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Facebookは思いつきを気軽に投稿できる分日記と呼べるクオリティまで文章が熟成しないのでどうしてもコチラの更新が薄くなってしまう…以下URLはタイトル通り『 Evカフェ/Meguru』がデキルマデ』を動画でお届けする企画です後々講演などで使う予定の自分用記録動画といった趣ですがご興味ある方、ぞうぞw【1】http://youtu.be/SeK8wsR2pco 【2】http://youtu.be/GU5vOgMiGgc 【3】http://youtu.be/PMmyPopWjqA 【4】http://youtu.be/RSooeWUg2jM
2013/09/02
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まさにアベノミクス真っ只中。『Evカフェ/Meguru』の事である。過去に類を見ない大規模な金融政策前例にとらわれない、機動的かつ迅速な財政政策そして民間の活力を活性させる国家規模の成長戦略皆さんご存知の通り、アベノミクスとはこれら『3本の矢』と呼ばれる経済政策パッケージの事を指している。大マスゴ…いや、マスコミ様の『報道しない自由』によって、現政権はあたかも努めてなんの手も打たない平時内閣の如き扱いをされているが、実際は前某愚衆政権の経済政策がまんまママゴトに見えてしまう、相当に突っ込んだソレを実行している。今回俺が採択された『新規創業補助事業』などは、実感を以て説明し易い好例だ。これは新しく創業し、地域経済に寄与貢献しようという『若者や女性』の新規事業資金3分の2を1事業上限200万円まで、返済義務無しに補助しようというモノだ。耳だけで聞けば「バラマキだ!」と、脊髄反射される向きもあるかもしれない。しかし(まてよ?総事業費の3分の2?)という部分にピンとくる方であれば、この補助事業そのものが内需刺激策である事に気づく筈である。あくまでも全額補助ではなく、総事業費の3分の2であるから、この補助金を満額の200万円まで活用しようと思えば、自己資金は最低でも100万円必要になる。分かりやすく言い換えれば、国庫2億円の負担で、民間から1億円の資金を引き出し、市場へ流す効果があるのだ。そしてその事業総額は領収書ベースの精算払いという性格上、今施策遂行期限一ヶ年という極短期間でもって、ほぼ強制的に全てが消費に回るようになっている。つまりこの補助制度を利用して創業する新事業主はもちろん、設備投資先の小売店や工務店、その他既に社会の公器として経済活動を営んでいる方々も間接的に、その恩恵に浴す事ができるのだ。また補助事業は資金運用の公平性担保の為、基本的に相見積もりを推奨している。ここを上手く活用すれば、補助対象者ではなくとも例えば『補助事業者向けの割引プラン』などを打ち出す事により、積極的にこれらの需要を取り込むなんて打ち手もある。当該創業補助金以外にも類似の補助事業は多角的に運用されており、詳細は実際にググれば幾らでも出てくるが、例えば業態変更を支援する『第二創業補助事業』補助総額が700万円に達する『海外需要創出補助事業』この度総額1000万円から1500万円に増額された中小企業向け『モノづくり補助事業』などが、大阪だけではなく日本全国どの自治体でも、平等に応募可能となっている。…しかし、これら補助事業にも問題点はある。それは肝心な採否を分かつ、申請手続きの煩雑さ及び資格の厳しさだ。現にフーテンの旅人である俺が、独力で採用通知を受け取る事など、ジャンケンでグーがパーに勝てる確立で不可能に近かった。補助事業応募申請書は添付資料を含めると30ページ近い内容で、あんなん俺一人じゃ到底作成できない。また、俺が応募した補助事業はターゲットとして『女性や若者』を謳ってはいるものの、補助金の採択には金融機関の後ろ盾が必要で、国策に沿った事業への参入や着手そのものを支援する『助成金』と違い、『補助金』は精算払いという原則と相まって、まずは金融機関から、資金繰り協力を取り付けなくてはならない。国庫…つまり貴重な血税を投入するわけだから応募資格が厳格になるのはしょうがない。しかしぶっちゃけそんな公的金融機関から融資取り付け(しかも200万円とか)なんか、本当に開業したい学校卒業したての若者や、結婚や産休などで一度ビジネスと距離を置いてしまった主婦の方々には難しいだろう。金融機関に対する信用とラオウの生涯における後悔がキッパリと一致する俺に至っては、端から不可能なハナシである。…しかし、実を言えば『Evカフェ/Meguru』の真価はここにこそあると、俺は思っているのだ。『Evカフェ/Meguru』その開業の裏舞台には、俺のようなパーの神輿を担ぎつつ今補助事業を見事採用に導いた、経営、金融、コンサルそれぞれのプロフェッショナルが暗躍している。『夢追い人』に不足しがちなのは、この『現実』の要素だ。そこで俺は『Evカフェ/Meguru』を現代の松下村塾に見たて、俺がそうだったように差し当たっては両の手に夢しか財産を持ち合わせていない若者に、このプロ集団のノウハウをパッケージ化して提供し、一つでも多くの『夢のをカタチに』できまいかと、今真剣に考えているのである。結果、夢しか持たなかった若者はオーナーとして独立しコンサルタントは補助金からフィーを得て金融機関は補助金を担保とした手堅い融資運用益を獲得し設備投資費は市場に流れて新たな消費を生み出ししかるに補助事業は本来の役割を果たすのだ以下は持論だが夢だけでは前進しない現実だけでは息苦しいしかし本当に大切なのはこの『夢』と『現実』のバランス俺はこう思っている『Evカフェ/Meguru』は、その生きた先例として夢追い人とその背中を押すプロフェッショナルに交流の場を提供し企業家と起業家がアルコールという液体燃料を片手に、大いに夢と現実を語れる空間を目指すのだ!!
2013/08/26
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夢に対しても、仕事に対しても そしてかつて愛した数々の女性に対しても 後悔だらけの人生であった しかし俺は後悔が 後悔こそが、過去を美しくすると思っている 持論だ 例えば夢への挑戦であれ 例えば人生の決戦であれ 例えば自分ではない誰かを好きになる事であれ (ああすれば良かった) (こうすればどうなっていただろう) (もっと違う人生があったんじゃないだろうか) (どうして俺はあの時、この一言をかけてあげられなかったんだ) 追憶の彼方に邂逅を果たす後悔の数々は 悲しかったり辛かったり 時に苦しかったり悔しかったりと 寄せる思いが強ければ強いほど 心の傷が深ければ深いほど 好きであれば好きであるほど その深度に呼応して、閉じた瞼の銀幕を極彩色に蘇る そしてその風景は大抵…震えるほどに、美しい 結局過去は変えられない 手落としたグラスも 割れてしまったガラスも 零れてしまったミルクも 決してもと通りには戻らない ならばその後悔を生涯の糧に 努めて同じ過ちを繰り返さないようにする それがどうやら、大人の処世であるらしい そういう意味においては、俺の人生を彩る数多の後悔もまた かけがえのない、財産だ 分別くさいことをクドクドと書き連ねてはいるが これからの俺の人生にもまた (ああすればもっと、) (こうすればきっと、) (もっと違う方法が、) (黙って抱きしめることは、) そんな様々な後悔が押し寄せてくる事だろう それでいい いつか必ず訪れる今際の際に 俺はきっと走馬燈のスピードで それら一つ一つの後悔を、丁寧に紐解いてゆくだろう それはきっと中林あきおが最後に愛でる もがきながらもこの世に生きた、美しい証となる だから俺は後悔を恐れはしない 「恐れはしない」という宣誓はむしろ 俺が心の最奥では後悔を恐れている、決定的な証左ではあるが それでも俺は後悔を恐れ、自ら挑戦を辞める事なんて …絶対に、しない いよいよ正念場を迎えつつあるこれからの人生に この広大無辺な後悔のキャンパスに 俺はありったけの力で、挑戦の絵の具を叩っ込んでやろう 震えるほど美しい、極彩色の絵の具をな
2013/08/23
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カドヤ時代大変お世話になったウエノさんに、大阪へのフェリーが連絡する新門司港へ送って頂いた。旅慣れた方はご存知かも知れないが、二等の船旅は電源が確保できる大部屋の角が争奪戦となる。そのうえ小倉駅や門司駅で乗客を拾う送迎バスは乗船開始時刻より遅く現場へ乗り入れるので、二等の乗客団はバスから飛び降りた瞬間から、なにかしらの捕物競争的ダッシュを強いられる。それを見越してウエノさんには乗船開始時刻前に現場へ送り届けて頂いたのだが、乗船を予定していたフェリーはUターンラッシュの最終便で二等客室が飽和しており、その緩和策として通常長距離トラッカー用の船室であるドライバールームを、お値段据え置きの先着順に割り当てていた。この部屋はカプセルホテルのような引き戸による個室に電源を完備し、その上窓辺に固定席を配し、お茶や酒盛りが楽しめる専用のテラスも擁している。二等船室の上位である二等洋室が二段ベッドの相部屋で、基本機関室側に列を成している事を考えれば(海に面した船室は一等以上)、実にお値打ちかつ贅沢なグレードアップだ。むしろはじめから二等洋室を予約していた方に、申し訳ないくらいである。「いつでも帰って来いよ!」ま、俺が大阪行くのが早いかもなそんな風にどこか照れ笑うウエノさんと握手でお別れし、一番風呂を飛び出した展望甲板に缶ビールを握り締め、純白の航跡の彼方に暮れなずむ夕日と小さくなってゆく新門司の港を見つめながら、俺は40ノットの巡航風に、いつまでも吹かれていた。人は思った通りの人になる突き付けられた厳しい現実に自らを負け犬と自覚し心の片膝をつくのなら、負け犬にもなろうしかし例えいつか見た夢に一度は敗れても打ちひしがれた胸の底に挑戦の心火を灯し続けてさえいればお中元の荷捌きに身を軋ませ日当五千円の汗に塗れたって握り締めた拳に、気高い挑戦の心は宿る明日から始まる新しい冒険の夜明け前に俺の心は震えていた船首に次々と押し寄せる波濤の如き不安ではない機関室の機動にも似た…力強い、再起の喜びにださぁ盛大に楽しもうぜ冒険家中林あきお静かに照らす月の向こう次の決戦場大阪に一年遅れちまった人生の、ペイバックタイムをな!
2013/08/19
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中林あきお は 以下の報道機関及び媒体により紹介されました。テレビ・・・ 9件新聞 ・・・ 63件雑誌 ・・・ 7件ラジオ・・・ 13件記者会見・・ 3件ネットメディア 2件講演 ・・・ 2件出版 ・・・ 2件トークライブ 2件■ 2013/07/10 読売テレビの『関西情報ネットten』にて、evカフェ/Meguruが紹介されました。■ 2012/06/13 熊本県うすま苑で『夢の叶え方』をテーマとした講演をしました。■ 2011/10/22 テレビ大阪の『NEWS・BIZスペシャル』にて、チャリティーツアーが紹介されました。■ 2011/10/15 福岡市『コステル美野島』にて、トークライブを行いました。■ 2011/10/14 母校大牟田高校の紹介パンフレット『PiーShat!』にコラムを寄稿しました。■ 2011/09/21 北九州市『Quit Pro Quo』にて、トークライブを行いました。■ 2011/09/21 テレビ大阪の『NEWS・BIZ』にて、チャリティーツアーが紹介されました。■ 2011/09/15 『日刊工業新聞』にて、チャリティーツアーの記事が掲載されました。■ 2011/09/09 玉島テレビの『たまテレニュース』にて、チャリティーツアーが紹介されました。■ 2011/09/06 『赤穂民放』にて、チャリティーツアーの記事が掲載されました。■ 2011/08/04 テレビ大阪の『NEWS・BIZ』にて、チャリティーツアーが紹介されました。■ 2011/07/27 『日刊大牟田新聞』にて、チャリティーツアーの記事が掲載されました。■ 2011/07/27 『有明新報』にて、チャリティーツアーの記事が掲載されました。■ 2011/07/24 『RKBラジオ』にて、チャリティーツアーの様子が生中継されました。■ 2011/07/24 『西日本新聞』にて、チャリティーツアーの記事が掲載されました。■ 2011/07/22 『有明新報』にて、大牟田高校での講演記事が掲載されました。■ 2011/07/20 『RKBラジオ』にて、チャリティーツアーの様子が生中継されました。■ 2011/07/19 大牟田高校でチャリティーツアーをテーマとした講演をしました。 ■ 2011/07/06 『朝日新聞』にて、チャリティーツアーの記事が掲載されました。■ 2011/07/06 『毎日新聞』にて、チャリティーツアーの記事が掲載されました。■ 2011/07/06 『西日本新聞』にて、チャリティーツアーの記事が掲載されました。■ 2011/07/06 『有明新報』にて、チャリティーツアーの記事が掲載されました。■ 2011/07/05 『熊本日日新聞』にて、チャリティーツアーの記事が掲載されました。■ 2011/07/01 『長崎新聞』にて、チャリティーツアーの記事が掲載されました。■ 2011/06/29 テレビ大阪の『NEWS・BIZ』にて、チャリティーツアーが紹介されました。■ 2011/06/29 『佐賀新聞』にて、チャリティーツアーの記事が掲載されました。■ 2011/06/21 『RKBラジオ』の『開店!ウメ子食堂』にゲスト出演しました。■ 2011/06/20 『RKBラジオ』にて、チャリティーツアーの様子が生中継されました。■ 2011/06/19 『RKBラジオ』にて、チャリティーツアーの様子が生中継されました。■ 2011/06/14 『西日本新聞』にて、チャリティーツアーの記事が掲載されました。■ 2011/06/13 『瀬戸内タイムス』にて、チャリティーツアーの記事が掲載されました。■ 2011/06/10 『山口新聞』にて、チャリティーツアーの記事が掲載されました。■ 2011/06/09 『いわくに新聞』にて、チャリティーツアーの記事が掲載されました。■ 2011/06/08 テレビ大阪の『NEWS・BIZ』にて、チャリティーツアーが紹介されました。■ 2011/06/07 テレビ大阪の『NEWS・BIZ』にて、チャリティーツアーが紹介されました。■ 2011/05/28 『中国新聞』にて、チャリティーツアーの記事が掲載されました。■ 2011/05/22 『山陽新聞』にて、チャリティーツアーの記事が掲載されました。■ 2011/05/17 『神戸新聞』にて、チャリティーツアーの記事が掲載されました。■ 2011/05/10 『日刊工業新聞』にて、チャリティーツアーの記事が掲載されました。■ 2011/01/25 北九州市のコミュニティFM 『BOOK Radio』 にゲスト出演しました。■ 2011/01/21 『clicccar』にてEV-Japanの記事が配信されました。■ 2011/01/19 『ロイター通信』にてEV-Japanの記事が配信されました。■ 2010/12/27 『西日本新聞』にて記者会見の記事が掲載されました。■ 2010/12/22 『毎日新聞』にて記者会見の記事が掲載されました。■ 2010/12/22 『日刊大牟田新聞』にて記者会見の記事が掲載されました。■ 2010/12/22 『有明新報』にて記者会見の記事が掲載されました。■ 2010/11/23 『毎日新聞』にて記者会見の記事が掲載されました。■ 2010/10/22 『読売新聞』にて記者会見の記事が掲載されました。■ 2010/10/15 『西日本新聞』にて記者会見の記事が掲載されました。■ 2010/10/09 『朝日新聞』にて記者会見の記事が掲載されました。■ 2010/10/05 『有明新報』にて記者会見の記事が掲載されました。■ 2010/10/05 『日刊大牟田新聞』にて記者会見の記事が掲載されました。■ 2010/08/26 テレビ大阪のニュース番組『ニュースBIZ』にて、購入者第一号と紹介されました。■ 2010/08/17 『産経新聞』に『あっぱれ! EV プロジェクト』のリーク記事が掲載されました。■ 2010/07/24 クレタ出版社のバイク雑誌『タンデムスタイル』にて、バイク旅に対する対談記事が掲載されました。■ 2009/11/24 クレタ出版社のバイク雑誌『タンデムスタイル』より半年間の連載を開始しました。■ 2009/05/24 クレタ出版社のバイク雑誌『タンデムスタイル』にて、特集記事のオファを頂き、掲載されました。■ 2008/07/24 クレタ出版社のバイク雑誌『タンデムスタイル』より7ヶ月の連載を開始しました。 ■ 2007/02/10 『熊本日日新聞』に『講演・ゴミ拾いウォーキング』の記事が掲載されました。 ■ 2007/02/09 『読売新聞』に『講演・ゴミ拾いウォーキング』の記事が掲載されました。 ■ 2007/02/08 熊本県の中学校で環境をテーマとした講演をしました。 ■ 2007/02/01 読売情報誌に『ゴミ拾いウォーキング』の記事が掲載されました。 ■ 2006/12/12 『読売新聞』に『ゴミ拾いウォーキング』の記事が掲載されました。 ■ 2006/12/12 『西日本新聞』に『ゴミ拾いウォーキング』の記事が掲載されました。 ■ 2006/12/05 『長崎新聞』に『ゴミ拾いウォーキング』の記事が掲載されました。 ■ 2006/12/02 『佐賀新聞』に『ゴミ拾いウォーキング』の記事が掲載されました。 ■ 2006/12/03 長崎市のコミュニティFM 『ドリームワールド』 にゲスト出演しました。 ■ 2006/11/18 大分県北のコミュニティFM 『ノースエフエム』 にゲスト出演しました。 ■ 2006/11/17 『大分合同新聞』に『ゴミ拾いウォーキング』の記事が掲載されました。■ 2006/11/05 『宮崎日日新聞』に『ゴミ拾いウォーキング』の記事が掲載されました。 ■ 2006/10/07 『南日本新聞』に『ゴミ拾いウォーキング』の記事が掲載されました。 ■ 2006/09/24 『熊本日日新聞』に『ゴミ拾いウォーキング』の記事が掲載されました。 ■ 2006/09/21 『朝日新聞』に『ゴミ拾いウォーキング』の記事が掲載されました。 ■ 2006/09/20 『毎日新聞』に『ゴミ拾いウォーキング』の記事が掲載されました。 ■ 2006/09/19 『日刊大牟田』に『ゴミ拾いウォーキング』の記事が掲載されました。 ■ 2006/09/18 『有明新報』に『ゴミ拾いウォーキング』の記事が掲載されました。 ■ 2006/09/18 長崎市のコミュニティFM 『ドリームワールド』 にゲスト出演しました。 ■ 2006/09/16 『西日本新聞』に『ゴミ拾いウォーキング』の記事が掲載されました。 ■ 2006/09/16 『読売新聞』に『ゴミ拾いウォーキング』の記事が掲載されました。 ■ 2006/05/10 『東海新報』に著書の紹介記事が掲載されました。 ■ 2006/03/26 Bay・FMのラジオ番組『ザ・フリントストーン』にゲスト出演しました。 ■ 2006/03/09 『有明新報』に著書の紹介記事が掲載されました。 ■ 2005/12/28 玉名市のラジオ番組『トーキングルーム』にゲスト出演しました。 ■ 2005/07/30 『下野新報』に著書の紹介記事が掲載されました。 ■ 2005/07/26 『朝日新聞』に著書の紹介記事が掲載されました。 ■ 2005/07/09 『有明新報』に著書の紹介記事が掲載されました。 ■ 2005/07/01 エイ出版社の雑誌『培倶人』にて『泣き虫男・・・』が紹介されました。 ■ 2005/06/24 『西日本新聞』に著書の紹介記事が掲載されました。 ■ 2004/09/25 88.9マザーシップのラジオ番組にゲスト出演しました。 ■ 2004/06/16 『大分合同新聞』に徒歩日本一周の紹介記事が掲載されました。 ■ 2004/05/27 『宮崎日日新聞』に徒歩日本一周の紹介記事が掲載されました。 ■ 2004/04/18 南日本放送のラジオ番組にゲスト出演しました。 ■ 2004/04/11 『大分合同新聞』に徒歩日本一周の紹介記事が掲載されました。 ■ 2004/03/20 『長崎新聞』に徒歩日本一周の紹介記事が掲載されました。 ■ 2004/03/20 『佐賀新聞』に徒歩日本一周の紹介記事が掲載されました。 ■ 2004/03/14 『有明新報』に徒歩日本一周の紹介記事が掲載されました。 ■ 2004/03/06 『朝日新聞』に徒歩日本一周の紹介記事が掲載されました。 ■ 2004/02/21 『西日本新聞』に徒歩日本一周の紹介記事が掲載されました。 ■ 2003/07/12 『北海道新聞』に徒歩日本一周の紹介記事が掲載されました。 ■ 2003/04/28 青森県八戸市のラジオ番組『BeFM』にゲスト出演しました。
2013/08/17
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このブログ再開にあたり、その伏線としてまず、Facebookにエントリーしたこの記事を掲載しておくべきだろう。時期十周年を迎えるブログを封印し、何故情報発信をFacebook一本に絞るに至ったのかは、また次の記事で。以下、本文。平成25年8月現在…今のところ狙った夢は全て叶えてきている俺だが、その実情は逃げまくりの人生であった。9000kmを歩いて日本一周全くの無名からの商業出版に雑誌連載免許を取った5日後にバイクで日本一周一日30kmしか進まない電気自動車を道々充電しながら2500km走破そして今現在も次なるチャレンジに闘志の目を凝らしてるワケだが。同時に僕は常に逃げることを最優先に考えている。正確にはそうでなかったら、これらの夢はどれも叶わなかっただろう。以下無駄に長い駄文は俺が『逃げる』という行為に抱いている感想である。無論中林あきお個人の考察であり、他の誰かに共感を求めたり強制したりするものでは無い。人や場合によっては強い怒りすら覚える恐れもあるので、個人的には決して読み進めない事を強くオススメする。では、どうぞw↓↓↓↓↓↓↓↓「…中林君、それは逃げだよ」そんな風に言われることが多い。そしてそう言われる時は大抵自分にも、今まさに全力で逃げているという確かな実感がある。と言うか常に『逃げる』ことを第一に考えている。むしろ幾つかの『逃げ道』を同時に用意しながら行動していると言った方が正確かもしれない。何故か?日本は初等教育よりもっと以前の情操教育の時点で、この『逃げる』という行為をとかく後ろ向きなニュアンスで、しかも割りと入念に教え込む。国土が狭く人口も限られ、どうしても逃げ切る事が困難だった島国日本として、これはある意味ナショナリズムと呼ぶべきものなのかも知れない。イジメやリストラ、ブラック企業などの話題と、その不幸な顛末を見るにつけ、憐憫の情もさりながら、一方では逃げるのが遅かったのでは?との印象を拭い切れない(或いはそもそも逃げる気が無いのかも知れないが)。これは緒戦優勢な項羽軍に押されっ放しだった劉邦軍や、主要拠点から駆逐された毛沢東麾下の八路軍など、逃げようと思えば軍隊丸ごとだって逃げきる事が可能だった大陸文化との大きな違いだ。決戦に敗れ、撤退先の本拠地で自害を迫られた武田勝頼や柴田勝家、落ち延びの途上で農兵に討たれた明智光秀に代表される戦国武将、近代ならば五稜郭の戦いで討ち死にした土方歳三など、個人レベルですら逃げ切ることが困難を極めた島国では「どうせ全滅を免れぬなら」と自刃の露と消えたり、一か八かの玉砕戦に打って出て、文字通り玉砕してしまった例が、先の大戦を含む日本戦史の古今を問わず、枚挙暇無しだ。一方しぶとく生き残る道を選んだ上述の劉邦は執拗に求められる決戦を避け、徹底的に逃げ回った果てに宿敵項羽を破り、重要拠点を追われゲリラと化した八路軍は装備と練度で圧倒する関東軍の精鋭を点と線に釘付けにして、しばしばその兵站線を分断しては日本帝国軍の自由な行動を阻害し、終戦のその日まで決定的な敗北を喫することなく、結果勝者となった事実は、歴史が雄弁に示すところである。眼前の勝ち負けが生と死を分った血生臭い時代、逃げることを否定的に捉える事は、ある意味処世と呼べたのかもしれない。追い傷を背に日陰で生きるよりは、潔い死を選び後世の名誉に思いを致す気高い精神に感銘を受けないワケでも決して無い。しかし余程の事をしたって命まで持っていかれない現代日本に於いては、逃げずに自分を追い込む方が余計命を縮めてしまうのではなかろうか。職場や学校でのイジメやストレスから『逃げることができず』踏ん張り頑張り、歯を食い縛った挙句命を落とすなんていうハナシは、食傷気味でもはやニュースにすらならない。最近話題のブラック企業なんかもそうだ。月のサービス残業が何十時間だとか言うふざけた雇い主には、コチラから三行半を叩きつけてやればそれでいい。それは逃げでもなんでも無く、一つの生存戦略だ。そんな劣悪な労働環境下で身も心も擦り減らし、命までもっていかれるのならば、一つの命という単位では戦時下となんら変わりなかろう。この現代日本に於いてである。『六韜』や『孫子』…孫子のヨーロッパ意訳版と言われるクラウゼヴィッツの『戦争論』、そのどこのページをめくっても一か八かの『玉砕戦法』など一行も出てこない。どの兵法書も全て『勝ち目の無い戦いからは、速やかに逃げろ』と説いている。死んで花実が咲くものか…一時は手痛い敗北を喫しようと、虜囚の辱めを甘受しようと、生きてさえいれば再起して、いずれまた形成逆転のチャンスを伺うことだってできる。『逃げる』という選択肢は決して敗北主義を意味しない。むしろ彼我の戦力差を熟慮した上での適宜な撤退は、力を温存しつつ敵を疲弊させる積極的な攻め手にすら成り得る。周知の如く不器用かつ無能を極めた俺が、職も住居もかなぐり捨て「ええい!だまれ!だまれ!」と、一目散に逃げ出す構えを見せる時は大抵、数ヶ月から一年は無職でも食いつなげる貯金を握り締め、更に次の打手を『幾つか』秘めている。一つではダメだ。最低でも二つ…緊急避難用に三つくらいのオプションを用意できれば、逃走準備完了だ。『狡兎三窟』という言葉がある『ズル賢いウサギは逃げるための穴を三つ用意している』そんな意味だが、つまり俺は平時はもとより逃げる最中にさえ、次の逃げ道を用意している。それはなぜか?まず前提として、今の職場が明日も安泰かどうかは分からない。二十年前…地元の有力百貨店に就職の決まった友人を俺たちは「おめでとう!これでもう一生安泰やね!」と、諸手を挙げて祝福した。しかしそれから十年もせず、同百貨店は突然閉店してしまい、戦災にも焼け残り、炭住長屋を城下の如く睥睨していた白い巨塔は今は更地となって、砂利の駐車場になっている。安定安定と念仏の様に人は言うが、不安定極まりない生き方をしている俺に言わせればその安定は砂上の楼閣にも等しい。一方俺は常に不安定なので、自律的に安定を保とうとバランスをとる。巨大な何かに寄り添ってでは無く、自分の足で立ってはじめて安定だと思うのだ。しかし闇雲に逃げればイイってモノでもない。勝算無き突撃の果てが玉砕ならば、勝算無き逃亡は潰走に等しい。幸運にも俺には歩いて日本を一周してこっち十年、ほぼ常に大小様々な目標が存在している。これら目標には予め優先順位が設けてあり、基本的には手先の小目標を達成していく事が上位の目標達成を容易にするよう設計されている。だから小目標が達成されたり(貯金が規定の額まで貯まったり)あるいは残念ながら現在着手中の短期目標がその上位である中長期の目標達成を阻害するような事態が発生(正社員に誘われたり、長期居住を求められたり)したら、俺は即座にその短期目標を切り捨て、次の目標へ移行するようにしている。俺の短期目標しか知らない人からすれば、その行為は逃げだろう。大丈夫、それはちゃんと自覚しているから。しかし達成済みの目標や短期目標にかかずり、本丸である中長期目標の達成に支障をきたすのでは本末転倒だ。そんなのヤなので、速攻逃げるのである。ダラダラしない、動く時は一気に動く。貴方が貴方でいれる時間が有限であるように俺が中林あきおを演じることのできる時間も有限だじき40歳になる俺なら保ってあと30年…ガンガンイケるのはせいぜい頑張ったって向こう15年くらいだろう。しかし今の俺にはここ5年くらいでやらなければ成らない事の更に向こうに、まだ信頼の置ける近しい人々にしか明かしていない、生涯の夢がある。だから俺はどーでもイイ事やツマラナイ事からはさっさとケツを捲る。自ら率先して脱兎の如く逃げる。その先に燦然と輝いている、夢を目指して。重ねて言うが、戦略的撤退にこそ意味があると思っている俺が逃げるのは、来るべき決戦に備えて力を蓄える為だ準備がしっかりと整い己の人生に天の時が来たならば今度は生涯を賭すに足る夢との決戦からー 決して逃げてはならない ー俺の生涯には、既に三回訪れた『歩いて日本一周』『出版』『Meguruちゃんでの西日本縦断』これらとの決戦に俺は、まさに死に物狂いで立ち向かったなぜならこれらは俺が絶対に達成しなければならない絶対の目標だったからだしかし断じて一か八かの玉砕戦法などではない想像出来るあらゆる事態を想定し、可能な限り入念な準備をして五分後は自分さえ諦めなければ(信念を貫けば)勝てると信じて、それぞれの決戦に臨んだ『君主論』を上梓したマキャベリですら舌を巻いたリアリスト孫子は『勝算が無くば戦わない』と、自らの著書で鋭く喝破しているが意外にも彼は同項で彼我の戦力を比しながら五分の勝算に踏みとどまって夢と対峙する後世の若者を以下のように、励ましている『十なれば即ちこれを囲み(十倍ならば包囲せよ)』『五なれば即ちこれを攻め(五倍ならば攻撃せよ)』『倍なれば即ちこれを分かち(二倍ならば分断せよ)』そして『敵すれば即ちよく闘う(勝算五分ならば、勇戦せよ)』とね
2013/08/17
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ブログ愛読者の皆様、大変永らくお待たせしました!株式会社淀川製作所様並び沢山の支援者の皆様に支えられ昨年末より水面下で企画、立案しておりました【evカフェ/Meguruプロジェクト】が、この度遂に公式始動いたします夢だけでは前進しない現実だけでは息苦しいしかし本当に大切なのはこの『夢』と『現実』のバランスです我々は『夢をカタチに』という『株式会社淀川製作所』のスローガンをテーマに果てしなき『夢の塊』である『電気自動車/Meguru』×『日本一周旅作家/中林あきお』そして『夢』の両輪であるべき『現実』の強力な牽引者『淀川製作所/小倉庸敬社長』×『起業コンサルタント/尾脇博士室長』というコラボレーションで、この秋あなたの『夢』を『カタチ』にする出会いの空間【evカフェ/Meguru】を開業いたします永く更新していなかったコチラのブログではちょうど一年前門司港で果たせなかったカフェ開業に至る夢がカタチになる瞬間をリアルタイムでお届け!それに前後してブログでは語られなかった(Facebookに移行していたためw)門司港以降のミッシングリンクも少しずつ埋めて行きたいと思います俺の人生にまたしてもペイバックタイムがやって来た!これからガンガン、忙しくなるぜ!!
2013/08/14
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恥ずかしながら現在、彼女と大絶賛ケンカ中である。エッチとケンカどっちが多いかと言えば、圧倒的にケンカばかりしていると言う俺たちであるが、今度ばかりは敵さんもナカナカ本気らしく、いよいよカップル解消の危険が危ない。今までの恋愛がそうであったように、一時の感情に任せてお別れしてしまうのは至極簡単だ。しかし一度壊れてしまった関係は二度と壊れる前のカタチに、戻す事は出来ないだからこそ今一度、大切にしなければならないなぜならば俺たちはまだ壊れてしまう、前なのだ俺が門司港から去る事を決意した背景には、梶田氏とのボタンのかけ違いがあった。粘度の高いその不快な経緯を、後日の筆で詳らかにするのはさておこう。ただ俺がかつて確かに抱いていた彼へ対する一方的な尊敬であったり憧れであったりする感情はこの一事を以って完全に砕け散り、俺の心の底で今も鋭利な切れ口を晒している。触れれば容易に心傷つけてしまうこの思い出の栞を引く事は、今しばらくできない。しかし胸中吹き荒ぶ苛烈な暴雨風に堪え忍ぶ術を、今回の旅で再会を果たした『ひむかの郷』の吉田先生は「起こった事をあるがままに受け入れること」と教えてくれた。そしてこの旅に出る数日前、女手一つで子供二人を育てた日々を振り返りながらお袋は「幸せじゃなかったら、辛かった事を笑って思い出せない」と語った。前述した通り、一度壊れてしまった関係が壊れてしまう前の姿に戻る事など決して無い。彼が以前の様に憧れや尊敬の対象になる未来は、俺の人生に於いてもう二度と訪れないだろう。梶田氏本人もまた、別段それを望んではいまい。それでいい。しかし人生の師とも呼べる吉田先生やお袋が、この決定的な局面に於いてピンポイントに授けてくれたそれぞれの言葉を、旅という名のか細い糸で不器用に縫合すれば、結局は「全ては時が解決する」という、もはや初等哲学と呼ぶことすら躊躇ってしまう普遍的な格言へと収斂されてゆく。触れれば傷ついてしまう心の破片の冷たく鋭利な切れ口は人生の四季に遅々たる風化を受けて丸くなりやがて気安く手に取って甘美な感傷に浸るに足るキラキラと美しい、記憶の宝石となるだろう俺と梶田氏が以前の様な関係に戻ることは無くともいつの日かその宝石の物悲しい輝きとお互いの若い過ちを苦い肴に酒の一杯も酌み交わす日はやってくる門司港の親友大ちゃんは、この旅を「門司港にケリをつける旅」と、半ば残念そうに評した。漏らす吐息に幸せを小さく逃がしながら語られる彼の物憂げな感慨に誤謬を差し挟むつもりは毛頭ない彼の言うとおり今回の旅で、俺の門司港にケリはついたそして門司港で俺と梶田氏との間に起こった出来事を通し俺の人生は結果的によりよく、そして確実に加速したあのドロドロとしたクソッタレの過去へ戻ってもう一度あそこから人生をやり直したいなどとは今は毛程も思わない「大阪…こんか?」今回の旅の終わりを決意した門司のマクドナルドで小倉社長から突然頂いた電話とその驚くべき提案は運命論者である俺をそう納得させるに、大いに力ある内容であったー 間違いない ー如何な喜びも悲しみも全てはイメージする最良の未来へと美しく、繋がっている大阪を拠点に向こう一年志を果たすため日本全国をドサ回りするのもまた…旅人中林あきおの、生き方だろういよいよ訪れる俺の人生のクライマックスには今別離の分岐に立つ彼女が必要だならば俺は今までの流儀を捨て投げ出すのではなく呑み込むのではなくもう一度、彼女とやり直す努力をしてみよう短く長い間、俺の兄貴分だった梶田氏は最後の最後に身を持って愚かな弟に教えてくれたのかもしれないいいかあきお俺たちがそうだったように本当に大切な人との関係を一時の感情で簡単に…壊して、しまうなよってね
2013/02/16
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平成25年2月12日/雨大分県別府市次から次へと出会いがあり、なかなか日記を楽出来ない。今日は歩いて日本を一周している最中、三重県美山町の水害ボランティアで知り合った、アイコちゃんと、そのお母様と再会した。三重県の親子に、大分県でである。つい先日のシナチクさん(ほ、北海道)の件といい、この旅は本当にチョットどうかしている。出会った当時ルーズソックスの女子高生だったアイコちゃんはスッカリ大人びて、ちょっとドキッとするキレーなお姉さんになっていた。ここら辺の出会いも俺の愚著下巻に詳しいが、一緒にボランティアをしたショウゴ君も今は地元を離れ、元気に仕事をしているらしい。あの頃の、笑顔で自転車二人乗りでもしてそうな彼らをキラキラと思い出すと、何というかいまさらながらに甘酸っぱい気持ちになってしまう。それと同時に、あの彼らにこんな気紛れな旅の空で再会を果たしてしまうと、やはり日本一周の旅が俺を改めて呼んでいるような気がしてならないのだ。■走行距離=0km■走行距離合計=955km■燃料費=0円■燃料費合計=11660円■買い物モーニング/400円喫茶店で談話/900円温泉/100円アイス/150円うれしや/3600円合計/5150円■買い物合計30898円■使用金額合計=42558円
2013/02/13
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平成25年2月11日/晴れ鹿児島県垂水市→大分県別府市高純度の移動日であった。これは考えれば考える程やり切れなくなってくる事柄だが、歩きなら軽く二週間はかかる距離が、爺ちゃんのガクガクと震える足腰でも半日あれば十分なのだ。歩いて日本を一周していた当時、俺は車の免許を持っていなかった。翻って自動車運転の有資格者となった今、歩いて日本一周なんて、絶対に出来ない自信がある。だって、疲れるんだもん。ただ気力、体力が高いレベルでバランスする30代直前に、あんな旅が出来た事は、大変幸福だったと思う。あの旅を経て、俺の人生は大きく変わった。それは世間一般で言うところの「真人間」になり損ねたターニングポイントだったかも知れないが、無限の宇宙の小さな地球の、さらに短い人生じゃないか。中林あきおはこのまま、生涯旅人で行こうと思う。別府ゲストハウスを利用するのは、かれこれ三回目だ。ゲストハウスとはライダーハウス同様、旅館やホテルのそれより随分砕けた感のある雑魚寝の安宿だが、その分旅人同士の距離が近い。今夜も晩飯前の談話室で日記を書いていると、韓国から旅行でやって来たという美人さん2人組に、別府から長崎行きの長距離バス予約をお願いされ、朝昼抜きの腹をぐーぐーと鳴らしながら、割りと多い注文にエキサイトの和英翻訳ページを涙目で操って、肩で息を切る思いでミッションを達成した。「ありがとござましたー」無邪気に笑って手を振ってくれた娘さん方は大学生との事だったが、何だかんだで彼女らと再び会う事なんて、基本的に無いんだろうなぁなんて思うと、分かり難かったバス停の場所とか、もう一歩丁寧に教えてあげれば良かったなと思うのである。晩飯は食事は餃子しか選べないけど、ビールはアサヒかキリンを選ばしてくれるという、冗談のような餃子専門店だった。大好きなチキン南蛮の宮崎をすっ飛ばし、たどり着いた別府でよもや餃子も無かろうと思ったが、オススメされた居酒屋が定休日だったので仕方なくやってきた。…しかし、これが滅法美味い。極薄の皮に包まれた餃子は小ぶりでパリパリと歯応え良く、そのくせ中身は小籠包もかくやのジューシーっぷりなのだ。そもそも竹瓦温泉でガッチガチに鍛えたビール喉と、韓国娘の晩ご飯小一時間ほど引き伸ばし作戦も相まって、餃子、ビール、餃子、ビール…という単純かつ白熱のラリーが、カラッカラの喉にペッコペコの腹に、ただただひたすら旨い。昭和22年、お爺さんの代から餃子一筋だと微笑む女将は三代目。二代目でご健在だというお父様は、この餃子のキモとも言うべき極薄皮を朝の五時からほぼ手作業で仕込み始め、目鼻立ちキッパリの、無口だがちょっと色っぽい娘さんに託すのだそうだ。何だかんだで大満足の暖簾を割って、息の白い別府の繁華街へ。ビールも飲んだし、ダイエットの事はひとまず忘れて、帰り道の大盛りラーメンと、洒落込んでしまう、豊かな旅の夜なのだ。■走行距離=412km■走行距離合計=955km■燃料費=4000円■燃料費合計=11660円■買い物温泉/100円アイスクリーム/120円高速/5600円ゲストハウス2泊/5000円餃子二人前&ビール/1800円ラーメン大盛り/700円合計/13320円■買い物合計25748円■使用金額合計=37408円
2013/02/13
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平成25年2月10日/晴れ鹿児島県喜入町→鹿児島県垂水市…我ながらすごい勢いで、旅日記になっていない。昨日の日記は全編通して酔っ払いの愚痴みたいなもんだし、一昨日の日記に至っては半分夢日記ではないか。やはり何と申しますか、そもそも日本の正しい旅日記というモノは、何時に起床し、ドコドコで何を観て、食べた何それが如何に美味しかったとか、そういうのをダブルピースの写真に添えて書き連ねるモノではないのだろうか?と言うわけで俺も今日は一つ、そういう正調スタイルに則って旅日記を書いてみようと思う。俺だってヤル時はヤルのである。朝8時に起床、8時30分に喜入の道の駅を出発して、9時マクドナルドで朝マックを食べる…えーい!黙れ黙れ!こんな書き出しでは一向に、話を膨らます事ができんではないか!掴みに面白い事の一つや二つ書きたいではないか!小エロのジャブがあってもいいじゃないか!こんな俺もで一応努力だけはしましたよとアリバイだけを残し、ここからはいつも通りのグダグダ旅日記になるのである。「あぁ、やっぱり」と、引き返すなら、今のうちなのである。朝日を鋭角に吸い込んでキラキラと百波み千波む錦江湾を右手に(俺の旅はつくづく何処かへ行く旅ではなく、誰かへ会いに行く旅なのだな)そんな事を考えていた。走行距離がやがて15万kmに届こうとする爺ちゃんの、ガタガタと震えるハンドルの向こうには8年前、やはり歩いて旅をしていた頃に出会った竹トンボの達人「荒木さん」がいる。先日の日記に登場した「ひむかの郷」でご縁を得た荒木さんは、鹿児島のラジオ出演を紹介してくれたり、屋久島帰りのホテルを手配してくれたり、ゴミ拾い九州一周の旅ではダンボール甲冑で武者行列する祭りにフル装備で参加させたりしてくれたりと、思えばこんな歩くしか能の無かった旅バカに対し、不可解な程良くしてくださった。竹トンボ、ゴム銃、カメラに水彩と多才な荒木さんの本職は整体だ。その診療台をベッド代わりにして泊めて貰った事もある懐かしい『せぼね研究所』で、コーヒー一杯分の8年間を語り合うと、「ちょっと近所へお茶でも」という流れになった。その行き着く先が『カラオケ喫茶/沙羅』だった。さすがは薩摩・示現流のお国柄、ラジオ出演やお祭り参加同様、まっ昼間っから酒抜きカラオケというのは、万に一つも考えつかなかった奇襲的歓待方法だ。俺としても年明けからこっち、カラオケには常々行きたい行きたいと思っていたので『氷雨』『雪列車』トドメに『島んちゅの宝』と高らかにブチ上げて、気分爽快。別れ際には玉手箱ならぬ荒木さん謹製『大人のゴム銃』を拝領し、現代の竜宮城『せぼね研究所』を桜島方面へ後にするのであった。そして本日の目的地である『ライダーハウスたるみず』では、更なる「偶然」…いや「運命」が「あら、久しぶり」と、手ぐすねを束で曳いて待っていた。北海道で最も有名と言っても過言ではない函館老舗のライダーハウス『ライムライト』名物オーナーである「シナチクさん」が、お忍び旅行中だと言う酒井リーダーの代わりに管理人をしていたのである。俺はもう、微塵も疑うまい出会いも別れも楽しい事も辛い事もこれからどんなに過酷で驚嘆すべき出来事が待ち受けていようと運命論者、大いに結構!全ては起こるべくして起こっているんだ!そんな予感を確信に変えその夜俺達南北の旅人は何度も乾杯をした素晴らしき人生の旅に、盛大な乾杯をした■走行距離=113km■走行距離合計=543km■燃料費=1380円■燃料費合計=7660円■買い物朝マック/200円温泉/400円発泡酒6缶パック/780円宿泊費/1000円ハヤシライス/200円合計/2580円■買い物合計12428円■使用金額合計=20088円
2013/02/13
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平成25年2月9日/晴れ鹿児島県阿久根市→鹿児島県喜入町鹿児島県日置市の山中で「ひむかの郷」というNPO法人を運営している吉田先生とは、歩いて日本を一周している頃に知り合った。当時は重い病気や不登校等で心を病んだ方々を受け入れ、緑深い里山に清冽な小川、日本の棚田百選にも名を連ねる美しくも豊かな自然の中で、季節旬を季節のままに頂き、心身共に日々の様々なストレスを癒すという施設であったが、三年前に最愛の奥様を亡くされてからは、心労から受け入れ施設としての活動を休止してしまったそうだ。とにもかくにも仏様の様な方で、甚平姿のチョンマゲで真っ赤なプロパンガスキャリアーを引っ張るという、パッと見てもジッと見てもシミジミ厄介事の塊であった歩く危険物状態のあの頃の俺を「是非」と誘って、食わせてくれ、寝かせてくれ、生涯忘れ得ぬご縁と大変得難い経験を、過酷な歩き旅に干からびかけていた俺の心に慈雨の如く注いでくださった。この辺の出来事は拙著の下巻に詳しいが、横浜の後藤先輩や浜サロマの代表、四万十川の酒井さん、多良の麓の多古里さん同様、俺の人生の恩人とでも言うべき方である。俺自身人間的底が浅く、大変かりやすい精神構造のオトコである事は重々自覚している。しかし慢心、虚栄、不安、嫉妬…と、旅の都度様々に背負い込んでくる俺の心の荷物を、吉田先生の慧眼はしばしば正確に見透かしている。今回も「人間ですから、執着を無くすなんて事はできません…しかし減らす努力はできます」と、予告なしの押し掛け女房的再会を果たした昼食の席で、吉田先生のふとした一言がドンズバと俺の心に突き刺さってきた。「あの先生…執着を減らすには、一体どうしたらよいでしょうか?」吉田先生は静かに箸を止め、十年の時の流れを感じさせない力強い眼光で真っ直ぐに俺を見据えると、教えるでも、諭すでもない穏やかな口調で、柔らかに応えてくれた。「起こった事をあるがまま受け入れる事です。幸せが訪れたら笑顔で享受し、幸せが去るのなら去るに任せましょう。大抵の人は幸せを受け入れる事は大好きです、しかしその大抵の方々が、去ろうとする幸せに必死になってしがみつこうとします。得てして不幸は、そこから始まるのです。幸せが去る事が不幸ではありません。去る幸せを認められない事が不幸なのです」スッとした。心の何処かで澱の様に溜まっていたわだかまりが、晴れて行く様な気がした。この旅はこの一言と出会うための「運命」であったと言ってもいい。吉田先生は以前がそうだったように、俺の心の煩悶を根掘り葉掘り聞くような事はしない。しかしポッカリ空いてしまった俺の心の隙間を、その穏やかで端的な教えで、あっという間に満たしてしまった。良い事も、悪い事も…楽しい事も辛い事も、ただありのままに受け止めればいい。例えば重い病気になった事を受け止めなければ、その病気と戦う事はできない。既に手離れた幸福に恋々としていれば、次に訪れる新しい幸せを掴み損ねるだろう。既に起こってしまった事をどの様に受け止めようと、起こった以上は無く、起こった以下でも無い。幸せとか不幸というのは自身が置かれている環境ではなくてその環境を自身がどの様に受け止めるかなのだ全ては自分が選ぶ幸と不幸の選択権は、結局自分にあるのだ捨て切れない最後の荷物を背負って大牟田を…いや、門司港を発ってはや半月事ここに至って俺はもう、完全に吹っ切れてしまったそりゃこれから様々に訪れる人生の十字路でまだまだ迷い、躓くこともあるだろうしかしいずれにせよ道を選ぶのは自分自身でそれを幸せと感じるか不幸と感じるかもまた自分自身なのだ起こった事をあるがまま受け入れよう幸せが訪れたら笑顔で享受しようそしてその幸せが去ってしまうのならば去ってしまうに、任せようじゃないか■走行距離=168km■走行距離合計=430km■燃料費=1220円■燃料費合計=6280円■買い物ジョイフルでモーニング/399円温泉/300円さつま豚骨ラーメン/700円生ビール/480円替玉/100円合計/1979円■買い物合計9848円■使用金額合計=16128円
2013/02/12
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平成25年2月7日/晴れのち曇り熊本県宇土市→熊本県八代市そもそもこんなのは勝ち負けの問題でもないし、別段改めて書き連ねる程、誇らしい事柄でも何でも無いのだが…「この度俺は車中泊に対し歴史的大勝利を収めました大変誇らしい気持ちで一杯です」遡る事10年…歩いて旅をしている時から事あるごとに、俺は車中泊の旅人から「もー車中泊は大変大変!アンタの旅なんかよりも、とにかく何がなんでも大変!」と、聞き習わされてきた。歩きと同じく雨に打たれ、風に吹かれる剥き身の旅人のライダーやチャリダーからはむしろ同情される事こそあれ、こんな言われ方をした事はなかったが、何故か車で旅をしている方からは半ばムキになって、そう指弾される事が多かった。旅の宿泊拠点として道の駅を利用する事が増えるにつれ、その傾向は顕著になっていったが、彼らが言うにはかさむガソリン代や駐車場探し、特に「夏は暑いし冬は寒い」のが大問題だという。まるで歩きテント旅の夏は涼しく冬は暖かいかのような言いぶりだが、当時の俺は免許も無く、車中泊の経験も無かったので「そうか、そんなものか」と思うより、他無かった。しかしこの度不名誉にも歩き車双方を経験してしまった者から言わせて貰えれば、未体験の夏はさておき寒い季節の防寒対策は車中泊よりもテント泊の方が圧倒的に大変だ。想像して頂きたい、冷たいアスファルトに直張りしたテントの中では新聞紙をウエハースした銀マット二枚重ね&寝袋二枚重ねでも充分寒く、寝袋の中に自らの寝息を吹き込んで騙し騙し暖を取るような毎日だったのだ。内気と外気を遮断するのはテント本体とそれを包むペラペラのフライシートだけで。それに対しアスファルトに接していないコクピット、しかも鉄の塊にゴムパッキンを施した車中泊の気密性などは、最早比すべくもない。そもそも車の場合は寒くてしょうがなかったら、最悪暖房だってあるのである。しかし俺は車中泊の旅敢行にあたり、就寝時の暖房を使わない方向で考えていたので、とりあえず今回は自分の部屋からありったけの毛布を持ってきた。その数、実に五枚。いやもう、ぜんっぜん寒くねぇっす。車中泊、楽勝っす。そりゃ歩き旅でも毛布を四枚も五枚も持ち歩ければ寒い苦労は無いだろう、しかし衣食住のバランスを計りながら荷物の総重量を如何に軽くするかに腐心する人力系の旅において「だって、寒いから」などと言う薄弱な理由でそんなに大量の毛布を持ち歩く旅人がいれば、それはもはや旅以上の苦行を己に課しているか毛布の行商としか思えない。その点車中泊の旅はひとまず車内にブツが収まりさえすれば、荷物の重量にそれほどの頓着は不要だ。それがキャンピングカーや改造ワンボックスなど、旅に特化した車両ならなおのこと、俺の小さな軽にだってたかだか毛布五枚程度ならリアにブチ込んでおけば、綺麗に畳まないクシャクシャポイでも後部座席にすらハミ出してこないのである。仮に「車中泊は寒くて寝不足」なんて言う旅人がいれば、それは単に己の準備不足であって、そんな彼らに剥き身の旅なんか、まず不可能と断言する。敢えて言おう! ◯◯であると!(言ってないじゃんw)…そんな己の溢れ出すアドレナリンに真っ向から正直な駄文で、せっかくの貴重な読者をあたら失った感も否めない、誠に遺憾な書き出しではあるが、とにもかくにも俺が言いたいのは「歩きの旅は辛かった!」という事である。その辺をさり気なく察して頂けると、大変有難いのである。さて、本日の目的地は熊本県八代市と言う事になった。道なりなら出発地点から40kmも移動しない、もう歩いてだって行ける距離だ。ここには以前日本を一周した時に出会った旅人がいる。角園恵二…出会った頃はヒゲもじゃらの風体でギターを弾きながら50ccのカブで旅をするという変態だったが、今は故郷八代の街で合格率なんと100%を誇る塾を経営しているという変態だ。俺は以前から薄々「彼はもしかしたら変態ではないのだろうか?」と疑っていたが、その疑いが確信に変わったのは実は割と最近の事、そう日記のトップに貼り付けたあの画像を見てからである。こんな写真をあろうことか和名「顔本」とも呼称される「Facebook」の、あまつさえプロフィールに選んじゃうのだから、もう全方位的に水も漏らさぬ全天候型の変態ではないか。そんな角園氏との不安な再会を果たすため切ったハンドルのすぐ先が八代市だった。それもそのはず歩けば一日の距離も、車ならちょちょいの小一時間なのだ。なのでなるべく大好きな海沿いを選んで走り、八代市街地を抜けて10km先の八代港へ突き当たり、Uターンする格好で市街地を再突破、寄り道に寄り道を重ね国道沿いの温泉でガッ!と汗を流すというドライブを存分に楽しんだところで「もりもり」という、彼独特のいささかイラっとする、低い声のお呼びがかかった。向かった先は八代繁華街のアーケード通り、ほぼ中央に位置する「JB’sカフェ」変態角園氏曰く出てくるモノがどれも変態的に美味く、その上マスター以下常連さんまで揃いも揃って変態だという、まさに変態の見本市か変態エキスポとでも言うべき八代のカオススポットなのだそうだ。果たせるかな店舗の軒先に何の脈絡も無くドドン!と巨大な酒樽が鎮座する「JB’sカフェ」は、角園氏の証言を100%忠実に再現した、まさに変態パレスの様相であった。「今日は中林さんに、八代を食わせますよ」と優しく笑ってマスターである岡崎さんは次々と、そして淀みなくシナを並べてきた。手始めは熊本名物、馬刺しである。鮮やかな赤身と脂身のコントラストも瑞々しい馬肉の盛りには、麗人の吐息を思わせる蕩ける舌溶けのタテガミがそっと寄り添っている。滋養豊かな土の匂いのする丸々と太ったそら豆は豪快な素焼きを岩塩で、縁側の刺身を彷彿とさせる歯触りの朝取り椎茸はソテーにして微かな甘さの熊本醤油で、今朝地元八代港で揚がったばかりだという肉厚の二枚貝は小鉢に寝そべっているそばからちょっとウットリする程の磯の香で、レモンを垂らした海の味のする貝肉を、焼酎のお湯割でキュッとヤルのは堪らない。またこの焼酎自体も幻の焼酎と名高い「魔王」を手掛けた杜氏が仕込んだ「七窪」という銘酒だそうで、清冽かつスッキリとした後味が、追い鉢で出てきたトロットロの馬スジの煮込みと果てしなくジューシーな赤鶏のセセリを、いともサッパリと食わせてくれるではないか。次々と、そしてあっという間に空いてしまう皿をシシャモの塩焼きで繋いだ後を、パーナ貝のイタリア風酒蒸しで軽く意趣返しするあたりは、もう料理人の引き出しの多さをこれ見よがしに物語っている。魔都八代なのである。恐るべしなのである。そして最後の締めはリクエストした角園氏が思わず席を立って「ハラショー!」と、ロシア式に絶賛する岡崎マスター謹製お出汁で頂くざる蕎麦だ。この蕎麦が如何に美味いかというと、この時点でもう十二分に満腹だった俺たち二人が、合わせて五玉をペロリと平らげてしまい、おこぼれにあずかろうと目論んでいた隣のお客さんが怒りの葡萄酒を飲み干して席を立ってしまう程なのである。手早く、そして絶妙のタイミングで次々とシナを流すマスターの語りは軽妙なウイットと過不足ない料理の含蓄、そして滋味深い知性に富み、そんなマスターを慕って訪れる常連のお客さんは誰も楽しい、更に何と言っても角園氏の変態極まりない個性が、普段なら足早に暮れかかる旅人の時間を、圧倒的かつ徹底的に忘れさせてくれるのだ。なんだかんだでヘロンヘロンになり、八代のアーケード街へ向けて帰宅の暖簾を割ったのは、実に日付を2時間ほど跨いだ深夜であった。飲んで食って笑い、そのお会計はなんと千円ヤラレタ!と思い「ちょ!普通に取って下さい!」と慌ててお願いしたが、経験上このパターンはもう飜らない。ならば大人しく旅人の礼に倣うとして、次こそは一人のお客さんとして必ず来店しますと、一夜の大恩に深々と頭を垂れる。「いつでも、八代で待ってますよ!」岡崎マスターは人柄の滲む穏やかな笑顔で、求めた握手に応えてくれた。変態角園氏もこの時ばかりは、眩しそうな眼差しで、ご縁の繋がる瞬間に立ち会っていた。こうして八代は俺にとってまた忘れ得ぬ、街となったのである実を言えば日記冒頭の画像に、俺は一番辛かった門司港での11月下旬〜12月初旬という時期を、大変助けられた。粘性のドロドロとした感情に押しつぶされそうだった俺の心を、彼のあの画像はその圧倒的なバカバカしさでドカン!と笑い飛ばしてくれた。必ずしも生きる事が辛いのでは無い…しばしば辛い事を考え続ける事が辛いのだ彼のプロフィール画像を見てニヤリと或いは声を出して笑えたあの時間は俺の門司港にとって、かけがえの無い大切な、時間だった■走行距離=72km■走行距離合計=150km■燃料費=3080円■燃料費合計=3080円■買い物マクドナルドコーヒー/150円牛皮手袋/150円温泉/380円JB’sカフェ/1000円缶ジュース/100円合計/1780円■買い物合計=5496円■使用金額合計=8576円
2013/02/08
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平成25年2月6日/雨のち曇り福岡県大牟田市→熊本県宇土市意外にも俺は、あてのない放浪旅が初めてらしい。考えてみれば俺にとって「旅」とは、その時々の「目標」を「達成」するための「手段」だった。なのでこの目標も無く、期限も切らない純粋な「放浪」というスタイルはかなり新鮮であり、同時に心の何処かで強く憧れていた行為に他ならない。今回は九州を緩やかに一周する車中泊の旅だ。ルールなんかひとまず無い、まずは大雑把に南下してみるが、これと言ってルートも決めていないし、明日は気が変わって北上してるかもしれない。あるいはもうこんな旅がひたすら面倒臭くなって「実家へ帰らせて頂きます」なんて、夫婦喧嘩の末三行半一歩手前の嫁さんみたいな事になっているかも知れない。MS06ZZ(諸岡製作所06式プロパンガスキャリアーダブルゼータ)、CB400SF、Meguruちゃんに続き、名誉ある旅の相棒兼移動式寝床に抜擢されたのは、北九州へ移住する際に8万円で購入した13年落ちの「ミラクラシック」通称「爺ちゃん」だ。アイドリング中に足元がガクガクするし、パワステは壊れたし、その他アレコレと精緻な随筆も憚られる程ガタがきているが、燃費もまぁボチボチだし(リッター20kmは走るんじゃないかな?)走りにも不満は無い。メーターは14万km…ざっと地球三周分とかなり回っちゃいるが、考え様によっちゃあ地球を三周も無事に走り仰せた丈夫な車って事だ。「旅」と言えば気になるのは「旅道具」…いわゆるグッズないしギア関連だが、今回はやたらお高く止まっていやがる旅専用品のそれでは無く、なるべく実家の台所にあった日用品で代用し、それらをピクニックバスケット一丁に詰め込むという「シンプル・イズ・ベスト制」を採用した。ガスコンロから歯磨き粉まで、一から全て中林家よりの強制徴用という事もあり、今回の旅には準備にほとんどお金がかかっていない。その代わり真冬の車中泊なので、毛布は唸る程持ってきている。寝袋の上に何枚もミルフィーユ状に重ねて使うので、寒くて寝れないなんて事は多分無いだろう。今日は大牟田の実家を出発してまず、熊本県天水町にある「草枕温泉」へ向かった。実家から30kmしか離れていないので中林家にとっては全くの日帰り温泉なのだが、歩きの旅では丁度一日の一里塚となる距離もあり、俺にとっては旅立ちの際になにかとお世話になる…ドラゴンクエスト風に言えば旅の準備を整える「お城の隣の街」みたいな位置づけだ。また歩いて日本一周が計画段階だった頃、旧友森川氏とその旅について語り合ったのも、有明海の彼方に普賢岳を臨む、この湯船のだった。高台の広々とした露天でひとしきり汗を流し、サウナ室のおっちゃん達と無言のサウナファイトに勝ったり負けたりしながら俺は、歩き、バイク、電気自動車と、その時々の様々な旅人だった自分と再会を果たしていた。いつも希望に燃えていたいや正確には今も希望には燃えているしかし旅人になってはや10年壁があったらぶち壊していたあの頃の「50kmや70kmは一日で歩いて見せるぜ、明日もな」的な変態的パワフルさは、正直持ち合わせていないしかし来年に控える新しいチャレンジは、その下準備からして恐らく今までのチャレンジを凌駕するエネルギーを必要とする。その様を想像するだけで、十二分にグッタリしてしまう程だ。「ため息を吐くと幸せが逃げますよ」と、ごく最近カドヤの常連さんに諭されたばかりだったが、ため息混じりに見下ろした湯船に白いものの混じった何かがユラユラ揺れているのを見つけてしまい、俺はまたほんのもう少し、幸せを逃がしてしまった。落ち窪む夕陽が溶けたビードロのように美しい普賢連山に日はまだ高かったけれど、雨上がりの潤んだ空気は磨き上げた虫眼鏡のように遠く澄み渡り、吹き散らされた薄雲の空き地にクッキリと鮮やかな虹をかけていた。今夜の目的地は天草半島への入り口である三角漁港だ。ここにはプリップリのエビがゴロゴロと圧倒的物量を誇る宇宙要塞ア・バオア・クー的なチャンポン屋があり、港の空き地には確かテント泊も出来た。しかし「腹減ったー!」と鼻息も荒く、締め切りドアを開いた「大空食堂」で俺は、エビが一尾しか乗っていないチャンポンと切ない邂逅を果たす。鶏頭級の高性能CPUを誇る俺の記憶では、確か油でジャッ!と炒めた瑞々しい野菜の山の上に、花咲か爺さんもかくやのエビが桜色の彩りを添えていたチャンポンの筈だったが、長引く不況はお江戸からジワリと波及して、ここキリシタンの里の一歩手前まで押し寄せていたのだ。「危うし天草四郎!」そんな迷惑かつ一方通行な思い込みを割り箸に乗せて野菜の山を掘っていると…出るわ出るわ、あたかも石見の銀山か徳川埋蔵金でもあるかの如く(あ、あれは無かったのか)エビの鉱脈に箸が次々と引っかかるではないか。「旨ぇ!堪らね!」と、エビのゴールドラッシュに舌鼓を16連打。結局チャンポンを食い終わる頃にはなんだかんだで10尾近いエビを発掘、不足しがちな野菜も豊富に摂れて、ダブルで大満足の大空食堂であった。…だが問題はその暖簾の外で勃発した。近所のコンビニでポケットウイスキーとツマミを買い込み、レジの女の子に軽く一目惚れ(多分女子高生)してエンジンを切った空き地兼駐車場は漁港の道路拡張工事出張所の様になっており、関係車両の出入りでイマイチ落ち着かない。多分車を停めておく事自体は問題ないのだが、仕事あがりらしいむくつけき男達が至近距離で車内をガン見するし、シートを倒したフロントガラスの視界全面に砂利満載や電柱をロケット砲の様に刺したダンプの大回転が迫力満点に展開する様はそこらの3D映画が裸足で逃げ出す大迫力で、誠に遺憾ながらその都度、俺の心拍数を微妙に上げてくれるのだ。どうにもいたたまれなくなってエンジンを再始動、ここの少し前にトイレを借りた「道の駅・宇土マリーナ」まで戦略的撤退をする事にそして近所のコンビニで更なるアルコールと一目惚れを追加して記念すべき放浪旅と車中泊の初夜に一人、乾杯をしたのだった■走行距離=88km■走行距離合計=88km■燃料費=3080円■燃料費合計=3080円■買い物カセットガス三本セット/225円水2リットル/54円醤油/198円缶コーヒー30缶パック/1470円シャンプー/298円塩/68円チューブバター/219円ポケットウイスキー/299円おつまみ/105円温泉/500円缶ジュース/120円チャンポン/680円発泡酒/160円合計/3716円■買い物合計=3716円■使用金額合計=6796円
2013/02/07
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隙を見つけてはファミコンばかりしている様な子供だった。バブル期の、真っ只中だ。テレビは一家に一台がまだそれ程珍しくなかった時代、家庭の娯楽を独占してしまうファミコンは、それはもう蛇蝎の如く嫌われていた。それでもあの手この手で姉を買い物へ送り出し「ファミコンした分勉強するけん」と、見え透いた嘘でお袋をなだめすかし、あの手この手を駆使しては、ソフトの差し込み口に「フッ!」と、慣れた息を吹き込んでいた。そんなソフト達の中でも特に印象深かったのは、漫画家の大友克洋さんと名作の隙間にトンデモナイ迷作を挟み込んでくるタイトーがタイアップした『アキラ』というゲームだ。『サイキックアドベンチャー』と銘打たれた同作は間違った選択肢を選んでも残念な事にしばらくはそのまま話が進んでゆき、結局はその先のやたら多い選択肢全てが即死に直結するという無理ゲーで、確かに何かしらの超能力者でも無ければ攻略が困難な時間泥棒だった。しかし前述の例えに依れば間違いなく後者へと類されるこのゲームは、選択肢毎に妙にこだわった言い回しで繰り返される理不尽な即死ぶりがナカナカに痛快で、見本市の様な死に方をアレコレ選びながら友人達とゲラゲラ笑って飲んだコーラの味すら鮮明に思い出せてしまうほど強烈な記憶は、俺の少年時代を眩しく彩っている。そう、楽しかったゲームも不出来なゲームも今となっては全てが素敵な思い出として心のタンスへと大切に、格納されているのだ母子家庭だった中林家の経済は今の感覚で表現すれば下の中くらいであったと思う。しかし既に斜陽の炭鉱街だった大牟田の、さらに俺が住んでいた飲屋街近辺には似通った境遇の友人も多く、大人が念仏のように言う「他所は他所!ウチはウチ!」なんて諦念さえ身に付けてしまえば、荘厳なゲーム御殿だった平川君ちや圧倒的プラモの城だった草野君ちに遊びに行くのもまた愉快な娯楽の延長で、確かに彼らほど物質的に恵まれていたわけではないが、同時に『貧乏=不幸』という構図も、それほど簡単には成立しなかった。当時の感覚では充分に『都会』と断言できた大牟田の繁華街には『カホ無線』なる、今で言う家電専門店が幾つかの店舗を展開しており、俺はその二階にあったパソコンコーナーが大好きだった。ファミコンではとても再現できない何十万円もするパソコンが織り成す、まるで写真のように煌びやかなデモ画面を飽きる事なく見入りながら、いつかそれを手に入れるかもしれない未来の自分を想像して、心は果てしなくときめいた。目の前にあるどうしたって手に入らない確かな希望…今にして思えばあれこそが、バブルという時代のお裾分けだったのだと思う。(日本はますます凄い国になる!)カホ無線から夕日の方角の我が家へ…今日のキン肉マン消しゴムを握りしめて踏み抜く自転車のペダルに、何処かの夕餉の匂いが優しく絡まった。子供たちがみなキャプテン翼やアムロ・レイだった時代…まだ黄昏を知らない日本企業は競って、アメリカの土地や不動産を買い漁っていた。俺にとって門司港とは、殊更にそんな事を思い出させる土地だ。大牟田に門司港…国策で一気に栄え、一気に衰退した街の歴史が重なるのかもしれない。日々のFacebookにも喧しいように、門司港で出会う人々は皆、底抜けに楽しい。俺みたいな余所者のバカを散々に笑い飛ばし、まるで蹴っ飛ばすような乱暴さで受け入れてくれ、落ち込んでいる時には親身になって相談にのり、そしてクダラナイといえば余りにもクダラナイ笑い話や、抜ける様な笑顔の向こうの何処かが誰も、決まって哀しい。それはバーテンダーという職業柄、カウンターへ無造作に投げ置かれるお客様の心の背嚢の中身を垣間見れるゆえかも知れない。カドヤ(仮)のオープンからだかだか四ヶ月…これほど短期間にこれほど濃密な人間関係に揉まれたのは生まれてこの方初めてだと、力強く断言することができる。2013年1月31日を以て中林あきおは、大好きな門司港を旅立ちますそれは東京駅で後藤さんとお別れした時の様に北海道の浜サロマの代表とお別れした時の様に多良岳の麓で田古里さんとお別れした時の様にひむかの郷で吉田さんとお別れした時の様に四万十川で酒井さんとお別れした時の様に水害の街でショウゴやアイコとお別れした時の様に箱根の峠でチャリダー郷とお別れした時の様に大阪の車庫でMeguruちゃんとお別れした時の様にそして日本中で出会った愛しい方々とお別れした時の様にとてもとても哀しい事だけどその哀しさの分だけ中林あきおは今は手に入らない確かな希望へ向けて力強く、歩き出します2012年暑い夏の日から甚だ短い間ではございましたがカドヤ(仮)でお会いした親愛なる皆様そして愛すべき全ての酔っ払いの皆様楽しい思い出と忘れ得ぬ日々を本当に、本当にありがとうございました!2013年1月8日カドヤ(仮)店番 中林あきお思えばカドヤ(仮)という秀逸なファミコン本体にとって俺は不出来な、バグだらけの時にいう事を聞かないファミコンソフトだったならばここからがカドヤ(仮)の本領発揮いよいよカドヤ(仮)『真章』の始まりだ…いつしかすっかりおっちゃんになってしまった俺がいうのもなんだが俺は誠に遺憾ながら伝統的にどうしても何故か不思議とおっちゃんに好かれてしまう親不孝でも吉祥寺でも女の子にはサッパリだったそんなワケでカドヤ(仮)もなんだかんだと気が付けばやたら味のあるおっちゃんだらけの店になってしまったしかし俺のいなくなったカドヤ(仮)はお洒落なお客様が連日ひきも切らない楽しいノンシャランな空間になってゆくだろうそんなカドヤ(仮)のカウンターに今度は一人のお客さんとして俺もいつか自分の心の荷物を置きに来よう…いや、今回の門司港で結局最後まで抱え切れなかった荷物を片手でヒョイと背負える男になって帰って来ようその日まで少しだけサヨナラだ2013年1月10日旅人 中林あきお
2013/01/12
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「…青葉城?」「恋唄!」仙台を旅した時に聴いたという曲をYouTubeで探し当て、近所のナオちゃんはドアの外れたドコデモドアのケースに入ったiPhoneを俺に手渡した。そしてつい今しがたまでカドヤ(仮)を包んでいた土岐麻子のおしゃま空間は木っ端微塵に砕け散り。辺りは如何にも古臭そうな曲名から素直に導き出される最大公約数でもあるかの如き昭和モータリゼーション全盛期の旅情歌唱に情け容赦無用で叩き落とされたのだった。シンガーは『さとう宗幸』「お?青葉城恋唄?いいねぇ!あ、紅茶一杯」そのうらぶれつつも透明感のある不思議な声音に誘われるようにして軒先に白いママチャリを停めたのは、歳の頃ならスッカリリタイア済みの雄三おじさん…もちろんこれが今日が初めてのご来店だ。「すごいねその装置!そんな指スースーするだけでいろんな曲聴けるの?」おいちゃん一曲リクエストしようかな?と根本的な何かを根源的に取り違えつつ、雄三おじさんはそんな注文をつけてきた。それからしばらくカドヤ(仮)は、誠に遺憾ながらカドヤ(昭和旅情歌唱喫茶)としての営業を強いられる事となったのである。岩尾別旅情襟裳岬宗谷岬…しかしその一曲一曲ごとに、まるで語り部の暗唱の如く重ねられる当時の話は、老いる事を夢想だにしなかったであろう戦後世代の、あたかも総天然色日活スコープでもあるかのような原色にキラキラと彩られ、気がつけば俺もナオちゃんもまるで絵本を読み聞かせて貰っている幼子のように夢中になって、雄三おじさんの昔話に耳を傾けていた。「そこの骨董屋でハーモニカ買ったのよ、100円」そういうと雄三おじさんは、首から提げたお守り袋から穴の四つしかない小さなハーモニカを取り出して、デタラメに吹いて見せた後「なんだこれ、音が三つしかでねーよ」と舌を出し、カラカラと笑った。そして程よく冷めた紅茶に最後のミルクを入れながら「…手紙っていうんだけどさ、最後にもう一曲だけリクエストしていい?」と、急に真顔になった。手紙ったってそんな曲はゴマンとある。俺は誰の『手紙』やや半笑いで聞いて驚いた。「アキだよアンジェラ•アキ」そう『手紙 ~拝啓 十五の君へ〜』である。この歌詞に触れたのは確か、薄氷を踏むような危うさでMeguruちゃんのプロジェクトを計画から実行に移すくらいのタイミングであった。夢を追っていても、夢の只中にいても…そして夢に破れても、この唄はメッセージが強過ぎて、大好きなんだけど自分では怖くて聴く事が出来ない、恐らくただ一つの曲と言っていい。『負けそうで、泣きそうで、消えてしまいそうな僕は誰の言葉を、信じ歩けばいいの?負けないで、泣かないで、消えてしまいそうな時は自分の言葉を、信じ歩けばいいの』アンジェラ•アキさんが熱っぽく唄うその歌詞は、つい先ごろ完膚無きまでに夢破れた俺の心を中央市場の果てまで撃ち抜くに、十分力あるものだった。熱を帯びた目頭をグイと拭いながら目を開けると、雄三おじさんは窓の外をぼんやりと見つめ、その老いたごま塩の唇の先で、15歳の不安の破片を追いかけていた。その時思ったイイとかワルイとかじゃ無ぇ人生ってヤツにゃイロイロあるんだよ、と「壊れたハーモニカが100円、この紅茶が300円…中央市場、悪く無いね」また絶対来てくださいね! と手を振る俺にリンリンと警鈴で応えながら雄三おじさんのママチャリは堺町方面の角に消えたそして俺はまた一つこの中央市場が好きになったのだった
2012/10/17
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中林家の母…つまり俺のお袋の武勇伝は枚挙に暇がない。俺がまだ子供だった頃、お袋が救急車で帰ってきた事があった。幼少期の心持ちには救急車がよもや自宅の目前に停まるという事自体も大変な驚きであったが、救急車をタクシー代わりにしてお袋が帰ってきた理由にも大層驚いた。なんでもお袋は当時勤めていたデパートの自動ドアが開いている…ないしははじめから存在しないと信じて疑わず、真っ直ぐに突進し、脳震盪という誠に残念な結果に至ったらしいのだ。その後慌てた周囲の人々が要請した救急車にお袋を詰め込んだとの事だが、揺れるストレッチャーの上で意識を回復したお袋は「カレーの鍋ばつけっ放しにしとりますけん、ウチまで送ってください!!」と、勢い跳ね起きたという。聞けばカレーの調理中に材料をそっくり仕事場へ忘れて来た事を思い出し、慌てて取りへ戻った事に端を発するのだそうで、半ば巻き込まれる格好となった親父も俺も、お袋が執念で作り上げたカレーを食いながら、一様に絶句の体であった。ある時等は包帯グルグル巻きのミイラ姿で帰ってきた。「すげー!」それは本物のミイラを見た事が無かった俺の、歯に衣着せぬ感慨であったが、なんでも今回は車を運転する親戚ケイコおばちゃんの”一瞬”の判断ミスが災いし、交通事故に遭遇したのだそうだ。「そう言えば私、ケイコさんと買い物しよる時に、玉子のパックば落として割ったっちゃんね…今思うと多分アレが虫の知らせやったとよ」お袋は目出し帽の様な包帯の隙間から凛々しく虚空を見つめ、自らの推論を疑う事をしなかったが、母の言う様におばちゃんの一瞬の判断ミスが事故の原因ならば、その玉子を割ってなければ事故そのものに遭わなかったのではなかろうか?という30年近く温めてきたかつての直感に、俺は今でも力強く頷いてしまうのだ。降りのエスカレーターに登ろうとして膝カックンなんかはザラで、登りのエスカレーターを降りようとして帰ってくる事もある。ある夜などはCDからPCへデジタル録音中に部屋へ入ってきたお袋に「今録音中」と振り返ったら「しー」と人差し指を立て、静かに部屋を出て行ったり。かと思えば覚えたての携帯メールで『あきおさん、電話代の請求が、大変しつこくきとるよ\(^o^)/』と、圧倒的に顔文字の使い方を間違って、俺に貴重なコーヒーを吹かせたりと(オワタという意味を理解して使ったのなら正解だがw)、その傍若無人振りは度々ネタ切れに陥った俺の日記に、格好のネタを投下してくれた。極めつけは駅での事、切符を入れないまま自動改札に突入したお袋は、まるで流れる様な見事な所作で後ろの人が入れた切符をキャッチしてホームへ雪崩れ込み、切符の持ち主を大いに慌てさせた。(運悪く同道していた親父は知らない人のフリをするのが精一杯だったそうだ)…以上の様にもしかしたらこのヒトは全て分かってやってるんじゃなかろうか?と邪推されても致し方ない言行に富んでいるのである。「明日帰ってくるけん、もつ鍋ば用意しとって」そんな痛快を薄っすらと期待しながら故郷へ切る俺のハンドルは軽かった。高校を卒業して福岡、東京とかれこれ20年近くも離れて過ごしていたが、Meguruちゃんでの旅を終えてからこっち、一ヶ月近くも家を空けていた事は無かった。カドヤ(仮)夜の営業を終えた足で辿り着いた故郷大牟田は日付を跨いだ深夜の帳が降り切っていた。「ん?」覚悟していた違和感にはすぐに気がついた。軒先の蛍光灯にチラチラと照らされた中林家のタタキで俺を出迎えたのは、鉄砲玉だった娘息子の代わりに16年、親父とお袋の心の隙間を埋めてきた、愛犬ハナの首輪だった。手に取った意外に太い首輪の内側には、まだ色褪せていない小麦色の柴毛がみっしりと絡みついていた。エンジン音に気付いたらしく、玄関先にお袋の気配がした。俺は慌てて首輪を元の場所に置くと、いつもの様にややムスッと「ただいま」とだけ言った。お袋はどこか嬉しそうに俺に発泡酒とポテトチップスを手渡しながら、親父が俺の帰宅を楽しみにしていた事、しかしながら明日は仕事が早いのでもう寝入ってしまった事を教えてくれた。明けて昼からは近所の風呂へ行った。何も考えたくない時、俺は明るいうちから風呂へ行く。サウナで火照った身体を東屋の板張りに横たえていると、明日をも知れぬ旅の空にテントを乾かしていた頃を思い出す。そしていつも言い聞かせる(なんとかなる…なんとかならんかった事が無い)と。実際その通りで、人生には都度都度今度こそ絶体絶命!なんていう局面が幾度も訪れた。しかし結局その度毎になんとかなっている。…なんともならなかった事は無い汗の量だけ心を軽くして中林家へ、iPhoneの着信にお袋があったので掛け直すと、もつ鍋の材料を買いに行きたいので車に乗せてくれという。「準備の悪かね」と、電話口では悪態をつきながらも、まるでこれから恋人とドライブにでも出掛けるかのように散らかった車内を片付けている自分に少々驚きつつ、俺はお袋を迎えに実家へと向かった。買い物中は北九州での話を一言もしなかった。ただ当然の様に投げ掛けられるお袋の問いかけには「うん、全部上手くいきよるよ、うん」とだけ、答えた。二年をかけて歩いて日本一周をした時も10年越しの夢だった処女作出版の時も九州一周ゴミ拾いウォーキングの時もバイクの免許取り立てで日本一周をした時もその旅が雑誌連載された時も紆余曲折の果てにMeguruちゃんでの旅が決定した時もその旅がテレビで特集された時もお袋はいつも、俺の活躍話しが大好きだった。そして俺はあたかも乙女のような眼差しで根掘り葉掘りと話を聞いてくれるお袋に、まるで己が講談師かバナナの叩き売りでもあるかのような大袈裟な身振り手振りを交え、誰も全く興味の無い自分語りをするのが大好きだった。そして今回気がついた。彼女は知っていたのだお袋は俺の自慢話に興味があったワケではあるまいただ自分がそうする事で愚息が無二に喜ぶと彼女は全て、知っていたのだーせめてお袋の前では堂々としておかねばなるまいーーそれが渡世人である俺に出来る、唯一の親孝行だー子供の頃、親父の車窓で流れた故郷の風景にハンドルを切りながら、今の俺にはそれが精一杯の虚勢だった。「海に行こい、海」お袋の言う『海』とは有明海に沈む夕日を背負い多良、普賢連岳を遥かに臨む、全長1kmにも及ぶ堤防道路の事であった。それは今の愛車を8万円で納車した昼下がり、嬉しくてお袋を連れて出した思い出の場所でもある。車を停め、俺は砂利と貝殻をいっしょくたに練り込んだ古いセメントの堤防によじ登り、お袋はその胸の高さ程もあるセメントに首だけちょこんとのせてしばらく、すっかりと早くなった緋色の落日に目を細めていた。「上手くいきよらんとやろ、仕事」背後から突如通り魔の様に俺を追い越したお袋の一言は衝撃的だったが…同時にそれは心の何処かで待ち焦がれていた助け舟でもあった。自分でも分かっていた。今回のプロジェクトが明らかな失敗である事に。しかしそれを認める勇気が、俺には無かった。表面を取り繕い、なんとかなっていると自分に言い聞かせ、心からしきりに聞こえてくる鈍い軋みに、俺は必死になって耳を閉ざしていた。お袋はどうやら少し以前から、俺の無言の煩悶に気づいていた様子だった。「ウンウン」振り返らず無言で頷き、眼下に拡がる漁を終えた有明海の海苔畑を見つめながら、俺は一人涙が止まらなかった。如何に森羅万象に通じようと、稀有な経験に身を苛もうと、親の前に子は、いつまで経っても子のままなのだろう。「うおおおおおおおおおおおおお!!」堤防の上に立ち上がり、胸の底に淀んでいた大ボケのカスを故郷の海に盛大に吐き出して、俺は肩でグイと涙を拭った。「ホラ帰るよ、お父さんの待っとるばい」俺の泣き顔に気付かないフリをしてそそくさと助手席の人になろうとするすっかり小さくなったはずのお袋の背中がその時は何故かかつて手を引かれていた幼子の頃の様に頼もしかった「なんね、遅かったやんね」そして待ちぼうけを食った親父に笑って詫びて、その晩一家で盛大につついたもつ鍋は…なんだか今までで一番美味しく、幸せの味がした。本日平成24年9月29日土曜日は『Bar•Transit』の開業予定日でした。しかし北九州市門司区中央市場に開業予定だった『Bar•Transit』計画はこの度、完膚無きまでに失敗致しました。それは今まで期限を切り、公表をしたプロジェクトは全て確実にやり遂げてきた俺に取って、初めてとなる手痛い敗北でした。敗因は全て『自らの見通しの甘さ』にあります。しかし、このプロジェクトの敗北を素直に敗北と認め、徒手空拳に事実を受け止める事が、明日からの中林あきおになにより必要な事だと思い、幻となった独立記念日に、かくなる駄文の筆をとりました。今回のプロジェクトに於ける数々の無責任な発言、及び発信を猛省するとともに、大変恥ずかしく思っております。じき40にもなろうとする大の男が出来もしない事を公表してしまい大変申し訳ありませんでした
2012/09/30
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藪から棒に梶田さんがヤル気になった。どう言うワケか絶賛改装延期中だったカドヤ(仮)を「近日中に再オープンしようぜ!」という話になったのだ。誠に遺憾ながら梶田さんの優先順位的にカドヤのオープン無くしてtransitのオープンは無い。そう言う意味においても、カドヤ(仮)のオープンは悲願であり、喫緊の課題なのだ。そんなわけで取り敢えず明日は中央市場を主戦場として、一気にカドヤ(仮)を攻めるのである。そして今夜はすれ違う女性全てを天女に見紛うほどやや飲みすぎたのである
2012/08/02
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北九州門司港地区『中央市場』に俺のBARを作ってくれる建築家の梶田さん曰く「本業がアツイ」らしい。このフランクな表現をもう少し丁寧に言い表せば「本業が忙しい」となり、これをさらに意訳すると「お前に作るBARはねぇ!」という「この度はご愁傷様でした」とでも言うべき誠に遺憾な結果となる。そもそもタンメンならまだ諦めもつくし、最悪他所へ喰いに行けば済む事なので作ってくれなくてもいいちゃいいのだが、BARを作って貰えないのはいろいろと大変困るのだ。そんな来た仕事は断らない、一頃のフィル・コリンズばりに忙しい梶田さんが抱えている現場は聞くところによると二つ、これに『中央市場活性プロジェクト』の旗艦店舗ある『カドヤ(仮)』の改装なんていう内職も抱えていらっしゃる。しかも『カドヤ(仮)』の改装に至っては結構な労力で一辺はキッチンごと「よっこらしょう!」と引っ張り出したカウンターを、やはり結構な労力で「どっこいしょう!」と、もう一度引っ込めようというマッチポンプ振りで、(…これはもしや俺に対する何かしらの精神的暴力なのでは)という一抹の疑惑に、それ程の誤謬を感得出来ない惨状なのだ。そこで必要となる俺の具体的行動が『必殺!梶田さんの本業お手伝い』なのである。連日の猛暑と共に梶田さんの仕事のペースを著しく落とすであろう俺にでもきるような雑用(持ち上げる、取りにゆく、迎えにゆく、運ぶ、食べる、飲む、寝るetc)を一手に引き受ける事により、梶田さんの作業効率をアップさせ、現場作業の時間短縮を狙うのである。これには実は日雇い人夫として労働力を提供する事により、BARの施工費を安く上げるという副次的効果もあり、全財産がお袋から餞別で貰った袋ラーメン5袋パックと一万円ポッキリとなってしまった俺にとっては、なかなかWinWinな取り引きなのだ。と言うわけでこれからしばらくは梶田さんの丁稚兼小間使いとなって『BAR transit』の開業を、ドドンと目指すのである。そこんとこ夜露死苦なのである。
2012/08/01
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小学生からの親友『草ちゃん』に脚立を借り、親父に頼まれて錆くれた玄関の屋根を塗り終えた昼下がり、ポケットのiPhoneに着信があった。飲み差しのポカリスエットを一口飲んでからでいいやと額の汗をぬぐい、何気なく発信主を確認して驚く、なんと大阪の小倉社長ではないか。小倉社長といえば去年の今頃、『あっぱれev頑張れ日本チャリティーツアー』で大変お世話になった電気自動車Meguruちゃんの生みの親である。俺は慌てて姿勢を正し、呼吸を整えて電話に出た。「おお中林!元気にしとるか!」かつて夢に見るほど憧れた小倉社長から、開口一番そんな声を掛けられ、俺はなんとも形容し難い幸せな気分になってしまった。忘れもしないあれは2年前の4月7日、初めて淀川製作所の電話番号をプッシュし、早鐘の打つ心境で受話器の上がりを待つ俺に静かに襲いかかったのは、あからさまといえばあからさまな居留守であった。いや、もしかしたらその時は居留守ではなかったのかもしれないが、後から聞いた話によると、それから一週間近くは意図的に電話を繋いで貰えなかったのは確かなようだった。電話番をしていた経理の女性が根負けし、小倉社長の携帯電話番号を教えてくれたのはそのもう少し後で、抑えた胸の律動を鼓膜に感じるほど震えながら発信音を数えた果てには「あんたかずっと電話かけてきよったんわ!で!なんや!」という怒声と呼ぶに相応しい開口一番が轟いた。内心(しまったな)と、慌てて受話器を耳元から離した当時の俺の想像力は、今日この佳日に到底追いつかないであろう。…しかしその時の俺は既に、今達成している夢を明確にイメージしていた。『手元の120万円でMeguruちゃんを購入し、日本を旅するのだ!』という夢を。歩いて日本一周を果たした8年前から、思えば俺は常に目標を持って生きている。無論現在直近の目標は、北九州門司港地区にBARを開業し、中央市場というアーケード街の活性化に微力ながら寄与することだ。この活動で得るであろう様々なノウハウを、ゆくゆくはわが故郷大牟田市の活性化に存分に活かそうと考えている。しかし、その前の段階で、俺には果たさなければならない約束があった。それは『Meguruちゃんでの日本一周』だ。忘れもしない2011.3.11…それまで波乱含みながらも遅々たる前進を続けていたMeguruちゃんでの日本一周計画は、未曾有の大震災の前に跡形もなく吹き飛んだかに思えた。その欠片を必死の思いで拾い集め、様々な難問と数々の困難を退けて決行した『あっぱれev頑張れ日本チャリティーツアー』であったが、日本一周から西日本縦断と旅の規模を縮小したことによる行動計画の変更は、Meguruちゃんでの来訪を心待ちにしていた東日本の支援者の方々へ果たすことのできなかった約束として、最終回を見逃した連続ドラマのような虚無感を、俺の心にポッカリと空けていた。『Meguruちゃんで、もう一度日本一周にチャレンジをする』それは今日まで小倉社長、Meguruちゃんのオーナー平田社長にしか打ち明けていなかった計画だ。俺はこれからの二年間で更に200万円の貯金をし、その資金で平田社長からMeguruちゃんを正式に譲り受け「まかしとき!」と胸を張る小倉社長にMeguruちゃんが日本一周に足る踏破性能の獲得できるよう改良をお願いし、思えば皆様に多大なるご迷惑、ご心配をおかけしたスポンサー制を改め、今度は純粋なる自己資金で日本を元気にする旅へ出発しようというものだ。無論簡単ではないしかしそもそもMeguruちゃんの旅ですら、一部からは『絶対無理』と言われていたのである。自分ではチャレンジもしない『絶対無理』を達成するのはひとえに『目標と行動』だ。『人が想像することは、必ず人が実現できる』とは、海底二万マイルの著者ジュール・ヴェルヌの言葉であるが、俺がMeguruちゃんでの日本一周を想像し、目標とした瞬間から、その夢はもう叶う運命にあったのだと思う。それはかつてやはり『絶対無理』と笑われた『歩いて日本一周』や『出版』…『派遣社員8ヶ月で100万円の貯金』や『Meguruちゃんでの旅』が悉く無理ではなかった事実に、雄弁な説得力を与えている。有言実行が好きだ。後ろ向きな可能性にのみ言及しろくすっぽヤリもしないうちから『絶対無理』なんて恥ずかしい事は、絶対に言わない。これからのプロジェクトである北九州門司港地区中央市場でのBARもシッカリとやり切って後、俺は必ず次の目標も達成してみせる。「中林はイケイケどんどんやからつまらん所で足元掬われる、せやから露払いが必要なんや…しかしまぁ今回はこのワシが水も漏らさぬ作戦立ててプロデュースしてやるさかい、安心しとき」かつて夢にまで見た憧れの社長にここまで言って頂いて勇気も百倍だ。東日本でMeguruちゃんを待っていらっしゃった支援者の皆様そしてまだ見ぬ全日本の皆様大変永らくお待たせいたしましたあの日叶わなかった夢は誓いとして動きだしやがて揺るぎのない現実として皆様の街を訪れることでしょう今やるべき事をシッカリ成し遂げた果てにさぁ中林あきお…新しいペイバックタイムを始めようじゃないか!
2012/07/25
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「なんや久しぶりに、子供がオモチャを取り上げられる時の気持ち思い出したわ。…月30万くらいかかる銭喰いのオモチャやけどな」宴もたけなわの送別会で、竹中社長はポツリと独りごちた。人の事を公然とオモチャ呼ばわりしているのだから失礼といえばこれほど失礼な話しもないのだが、生来憎まれ口の竹中社長としては、これで目一杯褒めているつもりなのである。珍しく二次会に参加しなかった社長の少しだけ寂しげな背中を佐賀の歓楽街に見送りながら、俺は9ヶ月分の感謝を最敬礼に込め深々と頭を垂れた。竹中社長と十数年ぶりに再会を果たしたのはMeguruちゃんで旅をしていた去年の今頃、アスファルトに揺れる蜃気楼が厚い福岡の街中だった。竹中社長には当初Meguruちゃんの充電だけお願いする予定だったのだが、なんだかんだで福岡の美味いものを食わせて貰い、気落ちよく酔わせて貰い、フカフカのお布団で寝せてもらった挙句、気がつけば旅が終わった後の仕事までお世話になって、現在に至っている。この仕事には普通車の免許が必須だった。Meguruちゃんで旅をしなければ車の免許なんて今も持っていない筈の俺だが、この仕事にありついていなければ最終的に40万円まで膨らんだ借金を返済しつつ、8ヶ月で目標金額である100万円を貯金するなんて到底不可能だったワケだから、この辺の縁の繋がりは考えれば考えるほど卵かニワトリかの例えに似てなんとも面白い。偶然なんか無いんじゃないかと思うのだ。故郷の古くからあるビアガーデン『博多屋』で、同級生との飲み会があった。皆小学生からの言うなれば泥んこの付き合いだ。ただ途中引っ越したり、進学で別れたり、それぞれの事情で社会へ出る過程で、気がつけばお互い十年や二十年のスケールで連絡を取る事をしなかった。このメンバーで酔宴の卓を囲むきっかけを作ってくれたのは何を隠そう淀川製作所謹製の電気自動車『Meguruちゃん』に他ならない。去年の今頃を疾走していた『あっぱれ!ev頑張れ日本チャリティーツアー』は、いろいろな方々に様々に助けられて成功したプロジェクトだったが、諦めた瞬間に全てが瓦解するプレッシャーにすぐにでも押しつぶされそうだった俺を、彼らは同級生という立場で故郷から力強く支えてくれた。俺に『なーし君』というあだ名をつけてくれたアッキャンのお父様はプロジェクトのビックスポンサーである大牟田観光協会へ俺を紹介してくれ、小中高とお互い腐れ縁のシュウマイは同級生スポンサーの代表となって故郷の友人を取りまとめ、子供の頃多分一番遊びに行った草ちゃんは、持ち前の器用さでMeguruちゃんの基本性能を格段に向上させ、手のつけられない乱暴者だった時ちゃんはいつしか土建屋のボスとなり「金に困ったらいつでん言え、俺がどげんでんしてやるぞ」と頼もしい啖呵を切った。池ちゃんも田中さんももりせ君も、個人スポンサーとして俺の旅に同行してくれた。してもらってばかりの俺は未だ、彼らになに一つお返しをしていない。それなのに彼らは更にもう一段無謀なチャレンジしようとする俺を「頑張れ!頑張れ!」と、精一杯励ましてくれる。一次会では支払いを断られた。「せめて二次会で!」と強引に手渡した福沢諭吉は、翌朝お袋経由で帰って来た。なんでも四時間にも渡るカラオケの二次会は、途中から参加した時ちゃんが総勢10名以上の払いを頭から全額持ってくれたのだそうだ。パッと考えてもシミジミ考えても、一銭も儲からず、それどころか迷惑しかかけていない俺が、ここまで底なしによくして貰える道理は無い。そしてそれは日本全国から俺を支えて下さった全てのスポンサー様に共通する事だ。悉く、全てはMeguruちゃんのご縁の力なのだろう。そうでなければいろいろと説明がつかないことが多すぎる。あの人、この人…指を折る側から気が遠くなるほど、去年のプロジェクトはまさに俺のご縁の総ざらいであり、そして更に新しいご縁を、かけがえなく紡いでくれた。気の置けない仲間たちと快笑のビールをゴクリゴクリと呷りながら(あぁ、なんとしてもこのご恩に報いなければならないなぁ)そんな思いを新たにした同窓会なのであった。都合九ヶ月の付き合いとなった仕事を上がって一週間。すっかり影を潜めた白髪に情緒の安定を感得しながら、次なるプロジェクトの主戦場となる北九州へ移住準備に余念が無い。現場での足となる社用車も納車が完了し、各種保険の手続きも済んだ。合わせてカード経由の無駄な支払いを見直し、主に通信方面で膨らんでいた固定費を根本から削減、北九州移住から先行して配るととなる新しい会社の名刺もデザイン完了した。今、穏やかな気持ちで次のプロジェクトを見据える先には、Meguruちゃんとの約束がある。まだ内緒だが、そう遠く無い将来に、Meguruちゃんはもう一度俺の人生と、俺に関わって下さった方々にリンクしてゆく事だろう。日本列島を綺羅星のように縦断するかけがえのないご縁に折る指は到底足りないのだけれど武者震いにも似た既視感に胸を踊らせながらやはりー偶然なんか無いんじゃないかーと、思わずにはいられないまたいつかやってくるMeguruちゃんとのよしなしごとに想いを致せば何処にいても、旅なのである
2012/07/10
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ホームページでの日記、ブログへの記録、出版に雑誌連載…卑近なケースではつぶやきひとつにせよ、俺の発信というのはすべからく俺自身への山彦なのだと思う。目標を立て、実行し、完結させ、その発信を繰り返しながら俺は、達成感の温もりに自分自身の生を実感するのだ。そんな作為の塊の俺に東京からやって来た歩く旅人斎藤さんの発した「生きることそのものが大事」という無為の言葉は、空気振動として鼓膜へ着床した瞬間よりも深く、俺の心に木霊している。夢や目標も確かに大事、しかしそれ以前に生きている事が大事なんだ。それは「今日のご飯はなににしようかな?」と考えながらオカズばかりに想いを馳せている状態。ともすれば一緒にご飯を食べていることを忘れてしまっている不覚。余りにも当たり前すぎて見落としてしまうとても大切なこと。オカズしかない豪華絢爛な食卓を前にして、俺はその違和に気づくだろう「ご飯は?」という、ごく短い言葉で。今までの様々な出会いが悉くそうだったように、斎藤さんは出会うべくして出会った方なんだと思う。夢や目標至上主義的だった俺が自らに芽生えた矛盾を克服し、この新しい哲学を己の血肉とするには、些かの時間が必要だろう。そういう意味に於いて、今回の講演は主張が不安定だった。でもどっちとも大事なことじゃないか努力の果てに夢を叶えることも生をただ生として受け止めることも
2012/06/20
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旅人が来た!ー東京から九州まで歩いて四週間でー同じような事をやった人間からすれば、これは実に偉大な数日である。ファミレスの窓から見送る背中が朝日の方角へ小さくなってゆく。かれこれ10年も前になる自分の背中を見慣れた街角に見送りながら、この一年張り詰めていた何かがふと途切れて、静かに泣けてきた。朝五時に目覚ましをセットして隣県熊本を目指す彼の旅は今日完結する。普段自分からは絶対飲まないであろうドリンクバーのアセロラドリンクは、そんな素敵な一日のお裾分けだ。旅を終えた渡辺さんはとんぼ返りで東京へ戻り、8月にもカナダを目指すらしい。ワーキングホリデーで英語力を付け、仕事に役立てたいのだという。「歩いて九州までゴール出来ないようだったらカナダ行っても無理と思ったんですよ」言いながら虚空を睨むような彼の視線には、底知れぬ突破力があった。ー結局彼は彼の夢を、彼の方法論で叶えてしまうーそこには「安定指向」とか「水も漏らさぬ行動計画」とか「失敗したらどうしよう」とか、そんな甘っちょろいものは無い。彼にあるのは行動と、それに対する結果…どこまでも純粋に、ただそれだけである。いいじゃないか。それだけで、いいじゃないか。確かマーフィーの法則に『マイクロメータで計測し、チョークで印をつけて、斧で切る』というのがあったと思うが、俺はこの言葉が大好きだ。これは一つの大切な真理をユーモアを交えて雄弁に物語っている。計画段階では細やかであってもいい、しかし上下法修正には遊びを持たせなければ計画は破綻する、そして行動となれば躊躇せず一気にやり切らなければならない。今の世の中、大体いろいろと考えすぎなのである。俺の経験からすれば、どんなに頭のイイ人がどれほど考え込んだって、物事ってヤツは考え通りに絶対進まない。俺みたいなバカなど、おいておやである。それをやりもする前から可能性を吟味し、賢しらな検証を加え、挙句やらないなんて言うのは典型的な生兵法、口耳学、机上の空論だ。ましていわんや上記の手法を以って他人のチャレンジにケチをつけようなんて言うのは、全くの大きなお世話としか言いようがない。「この旅で僕はどうしたって生きていけることが分かりました。生きることがそのものが大事なんだなと思います」俺より10歳も若い彼の言葉の一つ一つには生命の律動が宿っており、そのどれもこれもが悉く腑に落ちた。安定と言うのはメインバンクに殺生与奪の権限を掌握されている大樹の陰に全力で寄り添う事ではない、自分の二本の脚でシッカリと大地を掴む事なんだ。彼のゴールの無事を祈りながら傾ける甘く、酸っぱいアセロラドリンクのグラスに人生の滋味が重なったそれはかつて幾重にも頬を伝った涙の味に、少し似てる気がしたあぁ、間違いない今正に事に及ばんとするタイミングで得た彼との出会いは新しいチャレンジに武者震う俺への人生からの、ギフトだったのだ
2012/06/13
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熊本県の社会福祉法人『うすま苑』様で来る6月13日『中林あきお的、夢の叶え方』と題し、生涯三回目となる講演を開催する運びとなった。講演で熊本と言えば数年前、九州一周ゴミ拾いウォーキングを題材に日奈久の中学校からも招待され、その様子が後日読売新聞でも取り上げられている。俺のような至って普通の男が一生の間で講演など、そうそう主催できるものでも無いと思うが、その貴重な機会のうち二度を熊本でという現実を改めて目の当たりにするにつけ、最近とみに運命論者へ傾倒著しい俺にとってはなんだかこう見えざる者の慮りというべきか、深淵な息遣いのようなものを感じずにいられない。ご縁といえば講演の原稿を仕上げにきた実家の近所のファミレスは旅が終わってすぐ、全くスッテンテンだった俺が次の資本金である100万円を稼ぐ為裏口の暖簾を割ろうと心に決めていた場所だ。時給は700円。仮に8時間フル出勤働けたとしても月々の借金を返して実家に家賃を入れればピッタリzeroになる皮算用だったので、コンビニのバイトも掛け持ちしようと考えていた。1日16時間労働…なんぼのもんじゃい!今の仕事にありついたのはそんなボクシングの亀田兄弟的、ややヤケクソ気味の憂鬱なモラトリアムが息絶える寸前。もう15、6年も前に一緒に仕事をした竹中さんとの再会がトリガーだった。竹中さんには去年の夏、旅の途中にMeguruちゃん諸共一宿一飯のお世話になっている。一緒に仕事をしていた当時はスケベなサラリーマンだったが、十数年ぶりに奢りの生ビールで乾杯を交わした竹中さんは、スケベな会社社長になっていた。「ども!Meguruちゃんの旅終わりました!ところなんか仕事ないっすか?」「仕事?あるよ」別府の温泉の帰りに悪戯のつもりでかけたこの電話がご縁となって一年…佐賀地区責任者として存分に采配を振るい、新しい商圏を開拓し、後進を育て、目標金額である100万円が見えてきた上に彼女まで出来てしまったのだから、これで身長でも伸びれば男性誌の裏表紙に喧しい幸運ブレスレットのような、怖いくらいに出来過ぎたご縁だ。面接には大牟田へ遊びにきていた(帰りの電車賃すら無かった俺を送ってくれたとも言う)梶田さんもいた。「門司港で商売するためお金貯めるって言うんで、どうぞ盛大にこき使ってやってください」「そうでっか、なら梶田さんが損せんでええよう、しっかりこき使いますよ」行きかける夏の残照がキッパリと三人の影を焼き付けた駐車場のアスファルトで、竹中さんと梶田さんは、どこか眩しげに握手を交わした。ご縁が繋がった瞬間だった。俺はつくづく縁に恵まれる。…いや、人に恵まれると言うべきか。歩いて日本一周出版バイクで日本一周そしてMeguruちゃんでの旅人生の様々なターニングポイントを振り返れば、その時々に強烈に、俺を助けてくれた方がいた。最果ての旅路で場違いな部会の席で悲嘆に暮れた電話口の向こうでそれらはまるで雲梯のように連綿と俺の人生をなぞり、パッと思いつくだけでも書き切れない程だ。そしてこのご縁の雲梯は再び、竹中さんから梶田さんへと渡る。ドリンクバーで最後のコーヒーをおかわりしながら、針に糸を通すような運命の悪戯に想いを馳せる。口元から思わず洩れる溜息の深さは、気の遠さを測る一里塚だ。40万円の借金を返しながら8ヶ月で100万円を貯めると言うのは、言ったり書いたりする程楽では無かった。自分なりに精一杯仕事もしたし、ともすれば鎌首をもたげてくる物欲を制するべく、ストイックな日々に耐えてもきた。しかしファミレスとコンビニの掛け持ちでは果たせなかったかもしれない遠い約束の守らせてくれたのもやはり人の縁だと思うのだ
2012/06/07
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6月に退職する佐賀地区管理責任者(SVと呼ばれている)の後任募集につき、期せず同世代の面接を仰せつかる機会に恵まれた。学の無い俺なんかと違っていい学校を卒業し、某有名企業に就職していた彼は、ステレオタイプさながらリーマンショックの年に就職先ごと失ってしまい、履歴書によればそれ以降はアルバイトでどうにか食いつないでいたらしい。パッと見てもジッと見てもコミュニケーション能力に難のありそうな彼は、なかなか定職に就く事ができなかったようで、一年前の某ファーストフードのアルバイト退職以降、職歴が途絶えていた。「最初の二ヶ月くらいは優しく教えてくれたんですけど、急に厳しくなって」頬肉だけで笑う彼と目を合わせる事は終始困難だったが、コミュニケーション能力すらあれば俺くらい無能でもとりあえずなんとかなる今の仕事を彼に託すのは大変酷であると総合的に判断した。俺はその場で履歴書をお返しする事で、面接の返事と変えさせて頂き、その上で生涯においてやりたい事...つまり夢はなんなのかを、彼に尋ねてみた。彼はそもそもが漠然たる表情をさらに漠然とさせ、口を開けたまましばらく考え込んで「保父になりたいです」と消え入りそうな声で返事を打った。俺は些かホッとして「男37歳!今から出来ない事なんてないですよ!なりたい自分があるってーのは、素晴らしいことじゃあないですか!」と笑い飛ばし、その上で「ただ何も行動を起こさず叶う夢はありません。保父さんになるにはきっといろいろと難しい勉強も必要だろうし、食べて行くためのお金も必要です。例えいっときは厳しい仕事でも、それを耐える事が夢への道ならば、幾らかのキツさは試練だと思って乗り越える事も大事ですよ」と、真顔でアドバイスをした。夢見がちな男と言われる。後先を考えない男だと言われる。しかし俺には基本的にいつもやりたい事が明確にあり、仕事はその本懐を遂げる為の手段に過ぎぬと心得ているので、幾らか理不尽な士気系統の元に身を寄せていようが、月の給料の殆どを貯金に回す為、一日平均三百円の食生活に身をやつそうが、まぁそこそこやって行けるのである。「百万円貯めたら、訪ねてきますよ」同じ温泉の硫黄の匂いのする梶田さんを、故郷大牟田の空の下そんな言葉で見送って九ヶ月…三十万の借金を背負い、当時は自販機のジュースすら自分の財布で飲めなかった俺は、今ようやく約束の折り返し地点に立った。今の仕事は六月一杯でこちらから契約を切ったが、今のペースで資金を積み上げれば、七月末に支給される最期の給料で目標金額の百万円にピッタリと到達する。今回のプロジェクトは、この百万円の元手を建築家である梶田さんに託し、北九州門司港地区に在を成す中央市場へ出店を果たし、同商店街の再生にに寄与することで、街づくりのノウハウを学びとる事だ。ゆくゆくはこのプロジェクトで得たコミュニティ形成の経験を一つのパッケージとしてラーニングし、故郷大牟田の活性化に生かすつもりである。ゴールデンウイークの連休には出店候補の空き店舗も見学してきた。鮮魚店だったという元店舗は古いコンクリートが剥き出しの見事な居抜きだったが、無駄な構造物が取り除かれた店内は施工もかかりやすく、豪華三階建てという物件にも関わらずテナントそのものの家賃は三万円と格安だ。計画では一階フロアを長年の夢であったBARに、二階はブロードバンドやFAXなど通信設備や簡単な事務機を完備した書斎兼フリースペース、三階は住居にしてしまおうと画策中だ。七月からは早速門司港地区へ移住し、梶田さんの施工のお手伝いをしながら、九月の開業を目指す予定である。自分の店を自分の手で一から創り上げながら、その様子をTwitterやFacebookでリアルタイムに更新するのだ…これほど胸踊るクリエイティブもそうそうあるまい。賽はいよいよ投げられた今後の計画は断固として粛々と実行に移される有言実行が好きだ夢と現実はより良き人生への両輪とも心得ているやりもしないウチから「出来ない」なんて言い出す無責任な他人の意見は腹いっぺーに聞き飽きた俺はただ今までの俺がそうしてきたように言った事を、必ずやる
2012/05/04
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壊滅的な荒廃から奇跡的な復興を果たし、高度成長期へと突入してゆく1958年の北九州門司港地区『中央市場』・・・そこにはかつて確かな夢が、熱を帯びた力強い律動と共に凛と息づいていた。鮮魚、青物、惣菜、小間物に仕立て屋・・・個人の生活向上が至上命題だった時代、市井に溢れるモノは豊かさの象徴であり、しばしば夢そのものであった。商店主は小さな軒先に持ち前の夢と希望をありったけ詰め込み、訪れる客たちはまるで競う様にして、札束という名の夢の欠片をそれぞれの夢と次々に交換していった。全幅2mにも満たぬ通路は行き交う人々の肩と肩が回避の暇も見出せぬほどの人いきれで賑わい、全長160mに渦巻く豊かさへの欲望は、それがまるで一個の巨大な生命体でもあるかの如く、幾重にも幾重にもアーケードを往復した。それはその時代の日本のどこにもで在った『ジャパン・ルネッサンス(日本文芸復興)』に他ならなかった。あれから50年余の時が流れ『門司港地区中央市場』は、およそ全国の商店街がそうであるように歴史的役目を終え、閉ざしたシャッターの数を一枚、また一枚と増やしてゆく緩慢な終焉へと、黄昏の時代を過ごしていたかに見えた。俺がそんな商店街と出会ったのは・・・いや、その薄暮の商店街に新しい息吹を送り込もうとしている男に出会ったのは2005年秋・・・空き缶を拾いながら九州を旅している最中であった。その男の名は梶田昌嗣。リノベーション的手法に独自の視点を加え、空間を自在にデザインする建築家である。ある日招かれた酒席で普段物静かな彼が「リスクだなんだとしのごの言わず、黙って100万持って来い、そしたら店は俺が作ってやる」と酔態のグラスを振り上げたのを、今でも俺はハッキリと覚えている。夢見がちな男と言われる後先考えなしの男と言われるしかし歩いて日本一周(予算総額200万円)ゴミ拾い九州一周(予算総額100万円)バイクで日本一周(予算総額80万円)電気自動車で大阪~九州間往復(予算総額120万円)こんな旅をしてきた俺にとって、梶田さんの主張は、厳冬の引き締まった空気に粉雪の気配を知るのと同じ感覚で、スルリと府に落ちた。現実と夢って奴はしばしば対義的に語られるが、気がつけば半生を捧げてきた旅人生で俺はいつしか、この両者を両輪だと捉えるようになっていた。夢のない現実は物語のない小説であり現実の伴わない夢は、単なる絵空事に過ぎない明確な夢は明確な行動を要求し夢を現実に引き寄せる不断なる行動こそが、その本懐を遂げるのだ夢は、ある日突然叶ったりはしない全てはアクションに対するリアクションだ行動を起こさずに叶う夢は寝ている時だけで活きたリスクの向こうにこそ現実の成功がある人生を賭し、叶えるに足る夢がある今から17年前・・・ホテルのバーテンダーだった二十歳の頃福岡の街の片隅で、俺は一つの確かな夢を見た『いつか自分のBarを持つ!』この夢はその後台頭してきた『30歳までに出版して作家になる!』という夢を叶える過程で一度は色を失ってしまったしかし時が過ぎて今この瑠璃色に染まった夢が新たな色彩を纏って叶おうとしているしかもその新たな夢はその後の転がし方次第によって現在60歳まで頃を目標としているもう一回り大きな人生設計に密接に、関わってくるのだ2012年秋『中央市場』に開店予定の『Bar・transit』それは現実と夢が交差する、人生の乗り換え駅世界の酒を飲みながら現実の夕に夢を語らいそして本当は痛い程の現実の積み重ねこそが夢の正体である事に気づく大人のBarこの『transit』はかつての夢の跡『中央市場』に『ーBar・transitー』が立ち上がるまでの記録を克明に記載し読者の皆様と一つの夢が叶う瞬間を共有して頂くブログです新しい挑戦は今始まったばかりですがどうぞ応援よろしくお願いします
2011/12/08
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満潮を迎えた唐津の街は、立冬過ぎの澄んだ陽光をキラキラと反射する海面が、橋桁の際を穏やかにさざなみ、街と海との境界をまるで夏の終わりの薄い蜃気楼の様な曖昧さで分かっていた。自然はただ、自然というだけで美しい。のんびりとした交通量の松浦橋を制限速度一杯に減速しながら、少しだけネクタイを緩めた指先でパワーウインドウを全開にする。河口にほど近い風が瞬く車内を満たす、磯の香が胸に心地いい。九州北門、関門橋の旅を空中散歩とするならば、佐賀伊万里方面より唐津郊外を、やがて唐津城下へと誘う松浦橋のドライブがクルージングであるという感慨に、些かの逡巡も誤謬もない。柔らかな日差しにのんびりと子猫寝そべる石段を、年齢並みに息せき切りながら思い出の場所へ。唐津城へは二十歳頃、当時働いていたホテルのバーの慰安旅行で来たきりだ。普段はカマロやジャガーを乗り回す社長以下従業員全員で天守まで登り、真砂の浜が翼をひろげた鶴のようである事から『舞鶴城』と揶揄される眼下の眺望に、若輩ながら感銘を息を漏らした事を、今でも鮮明に覚えている。白亜の藤棚に幾重にもしなだれかかる滝の様な紫苑の花幕も実に見事で、唐津の旅の記憶はその後旅館の敷地内で執り行われた突発性ゲートボール大会と、正体を失うほどの酩酊に追いやられた宴席のほろ苦い思いでと共に、記憶のタンスの奥深くへ、実に丁寧に仕舞い込んであった。今にして思えばあの全社員でゆく二泊三日のバス旅行というのは、大変楽しいイベントだった。金満オーラ全開の社長も、のべつ怒っている気難し屋の料理長も、昼間っから好きなだけビールを飲んでスッカリただのオッチャンだ。車窓を流れる風光明媚もほどほどに、ガイドの娘さんがただただ呆れるばかりの猥談に存分に花を咲かせたかと思えば、やってきたマイクにアカペラのオハコを、酔態の抜けた手拍子で叩き込む。誰もまともにゃ聴いてないんだから、演歌でもポップスでも、なんだって構わない。ただ嫌われ役だった料理長がしみじみ唄った美空ひばりの「柔」は「勝つと思うな、思えば負けよ」というフレーズに大人の哀愁を感じたのか、不思議と耳へ残っている。無論当時はそれが殊更楽しいとは思っていなかった。学生時代の修学旅行なんかは無礼講でもっと楽しかったし、それはある意味無理からぬ事としても、今改めてページを繰ってみるあの頃の俺はこの慰安旅行も含めて、かなりの幸せ者であった。トレンディードラマ程では無いにせよ、駅にほど近いマンションを寮として、そこそこお洒落なシングルライフを楽しんでいたし、食堂では二食まかないが出たので、金欠でも食うに困ったという記憶もない。1990年代半ばの九州に東京で弾けたバブルが津波の如く押し寄せてくるのはもう少し後の事で、青年から大人へ、その往きかかる夏の蜃気楼のような曖昧さで訪れた人生の旅支度には、今で言う自分探しやモラトリアムなど、コレっぽっち必要なかった。あぁ、あれはやはりいい時代だったのだ。不況なのかも知れない、自己責任の世の中なのかも知れない。厳しいい椅子取りゲームなのかも知れない。しかし今の労働人口を取り巻く労使環境は醜聞聞くに耐えず、眉を顰めるほど酷い。「会社の業績が落ちたので拠点を移動しなければならない」仕事で知り合った俺と同い年くらいの方が、ため息混じりにそうもらした。新しい勤務地は車でタップリ二時間、住宅手当は出ないらしいので、現地より通いになるのだそうだ。「僕は派遣が長いんで、もしそんな事言われりゃ速攻でケツ捲っちまいますが・・・仕事とは言え、社員さんは大変ですね」と無難な相槌を打ったそばから「社員じゃ無いんですよ、俺」と不意を打たれ、返事に勢いすっ転んでしまう。なんじゃそらである。経費節約の為に三国志のモンタージュ型量産武将を片っ端から解雇し、シムシティでは真っ先に原発を建ててしまうような合理主義者の俺が言っても説得力を欠く事なのかも知れないが、なんと言うか労働力を調整弁と考える昨今の風潮はちょっとどうかと思う。ヒトコトで言うとただひたすらヒドい。ものの十数年くらい前までの派遣制度は、夢追い人が現実との折り合いをつける為に、会社組織を利用するという構図だったが(俺は今でもそう思っているし、現在のBOSSである竹中社長もそのつもりで俺を使っているが)、現在は必要な時に必要な労働力を、いい様に使い捨てにしているというのが制度の現状であろう。某有名企業が100パーセント出資で運営する派遣会社で働く営業の知人など、40歳から給料が下がり始めるシステムというらしいから、ここまでくると真意の程を二度聞きしてしまう。もはや酷いを通り越してひたすら醜い。この手の話を聞いていつも思うのは、人生丸投げが孕む危うさだ。よって来る運命を極力直視しない丸投げは自分で考えない分確かに「簡単」だけど「簡単」の向こうにはたいてい「狡猾な搾取」が待ち構えているのが今の世の常。だからこそ己の殺生与奪の権利は、自らの切り札にすべきである。そしてそのカードは人生を賭すに足る勝負にこそ、リスクという大枚をはたいて切るのだ。未来を自ら選ぶ事を恐れ、そのカードを誰かに委ねちまうのは、俺に言わせれば最も危険で恐ろしい行為と言い切れる。長い人生、一部を除き安全地帯なんて基本無い。黒海沿岸の某ユーロ圏では、日本なら安全地帯であるその一部すら、既に危険地帯だ。銀行も巨大企業も、ある日突然跡形も無くすっ飛ぶ時代である。唐津行のバスで『無責任一代男』を唄っていた俺は、あの頃働いていたホテルのバーが、それからものの5年も保たず店をたたむ事になるなんて、夢にも思わなかっただろう。不況なのかも知れない自己責任の世の中なのかも知れない険しい椅子取りゲームなのかも知れないあののんびり然とした日本は・・・ウインストン・チャーチル卿の言う「ゼア・ファイネスト・アワー(彼ら最良の時)」で、今の日本にもう二度と戻ってこないのかも知れない。ならば俺は「自分の事は自分で」という小学生・・・いや幼稚園で教わったこの初等哲学へ、今また回帰しよう。てなわけで去年4月の俺がブログ上でそうした様に今年の12月はまた一枚、このブログで勝負の札を切ろうと思う切り札は誰にも見せず微笑を湛えた掌中に秘めるからこその切り札になりうる必勝のカード?そんなモノは必要無いね・・・勝負は常にブタの可能性を秘めているから楽しいんだろ?
2011/11/18
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三週間のぺーぺー研修を経て分かった。今度の仕事であるスーパーバイザー・・・佐賀地区量販店管理責任者の仕事とは、どうやら自分自身が売る事では無く、販売店様や販売員の皆様に如何にご協力頂いて、効率よい拡販を目指すかに要諦があるらしい。そしてやってきた怒涛の8連勤中日である4週間目の週末は、遂に自身がキャンペーン隊を率いて指揮官としての初陣だ。俺は今家電量販店を戦場として、とある通信インフラの販売に携わっている。業界三位・・・決して第一の選択にはなり得ない、花束に例えるならばバラの真紅を引き立てる、カスミ草のようなキャリアだ。今までの慣例で言えば間違っても店舗内一位を取れるポジションにない。しかもキャンペーン直前に業界最大手のインフラ会社が、当方の倍の人員である8名という大キャンペーン部隊を、突如として投入してきた。この事態に本部は大いに浮き足立つ。「なんでキャンペーン同士が鉢合わせるのか?お前にはそれを阻止する調整力もないのか?」とはキャンペーン直前のミーティングで頂いた本部長の有難いお言葉だが、それはあくまでも店舗様を頂点とした彼我のヒエラルキーが生んだ現象なので、その調整は間違っても着任一ヶ月にも満たない派遣社員に期待する事では無い。キャンペーンにキャンペーンをぶつける。しかも相手方より大きな予算規模で・・・そもそもこれは都内の家電量販店等ではよくやる手法だ。多少の出血は厭わない、敵方初となるキャンペーンを全力で潰し、費用対効果に著しい打撃を与え、以後の継続的キャンペーン投入を断念させようという立派な戦略だ。戦術ならともかく前線指揮官である俺に戦略を云々できる権限はない。「負けはしょうがなくても最低6契約は取らないと、君の契約そのものを見直す事になるかもだぞ」そんな露骨な恫喝と惨敗確定ムードの中、俺には静かな勝算はあった。・・・あくまでも戦術レベル、しかもこの時点では先方の指揮官次第ではあったのだが。キャンペーン当日の朝がやってきた。当方は一階の玄関フロアキャンペーンブースへ集中、業界最大手は2階の売り場全域に散らばるというフォーメーションだ。後出しジャンケンの業界最大手にメインの売り場を抑えられた事も本部長の機嫌を悪くしたが、玄関フロアと言う事は先制攻撃権が悉く全てコチラにあるわけで、作戦次第では決して悪い地の利では無い。作戦はまず無料の抽選会でご来店のお客様を足止めし、それでも止まって頂けないお客様には『抽選券』と大書されたポケットティッシュを「ゆっくりとお買い物をお楽しみの後、また遊びに来てください」とお配りする。こうする事によって来店のお客様だけではなく、退店するお客様の導線をキャンペーンブースに向ける事ができる。そして抽選会ではなるべく1等を多く出す。そして1等が出る度に俺が大声で「おめでとうございまーす!」と、2階にも響く様な大声で叫ぶのである。するとそれが呼び水となってキャンペーンブースが盛り上がる。つまりお客様へアピールする相対的時間が増えるのである。これは後に店内の活気付けにもなると言う副産物を産んだ。上長より直前に落とし込まれたキャンペーンの目標は9件。通常の土日を1~2件で勝負している店舗だ。しかも業界最大手のキャンペーン隊が投入されている事は前述の通り本部も戦慄を持って知っている。ハッキリ言ってこの9件という目標は、間違っても達成できる数字ではない。「6件の間違いでは無いのか?」という俺の問いには「6件です。しかし最初から6件と言うと6件すら行かないので、9件を目指す過程で必達の6件を達成してください」との回答だった。なるほど上が考えそうな事だと笑って電話を切る。生憎の雨空に潤んだ駐車場へ、やがて4人のキャンペーン隊がやってきた。初対面の緊張に表情が硬い彼らを前に、俺は「今回のキャンペーン目標は二日間で5件です!楽勝でしょ?」と、のっけから本部指示を無視した目標を提示して大声で笑った。目標は適正であってはじめて機能する目標になりえる。達成の困難な高すぎる目標は、むしろ士気の著しい低下を招くだけだ。ならばまず目標を達成させ、なるべく早い段階で目標達成の喜びを存分に味合わせてやるのである。すると勢いが生まれる。この勢いを活かすのが次の一手だ。「・・・実を言うとこの5件っていう目標は本部が立てた計画なんだけど、俺自身はみんなの実力はこれくらいじゃないと思うんだよね。ハッキリ言ってみんなのスキルを過小評価してる・・・そこでだ!もしこのキャンペーンを通して君たちが5件を越えて6件以上獲得したら、その6件目から1000円を、俺のポケットマネーから即金で支払おう」そう言って俺は前日から準備していた金一封の封筒を胸ポケットからチラつかせた。「これは僕と君たちのゲームだ。こちらとしては5件でもうお腹いっぱい十分だし、6件目からなんかは逆に俺は自分の財布が寒くなる。でも君たちは6件目からがボーナスステージだ。普通にお給料が出る上に即金でお小遣いまで貰えるんだからさ」彼ら学生はお金が欲しいから貴重な時間を削ってバイトをしているのである。時間から時間までいればとりあえずのお金は貰える。しかし頑張れば即金払いというのは、お金の欲しい彼らにとって嬉しいか悲しいかの二択であるなら100%嬉しい話だろう。彼らの瞳が明らかに輝きはじめた。そしてこちらとしても5件プラス報奨金の出る1件で本当の最低目標である6件は達成だ。確定すれば本部としてはここまでで十分な数字である。しかし実はここからが今回のギミック・・・トドメの一手だ。「ケドまぁそうするとさ、報奨金の出る6件目から頑張ろう!って思う人もいるじゃない?それはとてもフェアじゃないね。だから報奨金の出ない1件から5件目までの件数×100円を6件目以降の報奨金毎に加算しようと思う。つまり5件目までにA君が3件、B君が2件、C君が0だったとすると6件目以降A君は1300円、B君は1200円、C君は1000だ。5件目までの頑張りは、6件目以降にもしっかり生きるってワケさ」どうよ?面白いだろ?と、大きく手拍子を「パーン!」と打って魔法完了、キャンペーン開始!一日目は彼ら4人に与えた目標である2件を1件越える3件獲得。ちなみに業界最大手は8人で初日0件だった。彼我の相対的戦果も含め、もう以上は無いというくらい盛大に褒め称え、テンションを上げて上げて最終日に備える。論功行賞に「褒めすぎ」と言う事は無い。減るもんじゃあるまいし、よい成果を残した人は、精一杯褒めればよいのだ。こういう事を言うと「褒めすぎると調子にのる」なんて方もいらっしゃるが、調子にのせることによって売れる・・・つまり目標達成に好ましい力を発揮してくれるのなら、それこそ猟矢連弓の如く徹底して褒めちぎればよい。二日目である。午前中、彼らはあっという間に5件を達成・・・というより三人がほぼ同時に6件を達成したので、俺は特別ルールとして4件と5件目の彼らにも金一封の即金をその場で手渡しした。この時点で彼らの士気は、もうこれ以上無いという程高まっていた。こうなるとこちらが「売れ!」と言わなくても、自分たちで知恵を出し合って、創意工夫で勝手に売ってくれるようになる。そんな嬉々的状況の中、実に申し訳なさそうな表情で逐一、接客の末売れなかったお客さんの報告をしてくる彼がいた。聞いてもいないのに不思議に思って、一体なんでそんな報告をしにくるの?と尋ねると、彼はキツネに頬をつままれたような表情で「いつもさっきのお客さんなんで逃がしたの?って聞かれるから、聞かれる前に言うようにしてるんです」と答えた。俺はひとしきり笑った後真顔になって「いいかい?俺にはそんなツマラナイ報告、今後一切しなくていい。貴方に売れなかったって言うことは他の誰にも売れなかったって事だ。だってそうだろ?あの打席に立ったバッターは君だ。その打席の球を打てるのは君しかいないじゃ無いか?そんな報告する暇で、次のお客さん当たってよ」と優しく肩を叩いた。彼はパッと明るい顔になって、また元気に接客をはじめた。件数はあれよあれよと積み上がり7件、そして8件へ。キャンペーンの残り時間は3時間というところだった。「中林さん!こうなったらもう10件目指しましょうよ!」金一封を受け取りながら販売員の一人がそう言った「え?マジ?まだ売るの?俺もうみんなの販売能力の高さにお財布スッカスカだよ!」キャンペーン隊一同ゲラゲラ笑いつつも集中力、士気共に軒高。そうこうしているうちに無理難題と思われていた本部の目標を越えて、契約は本当に10件に到達。俺は一旦全ての・・・といってもたった4人のキャンペーン隊を集めてみんなの顔を見渡しながらこう言った。「この店舗でウチの契約件数が、一日に二桁に乗った事は、開店以来一度も無いそうです。いいですか?みなさんは今まさに伝説のど真ん中にいます。ここから先はトビキリの笑顔でお客様をお迎え、お見送りするだけで結構、ウチとしてはもう1件だって売らなくていいです。」と宣言した。するとキャンペーン隊のみんなが口々に「せっかくだから行くところまで行きましょうよ!」「俺、もっと売りたいです!」「やっぱ中林さんをスッポンポンにしないとね!」という反応が返ってきた。販売員としての彼らが「これ以上売らないでいい」なんて言われたのもはじめてだろうが、俺としては全てが胸のすく程完璧に計算通りだった。『やらされ仕事』で人は決して動かない。大切なのは『やる気仕事』だ。究極まで高めた士気は自分から高い目標を設定し、それを精神論ではなく、誠に理にかなった具体的手法で次々と実現してゆく。これは実は俺の夢の叶え方と、全く同じ方法論だ。最終的に彼らは2日で12件と言う快挙を成し遂げ、本部目標をダブルスコアで達成。俺は足りなくなった報奨金の小銭を作るため寄った近所のコンビニで、不可能を可能にした素晴らしいスタッフに一人缶コーヒーの祝杯を挙げた。業界最大手は二日で9件と追い上げを見せたが、費用対効果、シェア率では惨敗と言わざるを得ない。まず業界三位である当方に件数で負けるという発想は、キャンペーン以前の彼らの脳裏に閃きすらしなかったはずである。組織戦の勝因を分かつのは頭数ではない、戦術の徹底しない8人より、武器は脆弱でも目標を共有し戦意の高い4人が十分に勝るのだ。一部からは「初っ端からハードル上げたね?」とも言われる今回のイベントだが、果たしてそうだろうか?俺から言わせれば勝手が分かればもっとうまく立ち回れたし、はじめてという事もあって準備もまだまだ足りなかった。ここまでの経緯を知らず、結果だけ聞けばそんな取り越し苦労もやむなしなのかも知れない。これが味方ならまだしも、敵方が今回戦果をビギナーズラックのラッキーパンチだと侮り、再度のキャンペーン投入を考えているなら、彼らは次回強烈なアッパーカットを覚悟せねばなるまい。それにしてもやはり仕事ってヤツは面白い面白い上に夢へ近づけるのだから、こんなイイ事はナカナカ無いじゃないかそして俺は今、早速計画中の次のキャンペーンへ向けて既に三手ほど新しい仕掛けを作っている最中だったりするのである
2011/11/02
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テレビを見たという大学休学中の学生さんから『僕も旅が大好きなのですが、好き勝手(ややカチン)やっている中林さんがとても羨ましいです。(中略)僕も中林さんみたいな夢を叶えたいのですが、どうすれば良いでしょうか?』行数40に迫る、およそそんな内容のメールがあったのは、残暑厳しい旅の終わりかけだった。俺はその日の日記を書き終えたインスタントラーメンダブル喰いで苦しい腹を「よっこいしょう」と抱えながら『◯◯さんの夢がこの通りで叶うかどうかは微妙ですが、僕が夢を叶えようとする時はまずお金を稼ぎます』と、忌憚無いお返事を、自分的精一杯の2行に託した。それから数ヶ月彼からはレスポンスが無いので、ともすれば余りにも現実的な回答に愛想を尽かされたのかもしれない。しかしなんのかんの綺麗事を並べて見ても、正直何かをヤリはじめるためには、大抵種銭というか頭金というか、いわゆる一つの『まとまったお金』が必要だ。2003年、歩いて日本一周を開始する時には昼夜を問わず働いて、実家約200万円のお金を貯めたし(旅途上実家での半年間のアルバイトも含む)、2008年バイクの旅では、バイク本体と免許、そして旅費を総合して約100万円が必要だった。その後とある旅雑誌から自転車日本一周企画のオファを頂いたが、バイク旅直後の生活再建にあえいでいた俺には日本一周の旅費と弾き出された60万円がどーしても捻出できず、そうこうしているうちにその企画は流れてしまった。その反省から一ヶ月15万円を猛烈に貯金しはじめ『あっぱれEVプロジェクト』に出会い頭の体で巡り合った昨年4月には、手元にどうとでも動かせるお金が120万円あったのだから、塞翁が馬の倣いではないが、自転車で日本一周なんて、つくづくしなくて正解だったのかもしれない。まぁそんなワケで中林あきお的現下の課題は、このスッテンテン状態を一刻も早く抜け出し、可及的速やかに『まとまったお金』を貯める事だ。次に仕掛けるプロジェクト、そこへ対する予算規模は実を言うと既に定数が出ているので、先日履歴書を買う為三百円そこそこを引き出して預金残高をZEROにした通帳へ七桁の残高を打刻せねばならない。そこまでと、そこから一段落までを包括してがプロジェクト・・・つまり今回はお金を貯めはじめるところから、物語がスタートするのだ。プロジェクト内容は今年の12月1日まで内緒だが、副題は『中林流夢の叶え方』とでもなるのかもしれない。新聞、ラジオ、出版、雑誌連載、講演、記者会見・・・先頃ではテレビ出演と、俺は今まで主だった夢の殆どを叶えてきた。そして次はいよいよ約二十年越しとなる夢に、再びチャレンジするチャンスが巡ってきたのである。その夢を叶える為、一に仕事、二に仕事、三四が無くて五にダイエットなのだ!・・・末筆ながら初任給は来月末、所持金千円未満である事を付け加えておこう。■10月24日【朝】なし・・・・・・・・・0kcal【昼】おにぎり・・・・・200kcal【夜】おにぎり・・・・・200kcalキャベツの千切り・100kcal計・・・・・・・・500kcalダイエット二十三日目スタート時体重 81.8kg現在体重 76.4kgダイエット効果 5.4Kg今日のダイエット一言「お前の脂肪は何色だ!?」
2011/10/24
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今の俺の仕事は表向き、とある営業所の一部門における『佐賀地区の管理責任者』という、字面だけはなんだか偉そうな肩書きであるが、竹中さんに言わせると「最前線のお仕事をして貰ってる常駐の女の子が、現場で少しでも動きやすい様、身を粉にしてサポートする役よ」との事らしい。しかも俺が担当する佐賀地区にはこの常駐の女の子が一人しかいないというから、なんというかこう、全面的に頑張らないとイケナイのだ。そんなワケで本日はその女の子と初顔合わせであった。小柄で色白のお色気系だったが、落ち着いた声音と柔らかな物腰は隙あらば盗んだバイクで走り出す、行く先もわからないままの俺なんかと違って社会的常識美に溢れていた。今の仕事は無論、次のプロジェクトの運転資金調達のための仕事だ。しかしその仕事が『夢を叶える為の手段』である以上、今までがそうであったよう目前の仕事に全力を投入し、礼を尽くさねばならない。代表的な初対面の印象が『嘘くさく胡散臭い』上にその後の評価もあまり変わらないダイエット中年である俺が彼女のうら若き瞳にどの様に映ったかは後日談に任せるとして、決して長い時間ではないかもしれないけれど、彼女といい仕事ができればいいなぁと思う初顔合わせなのであった。■10月12日【朝】おにぎり・・・・・200kcal【昼】おにぎり・・・・・200kcal【夜】野菜味噌おじや・・600kcal計・・・・・・・・800kcalダイエット十一日目スタート時体重 81.8kg現在体重 79.0kgダイエット効果 2.8Kg今日のダイエット一言「ダイエットの一里塚3kg減まであと僅か!」
2011/10/13
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これもドンズバ旅のご縁なのだが、道中お世話になった竹中さんの計らいで、一ヶ月前は電気自動車で車中泊の旅をしていた男が、今では支給の携帯電話を片手にスーツ姿で営業車を乗り回している。しかもこの仕事にはとにかく普通免許が必須であり、旅に出る以前無免許だった(というか旅に出るために免許をとった)事を考えると、これはMeguruちゃんのおかげであるといえる。長旅を終えると俺はいつもだいたい旅のおかげで寝食ままならなぬスッテンテンからの再スタートとなるのだが、旅でのご縁が再起のきっかけだったりして、なんだかんだと生活再建も早い。そう言えばかつて叶えた夢である処女作出版が決まったのも、旅先で出会った小林さんとの旅の後のご縁だ。こう言う事を総合して考えると、やはり人生ってヤツはつくづくなんとかなって行くのだなという「あなたのそんなところがキライなのよ!」と、元嫁さんに叱られた、運命論的結論達するんだよなーーー!。でも人生には夢や目標が必要でそこへ至る明確なイメージが不可欠って事は知ってるんだぜ!■10月11日【朝】おにぎり・・・・・200kcalゆで卵・・・・・・100kcal【昼】おにぎり・・・・・200kcal【夜】野菜味噌おじや・・600kcal計・・・・・・・・900kcalダイエット十日目スタート時体重 81.8kg現在体重 79.2kgダイエット効果 2.6Kg今日のダイエット一言「さすがデブは痩せるのが早いぜ!」
2011/10/12
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来る15日(土)にトークライブをさせて頂く『COSTEL MINOSHIMA』はこんなトコ!(Facebookより)〒812-0017 福岡県福岡市博多区美野島 人とまちが繋がるトランジットカフェ美野島商店街に9月にOPENするCOSTEL MINOSHIMA。商店街活性化の新たな一手として、まちづくりの会社コヤマコンセプト/基地プロジェクトがプロデュース。COSTELは「Co-Hostel」の略。コヤマコンセプトが手掛けている人が集まるイエ「Co-Home」の新シリーズです。メールアドレス info@kichi-project.jpウェブサイト http://www.kichi-project.jp/ライブタイトルは『あっぱれEVチャリティーツアーがデキルマデ』・・・さて、原稿と資料つくんなきゃ■10月10日【朝】おにぎり・・・・・200kcalゆで卵・・・・・・100kcal【昼】おにぎり・・・・・200kcal【夜】野菜味噌おじや・・600kcal計・・・・・・・・900kcalダイエット九日目スタート時体重 81.8kg現在体重 79.6kgダイエット効果 2.2Kg今日のダイエット一言「貴様はもう、痩せる事はできても太る事はできない」
2011/10/11
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ここ最近の体重推移()内は夕食10月6日・・・80.3kg(水炊き)10月7日・・・81.3kg(宴会料理)10月8日・・・79.8kg(野菜味噌おじや)落としては戻し、戻しては落とすというお馴染みの悲喜こもごもを繰り返しながら、最近のダイエットは概ねこんな感じ。歳と共に痩せにくくなるのは織り込み済み、まぁゆっくりとした下降傾向と言っても差し支えないレベルではなかろうか?この日記を書いている現在は10月10日の朝だが、今日からは食事制限に加え、足首に1kgの重りをつけてお仕事。この八日間に落とした体重がおよそ2kgなので、両足合わせてだいたい同じくらいの重さなのだが、これが結構重い。逆にいえばこれだけの体重を短期間に落としたわけだから、それは顔もスッキリするワケだ。この重りパワーで今日は70kg台にガッチリ食い込むぞ!■10月9日【朝】おにぎり・・・・・200kcalゆで卵・・・・・・100kcal【昼】おにぎり・・・・・200kcal【夜】野菜味噌おじや・・600kcal計・・・・・・・・900kcalダイエット八日目スタート時体重 81.8kg現在体重 80.0kgダイエット効果 1.8Kg今日のダイエット一言「ふぅ・・・致命傷で助かったぜ」
2011/10/10
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出てくるもの出てくるもの全てがまるで魔法のように美味い『かざぐるま』で開催された昨夜の懇親会は、俺の体重をすっかり元に戻してしまった。今にして思えば『門司港ベノム』仕掛け人である原田さんの「うどん食おうよシメに」という一言がトドメであったと反省このかたない。それにしてもダイエット中に出会うこの「シメの◯◯」というフレーズは、実に曲者である。俺の経験上だいたいにおいて「シメの◯◯」で言う「◯◯」の部分は、およそ完全に無駄の塊だ。「シメ」というからにはその「シメる」べき前段部分があるワケで、気を揉む宴席の幹事でも仰せつからない限り、ここで腹一杯にならないという事はほとんど無いし、インターバルを二次会で挽回する事も「シメの◯◯」と言わない。「シメの◯◯」というヤツは二次会も三次会もあらかた済んで、ほっとけば十分に満腹である90%から果てしなく100%に近い胃袋の隙間にもう一息の欲望を流し込んで100%からあるいは110%へ持って行こうという行為だ。でもしかし俺は最近気づいた事がある。これが仮に取るに足らぬというか、もう明け透けに言っちゃえばそもそも「早く帰りたい」であるとか「部屋でモンハンしたい」とか思ってしまうような類の集いの延長上であれば「それでは僕はこの辺で」と爽やかに笑って足早に踵を返す事も可能なのだ。しかしなんだかんだと笑ってラーメンとかうどんとかをフーフーやってる自分の心を覗いてみると、(もう少しこの人達と一緒にいたい)という気持ちと共に、うどんのダシや豚骨スープをすすっていたんだなぁと、感慨しきりなのである。俺と梶田さんとの出会いは2006年に遡る。当時俺は『九州一周ゴミ拾いウォーキング』という、タイトルだけでも十分にグッタリとくたびれてしまう旅途上であった。真っ赤なプロパンガスキャリアーに空き缶満載でのし歩く俺は、遠目にも近目にもしみじみ厄介事の塊りであったが、梶田さんはそんな俺にあえて接触を試み、一宿一飯の世話をしてくれた。次にお会いしたのは取り立て免許でバイク日本一周を敢行した2008年の夏。梶田さんは地元の有志を募り、緩慢な安楽へと黄昏ゆく商店街に、新しい血を送り込もうとしていた。ここで俺ははじめて『中央市場』という単語に触れる。改めてカウントした事はなかったが、あれからもう3年が経つのだ。何かを「やり遂げる」というのは結局、手を付けた瞬間は気も遠のくようなゴールへ向かって、同じ事をコツコツと繰り返すことだ。「たまたまよ」と照れたように笑う梶田さんの横顔に静かな充実感を見たのは気のせいではないだろう。俺の知る梶田さんの3年間は、まさにそういうものだった。山崎亮と語る『門司港ベノム「中央市場」』とはコミュニティデザイナーとして日本全国の疲弊した地域活性に大きなインパクトを与えて続けて来た山崎氏が、その数々の経験を踏襲しつつ「中央市場」の未来を語るというシンポジウムだった。想定を上回る来場者に立ち見多数となったディスカッションの内容はこの際割愛としよう。しかしそこに集まった来場者や運営に携わった方々の巨大な波は三年前、梶田さんが投じた小さな石「寂れてしまった商店街のシャッターを、もう一度開けていきたい」という気持ちが産んだ波紋を由来に持つ。人一人の弛まぬ信念が、時を経てこれだけ多くの人々を動かしたのだ。そしてそれは今年12月から計画をしている、俺の新しいプロジェクトに直結し、やがて迎える40歳からの人生計画にも 資す事となるだろう。梶田さんは教えてくれた続いてゆく夢は具体的な行動の向こう側にこそあるのだと10月7日は梶田さんの・・・いや、中央市場そのもののキックオフとなったであろうそして俺の夢もダイエットも今日からまた新しいキックオフだ!
2011/10/08
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■10月5日【朝】おにぎり・・・・・200kcalゆで卵・・・・・・100kcal【昼】おにぎり・・・・・200kcal【夜】沖縄料理・・・・2000kcal計・・・・・・・2500kcalダイエット三日目スタート時体重 81.8kg現在体重 80.6kgダイエット効果 1.2Kg今日のダイエット一言「やせなさーいーふとりなーさーあーいー」
2011/10/05
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一日1000kcal以下の摂取カロリーでリバるとはこれ如何に?上等じゃないか体脂肪!この程度の反抗でめげやしないぜ!常勝のダイエット拳法中林寺を舐めんなよ!■10月4日【朝】おにぎり・・・・・200kcalゆで卵・・・・・・100kcal【昼】おにぎり・・・・・200kcal【夜】ラ王・・・・・・・500kcal計・・・・・・・・800kcalダイエット三日目スタート時体重 81.8kg現在体重 81.2kgダイエット効果 0.6Kg今日のダイエット一言「震えだし、冷や汗出たら、低血糖」
2011/10/04
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現在のボスである竹中社長とは、処女作出版以来10年近く、積極的に連絡をとりあっていなかった。この夏Meguruちゃんで福岡を訪れた折り一泊の宿に窮し、藁をもすがる思いで携帯の電話帳に未整理だったデータを遡った事が、どう言うわけか今日の俺の待遇につながっているわけだけども、旅のご縁とはいえ、今のこの仕事に就いていなかった自分を想像すると、ちょっといろいろ気が遠くなってしまう今日この頃である。なんというかこれも、Meguruちゃんの神通力なんだよなぁ・・・。そしてこれはまだ確定では無いし内緒なんだけど、今月末あたりMeguruちゃん絡みでもう一つ、以前の俺だったら万に一つもあり得なかった事が起こるかも。・・・さてと■10月3日【朝】おにぎり・・・・・200kcalゆで卵・・・・・・100kcal【昼】おにぎり・・・・・200kcal【夜】野菜味噌オジヤ・・600kcal計・・・・・・・・900kcalダイエット零日目スタート時体重 81.8kg現在体重 81.0kgダイエット効果 0.8Kg今日のダイエット一言「腹が減っても戦は戦」
2011/10/03
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今日ほど大牟田を故郷としている事を恨んだ朝は無い。ペットのお茶をマーライオンもかくやの勢いで盛大に吹きながら聞いた話によれば、そもそも大牟田がホームである俺以外の男女六人は昨夜、なんと郊外のホテルで雑魚寝の一夜を過ごしたと言うのだ。それはつまり俺がアウエーであったならば、仮初めにも19歳の娘さんと一晩を同じ部屋で過ごすという、その妄想だけでも三日はお腹一杯(?)なシチュエーションである。いくらOne for all all for oneの間柄とはいえ、それはちょっと行きすぎでは無いのだろうか?社会の公器としてあるまじき行為なのではなかろうか?風紀の乱れも甚だしいのではなかろうか?つまりは激しく、うらやまけしからんの一点張りなのである。■10月2日【朝】おにぎり・・・・・200kcalゆで卵・・・・・・100kcal【昼】おにぎり・・・・・200kcal【夜】野菜味噌オジヤ・・600kcal計・・・・・・・・900kcalダイエット零日目スタート時体重 81.8kg現在体重 81.4kgダイエット効果 0.4Kg今日のダイエット一言「裏山けしからん!」
2011/10/02
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20XX年腹部はヤバイ脂肪に包まれた筋肉は枯れ腹は三段に割れあらゆる部位はぷっくりと膨れ上がったそして五度・・・いや六度、アイツが帰ってきたそう、生き残ったヤツが勝ちの過酷な道場一子相伝のダイエット拳法その名も『中林寺』である『体脂肪溢れるとき、中林寺現る』・・・まぁ帰ってきたという事は簡単に言えば太ったという事だがこの際細かいことはどうでもいい今を生きるのであるカーぺディエムなのである今日より明日より君が欲しいのであるさて、突然の更新にしてこのテンションを見るに(アイツもついに・・・)と思われている読者のため少し補足しようダイエット道場『中林寺(ちゅうりんじ)』とはその名の通りダイエットを目指す道場なのだがその鍛錬科目は一つだけただひたすらに、食わない事である人は基本的に食べれば太り食べなければ痩せる生き物である従ってダイエットは掛け算でも割り算でもなくましてやガンマ関数でも因数分解でもなく単なる足し算、引き算である世にはびこる食事系ダイエット法(マイクロやバナナ、キャベツ等など)のいくらかは基本的にこの考え方を起点とした派生であるが中林寺ではその基本を限りなくストイックに実践する道場である一日の摂取カロリーを1200kcalに抑え代謝不足を持ち前の脂肪で賄ってゆくのだそして食べたモノはキャラメル一個までも克明に記録カロリー計算をし、その日の体重をブログにアップするのであるこれを偽りなく一カ月ガチで繰り返せば俺は確実に10kg痩せる事が可能だそんなこんなで今日から一カ月『中林寺』のはじまりはじまりなのである■10月1日【朝】おにぎり・・・200kcalゆで卵・・・・100kcal【昼】おにぎり・・・200kcal【夜】茶碗飯一杯・・250kcal味噌汁・・・・100kcalさんま一尾・・300kcal胡麻豆腐・・・100kcal計・・・・・1150kcalダイエット零日目スタート時体重 81.8kg現在体重 81.8kgダイエット効果 0.0Kg今日のダイエット一言「腹減れば、腹が減る減る、腹が減る」
2011/10/01
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平成3年に大牟田高校商業科を卒業した中林あきおといいます。在校時代は家庭の事情もあり、ずっとアルバイトをしていました。今は暖簾を畳んでいる焼肉屋の女将さんは、暇だと怒り忙しいと怒るという、使役される身としてはいずれにせよ大変なタイプでしたが、同時にきっぷはよくて涙もろい典型的な昭和のお人好しで、体調を崩せばお見舞いのキムチを持って来てくれたり、快気祝いに豪華焼肉パーティーをひらいてくれたり、ふと垣間見せるそんなお袋的優しさが、とても大好きでした。そんなわけでろくすっぽ勉強もせず、結局三年間全てを専らアルバイトに捧げてしまったワケですが、ごく最近縁あって大牟田高校へ招聘された折、懐古の学び舎にキラキラと青春を謳歌する在校生の皆さんを間近に拝見しながら「あぁ、俺ももっと部活や学業に専念しておけば良かったなぁ」なんて、当時ファミコンばかりやっていた学生時代の私が聞いたら腰を抜かす様な事を考えたりしました。あれからもう20年も経つんですね。高校を卒業してからは直ぐに福岡へ働きに出ました。『浮き沈みの激しい人生』と言えば浮く事もあるわけですが、私の場合はどちらかというと海底スレスレを無音航行、沈みっぱなしの潜水艦的人生でした。転機は28歳の時に訪れます。ろくに定職にも就かず、ドラクエをクリアするような事以外は何一つ成し遂げた事の無かった自分に喝を入れるべく、歩いて日本を一周しようと決めたのです。手前味噌ながらこの取り組みの素晴らしかった点は『日本を一周歩いた!』という事実よりも、諦めなかった事『諦めなければ夢は必ず叶う!』という、皆さんも恐らくどこかで一度は聞いた事があるであろう手垢まみれの哲学に、素直な気持ちで出会えた事でした。思えばそれまでの私の人生は、諦めの連続でした。勉強もスポーツも仕事も、なにもかもが果てしなく中途半端でした。でき得るならばもっと早くに・・・そう、皆さんの頃にこの哲学に触れていれば、私もあるいは皆さんのような眩しい青春を、思う存分楽しめたのかもしれません。思い切り勉強をすればテストの点数が上がる。思い切り練習をすればスポーツの成果が上がる。学校生活と言うのは学び舎であると同時に、夢を叶えるための絶好の練習場だったんだなと、この歳になってつくづく思い知らされるのです。あなたの夢はなんですか?あなたの夢がなんであれ、私はそれが必ず叶うと思っています。大切なのはその夢に対して具体的な行動計画を立て、四方からしきりに聞こえてくる雑音を断ち、それがどんなに果てしなく、地道な作業の連続であろうとも、諦めず粛々と実行する事です。夢や目標は、ある日突然叶ったりしません。全てはアクションに対するリアクションです。より良い未来とは、より良い現在が幾重にも折り重なった年輪であり、地層なのだと思います。決して帰らない今を、どうか全力で生きて下さい。
2011/09/22
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台風の近づく雨音を遠くに聴きながら、八雲交差点のマクドナルドにいる。今回の旅が始まる直前頃は毎日こうやって、駐車上に停めたMeguruちゃんを見下ろしながら日記を書いていた。あの頃はいろいろと追い詰められてて大変だった。もうダメだ!なんともならない!そんな事を思いながら、旅を投げ出しそうになっていたっけ。その旅が終わってからこっちはずっと、宴会宴会また宴会というゴージャスな日々だった。まずゴール初日に淀川製作所さん主催の盛大な慰労会があり、雰囲気のいい沖縄料理屋さんからハシゴ先で記憶を失うまで、なんだかんだと随分飲んでしまった。その翌々日は守口門真商工会館でMeguruちゃんの故郷の皆様へ、ゴールのご報告。大西社長が万事につけて憎い演出の指揮を執るセレモニーの後は竜宮城もかくやと固唾を飲むこれまた盛大な宴席で、何かとバッタバタだった旅立ち前の壮行会とは違い、ここではかなり本格的に、ガッツリと飲んで食べ、そしてなんといってもよく笑い、乾杯をした。ハシゴ先は古川会長と大西社長名物『必殺門真引き回し・だるまの刑』であり、その流刑地であるスナック『だるま』さんでは追い討ちをかけるかの如く飲んで食べて、大西社長が歌うやしきたかじんの『東京(門真)』に聞き惚れた挙句「これはご祝儀や!はよ仕舞い!」と、勢いのし袋を頂いてしまう。ご遠慮するいとまも芸もなく頂戴してしまったのし袋を手にすぐ感じたのは(あぁ、これで九州へ帰れるな)という、深い安堵だった。再起を計るため九州へ帰るにしても、俺にはその船代すら無かったのだ。そう言えば東北からの流れ者である俺の親父は40ウン年前、流れ着いた大牟田駅で500円しか持たなかったそうだ。親父はその500円でタバコを買うかコーヒーを飲むか散々迷った挙句、喫茶店に行ったのだというから血は争えないのだ。その後無一文になった親父はフラリと立ち寄ったラーメン屋で住み込みのバイトを始め、そこから大牟田に根を張ったらしい。いろいろと困った時、俺は無意識にこの大好きなエピソードを思い出す。自尊心を踏みにじられ、金銭的に逼迫し、時に名誉を傷つけられようが、命まで取られるなんて事はナカナカない。頭上を吹き荒れる嵐は、頭を低くしてやり過ごそう。疾風の前に勁草であろう。諦めちゃイケナイ。人生ってヤツはなんとかなるんだよ。倒れたら起き上がればいい。何度でも。何度でもね。その他の日はほぼ毎日の様に梶田さんと北岸さんと、大阪の夜の街へ繰り出していた。これは一方的な感覚で、先方にはもしかしたら迷惑かも知れないが、このお二方とはもう知人を越えて、なんだか家族的、兄姉的間柄のような気がする。何をするでもなく一緒にいるだけで楽しいし、建築家、ディレクターというクリエイティブな二人との会話は旅人としてはもちろん作家の端くれとしても、心地よく刺激的だ。このお二方を含め、今回の旅で俺はまたたくさんの人々に出会った。この旅で初めて出会った方、この旅でさらなる絆を深めた方・・・しかるに俺の旅はつくづく「何かを見にゆく旅」「何処かへゆく旅」では無く「誰かに会いにゆく旅」なんだなと思う。Meguruちゃんで旅をした地図の地名を指でなぞれば、そこには名勝よりも名物より美味しい食べ物のよりもまず、会いたい人の愛しい笑顔が浮かぶ。それは日常とオイルにまみれた、町工場の一角かもしれない普段は行き過ぎるだけの、丘の上のコンビニかも知れない海と山しかない、ガソリンスタンドかも知れない誰も顧みない、季節外れの漁港かも知れないそこに息づく人々の暖かさ、優しさを体当たりで知る事ができた俺は本当に、幸せ者だと思う観光地で名勝をバックにダブルピースってのも悪くないけど景色を胸に美しく焼き付けるのも、飯を美味くするのも俺は絶対的に人との、たまさかの出会いと思うんだなんというかガイドブックに地球の歩き方をレクチャーされるなんて・・・真っ平ゴメンなんでね挑戦の果てにまた一つ人生の夏が終わった今後の事は正直何一つ決めていない俺にとってはそれさえも旅だ人生ってヤツはなんとかなる逆の言い方をすれば今までなんとかならなかった事が無いだからこれからの俺の人生もきっとなんとかなるさこれからまたガシガシ働いてお金を貯めながら楽しい事を次の人生の夏を探そうぜ!旅人の中林あきおとは、またその日まで少しだけ、サヨナラだ
2011/09/19
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======さぁ、はじめようか======== 『じぶんのことはじぶんで』保育園時代に教わったあのシンプルな哲学今一度回帰しよう今日から俺はまた、誰かのプロジェクトではなく、自分自身のプロジェクトで動き始める=======================これは去年4月12日のブログだ。忘れもしないこれは、小倉社長と大阪でアポが取れた日の日記である。そして次の更新は======ペイバックタイムだ!=======ある企画のエンジンを始動させるべくそのキーマンである社長へ会いにこれより大阪へ向かうこの気まぐれにも似た短い日記が中林あきおの新しい冒険へ手向くささやかな、備忘録たる事を祈って========================平成22年4月21日、時刻は23時53分となっている。これは翌日大阪で小倉社長と初めてお会いするため夜行バスに乗り込む瞬間に新宿のバスターミナルからiPhoneで更新したものだ。荒削りで短いその文章と行間には、これから体当たりでドアをこじ開けにゆくプロジェクトへの、不安と恐怖が痛々しいほどに刻み込まれている。『夢ってヤツは突然叶ったりしない』そんなある意味当然至極な哲学に本当の意味で気付かされたのは7年前・・・歩いて日本一周を完歩した、10月の東京駅だった。「歩いて日本一周」と、言ったり書いたりするのはものの5秒とかかるまい。しかしそのたかだか五秒の『夢』には、足掛け二年の『現実』が地層の様にみっしりと積み重なっている。最初の一歩から最後の一歩まで、一日たりとも、いやただの一秒たりとも無駄は無かった。そんな事を懐かしく思い出しながら、俺はMeguruちゃんのカーテンを一杯に開いた。過去でもなく、未来でもなく、現在進行形の己が幸せである事に十分気づきながら生きる事を幸せというならば、財布の中がカラッポだろうが車中泊の朝をカップラーメンで迎えようが、俺は無類の幸せ者なのだ。動き出した大阪の朝に雑踏の産声を聞きながら、食後のお茶をグビリ。それは思い返せば気も遠のく程の『現実』をみっしりと積み上げながら、四ヶ月間前の俺が確かに憧れた、夢の叶う6時間前だった。往路と復路で都合四日間もお世話になってしまった、この旅のプロジェクトパートナー株式会社サヨカさんを、涙を見せずに出発できたのは幸先がよかった。今日と言う今日は夢の叶う天晴れな一日だ。こうなりゃ旅のスタート同様どこまでも高く澄んだ空の下、最高の笑顔とガッツポーズでゴールテープを切ろうじゃないか!サヨカさんのある大阪市西区から淀川製作所のある守口市までは最短なら10km。公道2000kmを走り切り、旅をしながら航続距離を倍に伸ばしたMeguruちゃんには、もはやなんてこと無い距離だ。その旅路を2kmだけ遠回りして、俺は大阪の中心梅田の街を気持ちゆっくりと走ってみた。ビルの渓谷を滑る様に走るMeguruちゃんの勇姿は、日本一早いと言われる関西人の足取りを、あるいはスローに、あるいは完全に止めてしまう。「テレビ見たよ!大変やったな!」窓を開けたトラックの運ちゃんが、走りながらに愉快な声をかけてきた。信号減速の先行車に合わせてブレーキングしながら、立てた親指で応える。「ほな気ぃつけてな!」ファンファン!と優しいクラクションを投げて、なにわナンバーのトラックは左折専用レーンを走り去って行った。そのテレビ大阪さんとは守口市のコンビニで合流した。ゴール前30分だった。ただいろいろとやる事が立て込んでいて、感慨というのはそれほどでも無かった。なんだかんだでこの慌ただしさの中、バタバタとゴールするのだろう。夢が叶う瞬間なんていうのは意外に淡白なものだ。1段目から見上げる100段目は確かに果てしないけれど、99段を上り詰めた次の100段は、実は最初の一段となにも変わりないのだ。いや、転落のリスクを取って挑戦への階段を登り始める勇気を考えれば、全てのはじまりである最初の一歩に足をかける事こそ、もしかしたら最も尊いのかもしれない。このチャリティーツアーで初めて募金をした守口北本通り郵便局で最後の募金をして、その99段目を制すと、残す夢の100段目、淀川製作所はすぐそこにあった。感動の旅路に、涙は枯れてしまったか?俺は表面張力すらしない感情の静けさに若干の戸惑いを覚えつつ、辛かったこと、苦しかったこと、悔しかったことをその時々の溜息に託して幾度も曲がった淀川製作所への最後の角にハンドルを切った。「おかえりー!よう帰ってきたのー!」奥行き200メートルはあろうかという、守口八雲の狭い路地の彼方に、懐かしい小倉社長の笑顔が大きく手を振っていた。「なんだ、泣けるじゃ無いか」小さく呟いて、俺は思わず踏んだブレーキを優しく緩めた。そして改めて噛みしめるように、夢の出発点へ最後のアクセルを開いた。辛いこともあった苦しい時もあった悔しい思いもしたそれでも決して諦めず少しずつても進んでゆけば必ず夢は叶うんだ!溢れた感情の支流を目頭から頬へ感じながら、俺の脳裏には2000kmの道端で優しくしてくれた方々の群像が、嵐を追う叢雲のように流れた。そのゆがむ雲霞の晴れ間には、淀川製作所のみんながいた。社長への電話を繋いでくれなかった森本さんがいたはじめ口も聞いてくれなかった脇坂さんがいた最後まで俺を信用していなかった橋本さんがいた俺のことを大キライだった山本リーダーがいたそんなみんなが今は手を振って俺の無謀で無様な挑戦の最後を見届けてくれた。思えばこの四ヶ月間、俺は最高に幸せな脇役であった。俺がこの旅でした事と言えばインスタントラーメンを食って、車中泊をしたくらいだこの旅本当の主人公は究極のところMeguruちゃんですらないそれはこの旅・・・いやプロジェクトを通して出会えた全ての人々こんな一円だって儲からない旅のスポンサーとなって頂きなんの前触れもなくやって来る旅人に充電をして差し入れという名のありったけの気持ちを託し壊れたMeguruちゃんを牽引し修理してある時は飯を食わせ、風呂に入れまた来いよ!と手を振ってたまには厳しい事も言い熱心にカメラを回しデザインを凝らし板金を叩き上げ配線を整え内装を施し色を塗りそのまるで芸術品のような溶接で仕上がったMeguruちゃんを買い上げてまで、俺をこの旅に送り出してくれた、全ての皆さんだ。その誰か一人が欠けても、この旅は成功しなかった。それは最初から最後に至るまで、ご縁の旅であった。「中林あきお!只今帰還いたしました!」祝福の輪の中には北九州の梶田さんもいた、坊ちゃんもいた、テレビ大阪の北岸さんもいた。そんな愛しき方々と様々にプロジェクトの成功を分かち合っている最中、一通のメールが着信した。===============ゴールおめでとう!中林君西日本縦断チャリティツアーは4ヶ月少しだったが中林君のこのプロジェクトは昨年4月から1年5ヶ月!長かったでしょう。お疲れ様!平田===============メールの届いた方角を振り返った俺の胸中で張り詰めていた何かが途切れたあの決意のペイバックタイム現実に預けた夢の払い戻しからもう、1年と5ヶ月が経っていたんだ・・・ゴールからしばらくして祝福の輪の中に、ジリガラ君の姿が無い事に気づいたジリガラ君とはモンゴルから語学留学している寮の同居人で聞けば彼は俺が旅をしている間に故郷モンゴルへ帰っていったそうだそんなジリガラ君の口癖はいつも「だいじょうぶや!」だった俺がどんなに落ち込んでいてもそれが全然大丈夫じゃない状況であっても事態を全く理解していない彼は顔をクシャクシャにしていつも「だいじょうぶや!」と、無根拠に励ましてくれたあの無垢で無邪気な笑顔に俺は一体どれくらい助けられただろうか?そしてもし彼がいなかったら俺はこの旅へ、無事出発できただろうか?この旅でご縁を頂けた全ての方へありがとうございますありがとうございます『あっぱれEV頑張れ日本チャリティーツアー』 ~了~八十九日目スタート/09時00分/2413.6km淀川製作所到着/13時30分/2425.6km今日の充電回数0回充電回数総計133回今日の走行距離12.0km(自動牽引ー.ーkm/自力牽ー.ーkm)走行距離合計2425.6m(自動牽引72.1km/自力牽引155.6km)本日の支出合計・・・・・・・・・・・・・0円支出合計・・・・・・143496円残高・・・・・・・・・・・・・0円■本日のグッズ販売Meguruペンダント@0=・・・・0円本日までのグッズ販売益・・・・0円グッズ売り上げ合計・・25000円本日のグッズ募金・・・・・・・0円本日の最終募金・・・・・・600円本日の充電募金・・・・・・・・0円本日の缶コーヒー募金・・・・・0円本日の串カツ募金・・・・・・・0円本日の俺募金・・・・・・・・・0円本日の募金合計・・・・・・・・0円募金合計・・・・・・191883円未募金額・・・・・・・・・・・0円募金総額・・・・・・191883円
2011/09/12
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平田社長から拝領賜った招待券をもってして、俺は実に兵庫県相生市ぶりとなる温泉に入った。朝10時の開店一番から夜の19時まで、入り倒したと言うべきかも知れない。その入浴料はなんと1680円!100円の戻ってこないコインロッカーにすらプリプリ怒るような俺なら、値段を聞いたフロントで「この度はご縁がなかったと言う事で」と頭を下げて颯爽と踵を返すような値段設定だが、100円均一で購入するトランクスに100円の限界と哀愁が混在するように、その高額なお値段には、大小風呂の圧倒的充実度とリクライニングシートにタオルケット完備の豪華休憩室という寄って来たる因果があり、その道では専門であるはずの北九州の健康ランド『バーデンハウス』も裸足で逃げ出す、言うなれば地上の楽園そのものであった(地下だったけど)。夜は大阪の食と笑を堪能だった。北九州からやってきた梶田さんとその同級生でお坊さんの中村さん、それに大阪と北九州両方を拠点とする播磨陰陽師の奥さま坊ちゃんにテレビ大阪の北岸さん、それにチョンマゲの旅人である俺を加えた、よく分からない5人組だ。まぁ「大阪の食」と言っても、120円の切符を片手に電車でもって宴席に到着した俺は、15円しか持っていないというテイタラクだったので、またしても一方的にご馳走になるより他なかったのだが「大阪の笑い」という部分はちょっと衝撃的で、天神橋筋六丁目の場末にあるハシゴ先の『珍呑や(ちんどんや)』なる店が(というかお客さんの山下さん)ちょっとヤバイくらい面白かったのだ。なんというかこの奇跡の夜を文章で再現する事からエスケープするというのは物書きの端くれとして些か気概に欠ける気もするが、もーことこれに関しては本当に百聞はなんとやらなので、興味と環境のある方は是非とも俺のTwitterを遡って動画を見て欲しい。俺が言いたいのはつまり人生ってヤツは旅なのである八十八日目スタート/10時30分/2413.6km株式会社サヨカ到着/17時30分/2413.6km今日の充電回数0回充電回数総計133回今日の走行距離0.0km(自動牽引ー.ーkm/自力牽ー.ーkm)走行距離合計2413.6m(自動牽引72.1km/自力牽引155.6km)本日の支出JR切符・・・・・・・・・120円割り勘(え?)・・・・・・15円合計・・・・・・・・・・135円支出合計・・・・・143496円残高・・・・・・・・・・・・・0円■本日のグッズ販売Meguruペンダント@0=・・・・0円本日までのグッズ販売益・・・・0円グッズ売り上げ合計・・25000円本日のグッズ募金・・・・・・・0円本日の宿泊募金・・・・・・・・0円本日の充電募金・・・・・・・・0円本日の缶コーヒー募金・・・・・0円本日の串カツ募金・・・・・・・0円本日の俺募金・・・・・・・・・0円本日の募金合計・・・・・・・・0円募金合計・・・・・・189883円未募金額・・・・・・・・1400円募金総額・・・・・・191283円
2011/09/11
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夢にまで見た大阪突入記念すべき一日だというのに、なかなかどうして満点とはいかない。テレビ大阪さんの同行取材から始まった本日は、異常発熱するモーターとの戦いであった。平地走行時の温度計は走行時30℃後半、停車時40℃台を目安にしているが、2kmと走らない平地走行で、あっという間に50℃近くに達してしまう。これは北岸ディレクターを後部座席に乗せているとは言え余りに早いペースだ。考えられるのはモーターのギヤオイル漏れ。実は往路岡山で焼け付いたモーターを新品に換装した際、モーターとデフの接触面にある防水シールを剥がしてしまったため(正確には剥がさざるを得なかったため)そこから少量ずつ、潤滑油のギヤオイルが漏れていたのだ。最初に漏れを確認したのは大牟田モータース代表の森さんだった。本来モーターにはギヤオイルを継ぎ足す専用の穴が空いているが、中国製であるMeguruちゃんのモーターには、どこを探してもその穴が無い。まるでオイル漏れなど最初から想定していないかの如き強気の設計だ。困り果てた森さんはそれでもモーターの内圧調整に使う空気弁から、針金で内容量を確認しつつギヤオイルを継ぎ足すという、聞いているだに気の遠くなる作業でオイルを満たしてくれた。しかし最近になって、モーターから漏れるオイルの量が目に見えて減ってきた。漏れが収束したというよりは、漏れるオイルが無くなったと見る方が妥当だろう。時速30kmで流れる神戸の景色をカメラで追うテレビ大阪の北岸さんを後部座席に、その座席下のモーターから焦げる様な臭いが立ち上ってきた。そりゃまぁ一人乗りより二人乗りの方が負荷がかかるのは道理だが、故郷大牟田ではやはり北岸さんを乗せて随分アチコチと走っている。その頃とは明らかな挙動の差異だ。これはまずいと北岸さんに頭を下げMeguruちゃんを降りてもらう事に、最悪走行不能も考えられたので各々単身中継点である芦屋を目指そうと言う事になった。ゴール直前だからこそ、無理は禁物だ。平田社長の自宅のある芦屋でMeguruちゃんを充電しつつ、北岸さんと再合流した俺は、平田社長オススメという芦屋駅近くの『インディアンカレー』で腹ごしらえ。甘さの直後に結構な辛味が襲ってくる独特のルーは、俺の知っているどこのカレー屋とも異質でひたすら美味い!付け合わせのキャベツの漬物がアツアツのカレーに冷たくシャキシャキとこれまた絶妙だ!食後は所持金が200円を切った分際で有閑マダム御用達のオシャレなカフェーのアイスコーヒーまでご馳走になり、遂に大阪突入を目指す旅は再スタート。平田社長とそのイケメン長男ケンタロウくん(名探偵コナンに似ているのだ!)に見送られて国道2号線を東へ走る。しかしやはりモーターが変だ、あっという間に発熱してしまう。その違和感はアクセルを開く手応えにも伝わって、砂の上を走るザラザラとした感覚がゴリゴリへと不気味に増す様な錯覚を覚えてしまう。頻繁に停車しては濡れタオルとペットボトルの水それにウチワまで動員してモーターを冷却。世間一般的には果てしなく「なにやってんの?」的風景かもしれないが、これはMeguruちゃんの旅のある意味日常茶飯事だ。しかしこんな作業もあと一日、二日の事かと思うとなんだか急に愛しく思えてくるのだから面白い。神戸から大阪へ入るシーンは何としても撮りたいという北岸さんと県境の左門殿川で合流。渡河の後はMeguruちゃんで淀川を渡るところを今度は同乗のまま撮りたいというリクエストだった。モーターの以上発熱もさりながらバッテリーにも余裕を持たせたかった。メインバッテリーを使い切って待ち合わせの川の袂までは、土手へとつながる浅い勾配込みでおよそ500メートルというところだ。ここで満タン近いサブバッテリーに切り替えれば済む事なのだが、爆弾を抱えたモーターに二人乗りの事を考えると、バッテリーの残量くらいはグリーンにしておきたい、そうなると残る行動は引っ張りだ。左門殿川のほとりにはホームセンター『コーナン』があった。合流した北岸さんと店内のクーラーで今度は俺のクールダウンをして、遂に約束の地大阪へ!県境である橋の真ん中でカメラを構える北岸さんに敬礼をしながら、四ヶ月ぶりとなるMeguruちゃんの故郷大阪へと突入。そこからは再び北岸さんを乗せ、全長1kmはあろうかという淀川大橋をなんとか自走で渡り切る。しかしモーターからしきりに立ち上る焦げた様な臭いと目的地『株式会社サヨカ』目前の中之島へと架かる橋の土手坂を見つめていると、とても二人乗りのMeguruちゃんで登れる様な気がしなかった。カメラの前で恥ずかしかったが、ここは引っ張る事に。恐らくこれがこの旅最後のMeguruちゃん引っ張りになるだろう。車道から歩道へ、そして結構な勾配の頂点である橋の真ん中を下肢の粘りと最後の膂力を振り絞って目指す。くたびれ切って動けないでいる俺を北岸さんが自分のカメラで写真におさめてくれた。ブログのトップにも貼ってあるが一人旅という性格上、記念撮影を除いては、旅途中の自分の写真は極めて少ない。橋の上の風に吹かれMeguruちゃんと共に夕日に涼むこの一枚は、きっと永く俺の忘れられない思い出となるだろう。ニ夜連続・・・いや野田社長との餃子の夜を加えればなんと三夜連続となってしまう宴となってしまった。場所はこのチャリティツアー最後の宿泊地となる株式会社サヨカさんのご近所、『居酒屋ざこば』。丸一日同行取材してくださった北岸ディレクター共々、出てくる魚料理全てが圧倒的に旨いまるで竜宮城の様な夜をドドンとご馳走してくださったのは、やはりと言うか平田社長だった。カラカラの喉にキンキンの生ビール旨じゃないか!くたびれ果てた身体に、ウニがイサキがアボカドが、ググッと染み渡るじゃないか!そしてなにより笑顔の連鎖が、孤独な心を満たすじゃないか!威勢良くおかわりした生ジョッキを高々と掲げてさぁ満点の夜を、乾杯だ!八十七日目スタート/09時30分/2385.6km株式会社サヨカ到着/17時30分/2413.6km今日の充電回数2回充電回数総計133回今日の走行距離28.0km(自動牽引ー.ーkm/自力牽1.2km)走行距離合計2413.6m(自動牽引72.1km/自力牽引155.6km)本日の支出マクドナルド・・・・・・240円合計・・・・・・・・・・240円支出合計・・・・・143361円残高・・・・・・・・・・135円■本日のグッズ販売Meguruペンダント@0=・・・・0円本日までのグッズ販売益・・・・0円グッズ売り上げ合計・・25000円本日のグッズ募金・・・・・・・0円本日の宿泊募金・・・・・・・・0円本日の充電募金・・・・・・200円本日の缶コーヒー募金・・・・・0円本日の串カツ募金・・・・・・・0円本日の俺募金・・・・・・・・・0円本日の募金合計・・・・・・200円募金合計・・・・・・189883円未募金額・・・・・・・・1400円募金総額・・・・・・191283円
2011/09/10
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平成23年5月13日、電気自動車Meguruちゃんで淀川を渡り大阪を飛び出した俺は、いきなり窮地に立たされた。淀川製作所をスタートした9日から大阪府内のスポンサー様をめぐりながら毎日の充電先がみっちり確保されていた12日までの旅と違って、県境である淀川以西に約束された充電先は一つだって無かったのだ。無論それは、はじめから分かっていた。分かっていながら実際に対峙してみるその状況は、想像を遥かに越えた孤独と確かな絶望感に包まれていた。(充電しながらの旅なんて、無理なんじゃないのか?)(一日30kmで700kmは、無謀だったんじゃないのか?)(もう神戸の船着場からフェリーで九州へ渡ってしまおうか?)暮れなずむ神戸の街にMeguruちゃんを引っ張り歩く時速3kmの風景の流れに重なって、俺の脳裏にはそんな弱気が次々と思い掠めていた。Meguruちゃんの電池が完全に切れた芦屋からの10kmは、恐らく俺の生涯で最も長い煩悶の10kmであった。それは旅をはじめたての俺が、今の旅の原型へと脱皮をする、産みの苦しみだったのだろう。そんな俺に救いの手を差し伸べてくれたのが、神戸の自動車整備工場『パシフィックモータース』さんだった。突然やってきた何処の馬の骨ともつかぬ大男の車に充電をして、その上一日軒先に泊めるという「へー」と聞き流せば何でもないが、自分が当事者だったら間違いなく狼狽えるであろう提案を、野田社長は驚くべき包容力でニコリと丸呑みにしてくれたのだ。同時にそれはこの旅に、一つの正確を得た瞬間でもあった。~人情充電~一日進むだけ進み、電池が切れたら現地で充電をしてくれる場所を探す。この時俺は、この旅を続ける上で最も重要な方法を、絶望の淵から拾い上げたのである。実際のところ宿泊充電交渉というのは断られて当たり前、了解はむしろ大ラッキーだ。しかし、至極当然の事ながら俺は、断る人が悪いなんて、これっぽっちも思っていない。こればかりはタイミングや先方の都合もあるし、世間一般の常識ではそれが極めて普通の対応だ。俺が言いたいのは単に、この突発的状況を「断らない人が圧倒的に凄い」というだけの話である。思い返せば電圧、体力共にへっとへとの俺やMeguruちゃんを笑って受け入れてくださった方々はちょっと『普通』では測り切れないエネルギッシュさがあった。そして俺はその根底に何時も小倉社長のチャレンジスピリッツに通ずる熱脈を目頭に熱く感じていた。以後俺はこの成功体験を武器に、毎日のように突撃宿泊充電を繰り返し、当初想定700kmを大きく上回る1000kmの道のりを、一度だって電池を切らさずに走り抜く事に成功する。それは取りも直さず、日本の優しさの証明だ。四ヶ月ぶりとなるパシフィックモータースさんの朝礼に懐かしく参加させてもらいながら、俺は四ヶ月前の今日から始まった激闘の日々と、そんな不器用な格闘を道端で続々と助けてくれた人々の優しい笑顔を振り返って、一人泣いていた。大阪までの青看板は30kmをいよいよ切ろうとしていた。しかし肝心のゴールまではあと四日もある、これじゃ一日10kmも進めやしない。しかもパシフィックモータースさんのある神戸から10km先には明日の中継予定点となる芦屋があるため、今日はその二点間のいずれかに着地をしなければならないのだ。充電はしなくてもいい。明日は芦屋で継充電をしてそこから20kmの旅なので、満充電のMeguruちゃんなら航続距離的に十分お釣りが来る。ただ「二点間のいずれか」と言うのは簡単だが、先日の日記に詳しいとおり体ごと一晩車を停めれる場所なんてそうそうありはしない。俺はiPad地図を拡大したり縮小したりしながら目を皿のようにしてMeguruちゃんで車中泊できそうなポイントを探した。すると俺がバイク旅でよく利用していた北九州航路のある六甲アイランド入り口に、トラッカー相手のコンビニを発見した。ここがOKなら芦屋へ通り道ということもあり、バッテリーも無駄にしない。ただ絶好の位置取を発見した事と、Meguruちゃんを一晩泊めてもらえるかどうかと言うのは、これまた別の問題であった。一日の移動距離が5kmと言う事もあり、目的地付近まではあっという間に到着してしまった。しかしあまり早く到着してしまうのは迷惑だ。俺は幅員の広い産業道路に自然発生的に出現した路上パーキングで時間を稼ぎ、雲霞の如く押し寄せる蚊の大群を殺虫剤の水平噴射と蚊取り線香で撃退しつつ、空腹を差し入れのおつまみピーナッツとお茶のペットボトルで慰めながら夕暮れ時を待つ事とした。そして夕刻、いつもの様に両ホッペをバシバシ叩くセレモニーで臨んだこの旅最後となるであろう宿泊交渉は、駐車場のように広い肝っ玉オーナーの心意気で、やはり一発OKだったのである。夜は宴会となった。このチャリティーツアーのプロジェクトパートナーである株式会社サヨカの平田社長が、レトロカー愛好家である松岡さんと、コンビニの駐車場まで俺を迎えにきてくださったのだ。向かった先は鳥手羽のチューリップが劇的に美味かった串カツの名店『ふなこし』。テレビ大阪の北岸ディレクターもゲスト参戦したこの宴席には、実に驚くべきサプライズが待っていた。ここまでの旅の無事を労い、平田社長がご褒美をくれるというのだ。労うもひったくれもこちとら好きでやっているのだから申し訳けなきことしきりであるが、平田社長は口をパクパクして遠慮する俺を尻目に「スポーツのメダルには金もれば銀もあり銅もある、でも中林くんは一人で戦ってきたので金メダルです」そんな事を言いながら、平田社長はバッグから一枚のメモを取り出した。そしてシャープペンシルで『金メダル』と大書するのだ。俺はてっきりそのメモをいただけるのだなと思い、そのメモに自分で紐でも通せば、それはそれで大層嬉しかったのだが、平田社長の話にはまだ続きがあった。「でもまぁ一人で戦ってきたのだから、銀と銅は無いので、金メダルは意味がない・・・それに中林君にはいろいろと、抜けた行動もありましたね。だからこのメダルからも、一本線を抜きましょう」と笑って、平田社長はシャーペンで書いた『金メダル』の『ダ』から消しゴムで一本線を消してなんと『金メグル』にしてしまった。そして改めてバッグから金色に光り輝くMeguruペンダントを取り出すと「四ヶ月間お疲れさん」と、俺に差し出したのだ。万事に渡って繊細な気配りの平田社長らしい、何とも憎い演出ではないか。思えば様々な困難が襲った道中であった峠道に配線が溶け、モーターが焼けついた動かなくなったMeguruちゃんを一日中引っ張って歩き曲がったフロントシャフトではブレーキもかけることができずバッテリーも死にかけたそして毎日の終わりに約束された充電ポイントなんか無かったそれらの困難に負けてこの旅を途中で投げ出していたら俺はこの金Meguruを手にする事はなかっただろう18金だというMeguruペンダントは俺の生涯に燦然と輝く、最高の勲章だすっかり忘れていたけど、今日は9月9日だ運命の5月9日、数々の不安要素に目を瞑る思いで淀川製作所を飛び出したあの日からちょうど四ヶ月が、経過していた八十六日目スタート/08時30分/2377.6kmサンクス神戸住吉浜店到着/17時30分/2377.6km今日の充電回数0回充電回数総計131回今日の走行距離5.0km(自動牽引ー.ーkm/自力牽ー.ーkm)走行距離合計2385.6m(自動牽引72.1km/自力牽引154.4km)本日の支出合計・・・・・・・・・・・・0円支出合計・・・・・143121円残高・・・・・・・・・・375円■本日のグッズ販売Meguruペンダント@0=・・・・0円本日までのグッズ販売益・・・・0円グッズ売り上げ合計・・25000円本日のグッズ募金・・・・・・・0円本日の宿泊募金・・・・・・100円本日の充電募金・・・・・・100円本日の缶コーヒー募金・・・・・0円本日の串カツ募金・・・・・・・0円本日の俺募金・・・・・・・・・0円本日の募金合計・・・・・・200円募金合計・・・・・・189883円未募金額・・・・・・・・1200円募金総額・・・・・・191083円
2011/09/09
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~前回までのあらすじ~手作り電気自動車Meguruで前人未到の実走2000kmに挑戦中の俺は長かった旅の最終盤にその足をかけていた。到着予定を一日前倒してパシフィックモータースさんに不時着した俺は、しばしばクリスマス前にやってきたサンタクロース状態であったが、実は最終目的地大阪なんか目前で、もはや走るどころか歩いたって旅を終えてしまえる距離だ。しかしゴールの日取りは遥か彼方の5日後、9月12日なんかに設定してあるため、これからの旅は今までのベクトルとは真逆の「どれだけ進まないか」が重要視された。困った俺は優しい野田社長に無理を言って、パシフィックモータースさんの軒先にもう一泊だけさせて貰い、貴重な時間を稼ぐのだった。Meguruちゃんを俺諸共明日朝まで面倒見て頂くというお許しは頂いた。しかし腕利きの整備工場である『パシフィックモータースさん』はお仕事柄車の出入りが激しく、その軒先にMeguruちゃんをそのまま停めておく事は酷く躊躇われた。そこで俺は荷物をおろして軽量化したMeguruちゃんで、神戸の街を一日ドライブしようと考えた。パシフィックモータースさんから神戸方面の道路は中央分離帯を挟んだ対向車線なので、そこへ乗るには六甲山方面へ一旦大きく迂回しなければならない。それはちょっと電力的に勿体無いなと、俺は以前往路でもそうしたようにMeguruちゃんを引っ張って、信号を2段階右折する事にした。進行方向に見えてる信号までMeguruちゃんを引っ張れば、右折で貴重なバッテリーを消費せずに済む。「うんしょうんしょ!」とMeguruちゃんをメリケンパーク方面に引っ張っていたら、やはり前回同様隣の鉄工所のおばちゃんに「あんたまた引っ張りよるん!」と、改めて驚かれてしまう。「あそこの信号までね!これぞ究極のエコ運転よ!」四ヶ月ぶりのデジャブをガハハと笑い飛ばして信号を反対車線へ、Meguruちゃんに乗り込んだ俺はサザンのボリュームを最大に、まずは神戸ポートタワーを目指すのだった。しかし高取峠(正確にはその脇道だが)を越えてからこっち、実を言うと俺は一度もMeguruちゃんを引っ張っていない。正確にはもうMeguruちゃんを引っ張らないようにした。アンダーパスもオーバーパスもバイパスへ合流する登りも、全てMeguruちゃんに登らせている。展示会場やご近所をチョロチョロ走るのが精一杯だった時と違い、Meguruちゃんはもう人を載せて立派に公道を走る事のできる自動車となった。配線容量は当初の10倍に強化されバッテリーを追加して航続距離は倍に伸び技術者の柔軟なアイデアで高い排放熱機構を獲得汎用充電器で汎用性と充電時間短縮も達成しブレーカー装備でモーターも焼け切れず温度計で走りながらコンディションを計る事もできるだからもう峠以外の普通の道で、俺の引っ張りは無用なのだ。Meguruちゃんはそろそろ、俺から卒業しなければならない。これからは誰かの牽引ではなく、自分の足で走らなければならないのだ。サーキットを延々グルグルではなく、ガソリン車と同条件の過酷な2000kmを、時に傷つき、時には動かなくなりながら走り切ったMeguruちゃんには、もうそれが出来る。この旅を終えたら俺は小倉社長に、このテスト走行で得たデータと、そのデータに基づいたMeguru改良提案書を提出するつもりだ。そしてその提案書は今後必ず、後発Meguruの性能向上に生きると信じている。パシフィックモータースさんに戻ると取材を受けた。業界向けに広く発行されている『自動車新聞社』という自動車の専門紙だ。取材をしてくださった井上さんは各種報道ですでにMeguruの事を知っていたが、実際に目の当たりにするのははじめてだったらしい。興味深げにメモを取り、キラキラした目で何枚も写真を撮っている。お仕事柄、根っからの車好きなのだろう。夜はMeguruちゃんで神戸の中華街へ、パシフィックモータースの野田社長の運転で乗り付けた。暖簾を割ったのは『元祖ぎょうざ苑』営業50年以上になる味の老舗だ。ここの餃子は一風変わっていて、まずニンニクが一切入っていない。そして醤油に酢はあるのだが、ラー油がどこにも見当たらない。そうこうキョロキョロしていたら一握ほどの大きさの壺が目に入った。『元祖ぎょうざ苑』元祖の由来は、どうやらこの一子相伝『味噌ダレ』にあるようだ。「え?ぎょうざに味噌!?」と意表を突かれたが決して奇を衒った味わいではない、これが滅法美味いのである。少し辛めの味噌ダレはもっちりと肉厚の皮に程よく絡み、染み出てくる肉汁との親和性も高く、噛むほどに味持ちがいい。野田社長と挟んだ三人前の皿があっという間に空になり、ひとしきり笑う。続いて水餃子(スープ餃子)揚げ餃子と、とにかく餃子尽くしであったが、決して小ぶりでは無い餃子がビールの喉越しとも合間って、まるで魔法のようにパクパクと何個だってイケてしまうのだ。そして圧巻は『神戸牛餃子』読んで字の如く神戸牛を使用した贅沢餃子である。正直餃子なんてのは今日の今日までラーメンの脇役で、パクパクムシャムシャ食べるものだと思い込んでいたが、勧めに従い醤油だけであっさりと頂いてみる『神戸牛餃子』は、一口ごどに箸を置いてしみじみ己の半生にその不明を恥じ入る誠の逸品であった。無論味噌ダレとの相性も抜群だ。その場合タレは少しでいい。神戸牛餃子にはそのままで、牛肉由来の旨味がギュギュッと詰まっているからだ。美味いもので腹一杯と言う状態は、人生における数多の幸せの中でも間違いなくトップクラスであろう。素敵な夜をドドンとご馳走してくださった野田社長に米つきバッタの様な頭を下げ、パンパンに膨れ上がった腹にMeguruちゃん牽引ロープを巻き付けて、およそ3kmの道のりを俺のパシフィックホテルへ。欲望に負けて生ビールをガッ!と行ってしまった報いだが、200kgを引っ張って3kmの道のりはやはり「大丈夫っす!こんなの日常茶飯事っすから!」と虚勢を張るほど楽ではなかった。ただ俺がMeguruちゃんを引っ張るのは、もしかしたらこれが本当に最後になるかもしれない。そう思うと普段は「クソッタレ!」と思っていた引っ張りも、なんだか急に愛しく思えてくる。「あーあちくしょう!あーこのやろう!」と、坂道にいつもの悪態をブツクサ吐きながら満ちかけた白い月明かりが歪んで見えたそれは旅の終わる、5日前であった八十五日目スタート/08時30分/2372.6kmパシフィックモータース到着/15時30分/2377.6km今日の充電回数1回充電回数総計131回今日の走行距離8.0km(自動牽引ー.ーkm/自力牽3.0km)走行距離合計2380.6m(自動牽引72.1km/自力牽引154.4km)本日の支出合計・・・・・・・・・・・・0円支出合計・・・・・143121円残高・・・・・・・・・・375円■本日のグッズ販売Meguruペンダント@0=・・・・0円本日までのグッズ販売益・・・・0円グッズ売り上げ合計・・25000円本日のグッズ募金・・・・・・・0円本日の充電募金・・・・・・100円本日の募金・・・・・・・・583円本日の缶コーヒー募金・・・・・0円本日の串カツ募金・・・・・・・0円本日の俺募金・・・・・・・・・0円本日の募金合計・・・・・・683円募金合計・・・・・・189883円未募金額・・・・・・・・1000円募金総額・・・・・・190783円
2011/09/08
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「地球での自由落下と言うやつは、言葉で言うほど自由ではないのだな」そんなシャア少佐のセリフを応用すれば「電気自動車での自由行動というやつは、言葉で言うほど自由ではないのだな」みたいになるのかもしれない。Meguruちゃんでの、旅のジレンマだ。当日の目的地が決まっていない旅では電池残量に制約があり、どうしても観光などの遠回りが難しい。例えば道端に「景勝地、北へ5km」なんて看板を見ても、行って帰れば10kmである。それに幹線道を逸れる脇道は山を登ったり浜へ降りたりと、アップダウンの場合が多い。そのワンツーに「着地点で充電できるかどうかは博打」というフィニッシュが加わるのだ。観光など夢のまた夢、旅の目的は自然と残りの電池残量でどこまで進めるか?に集約される事となる。しかし、今はまた違ったジレンマに苦しんでいる。あまり進めないのだ。今日に限って言えば、ルート上に都合のいい着地点が見つからなかった。垂水のファミリーマートで継充電をしたMeguruちゃんは明日のゴールとしている神戸の『パシフィックモータースさん』を完全に射程に収めた。従って今日は一日停車だけ出来ればいいのだが、これが難題だ。右も左も分からない都会に車を一晩停めるというのが、事の他難しいのである。「え?なんで?」という方は、車で土地勘の全く無い隣県都心まで走り、実際トライしてみれば二秒でわかる。「充電は結構なので車だけ一晩停めれるようなところはありませんか?」という魂の問いかけに、地元の人が付近の地図を見ながらことごとく首をかしげるのだから、これは間違いない。だったらさっさと先に進めばいいのだが、実はMeguruちゃんの故郷である大阪府守口市『淀川製作所』へのゴールが、このほど9月12日に固定された。それはいい。しかし現在地とゴールまでの距離を一日の航続距離で単純に割り算すると、9月9日、ないし10日には、十二分にゴールできてしまうので、これからは距離的にあまり先へ進んではならないという、旅に出たての俺が聞いたら引っくり返って驚くような悩ましい状況が、現在進行形で発生しているのだ。まぁ俺が回転寿司で「ぐわっはっはっ!そうかねそうかね!」と高笑いしながらウニの軍艦巻きを鷲掴みにするような超絶お金持ちであったなら、神戸のベイサイドに豪華ホテルでもとって、海の見えるスカイラウンジで「君の瞳に乾杯☆チーン」みたいな事も可能なのだが、誠に遺憾ながらこの度遂に、俺は10個入り500円のタコ焼きすら買えない身分と成り果ててしまった。そんなこんなでフラフラとしかし確実にゴール大阪までのキロポストを削っていたら、懐かしい風景の向こうに本来なら明日の目的地である筈のパシフィックモータースさんが見えてきた。アチャーである。パシフィックモータースさんは定休日だったが、幸いにも事務所のデスクには野田社長がいらっしゃるのが見えた。施錠してある事務所のガラスドアを愛と青春の旅立ちのラストシーンのように叩いて事情をお話しし、一晩Meguruちゃんを敷地内に停めてもらう事に。その上今日は無かった事として明日また改めて泊めてください!と無茶を言い出す、野田社長の眩しい苦笑をシャア少佐風に代弁すれば「私もつくづく運のない男だ」となる、厄介な旅人の再来なのであった。八十四日目スタート/08時00分/2328.9kmパシフィックモータース到着/17時30分/2328.9km今日の充電回数1回充電回数総計130回今日の走行距離43.7km(自動牽引ー.ーkm/自力牽ー.ーkm)走行距離合計2372.6m(自動牽引72.1km/自力牽引151.4km)本日の支出メロンパン・・・・・・・105円発泡酒・・・・・・・・・141円合計・・・・・・・・・・246円支出合計・・・・・143121円残高・・・・・・・・・・375円■本日のグッズ販売Meguruペンダント@0=・・・・0円本日までのグッズ販売益・・・・0円グッズ売り上げ合計・・25000円本日のグッズ募金・・・・・・・0円本日の充電募金・・・・・・100円本日の差入募金・・・・・・・・0円本日の缶コーヒー募金・・・・・0円本日の串カツ募金・・・・・・・0円本日の俺募金・・・・・・・・・0円本日の募金合計・・・・・・100円募金合計・・・・・・189300円未募金額・・・・・・・・・900円募金総額・・・・・・190200円
2011/09/07
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高校を卒業して就職したての頃、給料日の翌日の財布を紛失した事がある。高校生の頃付き合っていた彼女にプレゼントされたバドワイザーのマジックテープがバリバリ言う財布には、貰いたての給料を含む俺の全財産が入っており、寮暮らしで社食が出る会社だったので命に別上こそ無かったが、その一カ月間俺の経済は混迷を極めた。それから数年後・・・離婚をしてしばらくして俺はまた全財産が封入された財布を紛失している。あの財布事件以来、長く財布そのものを持たない生活をしていたのだが、元嫁さんが嫁さんっだった頃、何かの拍子にくれたのだ。これもやはりマジックテープがバリバリ言うタイプの財布だったのだが、この財布には小銭含む現金に加え、クレジットカード、キャッシュカード、保険証などなど、さらにグレードアップした財産が満載されており、当時はアルバイトを二つ掛け持つような仕事だったので上記のような福利厚生は望めず、家賃も一カ月間滞納して【主食・ごはん】【おかず・味付きごはん】【デザート・クリープ】と言うような食生活の、ブキミ的一カ月間を過ごした。そんな飢餓体験を経験し、北斗の拳のオープニングで砂漠を歩くバット少年のような瞳で、俺はまたしばらく財布そのものを持たない生活を送るようになったのだが、福岡の住まいを引き払って移り住んだ東京中野で、やはり当時付き合っていた彼女から財布をプレゼントされる。ようやくバリバリ言わなくなった財布を手にとって俺は考えた。財布に全財産を入れるのはやめようと。以来憎たらしい事に財布を無くしたことは無いが、免許証やカード類はある程度仕方ないにしても、お金だけは小分けするようにしている。普段は使うだけのお金しか財布に入れないようにしているし、旅に出ている時はどうにもならない緊急事態用に、だいたいはお風呂セットのバッグに防水加工をした一万円を忍ばせるようにしている。今回の旅ではプロジェクトパートナーになって頂いている株式会社サヨカ様から『御守り』を頂戴していたので、財布を分けるというような事はしなかったが、その御守りも復路の旅で禁断の封を解いてしまい、今の生活費になっている。・・・しかし封印を解きながら俺の脳裏を生々しく過ったのは【主食・ごはん】【おかず・味付きごはん】【デザート・クリープ】の日々だった。サヨカ様から頂いた御守りから2千円を抜いた額を旅の残金として郵便通帳に預け入れると俺は2千円を御守り袋に封入して再び糊付けした。俺が危惧したのは旅費そのものではなく、募金だ。チャリティーツアーなのに肝心の募金が出来ないと言うのは、なんともうすら寒い。そういう意味でおよそ一週間分にこれでは十分だろうという額をプールしておいたのだ。しかし・・・しかしである、今までの募金データを集積し、一週間で割れば、一週間の募金額なんていうのは1000円前後、週の募金が2000円に達した事は実は一回しか無い。という事は、俺はもう少し発泡酒が飲めるのではないか?500ml缶を奮発しても大丈夫なのではないか?セブンイレブンではおでん全品70円セールの真っ最中ではないか?などと、マグマの如く噴出してくるドロドロたる欲望が山本リンダな今日この頃なのである。もうどうにも止まらないのである。目的地が無かった。正確には着地点が無かった。往路では確かスーパー銭湯で入浴中に充電をお願いして、俺はといえば休憩室で生ビールや蕎麦などの高級食材を思うさま貪るという、何かしらのいい旅夢気分を満喫していたと思うが、今の偽らない心情としては、当時の俺を今の俺の前にしょっぴいて来て気絶するほどグーで殴りたい気持ちで一杯だ。とはいえさすがに入浴もせずに充電はお願いできない。困ったなと走り出した今日は往路同様太子町のユニクロさんや神戸新聞の取材を受けた関西電装さんでモリモリ充電をして走行距離だけはグングン伸びる。そして大阪からおよそ100kmの姫路市を背にして20km進んだ加古川のほとりで、Meguruちゃんは完全な夜に追いつかれた。昼間ならなんてことない道が怖い。それに帰宅ラッシュを避けて選んだ県道718号線は細い道を近隣住民の方々が不意に横断するので危ないことこの上ないのだ。これ以上の走行は危険と判断した俺は、加古川にかかる大きな橋の袂のガソリンスタンドに駆け込んだ。「今この電気自動車で九州から大阪まで旅をしておりまして、途中で電池が切れまして・・・それで」説明するほうも十分ややこしい話を遮って、福田社長は「よし分かった!」と笑い、充電場所と電源を提供してくださった。柔らかな関西弁の、ちょうど鹿児島県垂水市でライダーハウスを営む酒井リーダーに良く似た雰囲気のたいそう気さくな方だった。一週間に一度海の水を汲んで来る水槽に四国から買い付けたというクラゲを飼っており、白メダカを唸るほど繁殖させて、二年間水を変えずに循環する水草の壺を小宇宙として愛でている。「ゆっくり寝よ、ポリになんか言われたらちゃんと承諾得てます言うたらええからな」ほな頑張ってや!と陽気に手を振りながら、福田社長は加古川にかかる橋の彼方にあっという間に小さくなってしまった。川辺の風に吹かれながら夕食の支度。ついに袋ラーメンの備蓄が切れたので、今日からはパスタかうどんの二択である。煩悶の末パスタを選択し、パスタのゆで汁で結局うどんも食って満腹だ。Meguruちゃんの運転席を背もたれに両足を投げ出し、川面を吹き渡る夜風に額の汗を冷ましながら、赤穂電装さんから頂いたお茶をグビリとやる。旨い漆黒の川面に揺れるオレンジ色の街灯がユラユラと美しい耳を澄ませば遠くで秋祭りの練習をする太鼓の音した旅である八十三日目スタート/08時00分/2285.7km道の駅あいおい白龍城到着/19時30分/2328.9km今日の充電回数3回充電回数総計129回今日の走行距離43.2km(自動牽引ー.ーkm/自力牽ー.ーkm)走行距離合計2328.9m(自動牽引72.1km/自力牽引151.4km)本日の支出発泡酒・・・・・・・・・135円合計・・・・・・・・・・135円支出合計・・・・・142875円残高・・・・・・・・・・621円■本日のグッズ販売Meguruペンダント@0=・・・・0円本日までのグッズ販売益・・・・0円グッズ売り上げ合計・・25000円本日のグッズ募金・・・・・・・0円本日の充電募金・・・・・・300円本日の差入募金・・・・・・・・0円本日の缶コーヒー募金・・・・・0円本日の串カツ募金・・・・・・・0円本日の俺募金・・・・・・・・・0円本日の募金合計・・・・・・・・0円募金合計・・・・・・189300円未募金額・・・・・・・・・800円募金総額・・・・・・190100円
2011/09/06
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この旅が如何に人情で支えられていたかを、改めて深く思い知らされた一日だった。本日第一目的地は兵庫と岡山の県境で焼け付いたモーターを取り外してくださった『フジウン整備』。スタート地点である『大阪屋食堂』から僅か10kmの距離である。まるで箱庭のような入江にプカプカと小島が浮かぶ愛くるしいこの道のりを、往路では自走出来なくなったMeguruちゃんを引っ張って歩いたっけ。初夏の日差しが燦々と照りつけるこの国道で出会い、以後ずっと旅を見守ってくれていた山下さんと四ヶ月ぶりの再会したのは、郵便局で募金をしている最中だった。前回はコップに冷たい麦茶を差し入れてもらったが、今回は麦茶に加えスナック菓子やカップ麺等の食料も差し入れて頂く。差し入れながらどうやら、山下さん自身も人生の岐路に立っているようであった。男の勘なんて当てになりはしないが、差し入れの品々をありがたく頂戴しながら、俺は普段よりも三割増しくらいの暑苦しさで、精一杯元気に振舞ってみせた。目の前の馬鹿な男の無様かつ無茶な生き様が、彼女の人生に少しでも勇気らしきものを残す事が出来れば、俺は本望だ。それは『日本を元気にする!』という、この旅のグランドテーマにも小さく合致する。山下さんとお別れした鉄橋の陰でMeguruちゃんのモーターを冷ましながら、所持金サバイバル中の今では高級嗜好品となってしまったペットのお茶をグイっと飲る。乾いた喉に、ひたすら美味い。「狙って来たんじゃろ!」「ガハハ!バレましたか!」お昼時のフジウン整備さんを襲撃して、まんまと食堂の昼食にありつく。前回は鳥ササミ定食だったが、今回はカレーだった。これまた美味い。昼を過ぎて藤原社長が帰ってきた。しぶがき隊のモッ君をVシネデビューさせたようなナイスミドルだ。ここまでの旅の無事をご報告し、往路では大変お世話になりましたと頭を下げる。現在進行形でお世話になりながら「お世話になりました」というところが、如何にも俺らしい。「ありがとうございました!またいつか!」昼ご飯を食べてお腹いっぱいのMeguruちゃんでフジウン整備さんの広大な駐車場を走り出す。前回はモーターの無いMeguruちゃんを、従業員の皆さんに押してもらって出発したんだっけ。そんな事を思い出したら泣けて来た。iPhoneから流れてくるサザンを大声で唄いながらMeguruちゃんのアクセルを一杯に開く。往路では自力で引っ張っていたような急な坂道を、西日本中の町工場で改良されたMeguruちゃんは頂上目指して、力強く登っていった。そのフジウン整備さんを紹介してくれたのは岡山の入り口でたこ焼き屋さんを営む播本さんだ。見た目はまんまロッキー3の『グラバー・ラング』または特攻野郎Aチームの『コング』で、(あ、同一人物か)走行不能に陥ったMeguruちゃんを引っ張りながら、こちらに向かって真っ直ぐ近づいてくる播本さんの姿を見て(あぁ、この旅もここで終わりか)と、覚悟を決めた日の事を、今でも鮮明に覚えている。しかしその播本さんも藤原社長と同じく「根は優しくて力持ち!」というタイプの方で、同時に大型トラックから小型トライクまで幅広くモータースポーツを楽しむメカの天才「大統領でもブン殴ってみせらぁ、でも飛行機だけは勘弁な」というタイプの方でもあった。そんな播本さんからはお茶にソフトクリーム、そして旅のビタミン不足を一発で解消できる量のフルーツをドドン!と補給していただく。「モーター焼けたら帰ってこいよ」可愛いお孫さんを抱いて幸せそうに笑う播本さん一家をバックミラー越しに小さくしながら、俺は一度はMeguruちゃんの息の根を止めた県境の峠に挑むのであった。岡山と兵庫の境を険しく分かつ国道250号線『福浦峠』この越県で俺はかつてMeguruちゃんのモーターを焼き切っている。それはこの旅最大の痛恨のミスであった。だからこの峠だけは、どうしても自力でねじ伏せねばならない。なだらかだった坂道が峠の勾配を刻み始めると、Meguruちゃんはすぐにブレーカーを落とした。目を細めた上り坂の折り返しに、峠は深くしぶとい。(あぁ、俺はこれほどMeguruちゃんに負担をかけていたのか)そんな事を考えながら、いきなりテンション最大の牽引ロープを腰に巻いて戦々恐々とする。足を滑らせて態勢でも崩そうものならMeguruちゃんもろとも峠の麓まで一気に滑落する勾配角だ。引っ張る気が起きない訳である。しかし俺もあの頃よりはパワーアップしている・・・と言うより坂道登坂に習熟している。幸いにも少ない交通量に助けられながら、Meguruちゃんに向き合う綱引きスタイルで後ろ向きに一歩5センチづつ峠を上り詰めてゆく。一気には行かない、しかし休憩もしない、一旦重力方向に慣性を与えてしまうと、もうそこからは一歩だって登れなくなってしまうからだ。目をキツく閉じて一歩一歩、後半はなかば祈るような気持ちで進んでいった。峠山頂手前に定休日のラーメン屋があり、ここの駐車場にMeguruちゃんを止めて初めてのクールダウン。滝のように流れ落ちる汗を播本さんから頂いたフルーツで補給して、峠にトドメを刺す。下り坂は惰性走行のMeguruちゃんがあわや横転しそうなほどのスピードが出た。なるほどこれを登ればモーターが焼ける筈である。しかし赤穂の街に入ったMeguruちゃんが、「ガタタタタ」と言うような突然異音を発し、帰宅ラッシュの交通を背負ったまま止まってしまった。あわててMeguruちゃんを歩道へ避難させる。避難させながらモーターの異常ではない事にはすぐに気づいた。焼けたモーターは狂った電極の配列が駆動部の正常な回を阻害して、とてもじゃないが普通には引っ張れないのだ。しかしバッテリー切れでもない。アレコレ見てみると実家大牟田で同級生の草野君が端子部の絶縁の為施してくれた樹脂が溶け出していた。どうやらこれが通電部を絶縁しているようだ。熱溶性の樹脂は常温で凝固する。ゴム手袋を装備し、ソケット部分に溶けてへばりついたラミネートを剥がしてゆくが、細かい部分はお手上げだ。どうしても指の届かない部分に鼻毛切りバサミを入れたら「パン!」とショートしてブレーカーが上がり、そのマッチポンプな出来事におもわず声を出して笑ってしまう。期せず今回の不具合を招いたのが草ちゃんなら、その不具合でショートする筈だった回路を守ってくれたのも草ちゃんだったからだ。Meguruちゃんはその応急処置でなんとか再び動き始めたが、通電部が高温になれば、また今回のように止まるだろう。しかし今は前進だ。気を取り直して赤穂の街へ、ここには歴史的天下の険『高取峠』で同じように焼け解けた主電源コードを配線し直してくれた『赤穂電装』がある。程なく辿り着いた赤穂電装さんでは社長の籠谷さんからペットボトルのお茶を箱ごと頂き、これにより旅の間は高級品であるペットのお茶が飲み放題になってしまった。さらに地元の新聞社を呼んで頂き、その上高取峠越えて相生入りは無謀だろうと言う事で、海側からの迂回路をその峠まで引っ張ってくれると言う。かくして越えた海沿いの峠も大変険しいものであった。どのみち今のMeguruちゃんでは超える事が出来なかっただろう。籠谷さんとは日暮れの峠でお別れをして、俺は麓の街相生を一気に目指す。途中人気の全くない無い火力発電所の脇の橋上でまたしてもMeguruちゃんが止まってしまった時はさすがに泡食ったが、案の定飴状に溶け出している樹脂を切り出すさっきと同じ応急処置でなんとか復活。ゴールとなった道の駅『あいおい白龍城』で、往路同様チャリティー充電にご協力頂く。所持金は少なかったが風呂を奮発した。身体中汗でベタベタだし、何と言ってもここからゴール大阪まで、もうあんな峠は一カ所だって無い。それは旅の終わりを力強く実感する確信であった。夜は久しぶりに幌にした。暑い盛りを過ぎて春から秋へ、季節がちょうど一回転している。4ヶ月前の俺は、これから起こる波乱も知らずに呑気な寝息をかく、ドン・キホーテだった。もし俺がこれから起こる様々な困難を事前に知る事のできる利口者であったなら、俺はとっくにこの旅を辞めていただろう。馬鹿だった馬鹿だからこそ、突破で来たのだと思う馬鹿だったからこそ、やり抜けたのだと思うそしてこんな馬鹿者だったからこそ沢山の人々に出会い、助けられ半分に欠けた月の光を笑顔で補える満ち足りた、今日があるのだ八十二日目スタート/08時00分/2246.8km道の駅あいおい白龍城到着/19時00分/2285.7km今日の充電回数4回充電回数総計126回今日の走行距離38.9km(自動牽引ー.ーkm/自力牽1.2km)走行距離合計2285.7m(自動牽引72.1km/自力牽引151.4km)本日の支出ラーメンセット・・・・・750円募金・・・・・・・・・1100円合計・・・・・・・・・1850円支出合計・・・・・142740円残高・・・・・・・・・・756円■本日のグッズ販売Meguruペンダント@0=・・・・0円本日までのグッズ販売益・・・・0円グッズ売り上げ合計・・25000円本日のグッズ募金・・・・・・・0円本日の充電募金・・・・・・400円本日の差入募金・・・・・・100円本日の缶コーヒー募金・・・・・0円本日の串カツ募金・・・・・・・0円本日の俺募金・・・・・・・・・0円本日の募金合計・・・・・・500円募金合計・・・・・・189300円未募金額・・・・・・・・・500円募金総額・・・・・・189800円
2011/09/05
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台風一過と共にテレビ大阪のキタギシお姉さんがやって来た!せっかくのお休みを利用して、しかも新幹線でだ「映るかどうかは、わかんないけど」カメラの前では恥ずかしがり屋のオートワークス佐藤代表に、公道取材の協力までお願いしちゃうキタギシさんはさすが仕事人というか、どうやら乗りかけた船という事らしい。ならば俺も旅人の気概をもって応えねばなるまい。入念に地図を読み、地元の方から聞き込みをしつつ、バッテリーの容量を最大限に活かしながら、目的地までの道のりをいつも以上に勾配の少ないルートで結んでゆく。岡山市は奇しくも、キタギシさんが初めて俺を出張取材した土地でもある。その日はキタギシさんを後部座席に載せて、岡山市街から倉敷の美観地区を目指し、ファミレスで夜を明かしたっけ。そんな事を懐かしく思い出しながら今度は逆の岡山市街から兵庫方面へ、道端のキロポストを削ってゆく。ルームミラー越しに回るカメラにも、なんだか随分慣れてきたものだ。本日の目的地である大阪屋食堂で、順調ならこの旅最後になるであろう充電交渉を成功させ、その後は周辺の深い自然をロケーションにロングインタビューとなった。質問は自然とゴール、そしてこの旅が終わった後に集中する。幸いやりたい事はたくさんあって、その中でも最も早い段階に取り掛からなければならない事もあり、昨日のファミレスで一日中睨めっこしていた企画書なんかはまさにその為のモノなんだけど、いずれにしても旅が終わる頃には一度スッテンテンになるので、働いてお金を稼ぐという、普段の循環に軸足を戻す事が大切だ。そういう意味でもまずは実家の九州大牟田へ帰って再起をはかる事になるだろう。仕事はコンビニのバイトだろうがファミレスのウエイターだろうがなんでもいい(雇ってくれるかどうかは別問題だがw)、そしてこれはこれでナカナカ楽しいのだけど、収入の50%以上を貯金に回すような倹約の日々が、再び始まるのである。夢と現実はとかく対極で語られる事が多いが、俺はこれを両輪だと思っている。現実だけでは息苦しいし、夢だけでは食っていけない。好きな事で飯を食えるのが羨ましいと、現状に悲嘆する人もあるが、俺は仕事をしてそのお金で好きな事をするのも、それと同じくらい尊い事だと思う。夢の為に仕事をし、仕事が夢を叶える・・・十二分に夢見がちだと言われる俺も、実はちゃんとこの循環の中で生きているのだ。夕食はキタギシさんが大阪屋食堂で大ジョッキの生ビールをドドン!とご馳走してくれた。「これでもう襲撃出来なくなっちゃいますね」「ガハハ!今度は俺が大阪を襲撃しますよ!」無人駅のホームで握手をして別れる。単線の彼方に岡山行きの鈍行を見送って俺は開いた掌に、渾身のグーパンチを叩き込んだ明日はいよいよ兵庫県、この旅最後の土地だそして筋書きの無い電気自動車の物語も遂に最終章へと、突入するのである!八十一日目スタート/08時30分/2221.5km大阪屋食堂到着/12時00分/2246.8km今日の充電回数1回充電回数総計122回今日の走行距離25.3km(自動牽引ー.ーkm/自力牽ー.ーkm)走行距離合計2246.8m(自動牽引72.1km/自力牽引150.2km)本日の支出塩にぎり・・・・・・・・100円缶コーヒー・・・・・・・・35円アンパン・・・・・・・・・88円ラーメンセット・・・・・750円合計・・・・・・・・・・973円支出合計・・・・・140890円残高・・・・・・・・・2606円■本日のグッズ販売Meguruペンダント@0=・・・・0円本日までのグッズ販売益・・・・0円グッズ売り上げ合計・・25000円本日のグッズ募金・・・・・・・0円本日の充電募金・・・・・・100円本日の取材募金・・・・・・・・0円本日の缶コーヒー募金・・・・・0円本日の串カツ募金・・・・・・・0円本日の俺募金・・・・・・・・・0円本日の募金合計・・・・・・・・0円募金合計・・・・・・188300円未募金額・・・・・・・・1000円募金総額・・・・・・189300円
2011/09/04
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