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こんばんは、鎌田です明後日、向原中学校の1学期中間テストが行われるのですが、先週行われた上藤沢中、藤沢中の子たちの手元にはすでにテスト結果が返却されておりまして、出てますよ~、各学年とも100点満点!!450点オーバー!!前回比100点以上アップ!!! さて、そんな彼らがテスト勉強していたときのこと。1人の1年生が僕に質問してきた。「先生、 Oh, you are Mike. って、どういう意味?」 オゥ!ゆーあー まいく!!?なんじゃそりゃ?? ・・・いや、もちろん日本語訳がわからないんじゃなくてね^^; 「ああ!あなたはマイク!!!」 なんじゃこりゃ?いったい、どういうシチュエーションのハナシだ?っていうか、その英文、キミが考えたの?え?教科書の文?? ご存じかと思いますが、今年度から中学校の教科書が変わりました。脱・ゆとりを図り、各教科とも、勉強すべき内容が従来よりかなーり多くなっています。で、新しい英語の教科書が↓ これ。なんだか、ヘンな寸法なんですけど、まあそれはいいや。英語の教科書の文章というと、日本人の男の子、女の子と外国人の留学生の子たちがいろいろな会話をして、僕らに英語を教えてくれますね。古典的かもしれないけど、中学生の英語の勉強法として教科書の文章を覚える、ってのがある。僕自身、中学生の頃、英語の勉強といったらもうとにかく、教科書を覚えるというそれだけだった。覚えるばっかで、3年生の頃には、3年分の教科書の文章を全部丸暗記していたものだ。昔は、それで定期テストで十分高得点がとれた。(今はそうもいかないけど)僕は、自分が中学生の頃の教科書を保管している。さすがに20年以上も前のものだから表紙とかは破れかけちゃっているけど。昔の教科書のレッスン1-1をみてみよう。「こんにちは、私の名前はタカノ・ジュンコです。」「こんにちは、僕の名前はマイク・デービスです。」どーです、マジメそうじゃないですか彼らが新中学生にこれから英語のコミュニケーションを教えてくれる。なんだか、NHK教育テレビのような健全さを感じませんか。タカノさんの服装に乱れはなく、デービスくんなんか、襟元までボタンピッチリ、シャツはしっかり、ズボンにインだ。健全だ、健全だ。 次に、去年までの教科書をみてみよう。現代の「日本人代表」はサヤマ・ユキさんなんです。以前の教科書のシチュエーションでは、ユキさんが、小学生の頃からの友人で在日カナダ人のマイクくんにパーティに誘われて、緊張しながら外国人との会話に挑戦する。「こんにちは、私はユキです。 お会いできてうれしいです。」すると、色黒のアンディーくんが「こんにちは、アンディです。 お会いできてうれしいです!」って返してくれる。なんか、ほほえましい光景ですねユキさんの顔は、緊張で少し紅潮している。そりゃあそうですよね、日本人の中学生がいきなり外国人たちのパーティに参加して「なんかお話ししなきゃ!」って思って勇気をふりしぼって英語を口にしてみる。なんか、純真ですよねー。ユキさんの赤くなった顔、これからの彼女の活躍を応援したくなる。そだな、タカノさんがNHKのおねえさんなら、ユキさんは、デビュー仕立ての民放アナかなー。 そして、そのユキさんは今年の教科書で とんでもない変身ぶりを見せた!!・・・グレた。いや、バカになった?とにかく、やたらとテンションが高い。 まず、学校の廊下で、いきなり金髪少年が声をかける。「やあ!ボクはマイク・ブラウン! この学校の新入生なんだ!!」(筆者意訳)だいたいだなー、キミら、中学1年生だろう?んで、マイク、キミなんか、見た目からして、完全にアウェイじゃないか。それなのに、いきなり女子に「やあ!ボクはマイク!」ってなんだこれ、ナンパか?みてみろ、後ろを歩く学校では「ハカセ」とか呼ばれてそうなメガネくんの珍しいものをみるような表情。見ず知らずの人にいきなり「ハーイ!」って声をかけそうな人といったら、プログレバンド「YES」のボーカルジョン・アンダーソンくらいしか思いつかない。この人なんかは、飲み屋に行くと見ず知らずの人に「ハーイ!アイム ジョン・アンダースンっ!! ラーラーラー!!」って歌いだすらしい。言うまでもなく、アタマがおかしいというアツカイをされている。ところが、そんなマイク以上にユキがぶっとんでる。いきなり「ハーイ!ボクはマイク!」って声をかけてきた金髪野郎にまるでひるまず、ユキは返す。 「オオ!! アナタはマイク!!!」(筆者意訳)テンションが高すぎる。日常会話において、目の前の人にむかって「オオ!!」って呼びかける人が(呼びかけてないけど)ブレネリの前に立った人以外にいるとは思わなかった。そして2人はおもむろに言う。「はじめまして」「はじめまして」そだなー、解釈すると、こういうことか?ナンパ野郎のマイクが日本の中学生に手当たり次第声をかけてたら、なんかの中毒だと思われるユキという女の子が引っ掛かった。だいたい、ユキの変貌ぶりはどうだ。去年まではあんなに純真だったじゃないか。教科書のサイズが変わったことでテンションあがりっぱになっちゃったのか?そういえば、髪の毛も軽くパーマをあててるような気もする。このナンパと中毒者の会話は次のプログラム1-2に続いていく。「ボクはシアトルから来たんだ!」するとユキは「シアトル!! アナタは野球ファンなの?!」相変わらずテンションが高い上にバカ発言をしてしまう。シアトルからマリナーズを連想したのはいいけど、シアトルの人がみんな野球ファンなわけ、なかろう。これは日本人を見たアメリカ人が「ゴジラ!マツイ~!!ホンダ!!トヨタ!!」とわめくより、なお悪い。ゴジラ、マツイの場合、「日本のことを知ってるよ!」という歓迎ともとれるけど、シアトルは日本に何も「輸出」していない。なんか、そういうたとえはないかな・・。まあおいといて、マイクはナンパ野郎だからホントのとこはわからないけど、とりあえず「YES」と答える。「そうなんだ! キミも野球ファンなのかい?」 ↓「いいえ~~。 ワタシはサッカーファンよ~~」 てめえ!!このやろう!! kama ということで、教科書をネタに一切教育論を語らないというテーマのアホ記事でした
2012.06.06
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本日の合格者たち。おめでとう! 報告してくれた順に紹介します。 YWくん 豊南高等学校(1類) KIくん 豊南高等学校(2類) EAさん 白梅学園高等学校(特選G) YTさん 白梅学園高等学校(特選G) YIくん 聖望学園高等学校(総進) KHくん 聖望学園高等学校(総進) MNくん 聖望学園高等学校(総進) NKさん 聖望学園高等学校(特進) CMさん 白梅学園高等学校(特選G) MSさん 聖望学園高等学校(総進) YMさん 白梅学園高等学校(選抜) P.S. YSくん、報告待ってます・・・
2009.01.23
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『ツイン・ピークス』をご存じだろうか。最近では、HEROESをはじめ、アメリカのテレビドラマシリーズを日本でも楽しめるようになった。おそらく、その文化の先駆けとなったのがデビッド・リンチ監督の『ツイン・ピークス』である。僕が中学生の頃、はやりにはやった。もう15年以上も前のことだ。以来、「X-ファイル」をはじめ、向こうのドラマが日本のテレビで放映されるようになった。長野に住んでいた僕は、リアルタイムで放映をみていたのではなく、レンタルビデオを借りてきて観た。何しろすごいブームだった。特集番組も多く作られ、日本の旅行社は「ツイン・ピークス・ツアー」を企画し、劇中に登場する「ローラの日記」をそれっぽく作って、書店で販売もした。テレビシリーズの直前までを描いた映画もできた。とにかく、猫も杓子も「ツイン・ピークス」だった。ヒットの要因はいろいろあろう。美しい音楽、美しい自然、「世界で最も美しい死体」と評されたローラ・パーマーの亡骸の描写・・・。しかし、なにより、デビッド・リンチ監督の描く美しいが、どこかおかしい世界観。それがハマったに違いない。デビッド・リンチ監督は個人的に、好きである。もっとも、全作品を観たわけではなくたとえば、ツインピークス以外では「エレファントマン」、「ブルー・ベルベット」あたりを観た程度。到底、リンチ・ファンとは言えないレベルである。が、「DUNE/砂の惑星」には、とにかくハマった。後に大学生になって、ニーチェやらなんやらを学ぶようになって「DUNE」における、カモメのジョナサン的な超人思想を読み取るに至ったのだがとにかく、大好きな作品のひとつである。「ツイン・ピークス」は、そういうわけで中学生のころに観た。森に囲まれ、滝の美しい田舎町、ツイン・ピークス。町にある海岸に、ビニールにくるまれた女の死体が転がっている。それは、ミス・ツインピークスに選ばれた、ローラ・パーマーであった。田舎町には縁遠い殺人事件の発生にカイル・マクラクラン演じる、FBI捜査官が出動する。当時、ローラ殺しの真相解明までは非常に楽しく、快適に観ることができた。しかし、ストーリーが後半に入ると、なんだかワケのわからない、精神世界めいた描写が増え、中学生の僕には、その真意を読み取ることは不可能だった。つまり、ワケがわからないまま、終わってしまったのだ。で、なぜ今更「ツイン・ピークス」なのかというと、DVDボックスが発売されたのです。僕は、当時の謎を解明すべく予約注文し、先週、ようやく全編を観終わったというわけです。後半部の、精神世界的な部分、その意味も、十分理解できた。謎は解けた。が、新たな謎が生まれた。 デビッド・リンチの頭の中は、どうなっているのか。 ツイン・ピークスの世界が「変」であるのは当時から言われていたことで、たとえば、丸太をかかえた「丸太おばさん」が出てきたり、警察のオフィスにはドーナツが山積みだったり、でも、その「変」な部分がどうこうではなく、ストーリーの核となる発想について、疑問が生じた。「DUNE」の発想と真逆なのだ。 「DUNE」の主人公は、自分の父を殺され、領地も占領された、うら若き青年。言うなれば王子である彼は、なんとかその場を逃げおおせ、やがて、普通の人間にはたどりつくことのできない超人の境地に達する。それを可能にするのは「意志」であって、つまり、人は意志の力で人間を超えることができる。だから彼には武器は必要ない。声、言葉で、相手を殺すことすらできる。武器に頼らず、自らの意志と言霊だけで相手を倒すあたりが超人の超人たる所以である。すなわち、DUNEにおいては人はその意志によって力を得ることも、それを放棄することもできる、そういう価値観が描かれている。が、ツイン・ピークスにおいては人は自らの意志でないものに動かされるものとなる。先のローラを殺した犯人は、なんとも意外な人物なのだが、その行為は、本人の意志によるものではない。ブラック・ロッジとよばれる不思議な世界にやどる邪悪な魂が現世の人間に宿ることで、数々の悲劇を生んでいくのである。最後には、主人公であるFBI捜査官もがこの邪悪な魂を自らの中に取り込んでしまう。さらなる悲劇を予感させ、シリーズは終わる。邪悪な魂を宿すFBI捜査官を演じるカイル・マクラクランはDUNEにおいて、強靭な意志で超人となるポール・アトレイデスを演じていた。 さて、デビッド・リンチの本意はどちらであろう。あるいは、年月の中で、その思想が大きくベクトルを変えたとでもいうのか。DUNEにおいて彼は意志が人の肉体を凌駕する、自力本願的な人間像を描いてみせた。ツイン・ピークスにおける「人間」は結局、他の魂に肉体をゆだねる他力本願的な存在である。ツイン・ピークスのみであればなるほど、アメリカ的であると思えたかもしれない。キリスト教世界は、基本的に、やがて訪れる「最後の審判の日」に「救われる」ことを願う他力本願なものであるからだ。対する自力本願的な思想というのはあまり、ない。それこそ、ニーチェが「神の死」を高らかに謳ったのがあまりに大きな事件であり、ただ、わが日本においては鎌倉時代から自力本願的思想である「禅」があったのはだから、あまりに奇跡的であるわけだ。が、アメリカ的なものがすべて他力本願であるかというと、そうでもない。ヒッピー文化に強く影響を与えたのは「カモメのジョナサン」であるというがこれはやはり、自力本願、超人思想の具体である。僕は、実存主義者である。ゆえに、自力本願的な思想を好む。ツインピークスの真価を感じたときそこに大きな虚無感を覚えた。簡単にいえば、「この一連の悲劇は、自分でない誰かのせいで起こったものである」、その結論に、違和感というか、脱力感を感じたのである。当時の僕には理解できなかったが、それが理解できるようになった今、なぜこの作品が大きな支持を得たのかという点にひっかかる。アメリカでなら、よい。なぜなら、キリスト教的思想が根付いた文化であるから。しかし、日本での大ヒットはいかがなものであろう。それはつまり、日本人が他力本願的なものに強い憧れを抱くようになった、その現れではなかろうか。無論、日本においても「他力本願」の歴史は長い。平安時代の浄土信仰に端を発し、「他の誰か」に救われることを願い、我々日本人は南無阿弥陀仏を唱えてきたのだ。が、その一方で侍の意志に代表される、「強い意志」も持ってきたはずである。ただ単に、そこまで深読みして観る人がいなかったという話もあるが、サブリミナルではないがツインピークスのもつ、隠れたメッセージに日本人が共感したともいえる。最もわかりやすい解釈は、人にとってプラスの、善き結果については人の意志によるもの。悪しき結果は、他人のせいにする。もし、そんな単純な結論であったとするなら、非常に残念であるが。みなさんも、改めて「ツインピークス」をご覧になり、あのブームの意味を考えてみてはいかがでしょう。 たまには、こういうテイストの記事もどうかと思って書きました。少々、難しくなってしまいましたかね?Kama
2008.05.08
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