アメリカが原爆を開発したきっかけは、ナチス・ドイツが先に核兵器を完成させるかもしれないという恐怖でした。科学者たちの警告が国家を動かし、莫大な予算と人員が投入され、マンハッタン計画が進められました。
しかし、原爆が完成する直前にドイツは降伏し、当初の大義名分は消えてしまいます。それでも巨大な計画は止まらず、原爆を「使うこと」そのものが目的へと変わっていきました。
投下目標の選定には、軍事施設ではなく「破壊効果を正確に測定できる都市」が重視されました。広島や長崎が選ばれた背景には、都市が無傷であること、地形が観測に適していることなど、冷徹な基準が並んでいます。
そこには、一般市民の存在よりも、新兵器の威力を実証することが優先されていた事実がありました。さらに、戦後に設立されたABCCは、被爆者の治療よりもデータ収集を重視し、多くの人々に深い失望と傷を残しました。
原爆が「多くの命を救った」という言説についても、後から強調された側面があり、現在でも議論が続いています。こうした歴史を振り返ると、戦争という極限状態の中で、国家の合理性がいかに人間の倫理を押し流してしまうのかを痛感します。
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