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『略語とは 情報伝達の 圧縮である』 by タモリ次の略語の正式名称、わかりますか? 「教科書」「ヘボ」「馬券」「切手」「食パン」「軍手」日常、ふつうに使っている言葉が、実は略語だった。今日の『ジャポニカロゴス』でのテーマは略語。トリビアじゃないけど、「へぇ~!」の連続だった。略語として使っているうちに、その言葉自体が一つの姿となって、略語と意識せずにあたりまえに使っている言葉もけっこう多い。上記はその一例。「教科書」→「教科用図書」「ヘボ」→「平凡」「馬券」→「勝馬投票券」「切手」→「切符手形」「食パン」→「主食パン」「軍手」→「軍用手袋」これが正解! どう? すっかり一つの言葉として定着しているものばかり。略語だったとは驚き でしょ!新しいところでは「遠恋」(遠距離恋愛)とか、「ブログ」(ウェブログ)などなど。言葉は生き物だね。日々、生まれ、変化し、定着したり死語となったりしていくんだもの。“いのち!”のパフォーマンスでメジャーになったお笑い芸人コンビ「TIM」。なんの略だかわかります? 有名なことわざだったんだ。「タイム・イズ・マネー」の略だって。へぇ~、知らなかった。“ゆうこりん”の答えは「たっぷり、いのちで、もうかった」(笑)うけた~うん、ほんとに日本語って面白い! この番組も面白い
2007年02月06日
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クールスのLIVEへ♪趣味でバンドをやっている友人に、「沼田にクールスが来るんだけどクールスって知ってる?」と聞かれた。知ってるもなにも! ティーンエィジャーの頃は女の子だけで「キャロル」のコピーバンドをやっていたほど「キャロル」に夢中で、それに付随してもちろん「クールス」も大好きだった☆といったところで、知っているのは私より少し下の世代までで、今の若者はまったく知らないんだろうな...矢沢永吉が「キャロル」の一員だったことさえ知らないんだもの...「クールス」は「キャロル」の親衛隊みたいなもので、現在では俳優として活躍している“舘ひろし”“岩城晃一”などが代表的なメンバーだった。「クールス」のイメージ...皮ジャン、リーゼント、バイク、ロックンロール!当時は、50年代ファッションが流行していて、私たち女の子も、派手な花柄のワンピースでポニーテールに大きなリボンを結び、白い三つ折ソックスにサドルシューズを履いて、ツイストやジルバを踊っていた。原宿の表参道に“竹の子族”が出現するちょっと前の話(^^;)『アメリカングラフィティ』にあこがれ、『グリース』を何度も観て、ファッションや踊りをまねていた。青春真っ盛りのめちゃくちゃ楽しい時代だったなあ☆LIVEに誘ってくれた友人が、前座で出演するということもあって、二つ返事で行ってみることに。「クールス」全盛の頃は、私よりちょっと上の世代が中心だった。会場には、50代から小さな子供まで様々な年代の人たちがいた。リーゼント、サングラス、皮ジャン、スタジャン、ボーリングシャツ、サーキュラースカート、ポニーテール、サドルシューズ、ピンヒール、サブリナパンツetc…とロックンロールファッションのオンパレード♪ そこにいるだけで楽しくなってくる。開演前から《Rock Around The Clock》《At The Hop》《Tutti Frutti》などの音楽が流れ、地元のダンスグループが早くも踊っている。始まる前からワクワクだ。友人のバンドはトップバッター! ノリノリの曲で会場内も盛り上がり、フロアーは踊る人たちでいっぱいだ! う~ん、F君ってこんなにかっこよかったんだ☆ ふだんは穏やかな大人っぽい雰囲気なのに、ギターをもってステージに立ってる姿はなかなかだよ(^^)次のバンドは渋川のグループ。スタンドマイクで歌う女の子4人を前列にして、華やかな雰囲気。そしていよいよ「クールス」の登場!それまでそれぞれの場所で踊っていた人々が、ステージ前に押しかけ、会場は一気に盛り上がる。「Mrハーレーダビッドソン」や「紫のハイウェー」などポピュラーなヒット曲はもちろん、50年代ポップスもまじえながらの楽しいステージ。♪シンデレラじゃあ~るまいし 時計なあんて見ないで 見ないで~♪ なんて、私も一緒に歌っちゃった☆ できればツイストやジルバも踊りたかったけど、気後れしてフロアーに行けなかったのがちょっと残念。「クールス」の面々は、すっかりおじさんになり、髪の淋しくなった方や太り気味の方もいたけど、当時の面影そのままにかっこよく、ステキだった。若い頃のギラギラした暴走族っぽいヤンキーの雰囲気がなくなって今時の“ちょい悪オヤジ”風でかえっていい感じだったよ。翌日の仕事が4時半起きだというのに、ついつい最後まで堪能し、家に着いたのが0時過ぎ。寝不足気味での勤務だったけど、充分に楽しんだ一夜でした。F君、ありがとう\(^0^)/
2007年01月16日
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私の働いている病院。沼田の隣り「川場村」にある。病院に向かう道路の正面には、遠く武尊山が雄大にそびえ、山々に囲まれて建っている。空気は爽やかに澄んで、時折、リスや鹿やたぬきなどがかわいらしい姿を見せてくれる。そんな小さな動物ばかりならいいのだけれど、最近は熊が出没しているらしい。周囲を山に囲まれているので、熊が現れても不思議はないのだけれど、今年は異常なほどに目撃されているという。病院の敷地内でもいくつかの目撃情報が寄せられていて、朝礼でも熊に注意するようお達しが出ている。 道路のそちこちには「熊出没注意」の看板が立てられ、少し山をあがると注意を促す標識がある。山中ならあたり前だと思うかもしれないけど、ところがこちらの看板はれっきとした街中。 すぐそばに民家が見える。ここは、私の住むアパートの裏側。近所にはスーパーやコンビニがあり、商店があり、ふつうにたくさんの家々がある。西側には幼稚園があり、東に数百メートル行けば、沼田公園がある。そしてこの幼稚園で熊が目撃され、沼田公園では子熊が捕獲された。今年は、熊の食料である木の実がほとんど生らず、冬眠前に大量に食べておかなければならない熊にとって、山の中で餌が探せない状態であるということだ。そのため、里だけではなく、こんな街中にまでも熊が出没する事態になっているらしい。地元の猟友会の人たちが熊狩りに出て、何頭かの熊を捕獲したが、いずれも痩せていてとても冬を越せそうもない体格だったという。熊にとっては、生きるか死ぬかの瀬戸際。そりゃあ、街中まで出てきても餌にありつこうとするだろう。リンゴ園のリンゴはもちろん、民家の庭の柿の実まで熊に食べられている。そんな被害は数え切れないほど報告されているようだ。幸いなことに、今のところ人に危害をくわえてはいないが、この先どうかはわからない。私たちも熊と遭遇しないように、鈴を持ったりラジオをつけて歩いたりして気をつけてはいるが、やはり怖い。きっと熊も怖いんだろうな。共生、住み分け...色々と言われているけど、本当の意味で、野生の動物にも人間にもいい環境を作っていくことは難しいだろう。せめて野生動物の居場所を居心地のいい場所として、人間が守っていくことは最低限に必要なことなんだろう。
2006年11月23日
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お友達のまみちゃんからいただいてきた笑いの小劇場、始まり始まり!&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&幸福のメール] この文章は、東芝、NEC、富士通、松下等を回って来たメールだそうです。だれしも、このメールを仕事中に読んで、大笑いをして周りの人に変に思われたとのことです。このメールを受け取った人は、このメールを知人に出して、回り回って、また、自分の所に戻ってくると、めでたく幸福になれるという事で、幸福のメールと呼ばれているそうです。 では、始まり、始まり...。 <<<< 第 1 話 >>>> ●先日、ぼくが友達とファミコンをしていると 通りかかった母が、 「おまえたちはいいねぇ、毎日がエブリデイで」 と言った。 母はいったいなにが、いいたかったのだろぅ・・・・。 ●家族揃って夕食をとっているとき、 何かの拍子に怒った父が、 「誰のおかげでメシが食えると思ってるんだ」と言おうとして、 「誰のためにメシ食ってんだ!」と怒鳴った。 私と姉は「自分のためだよ」と答えた。 ●夫婦ゲンカのとき、 父が母に「バカモノ!」と言うのを、間違って、 「バケモノ!」と怒鳴ってしまった。 ケンカはさらにひどくなった。 ●うちの母は、頭が痛くなると氷でおでこを冷やします。 先日も夜中にかなり痛みがひどくなり、 暗闇の中をフラフラしながら台所へ。 冷凍庫から、あらかじめビニール袋に入れてある氷を取り出して、 おでこにのせて眠りました・・・。 翌朝、目が覚めてみると、 母の枕元には解凍されたイカが転がっていました。 ●甘味屋さんで、母は田舎汁粉を、私は御膳汁粉を頼みました。 店員さんが、田舎はどちらですか?」と聞いたら、母はとっさに、 「はい、新潟です」と答えてしまいました。 ●先日、父は、 男にフラれて落ち込んでいた姉をなぐさめようとして、 「おまえ、人間は顔じゃないぞ」と言うところを、 「おまえの顔は人間じゃないぞ」と言ってしまった。 ●妹が夕食にスパゲティを作ってくれることになりました。 妹は、「今日はカルボナーラを作るね」と母に言っていました。 夕方、私が外から帰ると母が、 「もうすぐボラギノールができるってよ」と言いました。 ソレって痔の薬じゃ‥‥‥? ●エアロビクスを習いに外出していた私に、友達から電話がありました。 横文字に弱い母は何を思ったのか、 「娘はアクロバットに行っています」 と答えたそうだ。 ●弟は、誰に似たのかとても勉強ができる。 それで、高校1年生のとき、 アメリカに留学することになった。 そのとき、母は親戚や近所の人に、 「うちの息子をアメリカにホームレスにやるんですよ」 と言って、自慢して歩いていた。 ホームステイとホームレスを間違えていたのである。 ●先日、プロ野球ニュースを見ていたときのこと。 「ヤクルトのルーキー、伊東」 と聞いて、母は、 「日本人ぽい人ネ」 と言った。 ●私の母は62歳。 記憶力が悪いからと、キャッシュカードの裏に黒のマジックで 大きく、その暗証番号を書いている。 ●先日、父はメガネを作りに行った際、 「無色ですか?」 と店員にレンズの色を聞かれると、何を勘違いしたのか、 「いえ、銀行員です」 と、自分の職業を答えていた。 ●うちの父は、沖縄に向かう飛行機の中でエラソーに、 「沖縄は島全体が『さんしょううお』なんだぞ!」と言った。 それを言うなら、サンゴ礁だろ!! ●私の高校時代に鈴木健という体育の教師がいた。 皆からバカ健と呼ばれていた。 それはなぜかというと? ある日の体育の授業中の事、バカ健が言った、 「それでは出席番号で列をつくるぞ。 偶数は左、奇数は右、 他は真ん中まわれ 右!」 真ん中に並ぶ者は誰もいなかった。 ●修学旅行中、金沢の兼六園を訪れた時、 看板に「鯉の餌 10円」 彼は10円玉を投げていた。 ●課外研修でバスで移動した時、 バスの入り口に「後乗り」とあった。 彼は後ろ向きでバスの階段を登っていった。 ●私の家はクリーニング屋です。 ある日お客さんが、「いま、セール中ですか?」 と聞いたのを母は、 「いま、生理中ですか?」と聞き間違え、 「もう、3年前に終わりました」と言ってしまった。 ●母は、まだ40代前半の若き頃、 私の受験用航空券を買いに行き、旅行代理店のお姉さんに、 「スカイメイトでお願いします」と言うところを、 「スクールメイツでお願いします」と言って、 店内の時を止めてしまった。 <<<< 第 2 話 >>>> ●夕食後、テーブルの横でうたた寝をしていた父がうなされていたので、 私は母と、「悪い夢でも見ているのかな?」と話していると、突然、 「ライダー、助けてっ!」と父が叫んだ。 ちなみに父は57。 ●うちの母がテレビを見ていると、美人のアナウンサーが出てきた。 母は、 「こんな人が嫁に来てくれるといいわ」 と言ってニコニコしていたが、 ウチの家族で男はお父さんしかいない。 母は、いったい誰の嫁がほしいのだろうか・・・・・。 ●お風呂に入っていた父が、突然、大声でわめきだしました。 「大変、大変! どっかから鼻血が出てる!」 いったい、父のどこから「鼻血」が出たのでしょうか・・・・? ●私の母方のおばあちゃんの話です。 お医者さんに行き、 「お尻に入れなさい。」 と渡された座薬を、おばあちゃんは、 お汁に入れて飲んでしまいました。 ●うちの父は、強風が吹いたり雨が降ったりすると、空に向かって、 「バカヤロー! ろくなもんじゃねえな。」 と必ず叫びます。 台風がきたときなど、そりゃあもう・・・ ●私の友達は仮免中に教官に 「はい、この先の赤信号の交差点を右折して」といわれ、 何の疑いも無く、信号が赤信号のままの交差点を右折した。 <<<< 第 3 話 >>>> ●酔っ払って帰宅した夫は、そのまま居間に寝てしまった。 重くてとても寝床まで運べない。 「這(は)って行ってよ」と何度も声をかけたが、 そのたびに夫は「ハッ! ハッ!ハッ!」と答えた。 (5.18朝日新聞) ●阪急電車の中、3歳位の男の子がおしっこをしたがっている様。 子供「ママおしっこ」 ママ「どうしてもっと早く言わへんのっ!」 すると子供は何を考えたのか、早口で「ママッおしっこ」。 (2月号Lマガジン) ●大幅に遅れたバスにおじさんが乗り込みながら、 「バスってえのは遅れた時は待たにゃならんが、 客が遅れた時は1分だって待ってくれずに、 ハイ、サヨナラだからな」と言った時、 あとに続く乗客全員がうなずいた。 (2.11朝日新聞) ●某工場内の「おれがやらなきゃだれがやる」という看板が、 「だれが」の「が」の点が削られ、 「おれがやらなきゃだれかやる」になっていた。 この会社の将来は…。 (10.27ぴあ:97秋第2位) ●友人は入社試験の面接で、あまりに緊張してしまい、 「家業は何ですか」との質問に「かきくけこ!」と答えてしまい、 家に帰るまで、何で「カ行」を尋ねられたか分からなかったそうだ。 (11.23俣ケ新聞) ●一人息子がちゃんと留守番できているかどうか、 公衆電話から他人のふりをして家に電話してみた。 母「もしもし、お母さんいる?」 息子「いらない」。 (3.17北海道新聞:96春第2位) ●電話で書店に本を注文した時のこと。 住所と氏名を聞かれたので、 名前の「和英」を和は「ヘイワのワ」、 英を「エイゴのエイ」と答えた。 後日送られてきた郵便物の宛て名は「和A様」となっていた。 (95.6.11毎日新聞:95夏第2位) ●「水戸黄門外伝・かげろう忍法帖」の最終回で、 事件がすべて解決し故郷へ戻ることになった 由美かおるたちは、喜びのあまり「ヤッホー」を連発していた。 でもそれってもしかしてドイツ語じゃ…。 (ちなみにあの「水戸黄門」には、格さんが 「おいハチ、ファイト!」と言ってしまった前科があるらしい。) (95.10.3ぴあ:95秋第3位) ●国語のテスト前に問題を出し合っていた中学生の長男と次男。 長男の「擬音語にはどんなものがあるか」との問いに、 次男は「そうどすえ」と答えていた。 (9.21朝日新聞) ●新鮮なお魚を「死にたてピチピチ」と言う私を、母はとても嫌がる。 だって本当のことじゃないの。 (9.29ぴあ) ●理髪店で中学生が「少し長めにして下さい」と頼むと、 ご主人が「耳はどうしますか」と聞き返した。 中学生は少し考えていわく「切らないで下さい」。 (10.5週刊読売) ●おはようからおやすみまで暮らしを見つめる = ストーカー。 (6.29週刊読売) ●父が入院することになって、 病院に予約を入れて自宅で待機していたら、 思わぬ早さで連絡が来て、「明日から入院して下さい」。 突然のことで、心の準備が出来ていなかった父は、 思わず「今、ちょっと体の具合が悪いので、 少し延ばしてもらえませんか」と言ってしまった。 病院も何の疑問を持たず父の要望を受け入れた。 (6.15週刊読売) ●「JUNKO」というデザイナーのネーム入りトイレマットを 敷いた日、 夫は「J」の文字を踏んでいたらしく、 トイレをでるなり、 「あのマットはなんだ」とのたもうた。 (1.18朝日新聞) ●結婚した教え子から年賀状が来た。 「性が変わりました」と書いてあった。 (2.8朝日新聞) &&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&「笑う門には福来たる」つまらないことでも、笑って笑って、福をたくさん呼びこんじゃいましょう!腹の底から笑うって、すっごく気持ちいいよね(^0^)
2006年10月30日
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久々の日帰り温泉情報数ある群馬県内の温泉でも、全国区の「みなかみ」谷川岳をのぞむ谷川温泉に出掛けた。水上温泉街を通りすぎ、国道291号から左折、さらに山の中の道をゆくと、『谷川温泉』の文字。小さな温泉街という雰囲気の中に、山小屋風の建物『湯テルメ・谷川』がある。内湯は「河鹿の湯」「蛍の湯」「不動の湯」の三つが楽しめる。「蛍の湯」「河鹿の湯」はかなりぬるめ。「不動の湯」は源泉が60度以上。ぬるめの二つの湯で体をならし、「不動の湯」に入る。温度の他には、あまり違いを感じなかった。私が鈍感なのかな(^^;)露天風呂には、木組みの屋根と手すりのついた石段を降りていく。コナラやカエデなどの大きな木やツツジなどの低木に囲まれ、30人以上は入れそうな比較的広い岩風呂。すぐ下を渓流が流れ、目隠しの囲いなどはないので、せせらぎを聞きながら開放感たっぷりで気持ちがいい。このあたりはすっかり秋の気配で、モミジは若干赤みがかっている葉も見える。朝から降っていた雨もあがり、薄い陽射しが湯面を柔らかく光らせている。雨に洗われた木々たちが、初秋のさわやかな風に揺れ、かすかに葉ずれの音を聞かせてくれる。時折聞える鳥の声と渓流のせせらぎの音。適温の湯に肩まで浸かり、目を閉じていると、宇宙空間に浮いているような、大いなる何かの胎内に包まれているような、そんな感覚になってくる。時間を忘れていつまでも入っていたい。実際、出たり入ったりしながら、一時間くらいは露天風呂を満喫した。ここは脱衣所から、直接二階の休憩室につながる階段がある。休憩室は30人くらいでいっぱいになる程度の広さ。今日は平日で朝から雨ということもあり、かなりすいていた。何といっても嬉しいのは、持ち込みがOK 事前に調べてあったので、私はお弁当を作って持参していた。販売機で缶ビールを買い、さっそく弁当をひろげて、再びのリラックスタイムこの湯テルメ谷川には、食事を出す施設がなく自販機のみなので、持ち込みも許されているのだろうが、日常的に温泉を利用する私のようなものには、たいへんありがたい。地のものを食べる楽しみはもちろん大いにあるが、こういう施設でのメニューはけっこう割高なんだよね。たまにはいいけど、頻繁に温泉に通うものには、お財布と相談しながらの食事になるので、なんだかせこくなりそうで...(^^;)好きなものを作って持ち込み、ビールとともに湯上りの一時を過ごすのもまた至福の時 読書、昼寝とのんびりとした時をおくり、エネルギー充電120%さあて、明日からもがんばるぞ~
2006年09月14日
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18、19、20日とキャンプに行ってきた。女性だけで、テントやタープをたてて、のんびりとした時間を楽しむキャンプ。1日目の夜は野菜と豚肉のキムチ鍋。暑い中で、フーフーしながら食べるキムチ鍋のおいしかったこと! ビールを飲みながら、他愛ないおしゃべりが延々と続く女3人の夜。二日目には、一人が帰り、新たに別の一人が合流。女だけのキャンプは、飲んで食べてしゃべって寝て、そしてまたしゃべる! こんなことの繰り返しで、日々のストレスを解消しながら、英気を養う。女性って本当にたくましいなあ...(^^)この二日目に、ふと思いついて、パンを焼いてみようということになった。「パンを焼く」という作業は、普段やっている人にとっては何でもないことなのかもしれないけど、私たちにとっては日常生活の中にはいっていないことなので、何か特別楽しいことをするような気分で、「よーし、やってみよう!」ということになった。とりあえず、スーパーでドライイーストを買った。パンは、強力粉で焼くものらしいが、手元にある薄力粉でもいいんじゃない? なんていい加減な3人の同意のもとでパン作り。なんといってもキャンプなので、軽量カップ&スプーンなんてものはない。すべて適当に、こんなもんかなあ...ってな具合で、材料を混ぜ合わせた。しかも昼間からビールを飲みながらの作業。打ち粉をしながら、まな板に生地を打ちつけ、発酵させるのも車の中。成型するのも大笑いしながら、めちゃくちゃな形に仕上げていく。焼くにしても、オーブンなんてないから、フライパンにアルミホイルをかぶせて、超弱火で様子を見ながら焼いていく。おそるおそるフタをあけてみる...。これがまた、ビックリするくらい美味しいパンが出来あがった。こんがりとした香ばしいパンとはならなかったが、最近、店頭で見かける「白いパン」のような出来ばえ。食べてみたら、これが絶品! ほんのりとしたバターの香りと、もちもちとした食感。3人で奪い合うように食べた(^^;)お菓子やパンは、よく化学の実験と同じだと言われる。材料をそろえ、きちんと分量を量って、しっかりと時間を守れば、おいしいものが出来あがることになっている。そのかわり、少しでも量りまちがったり、時間を守らなかったりすると、出来あがりは悲惨なことになる。ずっとそう信じてきた私たち3人は、実際、ちゃんとしたパンができるなんて思ってもいなかった。キャンプの想い出に、そしてビールを飲みながらのお遊びに、どんなものが出来ようが、きっと大笑いしながら楽しいことになる! と思っていたんだ。ところが、嬉しい誤算! あんなにいい加減にやったのに、しかもオーブンではなくフライパンで焼いたのに、予想に反してとても美味しいパンが焼きあがった。なんだか私は、気づいてしまった。こうしなければいけない、こうでなくてはダメだ...と思っていることは、実は、とても人生を損しているんではなかろうか? 今回はパン作りでのことだったけれど、そんなことだけではなくて、すべてにおいてそうなんじゃないだろうか?材料がなくちゃできない、計量する道具がなくちゃ量れない、時間がわからない、オーブンがない...そんなこと言ってたらキャンプでパンなんて焼けないよね。でも、結果おいしいパンができたじゃない♪ひまがない、お金がない、道具がない、知識がない、仲間がいない...色んな言い訳をしながら、新しいことに挑戦するのをやめてきた自分がいなかったろうか? 最初からあきらめてきた自分がいたんじゃないだろうか?要は、やるかやらないか! とりあえずやってみる。できてもできなくても、やってみることが素晴らしいことなんじゃないだろうか? できなければ、それはそれ! また考えればいいし、もしできちゃったらこんな嬉しいことはない。自信もつくしプラスの経験の一つになる。本当にお遊びのパン作りでありながら、私はとても大切なことを学んだように思う。なんでもやってみよう! 躊躇せずに、言い訳せずに、やってみよう!成功しても、失敗しても、必ず得るものがあるはず。レッツトライ! チャレンジするって、ス・テ・キ♪
2006年08月23日
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大洗の海 サーファーが黒い点のように見える 職場の友人Mちゃんと二人、仕事を上がった後20時に沼田を出発。夜おそくに私の地元・古河に着き、そのまま就寝。翌朝、海へ向かってドライブ。雨女のMちゃんが同行しているわりには、ましなお天気。曇り空ながらも、雨の落ちてくる様子はない。いくらでも眠れるというMちゃんのために、ステップワゴンの後部シートをすべて倒してフラットにした。喜ぶ彼女を乗せ、いざ海へ♪常磐道から北関東自動車道に入り、快適に車を走らせる。高速を降り、阿字ヶ浦、平磯海岸、と海を見ながら海岸沿いを走り、まずのお目当ては、美味しいお魚!というわけで、色気よりも食い気。那珂湊の漁港、魚市場へ。友人から聞いていためちゃ旨いという回転寿司屋をめざしたが、なんと、この店が臨時休業(><) 日頃の行いが悪いのはMちゃんなのか、私なのか? ガックリしつつ、しかたなしに他の店を探す。どこの魚屋でも二階や奥が食事処になっている。まあ、市場内だし、どこでもきっと美味しいに違いないと、目についた店に入ってみる。最後までお寿司に後ろ髪をひかれながらも、「今日のおすすめ」と書かれた大きな張り紙に惹かれ、さっそくこちらを注文。Mちゃんの二色丼と私の鰈の塩焼き定食 二人で分け合い、それぞれの味を堪能。二色丼の鮪も美味しかったけれど、なんといってもこの鰈の塩焼きの美味だったこと♪ 身がふんわりと肉厚で、シンプルに塩焼きということもあり、素材の良さに脱帽! そりゃあ、刺し身にするような新鮮なものを焼いてるんだもの、美味しいに決まってるよね。ある意味ぜいたくだあ。骨の際までむしゃぶり尽くし、満足満足。お腹を充たして、市場の中を見てまわる。今夜は、友人の店で地元の友達と飲む予定なので、酒の肴に何かみつろって帰りたい。実家でたのまれたシラス干しも買わなくちゃ。道端には無造作にイカや魚が干してある。猫が歩いているけど、見向きもしない。食傷気味? 店先では鮪の解体。こうして切り身になっていくんだね顔が間抜けな感じで面白かったので思わずパチリ! 方々(ほうぼう)と立派なカツオ 結局、30cmほどの大きな鯛とイカを購入し、市場を後にした。夜が楽しみ♪左手に海を見ながら、お次はMちゃんのお姉さんが住む「つくば」へと向かう。関東平野ただ一つの山、筑波山だが、この日はあいにくの曇り空。いつもなら男体山女体山の美しい姿が遠くから望めるのだけれど、近くまで行っても、中腹から上は雲の中。ちょっと残念に思いながら、学園都市に住むお姉さんの自宅に到着。初めましての挨拶もそこそこに、お茶をご馳走になった。お茶菓子は、なんと『手作りういろう』! かわいらしい姿にまず感激♪ 餡子も甘すぎず大人の味。いくつでも食べられそうなほど美味しかった。手作りでこんな和菓子を作ってしまうお姉さん、ロングのサラサラヘアーに華奢な体つきの日本美人といった風情。10年ほど京都で暮していたということで、しゃべる言葉はほとんど京都弁。う~ん、Mちゃんが自慢の姉、というわけがわかった。家の中も、シンプル&ナチュラルで、きれいにしているし、とてもステキな女性だ。私も少しは見習わなくちゃ(^^;)二時間ほど、女3人であれこれおしゃべりをして楽しい時間を過ごした。本当にご馳走様でした。「この前の練り切りのほうが美味しかったなあ」というMちゃんのセリフに反応し、今度はぜひぜひ『練り切り』をと、心の中で所望したのでした。さて、お楽しみの夜。店は『Mu豚Ton'酢』。「ムートントンズ」と読む。オリジナル料理が絶品の、友人がオーナーシェフをつとめる居酒屋さん。地元の友達数人と卓を囲んで、まずは生ビールで乾杯! 次々と出て来る自慢のおつまみと全国各地の美味しいお酒で、結局閉店まで飲み続けたのだった。お土産に持参した鯛は、丸ごと塩焼きになってテーブルの真ん中に。これまたサイコーの味で、大きな鯛があっという間になくなった。アジアン系の料理が好きで、自分でも手作りするMちゃんも、シェフから様々な調味料&スパイスをお裾分けしてもらいご満悦。こうした特殊な調味料は、買おうと思ってもなかなか手に入らなかったり、けっこうな値段がするものが多いので、そうとう嬉しかったのではないかな。彼女の笑顔に私も嬉しかった。
2006年07月13日
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梅雨の晴れ間、昔は五月晴れといったそうだ。ここのところ、ぐずついていたお天気が、私の休みに合わせたようにきれいに晴れあがった。しばらく顔をかくしていた武尊山も、すっかり雪のとけた姿を現わしている。温泉の宝庫群馬県でも指折りの温泉地「老神温泉」にある唯一の日帰り温泉『湯元華亭』に出掛けた。入館料千円というちょっと高目の料金だが、今年合併し、沼田市となった老神。沼田市民は半額という嬉しいサービスを行っている。ということで私は半額の500円也(^^)老神温泉への矢印を頼りに、120号線を右折。片品川へと向かって急坂を下りていくと、奥へ奥へと『湯元華亭』の看板が。豊かな水をたたえた片品川にかかる吊り橋を渡るとすぐに目的の場所だ。橋の上から片品川をのぞむ湯元華亭入口 足湯 八角形の木造りの高い天井をもつ内風呂も、全面が開くガラス扉に囲まれ、開放感がいっぱいだ。しばし内風呂を楽しんだ後、外湯へ。二つの湯船が階段わきに並ぶ。内風呂からすぐのところに、ジャグジーの泡が気持ちのいい音をたてる露天風呂。さらに階段を数段降りたところに、色とりどりのバラの花が浮かんだもう一つの露天風呂がある。百ではきかないほどのバラの花が、可憐に湯に浮かんでいる。そっと体を沈めると、目の前に華やかなバラの花が、いい香りを漂わせながら、体にまとわりつくようにゆっくりと動いている。バラ湯なんて夢のまた夢。しかも土曜日のわりにすいていて、湯船につかっているのは私だけ。バラの花はもちろんだが、露天風呂にありがちな目隠しの柵などなく、緑したたる山の斜面をながめながら、片品川のせせらぎも心地よく、貸切り状態で豊かな気分を楽しんだ。そして風呂上りのもう一つの楽しみ。ビール&おいしい肴での一時だ。ここでは月替りにオリジナル豆腐を提供している。今月は『しそ豆腐』。さっそく注文してまずはビールを一杯。この豆腐がなんともいえず美味♪ 最初はなにもつけずに一口。大豆の豆の味がしっかりしてまろやかな甘味が口の中に広がる。そしてすぐに紫蘇の風味が...。めちゃくちゃ美味しい! ほとんどタレをつけずに二人前をたいらげてしまった。もう一つは『わらびの山葵和え』。こちらもくせのないわらびに、すっきりとした辛味がさわやかな山葵和え。もう~ビールの旨いこと♪ここ『湯元華亭』は、温泉といい、お料理といい、私のダントツおすすめの場所。サイコー♪バラ湯は6月から11月上旬まで、毎日用意されているそうだ。土日は男性のお風呂でも楽しめるそうだが、バラの花が浮かんだお湯に男性が入ってる画は、ちょっといただけないかもね(^^;)「谷の湯」と「滝の湯」という二つのお風呂ゾーンがあり、日替りで男湯と女湯が入れ替わるそうだ。今回私が入ったのは「谷の湯」。ぜひ「滝の湯」のほうにも訪れたいものだ。バラ湯が終わると、秋からはリンゴを浮かべるという話を常連さんからうかがった。また新しい楽しみができた。オリジナル豆腐も月替りで来月は「わさび豆腐」。こちらもぜひぜひ賞味したい。華亭内には、様々な木々が初夏の緑を楽しませてくれる。モミジも多く、秋にはきっと素晴らしい紅葉を見せてくれることだろう。
2006年06月18日
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アカシアの花が満開だ。車で走っていると、そこここにアカシアの白い花が咲いていて、ほんのり甘い香りが漂う。ずいぶんアカシアの木があるんだなあ...なんて思っていたこの頃。昨日、友人から電話があり、「アカシアの花を天ぷらにしたんだけど、食べる?」って。え~! アカシアって食べられるんだ! ビックリ!でも考えてみたら、ハチミツはアカシアからとるのが多いみたいだし、食べられないことはないのかなあ。ふたつ返事で「いただきま~す」♪で、さっそくお宅にオジャマしていただいてきた。卵の白身を混ぜたという、ふんわりと揚げた天ぷら。甘味があり、ほんの少し苦味があって、とてもおいしい♪お皿にたくさんのせていただいて、こんなに食べられるのかしらと思ったのに、ビール飲みながらペロッと食べてしまった。お花を食べるなんて経験、あまりないから違和感があったけど、先入観だけで敬遠してると損をするな(^^;)「白身魚の酒蒸し茸あんかけ」と母が漬けてくれた白菜のおしんこ、そしてこの友人からのいただきもの「アカシアの天ぷら」で、おいしい晩酌をさせてもらった。これでジャイアンツが勝ってれば、なおおいしかったのにな...アカシアは、天ぷらのほかにサッと茹でてお浸しにすることもあるそう。揚げるよりも香りが残り、とてもおいしく食べられるようだ。今度はこちらで食してみようかな。参考に↓アカシア
2006年06月08日
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曇り空、霧のかかった草木湖時折り雨、時折り晴れ、全体的に曇り空の今日、久しぶりに『富弘美術館』を訪れた。以前にも日記で紹介した“星野富弘”氏の詩画が展示されている美術館だ。一昨年からリニューアル工事のためにしばらく閉館していたが、昨年オープンの知らせを聞いて行きたい行きたいと思っていた。白い建物は、バックの草木湖に映え、山の景色に溶け込んで静かな佇まいを見せている。銀色に光る“そら豆”のモニュメントは以前のままにそこにあり、やさしく私を迎えてくれた。 入口を入ってすぐのロビーには、大きな豆をころがしたようなグリーンのソファが並べられていて、照明を落とした展示室も清潔で落ちついた雰囲気。何度も見ているはずの詩画なのに、いつでも新鮮に心に響いてくる。 美術館からの草木湖怪我をして首から下が動かないという星野氏は、口に筆をくわえて詩画を描いているが、著書の中で、こうしたハンデを負ったことを有難く思い、神様からの贈り物だと思うと言っている。自分の体や心がどんな状態であっても、それをそのまんまに受けとめ、与えられた環境の中で生きること。そうして自分らしく生きることを教えてくれる。たくさんの人たちがここを訪れ、詩画をながめ、本を手にするのは、星野氏が身障者であるかないかに関わらず、彼の生き方そのものが、私たちに与えてくれるものが多いからだろう。心仁栄養を補給し、さて、お次は体にいい温泉へと向かう。富弘美術館から122号線を大間々方面へ車で15分ほどの水沼温泉。ここは渡良瀬渓谷鉄道の水沼駅。駅の構内に温泉施設があるのだ。跨線橋を渡って駅のホームから構内へ。温泉センターの文字が見える そしてホームと並行している廊下をいくと、目指す温泉だ。かっぱの像が迎えてくれる。この地方に伝わる“かっぱ伝説”から、温泉のマスコットキャラクターをかっぱにしたそうだ。「せせらぎの湯」と「かっぱ風呂」という二つのお風呂があり、露天風呂からは新緑の山々が見え、とても気持ちがよく駅の構内とは思えない。かっぱの像露天風呂からの景色畳の大広間のほかに森の中の喫茶店みたいなこんな休憩所もある この渡良瀬渓谷鉄道は、春から秋にかけて、トロッコ列車を運行している。窓のないオープンな車体をディーゼル車が牽引して、利根川沿いの単線を桐生から足尾までをのんびり走る。ちょうど駅のホームにはいってきたトロッコ列車、日曜日ということもあり、お客さんをたくさん乗せている。テーブルの上にビールやお弁当をひろげ、幸せそうな笑顔がいっぱいだ。カメラを向ける私に手を振ってくれる人もいて、こちらまで笑顔になる。利根川渓谷沿いを走るトロッコ列車。水沼駅に停車。ふだんはニ両編成だが、トロッコ列車二両を加えるためか、ディーゼル車で牽引。自宅から往復2時間ほどのドライブ。体も心も元気になり、途中の農産物直売所でもとめた「ざる豆腐」と「みょうがたけ」を肴に、ナイターを見ながら晩酌を楽しんだのでした。
2006年05月29日
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先日、職場の新人歓迎会があった。新卒の若者にまじり、46才の私も一応新人ということで出席させていただいた。結婚式場での豪華なパーティーで、カクテルバーまであるすばらしい会場は、大宴会場と化し、盛大に盛りあがった。新しく入職した「新人」たちには、課題が課せられていて、職場ごとのグループで余興をしなければならない。ひと月ほど前にお達しがあり、それぞれに考えぬいてエントリーをする。私の職場でも、24才の女の子、33才の男性と私という3人の新人がいて、出し物を相談した。3人つながりで、「キャンディーズなんてどう?」という私のほとんど思いつきの意見が採用された。言い出しっぺの私さえ「マジで?!」という感じでトントン拍子に話は進み、演目も『年下の男の子』に決まった。リアルタイムでキャンディーズを知っているのは私だけ、というなんとも不安な状態で、ビデオを見たり、ネットで振付を探したり、けっこう大変だった。なんせ24才なんて開口一番「キャンディーズって何?」だもの(^^;)そりゃあそうだ、知らないよねえ...男の子のほうはかすかに覚えがあるらしく、「どうにかなるでしょ。俺はそれでいいよ」まずは歌を覚え、振付を覚え、さて衣裳はどうする? という段階になって悩んだ。キャンディーズといえば、当時のバリバリのアイドルグループ。かわいらしいミニスカートの衣裳が印象的で、「まさかあれを着るの?」と私の中ではかなりひいていたよ。気づけばメンバーの男性が、ちゃんとエントリーをすまし、タイトルを見てビックリ!『アキバ系キャンディーズ!萌え~』 なんだそりゃ!ということで、衣裳はメイド服! これってどうなの? あたしゃ46才...24才の女の子と並んでメイドだよ! フリフリのミニスカートとどっこいどっこいじゃないの!最初はまたもや「マジで?!」と、ひきまくりの私だったけど、どうせやらなきゃならないんだもの、と覚悟を決めた。そして当日...シラフじゃムリだ~! というわけで、ビールを飲みまくり、半分酔っ払い状態になりながら着換えをすませた。おそるおそる鏡をのぞいて...なかなかイケルんじゃないの、なんて自分を励ましていざ本番!もう、はじまってしまえばなんでも来い! とばかりにノリノリで踊って歌って、けっこう楽しんじゃった(^^;) 恥ずかしさもどこへやら、あがることもなく、面白かったなあ♪見たくない人もいらっしゃるでしょうから、遠目の小さい画像を載せておくよ。仕事も遊びも本気でやると面白い! 人生コミットメント!
2006年05月21日
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通勤途中にたくさんの林檎畑がある。リンゴが名産の沼田だから、あちこちにリンゴ団地と呼ばれるリンゴ畑が固まっている場所があり、ここもその一角。道路沿いにしばらくリンゴ畑が続く ちょうどリンゴの花が満開。見たことがないので興味をそそられ車を停めた。白っぽいうすいピンク色の花は、少し桜に似て、いい香りがするかわいらしい花だ。 農家の方が作業をしていたので、ちょっと話を聞いてみると、「摘花」といって間引きのような作業ということ。木に負担がかからないように、適度に花を残してあとは摘んでしまうらしい。広い敷地の中の数え切れないほどのリンゴの木。一本一本手作業で「摘花」をする。たいへんだなあ。今、花開いているのは“あかぎ”という種類のリンゴで、10月頃収穫になるという。桜が終わり、つつじがもう少しかなというこの時期、町のあちこちでリンゴの花が私たちの目を楽しませてくれる。
2006年05月15日
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ここ沼田は、桜の多い街だ。この季節になって初めて気づいた。メイン通りの街路樹も桜だし、学校はもちろん町の施設にも桜、個人の庭先にも桜、空地にも桜、山にも桜...こんなところに、と思うような場所にも華麗な花を咲かせている。 昨日は朝から怪しい雨雲に覆われ、降り出した雨は、昼前になって、暴風雨の様相を呈した激しい降りになった。時折、雹がまじり、一歩も外に出られないどしゃ降りだ。花見に行く予定をあきらめていたのだったけれど、午後になって天気が回復。一転、春のいい陽気になった。こうしちゃいられない!カメラと温泉セット(シャンプーやタオルなどを入れたカゴ)を持って、車に乗り込んだ。 まずは温泉。望郷ラインと呼ばれるきれいな道を月夜野方面へ向かう。数年前に、一度だけ連れていってもらった町営温泉。うろ覚えの道を不安になりながらもひたすら走る。トンネルを二つ抜け、雨上がりの気持ちのいい空気の中をドライブ。オッ! 見つけちゃったよ! 「動物注意」の標識! 今度はうさぎちゃん。思わず車を止めてパチリ。こんな標識の収集を始めたくなるなあ(^^) 右側はちょっと寄り道をした「21世紀の森」にあったもの。まだ雪が残ってて寒かった。冬眠から目覚めた熊が出没するのかも...早々に引き上げ、温泉へ向かった。「三峰の湯」と書かれた看板を右折するとすぐに現われた施設は、工事現場のプレハブ小屋かと思うような建物。今時のきれいで食事などもできるような温泉施設ではなく、純粋にお湯を楽しむという感じ。昔から地元の人たちを癒してくれているのだろう。 露天風呂にはいっさい柵のようなものはなく、景色は山また山。早春の風景の中、まだまだ下手くそなウグイスの鳴き声を聞きながら、ゆっくりと温泉を楽しんだ。平日だというのに、お年寄や山のサークルで訪れた人たちでけっこう混雑していた。今回はさすがにお風呂の写真は撮れなかった(^^;) さあ、気持ち良く過ごしたところで、今度は目の保養。桜を見に、自宅近くの沼田公園へ。(私の拙い写真より、リンクできれいな写真を見てね)遠目にも、花が満開なのがわかる。ワクワクしながら到着すると、駐車場から桜、桜、桜... 雨に洗われ、そこらじゅうの空気がきれいになったようで、満開の花も新芽を出し始めた木々も生き生きとしている。湿った地面からは、ほのかに土の匂いがのぼってきて、体全体で春を感じられる。一眼レフの立派なカメラを三脚にセットして撮影している人もずいぶんといるし、小さな子ども連れでコンパクトなデジカメをかまえる家族、学校帰りに寄り道している女子高生などなど、公園の風景を絵に描いたようだ。露店もたくさん出ていて、ウキウキと楽しげな雰囲気にあふれている。 この公園は、沼田城跡で、江戸時代からここに花を咲かせている『御殿桜』というのがある。樹齢は400年を越え、崖際にそびえる姿は、じっと時代を見つめて続けてきた孤高の老婦人のようだ。 御殿桜のすぐ下に位置する石垣と石段は、真田氏が城主となっていた頃のものが、そのまま保存されている。その一角だけ、沼田城が華やかに栄えていた時代を残している。
2006年04月21日
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先日の日記の中、「たぬき飛び出し注意」標識の写真が、今いちよくわからなかったのだけれど、お友達のマミナちゃんが、画像をいじってくれて、鮮明になったので、再度載せたいと思います(^^)これなら、たぬきの姿がよくわかるよね。なんとなくユーモラスでしょ?
2006年04月08日
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なごり雪 3月31日家の外に出てみたら雪春の雪の中の三角山10cmほどは積ったろうか。春の雪だ。朝、みょうな静けさの中、目覚めると、カーテンを開けた寝ぼけ眼に飛び込んできたのは、まぎれもない雪景色。えーっと、今日は何日だっけ? としばし回転しない頭で考えた。3月31日! こんな春の日に雪が降るのね! しかもけっこうな量!この日は仕事がお休みで、お友達と二人、温泉に行く予定だった。う~ん、山の方へ行って大丈夫かなあ...と思案しつつも、やっぱり出掛けた。『初穂の湯』ここはゴルフ場で、その施設の中にある温泉だ。近くの『望郷の湯』という立ち寄り温泉の源泉ということ。雪の舞う山道を走る。しかし...! 道に迷った! どこで入口の看板を見落としたのか、開通したばかりのような新しい道路は、どんどんと山を登っていく。一台の車にも出会わない。少しずつ不安になりながらも、行ってしまえ!しばらく走っていると、助手席の友人が「たぬき~~~! たぬきだ~~~! 止まって! 止まって!」と大騒ぎ。何事かと車を止め、Uターン。たぬきがいたのではなく、たぬきの飛び出し注意をうながす道路標識だった。私も鹿の標識は見たことがあったけれど、たぬきは初めて♪ なんとなくヒョウキンな姿が面白く、二人で笑った。写真はちょっとわかりずらいね。右の写真は、やっとたどり着いた『初穂の湯』の玄関。 こんな雪の日とあって、ましてや平日、ゴルフ場も閉鎖されていて、お客さんはほとんどいない。駐車場もガラガラだ。冷えた体を温めるべく、いざ温泉へ。さすがにゴルフ場の施設。脱衣場もとてもきれいで、風呂から見える庭もきちんと手入れされている。しばらくお風呂を楽しんでいると、ちょうど誰もいなくなったので、カメラを持ちこんでパチリ。人目を気にしながら撮ったので、こんな画像でごめんなさい(^^;)内湯から庭を見る 露天風呂雪の振る中の露天風呂というのもなかなかよいもので、それこそ、お盆にお銚子をのせて一杯やりながら露天風呂、なんて気持ちになってくる。風情満喫、温泉満喫、またまた癒されてきた。でも、私はどちらかというと、きれいに手入れされたところよりも、野趣味あふれるといった感の露天風呂のほうが好きだな。群馬県は温泉天国。近くには立ち寄り湯がたくさんあるし、少し足を伸ばせば、伊香保や水上、老神(おいがみ)、草津などなど、全国区の有名温泉地が軒並みだ。どこも日帰りで行ける距離だし、追々、あちこちに出かけてみようと思っている。最後に春らしい写真をどうぞ♪ こちらは前橋の敷島公園。距離にすると、沼田から30kmくらいしか離れていないのに、春がいっぱい。きっとだいぶ標高が違うのだろう。この日は、風が強かったものの陽射しが暖かく、春休みということもあって、たくさんの人が訪れていた。満開になるまであと2、3日かな。写真は4月3日に撮影したもの。ボートで池の上から桜を楽しむ人々もしだれ桜は満開ソメイヨシノは5分咲きといったところ
2006年04月06日
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茨城から友人夫婦が遊びにやってきた。昨夜遅くに到着したあと、手作りの料理で飲んだ。話がはずんで眠ったのは午前3時翌朝はしっかりと朝寝坊。温泉好きのこの二人。「温泉へ行きた~い」とのご所望なので、近くの私のお気に入りの温泉へ案内した。『小住温泉』道路から温泉入口へと渡る橋少し山を登っていくと、右手に小住温泉が。道路沿いに流れている川を渡り駐車場へと車を入れる。雪解けの勢いなのか、川音がいつもよりも激しく感じる。山や川の生命力の音だ。きれいな水が春をのせて流れている。日曜日のわりには意外と車が少なく、スキー帰りのお客さんが来る時間帯にはまだ早いらしい。この温泉は時間制限がなく、一日のんびりとして500円と魅力的なお値段(^^)さっそくお風呂へ。内湯は御影石をつかった大きな石風呂。ほのかに硫黄の匂いがして、温泉気分いっぱい。露天風呂は二つあり、内湯からすぐの露天風呂はかなりぬるめ。そこから石畳をちょっと歩くと、大きな露天風呂がある。目の前が薄根川の清流で、せせらぎの音を聞きながらのんびりとお湯につかると、日常の雑事をすっかり忘れ、細胞の一つ一つまでもが一回りふやけて大きくなった気分になってくる。手足を伸ばし、お湯を満喫。ここの露天風呂は、ヨシズで半分囲われているのだけれど、川が見渡せる素晴らしいロケーションだ。もうすぐ春の息吹をいっぱいにして、山々が輝き出す季節。そんな気配をたっぷりと感じながらの入浴。冬には雪景色の中で、秋には紅葉の中で、夏には涼しい風を受けながら、季節を肌で堪能できる。ただ一つ、問題が...川は道路沿いを走っている。その川が見渡せるロケーションということは、あちらからもこちらが丸見えということ(^^;)道路を走ってくる車からは、露天風呂がよく見える。私は何度も訪れているし、花の40代、別に減るもんじゃなし、「まっ、いっか!」てな感じでいつも入っているのだけれど、友人は32才。ちょっと躊躇するかなあ? と心配になったのだけれど、「どうせ知らない人だし二度と会わない人だもん!」と頼もしいお言葉(^^) ゆっくりと温泉を楽しんだ。入浴後は、これまたお楽しみのビール&お食事。生ビールで乾杯し、ふきのとうや舞茸の天ぷら、地元川場のざる豆腐、手作りのソーセージ、焼きリンゴなどなどを肴に満腹、満腹、満足!!! ただ車での移動のため、ビールはノンアルコール。最後においし~いすいとんで〆。のんびりゆったりの一日。なにもかもに感謝、感謝(^^)きのこと野菜たっぷりのすいとん&ノンアルコールビール
2006年03月26日
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春霞の中のほたか 春うららかな一日、ほたかも春らしい表情を見せてくれる。お彼岸ということで、実家にもどり、家族とともにお墓参りに。お寺では、緋毛氈が敷かれ野点が行われ、お参りにやってきた人たちにお茶と草餅がふるまわれていた。 我が家のお墓の前に無縁仏の墓石がある。私たちはついでといってはなんだけれど、墓参の時には必ずこの無縁仏にも線香を手向ける。目の前にあるから知らん顔できないということもあるのだけれど、どんな人生を送ったどんな人々が葬られているのか、お参りをするたびに思いをめぐらせる。仏様となった今は幸も不幸もないだろうが、様々な人生が眠っていると思うと、自然と真摯な気持ちになり手を合わせる。いつもは誰も寄らずに忘れられている無縁仏だが、この日ばかりはお花があげられ、線香の煙がたなびいていた。
2006年03月22日
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ほたか沼田のシンボル「三角山」みなさん、すっかりご無沙汰いたしました(^^;)ここ群馬県沼田市に越して、一ヵ月あまりが過ぎようとしている。以前からなにかとご縁のある土地で、なんとなく惹かれ続けていた。いつかここに住みたい...絶対にここで暮したい...ずっとそう思ってきた。人間の思いってすごい! 思い続けていたら、叶っちゃった! 口に十って書いて「叶う」。そう...いつもいつも口に出して言ってたんだ。いつか必ず沼田に住むんだ! って(^^)谷川岳や武尊岳の雄姿をのぞみ、自然豊かなこの場所。空気の味までちがっているよう♪ 毎日美しい景色を眺めながら暮す。とてもステキな日々♪越してきた当初こそ雪、雪、また雪だったけれど、今ではほとんど解けて春の足音が聞えてくるみたい。梅の枝にはまだまだ小さいけれど、しっかりとした芽が気温の上がるのを待っているし、朝には小鳥たちの囀りが賑やかだ。晴れわたった青空をバックにした山々の景色はそれはそれは素晴らしいが、霞がかかったぼんやりとした風景も、春を予感させてなかなかいい。新しい生活の中、戸惑うこともあるけれど、すべてが新鮮で楽しく、我ながら順応性に驚く(^^;) これからもきっと、ステキなこと楽しいことがたくさんやってきてくれると信じている私。わくわく♪と心躍らせながら、再スタートをきったよ。みなさん、これからもこんなノーテンキなまるちゃんをよろしくお願いいたします。とりあえず、ご挨拶まで♪
2006年03月01日
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【日向ぼこ うとうと空を 散歩する】【青空に 息の白さを たしかめる】【寒月に 会えない人を 想う夜】【にわたずみ 空を跨ぎて 冬うらら】
2006年01月15日
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~~~~~ストーリー~~~~~内田真貴子(鈴木京香)は、亡き父・内田守の遺言を果たすために、鹿児島県・枕崎を訪れる。戦艦大和が沈んだ海に散骨をするために...大和乗員の生残りである老漁師・神尾(仲代達矢)は、上官であった内田の養女と知り、漁船「明日香丸」に彼女を乗せ、東シナ海の大和沈没海域へと向かう。神尾の回想という形でストーリーが展開されていく。当時15才だった特別年少兵・神尾は、昭和19年2月、大和へ乗り組む。厳しい訓練を受けながら、出撃命令が下りるのを待つ。そんな神尾らの前に現れた機銃射手である内田(中村獅童)と烹炊(ほうすい)所の班長・森脇(反町隆史)。深い友情で結ばれたこの魅力的な二人の男たちに神尾ら年少兵たちは尊敬の念を抱いていく。10月、レイテ沖海戦に出撃した大和を、米軍戦闘機の容赦ない攻撃が襲う。年少兵たちにとっては初めての実践だ。戸惑いと驚きと興奮と悲しみ。何人もの仲間を失い、激しく傷ついた大和だった。事実上連合艦隊が壊滅に追い込まれたこの戦闘で、内田は重傷を負い戦線離脱、呉の病院へと送られる。20年3月、沖縄戦前の最後の上陸を許され、男たちはそれぞれに愛する人のもとへと散っていく。離れ離れになっていた母親と対面する澄夫、まだあどけなさの残る幼馴染み妙子と別れを惜しむ神尾。死を覚悟した男たちの、あまりにも短く切ない一夜だ。また、内田も馴染みの芸者との最後の逢瀬を経て、軍法違反覚悟で病院を抜け出し大和の一員となった。4月1日、遂に沖縄への特攻の命が下りた。6日、大和は行く先をごまかすために針路を東シナ海にとっていたが、翌7日、米軍に察知され激しい攻撃にさらされる。3000人余りの乗組員たちの、必死の闘いが繰り広げられた。覚悟を胸にした各々の持ち場での壮絶な奮闘もむなしく、沈まない戦艦・大和も遂に海原にその姿を没していった。~~~~~~~~~~~~~~~~~~戦後60年ということで、様々なメディアで特集が組まれ、ドラマや映画もたくさん作られた。どれも強いメッセージがこめられたものであり、戦争を知らない私たちにも、充分過ぎるほどに悲惨さが伝わり、二度と繰り返してはいけないものだということを教えてくれる。戦艦大和に焦点をあて、乗組員それぞれのドラマをみせてくれたこの映画は、まさに反戦映画だと思う。戦争というものが、結果、何を生み出し何を残したのか、あらためて考える。今現在でも戦争責任をめぐって、憎しみ合い罵り合い、国同士の論争が止まない。加害者にも被害者にもなるのが戦争であるならば、人類の愚かさを顧みて、平和と鎮魂への祈りを常に心にもって、これからを歩いていくべきなのではないだろうか。戦死した父と兄、母を空襲で失い、広島原爆で幼馴染み・妙子を亡くした神尾は、愛する人たちを誰一人守れなかったことを胸に、戦後を一人で生きてきた。尊敬する上官である内田の娘に出会ったことで、大和が沈んでいる海上に立ち、あらためて戦友たちと対面した。バイクを買うためにアルバイトで「明日香丸」に乗っていた少年・敦の顔が、船長である神尾の話を聞いていくうちに変貌していく。今15才である彼にも、戦時下での船長の少年時代の想いが伝わったのだろうと感じた。余談だが、神尾が妙子と最後に別れるシーンで「私、広島の軍需工場へ行くの。私も頑張るよ」と妙子が言った。『父と暮せば』を思い出し、あの時に妙子もあそこにいたんだなあ...と思った。いくつかの作品を観ていると、こうしてストーリーが立体化してくるような気持ちになり、それぞれの作品に奥行が出て来る。止まらなくなる涙も、こんな見方が反映しているのかもしれない。それにしても、中村獅童&反町隆史のステキだったこと。こんな言い方をすると、軽く思われるかもしれないけど、男っちゅうもんはこうでなくちゃ! と思わせてくれる。渡哲也や仲代達矢、林隆三などベテラン陣もかなりの貫禄だったけれど、この二人の存在感はすごい。映画界も世代交替の時期なのかなあなんてことも感じた。あ、それと、長嶋一茂、武士道に精通している大尉でかっこいい役やってた。すっかり俳優さんだね。長渕剛の歌にのせたエンドロールで、席を立つ人が誰もいなかった。会場が明るくなるまでみんな動かないの。こんなこと初めてだったなあ...私はタオル地のハンカチがびしょ濡れになってしまった(^^;) 観にいく方は、くれぐれもハンカチをお忘れなく。男たちの大和/YAMATO 公式HP
2005年12月30日
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【12月9日の給食】コッペパン・牛乳やきそば・フランクフルトのケチャップ煮ほうれん草とポテトのソテーエクレア給食に地元の野菜を使用するようになって、四ヵ月。12月はほうれん草だ。おいしいほうれん草を作っていらっしゃるのは、古河市大山で農業を営まれている秋庭千登世(あきばちとせ)さん。北島酒店の南側で野菜を栽培されている。秋庭さんとほうれん草 10月10日ころに種を蒔いたほうれん草が、給食に出される12月には、大きく立派な姿に育って美味しく食べられるようになる。農家の方々の努力のおかげで、私たちはいつでも美味しいほうれん草を食べることができるが、栄養価が高まり、おいしさも増す旬の季節は冬。霜にあたって甘みが増すと言われている。ほうれん草の畑ほうれん草はとても栄養価が高く、緑黄色野菜の代表。なかなか摂りづらいカロチンやビタミンC、鉄分を多く含んでいるため、抗酸化作用があると言われ、発ガン性物質の毒性を軽減して、がん予防や動脈硬化を防ぐ作用もあるとされている。またカロチンとビタミンCの相乗的な効果で、肌荒れの防止、かぜ予防にも有効。切りとって捨ててしまうことの多い根元の赤い部分には、骨を丈夫にするマンガンが豊富に含まれている。とても甘くてほうれん草の美味しさがギュッと凝縮されているような味。私は大好き♪ 捨てずにちゃんと食べよう。ビタミンB1・B2、カルシウムなどの不足しがちな栄養素を含んでいて、消化もよい食材なので体質改善や病人にもいいし、柔らかいのでお年寄にも食べてもらえるね。なによりくせがないのでどんな料理にも使いやすいのが嬉しい。今回、給食にほうれん草を提供してくださる秋庭さんは、お米を作ったあとにビニルを引いて種を蒔き、二毛作をしている。「古河市は合併で広くなったけれど、このあたりは土地をうまく活用しないとね。少しずつ収穫の時期をずらして、価値のあるものを作り続けているんだよ」と秋庭さんはお話してくださった。ほうれん草作りには、野菜が雨などで汚れないように「マルチング」(土の上にビニルをしく)という手法が用いられている。幅120cmくらいの長いビニルに、一列6つの穴をあけ、それぞれの穴に3つの種を蒔いているそうだ。「いろいろ工夫して収穫を高めているんだよ」と秋庭さんは言う。選別し、量って、袋に詰めていく 秋庭さんはトマトも作っておられる。ハウスの中で栽培しているが、防虫には虫除け用の紙をぶらさげたり、地面には「ぬか」をまいて、農薬を使わないように野菜の病気を防ぐ工夫をされているとのこと。農業に携わる人も試行錯誤を繰り返し、安心して食べられる野菜作りに挑戦の日々を送っておられるのだなと思った。トマトのハウス・虫除けが下がっているのが見える「ほうれん草とポテトのソテー」は、素揚げしたジャガイモとボイルしたほうれん草、ベーコン、コーンをバターで炒めて作る。子供たちの好きな食材を使って、野菜を残さずに食べられるよう、栄養士さんも献立に工夫している。新鮮であまみのあるほうれん草、とてもおいしくいただいた。子供たちもよく食べていたよ。1月には、「ちぢみほうれん草」という野菜が登場する。普通のほうれん草とちがって横に開いた状態になっているので、たっぷりの太陽の日を浴びて、濃緑色で光沢の良い葉は、厚みがある。従来のほうれん草よりかなり甘味が強いそうだ。茨城県をはじめとする栃木や群馬など、北関東で栽培されているという話。どんな料理になって登場するか、来月も楽しみだね。
2005年12月09日
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【今日の給食】 パインパン・牛乳クリームシチュー・豚肉のソテーきのこソースさつま芋とリンゴの重ね煮しめじ、えのき茸、マッシュルームときのこがたっぷりのソースをかけたポークソテー。ワインのきいた大人の味。子供たちは美味しく食べられたかな♪「さつま芋とリンゴの重ね煮」は、まるでキントンのようなあったかデザート。バターと砂糖でじっくりと煮たこのお料理は、ホクホク感を残しながらも餡のようなさつま芋と、ほんのりと酸味のあるリンゴの美味しいハーモニー。とってもいいリンゴで、煮てしまうのがもったいないようだった。もっと酸味の強いリンゴを使用したら、また違った美味しさを味わえたかも♪今日は、日頃私たちが作っている給食を食べている子供たちから、嬉しいお便りが届いた。一つは、第四小学校から。きれいに色を塗った紙に、「毎日おいしい給食をありがとう」「きらいなものもあるけど、がんばって食べます」「混ぜご飯が好きです」「あげパンがもっと食べたい」「好きな献立のときはもっとたくさん食べたい」「野菜が大好き。もっと野菜料理をお願いします」などなど... もう一つは、先日バイキング給食を行った第二小学校の6年生からのもの。「とてもおいしかった」「毎日の給食とちがってご馳走がいっぱいでうれしかった」「いい想い出になった」「好きなものばかりで楽しい給食だった」... こんなうれしい言葉ばかりで、きちんと綴じて届けてくださった先生にも感謝。日々、感じていることや、給食へのリクエストなど、子供たちの気持が、心のこもった文章で綴られていて、一枚一枚目をとおしながら、お便りの向う側に子供たちの笑顔を見るような気がした。ふだん、食べてくれている子供たちの声を聞くことができない環境なので、こういったお便りは、本当にうれしい。なによりのプレゼントだ♪作る側と食べる側、顔の見えない一方通行ではないんだと、そう思えることで、毎日の仕事にも励みになり、やりがいにも繋がっていく。あらためて、子供たちのために作ってるんだあと、しみじみと感じる。みんな、ありがとう\(^0^)/もう一つ。私が去年まで働いていた第三小学校の6年生の先生から、やはりバイキング給食の様子を伝える「学級通信」をいただいた。こちらの学校は、私たち給食センターで作る給食ではなく、自校で給食を提供している。校内で給食を作っているので、子供たちはもちろん、先生方とも交流があり、直接感想を聞こともできる。お手紙とはちがうので、子供たちも辛口の評価も平気で言ってくることもあり、一言一言に喜んだり凹んだりの毎日だ。そういう日々を送りながら、去年も6年生を担任していた先生とメールを交すようになり、今年から学校を離れた私なのに、校内で行われたバイキング給食の様子を載せた「学級通信」を、手元に届けてくれたのだ。感謝感謝である。バイキング給食を食べている子供たちの顔は、センターで作られたものでも、自校で作られたものでも、同じように笑顔が輝き、心から楽しんでいる様子が伝わってきて、こちらまで心があたたかくなる。学校給食の目的である「マナーを身につける」「偏食をなくす」などの学習の部分は、この時ばかりはどっかに置いて、小学校時代のいい思い出として、ずっと心に持ち続けてほしい。何十年も経た未来に、同窓会で盛り上がる時、話題のひとつに加えてもらえたら、私たちも嬉しいのだ(^^)☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆「心もおなかも 大満足!」~バイキング給食~ 第三小学校6年2組 学級通信「青空」より 抜粋 家庭科室に入ると、とってもいいにおいがして、前のテーブルには“こんなに食べきれるの!?”というくらい、たくさんのメニューが並べられていました。ただ並べられているだけではなく、栄養素ごとにまとめて並べてあって、みんなが栄養バランスよく食べられるように工夫して下さいました。 会食が始まるとすぐに「おかわりします!」というコールが...。すると、いつもはおかわりしない人もみんなおかわりしていましたね。っていうか、みんなおかわりしてたよね!?最後に“残ってしまったおかずの量はどうかなぁ”と思って見てみると、ほとんど食べ尽くされていて、みんなの食欲に“あっとう”されてしまいました。まさに“食欲の秋”ですね! 栄養士の先生も、大変喜んで下さりました。やっぱり“空っぽの食缶”が何よりもうれしいようです。心もおなかも大満足のバイキング給食でしたね。これからの給食も、感謝の気持ちを忘れずにいただきたいですね。☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆自分で作った給食ではないのに、同じ給食に携わる者として、嬉しくなってしまい、思わず日記に載せてしまった。子供たちが食べているひとときは、作る側と食べる側が繋がる時間。そのひとときが、どちらにとっても幸せであることを、心から望んでいる。
2005年11月30日
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子供たちに、新鮮で美味しい野菜を食べてもらいたいという思いから、「食育推進委員会」「食に関する検討委員会」「学校給食をよくする会」などが検討してきた<地元の野菜を給食に!>が実現した。今年度九月から、生産者や農協の協力を得て、月に一度、古河市内で作られている野菜を、給食の献立に取り入れ、子供たちに提供している。古河市古河地区では、全小中学校10校中4校が自校給食、6校が共同調理場での給食だ。共同調理場の老朽化に伴い、平成19年度には、小学校3校が自校給食に切り替わることが決まっており、中学校3校の自校給食への取り組みも検討されているらしい。自校と共同調理場での給食作りという、過渡期にある古河市古河地区の学校給食の現状ではあるが、それぞれの立場で子供たちへの愛情は一貫している。子供の成長を考えると、小中学校時代の9年間は、しっかりとした体格や脳をつくっていったり、体力をつけていく大切な時期だ。食が子供たちに与える影響は限りなく大きく、学校給食もその一端を担っている責任を思うと、安心安全な食材を使用し、栄養バランスのよい献立作りに力が入るのは、給食に携わっているものたちの当然の姿勢だろう。政治的行政的なレベルでは様々な問題もあったのだろうが、現場の人たちや子供への食からの影響を考える人たちの熱意が、こうした<地元の野菜を給食に!>という取り組みを実現させてくれたのだと思う。毎月使われる野菜を「給食だより」に載せ、生産者や畑の写真、作っておられる方の苦労や取り組み方などを、子供にもわかるように、市の食育推進委員会で紹介している。畑の場所もわかるように、市の施設や大きな店舗の看板などが映り込むように写真を撮っている。子供たちが通学の時に、「ここのおじさんが今日の野菜を作ってるんだよ」なんていう話で盛りあがってくれたら、生産者、調理員、子供たちの距離が一気に縮まる。生産者の方々も、毎日畑の前を通る子供たちが口にしているということで、作業にもはりあいが出る様子。一つの野菜を給食で使用するということだけで、地域に密着した様々な波及効果も期待できそうである。【10月の野菜はキャベツ】生産者の粕谷政一さんとキャベツ畑右上に市営野球場の照明灯が見える。一面のキャベツ畑。一万五千株植えられている(畳一枚の広さに12個)植えてすぐの苗はぐったりとしてしまうが、その後水をやると、いきいきとして大きな葉をだし、成長する。「人間も野菜も、苦労すると立派になる」と、お話してくださった。 【11月の野菜はにんじん】生産者の内田光一さん後に大型店舗の看板が見える。にんじんの鮮やかな色がまぶしいほど。約17アールの広さ。まびきをするだけでも大変だ。青々とした美しい葉っぱが元気そうに風にゆれる。仕事はいつもおくさんと二人三脚。今年は雨が少ないため、野菜が特に美味しいそうだ。豊作のため、値段が安いのが悩みのタネだとか。それでも、みなさんが「おいしかったよ」と喜んでくれるのが一番と仰ってくださる。 <古河市の学校給食に地元野菜提供システム動き出す>坂東市農業改良普及センターの記事(9/8)今現在は月に一度だが、徐々にこうした野菜の使用を増やしていけたらと思う。茨城県は、全国でも指折りの農業県だ。ゴボウ・レンコンは全国一位、その他レタス・白菜・ピーマン・かぼちゃ・ねぎ・とうもろこし・にらなど、五本の指にはいる野菜は数え切れないほどだ。日本の台所では、茨城の野菜が大活躍している。全国で食べられている誇れる野菜たちを、給食で提供することに、なんの躊躇もないはずである。「地産地消」という言葉もなんだか手垢がついてきた感はあるが、住んでいる地域の食材を日々の食生活に取り入れることは、わざわざ提唱などしなくても、健康管理に役立つのは言うまでもない。毎月のこうした野菜の使用が増えるよう、今後の行政の取り組みに期待し、私たち調理員もよりいっそう心をこめて、子供たちの元気な笑顔が輝くよう、給食作りに精進していこうと思う。来月は、「ほうれん草」。お米を作ったあとにほうれん草を育てるという二毛作を行っている“秋庭さん”を紹介。12月9日の「ほうれん草とポテトのソテー」で子供たちのもとへ届く。
2005年11月23日
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菊が満開だ。もう盛りは過ぎたようだが、まだまだ元気に咲いている。以前に住んでいた人が、きっとお好きだったのだろう。秋になると一斉に菊が咲きだして、いつの間にか家の周りが菊だらけになる。一年目には、まったくなにもしなかったために、葉っぱの裏側にびっしりと油虫がついてしまって、花瓶に活けることもできなかった。翌年からは、母が早くから防虫対策をしてくれたおかげで、家の中のそちこちに活けられ、なんともいい香りが漂っている。 たくさんの種類があって、私には全然わからないけれど、色も豊富で、いかにも秋の花という風情がいい。「仏様の花」という地味なイメージをもっていたけれど、なかなかどうして、華やかである。 それぞれに美しさを競って、まるで大奥のようだ。将軍様も、さぞや悩まれることだろう。 【紫の君を包みし小春かな】時期がくれば、ここぞとばかりに大輪の、あるいは小さな花を咲かせ、命を紡いでいる植物たち。四季折々に私たちを楽しませてくれる花に感謝、感謝。
2005年11月13日
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明日の給食のミーティングを終え、洗浄場へ。20人の調理員たちが、それぞれの持ち場へと就き、子供たちが食べ終えた給食の後片付けに備える。やがて各学校から、コンテナを積んだトラックが到着し、次々とコンテナが下される。午後の戦の始まりだ。 コンテナの片側から食器の入ったカゴを下し、水槽に食器を浸す。大皿、おわん、小皿が水槽の中で山になっていく。何人もの手でザッとゆすがれた食器を、次々と洗浄機に通していく。きれいになった食器を、出口で待ちうけ、それぞれの学校のクラスごとに人数分を数えながらカゴに納めていく。コンテナのもう片側からは食管やバットを下し、残菜を開けたあとお湯で汚れを流れ落とし、それぞれの水槽で洗剤液で洗っていく。残菜は、学校ごとに重量を量り、栄養士さんに報告される。 その後、洗浄機を通し、コンベアで運ばれたものを保管庫へと収納する。お玉やトングも手洗いされたあと洗浄機にかけられ、食器類や食管類とともに、保管庫の中で高温殺菌乾燥されて、しばしの眠りにつく。空になったコンテナは、すべて丁寧に拭きあげ、翌日の給食が積み込まれるまでの間、指定の位置に並べられる。こうして洗浄作業を終えたあと、洗浄機、下水やゴミ置場などを清掃・消毒して午後の仕事が終了する。約4000人分×3の食器やトレイ、6小中学校100余クラス分の食管・バット・お玉、などなどが、一気にもどってきての作業のため、午前中とはまた別の戦場のような有様だ。全てが終了すると、一日無事に仕事を終えた安堵感が洗浄室に流れる。時に新聞紙面を賑わせる異物混入や食中毒問題と、直に接している私たち現場の人間にとっては、この時間が何よりホッとする一時だ。
2005年11月09日
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紅葉前線が南下している。私の住む町では、道路の並木「花水木」が赤く染まり、晩秋の感を色濃くしてきてはいるが、銀杏やかえでなどは、まだまだ。そんな時、群馬の友人から嬉しいお誘い。「いい温泉を見つけたから遊びにおいで~♪」「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くふった」川端康成の『雪国』でのあまりにも有名な冒頭の文だ。もっともこちらは鉄道でのお話だけれど、私たちは国道17号線を走り、三国トンネルを抜けると、そこは美しい紅葉の山国であった。目指すは「貝掛(かいかけ)温泉」。苗場スキー場を過ぎ、みつまたスキー場も通りすぎ、ほどなく左へと道をとる。狭い坂を下ると川のせせらぎが聞えてきて、車幅ぎりぎりの橋を渡ると、見事な紅葉の中に、重厚な庄屋造りの建物が見えてくる。ここが貝掛温泉唯一の宿だ。立ち寄り湯としても知られているらしく、日曜日ということもあって、だいぶ山の中に入り込んでいるにもかかわらず、駐車場はいっぱいだ。道路際の紅葉と、雪が覆う前の苗場スキー場 受付をすませ、さっそく浴場へと向う。内湯が二つと露天風呂。ひんやりとした外気が体を包み、急いでお湯に入る。無色透明でわりと温めのお湯だ。出たり浸かったりを繰り返して長湯をするにはもってこいのお風呂だ。すぐそばを流れるせせらぎを聞きながら、“錦秋”という言葉がぴったりの山々を眺めながら、時がとまったような感覚にひたる。ここには「日常」のかけらもなく、別世界に身を委ね、毛穴が全開するような気分(^^)岩魚の塩焼きや炊き合わせなどの食事も楽しみ、気のおけない友人とともに、贅沢な時間を過ごした。 帰る頃には、小雨模様になった。抜けるような青空と紅葉のコントラストも素晴らしいが、小雨に煙る山の景色もしっとりと落ち着いた風情がありいいものだ。音楽や文学など、人の心を癒してくれるものはたくさんあるが、こうした大自然の営みの中にいると、体が透明になり、心がさらけ出され、きれいに浄化されていくような気がする。天地に守られ、周囲の空気と一体となったような心地よさ。やはり人間も自然の一部として、この世界に存在しているのだなあ、としみじみと感じる。日頃、背負っているもの、まとっているものを、一時とはいえ、すべて我が身からはがして過ごす時をもてる、こんな幸福感を味わえる喜び。なにもかもに感謝をした。玄関前に、あじさいが在った。咲いているという表現がそぐわない雰囲気で、なんとも渋い佇まいで、ただそこ在る。鮮やかな紅葉の中で、ただただ自分で在ることを主張しているような、静かな存在感を漂わせていた。
2005年10月31日
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先日の会津若松に引き続き、今回は大内宿を訪れた。前回、山本耕史さんに夢中になってしまったあまり、予定に入れていたにもかかわらず、時間がなくなって行くことができなかったという経緯がある(^^;)キャンプの予定だったこの日、天気もよくないということで、急遽、行きはぐった大内宿へ出向いた。昔、会津藩が会津と日光、江戸を結ぶ道として、会津西街道を整備した時、設けられた宿場の一つ。国道が少しはずれたところを通っていたことが幸いして、今も萱葺き屋根の家々が軒を連ね、当時の宿場の面影をたっぷりと残している。どこの家でも、旅篭だったり食べ物屋だったりしたのだろう。すべての家に屋号が掲げられていて、風雨に耐えた重厚な看板が、その昔を偲ばせてくれる。人気の蕎麦処≪三澤屋≫宿の通りに入ってすぐ右側にある≪三澤屋≫。事前にネットで調べた時にも、どこのサイトにも一番最初に掲載されている蕎麦屋さん。ぜひとも、名物“ねぎ一本蕎麦”を賞味すべく勇んで店に入る。中は満席ながらも、思ったよりもすいている様子にほっとしながら、店の人に人数を告げると、番号の書かれた木の札を渡され、一時間ほど待つという。みなさん、並んで待つのではなく、順番が来るまで宿の中を歩いているらしい。お腹はすていたけれど、しかたなく、私たちもブラブラと歩いてみることに。 開け放された縁側に、地元の名産品や、民芸品、地ビール、地酒がところ狭しと並べられ、その家の特長を出した店が並ぶ。手作りの袋物や人形だったり、自家製の漬物だったり、手焼きのせんべいだったり...名物のだんご「しんごろう」や岩魚を焼く香ばしい匂いが、空腹の私の鼻先を漂っていく。道の両側を流れる、湧き水を引き込んだ水路には、籠に入れられたビールやラムネが冷やされている。地ビールに描かれた地元の名士「野口英世」が、澄んだ水の中で、気持良さそうに私を手招きする。おりしも薄日が射してきて、もう、我慢できな~い(笑)目の前の店に入り、“大内宿”と書かれたビンビールをいただいた。ライトな味わいのくせのないビールで咽喉を潤おし、う~ん、し・あ・わ・せ♪店のおじさんが、大根の漬物まで出してくれ、感謝感謝。記念に“赤べこ”が描かれたビールの王冠をもらう。そぞろ歩くうちに一時間が過ぎ、期待をいっぱいにして≪三澤屋≫へと戻る。さらに20分ほど待ったのち、やっと順番が。店の入口には「本日より新そば」の張り紙があり、この幸運にさらに期待が膨らむ。席に案内されメニューを見ていると、店の人が「初めてでしたら、名物の高遠そばがよろしいと思いますよ」と教えてくれた。高遠そば? 高遠ってたしか信州だったよな、と思いながらも「では、それをお願いします」と注文。聞いてみると、初代会津藩主・松平正之は元信州高遠のお殿様だったということ。藩主によって会津にもちこまれた蕎麦は、その後ずっと、高遠そばと呼ばれているらしい。たっぷりの冷たい出し汁の中に蕎麦、上には大根おろしと鰹節。そして...箸の代りに立派な一本のねぎ! これで本当に食べられるのだろうかと思いつつ、箸ならぬねぎを動かす。ほぉ~、なかなかどうして上手に食べられるもんだ。このねぎを薬味がわりにかじりながら、蕎麦をいただく。新蕎麦の香りを堪能しつつ、汁との相性もバツグンで、美味しかったあ♪ ねぎで食べるという珍しさだけではなく、しっかりと蕎麦を満喫したのだった。ねぎ一本で食べる高遠蕎麦大満足で店を後にした私たち、さっきは食事前ということで、我慢していた岩魚の塩焼きを頬張るべく、またも街道沿いへ。これがまた美味しかった♪ そしてデザートと洒落こみ、よもぎだんごまで食べてやっと満腹になったのだ(^^)≪三澤屋≫では、隣りにパン屋も出していて、そこでは天然酵母を使ったパンを焼いている。大きなドーム型の五穀パンや山ぶどうパン、くるみパンなど自然の恵みを取りいれた美味しいパンが販売されているが、私が度肝を抜かれたのは、岩魚を丸ごと一匹フライにしたものをはさんだ“岩魚フライサンド”! そば粉を練りこんだパンに揚げたての岩魚のフライとレタスをたっぷりのタルタルソースをかけてサンド。作るそばから売りきれてしまうようで、店先に並んでいるのは珍しいらしい。友人がお土産に買ったが、頭からシッポまで全てサクサクと食べられる絶品ということだ。3時半頃に大内宿を後にした。宿に向う時、国道まで数キロの距離だが、かなりの渋滞で駐車スペースを探すのに苦労したが、この時間になってもまだまだ車の列が続いていた。あの人たちは陽のあるうちに大内宿に入ることができたのだろうか。ちょっと心配になる。ここから10キロほどのところに「塔のへつり」と呼ばれる絶景があると聞き、ちょっと寄り道。「へつり」とは、方言で「絶壁、危険な崖」ということ。百万年もの年月を侵食と風化を重ねた不思議な形の岩が建ち並ぶ、まさに絶景。岩の下を歩くこともできるが、「お年寄、飲酒をしている方は遠慮してください」の看板が。見るからにちょっと怖いような道筋だ。手作りこけしの店や、みそ汁を無料で飲ませてくれるお土産屋さんなどもあり、のどかな気分も味わえる。大内宿のある西街道は、江戸時代までは大変な賑わいだったそうだ。しかし、幕末の戊辰戦争によって会津は壊滅し、だんだんと寂れていったらしい。ただこの大内宿では、ほとんどの家が農業を兼ねていたため、宿場としての姿を失った後も、町全体が廃れてしまうことを免れたということだ。保存していくためには、様々なご苦労があると想像されるけれど、ぜひとも未来永劫このままの姿で残してほしい思う。心がほんわかとして、優しい気持になって帰ってこられる町だ。
2005年10月23日
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去年6月6日に楽天日記を開設して、今日でちょうど500日。いつものようにログインして、初めて気づいた。区切りと言えば、区切り。100日の時も、200日の時も、全く気づかずに通りすぎてきた。たまたま気づいた500日目。少しずつ積み上げていくってすごい!こうやって、生きていくんだろうなあ...500日目だからって、どうってことはないけれどそれはそれで素晴らしいこと♪実際に日記をつけたことなんて、ほとんどないし、夏休みの宿題の絵日記だって、常に三日坊主(^^;)継続ということが苦手だってことは、自分が一番知ってる。なのに、日記更新は飛び飛びながらも、この楽天だけは500日を迎えた。ここを開設しなければ出会わなかったたくさんの人と出会い、知らなかったたくさんのことを学び、顔も知らない、どんな容姿かもわからない、職業も家族もどんな所に住んでいるかも知らずに、書きこみを交し合い、メールを交し合い、励まされたり、笑い合ったり、感動したり、泣いたり、救われたり...ネットって素晴らしいな♪きっとこれからもこうして日々を積み重ね、少しずつ自分の中に宝物を増やしていくのだろう。私の歩いていく道に、ステキな世界を増やしてくれたブログに感謝♪こんな私におつき合いいただいているみなさん!心から、ありがとう、ありがとう、ありがとう\(^0^)/
2005年10月18日
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【畦に立つ 人の一服 豊の秋】【新蕎麦の 薬味の辛さ 旅昼餉】日々の積み重ねが小さな作業の積み重ねが様々な想いの積み重ねがとなる君は突然に ここにこうしてわけではなく期待と希望と挫折と模索と精進と研究と後悔と懺悔と忍耐と歓喜と母性と絶望と融和と混沌と色々、色々...いろいろ、いろいろ...昨日も 一昨日も一ヵ月前も 一年前も十年前も 百年前も...休むことなく重ね重ねてきて君はこうしてここにを迎える君たちに最大限の ううん無限大の祝福をの 君たちに無限大の感謝を人の一生が実るのはいつなのかな淡々と粛々と誠実にしかも エキサイティングに歩いていきたいいつかを迎えるその日まで君たちのように喜びをあらわし幸せを与え感謝に包まれるその日まで【風のゆく 木の実樹のまま 在るがまま】
2005年10月10日
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悲しいから泣くんじゃなくて泣くから悲しくなるって、昔、誰かが言ってたなそれなら、悲しい時も泣かないで思いっきり笑ってみたらいいんじゃないの泣き笑いでも、とにかく笑ってみる最初は「ふふふ」お次は「あはは」最後には「わーっはっはっはっはっはっ!」って...♪きっと心が軽くなってるはず辛かったことも「なあんだ、大した事ないや~」なんて、思えてくるはず喜べば 喜び事が 喜んで 喜び集めて 喜びに来るお気に入りの言葉魔法の言葉季節は、深まりゆく秋コスモスが微笑むように揺れているあんなに華奢な姿なのにたたきつける雨でも吹きつける強い風でもしなやかに受けとめて可憐に揺れている私もしなやかに生きよう太陽に、空に、風に、空気に...日々やってくるささやかな幸せに...辛いことも悲しいことも...もちろん、楽しい嬉しいことも...すべてに感謝してすべてを受けとめてしなやかに生きていこう
2005年10月02日
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給食センターに異動になって早5ヵ月が経った。自校式の学校から、6校分の給食を作る職場に移り、とまどうばかりだった日々。とにかく仕事に慣れなくちゃ、とはりきったり、泣きがはいったり、筋肉痛になったり、豆ができたり、またはりきったり。こんな有様の繰り返しで、どうにかこうにか職場の先輩方に必死についていっている(ついていけてるんだろうか...^^;)自分に与えられたことをするだけでせいいっぱいだった私だけど、今は何とか全体を見回して仕事の流れを感じることが少しだけできるようになった。なにより嬉しいのは、自分で仕事を見つけることができるようになりつつあるってこと。そんなのあたり前じゃん! と仰るなかれ。ホントに必死で、あっという間の5ヵ月間。なんとなく仕事の流れが見えてきたことで、やっと今自分がしなくちゃいけないことを感じられるようになったのだ。はあ~、情けない(><)それでも、女性ばかり20人が働く職場は、なかなか楽しく、我ながら馴染むのだけは早かったみたい。それもこれも、個性的で優しい先輩方のおかげ♪ 大変なことは数え切れないくらいあるけど、なんとか勤まっているのは、賑やかに笑い合える仲間がいるからだろうな。私の場合、笑いすぎがたまに傷だけどね(^^;)というわけで、やっと給食の画像を撮影するということを思い出した(笑) 何度か書いているように、最近の給食は本当に美味しいと思う。献立はもちろんだけど、食材や調味料などもどんどん新しいものが取り入れられてるし、栄養士さんや調理員の日々の努力はすごいよ。肝腎な主食がもう少しどうにかなったら、もっともっと美味しくなるのにな。パン屋さ~ん、さらに一層のご尽力をお願いいたします!9月27日の給食ソフト麺・ジャージャー汁・肉だんご・うさぎまんじゅう・レモンゼリー・牛乳うさぎまんじゅう(中はカスタードクリーム)あまりのかわいさにパチリ♪ このうさぎまんじゅうが、蒸し器の中にズラッと並んだ様を見せたかったあ~。一個でも充分かわいいけどね。子供たちもきっと、喜んで食べてくれたんじゃないかな(^^)私たちの住む町は、この9月12日から3市町が合併して一つの市になった。来月新市の市長選もあり、今後どんなふうに変化していくのか、不安と期待の真っ只中にある。環境がどんなに変ろうと、給食は子供たちのために作られるべきで、あくまでも子供たちが主役だ。彼らの成長の一端を担い、教材としての役目も果していると思う。食を通して学ぶことはたくさんあるし、私たちの作っている給食が、子供たちの未来のどこかに関わっていってくれることを信じて、これからも張りきってやっていこう!日々の仕事をこなしていくだけでいっぱいいっぱいだったここ数ヵ月だったけど、うさぎまんじゅうを見ていたら、子供たちのために作ってるんだったってことを、改めて思い出した。変な連想(笑)先月から、地元の野菜を直に仕入れて給食に使うことができるようになった。近くで作られている食材が、子供たちの給食で提供されているということは、野菜を作っている農家の方々にも、新たな感慨をもたらしてくれると思うし、子供たちも親近感みたいなものが湧いて、口に運んでくれるようになるかもしれない。地元のものを地元で消費する、「地産地消」とはそういう意味も含んでいるんだよね。まだまだ回数は少ないけれど、そんなふうに少しずつでも変っていければいいと思う。自校給食に移っていく過程である今、センターはセンターで、自校は自校で、それぞれできることを一生懸命やっているし、合併した他の町の給食関係者ともどんどん交流をもって、学校給食が発展していくように力を合わせていかなくちゃ(^^) 私たちの汗と涙と笑顔の結晶、給食♪ 子供たちよ、美味しく食べてね♪
2005年09月28日
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鶴ヶ城から見る会津磐梯山22日から会津若松で「会津まつり」が開催された。昨日23日、ちょっとハードではあったけれど、日帰りで会津若松まで出かけてきた。走行距離450km。テーマにぴったりのドライブ&小旅行だ。朝6時過ぎに出発。一路東北道を北上、磐越道を経て一気に会津若松へ。会津藩ゆかりの行列が、9時半に鶴ヶ城を出陣するということで急いだけれど、出陣式には間に合わず、鶴ヶ城前の路上にてしばし待つことにした。雨という予報を見事に裏切り、雲が多いものの青空が広がり上々のお天気。沿道には徐々に人が増えていき、待つこと小1時間。パトカーに先導された行列が鶴ヶ城を出てきた。顔を赤く塗った奴たちを先頭に、次々と仮装に身を包んだ行列が通りすぎる。 松平容保公幕末、「徳川家への忠誠」を貫き通したために、逆賊の汚名をきせられ、会津での孤立無援のろう城の末、官軍の軍門にくだった松平容保。28歳の時に京都守護職に任ぜられ、新撰組(当時「浪士組」)との運命の出会いとなる。新撰組の「尽忠報国」の志と、連綿と受け継がれてきた会津の士道「忠義」が、互いに強い絆となっていたのだろう。斬首された近藤勇の戒名を容保公からいただいたり、郡山では土方歳三と白虎隊は親交があったといわれているほど、会津藩と新撰組の関わりは深い。容保公は、晩年日光東照宮の宮司となり、幕末での一切を一言も語らなかったという。徳川家康を奉祀した東照宮の宮司として生きた容保公は、結果的に「徳川家への忠誠」を通したんじゃないだろうか。公開されている容保公の写真は、少年のようなお顔をしている。激動の時代の、その渦中に生きた彼もまた、自分の信念を貫いた立派な大人の男だったのだろう。さて、いよいよ新撰組の行列である。「新撰組」と書かれたひときわ長い幟の後には、大河ドラマ「新撰組」で副長土方歳三を演じた“山本耕史”さんがゲストとして登場。歓声とカメラの列に笑顔で手を振る彼は、うっとりと見惚れるほどのいい男だった♪ 私は我を忘れて彼のあとを追っかけ、何度もシャッターを押したが、興奮していたのと走りながらの撮影のために、何枚も撮ったはずの写真は、無残なものだった(><) ただのミーハーとなりさがった私をお笑いください(^^;) なんとか撮れたものを掲載。ステキな山本耕史さんの後には、新撰組の行列が続く。浅葱色の羽織をまとった隊士たちは、新撰組全盛期を思わせるように、誇り高い気概を感じさせていた。会津藩士のご家来衆や鉄砲隊に引き続き、白虎隊がやってきた。白い装束に身を包んだ彼らは、実際は十代の若者たちだったが、ちょっと大人の白虎隊。20名の悲惨な最期を知っているだけに、行列を眺める私の心も少しざわつく。まつりの高揚した空気の中に、若干の静粛な雰囲気が漂った。 行列を見送った後、鶴ヶ城へ。石垣は当時のものがそのまま残されていて、立派なお城だったことを思わせる。歴代の会津藩主や城の変遷、会津の歴史、江戸時代からの町の産業など、ここに来れば会津の歩んできた道を理解できる。白虎隊の肖像画も展示されていて、一日に何度か「白虎隊演舞」を見ることもできる。 鶴ヶ城の入口にある茶屋で、遅い昼食をとった。「会津ラーメン」。近くの喜多方ラーメンや佐野ラーメンに似た、あっさりとしたスープに縮れ麺の美味しいラーメンだった。ちょうど2度目の行列が鶴ヶ城に戻ってきた。再度、山本耕史さんを拝もうと、またもやひとしきりミーハーの顔になった私。いい男は何度見てもいいねえ♪気持を切り替えて飯盛山へ。白虎隊19名の最期の地となった場所へと向かう。長い階段を息を切らしながら登った頂上の広場には、彼らの墓と慰霊碑がたち、たくさんの人が線香を手向け手を合わす。広場を横切り少し下ったあたりに、20名が自刃した場所があり、手をかざして鶴ヶ城を見つめる隊士の像が建っている。遥か遠く、小さな鶴ヶ城を見ることができるが、城の周りの屋敷が炎上していたのなら、城が燃えていると勘違いしそうな景色だ。絶望感でいっぱいになった若者たちが、自らの命を散らした場所だと思うだけで、胸が締めつけられる。ただ一人、命を助けられた飯沼貞吉さんの墓も、仲間の墓のすぐそばにあるが、ここに分骨され墓が建てられたのは、なんと昭和32年だというから驚きだ。彼が生残ったことで、白虎隊の最期の様子がしっかりと後世に伝えられたにもかかわらず、「一人だけ命を長らえた恥さらし」という様々な方面からの無言の圧力が、彼を会津に帰さなかったのだという。ムッソリーニに「世界的武士道の亀鑑」と言わせた白虎隊。彼が生きていたからこその隊士たちへの賞賛だろう。少し仲間とは離れた場所で、ひっそりと建つ飯沼氏の墓。没後26年も経ってから、やっと落ち着いて懐かしい故郷で、仲間たちのそばに眠ることができたのだ。この飯盛山が、白虎隊士たちの子供の頃の遊び場であったということは、少しは慰めになるのだろうか。会津には初めて訪れたが、山々に囲まれた静かな街だ。歴史を感じさせる雰囲気がそこここにあり、一日では堪能できる所ではなさそうである。時間の関係で、温泉にも入れなかったし、喜多方へも行けなかった。大内宿へも足を延ばそうと思っていたのにそれも叶わなかった。日帰りの会津行にしては、まつりも見られたし、充分だったのかもしれない。老舗の酒蔵で「宮泉」という酒をお土産に買った。最後に、松平容保公が白虎隊を詠んだ歌を紹介しよう。「幾人の涙は石にそそぐともその名は世に朽ちじとぞ思ふ」
2005年09月24日
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十五夜の月が、美しく見える夜を良夜という。昨夜は、まさに良夜。残暑はまだ続いているものの、朝晩はすっかり涼しくなり、毛布をひっぱりだして眠るようになった。月を写真に撮るのはむずかしいね(^^;)秋を肌で感じるようになったこの季節、月はもっとも美しいとされ、収穫の時期と重なることもあり、芋や果物を添えて月を愛でるようになった。人々と月との関わりで、一番身近なお月見。父の話を聞くと、昔はあちこちの家の縁側に供えてある団子や果物などを盗みに行く習慣があったという。2メートル位の竹の先に釘をつけ、家人に見つからないようにその先に団子などを刺して盗むのは、子供たちにとって楽しみなことだったようだ。盗まれた家の人も、知らぬふりをきめこみ、「お月様が食べてくれた」といって、来年の豊作を約束していただいたような気持になったらしい。昨夜のような見事な満月ももちろん素晴らしいが、時折雲がかかる月もなかなかに風流だ。すっかり雲ってまったく月が見えない時には「無月」と、雨に降られ月の欠片も望めない時には「雨月(うづき)」といい、どちらにせよ月を愛でる心持を表している。十五夜の月は、様々な呼び方をされる。「望月」「名高き月」「三五の月(3×5=15ということで、日本人は言葉遊びが好きですね)」「明月」などなど。里芋の収穫の時期でもあり、供物として供えるところから、「芋名月」とも。十五夜前後の月にもそれぞれ名があり、一日前は「小望月」「十四夜月」「待宵の月」、一日後は「十六夜(いざよい)」、二日後は「立待月(たちまちづき)」、三日後は「居待月(いまちづき)」、四日後は「寝待月(ねまちづき)」「臥待月(ふしまちづき)」、五日後は「更待月(ふけまちづき)」。月の出がだんだんに遅くなる様子がわかる。五日目には夜もだいぶ更けないと出てこないというわけだ。また「二十三夜」というのもあり、下弦の月。「二十三夜待ち」といって、真夜中にならなければ見られないこの月の出を待つ風習もあったということだ。満月の二日前の月を「十三夜」といい、特に陰暦九月の十三夜の月は美しいとされ、十五夜とともにお月見をする。十五夜だけでこの十三夜の月を見ないと「片見月」といわれ、よくないこととされている。今年は十月十五日が十三夜。昨夜我が家では、まだ若いツンツンとした近所の薄と庭に咲いているホテイアオイを挿し、団子や果物を供えてお月見をした。夕餉には、秋刀魚、けんちん汁など秋の膳。今年もまた、おいしいお酒をいただいた(^^)
2005年09月19日
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鬼蓮が見られると聞いて、出かけていった。大きな葉は、まるで柔かな座布団のように水面に浮かび、直径1メートル以上のものも珍しくない。沼の一角に葉を広げて群生している。濃い紫色の花も見られ、密やかに命を営んでいる。朝夕はだいぶ涼しくなってきたとはいえ、昼間の残暑は厳しく、汗が首筋をつたっていく。それでも、そちこちに秋は確実に訪れている。【女郎花 群れていっそう 寂しかり】水藻の花【小さき花 小さきなりに 九月かな】【両の手に 静けさ握る すすき道】【毬栗の 何処に向けし 剣の先】もう萩が咲いている。秋津が飛び交い、風はさわやかに頬をなでていく。
2005年09月03日
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川のせせらぎ、鳥のさえずり、セミの声、緑を渡る風、木洩れ日...久しぶりのキャンプ。ここは群馬県日出島(ひするま)キャンプ場。利根川が大きくカーブを描き、目の前には「屏風岩」と呼ばれる絶壁がそびえる。小さな滝が落ち込み、静かな林の中に水音を響かせている。屏風岩がそびえる利根川沿い宵待草の群生の中からSLが走る鉄橋を見る夏休みもピークを過ぎ、私たちの他には、父子づれのテントが一つあるだけ。キャンプは初めてという友人夫婦と私の三人での静かなキャンプだ。夫抜きのキャンプは初体験なので、少し不安もあったが、いつもの楽天主義が勝って、どうにかなるさと出かけていった。このキャンプ場は、すべてがフリーサイト。最低限の設備(トイレ、水場)と、直火OKというキャンパーを信頼する姿勢、町営ならではのリーズナブル料金。私たちのお気に入りのキャンプ場だ。毎年発行されているキャンプ場ガイドや、アウトドア雑誌などに紹介されているキャンプ場は、サイトが区画されているところが多く、しかもそういうところにかぎって料金が高い。せっかく大自然の中に飛び出したのに、団地のように整然と並んで窮屈にテントを張ることはないと思うのだが...不思議とそういう場所から予約が埋まっていくらしい(^^;)「オートキャンプ場ガイド」に2年連続で載った私たちのテントサイト とりあえず車から荷物をおろし、三人で協力しながらタープとテントを張り、道具を並べていく。テーブル、椅子をセットして、バーベキューコンロやツーバーナーを組みたて、旦那様のKくんに水を汲んできてもらう。爽やかな空気の中で、ビール片手に楽しく作業を終えた。落ち着いて椅子に座り、新しいビールを開ける。冷たい液体が咽喉を通過して、食道を落ちていく感触がなんともいえない。緑色の風が頬をなで、汗ばんだ肌に心地いい。川沿いから見た私たちのテントサイトさて、夕食はカレーとバーベキュー。初日はアウトドアの定番料理だ。ツーバーナーのポンピングは男性にまかせて...と考えていると、地元の友人が野菜をたくさん抱えて遊びに来てくれた。キュウリ、トマト、茄子、ゴーヤ、とうもろこし、枝豆などなど、新鮮な夏野菜の山だ。感謝、感謝♪しばし談笑のあと、食事作りにとりかかる。カレーの材料に新たにゴーヤを加えて、夏野菜カレー。ほろ苦いゴーヤが食欲をそそる。日が落ちる前にランタンの準備。ホワイトガソリンを入れ、やはりポンピングはKくんにおまかせ。ほの暗くなってきた夕暮れ時、ランタンに灯を入れ、食事の準備も万端。以前、紹介したことのあるホットチキン(タバスコと塩で味付けした鶏もも)やゴマ油の香りも香ばしいササミのねぎ塩、ぶ厚く切ったベーコンや、とりどりの野菜。語り合い、笑い合い、ビールの空き缶がどんどん増えていく。心許せる仲間と、木々や虫の音、水音に囲まれての一時。おりしも見事な満月。月明りの中で、火を見つめ、バーボンを飲みながら、ゆっくりとした時が流れていく。ランタンに灯を入れる翌朝は、仕事に行くというKくんを4時頃に送りだし、奥さんのS子ちゃんと二人、快眠をむさぼる。それでも寝ているのがもったいなくて、5時過ぎには起きだし、コーヒーを淹れた。夜中に降り出した雨もすっかり上がり、濡れた木々や草、小さな花たちが命いっぱいに私を包んでくれる。山の端が明るく輝き、祝福をしてくれているようだ。鳥たちの声に誘われるように、川沿いを歩く。河原の石に腰かけ水面を渡る風に身をゆだね、朝の空気を胸いっぱいに吸い込む。細胞のすみずみまで生まれ変るような心地...1時間ほどの散歩となった。山の端が明るくなってきた朝もやをまとう山昨夜の残りで、ゆっくりと朝ごはんをすまし、今日は温泉に行こう♪ 町営の「敷島温泉」。露天風呂で、地元の人たちのなまりまじりのおしゃべりに耳を傾ける。胸につまった垢までも、すっかり流れ落せたようだ。残りものでの朝食テントにもどった私たち二人は、一泊の予定をもう一泊することで意見が一致。一日のんびりとして、女二人の夜は、途切れることのないおしゃべりで更けていった。朝の利根川気がかりだった後片付けも、二人で協力して何とか荷物を車に積み込んだ。キャンプには男手がないと、と思っていた私だが、なんのことはない。いなければいないで、どうにかなるものだ。たしかに大変だけれど、今まで夫に頼りきりだったキャンプ、女だけだってやれるじゃない、なんて妙な自信までついた。天気が荒れなかったのと、どうにもならないほどのハプニングがなかったということだけど(^^;)キャンプを心から楽しんで、すっかりリフレッシュしてきた。さて、あさってからいよいよ仕事だ。まだまだ仕事モードに切り替われない体と気持を奮いたたせなければ。子供たちが待ってるぞ!
2005年08月27日
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蝉の声が、うるさいくらいに響く。さらに暑さが増すような気がして、イラついたりする。かと思えば、昨日の天神様のように、寺社などの中で聞く蝉時雨は、それなりに風情があり、かえって境内の静けさを思わせたりもする。彼らの一生は、7~8年も地中で過ごしたあと、成虫となって地上で生きるのは約1週間といわれる。神さまは、無駄なモノを創らなかったということを考えると、蝉のこうした一生にも意味があるのだろう。人間の感覚からいえば、何年も地中で過ごし、やっと明るい空の下へ出てきたとおもったら、たったの一週間で死んでしまうなんて、なんのために生きてきたのかわからない。それでも、彼らはしっかりとその一週間を生き、子孫を残すのだから敬服するばかりだ。昨日の夕方、母が階下でなにやら騒いでいた。何事かと降りていくと、羽化前の蝉を見つけたという。羽化をする場所を探すように枝の先端を目指している早速カメラを持ち出して何枚か撮り、観察をしていたが、これはまだまだ出てこないだろうと、外へ夕食を食べに行ってしまった。二時間ほどして戻ると、蝉はすっかり羽化を終え、真白い体に薄い緑色のベールをまとい、じっと体を乾燥させている。羽化の瞬間を見逃したのは大いに残念だったが、あのうるさいだけだと思っていた蝉が、こんなに美しく、命をまっとうしようとしている姿に心を打たれた。幼虫から成虫へ、美しい変身だその黒々とした目は、何を見つめているのだろうか。無事に羽化を終えたことの喜びか、空へ羽ばたけることへの期待か、それとも余命の残り少ないことへの寂しさか...きっと何も見てはいないのだろう。もらい受けた命を、かぎりに燃やし尽くすことのみを体中に漲らせ、ただじっとその時を待っているようだ。牛や鹿の出産もテレビで見た。猫の出産も我が家で目の当たりに見た。それらの命の誕生も、感動とともに心にしっかりと焼き付いているが、昆虫の第二の誕生でもある羽化は、そうしたものとはまた違った思いを抱く。人の目につかず、人の手を借りず、ひっそりと行われている静かなる自然の営み。こうしたことがすぐ近くで、日本で、そして地球全体のそこここで繰り返されているのだ。すごいことだ!たった一つの蝉の羽化だけれど、たんに蝉が成虫になっただけではなく、命が紡がれていくということ。小さな営みが、偉大なる自然を教えてくれた。この夏、最大の我が家のニュースになった。飛び立った蝉のあとには、抜け殻が、役目を終えてホッとしたようにそこにあった。立派な成虫となった蝉と抜け殻
2005年08月16日
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【二つ名に請われ残暑の御神牛】 『鬼平犯科帳』に〔寝牛の鍋蔵〕という盗人が登場する。 ネットでおつき合いいただいている“ちゅうすけさん”のHP「盗人探索日録」 に茨城県出身の盗賊も紹介されていて、この〔寝牛の鍋蔵〕もその一人。 ちゅうすけさんやお仲間のたゆまぬ探索の結果、現在の水海道市ではないかというところに落ち着いた。 筑波山好奇心に駆られ、比較的近くということで出かけていった。 鬱蒼とした雑木林に囲まれた天満宮には誰もいなくて、ただただ、蝉の声だけが社域全体に降り注いでいる。 菅原道真公の伝説があるという社殿には、たくさんのお札が並んでいた。 おみくじをひく。末吉。微妙だ(笑) 【夕立の雨は見るみるはれ行きてこずえ涼しくせみのなくなり】 こんな歌があった。下句はまさに今の状況。 「天保二年」と刻まれた常夜燈のすぐわきに、真新しい牛の像が堂々と横たわっている。牛の頭をなでながら 「盗人の呼び名に使われてるよ」と、教えてあげた。余計なお世話か(笑) 御神牛と常夜燈 周囲は、早くも穂を垂れた稲が一面に広がる田んぼ、田んぼ、田んぼ。 当時は、貧しい農家がほとんどで、盗人にでもならなければ、食えない人々も多かったのかもしれない。或はこの鍋蔵、生まれついてのワルガキで、田畑を耕すだけの生活に、満足できなかっただけなのだろうか。 こうして小説に登場する架空の人物を追ってみるのは、史実をたぐって当時を学ぶものとは、また違った楽しみがあるものだ。 頼るは自らの想像力のみ。 木々のざわめきと蝉時雨のただ中に立っていると、のっそりと現われた鍋蔵が不敵な笑いを浮かべて、私を見ているような気になってくる。ちょっと涼しくなった。
2005年08月15日
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港湾労働者として働いているレイ(トム・クルーズ)が、前妻とその夫が旅行に出るために子供たちを数日預かるシーンから始まる。十才の娘レイチェル(ダコタ・ファニング)は、それなりに父親とのコミュニケーションをとるが、息子ロビー(ジャスティン・チャットウィン)は握手どころか、レイと口をきこうともしない。そんな中、突然の稲光が走り、太古に埋められたと思われる巨大な“ヤツラ”が姿を現わす。大地が揺れ、裂け、唐突に“ヤツラ”の侵略が始まる。町は破壊され、人々は瞬く間に灰となり、衣服だけが雨のように降ってくる。いったい何が起きてどうなっていくのか、パニックに陥っている暇もなく逃げ惑う人々。レイや子供たちも、そんな彼等と共に難民のように、安全な地を求めてさまよう。車で先を急ぐレイたちに襲いかかる人間の群れ。ゾンビを思わせるような恐怖に、思わず目をそむけてしまう。また、“ヤツラ”に追いつめられたレイたちを救ってくれたティム・ロビンス扮するおじさん(名前を忘れた^^;)の行動も、徐々に小さな恐怖に変わっていく。“ヤツラ”の抗いがたい絶対的な侵略はもちろん恐ろしいが、人間の恐ろしさもサスペンス風に盛り込まれている。恐怖のあまりヒステリックに叫びまくるレイチェル、特攻隊員を思わせるようなロビーの闘いへの思い、必死に家族を守ろうとする等身大の父親レイ。生と死、家族愛もテーマとして底辺においたパニック・ムービーだ。オープニングのミクロの映像が、ラストに結びつき、“ヤツラ”の終末の意味が理解できる。『宇宙戦争』を観てきた。スピルバーグ作品、トム・クルーズ主演、莫大な制作費と、過大な期待を呼びすぎたせいか、映画関連サイトでは酷評が大方だ。だが、私は素直に楽しめた作品だった。私が観に行った劇場では、エンディングロールに入ったとたんに、あちこちで拍手が起きた。炎に包まれあっという間に瓦礫の山と化す町々、蟻の行列のように逃げ惑う人々を巻き上げ、踏み潰し、消していく巨大な物体“トライポット”。下から“ヤツラ”を見上げる映像は見ている者も思わず襲われるのじゃないかというリアルな恐怖を感じさせる。この迫力はすごい! 子供の頃から、怪獣映画の特撮に馴染んでいる私たちの年代を知ってか死らずか、恐怖という海の淵まで引きずっていくカメラワークは、若干のノスタルジーを感じさせてくれる。思いがけず『ジョーズ』が浮んできてしまうせいかもしれない。最後までレイの視点で描かれたSFパニック物。『アルマゲドン』や『インディペンデンスディ』のように、アメリカが世界のリーダーだ的なハリウッドの思い入れはない。主人公のレイも、地球を救うヒーローではなくありふれた普通の父親だ(かなりカッコイイけど)。これはもう、是非、劇場で観てほしい。家庭のテレビでは、迫力半減どころか、1/10ほどになってしまいそうだ。得体の知れないモノに突然に襲われる戦慄を、劇場で充分に味わってもらいたい。それにしても、あのダコタちゃんの演技は天性のものなのだろうか。子役といえども、侮れない立派な女優さんだ。将来が楽しみ。映画のあと、行きつけの居酒屋さんで興奮を静めた。【天使の誘惑】という名の芋焼酎。芋がベースとは思えないほどの、ブランデーにも似た豊潤で甘い香りに、まったりとした気分でほろ酔いになったひと時。
2005年08月11日
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私は、若くてツヤツヤ。お尻も顔も考え方もまだまだ青いの。でもね、まるまる茸さんのお母さんが、こんな私を立派な熟女に育ててくれるんだって。すっごく楽しみ♪体をきれいに洗ってもらって気持いい~~~。まずは粗塩エステ。たくさんの粗塩で、体中をまぶされて、きれいなホーローの入れ物の中で過ごす。ちょっと重石が重いけど、三日くらい我慢すればいいんだって。涼しいところにいるから、ちょっと眠っちゃおうかな♪う~ん、よく眠ったあ。おっ! 何やら体の中から水分がいっぱい出てきたよ。いい匂いもするよ。お母さんは「まだまだ、これからよ♪」って言って、重石を半分くらいにしてくれたよ。「十日位したら、ずいぶんお姉さんになるからね」だって。お友達のシソちゃんも、お母さんのところにやってきた。シソちゃんは、濃い紫色の爽やかな子。私が大人になるのに、シソちゃんは欠かせないの。お母さんがそう言ってたよ。シソちゃんも、きれいに洗ってもらって、粗塩エステ。私にはやさしかったお母さんの手だけど、シソちゃんは、もみ込みエステだから大変みたい。ギュッギュッってもまれて、体の中のアクっていうよくないものを出すんだってさ。ちょっと辛かったかなぁ。でも、その後は、私の中から出てきた液体のお風呂に入って、体伸び伸び、気持よさそう~~~♪お風呂はシソちゃんの色に染まってきて、すっごくきれいな紫色になったヨン。さて、私もそろそろお目覚め。きれいな色になったお風呂の水を入れてもらって、わあ~、私もきれいな色になるのかなあ♪ あ、今度はシソちゃんも一緒だ。嬉しいな♪だけどさあ、ずっと暗いところにいたから、なんだか体中がちちこまっちゃって、う~んと伸び伸びしたくなっちゃったよ。「お母さ~ん、まだ出られないの? このお風呂?」「そろそろ、いいかなあ。明日からは、お外で日焼けしようかね(^^)」「わぁ~い、やったあ!」今日はすっごくいいお天気。私は仲間たちとお風呂から出て、お日様の下へ。シソちゃんも一緒。みんな仲良く日光浴~♪ 暑いけど、気持いいよお♪ときどきお母さんが来て、体をひっくりかえしてくれるの。ジリジリするけど、お日様は私たちの味方! 体の中にエネルギーがいっぱいになってくるのが、よくわかるもの♪ 夜はね、屋根の下にはいって就寝。よ~く眠れるなぁ。まるまる、四日間、日光浴をしたよ。お日様は色んなお話をしてくれた。私が立派な熟女になるとね、お母さんたちにとって、とっても大切な食べ物になるんだって。細菌をやっつけたり、内蔵を丈夫にしたり、食欲をアップさせたり、たくさん役に立てるようになるみたい。病気の人が元気になるのを手伝ったりもできるんだ。私が一緒にいると、暑い夏でもお弁当が腐ったりしなくなる。すごいなぁ♪ 私、がんばるね! お日様がニコニコ笑って応援してくれてるよ(^^)「さあさあ、出来たよ」お母さんが、私とシソちゃんを丁寧に持って、きれいなガラスの壜に移してくれた。来年、また私のような子ができるまで、ず~っとお母さんたちの役に立てるんだね。みんなの元気は、私たちの肩にかかってるのよ。シソちゃん、一緒にがんばろうね!というわけで、我が家の梅干が完成! パチパチパチ♪さっそく、パクッ! う~~~~、酸っぱ~~~い。美味し~~~~い。自然の恵みと母の愛情のハーモニー。お日様を丸ごと口に入れたみたいな気分♪あと1、2ヵ月くらい待てば、すっかり熟女となった梅ちゃんがとってもおいしくなるんでしょうね。待ちきれない家族は、一個、また一個と壜からつまみ出しては、食べている。こんなことで、来年まで持つのだろうか。心配(^^;)梅酢は、ハチミツと混ぜて水で割りジュースにしたり、ミョウガや新ショウガを漬けこんだり、ドレッシングにしたり、焼酎を梅割りにして晩酌、などなど大活躍♪梅干や梅酢を使ったレシピ、知ってる人は教えてね。立秋が過ぎたのに、暑さはまだまだ。バテバテになる前に、日本古来の健康食品で、元気いっぱいに夏を楽しもう\(^O^)/
2005年08月08日
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本を読むというのは、とても楽しい作業だ。読書の時間を確保することは、私にとって優先順位第一位。読書を楽しみとしている人の例にもれず、たとえ30分でも、必ず本に向わなければ気がすまない。この夏休みは、なんの予定も立てずにいるので、毎日読書三昧で幸せな日々を過ごしている。ネットで古本をたくさん取り寄せたり、古本屋さんで色々と物色したりしているのだが、こう時間があると、古本といえども本代がかさんでどうにも苦しくなってくる。我が町の図書館は、本が充実しているとは到底言えず、読みたいものはなかなか見つからず、人気の新刊ともなれば、未来永劫この手にできないのではないかと思うほど、はるか彼方まで予約が入っている。自ずと図書館への道は遠くなるのだ。話はちがうが、ほぼボランティアという形で、電子ブックとなるべき本の入力の仕事を引き受けている。手掛けているのが、古典的な推理物が多く、なかなかに楽しい。エラリー・クィーンやポワロの活躍を、ワクワク、ドキドキと胸をときめかせながら入力している。現在は、モーリス・ルブランの『八点鐘』。八つの短篇を一つの本に収めたもので、この類の物語がお好きな方にはお馴染みだろう。漢字は旧使いのものが多く、かなり入力者泣かせの作品だけれど、どんどん内容に引きこまれ、読書をしている感覚で、どんな風に話が進んでいくのか楽しみながらの作業だ。著者が冒頭に「本篇の主人公について」という項目を設けている。以下、太字引用。 この本に収めた八つの物語は、著者が最近に快傑アルセーヌ・ルパンの口から親しく聞き取ったところを殆んどそのまま記述したものである。もっともルパンは、自分の親友であるレニーヌ公爵の体験談という形で話してくれたけれども、一々の事件の経路や、主人公たるレニーヌ公爵の行動ならびにその性格から推して、どうもそれがルパン自身のことをいっているのではないかと思われる。その辺はひとえに敏感なる読者諸君のご判断にまつこととする。最初にこんなことを書かれたら、否が応でも作品への期待がむくむくと湧きあがってきてしまう。この『八点鐘』は、怪盗ルパンとしてではなく、ルパンと思われるレニーヌ公爵が、探偵のような役割を果しているミステリー小説の短篇集だ。パリをはじめとするフランスの各地で起きる事件を、レニーヌ公爵が推理力、判断力、決断力を駆使し、そして勇気をもって解決していく。悲劇的な境遇にある美しいマダム・オルタンスも、レニーヌ公爵のアシスタントとして華を添えている。この二人のロマンスが、八つの物語の底辺にあり、そのあたりも楽しみの一つになっている。本を買う時には、どうしても好みが偏りがちになる。断片的ではあるけれど、こういう仕事を引き受けていると、自分では手に取らないであろう作品に触れることが多い。結果、新鮮な喜びをもたらしてくれる。収入につながれば、言うことがないのだが...欲張りかしらん(^^;)この後はどうなるのだろう、と気が焦り、次から次へと入力をしていくのが仇になって、校正はかなり骨の折れる作業となる。自分ではしっかり入力しているつもりなのに、なんでこんなに誤字脱字だらけなんだぁ~(泣) 100メートル走並みのスピードで入力していた作業は、自然、おばあちゃんの散歩並みの速度に落ちてくる。結末を知っているミステリーほど、興醒めなものはないことを実感するのだ。今日も校正作業をしながら、昨日買ってきた文庫、佐伯泰英の新シリーズ『変化(へんげ)』を横目で見つめている私なのであった。コラコラッ!
2005年08月05日
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最近、ミュージックバトンや恋愛バトン、いいことバトン、本のバトンなどなどあちこちのブログで見かけるけど、流行ってるの?で、ついに私のところにもご指名があった(^^)【お酒バトン】!!!ちょっと、まみちゃん、なんで竹ちゃんに続いて私が出てきたのよ!ま、わからなくもないけどね...(嬉しかったりして^^;)というわけで【お酒バトン】まるまる茸版です。 【お酒バトン】1.率直にお伺いします。あなたお酒好きですか?それほど好きでも...(バシッ! 痛ッ!)す、すみません、かなりすごく大好きです♪2.今まで人生の中で「酒が旨い!!」と思った瞬間は?ありすぎて選べない。あえていうなら、風呂あがりのビール♪3.どんな種類のお酒が好きですか?または口に合いますか?基本的には、何でもOK♪生物(いきものじゃないよ、刺し身とか^^;)などのお魚系の時は、日本酒。焼き肉やステーキなどの肉類の時は、ビール。特に肴にこだわらない場合には、焼酎、ウイスキー、中国酒、etc...バーボンと胡麻焼酎が、今のところお気に入りで~す(ロックでね♪)4.好きなお酒を5つ選んで下さい。生ビール、I・W・ハーパー、紅乙女、らんびき、菊水なんで、五つなの...(TT)5.バトンを渡す5人笑竹村の竹ちゃん...村長さん、まみちゃんからもご指名入ってるヨン♪ モテモテ?やきいもまんのいもちゃん...ビール飲んでるか~い?^^123maoさん...飲み会連チャンの疲れはぬけましたあ?お酒がお好きな方、どんどん参加してくださいね。みんなはどんな感じなんだろ?お酒って、好みがいろいろあるけど、一番美味しく飲めるのは、一緒にいたい人と時間をともにしている時。誰とどんなふうに飲むか、だよね♪大切な人と一緒に飲むお酒は、何を飲んでもおいしいもんさ。でしょ~~~\(^^)/
2005年08月03日
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楽天仲間の波那ちゃんが、楽しい企画をやってる♪花火を題材に【五行歌】の記念コラボ☆とてもステキな波那ちゃんの五行歌に、いつも魅せられているばかりの私。しばし迷った挙句に、恥ずかしながら参加してみよっかなぁ...なんて(^^;)ドキドキ...五行歌なんて初めて...えーい、やっちゃえ~~~!という訳で、私なりの五行歌。やっぱり俳句のくせで、五七調になってしまったけど、初体験ということで、波那ちゃん許してね♪☆===☆===☆===☆===☆===☆===☆ 喧騒を 離れて見上ぐ 大花火 闇の深さに 心まさぐる 手花火を 見つめ見つめる 寝たきりの 人の瞳に 光宿れる 降り落ちる 枝垂桜の 大花火 両手広げて 色に溺れる 藍染めの 君の耳朶 噛んでみる 線香花火 激しく揺れる☆===☆===☆===☆===☆===☆===☆こんなんでいいのかしらん...(^^;)
2005年08月01日
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「いらっしゃ~い♪」常連のお客様、北村くんが今日の口あけ。店を開けて30分ほどした頃。お祭りのお囃子が聞えていたから、夏真っ盛りのちょうど今時分だったのだろうか。この日は、バイトの子が遅れるからと連絡があったので、私一人で店に居た。まだ暮れきらずに残っている暑さに、北村くんもうんざりした様子で「ママ、ビール、ビール!」と入って来た。その時に、カウンターの端に彼がチラッと視線を向けた。ん? とは思ったけど、特に気にすることもなく、ビールをあけグラスについであげる。彼は一気にグラスのビールをあけ、「あ~、うま~い! 生きかえるよなぁ」と嬉しそうに咽喉を鳴らした。私もご相伴にあずかり、野球中継を見ながら小一時間も経ったろうか。彼が、カウンター越しに私を手招きする。「ん? なぁに?」「あっちのお客さん、ほっぽらかしでいいの?」「えっ? 北村くんしかいないじゃない」「...あっ、そう...なの?」「???」「あっ、まぁ、別に、何でもない、何でもない」「何、気になるなぁ」「後でね、後で話すから。ビール出して。あと枝豆かなんかちょうだい」と彼は笑って、ほらほらと私の背中を押しやった。その日は、なかなか次のお客さんが現れず、野球中継も終ろうかという頃、北村くんが「ふぅ~、帰った帰った。ん? いなくなったって言うんかな?」と言う。「何よ、誰の話?」と私が聞くと、「ママは、気づかなかったの? 鈍感だなぁ」と笑う。よくよく聞いてみると、彼が店にやってきた時からずっと今まで、カウンターの端の席に、赤いスーツを着た女の人が座っていたんだという。細身の髪の長いちょっと淋しげな女性。足を組んで、頬づえをつき、微笑みながら私たちの話に耳を傾けていたらしい。「え~! ちょっとやめてよ! 私、そういうの苦手なんだから」そういえば、北村くんは霊感が強いなんて話を聞いたことがある。私はそういった感覚に、まったく無縁の人間だから、ひょっとしてそういう方がそばにいたとしても何も感じないけれど...けっこう信じちゃうタイプ。しかも怖がりで臆病なものだから、鳥肌立っちゃってビビル、ビビル。「他のお客さんが来るまで、帰らないでね。お願い!」「もういないから大丈夫だよ。それに悪い霊じゃなさそうだし」そういう問題じゃない!ほどなくバイトの子もやって来て、間をおかずに数人のお客様が来店し、カラオケも始まった。忙しさにさっきの話をすっかり忘れ、お客様の相手をしながら楽しく飲んでいた。さて、店を閉め、後片付けをしている時に、ふとさっきの話を思い出し、またまたぞ~っとしてきたけど、バイトの子に話すと彼女も怖がると思い、むりやり頭からふりはらった。いつもなら、彼女が「お疲れ様でした。お先に~」と先に店を出るんだけど、「あっ、待って! 今日は私も一緒に出るよ」と彼女を待たせて、二人で店を出た。帰り道でも、車内のバックミラーを見ることが出来なかった。二週間ほど過ぎた。その後北村くんもその話をしないし、私も忘れかけていたある日。店は8割ほどの入りで賑やかだったが、酔ったお客様の一人が私のそばに来て言った。「ママ、さっきまでいたカウンターのお客さん、誰? きれいな人だったね」「??? ! ...」言うまでもないが、その日、女性一人のお客さんはいない。彼には見えていたんだろうか。「赤いスーツの?」恐る恐る聞いてみると、「そうそう、髪の長い」「あ、ごめん。私、よく知らないのよ」「なんだぁ、残念だな。一緒に飲もうって誘おうと思ったのに~」彼は残念そうに、仲間のところへ戻っていった。もう間違いない。彼女はここへ何度も来ているのだ。私が気づかないだけだ。心の中で、老婆のように“南無阿弥陀仏”を唱えながら、「お願いします。あなたの居る場所ではありません。どうか成仏してください」と、何度も何度も繰りかえした。不思議なものだ。別に仏教徒でもないのに、自然にそう思ってしまった。それ以来、彼女は目撃されなくなった。私のお願いに耳を傾けてくれたのかどうかはわからないけど、勝手に「きっと、成仏してくれたんだ」と思っている。店をやめてから数年した頃、ある居酒屋さんで北村くんに出会った。昔話に花が咲き、しばらく一緒に飲んだ後、彼が言った。「ママ、赤いスーツの女の人、覚えてる?」とたんに私も思い出した。「もう、やめてよ。怖いんだから」「でも、あの人はきっとあの店が好きだったんだよ。みんなが楽しそうに飲んでるのを、笑いながらながめてたもの。淋しかっただけなんじゃないの?」臆病な私は、今でも思い出すと鳥肌が立つような思いに襲われるけれど、彼女は彼女なりの理由があって、店に来ていたんだろうな。少しでも慰めになったのなら、それはそれでいいけれど...霊感というものを持ち合わせていなかったことが幸いだった。見えていたら、身の上話でも聞いてあげたかもしれない。完全に腰がひけていただろうけど(笑)もうすぐ、今年もお盆がやってくる。亡くなっていった方たちが安らかにその後を送れますように...どうか、この世に未練を残しませんように...生まれかわってご縁があったら、現世の人として一緒に楽しく飲もうね。
2005年07月30日
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夏の花といったら、なんといっても一番は ひまわり!お隣りの栃木県野木町は、ひまわりが町の花。そこいらじゅうにひまわりが咲いている。そして毎夏「ひまわりフェスティバル」が開催され、今年は7/30、31。この日は、色んなイベントがあり、すごく混み合うということなので、一足先に観に行って来た。周辺に田んぼや畑が広がる中、かなり大きな一角が黄色く染まっている。ひまわりたちは、申し合わせたように顔を一方向に向け、誇らしげに咲いている。待っていた、自分たちの季節が到来したのを、しっかりと感じているのだろう。昨日までは、台風7号の影響で強風が吹き荒れ、頭を垂れている花たちもたくさんあったそうだが、照りつける太陽が戻ってきたとたんに、きりっと顔をあげ、立派な姿を見せてくれたということだ。ひまわり=黄色、と思っていた私。このひまわりにも、色々種類があり、黄色だけではないことを初めて知った。リングオブファイヤークラレット「私はひまわりで~す!」と言ってもらわなくちゃ、わかんないよ(^^;)青い空に向って、高く高く伸び、大きな花を咲かせている黄色いひまわり。やっぱこれでしょ♪飛行機雲も見えるこの野木町、日光街道沿いの栃木県の南の玄関にあたる。江戸時代には、小さな旅篭二十数軒ほどの宿場だったという。今では、宇都宮線で上野まで乗り換えなしの60分ほどの距離にあるため、ベッドタウン化がすすみ、人工も急増中。それに伴いゴミ問題が浮上し、徹底した分別による再利用計画が始まった。堆肥として活用することはもちろん、固形燃料にして町営風呂「ゆ~らんど」の熱源となっている。そして、使用済みの燃料は炭として再々利用されるということだ。こんなふうに町の問題を積極的に解決していこうとする野木町、イメージアップをはかるために植えられたひまわりも、鑑賞用だけではなく、油やクッキー、ナッツなどの加工食品として製品化されている。驚いたのは、野木町の歌。なんとあの「なかにし礼」作詞「猪俣公章」作曲、歌は「森昌子」という豪華な顔ぶれでの『野木町音頭』というのがあるのだ。野木町民、かなり自慢じゃないかしらん♪今週末に行われる「ひまわりフェスティバル」。7ヘクタール、15万本のひまわりが咲きそろい、ひまわりを壁に見たてた大迷路や、キャラクターショー、花火大会などが計画されている。大人から子供まで、楽しめそうだ。お近くの方は、お出かけしてみてはいかがだろうか。団扇ももらえるよ(^0^)【向日葵や勝気な顔を空に向け】 まるまる茸この夏は、暑さに負けずすっくと立ち、美しい姿を太陽に誇るひまわりのように、私も伸びやかに頑張ろう!
2005年07月28日
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ちょっと遅い感もあるけど、『戦国自衛隊1549』を観て来た。面白かったような、そうでもなかったような...なんて、訳わかんない感想で申し訳ない。前作の『戦国自衛隊』を観ていないので、比較はできないが、ネット上での皆さんの感想を見ていると、前作の方がアクションに重点をおいていたらしく、純粋に楽しめたようだ。プラズマがどうの、磁場がどうのと、私には理解不能な実験が原因で、自衛隊の一小隊が460年前の戦国時代真っ只中に、戦車やヘリとともにタイムスリップしてしまう。この映画では一方通行ではなく、入れ替わってしまうのだ。一小隊がいた所に、戦あとの薄原が現われる。折れ曲がって倒れている幟や、矢を受けたり斬られたりした遺体がそのまま現代にやってきた。そして、傷つき瀕死の騎乗の武士が一人。この人は飯沼七兵衛といって、斉藤道三の家臣だ。彼はその後のストーリーに重要な役を与えられている。ネタバレになるのであまり言えない。さて二年後、戦国時代へと行ってしまった的場(加賀丈史)率いる小隊を助けに、ロメオ隊が結成され、人工的にタイムスリップが実行される。戦国時代に到着した彼等を待っていたのは、織田信長になりかわり、強力な軍事力を誇って時代に君臨する的場の姿だった。的場はこの戦国の世に生きることを決意し、平成のヘナチョコ日本をこの時代から建てなおすという。的場率いる織田軍と助けに来たロメオ隊との闘いが始まる。現代では、的場たちの歴史への過干渉が原因とみられる時空間「ホール」(ブラックホールみたいなもの)が徐々に成長し、現代を侵食し始めていた。歴史を守るべきか? 未来である現代を守るべきか?何だかよくわからない説明なんだけど、ほんとによくわからなかったので...(^^;)織田信長が本陣としている城に石油の精製施設があったり、いくら現代からやってきたといっても、核爆弾が用意されていたり、あまりにも荒唐無稽なことばかりで、ついていくのが大変だった。戦闘シーンや、史実や、人間関係や、それぞれの思いなどが、どれも中途半端な感が拭えない。緊張感とか迫力とかが、どっか抜けていて入りこんでいけなかった。ロメオ隊の指揮官である森3佐(生瀬勝久)、三国陸曹長(嶋大輔)、与田2尉(的場浩司)などが死んでいくシーンは、涙でぐちゃぐちゃになりそうなもんだけど、涙もろい私なのにひいてしまった(^^;) もっとひいたのは、ラストシーン。現代に戻った鹿島(江口洋介)と神埼(鈴木京香)が大勢の自衛隊員の敬礼の中を歩いていくシーンなのだが...見ていて感動よりも恥ずかしくなってきちゃった。なんだか辛口の評になってしまったけれど、今日はレディースサービスデー。千円で観られたから、ま、いっかといった感じ。現地人との接触は禁止、武器の使用は禁止。どっかの国に派遣されたどっかの国の自衛隊とおんなじだと、私の友人が言っていたけど、パロってるのかなぁ...なんて納得してしまった。前作にはファンが多いらしくて、ファンサイトがたくさんある。彼等は今度のリメイク版をどんなふうに観たのかな? 別物と思ったほうがいいみたいだね。内容もだいぶ違うみたいだし。唯一よかったのは、斉藤道三役の伊武雅刀。面白かったなぁ♪ 江口洋介も鈴木京香も、大河の「新撰組」の時の方が、ずーっと似合ってた。坂本竜馬役はピッタリだったもん。この映画は、ビデオが出たらレンタルして観てね。それで充分なんじゃなかろうか(^^)「スペクタクル・アクション・エンタテインメント」とか「15億円の製作費」とか「壮大なストーリー」とかのコピーに惑わされないようにね。次は「亡国のイージス」を観ようと思ってたんだけど、何だか気持が萎えてきた。でも、真田広之くん、かっこいいから観に行こうっと!さあ、花火が見えるからビールでもやっつけよう\(^0^)/
2005年07月27日
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【うっかりと頬ずりなんてした日にゃあ痛い目みるよ甘い誘惑】 桃(笑)子供の頃、大好きな桃をいただいて、あまりの感動に頬ずりをしてしまった。あんなに可愛らしい姿をしているのに...なんという仕打ち!しばらく顔がヒリヒリと痛かった(^^;)【君の目に映る私のいないこと心非らずと書いて悲しい】 【向日葵のような人だと言った君夏の終りに種を数える】 まるまる茸こんなん出ましたぁ~\(^O^)/
2005年07月25日
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私の愛読書『鬼平犯科帳』は、読み物としての面白さはもちろんのこと、うまそうな食べ物がたくさん登場する。季節季節に出まわる旬のものが、素材を生かした様々な料理になって出てくるのだ。江戸時代、もちろん冷蔵庫などあるわけもなく、獲れたてを即食べるのがあたり前の時代だ。新鮮なことはいうまでもなく、調理にも工夫があって、木村忠吾ではないが、「もう、たまらん」ということになる。当時は、値段も安く庶民の食べ物とされていたものが、現代では高価になって、私達が気軽に食べられなくなったものがあり、またその逆もあって面白い。四季のある日本に生まれたことを感謝したくなるような料理の数々、当時の生活の様子などもうかがうことができ、一つの料理本ができるのじゃないかと思うほどだ。私がぜひにも食べてみたいと思った「鬼平犯科帳のうまいものリスト」、少しずつだけれど、紹介していこうと思う。【軍鶏の臓物鍋(シャモのもつなべ)】 新鮮な臓物を、初夏のころから出まわる新牛蒡のササガキといっしょに、出汁で煮ながら食べる。熱いのを、ふうふういいながら汗をぬぐいぬぐい食べるのは、夏の快味であった。「うう……こいつはどうも、たまらなく、もったいない」 次郎吉、大よろこびであった。 三次郎も、やがてあがって来て、次郎吉や左馬之助から、あらためて、宗円坊終焉の様子をきいた。 鬼平犯科帳『明神の次郎吉』より なんといってもナンバーワンはこの軍鶏の臓物鍋である。鬼平犯科帳ファンにとっては特別な店である「五鉄(ごてつ)」の看板料理だ。無頼の限りをつくしていた頃の若かりし平蔵が、入り浸っていた店である。ここの主である三次郎は、料理の腕はもちろんだが、密偵として簡単な尾行などもこなす。『白い粉』をはじめ、登場の機会は格段に多い。さて、話を軍鶏鍋に戻そう。軍鶏は生まれつき闘争本能を備えているためか、引きしまった肉をもつ。配合飼料で無理矢理太らされているブロイラーとは、歯ごたえも味もまったくちがうようだ。鶏のモツは、牛や豚などとちがって、下拵えも面倒がない。割下さえつくっておけば、手軽においしいモツ鍋にありつける。 ◎基本の割下 酒1・味醂1・醤油2・出汁4この割下を自分の好みに合わせて量を調節し用意しておく。たっぷりと新牛蒡のササガキを入れ、軍鶏のモツをぶちこんで(失礼^^;)、ふうふういいながら汗だくになって食べよう。三次郎が板場から優しい目を向けてくれるだろう。【鯉料理】 弁天社・境内の「平富」の奥座敷で、相模の彦十は網虫の久六と向い合っていた。...(中略) この「平富」は川魚料理で知られている。 先ず、そぎとった鯉の皮の酢の物、同じく鯉の肋肉(あばらにく)をたたいて団子にし、これを焙ったものへとろみのついた熱い甘酢をたっぷりとかけまわした一皿など、めずらしい料理が出たものだから相模の彦十は、「へへえ...おらぁ、もう三十何年も、本所を巣にしていながら、この店の名物は耳に聞いてはいても、こんなにうめえとは知らなかった。こいつは、ぜひとも銕...」 銕つぁんに知らせなくちゃぁならねえ、といいかけた彦十、あわてて口を噤んだ。 鬼平犯科帳『むかしなじみ』より 生簀からひきあげたばかりの鯉を洗いにした、その鯉のうす紅色の、ひきしまったそぎ身が平蔵の歯へ冷たくしみわたった。「むむ...」 あまりのうまさに長谷川平蔵は、おもわず舌つづみをうち、「これは、よい」 すると、おなじ緋毛氈を敷いた腰かけにいる木村忠吾が、「まるで、極楽でございますな」 などと、妙に年よりじみたことをいうのが平蔵にはおかしかった。 鬼平犯科帳『兇剣』より 鯉の洗いは、平蔵の大好物だ。おのずと鯉料理がよく登場する。わけても、「鯉の肋肉(あばらにく)をたたいて団子にし、これを焙ったものへとろみのついた熱い甘酢をたっぷりとかけまわした一皿」は、ヨダレが出そうなほど美味しそうだ。こんな手のこんだ料理は、当時はもちろん、現代でもちょっとした料理屋さんにでも行かなければ味わえないだろう。 他にも「鯉の皮と素麺の酢の物」「雄鯉の胆の煮付け」「鯉の塩焼き」「鯉の味噌煮」などなど、そんなに調理法があるのかと思うほどに出てくる。 ことに「鯉の塩焼き」は、「五鉄」の三次郎おすすめのものだ。「あんまりのむと、こんなうめえものが腹へ入りません。ですからすこしずつ...」ととっておきの酒を出されても、こんなセリフが出てくるくらいうまいらしい。【鰻のかば焼き】 尾行をしながら辰蔵は、鰻屋「喜田川」のことをおもい浮かべていた...(中略) 辰蔵が子供のころは、鰻なぞ丸焼きにしたやつへ山椒味噌をぬったり豆油をつけたりして食べさせたもので、江戸市中でも、ごく下等な食物とされていたものだ。とても市中の目ぬきの場所に店をかまえて商売ができる代物ではなかったのである。 それが近年、鰻を丸のままでなく、背開きにして食べよいように切ったのへ串を打ち、これを蒸銅壺(むしどうこ)にならべて蒸し、あぶらをぬいてやわらかくしたのを今度はタレをつけて焼きあげるという、手のこんだ料理になった。これをよい器へもって小ぎれいに食べさせる。「鰻というものが、こんなにおいしいものとは知らなかった...」 いったん口にすると、後をひいてたまらなくなる。客がたちまち増え、したがって鰻屋の格もあがり、江戸市中にたちまち、鰻屋が増えたのだ。 鬼平犯科帳『泥鰌の和助始末』より 思わず引用が長くなってしまったが、鬼平の時代に鰻の食べ方に変化が出てきた様子がわかる一節だ。現在の鰻の食し方の原型が、ここにできあがったようだ。丸焼きにしていた頃にも、山椒が使われていたのが面白い。よほど、鰻と山椒は相性がいいらしい。 辰蔵は、平蔵の長男である。何とか小遣いをせびっては、悪友と岡場所に遊びにでかけるような青年だが、最近では剣術にも力を入れているようだ。時には、平蔵のお役目を手伝うこともあるが、今一つ頼りがない。母の久栄にしてみれば、唯一の心配の種だ。 鰻の話だった。丸焼きにして食べていた頃には、今のような高級感はまったくなかった鰻。今では、家庭でさばいて食べることはほとんどない。年中食べられるほど安価でもない。今年も土用の丑の日が近づいている。誰も彼もが鰻、鰻と騒ぐこの日、せいぜい精をつけさせてもらおう。 参考:『池波正太郎 鬼平料理帳』 佐藤隆介編 文春文庫
2005年07月17日
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8時10分。「時間だよー!」の声に、一斉に階下の調理場へと降りていく。長靴に履き替え、消毒槽を通り、丹念に手を洗ってアルコールを吹きつけ、それぞれの持ち場へと散る。ラジオ体操が始まるまでの15分間に、その日に使うあらゆる道具を揃え、消毒したり数えたりと準備をする。献立を再確認し、材料や量を改めて頭に入れる。25分、全員揃ってラジオ体操。朝礼で場長の話、栄養士さんの話があり、いよいよ戦闘開始だ。四つの班(下処理・調理・盛付・洗浄)に分れ、自分の担当の仕事をこなしていく。約4000食もの給食を作るため、段取りがすべてと言ってもいいくらい、下準備は重要だ。前日の午後の仕事の前に、翌日の献立に関するミーティングがあり、栄養士と調理員とで、綿密な打合せをする。基本的には、小学校3校分と中学校3校分をそれぞれ3回ずつに分けて調理をする。そのため、材料の野菜・食品や調味料も1回分ごとに量って分けていく。牛乳と豆腐の納品 たとえば、キャベツが納品されると、量って分ける人、外葉を剥いて芯を取り半分に切る人、水にはなしたキャベツを一枚ずつ剥がして洗う人と分れ、作業がスムーズに運んでいく。玉葱は、やはり1回分ずつ皮むき機で洗い、芯と頭を落し皮を剥き、水にはなして一つずつ洗っていく。この時点で、傷んでいるところを取り除き、虫がいないか異物が入っていないかを確認をする。この作業は、手の空いている人すべてで行われる。野菜の洗浄野菜のカット その後、調理場へと運ばれた野菜は、もう一度丁寧に洗われて、大きなカッターで次々と刻まれていく。この間に、調味料担当の人は、調味料を量り、釜の前に用意しておく。2回分の野菜が準備されたところで、調理担当が熱くしておいた釜で調理にかかる。野菜をボイルアジフライを揚げる揚がってきたフライの中心温度を計るこの後は、野菜の洗浄・食材の下処理が同時進行で行われ、用意ができたところから次から次へと調理され、出来あがったそばから盛付担当が食缶やバットへと配缶していく。釜が空になると即、洗い、また同じことを繰り返す。釜は7つあるが、献立によっては味噌やルウなどを溶くためのお湯をわかしておくために一つ、和え物の場合には、茹でものがあるので、そのために一つか二つ使用する。揚げ物がある時には、フライヤー近くの釜は危険防止の意味もあって使えない。実際炒め物や煮物などを作るには三つか四つの釜しか使えないため、空いたそばから洗って調理を繰り返していくのだ。釜での調理アク取り味噌を溶いている出来あがった料理を釜から食缶へ配缶された食缶やバットは、コンテナに詰められ、すべての料理が納められると、学校ごとに配送車に乗せ、それぞれの学校へと給食センターを出発していく。コンテナに食缶を納める配送車にコンテナを積み込む。さあ、出発! 11時頃までには、すべての学校へと給食が運ばれていくが、休む間もなく、昼までの1時間は後始末に追われる。揚げ物があった日には、フライヤーの油(一斗缶12,3本分)をすべて落し、フライヤーを洗剤で洗い、水分を拭きとって乾かし、濾過した油をもとに戻す。焼き物の場合はオーブンを使用するので、やはりオーブンそのものや鉄板を洗う。フライヤーにしてもオーブンにしても、大型なので、後始末だけでも一仕事だ。釜もきれいに洗い、回転させて蒸気を入れ乾かしておく。使用した幾十ものザルやボール、ヘラや網などを洗うのも、短い時間では終らない。やはり手の空いた人から手伝いにいき、なんとか12時までに終らせるのだ。最後に、ホースで床全体に水をまいてきれいにし、やっと午前中の仕事が終了する。仕事の合間に添加物を数える調理場の様子が、少しは伝わっただろうか。何の仕事でも大変だろうが、時間に追われ、大量の調理をするこの仕事は、肉体的にも精神的にも消耗が激しい。特に、今の季節は体力を奪われ、昼休みには上から下まで着替えをして、みんな横になっている。ゆっくり休める大切な唯一の時間だ。午後は、戻って来た食器や食缶、バットなどを洗浄する。なんだか、ここまで書いただけで疲れてきたので、そちらの様子はまたの機会にしよう(^^;)給食が出来あがった<この日の献立>たけのこご飯・牛乳・アジフライ・切り干し大根のサラダ・なめこ汁
2005年07月09日
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以前、紹介した蕾だったハスが、大きく開いた。全体的には、まだまだ三分咲きくらい。散歩の方が足を止めたり、本格的なカメラマンがたくさん訪れて、シャッターを切っていた。花の見事さに上ばかりを眺めていたら、目の端に何か赤いものがチラッと横切った。よーく見てみたら、ハスの池の中に、鯉が...気をつけてみていると、けっこういるんだなぁ。本日は、写真のみで失礼。あまりにドアップで撮りすぎて、仏様か観音様か、恥ずかしいのか姿を変えてアリになってしまったよ。
2005年07月03日
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【雨の糸 大気紡ぎて 梅雨に入る】【約束を 違えし傷み 四葩かな】まるまる茸暑いというよりも、蒸している。梅雨だからしかたがないと、すっかり覚悟を決めるほど降るでもなし、気持ちよく晴れるでもなし、ただただ湿った空気ばかりが体にまとわりつく。どんなに悪態をついてみても始まらないのだが、季節は季節なりの気候であってほしいものだ。大雨に見舞われ土砂災害などがあいついでいる所があると思えば、降るべき雨がまったく降らずに空梅雨の様相を見せている所もあるらしい。茨城でも、梅雨らしい雨はなかなか降ってこない。降りそうで降らない。この季節に可憐な花びらを密集させて、色鮮やかに咲く紫陽花も、いつもの誇らしげな表情は影をひそめ、なんとなく元気がない。降り続く雨をスポットライトのように浴びて咲く紫陽花。なんだか主役をのがしてしまった女優さんのようだ。それでもせいいっぱいに色を移し、七変化のまたの名をそのままに、健気にも美しい姿を見せてくれていた。埼玉県幸手市・権現堂の紫陽花。この権現堂は、川に沿った堤・約6kmに渡って、大正時代に植えられた3000本余りのソメイヨシノが、春には見事な風景を見せる。菜の花と桜が一時に見られる場所として、全国でも有名なのだそうだ。満開の時期にはたくさんの人出でにぎわい、週末には国道が渋滞するほど。そんなにぎやかな春が過ぎると、まさに祭りのあと、あまりに淋しいということで、平成8年頃から紫陽花が植栽された。最近では5000株以上の紫陽花が、新緑に染まる桜の木の下で、鮮やかな姿を誇っている。まだまだ小さな株も多く、一部ではまばらな感じはぬぐえないが、紫陽花が咲き揃っている間を散策するのはなかなか風情がある。お休み処では、縁台で冷たい飲物をいただいたり、わらび餅やくずきりなども食べられる。売店の前に、ここに植えられている60種以上の紫陽花が、鉢植えに展示してある。紫陽花は数え切れないほど、種類が豊富だ。「十二単」「墨田の花火」など日本らしい名前が多いのもなんとなく紫陽花らしい気がする。墨田の花火キヨスミサワウズアジサイ(別名おかめ)未来名は知らない。薄緑色の紫陽花「あじさい」の名の由来は様々あるらしいが、「あづさい」からきているという説がある。「あづ」は「集まる」という意味。「さい」は「真の藍(さのあい)」。つまり、藍色の花びらが集まった花ということ。土壌の性質によって花の色が変わるという紫陽花だが、白から水色、青、紫、赤と色が移っていくのだから、一概に土の性質ばかりとは言えないかもしれない。花言葉は「移り気」「移ろい」。あまり名誉な言葉ではないけれど、「辛抱強い愛」「耐える愛」なんていうのもあるから、辛抱しぬいて耐えに耐えたあとにきっぱりと気を移すということなのだろう。と、思っておこう^^;。俳句の二句目。若かりし頃、結婚を考えていた恋人がいたにもかかわらず、新たな恋に身を投じてしまった我が身を思い返してしまった。「移り気」という花言葉に、思わず傷みとともにその当時を思い出し、詠んだ一句。当時は傷みなどほとんど感じずに、心の趣くまま、本能の趣くままに突っ走っていただけの若さという残酷な時代だった。二十年以上過ぎた今になって、そんな想い出に傷みを伴なうのも、まだまだ生身の心を抱えているということか。人の傷みを思いやる余裕もなかった自分への懺悔、あるいは悔恨...なんにしても、そんな理屈で整理できない時代を経たからこその今があるのだろう。紫陽花を見つめながら、自分勝手に輝いていた頃を、傷みとともに懐かしく思い出したのだった。花に見えるのは実は「ガク」 真ん中の地味な小さいつぶが花
2005年06月29日
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