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小学校についての日記を書きながら、デンマークの映画『アダムズ・アップル』を観ました。録画してある映画は観たらさっさと消すようにしているのだけれど、消せなかった。もう一度しっかり観てから消そうと思います。善と悪の概念って何なんだろうね?と考えてしまう映画でした。少なくとも、ただ相反するものじゃないんだな。そんな単純な話じゃないんだよ。めっちゃ私好み。開始早々、バスから降り立ったスキンヘッドにネオ・ナチ印イレズミの「いかにも悪そうな男」降りたバスの車体を隠し持った折りたたみナイフで傷付ける。やっぱ悪かったな。PG12だから、子どもに見せるときは気を付けて、と。真似されたら困るよね(^_^)そして、彼を迎える教会の牧師、刑務所帰りの人を受け入れる施設なのかな?と、じゃあ、この人は「良い人」だよね、と観ていると、何だか変だな。熟し始めたりんごの樹に群がる烏に激怒して、とにかく追い払いたい。加減を知らずに、やたら銃を撃ちまくるパキスタン人もともに暮らしていて、バタバタとカラスが撃ち落とされていく。生きものの命はどうなってる?いいのか、牧師!この人いい人じゃないんか?牧師に会いにきたお客に、お茶を出すように言われたイレズミ男、クッキーを牧師とお客それぞれに出すけれど、牧師は数がおかしいとこだわる。牧師に2枚、お客に3枚、でもお客のは小さいから、と多くした理由を(イレズミ男がていねいに!w)説明するけれど、それって、悪いひとがする気遣いなの?追記:訂正 ごめんなさい!枚数が逆だった。見直してよかった。自分のほうが少ないってこだわるのは、牧師のすることなの?違うね、3枚と2枚なことにこだわってる。それよりも、礼拝にきたその女性が泣きながら、おなかの子どもに障害があるかもしれないと心配しているのに、モリモリ、クッキーを自分だけ食べて、そんな数字に振り回されるなと説経しているのがおかしいんだな。このあたりから(ごく序盤)なんだか変だな?と感じさせる。お話が進むにつれて、この牧師が、とんでもなく不幸な目にあいつづけていることがわかる。それを乗り越えるために彼は、自分が悪魔に試されているのだと思い込むようになる。同時に神への信仰を深める。映画のあらすじを全部書く趣味はないので、もうやめます。気になった方は観てくださいね、覚悟してね(^_^)それで、その牧師さんが度を越したポジティブで、もはや、変人を超えて狂人。私もポジティブではあるので、「さいわい障害者になったので」とか言ってるくらいの。ちょっと背筋がゾワゾワする。でも、それを他人に押し付けはしないですよ。障害をかかえる人に向かって、しあわせね?なんて言わないし、本人にも家族にも大変ですよねって思うし、ただ私自身に関しては、昔から「その立場にならないと絶対に、わからないことがある」というのが口ぐせで、心底そう思ってる。だから、私のようなおしゃべりは、いろんな目にあってそんなの想像もしないような他の人に伝える事ができるんじゃないかと思ってるわけです。勝手に代弁するよ(^_^)話はいきなり飛ぶけど、もうずっと考えていることに、学校に通うことに意味はあるのか、っていうのがあって、うちの子たちにも小学生のとき「学校には、通わなくちゃいけないの?ほんとに行くの?毎日〜?w」と聞いてみたこともある。子どもの不登校に悩んでいる保護者には、あんたバカなの!?って怒られそうだけど。通う意味ってみんなわかっているの?各自で考えるのかな、そうなんだな、きっと。どこかで教わった?映画「小学校 〜それは小さな社会〜」のなかに、現場の先生方の先生みたいな男性が出てきてどこかの教授?学者かな?教育委員会のえらい人? 日本の学校教育は、かつて軍国主義を推し進めてしまったと。連帯責任の考え方が広まったのは、そのせいだと。そのお話の後に、児童たちが教室の窓から校庭を見下ろして「あ、あそこ、マスクしてない」などとコソコソ指摘しあっている。同調圧力が強いのも、連帯責任と関連している?と考えました。それは、日本の学校のよくない特徴だよね。そして、そうやって育った私たちは、できない人に、同じようにできることを強いるし、苦しい世の中にしてしまっているといえる。じゃあ、それを自覚して、良いほうに良いほうに変えていけばいいじゃん、と思ったけど、全てのひとにとって「良い」って何かしらね。最初に戻る ⇧1年生のころには、ジョバンニとカムパネルラみたいにきらきらして、ほんとうのさいわいを探しに行けそうだったのに(宮沢賢治「銀河鉄道の夜」またはドラマ「銀河の一票」参照)学年を重ねるたび、どんどんスレて「ちゃんと」できなくなっちゃうのはなぜかしら。学校の先生方がちゃんと教えてくれているなら、家庭のせいなの?私は、正しくあろうとして苦しい思いをしてはいなくて、逆に、正しくあることは、私にとって、自分を楽にすることだ。みんな、そうなんじゃないのかなあ。楽でいたいから、バカ正直だし、率直だし、正義の味方だ。ずるいことは、それはずるいことだね?と確認して、同乗することもある。できるだけ、したくはない。まあ、要するに、映画の感想に書き落としたことがあることに気付いて、慌てて書いているわけです。書き落としたのに終わりって書いちゃったからさあ。それでは、つづけて、学校に通う意味を考えてみたいと思いますちょっと待って、どこかの学校で、宿題を終えてない児童たちに机ごと後ろを向かせて授業に参加させなかったって騒ぎになってたね。どうしたのかな?
2026年05月15日
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学校に通う意味を考えています。うちの子らに聞いたときには、あまりマジメに考えてくれなかった気がします。うん、つまり、学校に通う意味なんて考えるのは、学校に行きたくないなあと思ったことのある人なんじゃない?物をなくすことの多かった小さい私は学校なんて行きたくない!と思いましたよ。でも家にいて母に怒られるのもいやだったなあ。うちの3兄弟は「行かなきゃヒマじゃん」くらいの感じでしたし、母はこんな感じで何が何でも行きなさいとは言わないだろうから、幼いながらも、自分で自分を律していたのでしょうね。わかりませ〜ん、本人たちに聞かないと。たぶん「学校には行くものだ」と思っていたのかと。あ、思い出した。「学校に行くのは子どもの仕事」と言った覚えがあるな!だから、毎日学校に行って、問題なく過ごして帰ってこれたら、彼らはしっかり仕事をこなしているのと同じなので、家では好きに遊んでいていい!と言いました。遊ぶといっても、その遊びが彼らの学力を結果的に伸ばすことになるであろうものを吟味していましたよ?本とかマンガとかアニメとかゲームとか?w サブカル愛好者予備軍だよね。昔の日記、残しておけばよかったね。ほんとに大丈夫かよ?wって感じだったし。結果的に大丈夫だったんじゃない?学力だけでいったら、全員国立大学卒業レベルまで行ってるし(^_^)、大学は入って終わりじゃないんですよ。入学許可をもらったという名前だけゲットして、箔をつけたつもりでいないでね。そういう大学入試レースみたいなのも学校教育を意味のないものにしていると感じますね。学力をあげるだけなら、塾に行けば?学校で暴れてないで。(暴れて他の子に迷惑をかけて、あげく、学校の授業が低レベルでつまらないから、とか文句言わないでよ)そこの理解をしっかり共有できないと、みんなにとってよい学校なんて存在し得ないよ。だから、それぞれのニーズを羅列してから考えたら?学校に対するニーズ、ね。教員の仕事内容はそれによって変わってきますよね。外国からきた人たちの子どもも増えてるんでしょう?先入観で外国人には日本文化を理解習得できない、と決めつけるのはイヤなんだ、もちろん。みんな一緒だと思ってるけどお?で、こんなことは、専門の人たちがしっかり考えてくれていると思うのでやめるけど(私もクマと同じように、専門家を信頼している。専門家って、それでご飯食べてる人ね)ひとつだけずっと気になっていることがあるので書いておきます。以前から、学校教育に文句を言う人の主張に「同級生なんて、たまたま同じ地区で同じ年に産まれただけで、仲良くなんてなれるはずないだろw」っていうのがあるんですけど、学校で仲良くするって、「親密になる」ってことじゃないですよ?私だってゴメンだわwそんなヘリクツ言う人とわざわざ友だちになりたい!なんて思わないもの。この場合の「仲良く」はもめごとを起こさずに、おだやかになごやかにすごすってことですよ。ただうまくやるってことじゃん?もちろん、学校時代に、運良くものすごく気の合う人にめぐりあって友だちになれることはいいことかもしれないけど、それは、あたりまえのことじゃない。そんな幸運を期待して、みんなそういうもんだと思い込んで学校に通われるのも、通わされるのもメンドーな話ですよねえ。だから、先生や、他の人に迷惑をかけずに、自分の好きなことをしていたらいいですよ?それ以上は求めませんよ。現在の学校がそんなこと(親密になること)をフツーに求めているなら、私も不登校を選ぶわ(〜ならより前をちゃんと読んでね?)うちのワンが3年生のとき、自由帳に描いていた細かい迷路に先生が驚いて、それを印刷して子どもたちに配っていいかと聞かれたことがありました。その時期、ワンは休み時間に、おとなしーく迷路を描いていたんですね。何も問題ないです。楽しいからしていただけ。褒められて嬉しそうだった。彼の仕事は、学校に行って、先生の指示に従って勉強をして、休み時間は遊んで、給食を残さずおいしくいただいて、掃除して、周囲と「仲良く」モメずに過ごして無事に帰ってくることだけ、だった。簡単なことだと思うんだよ。それが大変だと言うなら、自分で大変を増やしてるだけだよ?増やさないであげてね、大人は。こんなものですかね。「みんな仲良く」ができることを求められるのは、日本人が、日本という災害の多い場所に暮らしているからだと考えています。ねえ、何か災害が起こるたびに、巣穴を破壊されたアリのように、じっと耐えて、ふたたび立ち上がって作り直す能力と習慣を持っている日本の人々を誇りに思うわ(^_^)だから、学校で身に着けるべきは、学力よりむしろ(もちろん学力だって必要だけどね?)「みんな仲良く」の習慣なのではないかと考えます。また、あたりまえのことしか、言ってないか?でもなあ、聞く限り、「みんな仲良く」より「私の満足」を優先する人が増えているように感じますね。そしてその「満足」は決して満たされることはないんだな。キリがない。藤井風さんの「特にない」や「満ちてゆく」が効くのではないですかね。最近は風さんの英語の曲がクローズアップされることが多いけれど(私は嬉しいけども)日本語の曲もたくさんの人の耳に入る機会があるといいですね。この辺の曲は、若い人だけでなく、年配の人たちにも共感されていますね。もっともっとたくさんの人たちに、聴いて欲しいなあ。YouTubeの貼り方がわからない。←残念。
2026年05月16日
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長々語りますが、私はどうも子供の頃から習慣としてスーパーポジティブなので文句があるなら、原因をなくせばいいとしか思っていなくて、女の人的に「ただ聞いてもらいたいだけ」と愚痴をこぼすことはないんです。何か言ってるときはもう解決策を考えている。男の人は「解決しようとして愚痴を聞いてくれない」って不満を聞くけど。私は聞きながらも解決策を考えている。それは、小さい頃から母の愚痴を延々聞いてきた経験によるもので、何が役に立つかわからないものです。母の「なんか、イヤ」を「そうなんだねー」と黙って聞きたくはなくて、その「なんか」をどうにかすれば、母も少し気が楽になるんじゃない?といつも思っていました。だから聞き役はもう相当長い間務めてきました。誰に対しても「そんなこと言うもんじゃない」と遮らないしあまりにも言葉が悪いときはツッコミますけどうんうん、と聞いて、質問があれば質問して、解決策を一緒に考えます。で、私はアホほどポジティブなのでたいがい前向きな助言をして終了。まずは理解することを努力したいですね。少し前に書いたけど、この人わかってないな、と思っても、「相手に分からせる」ことに全力をつくしちゃいけない。「自分が、分かる」ことを頑張ろう!うちの子、何考えてるか分からないわ~じゃなくて、分かろうとしてないんですよ。相手に分からせようとしないであげて。「分かってんだよ!」って言われませんか?分かってるんですよ、そう言ってるじゃん。そこで「分かってない!」って返したら喧嘩になりますよ。ね?喧嘩に体力使うのイヤだわー(弱い)こーいうのを言葉を尽くさずとも軽やかに伝えられるのが風さんのすごいところだと思っていて、ほんと音楽の力って偉大よね。あとね「どうせなんとかなります」って自称日本語の上手な人には思いつかない表現だよね。うちの旦那ちゃん、なんならスーパーネガティブなんで「どうせ」って言ったらかならず「うまくいかない」「どうにもならない」が続くって言いますよ。それが、常識ってものかもね。たぶん、日本語の先生に聞いたら、フツーそんな使い方はしないって言われますよね。でも、私は、いいと思います、もちろん。固定観念はとりあえずぶっこわしていこう(どんだけパンクやねん)いや藤井風はR&Bでしょ。今度はそっち路線でお願いします。日産スタジアムライブの配信が延長になったので、大喜びで観ています。 今朝の朝ドラ、生意気な口をきく子供はさっさと家を出る(出す)のがいいと思います。自分で生活する大変さを知らないと有り難みがわからない、と、登校前に朝から母に八つ当たりしてひっぱたかれる高校生の妹を見て思いました。それももう、遠い昔、妹は20代半ばには、家を出て自立し数年前に結婚して、新しい家庭の主婦になりました。ひとり暮らしのころから、しっかり者です。子供を手元において、保護してあげているつもりの大人は子供を認めていないだけ、認めてあげられるように教え込み、育てたい。育てて、羽ばたかせよう、それが親の務め。いつまでも子供に依存していてはいけない。かわいいけどね。それはわかる。心配しすぎなくていいよ~
2024年08月29日
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