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早いものでもう1年が過ぎました去年の今頃は、三陸沿岸で大きな津波被害が出ているとは知らず、停電で暗闇の中、「明日の朝、起きたら電気がついててほしいなあ」等とのんきなことを考えていました。その後、被害の様子を知ってから今日まで本当に考えることの多い1年でした。 この土日、私は釜石の夫のところに行ってきました。ボランティアをしようと思ってボランティアセンターに電話したのですが希望者が多くて、できませんでした。多くの方々が支援に来てくださっていると思うと本当にありがたいです。 土曜日は釜石、大船渡、高田をドライブしてきました。釜石では被災したメインストリートで再開している店舗も数件あり、ちょっとうれしくなりました。高田の1本松の周りはカメラを持った人たちでにぎわっていました。プレハブ造りの復興食堂や復興商店街をまわってきました。笑顔で応対してくれる様子にこちらも笑顔になりました。 日曜日の午後、釜石から海岸沿いを北上して帰ってきました。山田湾には養殖棚が浮かんでいて、昔の山田湾の景色が戻ってきていました。漁港に船がつながれているのを見るとほっとします。 少しづつ、復興の兆しはあるのですが、やはり被災地の光景は心が痛みます。ゆがんだガードレール。切れ切れになった防潮堤。土台だけの家屋跡。窓ガラスや壁が壊れて向こう側が見える家やビル。集積場に大きく山積みにされたガレキ。まだまだです。そして、被災者の方々の生活もまだまだ元のようにはもどれません。 でも、何とかして元の三陸に戻ってほしいと思います。少しづつでも、できる支援を継続していきたいと思います。 皆さんの引き続きのご支援をよろしくお願いいたします
March 11, 2012
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やっと念願かなって平泉・世界遺産登録となりましたほんとによかった岩手にとって久々のうれしいニュースですみなさ~ん平泉にきてくださ~い中尊寺・金色堂・毛越寺・無量光院跡など浄土思想に浸れます。季節によっていろいろイベントもあります藤原3代が築いた平泉を体感してください。平泉から沿岸部までは車で2時間近くかかりますが三陸海岸の観光地も頑張っています。ぜひ、沿岸部まで足を伸ばして観光してください。ついでにガレキも見てください。復興にはまだまだ時間がかかります。皆さんの支援がまだまだ必要です。よろしくお願いします
June 26, 2011
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昨日、釜石のボランティアに行ってきましたいつものようにボランティアセンターへ・・8時半からの受付開始だったけど昨日はちょっと送れて9時半ごろ・・・「市役所にいって公文書の搬送をお願いします」といつもの担当の女性。もう一人、60ぐらいのおじさんと二人で市役所に向かった。おじさんは釜石の方でほとんど毎日のようにボランティアセンターにかよい、ボランティアをしているとの事・・・頭が下がります市役所では津波でぬれた公文書を近くの使用しなくなった中学校の空いている教室に運び、乾燥させ修復するとのこと。公文書が水没したが復元に手が回らない現状を知った国文学研究資料館・青木睦準教授が市役所に申し出て、青木準教授の呼びかけで集まった文書保存の専門家がボランティアに入っていた。専門家の方々十数人とボランティアセンターからの一般人8人とで市役所地下から中学校の4階と5階に運んだ。ビニール袋に入っている文書をコンテナにいれ、リヤカーで運んで建物の中は手搬送。これが結構、きつい!階段は足に効く取り仕切っている方(専門家の方)の「ゆっくりでいいですよ。休みながら、自分のペースでいいです」の声が響く。若い男性が多く、重そうなものは運んでくれるので助かった午前3時間 午後2時間。休憩時間は昼休みのほかにも何度も休みながらやらせてもらった。気持ちのいい汗文書はこれから教室に広げて乾かして泥を取ったり、カビをとったりするらしい。復元にはまだまだ時間がかかる。専門家の方々は関東の方が多く、新幹線やバスで長時間かけて来てくれている。長期で滞在する方や土日の休みを利用してきてくれている方もいる。本当にありがたいボランティアセンターからの一般の方々も新潟や大阪、名古屋と遠方のかた本当に皆さんありがとうございます最後に取り仕切っている担当者の方から「ありがとうございます」と言われたけど・・「いいえ、こちらこそありがとうございます。岩手のために本当にありがとうございます。まだまだかかるでしょうがよろしくお願いします」と言って帰ってきた。今日はきっと筋肉痛で大変だろうと思っていたが結構大丈夫。ほっ
June 6, 2011
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やっと岩手県の被災地では昨日で全戸に電気がとおったほんとによかったー2ヵ月半、電気なしで過ごした人たちはどんなに大変だっただろう。3日間停電しただけでも生活が成り立たないと思った。ホントに電気を大事にしよう夫もやっと先週から週休2日になり金曜日の夕方に帰ってきて日曜日の夕方に釜石に帰る生活になった盛岡でゆっくり休める時間ができ、ほっとしている少しづつだが岩手県は前に進みつつある被災地での運動会やサッカー教室の開催・ボランティアによる炊き出しやイベント開催。みんなが笑顔になれるニュースが報道され、私たちもほっとできる。「がんばろう、いわて」を合言葉に前を向いている。土日に釜石シーウェーブスの今季初の公式戦があった。昨日は勝ったが残念ながら今日は負け勝利はホントに被災地を元気付ける。頑張ってほしい。しかし、支援者は被災しいて支援金が不足しているらしい。サポーターが増えることを願っているhttp://www.kamaishi-seawaves.com/
May 29, 2011
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15日・日曜日釜石のラグビーチーム・釜石シーウェーブスの今季初戦選手達は震災後、ボランティアで活躍し、練習時間は十分ではなかった。盛岡の会場には被災地釜石を盛り上げようと多くの人が集まった。釜石からは観戦バスツアーも・・・新日鉄釜石チームが日本一だった時代の松尾選手等も駆けつけた夫も釜石に行ってからはサポーターとして何度も試合会場に足を運び大漁旗をふり、応援してきた私も何度か一緒に応援に行った。今回もぜひ応援に行きたいといっていたが仕事の関係で観戦できなかった。試合は関東学院大に59対17で快勝被災地を元気づけたみんなで釜石シーウェーブスを応援してほしい同じ15日。釜石の災害ボランティアセンターに釜石高校の野球部員。高校野球、春の大会の地区予選が終わり県大会目前少しの時間でも県大会に向け練習したいときだその時間を削ってボランティアに来てくれていることに心が温かくなった県大会は今日(18日)、開会式が行われ明日から試合が始まる沿岸部はどのチームも十分な練習ができていないと思うでもがんばる姿を見せて、みんなに元気を与えてほしいスポーツの持つ力はすばらしい
May 18, 2011
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土日、夫は仕事で休みなし私は休みかわいそうなので今回も釜石に行ってきました土曜日に電車で2時間日曜日、夫が仕事に言っている間に私はまたまたボランティア今回は、被災した方が避難所から引っ越した先の市営住宅の掃除支援の要請カードには「お風呂の掃除をしてほしい。女性二人」とのこと。一緒に行ったのは心のケアのために13日から釜石入りしている埼玉からの臨床心理士の方。休日にボランティアでお手伝いしてくれるとのこと本当にありがたいです。心のケアに来ていただいただけでもありがたいのに、休みの日まで・・・いろんな方々の温かい支援に感謝感謝です要請した方は60代ぐらいのおばさん笑顔で迎えてくれました。「片づけがはかどらなくて」と・・・部屋に入ると確かに衣類や食器類・寝具などが散乱廊下や台所など新聞やタオルも散乱お風呂は物が入った袋を何個か押し込んでいる「避難所から引っ越してきたのはいいけど平日はヘルパーの仕事があり、休めないからなかなか片付かない。手伝ってもらって今日はなんとか片付けたい」と。おばさんは自分も動きながら次々やってほしいことを連発私たち二人は言われるがままにとにかく部屋中を片付けまくりましたそして1時間ぐらいするとおばさんは「お茶にしましょう」と。お茶を飲みながら津波で旦那様を亡くした事や家が全壊したことなどを話してくださいましたやっぱり、津波は怖いお茶の後もひたすら片付け・・津波が引いた後から探し出してきた砂のついたままの食器やテーブル、日用雑貨などをそのまま家の中に入れているので家の中は砂がざらざらしている感じでした。洗えるものは洗って、拭いて、寝具も衣類もベランダでたたいて干して砂をはらって・・昼食の後もひたすら片付けて15時ごろにはすっかり片付きました私たちにとっても達成感がありました最後にまたお茶を飲みながらおばさんの話を聞いて帰ってきました。旦那様をなくしてさびしい気持ちが少しでもまぎれるようにもっともっとお話をきいてあげれればいいなと思いました臨床心理士の方からも「慰めの言葉をあえて言わなくても話を聞いてあげるだけでもいいんです。話ができる場があることが大事なんです。そうして時間とともに立ち直ってくるから」と貴重なアドバイスをいただきました悲しい思いをしている多くの被災者の方々が元気になれる日が来ることをホントに願っています
May 16, 2011
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ゴールデンウィーク中の日本全国・世界各地の皆様のボランティアへの参加ありがとうございました多くの皆様に岩手県そして東北の復興のためにご協力をいただき本当に心強く思いました。私も連休中に3日間ボランティアに参加しました避難所の食事の準備・海岸のガレキ撤去・被災者の引越しの手伝い。連休中もあまり休みのない夫の宿舎に泊まりながら、夫の食事を作って、掃除をして、夫が仕事の時間に私もボランティアという感じでした。一緒にボランティアをした方々はみんな連休中に何日かボランティアをしていました。一度現地に足を踏み込むとその悲惨さを実感してもっと何かしなくてはという気持ちになるようです。少しづつでもできることを・・・釜石市役所近くの家で引越しをしたときに一緒に働いていた宮城の方は「多賀城でもボランティアをしてきたがもっとガレキは片付いてきていた。釜石はまだまだだねえ」と・・。でも、その辺はまだまだいいほうです。鵜住居や大槌は道路を片付けただけでほかはまったく手付かずという感じです。まだまだみんなの力が必要です。がんばろう!!うれしいニュース平泉が世界遺産に毎年ゴールデンウィークは「春の藤原まつり」でにぎわう平泉が今年は関係者が被災したため祭りが中止観光客が例年の1~2割ととてもさびしい状態でした。でもこの世界遺産登録のニュースで元気が出ました。前回、登録が見送られているだけに岩手県民にとってはほっとするニュースでした。ぜひみなさんに平泉を見に来ていただきたいです。平安浄土の世界に浸っていただきたいです
May 10, 2011
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東京で働いている長女が「連休を利用してボランティアをしたい」と29日に帰ってきた。娘と二人で釜石の夫のところへ翌朝、釜石のボランティアセンターへ8時半からの受付だったが30分くらい前についてしまった。すでに10人以上が待っていたが時間とともに人数が増え時間前に受付開始近くの病院に開設されている避難所の食事の準備を依頼された病院につくと食事の準備は11時からでいいのでそれまでは病院内の掃除。その後、食事の準備をして13時ごろには仕事が終了ボランティアセンターに戻ったが「もう本日の仕事はなし」とのことで終了となった。釜石の街中はガレキだらけで「少しでも手伝ってどうにかできないものか」ともどかしい気持ちで帰ってきた。娘は仕事があるので次の日に東京に帰っていった5月3日、根浜海岸のガレキ撤去のボランティアに参加した根浜海岸近くの旅館「宝来館」の女将の呼びかけで約130人が集まった海岸近くの松林の中にはガレキが散乱家の柱や倒木・トタン・壁材など10人がかりで運ばなければいけないようなものもあった。食器や洋服・写真などがガレキの下の砂や松葉にうまっていた。でも人の力って、やっぱりすごい約3時間で100メートルほどの海岸がきれいになったガレキを取り除くとハマナスがあちこちに・・。津波から生き残ってたハマナスの花が咲くのはいつだろう。海岸に海水浴の人たちの声が響くのはいつだろう。
May 4, 2011
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昨日、久しぶりにうれしいニュースがあった朝、テレビで「さいとう製菓」のコマーシャルが流れた。「さいとう製菓」といえば岩手県では知らない人がいない、「かもめの玉子」で親しまれている大船渡の製菓店だ。本店は津波で壊滅的状態となったが工場は被害が少なかったので操業を再開した。まだまだガレキの山の大船渡だが少しづつ動き出している。職場では「かもめの玉子を買って大船渡を応援しよう」と盛り上がっている。東京でゴールデンウィークに被災地でのボランティアを募集したところ200人の募集に数分で600人が集まったそうだ。みんな、被災地のために何かしたいと思ってくれている。岩手県内に住む私たちでも個人ではなかなかボランティアには入れない。何かしたくても何もできないもどかしさの中にいる。かもめの玉子でも岩手の清酒でも東北の清酒でも被災地のためになるのであれば買って応援しよう
April 22, 2011
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東京の大学にいっている娘が帰ってきた春休みなので3月中に帰ってくる予定だったが震災のため帰れなくなっていた。夜行が利用できるようになったのでやっと帰ってこれた。家に着くとすぐ「沿岸部には普通の車もいけるようになった?」と聞かれたのでいけるようになったことを話すと「じゃあ見に行こう」と・・・カチンときた何のために??「岩手県民としてみておかなきゃいけないと思うんだ。見た上で何ができるか考えたい」と娘。「お母さんは反対。興味本位で見に行くことは許せないし、そんな気持ちじゃないと言ってもただ見に行ってくることは興味本位で見に行っていることと一緒だ」と私。娘は私の言葉に猛反発。夫は「あれは見るだけでも見ておいたほうがいい。人生観が変わるぞ」との意見。私は納得いかない。被災地で働いている夫が何でそんなことを言うのそんな甘いもんじゃない現状なのに。娘と夫対私。かなり意見をぶつけ合ったが2対1と私の言い分は通らず結局、娘は社会人となっている友達の休みにあわせて被災地に向かうことになった。県や社協などに電話してボランティアについても聞いてみたようだが条件が合わず・・・「現地の対策本部に直接行ってもボランティアできるようだ」との情報を得て朝早く被災地に向かった夕方、帰って来た娘が「結局、対策本部を探しているうちに時間が過ぎて、やっと対策本部についたらお昼近くで半日だけのボランティアなんて言い出せなかった。そんな甘いものじゃあないという現状を実感してきた」との事。私はがっかりしたがそんな気持ちは抑えつつ「それで見てきてどう思ったの。何を今からするの?」と聞くと「行って見てわかったんだけどすごい状況で私が今できることってなにもないなと感じた。今からも考えてはみるけどね」と・・・私の怒りは頂点に達した「何を言っているの?そんな甘いもんじゃないことは何度も言っていたでしょ。全国から多くの人が岩手を助けようと来てくれているのに岩手県民が『できることはない』ってどういうこと。何のため行ってきたの」と私。娘も泣きながら「だってあれ見たらショックで何も考えられなくなった・・」と。「ショックで何もできなくなっているのは被災者だ。私たちは泣いていてはいけない。私たちが周りでがんばってあげなきゃいけない。そのためにのんびり何ができるか考えている暇はない。できることをすぐやらなくちゃいけない。」泣いている娘に向かって力説した。言いながら自分にも言い聞かせた。
April 18, 2011
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早いものでもう1ヶ月。いつまでたっても気持ちは立ち直れない。私でさえこんななのだから被災地の方々はつらい日々だろう。暖かくなり被災地でも桜の花がほころんできている。桜の花でつらい気持ちがやわらかくなればいいが・・・花見の是非や自粛の是非が問われている。はっきり言って、どっちでもいい。つらくて考える気持ちにはなれない。ニュースでは被災者にも意見を聞いている。なんか悲しい。
April 11, 2011
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日米合同捜索が実施された。空から・陸から・海からと必死の捜索が続いた。自衛隊や米軍の部隊には本当に「ありがとうございます」と伝えたい。あの果てしなく続く、大量のガレキの山を掻き分けて・・あの広い中のどこにあるかわからない遺体を捜し出すことは本当につらい仕事だと思う。遺体を探し出したときも心中は穏やかではないだろう。津波に洗われ、日にちもたち、けっしてきれいな外見でない場合も多い。それを一人づつ手厚く収容してくれる。本当にありがとうございます。捜索にあたっている方々の精神的なフォローが十分行われる事を願っています。何度言っても足りないくらいです。「ありがとうございます」
April 3, 2011
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3月は卒業の時期であり、4月の新しい生活のための準備の時期。しかし、今年、東北では卒業式ができなかった学校が多かった。息子もその一人である。4年前の息子の大学の入学式。すべてが英語。祝辞も新入生の挨拶も何を言っているかわからないまま入学式が終わった。留学経験もなく、息子が英語を話しているのを聞いたこともない。授業はすべて英語だということは知っていたが・・・息子はついていけるのかととても不安になった。ネットで調べてみると入学してからも勉強はかなり大変で4年で卒業できるのは約半数。4年で卒業は無理かもと思い、遅れてもいいから途中で退学することがないことを願った。息子は口数少なく、大学の様子はあまり話さなかったが、一度だけ「1年遅れていい?」と聞かれたことがあった。仕方ないかもしれないと思いながら「がんばれるだけやってみてだめなら仕方ないよ」と答えた。だが、心配をよそに息子は順調に留学を終え、4年の4月には就職内定。そして4年の3月に卒業。ホントによくがんばったと思う。卒業式には晴れ姿を写真におさめ、卒業を一緒に祝ってあげようと思っていた。しかし、それはかなわなかった。卒業式はできなかったけど胸をはって新しい生活に向かってほしい。同じような日本中の卒業生。そんな気持ちになれない人もいると思うけど・・・復興のためには前を向くしかない。今日は3月31日 日本中の卒業生卒業 おめでとう
March 31, 2011
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今日、息子が就職のため巣立っていった。奇遇にも震災の被災地岩手から被災復興の地神戸に向かった。我が家は直接的な大きな被害はない。しかし、同じ岩手県民が大きな被害を受け、みんなが苦しんでいる。息子には・きちんとこの悲惨な現状を伝えていくことが私たちのするべきこと。・現地に全国各地から支援をいただいていることに感謝の気持ちを忘れないこと。を熱く語りましたが息子は「わかってる」の一言。現地を目の当たりにして何かしなければいけないと使命感にかられている私や夫と息子との間には温度差を感じる。でも、もしかして私も夫も冷静さを失っているのかもしれない。あの状態を見せ付けられては冷静でいられないのは仕方がないのかもしれない。テレビで被災者の話を聞いて涙が浮かばない日はない。きっとそんな思いの人は多いと思う、私たちも精神的な被災者かもしれない。2週間以上たった今、いつまでもこんな状態で悲しんでばかりはいられない。復興への道を進まなければいけない。今こそ冷静にできることを考えようと思う。
March 29, 2011
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釜石で災害対策にあたっている夫が自衛隊の力に感動していた。「自衛隊はすごい!震災直後の救助はもちろんのことその後の遺体の捜索・瓦礫の撤去・物資の運搬と自衛隊に助けられている。自衛隊の力なしではホントに進まなかったとおもう。ホントにありがたい。毎日、上官を中心にして行われる会議もすごい・・・」と絶賛。上官の指揮が隅々までいきわたる組織力は自衛隊ならではのものである。混乱している災害現場では訓練されているこのシステムが有効になっている。普段、街中で見かけると自衛隊の車はものものしい。戦争というイメージであまり楽しい感じはしない。しかし被災地ではみんなに安心感を与える。これからも被災地のためにがんばってほしい。よろしくお願いします!
March 28, 2011
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釜石に単身赴任している夫が帰ってきた。夫は釜石で災害対策のため働いている。震災直後は事務所に寝泊りしながら1週間以上をすごした。支援は長期に及ぶので体調を崩さないように内陸部職員から手伝ってもらい交代で休息を取ることになった。昨日の14時から今日の14時までの休日。釜石からは車で約2時間半。18時ごろに帰宅。車のガソリンは赤ランプ。「ひやひやしながら乗ってきたよ」と夫。29日に息子が就職のため神戸に行く。夕べは就職祝いにすき焼きとビール。贅沢だ!被災地をおもえばこの上なく贅沢だ!後ろめたい気分・・・夫の車はガソリンなし。私の車はほとんど満タンなので夫は私の車で釜石に帰ることに。でも、今度、夫が帰ってくるときにガソリンが潤沢に出回っている保証はない。息子も夫もいるうちにガソリンを入れておこうと・・意に反してガソリンスタンドに並んだ。6時半ごろから並んでいたが8時の開店とともにかなりの速さで列が進んだ。と思ったら、なんと「27日休業」の看板が出た様子。ショック!また、違うスタンドを探した。あった!私の車で列に並び、順番が近づいたころに夫の車を呼び交代。ガソリンがほとんどない夫の車がちゃんとこれるか心配だったが無事ガソリンスタンドに到着し給油完了。急いで釜石に帰っていった。列に並んでいる間、車に乗ってパチンコ屋に来る人をみて腹が立った。そのガソリンを被災者や被災者支援にあたる人に回して!
March 27, 2011
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医療支援で訪問し避難所で出会ったおばあちゃん。家は流されたが一家は無事だった。血圧をはかって話を聞くと「みんな流された。なーんにもない。血圧も高いでしょ。薬も流されたから。でも息子が私の薬を見つけてくれた。ホントによくやったと息子をほめた」と錠剤が5個入った薬の袋を2つ見せてくれた。周りは泥を拭った感じがありちょっと汚れていたが中は大丈夫。「震災後は避難所にくる先生が血圧の薬をだしてくれるけど1種類だけだ。今までは5種類飲んでいたのにね。こんなときだから仕方ないね。でもどうしても具合が悪くなったらこれを飲もうと思っている。今はまだ大丈夫だ」と大事そうに薬袋を両手に挟んだ。津波に負けなかったこの薬を飲まずにすむことを願った。
March 27, 2011
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大船渡に医療支援に行ったときに出会った一人の男性。今は東京で生活しているが3月11日の震災後、やっとの思い出1週間後に地元に戻った。瓦礫の山をかき分けやっとのことで実家のある集落に入った。その集落はほとんどが津波にのまれ高台にある3軒だけが残った。母の家は残っていたが、一人暮らしの母は津波にのまれ亡くなった。近所に住んでいた親戚も数人亡くなった。残った3軒に集落の約90人が集まり生活している。男性は「この集落が元に戻るのにはどれぐらいかかるかわからない。でも自分達がやらなくてはならない。自分は仕事をやめてここにとどまるつもりだ。今、ここにいてここでやらなければならないと思う。」と話してくれた。力強い言葉! がんばろう!岩手!
March 26, 2011
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岩手県の内陸育ちの私にとって高田松原は特別楽しい場所だった。年に1度。夏休みの楽しみ、海水浴。暑い太陽。波の音。潮のにおい。焼きほたて・焼きいかの香り。泳げない私だがすべてが楽しいことにつながった。子供ができてからはキャンプもした。バーベキューもした。子供達の水を掛け合ってはしゃぐ声。バナナボートに乗っていた子供達がおちておぼれそうになったことも・・帰りには海の幸をいっぱい買って帰った。 高田松原での楽しい思い出。でも・・でも・・海岸がない!そこには瓦礫。どこが海岸?津波と一緒に私の楽しい思い出も流されてしまった気がする。高田松原の海岸をもう一度見たい!
March 23, 2011
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職場の系列病院で被災地支援に行くということで希望者を募った。もちろん希望して、大船渡と陸前高田へ行った。医師3名を含む12人。医療が入らず取り残されている自宅避難者医療を届ける目的で行った。事前に系列の大船渡事務所をとおして大船渡市役所に連絡を入れてもらった。当日、大船渡市役所に行ったが市役所は混乱。適切な情報はもらえず自分達で各戸を訪問。津波の被害のない家屋が立ち並ぶ地域は平穏無事な何事もなかったような景色。しかし、その路地に突如、瓦礫の山が現れる。津波の恐ろしさを目の当たりにする。被災から1週間がたち、主要道路はなんとか瓦礫を道路わきに寄せているが路地はそのまま。家の高さ以上の瓦礫が積み上がっている。家を流された人たちはすべてを失った。家もお金も通帳も保険証も思い出の品物も。「自分を証明するものが何もない」と。自分の身に置き換えて想像してみるだけでつらくなる。家がなくなり、避難所やよその家に身を寄せる。慣れない生活で肉体的にも精神的にも疲れ果てている。日々増えていく死者数。被災者の一人の老人に「助かってよかったですね」というと「何にもいいことはない。流されて亡くなった人がうらやましい。こんな思いをしなくてすむ。こんなに年とってからこんな思いをするなんて」と力なく答える。言葉がない。体を動かせる若い人たちは家事やボランティアなど、みんなで暮らしていくためにすることがあり、気が張って暮らしている。しかし老人は悲しい気持ちを誰かに話すこともできずただただ座っている。いろんな不安の中で生きる気力を失いつつあり、体調を崩していく。阪神大震災では避難所生活で亡くなっていく多くの人がいた。東北でも同じ状況になる可能性がある。被害から生き残った人々を助けたい。生きる気力を取り戻してもらいたい。物資はだんだん届いてきている。医療はまだまだ足りない。精神的なフォローも必要だ。ホントにみんなの助けが必要です。
March 21, 2011
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ガソリンスタンドに長蛇の列。職場の同僚も通勤のために並んだと。「今度はどこでいれれるか情報収集しなくちゃ」と言っている。確かに車がないと通勤は大変かもしれない。でも、被災地のことを考えて「もうガソリンあきらめてよ」と私が言うと「でも、私が入れなくても誰か同じような人がいれるんだよ」と同僚。「テレビを見ると被災者を迎えに行きたくて並んでいる人がいるでしょ。そういう人に入れさせてあげて」と私が言うと「じゃあ、私もそう言ってみようかな」と同僚。あきれてもう何も言う気になれないガソリンがなくて物資が運べず、死んでいく人がいるんだよ!ちょっと我慢してよ!日本中の人が、世界中の人が岩手を東北を助けようと一生懸命なのになんでこんなに近くの人がそんな考えなの?盛岡が一番、宮古に近い大きな市なんだよ!ここからガソリンを運ぶのが一番ロスがないんだよ!お願いです!盛岡の人たち。被災者救援に必要な方以外はガソリンは入れないで!!
March 17, 2011
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岩手県は県内各地に県立病院が25病院がある。県立病院で過疎地の医療を充足させてきたといっても過言ではない。沿岸部にも高田・大船渡・釜石・大槌・山田・宮古・久慈病院がある。その病院がいくつ稼動しているのか?県立病院で勤務していたことがあり、県立釜石病院で働いたことがある。直接津波が切る場所ではないので建物に影響はないがきっと戦場のようになっているに違いない。頑張って!としか言いようがない。今日は震災以来初の休日。以前の同僚にメールを送ってみた。徐々になくなった方や行方不明の方の情報も入ってくる。悲しい休日となった。テレビを見ていると自分達がなんて贅沢だろうと思ってしまう。支援物資は全国から寄せられる。でも運ぶガソリンがない。ガソリンスタンドに並ぶ人たち!支援物資を運ぶガソリンにまわしてあげてください!避難所で死んでいく人たちがいるんです!物資が届けば助かる人もいるんです。
March 17, 2011
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日に日に増える死者数。離れた地で安否を確認できずにいる人々の不安は増大している。いてもたってもいられずに被災地に向かう決心をする人たち。ガソリンスタンドで長蛇の列に並び何時間も待って給油。災害救助の妨げになる・余震は続いていて危険!と被災地に入らないように呼びかけられている。でも安否を確認し、つれて帰りたいという思いで向かう。そんな人たちが回りに何人もいる。その思いをとめることはできない。職場の同僚が釜石まで行き、義理の親を連れて帰ってきた。「釜石はかなり物資が届いてきている。2食から3食になった。途中で通行を規制されるが主要道路は侵入できないがわき道を教えてくれる。中妻ぐらいまでは道路は通っているし水道も大丈夫」とのこと。様子が少しわかり安心する。友達からメール。「旦那さんに聞いてほしい。知人の親が大松あたりに住んでいるが避難所の名簿には見当たらない。その地区で自宅にいることは可能かどうか」と。電話で同僚から聞いたことを伝える。「その地区は津波の被害はないので食事を配給場所でもらい家にいる人もいるらしい」と。みんな、安否がわからず眠れない日々をすごしている。通信手段が一日も早く回復することを願っている。がんばれ!岩手・がんばれ!東北。
March 15, 2011
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恐ろしいことが起こりました。悪夢です。3月11日は二度と忘れられない日となりました。携帯電話の緊急地震通報直後の強烈な揺れ。ケアマネの私は利用者宅で遭遇した。すぐに担当の一人暮らしの老人宅を車で訪問。どの利用者の無事も確認。ほっとしたのもつかの間、なんと信号がついていない!渋滞!やっと事業所にたどり着くと、徐々にいろんな情報が入ってくる。電気がつかない。まだまだ寒いこの時期、暖房なしではすごせない。一人暮らしの要介護高齢者が一人で過ごすことは危険。地域の避難場所では車椅子移動やトイレは困難。デイサービスやショートステイを緊急避難場所に開放することに決定。再度、一人暮らし高齢者宅を回り非難誘導。あわただしく過ごした後、津波の情報が耳に入ってきた。沿岸部はあちこちが壊滅状態!単身赴任の夫が釜石にいる。でもなぜか「きっと大丈夫」と思った。携帯電話はつながらずメールを送る。返事はない。東京に住む娘達から安否確認のメールが届く。「お母さんは無事。お父さんの職場までは津波は来ないからきっと大丈夫」と返信。夫に何度かメールをするが返信はない。娘達からも「お父さんから返事来ないよ」と不安のメール。夫は県職員。きっと対策本部などで忙しいはず。でも、もしかして・・・20:59 夫から「お父さんは無事」とのメールが送られてきてほっとした。ろうそくの明かりの中で、息子と食事。水とガスはOKだったので食事は作れた。「暗いとなんかおいしいと思えないね。でもお父さん達には食事もないかもね」と・・・3日目にやっと電気がつきテレビを見て唖然!なんという光景!こんなことがあっていいのか。2週間ほど前に行ってきた釜石の町が津波に飲み込まれてしまった!瓦礫の山になってしまった。元の町に戻れるんだろうか?戻ってほしい!何かできることはないか息子と話しているうちに「釜石に行こう!」と・・でもガソリンは売っていない。どうやって行けるの?ボランティアも津波の危険があるから募集していない。どうすることもできない。ただ祈ることしかできない。
March 14, 2011
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4年前、息子が国際〇〇大学に入学。入学後、いったい、どんな生活をしているんだろうと心配している私の不安解消に役立ったのが大学のホームページと学生達数人でやっているブログ『国際〇〇大を全国に広め隊』。授業の様子やイベントの様子などあまり連絡のない息子にかわって私を安心させてくれました入学して1ヶ月が過ぎゴールデンウィークに帰ってきた息子は「けっこう楽しいよ」と・・・よかったー軟式野球部とバスケ部とバレー部に入ったとのこと。1学年約150人で男子は3割ぐらい。4年のうち1年は留学しているので大学にいる男子は150人ぐらい??みんないろんな部活を掛け持っているようです。私の心配はよそに息子は学生生活を楽しんでいましたなんといっても、野球大好きな私は野球をしているというだけでも大喜び野球部のホームページを見ることも日課のようになりました。「授業はわかるの?」と英語だけの授業を心配して聞くと「レベルで分けてあるし、どうしてもわからなかったら日本語できくこともできるし・・大丈夫」と。ホッ「野球の練習も忙しいし、宿題も多いからバイトは無理」との事。大学生2人に仕送りをしている我が家の家計状態から言えばバイトはしてもらいところですが授業についていけないようだと困るし・・とりあえず無理しなくていい!私立美大にいっている長女に比べれば息子の費用はかなりお安いし・・・とにかく、楽しんで生活していることに一安心でした。 つづく
March 10, 2011
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息子が自分で大学を決定した事はとてもうれしく思うとともに不安でもありましたそれは・・国際〇〇大学の制度が息子にあっているかということです。授業がすべて英語・1年生は寮生活・1年間の留学ということです。息子は留学経験もなく、英語を話しているのを聞いたこともありません。「入学前にNOVAで英会話の勉強したら・・」と息子に勧めてみましたが息子は「きっとどうにかなるよ」と・・寮生活も大丈夫だろうかと・・・あまり社交的なほうではない息子はなじめるのか??そして、「留学はいやだ。」と言っていたことが引っかかっていました強く勧めたわけではないけれど・・・やっぱり学費のことも考えたのかなあなどとブルーな気持ちになりました。でも、自分でよーく考えて出した答えにいろいろ言うべきではないと思い、気持ちを切り替えて新生活を応援そして、入学式の日入学式会場に新入生が入場し、いよいよ入学式が開始。司会の方が立ち上がり英語でなにやら話しその後もすべて英語何を話しているかわからないままに式が進み、新入生挨拶もすべて英語それもなんと流暢ショックでした入学式が終わり、上級生による歓迎式でも数人の新入生が挨拶。みんな英語がなめらか息子はほかの新入生と日本語で和やかに話をしていましたが新入生や上級生の挨拶の内容がいくらかでもわかったのか??息子に聞く勇気がありませんでした。入学式が終わり、私達夫婦は息子に「がんばってね」の言葉を残し帰宅しましたが、帰りの車の中で、あの生活についていけるのかなあ?うまくやっていけるのかなあ?とただただ不安でかわいそうなことをしたかなあと目頭が熱くなりました つづく
March 8, 2011
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息子は、4年前の2月下旬に本命の東〇外大を受験しました。東京に住んでいる娘の所に泊まり、娘と一緒に受験会場までついていきました。ほかの受験生はみんな自信ありそうで・・・試験終了後、息子に出来具合を聞くと「まあまあかな。合格できるかはわからない」と言う割には晴れ晴れとした表情。もしかして大丈夫かも・・と期待しました「東京に行ったら、お姉ちゃんと一緒のアパートにしてもらうと助かるんだけど・・」などと東京での生活の準備を考えていました。息子も「もし東〇外大がダメだったら明〇学院大にするから」と国際〇〇大学のことは眼中にないという感じだったので私もすっかり国際〇〇大学はあきらめていましたいよいよ、合格発表の日・・・ネットでの合格発表はないので東京にいる娘に大学に見に行ってもらい、すぐ電話してもらうようにお願いしました。予定の時間に娘からの電話・・・受話器を持って話をしている息子の表情がみるみるうちに曇り「うん、わかった」と一言「ダメだったって」と言い、自分の部屋へ・・・しばらくしてからは何事もなかったように普段どおりにすごしていましたが息子の気持ちを考えるとどう声をかけていいのかわからず・・・胸の痛む数日でした数日後、息子が急に「やっぱり国際〇〇大学に行くことにする。後期は受けない」と・なんでどうしてと思ったけど聞くに聞けず・・とにかく私は喜んで「やっぱりーお母さんもそこが一番いいと思うよ}と話しましたこの4年前の選択が息子にとっての人生の大きな選択の一つとなったと思います。 つづく
March 7, 2011
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息子の通う大学は昨年からマスコミで何度か取り上げられ注目されてきて今年は受験者人数も昨年の約2倍でも、2004年の開学で息子が受験したころは卒業生も出ていなくて、私は名前も聞いたことのない大学でした高校3年の進路決定時期に息子は「外国語を学びたい」と言い出し国立の東〇外大受験を希望しました。でも難関大学なので合否すれすれ秋の最終決定の時期に前期は東〇外大(センターで点数が取れなかったら横〇市立大)後期は岩〇大・私立は明〇学院大を受験することになりました。秋田にある国際〇〇大学は国立前期日程に重ならず受験できるので受験可能ということで受験してみることになりました。担任の先生からは「あたらしい大学なので入試資料が少ないがこの大学も簡単な大学ではない」と言われたのを覚えています初めて聞いた大学でそれからいろいろ情報収集しましたがなかなか魅力的な大学息子に「ここいいんじゃない?近いしいいねえ」というと息子に「俺は東〇外大に行きたいの!」と言われてしまいました入試シーズンが始まり、センターはまずまず(8割ぐらい)だったので予定通り東〇外大受験予定となりその前に明〇学院大のセンター利用受験。合格。2月に国際〇〇大の受験。受験後の息子の反応を聞くと「まあまあだったけど、すごい田舎で何にもないところだった。受かってもあそこには行きたくない」と言っていました無事、合格喜ぶ私はこの大学のいい点を息子にアピールでも息子は「大学周辺は何にもないところでいやだし、1年関の留学なんて絶対行きたくない」と私が一番気に入っている留学を否定されガッカリそして、いよいよ本命受験へ・・・ つづく
March 6, 2011
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一人暮らしの気楽さにどっぷりつかって1年早いものでもう1年たちましたまたまた転勤シーズンがやってきて・・1年しかたってないので今年は転勤はないと思うけど夫はなぜか異動の発表を気にしているようです大学卒業の息子は7日に帰ってきて、就職先へ引っ越す3月末まで家で過ごすようです息子がいる間はがんばってご飯作ろうでも、早いものですね。もう卒業だなんて!!4年前の今頃は東京の国立大学に入学することを夢見て入試の結果を待っていました。自信ありげな息子の様子を信じて東京での大学生活の準備を考えていました。今まさにそんな状態の人たちがいっぱいですよね。がんばって勉強してきたんだからみんな合格させてあげたいけど・・自分のほんとに行きたい大学にいける人は3割ぐらいだとか・・・家の子供たちも受験は失敗しているけど、今考えるとそれはそれでよかったんです長くなりそうなので・・ つづく
March 5, 2011
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3月に大学院を卒業した長女の就職がやっと決まりましたこのご時勢でいつ就職できるのか不安の日々が続いたことと思いますかわいそうで「だめなら バイトでもいいんじゃない」と言ってあげたい気持ちでしたががんばっている娘の就活に水を差すようなことになるのかとも思い・・・しばらく電話もできず・・どうなっているのかと心配でもあり・・・4月はじめには大学4年の弟のほうが先に内定が出てあせる気持ちもあったと思いますホントに・ホントに・よかったー雑誌のデザインをやっている会社だそうです今まで学んだことを活かして生き生き仕事ができることを願っています今日の一杯はおいしかったー
May 28, 2010
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29日からの連休が終わって夫が単身赴任先に帰りましたー4月の1ヶ月、家事はかなり手抜きでのんびりしていたので連休中は久々に主婦しました。一人でいると食事はほんとに手抜き?になりますおかずは1品あればもういいかなって感じ洗濯物もすくないので週に2回ぐらいですむし、家の中もあまり汚れないし汚してもすぐ掃除連休中はがんばりました今日からまた主婦休業します。ところで今日は母の日娘たちからカーネーションが届きました今夜は一人でカーネーションを眺めながら一杯
May 9, 2010
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昨日(5/5)に弘前城の桜を見に行ってきました初めて行ってみましたすばらしい散り始めた桜の花びらが舞ってお堀の水の中へ・・・水面は花びらで桜色満開の桜のトンネル中を歩く人々には桜の花びらが降って・・枝垂桜も濃い桃色で鮮やか日本人でよかったーホントにみごとで幸せな気分でした
May 6, 2010
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でも我が家は先立つものがない・・・だってー大学の授業料支払いの時期で4月には53万円5月には26万円の出費です。去年は大学生3人分で春に150万は出ていたので今年からはかなり楽になる予定だったけど・・長女の就職は決まらず、夫は単身赴任なかなか楽にはならないね・・連休中、子供たちは帰ってきません。長女と次女はアルバイト長男は野球の試合みんな忙しくしています夫は今日から9日までずーっと休みですでも私はカレンダーどおりの休みですもちろんお金のかかる旅行は無理近場に日帰りで観光に行く予定あとは息子の野球を見に秋田に行きながら1泊するぐらいかなちょっと足を伸ばして弘前のさくらを見に行けたらいいかなこんなに続けて休めるのにお金がないとどこにもいけないねでも休めるだけいいか
April 29, 2010
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「小沢一郎 起訴相当」というニュースが流れた。やっぱり悪いことしてるのかなあ政治にはあまり詳しくないけどやっぱりあやしい前からあまり好きじゃない政治家岩手ではどこに恩恵を受けている小沢一郎崇拝者がいるかわからないので余計なことは言わないようにしているでも・・先日、ニュースを見ながら「やっぱり小沢一郎って悪いことしてるのかなあ」とつぶやくと夫が「でも小沢一郎にはなんか頑張ってほしいよなあ」と・・・・ひゃーーーーこ・こ・こんな近くにいたーー何にも恩恵受けてるわけでもないのになんでなにがいいのもう、小沢一郎の話を家でするのはやめよう。喧嘩のもとだ
April 27, 2010
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この週末、息子は内定をもらった企業の内定者懇親会があるということで東京に行きました交通費・宿泊代はすべて会社から出ています就活時の会社説明会の時は何度も秋田から東京に往復だったので夜行バスを使ってなんとか安く済ませるようにしたり「東京での食事はお金がないからほとんどマックだった。なんかずーっと腹減ってた」などと涙ぐましい努力をしていたようですでも、今回は新幹線で往復懇親会ではご馳走内定決まってほんとによかった。「もしかしたら今度、関西にいけるかも・・・」とのこと。本社の見学に行くような話です
April 18, 2010
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先週末、前の職場の同僚と久々に会い温泉に行ってきました。1泊しながら二人でいっぱいいっぱいおしゃべりしました彼女も前の職場をやめ今はパートで訪問看護師をやっています。前の職場ではいろんなことに勉強熱心で後輩の指導も一生懸命で尊敬できる人でした。ところが今の職場ではパートという身分建設的な意見を言おうものなら「病院とは違うから・・」といやみを言われるようです。「とにかくでしゃばるといじめられるからおとなしくしているの・・・」とのこと。パートでもお給料はまずまずなのでみんな我慢しているようですがいやになればやめていくという状況のようですまだこんな職場があるんだなあと悲しくなりましたでも、4月から管理者が変わったということでみんなで何かが変わるかもと期待しているようです。彼女の持っている力が十分発揮できることを祈っています私もがんばろう!!
April 12, 2010
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久々の更新となりました元気でやってます!この1年・・・特に変わったこともなく・・・いや、ありました。昨年末、1年のアメリカ留学から無事、息子は帰国1月には秋田の大学に戻るため引越し・・・就活開始・・・3月には秋田から東京や仙台に就活のため往復つづき・・地方大学生は交通費がかかり大変です3月末、夫の単身赴任が決まり夫の引越し4月1日から久々の一人暮らし満喫と なかなか忙しい日々を送っておりましたが昨日、昼休み時間に息子より久々の電話(お金のほしいとき以外はめったに電話はきませんが・・・)「内定でた今から家に帰るから」なんと4月1日から東京に滞在し面接続きだったと・・・第一志望の企業から内々定がでたので就活終了とのこと。こんなに早く、内定が出るなんて!!この不況の世の中でなかなか難しいのかと心配していましたが・・・息子の大学は「就職率100%!」ということで2月には「情報7days]、3月には「カンブリア宮殿」で取り上げられていました。そんな中で息子は大丈夫だろうかと心配していましたが・・・ほんとによかった。話を聞いてみるとなにより学生たちの就活に対する意識の高さが感じられました。少人数なので大学の就職担当者も一人ひとりにきめ細かくアドバイスができているようです。学生同士もお互いに情報交換を密にしています。もちろん息子のがんばりもあったと認めてあげたいです。後は無事に単位をとって来春卒業することです心配なのは3月に美大の大学院を卒業した娘です。結局、あまり熱心に就職活動もしなかったせいもあり就職できずいまだに就活中です。デザイン学部を出ているのでその関連の仕事をしたいようですがなかなかうまくいかないようです本人が希望する仕事ができるように見守るしかないかなと思っています。
April 9, 2010
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息子が留学から無事帰ってきました8月末にまた行きますがそれまではおやすみだそうですすかさず「バイトしてね」と私。「うん。でも盛岡じゃ1~2ヶ月位のバイトってあんまりないんじゃあないかな」と息子。明日から秋田の大学に残っている同級生のところに遊びに行ってくるそうですお願いだからバイトして!!
June 16, 2009
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残念ながら、決勝で法政大学に敗れましたがりっぱな準優勝です岩手はこの活躍に沸き立っています次は優勝を目指してがんばって欲しいです
June 15, 2009
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すご~い!富士大学が決勝進出しました!!!今、岩手の野球が熱い春の選抜高校野球に続き、大学野球でも岩手のチームが決勝進出です明日はテレビ中継あるようなので応援しますがんばれ!富士大!
June 13, 2009
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ついにきてしまいましたひろがるのかなあ。心配!職場では外回りのときはマスクをするように言われています。息子は昨日アメリカから東京に戻り、娘のところに泊まりながら東京にいる友達と遊び歩いているようです盛岡には来週帰って来る予定です。もう、アメリカにいても東京にいても盛岡に来てもインフルエンザの感染の危険は同じですねえ。
June 11, 2009
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6月9日にアメリカ留学に行っている息子が帰ってくる予定ですでもインフルエンザはこれからいったいどうなるんでしょう?息子は帰ってきたら東京にいる友達と遊ぶために1週間ぐらい娘のところに滞在すると言っているけどこんな状況で遊んでくれる友達っているのかしらアメリカから帰国したなんて嫌われるよねぇでも息子にメールすると「こっちは大丈夫。そんなに騒いではいないよ」とのこと。そうなんです。わかっているんです。日本では騒ぎすぎだと言うことは・・・インフルエンザになってもちゃんと治療すれば怖い病気ではないことはわかっているんです。でも、岩手ではまだインフルエンザ患者はでていなのでアメリカから来たと言うだけで敬遠されそうですよねえとにかく、インフルエンザに感染せず無事に帰ってくることを願うだけです
May 24, 2009
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娘がいなくなって約2週間。やっぱりさびしい部屋を見るたびにいないんだなあと実感お笑いのテレビ番組を見てもクイズ番組をみてもつまんないスーパーに行って買い物しても娘の喜びそうなスイーツを見ては「買ってもしょうがないか」と暗くなり・・・ご飯をつくっても張り合いがないと、いつまでも暗くなっていても仕方がないので・・・ポジティブに考えようと考え方を変えてみました。テレビは娘に合わせなくても自分の好きな番組を見れる!娘に付き合って甘いものに手を出していたけど今度はダイエットできる!食事も少しカロリーを控えたものをつくろう。買い物時間や食事を作る時間など家事をする時間が減らせる。娘の帰りが遅いと心配することがない!つまりー自分の時間が増える読みたい本をゆっくり読んで、見たかった映画を見て、家の周りをゆっくり散歩もしたいし、お庭に花も植えたい家の中も模様替えしたいし・・・いろいろ挑戦もしたい・・・春だ!がんばるぞー
April 13, 2009
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やりましたー今日も逆転で勝利岩手は大騒ぎです明日も応援します今から東京に向かいます。
April 1, 2009
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す・すご~い!高校野球で花巻東がベスト4に進出しました岩手ではかなり盛り上がっています。選抜で岩手がベスト4まで行ったのは25年ぶりだそうですあすは宮城の利府高校との戦い。なんと東北同士の試合です岩手がここまで勝ち上がることはなかったので楽しみですこんな事に浮かれていますが北朝鮮のミサイル問題も不安ですどうなるかなあ。先日の正規職員採用試験だめでしただめだろうと思っていたわりにはけっこうがっかりしました。まあ仕事が出来なくなるわけではないので・・・いままでどおり契約社員で働けるので・・・・と、落ち込んではいられず2日の次女の入学式のため明日東京に行きます東京はサクラが満開だというのでサクラでもみて気分転換します
March 31, 2009
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今日、娘が大学進学のため東京に行きました駅には友達数人が見送りに来てくれました高校ではバスケ部のマネージャーとしてがんばってきた娘ですバスケ部の同学年は5人でと~っても仲良し休みの日もよく5人そろって遊んでいましたホントにいい友達に恵まれ楽しい高校生活を送れたようですそんな仲良しの友達もそれぞれの道に進みバラバラになります。駅のホームではそんな楽しかった日々を思い出してか娘は涙・涙・・・つられて私も涙・・小学校のときは毎朝「具合が悪い」と言っては保健室登校をしていた娘です。中学生になっても高校生になっても「具合が悪い」と言い出すのではないかと心配しました。そんな娘が東京の大学に行くまでに成長しました。そして・・・行ってしまいました3人の子供達が家を出て今日、私は子育てから卒業です淋しいですホントに淋しいですでも、子離れしなくてはいけませんしばらくブルーかもしれないけど・・・がんばらなくちゃ
March 27, 2009
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ケアマネとして今の職場で働きはじめて丸2年!現在は1年毎の契約社員今の職場では働いて1年以上のものは正規職員の採用試験を受けられます年齢制限はないというので40代後半でありながら思い切って受けてみました試験は一般常識・小論文・面接一応、インターネットなどで一般常識の問題を集めて少し下準備しましたそれにしても国語は何とかなるけど社会や理科ましてや数学はルートの計算なんてどうやってするの~~高3の娘にきいたら娘も文系なのでしばらく数学はやっていないとのことでもやり方を2人で思い出しながら解けたときはなんともいえない快感本番ではそんなに難しい問題はでない・中学生レベルの数学らしいとのことでしたがやっていると楽しくて図形の面積・連立方程式等を久々に楽しみましたそして、今日の本番受験者は十数名。20~30代の人が中心で私が最年長一般常識と小論文で1時間なので本当に問題は少量でした。社会は憲法と社会保障から。国語は漢字の書き取りとことわざ。数学は文章題が1問。数学はいいけどあとは・・・小論文はこの固まりきった頭ではなかなかすらすら書けず大苦戦面接もいまいちかな?結果はあまり期待できないけどまあいいか久しぶりの勉強は楽しかったので落ちてもまた来年受けようと思っています
March 17, 2009
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国公立大学の前期の合格発表があり、娘の同級生達の進路も決まりつつありますでも残念ながら希望の大学に合格することが出来なかった友達もいます一昨年の長男の時の事を思い出します合格発表を見に行った長女からの電話を受け取った長男の青ざめた顔を今でも忘れられません親にとっても試練でしたどう声をかけたらいいのか・・・部屋にこもった息子はいったい何を考えているのか・・・ホントにつらい数日でしたでも でも その長男は2年後の今は海外留学中国立大学はだめだったけど公立大学に進み、その大学のカリキュラムで1年間の留学です。外国語を学びたいと言うわりには留学はしたくないという臆病者の長男は義務でもなければ留学などしないタイプ。親としてはホントに今の大学でよかったと思っていますその3年前の長女の受験も私立の美大を4つ受け全滅かなり落ち込み結局、唯一合格した私立の美大の短大に進みました。短大卒業時、希望の美大に3年次編入。今はその美大の大学院に行っています自分の行きたい大学にストレートでいける人は一部です。でも、回り道してでも、違う方向に進んでも、きっとそのひとにとってベストな道が用意されていると思います。今は落ち込んでいるでしょうがまだまだこれから・・・がんばって欲しいなとホントに心から思いますガンバレー
March 9, 2009
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昨日、次女の高校の卒業式でした。次女の高校は創立百十年を超える伝統のある女子高です女子高生達の「仰げば尊し」と「蛍の光」の合唱はとてもすがすがしく感動的でした「ホントにこの高校でよかった。楽しかった」と次女の言葉に私も心からそう思いました次女は長女・長男の入った高校には学力的に入れそうもなく今の高校を選びました。中学時代はやや反抗的で手をやいていただけにこの高校のきびしい規則等に反抗してしまうのではと心配していましたが・・・・友達や先生に恵まれホントに楽しく過ごせたようです中学時代は真面目に一生懸命にやることを「かっこわるい」と思っているような冷めたところがある子でしたが高校では行事等みんなと一緒に熱くなってやっていました強くはなかったけど部活も3年間がんばってやりました大学は指定校推薦枠がかなりあり実力では入れないような大学に早々に合格を決めることが出来ましたあっという間の3年間でしたがこの3年間でかなり娘は成長できたのではないかと思います。思い起こせば小学校の2年生の夏休みに体調を崩してから長期休みのあとは必ず保健室登校をしていた次女です毎朝「気持ち悪いよ」と横になっている次女の姿を思い出します何が悪いの?どうして?学校が嫌なの?と毎日仕事をしながらも思い悩んでいた日々を思い出します。大きくなって保健室登校をしなくなってからも体調を崩すと不登校になるのではと心配になることもありました。そんな次女もあと1ヶ月足らずでこの家を出て行きます。次女がここまで成長してくれたことをホントに嬉しく思いますがまたとってもさびしいですでもこうして子離れしていかなければならないですね
March 2, 2009
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やっと引越しの疲れも取れてきました何度か引越しをしたことがありますが何度やっても何かしらアクシデントがありなかなか引越し上手にはなれないものです。今回は長女の引越しでしたが相変わらずのオマヌケぶりでした。助っ人部隊の私と次女は引越し前日の夜10時に国分寺の長女宅に到着引越し準備はまだまだという感じ・・・長女は夕ご飯も食べないで荷造りしていたようですが次の日は午後からの引越しだと言うので「今日は寝て明日朝早く起きよう!」と私と次女が布団に入ると長女はパソコンに向かっていました・・・そして朝も早くからパソコン・・・?なんと就活のエントリーシートを10時までに送らなければいけないと・・・私と次女はひたすら荷造り・・・10時にやっと長女も加わり荷造り・・・でも、ガムテープが足りないと買いにいったり・・・ ふーっ。12時30分頃に引越し屋さんが着いた頃にはなんとか準備ができたかなというかんじでした。長女がネットで調べて申し込んだ引越し屋さんは田舎ものの私には聞いた事もないところ若いお兄さん2人でやや心配一人はキビキビと説明してにこやかだけどもう一人のお兄さんはなんかボーっとした?感じで大丈夫かな・・・ダンボールをドアにぶつけたりするたびにとっても心配になりました約1時間ぐらいで荷物の積載終了。新しいアパートへは私達はで。途中の電車の中でなんと外においていた自転車を積み込み忘れたのに気づき大慌て引越し屋さんに電話しても電話が通じないも・も・もしかして荷物を持ったままどこかに逃げられた???などと悪いことばかり考えて・・・やっと電話が通じて「自転車を今から取りに戻ってもらえませんか」と長女のお願いになんと戻ってくれました。もうかなり阿佐ヶ谷の新しいアパートの近くまで来ていたようですが戻ってくれましたそして長女の自転車を乗せて引越し屋さんが到着嫌な顔もせず荷物を降ろしてくれました。経費は予算どおり22600円とのこと。あまりにも申し訳なかったので25000円を支払いました。本当にありがとう(疑ってごめんなさい!)
February 26, 2009
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