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輝き煌めくカオス
おもてなしの心
「あっ、狸」ライトの明かりに照らされて、悠々と道を横切るのは、まさしく狸、ここは薩摩半島の中央、知覧の在の山道のことである。私は、友人の御子息が鹿児島から花嫁をむかえるので、我が店でお買い上げいただいた婚約のリンクと結納を持参されるのに同行して、友人の兄上の家に参上した。
あらかじめ連絡はしてあったのだが、飛行機の遅れで到着したのは午後の十一時頃である。初対面の挨拶をした座敷には、御馳走が並んで、待ちきれない兄上は名物の芋焼酎の盃を、チビリチビリと傾けていた。食卓には近くの海でとれた魚貝類の料理や、山でつんできたという山菜料理が、所せましとのっていた。
中でも見事だったのは、きびなごという小さな魚の刺身である。竹であんだ丸い形の皿に菊の花のように盛り付けされ、酢味噌をつけて食べるのだ。これがすこぶる美味い。聞いてみると身を開いて、小骨を一つ一つとり大変に手間がかかるという。つける酢味噌も自家製の味噌に秘伝の薬味を入れて、遠来の客のために時間をかけて作ったというのだ。その隣の豆腐は落花生豆腐といい落花生をつぶして長時間練って作るという。当家の奥方の得意の料理の一つだそうだ。私は自分の分を平らげて人の皿まで手を延ばした。
裏山からとってきた竹の子の煮しめ、浅蜊の吸い物、白浪という銘の焼酎、私は空腹だったせいもあるが、よく食べよく飲んだ。そして、鹿児島弁の説明を聞きながら気持良く酔って、西郷南洲の詩を吟じたことは覚えている。
痛いほど糊のきいた寝巻とシーツが心地よく、そばがらの枕が、よそでは眠れない私を熟睡させた。目が覚めたのは朝である。天井の高い、太い犬槙の床柱の座敷に藍の匂う襖に囲まれていた。
私は帰途、鹿児島市のホテルに泊まって市中見物をした。そして薩摩料理専門の有名な店の『しる庵』外二,三の店を食べ歩いてみた。使っている器は、どこの店も焼き物の宝庫、鹿児島だけあって良いものであったし、盛り付けも美しかった。だが、味は私には友人の兄上の家のほうがずっとおいしかった。遠来の客をもてなそうという心のこもった料理と、営利の料理の違いであったのであろうか。
鹿児島から帰ってのち、私の謡う謡曲「鉢の木」は、以前に比べて我ながら味わいが深くなったような気がするのである。 S55・5・10記
高間画伯
今、私の手元に”彩色の画家”として知られ、横浜の海をかぎりなく愛した。高間惣七画伯に関する、B四版大のスクラップブックが二冊有る。これは、親しくお付き合いをさせて戴いている画伯の未亡人がお持ちになったもので、昭和三十年ごろからの新聞や美術誌などに載っている画伯の随筆、展覧会の評、自筆の素描が、いっぱい納まっている。絵にはとんと無趣味な私の所に、このような貴重な資料があるのを不思議に思う人も多いのではなかろうか・・・。
二十年ほど前、金沢区に宝飾店を開いた私は、高価な宝石商品を揃える資金がなかったので、店内の賑あわせに当時作られ始めたばかりの、貴石画の額を壁面いっぱいに並べた。電気炉で焼いて着色された、めのうや水晶などの半貴石をふんだんに使った絵の図柄は、風景や花鳥が多く、固い石を用いたにもかかわらず、鳥の羽の感じも上手に出来ていた。値段以上に豪華に見えたせいか、宝石画という名前がよかったのか、開店や新築の格好な贈り物としてよく売れたものである。
ある日、小柄で上品な老紳士が来店、インコの額を熱心にご覧になっていた。そして私の説明に、
「固い石が、こんな美しい色に染められるとは」
と、おおいに感心され、
「高間です。家には、このような鳥が沢山いますから、見にいらっしゃい」
と言われて帰られた。
私は、お聞きした住所が近かったので、宝石画の材料の”ジェムストン”を、一握りお土産に訪問した。
住居は、海に面した所に建てられた純白の洋館であった。広いお庭には大きな温室があり、中には何種類もの洋蘭が咲き誇り、熱帯の美しい鳥が数多く飼われていた。そして通された応接間内部は総て白く、朱色のテーブルとのコントラストが鮮やかであった。
知らないというのは仕方のないものである。私は隣接のアトリエを見て、当主が絵を描かれている人であることを初めて知った。
今度は、画伯が、洋蘭、鳥、そして絵について親切に説明された。このときお会いしたお嬢様は、やはり絵を描かれている方で、世の中にこんな美しい人がいるのかしらと、呆然と見とれてしまった。芸術味あふれる画伯の絵より、私はお嬢様の美貌に魂を奪われてしまった。
私の義兄に、夫人服装店を営む日曜画家がいる。戦前北米のバンクーバで育ったせいか、日本育ちの私とは色彩感覚が少し違う。婦人服のデザイン画で文部大臣賞を貰い、ユトリロ張りの柔らかい色彩のパステル画を描く。個展を開くと出品作の大半に赤札が付くという人で、馬車道のユーリンファポリの画材売場には、請われて新作をいつも展示している。
この義兄に、私は高間さんのお宅に伺った話をした。彼は画伯の絵に心酔している大ファンだった。昭和の初期、帝展に出品されている画伯の絵に見せられて以来、東京の日動画廊に展示されている七・八十号の鳥の絵を見に、横浜から日参したそうである。義兄は更に続けて、画伯の日本画壇における業績をえんえんと語った。しかし、絵に興味のない私は、軽く聞きながしてしまった。
その後、画伯は私の店においでになると、インコの宝石画などに硝子の上から、ジェムストンを置かれることがあった。すると数個のジェムストンの配列によって絵が一段とよくなるのだ。それは素人の私にもよく分かった。私は石が動かないうち、大至急カラー写真をとると同じように石を入れ替えた。その作業を見ていたお客が、
「高間先生の鳥の絵は、とても高くて買えないが、この宝石画は間接的にでも先生が手を下されたものだから、家宝にしたい、是非ゆずって」
と、渋る私を説得すると、持っていってしまった。
又、もう一人のお客は、洋蘭に夢中になっている方で、自宅の温室で咲いた、デンドロビュームとかシンビジュームの美しい花を、店内の飾りにとよく持ってきて下さったが、
「私の友人は、高間先生に洋蘭の絵を描いてもらいたくて百万円お預けしたけど、一年たってもまだ描いてもらえないのよ。私もお願いしたいけど順番がとれないの」
と話された。私は改めて高間画伯の絵に人気があり、大勢の人が求めていることを知った。
それから、二、三年、私は商店会の宣伝部の役員などやらされて多忙をきわめ、画伯のお宅にも足が遠のいてしまった。お正月の売り出しが終わって、ほっと一息ついた昭和四十九年の或る朝、私は新聞で画伯の訃報を知った。十号ほどの、二羽の鳥の絵を描きあげ、訪ねてきた友人と好きな謡曲を謡い、そのまま絶命されたという記事で享年八十四歳とあった。私は残念だった。画伯にはもっと長生きをしていただいて、お話をうかがいたかったし、同じ観世流をやっていたのだから、謡いもご一緒に謡わせてほしかった。
画伯が亡くなられて四年の歳月が過ぎた。命日の一月二十六日をはさんで、友人、弟子、ご遺族たちが横浜市民ギャラリーで遺作展「高間惣七を偲ぶ会」を開くほか、画業を紹介する画集を出版する、と各新聞が書きたてた。どの新聞も頁を大きくさいて取り上げていた。「色を愛し、色と共に生きる華麗八十年」横浜の海を愛し、美しい色彩で海と鳥と花を描き続けたカラーリスト・・・高間さん」「名誉を求めず描き続けた六十年」「新春の横浜に”色彩の饗宴”を見せてくれるだろう。」等々であった。
『高間さんは、明治二十二年東京、京橋の江戸時代から続いた回漕問屋「丸惣」の長男として生まれ、家業は弟に譲り、東京美術学校(現東京芸大)へ入学した。在学中から文展、大正博等に、入選、入賞をはたし、卒業後の十二回文展では「夏草」が特選となった。文展は翌年、帝展と名を変えたが、以来五回連続特選の栄誉に輝いたのは、画家多しといえども画伯だけの記録となっている。大正十三年から昭和二十九年まで、帝展、日展の審査員を勤めた。昭和三十年、すでに日本洋画界の重鎮的な存在であった六十六歳の画伯は「今後は、のびのびと自由な絵を描きたい」と審査員を返上、在野美術団体である独立美術展に一介の画家として平出品した作品は、活躍している二・三十代の抽象画家に伍してまさるとも劣らぬ若さと実力のほどをしめし、画壇をあっと言わせた』
私が購入した「高間惣七画集」には、以上のような説明文ものっていた。六十年におよび描きあげた各年代の代表作品が百三十六点、納められた画集は、一ページ、一ページ美しく楽しい本であった、毎日、画集を眺めている私を見てお客の一人が、高間画伯の描かれた”小柴漁村”の水彩画を持ってきてくれた。昭和二十二年の鄙びた漁港の絵は、画集の中に綴じられ私の宝のひとつになった。
画集を見る楽しさを知った。それと同時に、生粋の江戸っ子である画伯の洒落な生き方も知った。過去に得た名声の上に胡坐をかくようなことを嫌い、いつも新しい事に挑戦して前に進む。私はその生き方に共鳴すると共に、画伯の絵に魅せられていった。その後、念願かなって画集に載っている”赤いインコ”の絵を入手した。この絵は画伯の作品でも珍しく青を基調としたものであった。今年、大手の建設会社が高間画伯の絵のカレンダーを作った。嬉しいことに私の持っている絵も選ばれて使われた。
昭和十年ごろ、能の仲間と能見堂を訪れて、金沢の海の美しさに魅了され、そのまま住みついたお住居は、飛島田市政の埋立て事業で、水平線どころか一つの波さえ見えなくなってしまった。地元民にくどかれて八十歳をこした画伯が「金沢の自然と文化を守る会」代表で”埋め立て反対”と市長にかけあったことは、今でも区民の話題にのぼる。
S62・8・5記
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