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2024年12月03日
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この間、所用があって江戸川橋方面に行ってきた。江戸川橋といっても、江戸川にかかっているわけではない。神田川の橋である。なぜに江戸川橋…というと、ネット検索によれば、神田川のこの辺りは昔は江戸川とよばれており、その名残であるという。神田川沿いは公園になっていて、桜並木となっている。花見の頃はさぞにぎわうことだろう。桜の季節でなくとも、川沿いの道は気持ちの良い散策路になっている。神田川は江戸時代には上水として利用されており、この遺構があってそれも興味深い。
しばらく歩くと胸突坂という階段でできた急坂がある。神田川に作った谷がいかに深いかを実感させる坂なのだが、この途中に神田上水の守護神とされる水神社がある。この水神社はさびれた印象で、神田川が上水として使われなくなると参詣する人も減ったのだろうか。そういえば、足尾銅山にあった鉱山の守り神の神社も、同じような感じだったのを思い出した。必要に応じて神社を建て、必要がなくなると参拝をしなくなる。人間は勝手なものだと、神様はきっと言うだろう。
この付近には和敬塾があり、私有地なので入ることはできないが、小説「ノルウェイの森」の舞台のモデルになったことでも有名である。このほかにも、関口芭蕉庵、細川庭園、椿山荘など名所は多いのだが、いずれも閉まっていたり、勝手に入れなかったりであったのは残念である。
坂道を上りきると東京カテドラル教会がひときわ目を引く。なんでこんな見事な教会が東京にあるのかと思うのだが、素晴らしい音響効果を利用してコンサートもよく開かれているという。ここから鳥尾坂を目白通りに下るのだが、これもまた旧坂で、高級住宅地には急坂が多いという説がここでも裏付けられる。
ここからは鳩山会館も近いが、これも閉館ということであきらめ、江戸川橋の駅の方に戻っていったわけであるが、その先に地蔵通り商店街というのがあり、様々な名所が閉館だったりした後だけに、今どきの商店街には珍しく温かく活気のある様子がうれしかった。なお、この商店街の入り口には、この名の由来となった子育て地蔵もある。





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最終更新日  2024年12月03日 22時57分46秒
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Re:江戸川橋周辺を歩く(12/03)  
・曙光 さん
>桜の季節でなくとも、川沿いの道が気持ちの良い散策路になっている。神田川は江戸時代には上水として利用されており、この遺構も興味深い。
>しばらく歩くと胸突坂という階段でできた急坂がある。神田川に作った谷がいかに深いかを実感させる坂なのだが、この途中に神田上水の守護神とされる水神社がある。

いやあ懐かしいですね。「胸突坂」は先にも書いたが「我が青春の坂」で学生時代4年間で約1200回程上がり降りした坂です。
関口芭蕉庵、細川庭園、椿山荘,聖カテドラル協会はわが4年間の庭の如き感じでした。目白通りを目白に向かって歩けば、田中角栄邸、日本女子大、西島三重子に歌われた「千登勢橋」があり、川村学園、学習院などがあります。

胸突坂を下った駒塚橋から面影橋に至る神田川の桜は最高で、私は今でも毎年、花見時にこの神田川沿いを散策し桜を愛でています。
関口町からはかつては都電で、神保町の書店街や、厩橋行きで浅草などへ足しげく行ったものでした。

七詩さんの当ブログ記事には懐かしさの余り目頭が熱くなったほどです。
「青春の街」というのは、読者諸氏誰にでもあるものだと思う。
私の10代後半の「青春の街」は地方都市にあり、20代前半の「青春の街」が、この文京区にある「胸突坂」界隈でした。
(2024年12月03日 23時33分50秒)

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