コメントありがとうございました。

北海道の炭鉱は事故が割と多かったですよね…。
北炭夕張新炭鉱のガス突出事故は良く覚えています。


(2006/08/01 07:00:31 AM)

【カラーガード大好き】マイレージジャンキー 時々 「鉄」

【カラーガード大好き】マイレージジャンキー 時々 「鉄」

2006/07/31
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黒部から帰って参りました。これは凄い。確定レポートを書くのが楽しみです。でも、その前に、インターミッションとして始めた直方市石炭記念館のご紹介を先に進めます。

日記

これは切羽のイメージです。囲いのようになっているのが木製の型枠です。これで岩盤を支えるんですね。下の方に見えるのがコールカッターです。この絵柄は後日もう一度引用します。次に釧路のシリーズを流そうと思っています。釧路太平洋炭鉱に比べると、ちょっと古びた方法なのです。筑豊炭田は全国で最初に開発され、高度成長期には枯渇期に入った鉱山も多かったのです。最初に閉山が進んだのも筑豊でした。筑豊には最新の技術が導入されなかったのです。その前に閉山になってしまったのです。

日記

この放水機みたいなものも採掘用具なのです。水圧で石炭を掘るという手法も一部の鉱山では採用されていたそうです。

日記

この辺は救護隊関係の展示です。 前回にもご紹介しましたが、 元々、この直方市石炭記念館の建物は、救護隊の訓練所でした。このような気密服と酸素ボンベという装備で救護隊は活躍したそうです。東京消防庁のレスキュー隊員の装備に何となく似ています。

日記

各炭鉱の立体模型の数々です。かつて、我が国の産業の支えであった時代の誇りを感じさせる凝った造りの模型が多く、何となくしんみりしてしまいます。筑豊炭田は昭和40年代には殆どの鉱山が閉山となりました。筑豊炭田を知る人もどんどん減っていくことでしょう。寂しいですね。

日記

筑豊炭田は少数の家族の私有物でした。この展示は、石炭を支配した筑豊三名家に関する展示です。自民党総裁に立候補した麻生氏も石炭名家のご出身なんですね。

日記

石炭化学に関する展示です。現在では「化学工業というと石油化学」というのが常識と化していますが、昔は化学産業と言えば石炭化学でした。筑豊炭田の石炭産出を背景に、九州北部には製鉄業や化学産業が興りました。

日記

石炭記念館の建物の裏庭にある訓練施設です。

日記

この練習坑道は石炭を掘る訓練を行うためのものではありません。炭鉱事故が発生した際の救護の訓練を行うための施設なのです。

日記

練習坑道に掲げられた警告です。「絶対立入禁止」というのが恐ろしげです。実際の訓練の際には、この行動に有毒ガスを注入して、実態に近い坑道救護訓練を行ったのでしょうか。

日記

上から見下ろした訓練坑道です。

今回はここまでにさせて頂きます。次回は屋外展示物をご紹介いたします。蒸気機関車の時代には、石炭は鉄道の燃料そのものでした。石炭と鉄道は切っても切れない関係にあったのです。そんな訳で次回からちょっと鉄分が入ります。

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Last updated  2006/07/31 10:16:14 PM
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Re:【インターミッション】直方市石炭記念館その2(07/31)  
つねまる8  さん
すみません。資格試験の勉強中で、記事はまたゆっくり読ませて頂きます。本日はクリックのみして
帰ります。申し訳ないです。 (2006/07/31 01:01:46 AM)

Re:【インターミッション】直方市石炭記念館その2(07/31)  
案山子の屁  さん
私の父も炭鉱で救護隊にいました、事故の恐ろしさは良く覚えています。緊急のサイレン・・・耳に残っていますね、友人のおやじさんも沢山亡くなったかな
昭和63年のガス爆発で閉山に成ってしまいましたが・・・悲しい思い出です。 (2006/07/31 01:13:29 AM)

筑豊炭田は炭鉱の代名詞でしたよね  
maman.m  さん
関係者の方には失礼な言い方になるかもしれないので少し躊躇するのですが・・・あくまでも私が子どもだった頃の話、
筑豊炭田といえば過酷な労働と貧しさ・・・そして哀しい事故。
だからこそ、当時は、筑豊の労働者が全国の労働組合の牽引車たり得たとも云えるのかも知れません。

水圧で掘削、これは良く分かります。
今、石に絵や文字を刻むのは、殆んどが水圧なのです。
パソコンで入力してトレーサーに図面→水圧で石を削るという工程。
手作業な部分の怖さは、「文字入れ」と「穴の中での掘削」とでは違いすぎますが・・
(2006/07/31 01:44:45 AM)

Re:【インターミッション】直方市石炭記念館その2(07/31)  
懐かしいなぁ~
小学校が北九州だったので、夏の課題研究でこちらに来ました。
もう30年前になりますね。
本家がこの近く(宮若市)の農家です。
小さい頃、一面に広がる田んぼの向こうに、貝島炭坑と国鉄宮田線のSLの煙が見えてました。
西鉄バスを見なれた目には、国鉄バスのスワローエンジェルと三毛猫の初代ミミと、SLの煙が田舎の「3点セット」でした。 (2006/07/31 09:37:40 AM)

つねまる8さんへ  
notoshun  さん
コメントありがとうございました。

資格試験の勉強、頑張ってください!。
(2006/08/01 06:56:28 AM)

案山子の屁さんへ  
notoshun  さん

maman.mさんへ  
notoshun  さん
コメントありがとうございました。

筑豊も貧しかったのですが、割と早くから労働運動が
起こりましたよね。炭鉱労働は請負制賃金になっている
ケースが多く(釧路は例外)、中間搾取が生じやすい
形態であったのでしょう。

筑豊炭田からは外れますけど、三井三池の「英雄なき
113日間の闘い」は有名でございますね。
(2006/08/01 07:04:31 AM)

修理屋マイスターさんへ  
notoshun  さん
コメントありがとうございました。

小学校が北九州なのにここまでみんなで来たんですね。
結構遠いのに…。先生は大変ですね。
筑豊の鉄道路線は複雑怪奇で、乗り潰すのが
中々大変でした。民営分割の前に殆ど廃止になって
しまいましたが…。

懐かしいです。

当時筑豊本線は国内で非常に珍しい、非電化複線区間
でした。
(2006/08/01 07:09:49 AM)

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