく、徐福という秦の始皇帝の軍師が、当時の日本にきて、その制度を伝承したものと思われる。

 3.近代になって、キリスト教的男女平等(対等)主義が浸透してきたとされる。男女平等主義を唱える者に、その本来の意味を理解しているものは皆無であろう。これは自由を唱える者に、その本来の意味を理解しているものが皆無なのと同等であろう。

 男女平等主義や自由主義というのは、男女の全てを知り、自由の全てを知ってからこそ、主張すべき事柄であり、それを知らずして唱えるのは、自らのエゴの価値観を、他に押し付けるだけのエゴイストにすぎないのである。

 つまり、何者かの権威を振りかざす権威主義者であることにかわりはない。原爆を背景に恫喝している恫喝外交、覇権主義のものと変わりない。

 キリストが、男女平等の前に、何といったかを知らねばならない。

 「汝の隣人を愛し、敵を愛せ」と言ったのである。

 男女平等というのは権利を主張するのではなく、愛し合う義務を果たせということなのである。つまり、逆なのである。男は女を愛し、女は男を愛せということなのである。

 自分の欲望の為に、人を愛してはならないと言ったのである。

 相手の為に、相手を愛せというのである。自己犠牲の愛を説いたのである。

 元々、魂に男女の差別はない、この世に暮らすために、男女の形をとっている。それはつまり男として女を愛し、女として男を愛せということなのである。そこに個人としての個性の愛が表現されるのである。

 これは男女共にお互いを愛し合いなさいということなのである。だから、一夫一妻性が、もっとも長く、相手を自己犠牲の元に、愛し合い続けるのに、よい制度であろうということがわかるだろう。

 そして、神々は、人類の繁栄を願っているので、お互いが、子孫を殖やすための自己犠牲の愛の行為ならば祝福するのである。決して、性を下等にみるものではない。お互いに愛しあう、相手を尊重し、自己犠牲の愛に生きるならば、それに霊が受胎するのであるということを、言っているのである。

 それはまた、自己犠牲という個人主義をも表現することなのである。個人主義も、唯物論で解釈されているので、逆にとられているが、本来は、血の血縁関係を、棄てて、自己犠牲の愛に生きろということなのである。血縁が問題なのではなく、それに囚われない精神を尊重しなさいという意味なのである。

 だから、とにかく、血縁関係がどうであれ、隣人であれ、敵であれ、お互いに愛し合いなさいという無償の愛を説いているのであろう。

 だから、天皇制に男女平等という概念を持ち出すのは、まるっきり精神軽視の話であろう。太平洋戦争敗戦で、日本には半ば強制的にキリスト教が外面的に移植されたが、霊的にみると、敗戦したのは、実は米国側なのである。表面上、物質的に米国は潤ったが、それゆえに、精神的に堕落し、享楽、快楽主義に陥ったといわざるをえない。

 当時の日本人には自己犠牲の精神が多くみられたが、それは前世で、多くが、キリスト教の感化を受けて、その為に死んでいった人生をおくった南ヨーロッパの魂が多く、転生していたというのである。何より、精神的な愛が多かったのは日本人の方である。これは指導者層をいっているのではなく、民間人のことをいっている。生き難しい社会のいわゆる下層階級の人々には、魂が、精神的に高度に進化しているものが多いという。

 つまり、太平洋戦争は、同時に、米国にキリスト教を根付かせる役割を果たしたといえるのである。実際は、日本人は、当時より精神的にキリスト者だったので、戦争に負けたといえるだろう。

 表面的なものよりも内面的なものが大切なのである。キリスト教を掲げるよりも、実践したものが真のキリスト者であるといわねばならない。

 霊的に言えば、長く生きるよりも、より愛に目覚めて生きたかが問題なのである。人生の体験が、いかに愛の質に変わったかの問題なのである。

 負けるが勝ちである。米国は日本の自己犠牲の精神に、真のキリスト者をみたに違いないのである。だから天皇制を存続させたのであろう。

 いわば、天皇制は文化の教科書でもある。

 私の説明じゃ物足りないだろうから、深く勉強するには、密教を知らないといけない。日本では、仏教の真言宗だし、西洋ではキリスト教神秘学である。インドのヴェーダ経典にもあるし、ギリシャ哲学でもとくに古代のものがいいだろう。神道は多くは形骸化しているものと思われる。とにかく、文献を読んで、繰り返し再考することから始まるようである。そのうちに、秘儀参入法といわれる現代版の道徳的実践法を学んでいくだろう。まずは、そのようなイメージ思考を身に着け、自分の行為がいかに未来に反映し、そこから自己反省を行うことからはじまるみたいだ!

 とにかく、教科書に載っていないものを、自ら思考することで、身に着けることが基本であろう。それこそ、自らに由る自由な思考なのである。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2006年02月12日 13時25分34秒
コメント(0) | コメントを書く
[夢日記] カテゴリの最新記事


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: