ねこねここねこ

結婚記念日の夕べのこと

     結婚記念日の夕べのこと

 食卓に
 高麗青磁の小壷
 赤いバラ
 午後七時のニュースは終りに近づいている
 定家は
 ワガコトニアラズといったが
 私には
 ワガコトモナイナ
 と思う
 こうして
 十八年
 女房は少しずつ死に
 ともに
 私も
 死んで往く
 時は
 静謐だ
 夕食はまだ
 準備もまだですよ
 しきりに
 足もとのネコが鳴くので
 届いた納税通知書をひらいて
 かくれている数字をさがすふりをする
 オヤ
 どこかで
 音がするわと女房
 私は答え
 ただ
 それだけで
 それがかすかなセセラギだとわかるわけだった
 あわてて
 家中の蛇口を全部きつく締め
 せめて
 他人の家の
 水道の漏水を
 喜びわかちあおうと思ったのだが
 音は
 どうも
 私たちの部屋の
 一角から
 きこえてくるらしいのだ
 まるで
 むかし死んだヒトの耳鳴りみたいに
 シンシンと
 確実に高まる
 不安の水圧に
 耐えかねているぞといった按配で


結婚して18年。互いに空気のような存在になっている夫婦。
空気のように自然に、相手を必要なものとして捉えている。
夜七時のニュース、結婚記念日だからといって、盛大に外食に出かけるわけでもなく
気負って ディナーの仕度もしない。
定家は、藤原定家のことですね。
紅旗征戎 我が事に非ず・・・広辞苑が手元にないので、好い加減ですが
紅の旗は平家、朝廷の命を受け、平家を討伐するといったことは
わたしには関係ないね、という 定家の言葉。
世の中のことから 離れて・・・。
「ともに死んで往く」は 一読 淋しい言葉だけれど 年輪を積み重ね
夫婦「ともに」というところに 限りない優しさを感じる。
時は静謐だと 作者は書く。穏やかな結婚記念日の夕べ。
40歳を少し過ぎた年齢だろうか。

後半、いきなり 水道の漏水の話に転ずる。
水が漏れている・・・「死んだヒトの耳鳴りみたい」「不安の水圧」
水は命。私は思う。成人まで生きられないと宣告された作者が
蛇口から漏れる水の音に、何故 こうまで拘ったかと・・・。
静かに過ぎてゆく 結婚記念日の夕べの一コマに 不意に登場する隣り合わせの死の不安。



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