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14才になった我が家のアイドル、ビーグル犬のマーティは、よちよち歩きの生後35日頃にうちの家族になりました。私にとっては4人目の一番手のかかる子供のようなものですが、「ここにもらわれてきて幸せだった。」とマーティに思ってもらえるよう、雨の日も風の日もほとんど散歩も欠かさず今日まで世話をしてきたのでした。そのマーティは今年になってずーっと動物病院通いです(T_T)。数年前から肝臓の数値が高く、特にALPという胆汁の流れが悪くなった時に高くなる数値が悪いままでした。胆汁はコレステロールでできているので、ALPが高い時はコレステロールの高い脂身のお肉などは厳禁なのですが、今年のお正月に余ったローストビーフや豚肉の三枚肉を私と主人が食べさせてしまったことから、劇症肝炎で黄疸が出てしまい、命に関わる危険な状態ということで即入院となりました。私は自分を責めました(ノ_-。)。点滴などの治療の結果、1週間ほどの入院で少しずつ良くなりましたが、痩せて筋肉も体力も落ちてしまい、また去勢をしていないので、前立腺も肥大していて血尿も出ていました。そして、3月初め、今度は足が立たなくなりました。2年ほど前から両足が震えることがあり、散歩のときに転んだり足がもつれることがあったので、今から思えば強い痛みや痺れがあったのかもしれません。椎間板ヘルニアか何かの脊髄の問題があるようでした。3月半ば、経過を診てもらうため動物病院の待合室で待っていると、マーティを見た別のワンコの飼い主さんが、「足が立たなくなったワンコに針治療をしてくれる獣医さんが、王子公園のほうにあるよ。知ってるワンちゃんも良くなったの。インターネットで調べたらいいわ。」と教えてくれました。家に帰って調べました。動物病院はここでした。http://homepage2.nifty.com/KOBE_Pet_Clinic/獣医さんは2月末に亡くなったとありました(T_T)。でも、私は諦められませんでした。もう一度、マーティが大好きな散歩に連れて行ってやりたい・・・。神戸愛犬病院のハリ治療の様子のビデオ、良くなったワンちゃんの映像を隅々まで見ました。・・・つづく。
2007年03月24日
私がインターネットを始めたのは98年頃ですが、衝撃(笑劇?)を受けてしまったホームページが、「おバカの世界」という百舌花さんのページでした。http://obakanosekai.com/「おバカの事件簿」には、大変笑わせていただきました。この「おバカの世界」に影響を受けた私が作りましたホームページ「主婦の生活」は百舌花さんにも読んでいただき、「おバカの案内板」のページからリンクしていただいています。
2007年02月24日
ヒナが巣から落ちた...「コトリ」私は思えば高校生の頃から「ダジャレ」に弱く、「しょーもない」と言われながら毎日のようにダジャレを口ずさんで、ひとりでクスクス笑ったりしています。そういえば、主人との初デートのときも、「夜が爆発した話、知ってる?」(私)「?、なに?」(彼)「バーン」(私)「???」(彼)「晩」(私)てな調子でした。今日は新聞のテレビ欄に「横丁へよ~こちょ」という番組を見つけ、ちょっと笑えました。
2007年02月18日
私は、日本海側の片田舎で生まれ育ちました。小学校までの距離は、速く歩いても子どもの足で20分はかかりました。私は絵本が好きな子で、学校では図書室で本を見たり、学校の帰りには町の図書館に寄って本を借り、書店にまで立ち寄って立ち読みをして帰るというようなハシゴもしていました。低学年の頃は、給食が終わって帰る時間になるとたまにおなかが痛くなり、家に猛ダッシュで帰ることもありました。 家に帰れば、春は田んぼでレンゲ摘みやままごと、夏は円山川で父と鮎つり・水遊び・小川のどじょう取り、秋は稲刈りの終わった田んぼで男の子達と草野球、冬は雪だるまを作ったり雪合戦をしたりして遊んでいました。外で遊ばないときは、リカちゃん人形とワタルくん(リカちゃんの彼)とで、ひとり2役ぶつぶつ言いながら、暇な時間を過ごしていました。のんびり平和な毎日でしたが、ある日、ちょっとした事件が起きました。町の図書館から、「お嬢さんの借りられた本が返却日を過ぎても返却されていない。」と連絡があったのです。私は、借りたことは覚えていましたが、家のどこに置いたのか記憶がありませんでした。家中探しても探しても見つかりません。母が無くしたらしいことを図書館に返事すると、『見つからなければ弁償していただかなくてはならないので、もう少し探してみてください。』ということになり、学校までの道端や溝などを探して歩いたりしました。それでも見つからず、『本』『弁償』という言葉が頭に浮かぶたび、私は憂鬱になりました。母に対しても、図書館に対しても罪悪感を感じ、もし無くしたということになれば、図書館にももう足を運べないだろうと悲しくなりました。日は過ぎていき、弁償するしかない状況となり、母がその旨を連絡した何日か後、また図書館から電話がありました。そして母から、『もう、弁償しなくてよくなったよ。』と言われたのです。図書館の人が同じ本が売っているか探しに、町に1件しかない書店に出向くと、同じ本があったそうです。背表紙には図書館のシール、一番最後のページには図書館のはんこ。私はなんと図書館で本を借りた後、いつものように書店へハシゴして、借りた本を忘れて帰ったようでした。自分が棚に入れたのかもしれません。私は心からほっとしました。書店の棚に並んだ図書館の本を想像して、笑えました。そしてまた図書館にも、通うことができるようになりました。
2007年02月02日
子どもが幼稚園に入園すると、しばし24時間休みなしの育児から解放され、子育てに心の余裕ができてきます。幼稚園は子どものものではありますが、同時に、お母さんたちの友達作りの場でもありました。 それまで、髪の毛を振り乱し、メイクもそこそこ、年子を育てていた私はオシャレとは程遠い生活をしていました。ところが入園してみると、ママさんたちの優雅なこと。ママ用ベンツでの送り迎えもけっこうありました。キャリアウーマンのお母さんの職業はといえば、女医さん・インテリアコーディネーター・テーブルセッティングやフラワーアレンジメントの先生などなど。特に、他のお母さんたちからもてたのは、見た感じから華やかであかぬけしていた元スチュワーデスの3人。思えば子供の頃、私だって、「アテンションプリーズ」(古~いテレビドラマ)を見て、『スチュワーデスになりたい!』と夢見ていました。だからもう興味深々。お話できる機会には、いろんな事を聞きました。たとえばこんな話。 1.『アテンションプリーズに出てきた研修所で研修した。』 『わぁー』2.『空港へはいつもタクシーが自宅に迎えにきた。』 『ふむふむ』3.『年休は全部、残さずとって、世界中あっちこっち行った。空席があれば運賃は要らない。』 『いいなぁ~』4.『どこどこの何なには、おいしかったわぁ。』 『ふーん。』5.『有名人にはいっぱい会った。』 『へぇーー』6.『○○(既婚芸能人)から電話がかかってきた。わざわざ泊まってるホテルを調べて。』 『すっごーい。』 私にはまさに、雲の上のお話ばかりでした。でも、けっこう同じ話を何度か聞いたり、誰もが知っていたりなんかしていました。時は過ぎ、フジテレビの朝の番組、「めざましテレビ」のユーミンの俳句コーナーで、こんなのがありました。題目「ブランド」ただの人 「元(もと)スッチー」が 印籠(いんろう)なり*注 私はこんなこと、思ってはおりませんよ。ほんとに。
2007年01月29日
都会の荒波の恐さも知らず、私がまだ新妻の香りをほのかに残していた頃のことです。長女はまだ8ヶ月くらい。だっこして買い物に行こうと、玄関を出て鍵を閉めていると、少し開いていたマンションのお隣のドアから、年のころ50くらいの見知らぬオバさんが顔を出し、「次はお宅に行くから、ちょっと待っててね。(^_^)」と、初対面にもかかわらずとっても親しげに私に話しかけてきました。”自治会か何かの用かしら?”と思い、出かけるのをやめて家の中で待ちました。しばらくするとオバさんがドアをノックしてやって来ました。が、なにしろ、長女はハイハイが盛んな頃でじっとしてなくて、玄関でゆっくり話も出来ない状態です。私が長女を追いかけて奥の部屋へ行ってるうちに、オバさんは「風船あげよ。」と言って、赤と青の風船に息を吹き込み、長女を玄関の方にだっこして連れてくると、長女に渡してくれました。赤ちゃんのいる家に来て、用意のいいオバさんです。何の用なんでしょう。話を聞くうち、オバさんの用件は私が最も恐れていた事態とわかりました。それは、世間で「コンドーさん」と呼ばれているものの訪問販売だったのです。同じマンションの奥さんが、何年分ものそれを二十数万のローンで買わされたという話を聞いた事があったので、私は焦りましたが、「そんなものはいりません。」の一点張りで通しました。それでもオバさんは、「いらないことないわ。」とか、いろんな事をおっしゃいました。でも、なんとか早いうちに帰っていただくことができました。私は偉い。このことは、主人に報告もせず1日は終わりました。そして翌日、朝起きてみると、私の目にとんでもないものが飛びこんできました。『えーーっ!』きのう、オバさんからもらった、あの、赤ちゃんにちょうどいい大きさだった赤と青の風船がしぼみ、そのものズバリの姿となって横たわっていたのです。私は仰天しました。オバさんは製品の説明をするつもりだったのだと、その時初めて気が付きました。私は、オバさんが息を吹き込むところをよく見ていませんでしたし、カラフルなものがあろうとは、知りませんでした。疑われてもいけないので、主人が寝ている間に、ごみ箱の奥深く、投げ入れるように捨てました。普段、温厚な私であるにもかかわらず、この時ばかりは怒り爆発。前日はその風船で、親子3人仲良く遊んでしまいました。私はその日、怒りに燃えました。でも、翌日からは横たわった姿を思い出すたび、笑いが止まらなくなりました。そして、この時購入しなかったためか、次の年、我が家には年子の2人目が生まれたのでした。99.7.6
2007年01月18日
1.使用開始年月日 平成11年6月11日6月3日に薬局に買いに行ったが、すでに売り切れ。2週間待ちと言われ、予約して帰る。発売日を待ちに待っていた夫にどう伝えるか心が痛んだ。が、例によってまた、「予約しとかないからだ!」と怒られたので、同情するのはやめた。私に意地悪するとリアップの効き目がなくなるかもよ。リアップを置いておく場所であろう洗面所には水もあることだし。(^_-)-☆パチッ思ったより早く1週間後、薬局から入荷したと電話が入り、6月11日初日、夫は、『髪は男の命』と呟きながら鏡の前に立ち、リアップ使用開始。2.リアップは夫婦円満の素?(8月3日のWEB日記より)うちの旦那さん、すぐに怒ります。この前もちょっとの事で怒っちゃいました。その場には子供もおらず、場が持ちません。ま、ほっとこう。彼はソファに寝転んでおりました。頭頂部がいつもよりよく見えました。「ありゃっ! 増えたんちゃう?」私「うそぉ。 >^_^
2007年01月15日
1.研究(実験)の動機・目的かねてからハゲ街道をまっしぐら、いつ、我が夫の髪の毛が無くなるかと危ぶんでいた最中(「もなか」でなく「さなか」)、平成11年6月3日、念願の発毛剤リアップが大正製薬より発売されるに至った。夫の目的はただ1つ。「髪の毛を復活させ、女性にもてたい。」 2.準備したもの発売より9/20までに(3ヶ月半で)リアップ5本洗面所の鏡 手鏡 くし3.実験前までの経過あらゆる対策を試みたものの、ハゲる一方だった。4.リアップの効能・効果及び成分壮年性脱毛症における発毛、育毛及び、脱毛(抜け毛)の進行予防。リアップ100ml中にミノキシジル1.0mg含有(もともとは前立腺のお薬の副作用として髪の毛が増えることが確認されたもの。)リアップは半年続けないと効果が現れないという。半年経った日に一気に増えるのか、それとも徐々に? しかも、効果が少しでもあれば、一生付け続けなくてはならないのだろうか?。。゛(/>
2007年01月07日
今は昔、もう20年近く前のこと、私たちはいわゆる職場恋愛。まだお互いの本性を隠し隠し、うれし楽しい時代でありました。ところが、彼の髪の毛はすでに黄昏(たそがれ)気味。私が彼とお付き合いしているのを知らない同僚は、彼の頭を背後から指差して、『ハゲるよ。』とこっそりと私にささやきました。<ドキッ。やっぱり・・・>デートのときも電話のときも、傷つけてはいけないと、髪の毛の話は、したことがありませんでした。 結婚後、毎朝、洗面台とその床は抜け毛だらけ。掃除しながら悲しくなりました。夫のお父さんは、サザエさん父、波平のような頭です。お父さんの頭に、夫の顔をダブらせて将来の姿を想像するたび、気が遠くなる毎日でした。私は、頭の皮をたたいて刺激するブラシ、髪の毛にやさしいシャンプー、画期的と言われる養毛剤・育毛剤(ペンタデカンなど)は発売を待ってすぐ、夫のために並々ならぬ愛情を注いで買い求めました。が、彼はとても不精で中々続かず、あと数年の命かと思えるような抜け毛のさまでした。ほとんど諦めの境地となってからは、『ハゲ』『抜け毛』『髪の毛』等の言葉は、我が家の禁句となりました。しかし、やがて子どもたちが小学校に上がる頃にもなれば、『よそのお父さんに比べ、うちのお父さんは髪の毛が少ない。』と、気が付き始めます。『お父さんはハゲ!』と次男が口火を切って以来、『お父さんは、ベジータみたい。』『もうすぐ無くなる。』というような言葉が飛び交い始めました。あまり言い過ぎるので、私はつい、男の子2人に、『お父さんの子どもだから、君たちもハゲるんだよ。』と、本当のことを口走ってしまいました。2人は、遺伝するとは夢にも思っていないようで、大変暗い表情を浮かべました。当時、長男は、小学校中学年くらいだったでしょうか。2人はこの日以来、将来の不安をかかえ込むこととなりました。夫は、『君たちは、25才までに結婚したらいいよ。』とアドバイスしていましたが、あまり慰めにはならなかったようでした。それで、夫はまた、このように2人を元気付けました。『君たちの大きくなる頃には、きっと、よく効く毛生え薬が発明されるから、心配することない。』2人は、ちょっと、安心したようでした。これは、ほんの5年ほど前の会話です。そして、今年早々(=1999年のお話です。)、我が家に久々の明るいニュース。『「ロゲイン」(日本での商品名は「リアップ」)が、今年、日本でも発売される。ロゲインは、育毛剤でなく画期的な発毛剤。つんつるてんの人以外、8割以上の人に効く。』というもの。夫は、『発売はいつだ?』『まだか?』と、とても期待している様子。もちろん、我が2人の息子も同様。男というもの、ハゲていては女性にもてないと思っているようです。でも、ここで申し上げておきましょう。男は外見より中身です。『リアップ』より、『バイアグラ』かと思います。
2007年01月05日
最近というか、かなり前からだが、自分は若くしてボケてしまうのではないかと気が気でない。近頃の私の行動におけるいくつかの事例を挙げて検証してみます。1.「あれが無い。」「これが無い。」は日常茶飯事。出かける前に、家の鍵・財布が見当たらず、遅れることしょっちゅう。家の鍵をかけたかどうか不安になり、家にひき返すこともある。2.家の玄関の鍵を開けようとして、車のリモコンキーを鍵穴に向けボタンを押してしまう。(この行動には自分でも驚いたが、既に2度ほどやっている。また、車のキーを玄関の鍵穴に差し込む場合もある。)3.子供の幼稚園で一緒だったお母さんにスーパーなどで会った時、名前が全然思い出せず、分かった振りをして愛想よく話す。4.2階に物を取りに上がったものの、「私、何を取りに来た?」と、全く思い出せないことがあり、もう1度、1階のもとの場所まで戻ってやっと思い出す。(まだ思い出せるだけマシか・・・)5.「ちょっとだけ借りよ。」と、子供の財布から黙って借りておいて返すのを忘れ、「ドロボーに入られた。」と、大事(おおごと)になりそうになった。(それ以後、子供は少なくなったといつも私を疑う。)6.新しく買ったビデオの録画予約や電話の電話帳登録の仕方がすぐには覚えられない。7.主人がいったん車を置きに自宅へ帰り、家の鍵を持たず飲みに出かけた時、つい、いつものとおり爆睡し、主人を締め出す。(わざと?)8.財布にお金を入れていくのを忘れ、スーパーのレジで恥をかく。(1度や2度でない。)9.食器を洗うためのスポンジを買ったのに、どこにしまったのか忘れ、数日後あきらめた頃に、冷蔵庫の中で発見。 10.デパートやショッピングセンターの駐車場で、車を探して迷子になる。「何階のどこに駐車したっけ?」11.TSUTAYAでビデオを選んでいたら、はいていたスラックスの左足から、肌色の足がもう1本出てきているのをみて、うろたえ、よろめいた。前日、スラックスと一緒に脱いだストッキングだった。(>_
2006年12月28日
我が息子も、はや、中学3年生となりました。オムツを替えたのはもう昔々・・・。この2年の成長ぶりはまぶしく、今ではこの聖母に向かい『オカン』などと、上からものを言うのです。 この息子、個室を与えたものの、部屋はいつも、たいそう汚い。『掃除機はかけてあげるから、片付けはちゃんと自分でしなさい!』という母の声は届かず、床の上は靴下や服が散乱。机の上はいつもぐちゃぐちゃ。30センチ四方のスペースで、いつもお勉強をなさっておられます。部屋といっしょで、頭の中も整理できていないものと思われます。そしていつものとおり、『あいつの部屋を片付けてやれ。』という天の一声(夫)で、お掃除オバサンの登場となるわけです。その日も、あまりの汚さにムカつきながら、机の引出しなどに入れるものから、片付けておりました。一番下の引出しを開けると、奥の方に、なんと2本のビデオテープが・・・『なんで、テープだけきっちり引出しの中にあるわけ?』私は、ピーンと来てしまいました。掃除はさておき、私は、めったにない機会でもありますので、見てみることにしました。近所に良くないうわさが広まることを危惧し、サッシは鍵をかけて締めきりました。テレビの音量も少し下げました。そして、早送りもせず、午前中の貴重な家事の時間を割いて、入念にチェックいたしました。・・・それはそれは大変なビデオでした。こんなものを息子が見たなんて・・・私は嘆きのあまり母親としての認識に欠け、ビデオを見たことが息子にばれることを恐れて、テープを元の位置まで巻き戻し、そっと机の引き出しにしまいました。そして3日程の間、この事件の顛末をどう処理すれば良いか悩み考えました。やはり、私は母親として、『バカヤロ~』の一言くらいは、息子に言っておかなければなりません。意を決し、息子をつかまえて言いました。『おい、こら、息子。あのビデオはなに!!』『えっ?!・・・あれはオレのじゃない。友達に借りたんだ・・ 気持ち悪かった。』『でしょ。あんなのは、大学に入ってからでいいの!』『お母さん、見たん?』『(*_*; ・・見たよ。』『>^_^
2006年12月23日
僕の唯一の楽しみは散歩。自分でリードを持ってきて、胴輪に手を入れたりもできる。お兄ちゃんが『散髪に行ってくる。』って言ってるのを『散歩』と間違えて、玄関まで喜んで付いて行ったら、それ以来家族はおもしろがって、「さん」のつく紛らわしい言葉を僕に連発する。 『1歩、2歩、3~歩。』と言って僕のそばを歩いたりする。そのたびに僕はしっぽを振ってぬか喜びするか、首をかしげたりしている。P.S 育てのママよりうちのわんこはとってもかわいくて、誘拐されるといけないので、公開はこの1枚のみとさせていただきます。
2006年12月19日
Once upon a time in Kobe, one housewife was getting ready for shopping. She made up her face and hair quickly, and left for her house.It was very fine weather at that time. She felt very well. When she walked about 100 meters, she looked at her own shadow."Oh, my God! I'm just like "Mrs. Sazaesan". (by Machiko Hasegawa)She forgot to take off two "Hot curlers". (red one and greenone) Then she ordered herself, "Right about!" She turned, and dashed for the house, hiding her hair by her right hand. She was so confused that she didn't remember whom she met.ある時、神戸の主婦がお買い物に行く準備をしておりました。彼女はすばやくメイクアップし、髪の毛を整え、自宅を出発しました。 その日は快晴。彼女はとってもいい気分でした。そして、100メートルほど歩いた時、彼女は道路に映った自分の影を見たのです。「ぎょ! 私って、サザエさんだった?」彼女は前髪に巻いた赤と緑のホットカーラーを取るのを忘れていたのです。それからすぐ、「まわれー右!」とターンし、右手で前髪を隠しながら家へとダッシュしました。彼女は顔から火が出る思いでした。誰とすれ違ったかも覚えていないくらいです。 This housewife is me.
2006年12月14日
まだ、結婚して何年もたたない頃、『下着のメーカーのワコールですが、今、電話でアンケート調査をしています。ご協力いただけますでしょうか。』と、若い男性から昼間に電話がかかってきた。いつもワコールの製品を愛用していたのと、学生時代を過ごした京都に本社があったことなどを思い出したりして、私は気軽に『いいですよ。』と答えた。 男性は、とても丁寧な言葉で礼儀正しかった。話はアンケート調査に移り、『下着はそれぞれ何枚持っているか』に始まり、なぜかショーツのことに集中した。形状や色・枚数・履き心地・毎日着替えるかどうかなどを事細かに聞かれ、聞かれるがまま、正直にお答えした。枚数には、ちょっと見栄を張った。特に、形状に関しては、『どんなのを持っていますか』・・・『こんなとそんなとあんなのを』『浅いので何センチくらいですか』・・・『○センチくらいです』『透けているのは?』・・・『いいえ、持っていません・・・』などの追求に及び、答えているうちにとっても恥ずかしくなってきて、相手の『もう少しお願いします。』の言葉を振り切って、『すみません。この位で失礼します。』と電話を切った。私は、電話のあとも、『あぁ、あんなのも持ってたのに言うの忘れたわ。』なんて思っていて、『あれはいたずらだったの?』と疑問がわいてきたのは何日も経ってからだった。でも、あの男性、私が真面目に答えている間、全然笑ったりはしなかった。きっと、受話器の向こうで、笑いをかみ殺していたんだね。・・メッ!
2006年12月07日
関西新空港ができてまもなくの頃だった。 早く新空港を利用してみたくて、夫婦2人だけのシンガポール旅行を計画した。二人っきりで行くなんてとっても久しぶりで、大変楽しみにしていた。おみやげがたくさん入るように、一番Bigサイズのスーツケースを友達に借り、あれこれと旅行に持っていく新しいものを買い揃え、直前まで入れ忘れたものが無いか何度も確認し、万全の用意で自宅を出発した。関空に着いてまもなく、スーツケースから上着を取り出そうとした時、『スーツケースの鍵が無い・・』私はいやな予感がし、自宅で留守番をしてくれている母に電話をした。『鍵、ここにあるよ。』『・・・・・』私は、この事実を夫に伝えなくてはならなかった。これから楽しい旅行に旅立つという時に、私たちの間には気まずい空気が漂った。幸い、パスポートとお金は手荷物のほうに。『シンガポールにだって、鍵屋さんはあるよね。』祈るような気持ちで機内での時間を過ごし、チャンギ国際空港へと降り立った。到着してすぐ現地案内人の女性に事情を話すと、びっくりした様子もなく、『ホテルの部屋に、後で鍵屋さんを連れて行きます。』と上手な日本語。『何~だ。きっと私みたいな人はいっぱいいるのね。』と、ほっと一安心。ホテル(シェラトン)の部屋で待つこと、しばらく。ドアがノックされ扉を開けてみると、そこには、『ホーム・アローン』に出てくる泥棒みたいなキャラクターのインド人2人。手には、30センチほどもあるようなペンチなどの工具一式。『鍵屋さんではないみたい。』その2人はまさに今、スーツケースをこじ開けようとしていた。一瞬、『スーツケースの値段は高い』という言葉が脳裏をかすめ、『No, thank you ! No, thank you ! もういいです、、、』スーツケースはちと傷がついたけど、まだ無事だった。最悪の場合は弁償するより中身を買おう。インド人が去った後、まだあきらめきれない私達は次の手段を考えた。鍵は磁石式のものだったので磁石に大いに期待し、探し回ったあげく手に入れた。鍵穴に入るサイズの、ただの丸い磁石。開くはずがない。『・・・・・・・』落胆。手荷物の中にはメイク道具等の小物類のみ。私たちはあきらめて、下着などの衣類を買いに街に出た。シンガポールには伊勢丹や高島屋など日本の店がいっぱいあり、買い物には困らなかった。また、スーツケースを売ってる店で鍵のことを聞いてみたが、同じメーカーのものを置いてる店はなく、2人で半人前の英語力ではほとんど通じていなかった。夫婦2人はあきらめた後、3泊4日の観光を楽しみ、関西空港へと帰ってきた。行きと同じ中身のスーツケースと両手にあまるおみやげの数々。スーツケースをゴロゴロ運んでくれている夫を見て、私はすまない気持ちでいっぱいだった。そして駐車場の車へと向かう途中、今回の旅の教訓が夫の口から出た。『海外旅行は、手ぶらでも行ける。』夫には惚れなおしたが、どの記念写真も2人はほとんど同じ姿だった。
2006年12月05日
12年間の専業主婦から脱却し、みち子は調剤薬局のパソコン入力のアルバイトに行くことになった。その調剤薬局は新規開業であったため、ソフトの会社からインストラクターが来て、開業前の研修が何度かあった。彼女は、パソコンを扱うのが初めてだった。『はい、では、ここをクリックしてみてください。』と言われ、何を思ったか、彼女は、マウスを宙に上げ、画面に近づけてクリックした。『?!、、、』マウスはリモコンじゃない。その場は笑いのるつぼと化した。P.Sこういう失敗はパソコンの初心者にはよくあることなのだそうで、マウスを使うのに、『机(の広さ)が足りない』と向こうまで行った人や、『OKをクリックしてください。』と言われて、画面のOKのところにマウスをくっつける人などもいるそうです。 くまさんとハーブ柄の プチアロマランプです 花柄のティーカップで ハーブティを飲もう♪
2006年12月02日
それは、2月の初め頃だった。NTTから送られてきた通話明細内訳書を何気なく見ていると、市外通話先のナンバーに私の知らないものがあった。10分以上の通話が3回もある。30分近いのもあった。市外局番は079△。電話帳で調べると夫の勤め先の近所だ。仕事関係の電話で5分を越えることはあまりない。夫の仕事はまわりに女性が多く、自宅も職場に近い人がほとんど。そう言えば、この頃帰りも遅く夕食がいらないときも連絡無し。あやしい・・・。自宅にはコードレス電話が何本かあり、しかもISDNで2回線使えるから、トイレの中とか鍵のかかる部屋とか隠れて電話することは可能なのだ。私は、まず親友に相談した。「その番号に電話をかけてみたら?」と心配してくれたが、そんな勇気はない。次に、不倫している女性のホームページに書いてあった、『彼の携帯電話の履歴を調べた。』というフレーズを思い出した。私は夫の携帯電話の説明書を読み、履歴の調べ方を習得した。そして、夫の居ない所で履歴を探索した。すると今度は知らない携帯電話の番号が、、、、、 自宅があれで携帯がこれか? ますます疑惑は増し、夫が昨日着ていたワイシャツと下着を観察し、それらに顔をうずめて匂いをかいだ。「昨日は逢っていないようだ。。。」数日同じ作業を繰り返すうちに、バレンタインデーがやってきた。夫は義理チョコをたくさん自慢そうにうれしそうに持ち帰り、「これにはメッセージが入っていたから本命かも。」などと、ほざいていた。しかし、確たる証拠は何もつかめない。そして、1ヵ月近くたったある日、自宅の電話が鳴った。ナンバーディスプレーにはあの電話番号が!夫が出ないうちに私が電話をとらねばならない。私は平静を装い、落ち着いて受話器をとった。「もしもし、○○さんのお宅ですか?」と、大変若い女性の声。・・・それは娘の友達だった。 (>_
2006年12月01日
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