4月23日(火) 牛肉のしぐれ煮弁当
■ 牛肉のしぐれ煮
■ 茄子と蓮根の揚げ浸し
■ きゅうりの梅和え
■ 豚肉と白菜の重ね蒸し
今朝、拓哉は自転車で学校へ行く予定でした。
(通学はJRなのですが、学校にその自転車を置きチャリにして、学校と競技場間で利用しようと思ってます。)
でも、遅刻せずに行くためには遅くとも家を5時50分には出なきゃいけないのに、5分ほど足りず
しかも55分の電車にも間に合わず、今朝も送っていくはめに・・・。
お~い、ちゃんと起きろよ~~~!
朝起きは何をするにしても、基本だよ~~~~。
19日に、札幌の友達のお母さんが亡くなりました。80歳でした。
一人暮らしのお母さんを、朝、デイケアの方が訪ねてきたときには、もうこと切れていたそうです。
15年くらい前までは彼が札幌から帰ってくると、上の娘をつれて遊びによらせてもらってました。
一人息子が北海道に早々に家庭を持ってしまい、寂しがってるお母さんは、
「この子がいなくても遊びに来てくれていいのよ~」って、うちの娘を可愛がってくださってました。
お料理上手で、朗らかで、おおらかで、友達もたくさんいらっしゃって。
でも、10年以上前に彼のお父さんであるご主人を亡くされてからは、人が変わったようにふさぎ込み、入退院を繰り返されてました。
彼は、「母さんは、父さんが趣味だったから、何をしても何を見てもつまらないらしい。まるで生きながら死んでるよ。」と言ってました。
あの社交的なお母さんが・・・。
彼は、遠くに永住してしまった罪滅ぼしか、年に4,5回帰ってきていた孝行息子です。
季節の変わり目には帰ってきて次の季節の準備をし、時間があればレンタカーを借りて温泉に連れて行き、
頼りにする親戚へのあいさつも必ず忘れず、母を頼みますと頭を下げ。
いつも同級生に見せているちゃら~い軟派男とは全然違う、男でした。
でも、いつも辛かったんだよね。弱っていくお母さんを見るの。
早くお父さんのもとにいかせてあげたいって、時々ぽつっと言ってたよね。
ようやくお父さんのもとへ旅立ったんですね。確かこの夏お父さんの13回忌だったと思います。
「私がお母さんなら、いい息子を持てて幸せだったと言うよ、絶対」
と、葬儀の後お見送りしてくれた彼に涙声で言うと、
「あはは、そりゃ~、俺はいつだっていい男だからなあ。○○にもいい友達だろ」
と、いつもの調子で答えるのでした。
これからも、ちょくちょく帰ってくるから、また飲もうな・・・って約束をして帰りました。
でも、ちょくちょく・・・って言っても、こっちに誰もいなくなったらやっぱり足は遠のくのかな~、
なんて、ちょっと寂しく思ったのでした。