土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2022.06.13
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カテゴリ: 正岡子規
やき芋の皮をふるひし毛布哉 (明治33)
 焼き芋は女性を始め、甘いものに飢えた人たちにとって格好の食べものです。子規だけに限っても、学生時代にじゃんけんやトランプで勝負をして負けたら焼き芋を買いに行ったりすることが、多くありました。また、結核に侵された顛末を戯作風に書いた『喀血始末』では、閻魔の前に引きずり出された子規が、「 併し一番うまいのは寒風肌を裂くの夜に湯屋へ行きて帰りがけに焼芋を袂と懐にみてて帰り、蒲団の中へねころんで、漸く佳境へ入る 」と書き、幸田露伴のもとへ書き上げた小説『月の都』を持っていきますが、芳しい返事をもらえず、帰り道に焼き芋をかじったりしています。
 また、イギリス留学中の漱石に「 ロンドンの焼き芋はどんなか聞きたい 」という手紙を出しました。
 明治31年に書いた『人々に答ふ』(歌よみに与ふる書に掲載)では、馬糞や焼き芋を詠む俳句は文学として価値があるのかという問いに対して、和歌と俳句を比較した上で、現れる題材よりも、歌や俳句をつくる精神の品格を問題にするべきだと論じ、和歌を第一とすることの愚かさを論じています。ただ、俳句に関しても滑稽味や月並みを重んじる総集たちの存在こそが下品であるとし、多くの人たちや文学者たちが、俳句や和歌をつくることを望んでいます。
 朝鮮使節団の一員であった申維翰は、享保4(1719)年に『海游録』京都東山で焼芋を売っていたことを記しています。青木昆陽を始め、薩摩から芋を持ち出した人々のおかげで、さつまいもの人気は全国を席巻しました。寛政元(1789)年にはサツマイモ料理を紹介した『甘藷百珍』も刊行されています。
 もともと、いも屋は、蒸芋を売っていました。しかし、焼いた方がさらに甘みが増すことがわかり、焼芋全盛時代を迎えます。『守貞漫稿』には「江戸にては蒸芋ありといえども焼甘薯を専とす」とあり、幕末期の江戸にはいたるところに焼芋屋ができました。焼芋屋を開業するには、泥で築いた竃と大きな鉄の平釜があればでき、建物も簡易なものでいいため、商売を始めやすいのですが、季節性が強いため、農家の副業に適していました。
 もう少し時代が下ると、冬には焼芋、春になると蒸し芋となり、大学芋もメニューに加わります。そして、夏になると氷水を売るようになり、「氷」と書かれた幟が立てられるようになりました。





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最終更新日  2022.06.13 19:00:08
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