公務員という生きもの
そもそも公務員というもの国家公務員から地方の公務員に至るまで国民と一線を画している。僕らが学生の頃も自分たち以外の人たちを民間人と呼んでいたし何だか小ばかにしたところがあった。
自分たちが国を動かしており国民は黙ってついてくるもんだぐらいの勢いだ。
自分たちの権利を絶対に曲げず国民のために少し柔軟に、制度をそれに合わせてみるなどという本来の公務員(国民の公僕)の本質など念頭になく頑なに自分たちの圏域を守り通す。いったいどこを見て政治をしているのかわからず自らを曲げてみることなどない。上司に伺いを立てて相談してみるということもない、何事も問題なく人生を過ごし過大な退職金と年金をもらうことのみを目的に生きているように見えて仕方ない。
そのくせ民間は自由でいいなぁなどと言ったりするが少しも本音で語っているわけではない。
最近の映画で「万引き家族」というのがパルムドール賞を受賞して有名になったがあの切なく心暖かく心の基線に触れるような人生の豊かさ?のかけらさえもないしそういう世界には絶対につかりたくないと思っている。
ゴッホの「炎の生涯」を読んでなんて人生とは奥が深いのだと思ったがそちら側には立ち寄ることもなくただ無事に人生を過ごし生活に困らずのほほんと生きていきたい人たちばかりなのだ。
僕はそれがとても嫌だった。
そして、62歳を迎えた今彼らは本当に正しかったのではないかとふと脳裏をよぎったりもする。
しかしこれだけは自信を持って言えるのだが君たちは人生というものを、苦楽があり色々な色が混ざり合わせられた褐色の本物の人生を生きてきたのか?
いや、公務員である限りそれはなかったと言い切れるのだ。
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