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moto,jc @ Re:スペインの王女(05/18) New! おはようございます スペインのトランプ…
May 15, 2026
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カテゴリ: カテゴリ未分類
私のお気に入り映画「パンズ・ラビリンス」でアカデミー賞撮影賞を受賞したギレルモ・ナヴァロ。
この監督が撮った作品がNetflix で配信されてたのでかなり古い作品ですが観てみました。
映画のタイトルは「Cocaine Godmother」邦訳すると「コカイン・ゴッドマザー」。
と、云えばセルダ・ブランコしかないと思ってたら、やはり彼女の伝記映画でした。


主演のグリセルダ・ブランコ役がキャサリン・ゼタ=ジョーンズってかなり美人すぎない?
本物のグリセルダ・ブランコの写真を見ると、こりゃあ~かなりヤバイおばはん丸出し。
なんと云っても女だてらに麻薬王で殺人鬼ですからね。
グリセルダ・ブランコってのはコロンビアの貧困家庭に生まれましたが、11歳のとき自宅近くの高級住宅街で子供を誘拐し、身代金を要求したあげく身代金受け取りに失敗して、子供を射殺してしまうのですね。
19歳で家出し、20歳まで市内中心部で泥棒をしていました。
最初の夫と共にコロンビアで初めてマリファナ販売事業を始め、夫と離婚した後、偽の書類を持って偽名でアメリカに不法入国。
ニューヨークのクイーンズでコカイン密輸業者アルベルト・ブラボとともにコロンビアの麻薬密売組織連合に参加し、ニューヨークで麻薬密売事業を成功させるのです。

その後、マイアミに移り、歴史上最も裕福な犯罪者の一人パブロ・エスコバルを中心とした「マイアミ麻薬戦争」に加わり、数々の殺人事件を始めとするあらゆる犯罪に手を染めたのですね。
しかし1985年、ブランコは自宅で麻薬取締局 (DEA) 捜査官によって逮捕され、コカインの製造、輸入、配布を共謀した罪で起訴され、懲役15年の判決を受けます。

映画「コカイン・ゴッドマザー」オフィシャル・トレーラー Cocaine Godmother - Official Trailer
ベネズエラやエルサルバドルとともに中南米でもっとも治安の悪い国に属するコロンビア。
しかし彼女の育った時代のコロンビアは1948年に人気政治家ホルヘ・エリエセル・ガイタンがボゴタの街で暗殺されたことをきっかけに始まった暴力と社会不安の時代「ラ・ビオレンシア(コロンビア内戦)」によって徹底的に破壊され、10年後に終結するまでに殺害された人の数は20万人にのぼった時だったのです。
暴力と殺人が繰り返される日常的だったのですね。


こうした暴力を背景として、ブランコは大人になっていきました。
ブランコと同世代のコロンビア女性たちは「権力は多くの場合、暴力行為によってもたらされる」ことを身をもって学んでいたのです。

1970年代のディスコブームが、コカインなどの違法薬物の市場拡大に火をつけます。
70年代半ばには、コロンビアはコカイン取引の中心地として台頭していくのです。
ブランコの最初の夫、2番目の夫と相次いで殺害されてますが、これもブランコは自ら手を下したと供述してます。
夫の死によってブランコには「ブラック・ウィドウ(黒い寡婦)」、すなわち、夫を殺して消し去った女性というイメージが定着してしまったのですね。
暴力こそが、ブランコが帝国を築き維持するための基盤でした。

1979年にはブランコの命令によって2人の殺し屋がマイアミのデイドランド・モールにある酒販店でコカインの売人とそのボディガードを抹殺します。
さらにマイアミでブランコの子どもを蹴ったとされるヘスス・カストロの殺害命令を下すのですね。
ところが彼女が雇った殺し屋は誤ってカストロの2歳の息子を殺してしまいます。
ブランコはこの手違いのニュースを聞いて、父親の殺害に失敗したことでひどく腹を立ててたのですが、誤って息子を殺してしまったと殺し屋が告げたところ「それはいい、これでおあいこだ」と。
記録によると、約200件の殺人に関与し、その多くは車よりも速く街中を移動できるバイクの暗殺者によって決行されましたが、この手法は彼女が考案したと云われています。


ブランコのコカインビジネスを支えていたのは、麻薬を隠せるよう特別にデザインされた下着を着て国境を越える女性や老人、子供たちの密輸人でした。
彼女の組織は毎月1,500kg ものコカインを出荷し、最盛期には毎月80万$の収益をあげてました。
ブランコの流通ネットワークはコロンビアからカリフォルニアまで広がっており、最大の市場はニューヨーク、マイアミ、ロサンゼルスでした。
こうしてブランコには「ゴッドマザー」「ブラック・ウィドウ」「クイーンピン(組織のかなめの女性)」とさまざまな異名がつきます。
1975年にブランコは麻薬密売容疑で起訴されますが、コロンビアに帰国することで裁判を逃れます。
彼女が70年代後半にマイアミに戻り、1980年から自身の帝国統合を再開しました。
このとき約125,000人のキューバ人が船でフロリダに到着しましたが、これによって移民の多くが殺し屋やコカイン販売員として彼女のビジネスに関与するようになったのです。
麻薬取締局は1985年カリフォルニア州アーバインでブランコを逮捕し、裁判で懲役15年の刑を言い渡されます。
ブランコは2004年にコロンビアに強制送還され、メデジンの富裕層が暮らすエルポブラド地区で8年にわたって静かな生活を送りました。
その間にブランコの息子2人が襲撃者に殺され、もうひとりの息子は殺される前に自殺したため、身寄りのない孤独な生活を送ることになるのです。
2012年のCNNニュースにこんな記事が載りました。
コロンビアで「コカインの女王」と呼ばれた69歳の女が、メデリンで銃で撃たれて死亡した。
死亡したのは、1970年代から80年代にかけてコカイン密輸で暗躍したとされるグリセルダ・ブランコ元受刑者。
至近距離から2発の銃弾を浴びたという。

バイクのエンジン音と2発の銃声が聞こえたとの情報があり、警察が駆けつけたところ、血まみれで倒れているブランコ元受刑者を発見した。
地元メディアは、同元受刑者が義理の娘とともに精肉店を出たところを銃撃されたと伝えている。義理の娘にけがはなかった。
メデジンの貧しい通りから血まみれの道を切り開いてきた女性はついに、同じ街の通りでその命を終えたのです。





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Last updated  May 15, 2026 05:16:19 AM
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