土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2022.11.17
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カテゴリ: 8コママンガ漱石




この三十年 (注:本当は29年) の帰省の時、私はしばしば漱石氏を訪問して一緒に道後の温泉に行ったり、俳句を作ったりした。その頃道後の鮒屋(ふなや)で初めて西洋料理を食わすようになったというので、漱石氏はその頃学校の同僚で漱石氏の下にあって英語を教えている何とかいう一人の人と私とを伴って鮒屋へ行った。白い皿の上に載せられて出て来た西洋料理は黒い堅い肉であった。私はまずいと思って漸く一きれか二きれかを食ったが、漱石氏は忠実にそれを噛みこなして大概嚥下(えんか)してしまった。今一人の英語 (注:本当は歴史) の先生は関羽のような長い髯(ひげ)を蓄えていたが、それもその髯を動かしながら大方食ってしまった。この先生は金沢の高等学校を卒業したきりの人であるという話であったが、妙に気取ったように物を言う滑稽味のある人であった。この人はよく漱石氏の家へ出入しているようであった。この鮒屋の西洋料理を食った時に、三人はやはり道後の温泉にも這入った。着物を脱ぐ時に「赤シャツ」という言葉が漱石氏の口から漏れて両君は笑った。それはこの先生が赤いシャツを着て居ったからであったかどうであったか、はっきり記憶に残って居らん。ただ私が裸になった時に私の猿股にも赤い筋が這入っていたので漱石氏は驚いたような興味のあるような眼をして、「君のも赤いのか」と言ったことだけは、はっきりと覚えている。後年『坊っちゃん』の中に赤シャツという言葉の出て来た時にこの時のことを思い合わせた。 (高浜虚子 漱石氏と私)





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最終更新日  2022.11.17 19:00:06
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