1

いらっしゃいませ、マスターの濱田です。本日発行のメルマガ、「カッコイイ女は、カワイイ女」にて、幸せと豊かさのもっとも本質的な知恵について書かせていただきました。もっとも本質的とともに、もっとも大切な知恵ですので、こちらにも掲載させていただきますね。わたしの最初のメンターから伝えられた言葉に、最初とても驚いた言葉があります。それは、「わたしたちは全員、誰も例外なく、成功している」という言葉でした。わたしは当時、成功したくて、そのきっかけを求めて、メンターのところに行きましたので、この「誰もが例外なく成功している」という言葉は、驚きとともに、なんだかわからないけれど、とても新鮮な感じがしたのを覚えています。わたしは、「なにを言っているんだろう?」、「なにか深い意味があるんだろうな」という感じで、すぐに聞き返したり、言い返したりはせずにいました。でも、何人かの人は、「わたしは成功したいから、あなたに会いに来たんだ、わたしは、今はまだ成功していない」と彼に言いました。するとメンターは、「いいえ、あなたも、わたしも成功していますよ」と答えました。これを言われたその男性は、「そんなことはない!あなたは、成功しているだろうが、わたしは成功していない」と、ちょっと怒り気味に言い返します。でも、メンターは静かに、「いいえ、あなたもわたしも成功していますよ」と答えたんですね。「あなたがサラリーマンなら、サラリーマンであることに成功していますし、教師であるなら、教師であることに成功しています」とメンターは話します。わたしは、「なるほどね、確かにね」と思いました。ところが、そこにいたみなが驚いたのが、メンターの次の言葉。「ホームレスの人は、ホームレスであることに成功しているんです」この言葉にはさすがに、そこにいた人たちも驚いて、一人の男性は、半ば怒りながら、「ホームレスのどこが成功なんだ!」と言い返していました。何人かの人は、ワケがわからないと言っていましたが、当時のわたしは、「『そこ』(そのポジション)に至るまでは、成功できている」という意味なんだろうなと捉えていました。ですが、今になって、当時メンターがなにを言っていたのかが、ようやくセンスとして理解できるようになってきました。わたしたちは、いつも自分がリクエストしたものを、実現しているということ。「お金がたくさんあればいいのにな」思っているとしたら、「今はまだお金が充分にないので、『幸せではない』」というところにいると言えますよね。すると、わたしたちは、知らないうちに、でも自然と、「お金が充分にないので、幸せでない」というリクエストをしてきたわけです。そして、そのリクエストは、まったく自然にその通り叶えられます。また、「人間関係がうまくいっていないので、幸せでない」と感じていれば、それがリクエストになり、そのとおりの現実が実現します。「パートナーがいないから幸せでない」、「パートナーとうまくいっていないから、幸せでない」と感じていれば、これもまた、それがリクエストとなって、実現されてきたわけです。このことを、「アタマで理解すると」、(正確には、理解したと思う思うとすると)「幸せだと思うようにしなくちゃ」、「マイナスのことを考えないようにしなくちゃ」というところに、意識がむきはじめます。でも、これも、「幸せだと思わないと、幸せが来ないんだ」という、「今現在は、幸せではない」という、リクエストになってしまいます。そして自然に、そして見事に、それが現実化していたわけです。気づく必要のあるとても大切なポイントは、実はいつも成功してきたということに、気づくことです。ものすごーく重要なポイントなので、もう一度書きますね。気づく必要のあるポイントは、いつも成功してきた。失敗したことは、一度もなかったということに、【アタマで分かろうとするのではなく、気づく】ことです。このことに気づいた時、「なんだ!幸せを感じているようにすればいいんだ!」ということに気づけます。このとてもシンプルなことが、そのあまりのシンプルさゆえに、いろんな思い込みに捉われてきたわたしたちには、なかなか「つかむ」ことが出来ずにきただけなんですね。かつてメンターが語った言葉で、今すごくよく分かるものに、次のようなものがあります。最初人は、何かを手に入れたら、(いいクルマだとか、ブランド物であるとか、いい役職や、地位や名声)幸せになると思ってきた。つまり、「HAVE」が幸せになると思っていた。バブルのころのあり方です。次に、なにをやっているか、(満足感を与えてくれそうな自尊心を満たしてくれそうな仕事や活動)が幸せにしてくれると思ってきた。つまり、「DO」が幸せにしてくれると思ってきた。次にどう生きるか、どんな人として生きるかという、ありか方「BE」が幸せにしてくれると、多く人が思いはじめました。でも、メンターは続けました、その先に、「なにを感じているか」、「FEEL」という生き方があると。幸せでないと感じていれば、そのとおりの現実を実現し、幸せを感じていけば、その通りの現実が実現します。わたしたちは誰も、例外なく、いつも成功しています。すると、わたしたちは、こんな質問をしたくなるでしょう。「どうすれば、幸せを感じ続けることができるのでしょう?」と。そしてその答えは、「なにかがあれば、幸せを感じることができるんだと信じ込んできたんだ」ということに、気づくことです。そして、ただ、幸せを感じることを選んでいけばいい。この、これ以上ないほどシンプルなことに、アタマで分かろうとするではなく、気づいたとき、その時は既に、なんでも可能だということに気づいていることでしょう。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。PS 先日のマスター&北川涼子トークライブ、とても好評いただきましたので、 近日中に関東でも開催いたします。 楽しみにお待ちくださいね。
March 20, 2009
閲覧総数 73
2

いらっしゃいませ、マスターの濱田です。今を楽しむだとか、今この瞬間にいることが、人生を豊かにするとよく言われます。今を生きることの大切さや素晴らしさは、多くの先人たちが語ってきましたが、かつてのわたしも含めて、大多数の人は、今この瞬間を生きるというのがどういうものなのを知らずにきました。なぜ知らなかったかというと、体験したことがないからです。ううん、厳密に言うと、かつて体験していたのだけれど、大人になっていく過程の中で、すっかり忘れてしまっていたんです。小さな子供のころは、だれもが今この瞬間を生きていました。今この瞬間を生きる状態とは、どういうものかというと、過去や未来にとらわれない状態です。つまり、過去の(無意識の)記憶を物差しにして、未来を心配したり、制限することのない状態です。今目の前にあるものが、なんの色眼鏡も、脚色もなく、あるものがあるがまま、本来のそのままの姿で見える状態です。過去にも未来にもとらわれることのない状態、今この瞬間にいる状態は、未来への不安や、過去の後悔にとらわれない状態です。そして、今この瞬間に生きているとき、おそれや不安に翻弄されることのないところにいるとき、とてもおだやかで、平安で、そして無限の広大さと、静けさに満たされます。今この瞬間に生きているとき、本当に人生が楽な状態です。過去と未来に翻弄されて、今にいない状態と、今にいる状態がどのくらい違うかと言うと、それまでは気づくこともなかったけれど、日本のラジオ放送を聴こうとしながら、ノイズと、いろんな国の言葉が、入り乱れて聴こえていたことに初めて気づいて、愕然とする。そんな状態です。今この瞬間にいる状態は、本当に穏やかで平安な状態です。では、どうすれば、今この瞬間を体感することが出来るのでしょう?それは、呼吸に意識を向けることで可能になります。なぜ呼吸なのか?わたしたちの体は、あらゆる新陳代謝を行っています。心臓は脈打ち、血液は流れ、各臓器が働き、細胞は生まれ、死んでいくことを繰り返します。そんな代謝の中で、唯一自分で自覚して、そしてコントロールできるのが呼吸です。おだやかな深呼吸に意識を向けてみましょう。普通の深呼吸ではなくて、おだやかでゆっくりと、しずかな呼吸を「感じて」みてください。そして、おだやかで、繊細で、微細な感覚を感じてみてください。空気が鼻を通る時の鼻腔の繊細な感覚、肺に空気が入っていって、胸が広がっていく感覚の繊細さを感じてみてください。肺がいっぱいになるときの、体にまるで、空気がじわぁ~と染み渡っていくような、微細な感覚を感じてみてください。そして息をゆっくり吐き出す時の、肺が縮んでいく感覚の繊細さを感じてみてください。どうですか?とても気持ちのいい感覚を味わえた方も多いのではないでしょうか。そして、思い出してみてください。呼吸の繊細な感覚に意識を向けていた時、過去や未来は、存在しなかったことに、気づかれる方も多いのではないでしょうか?よかったら、一日のうちのどこかで、この感覚を楽しんでいってみてください。だんだんと、こころ静かに、感情に翻弄されない自分に気づいていくかもしれませんよ。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのおこしを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。PS マスター&北川涼子トークライブの受付は、13日PM9時までです http://www.bar-aars.com/200903talk_live.html
March 12, 2009
閲覧総数 258
3

いらっしゃいませ、マスターの濱田です。人には必ず、その人特有の必勝パターンというのがあります。必勝パターンってなんのことかというと、滞ってたいろんな流れが、それをやることによって、流れが急によくなるもの。もしくは、流れを変えちゃえるものとも言えます。つまり、調子がイマイチの状態から調子のいい状態に切り替える方法ってヤツです。この必勝パターンというのは、それぞれ人によって異なりますので、自分で見つける必要があるのですが、でも、みつけるのはそんなに難しいものではありません。わたしの友人のひとりは、英語に関わることをやっているとき、調子がよくなることを発見して、流れを変えたいときや、流れを加速したい時は、英語の本を読んだりなど、英語に触れるようにしているそうです。歌手の宇多田ヒカルさんも自伝の中で、自分の必勝パターンについて触れています。宇多田ヒカルさんが、調子がくるっちゃった時、友人から「あなたは、ニューヨークに行った後、調子いいじゃない」と言われて、ニューヨークに行くようにしたと語っていました。わたしの必勝パターンは、体にいい食事をとりだした時。「このお味噌とても体にいいんだよ~」とか、「これ、すごく体にやさしいんだよ」っていうものを、体に取り入れだした時、流れが急によくなります。また、わたしの場合は、部屋をキレイに片付けたり、思い切って、模様替えしたときも、流れが変ります。ただ、ひとつ知っておくといいのは、必勝パターンが、わたしたちを幸せにしてくれるんだと、必勝パターンに執着はしないこと。もしかしたら、人によってはなんのことだろう?って、思われるかもしれませんが、これは知っているだけで充分かと思います。ある日、「ああ、なるほど、『ただ、流れを変えたいとき』に、必勝パターンをやればいいんだな」、「こいつが助けてくれると、思うとしんどいんだな」って、人生全般に関わる大きなきづきにつながるでしょう。これはある日、ふと腑に落ちるものですから、今、ピンと来ない状態だったとしても、そのままにしておいて大丈夫です。信頼しておいておいてくださいね。人には誰にも、その人固有の必勝パターンというのがあります。今までは意識してこなかったけど、あなたの人生の流れがよくなる時、いつもやっていることはなんでしょう?よかったら、ぜひみてみてください。よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへPS マスターの個人セッション 4月後半スケジュールアップしました http://www.bar-aars.com/session.html本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 17, 2009
閲覧総数 69
4

いらっしゃいませ、マスターの濱田です。26日からブログをお引越しさせていただくとお伝えさせていただいていますが、今日ウェブ担当の友人が、またデザインに手を入れてくれました。少しの違いなのですが、ぐっと雰囲気がよくなってきて、嬉しく思います。マスターのプロフィール写真も、追加しましたが、カッコつけてます(笑)。こちらです(よかったら読者登録してくださいね)さて、わたしは、ある時とてもおもしろいことに気がついて、それを楽しむようになりました。それはなにかというと、イヤな感情が、一瞬でイヤでもなんでもなくなるヒミツの方法です。(方法というか、厳密に言うとセンスのジャンルかな?)なにかちょっと気分を損ねるような出来事を見たり、言葉を見聞きしたりした時とか、自分が批判されたように感じるようなことがあったとしますね。で、たいていの場合、腹が立っちゃう。「自分は悪くない」って感情が出てきたりとか、相手のこと責めたり、反撃したくなったりとか、そんな感情が出てきますよね。で、多くの場合は自分でもよくわかんないうちに、アタマに血がのぼちゃったりして、正当化をはじめちゃいます。いかに自分が罪のない被害者なのかを自分の中や外で証明したくなるってヤツです。で、これら一連の感情はスイッチを入れたら、電気が勝手につくように、ほとんど自動的に行われるように、(過去の様々な経験から)回路ができちゃっています。ゆえに、ほとんど無自覚に、自動的に反応し、自分が自動的に反応していることに、気づかないことさえ、気づかないわけです。で、ある時気づいてためしてみて、「おお、これおもしろい」と感じているものがあります。それは、「批判されていると感じているのは、自分ではなく、自分の自我だったんだじゃん」って、自分で言葉にしてみるというものです。これがわたしには、実におもしろい結果につながりました。すっと、センターに戻るというか、こころがとても静かに、穏やかになるのです。よく悟りをひらいたお坊さんや、聖者の話に、無我の境地というものがあります。無我とは、読んで字のごとく、「我(自我)」が無い状態のことです。この境地に至ると、自分というものがあると思い込んでいたのが、実は幻想であることに気づいたり、すべてはひとつであることに気づくといわれています。さて、この無我の境地は、修行をしたり、ある大きなきっかけから至ったりするものだと言われています。が、これが自分だと思っていたもの「我」と、我ではないホントの自分「真我」というものは、別なのだということは、なんとなくは理解できます。どんなのかというと、たとえばわたしの場合だったら、濱田浩朱という名前で、42歳で、2人の子供の父親で、セミナー講師で、個人セッションをやっていて、ブログやメルマガを書いていて、こういう友人たちがいて、こういう性格で、これが得意で、これが苦手で、これこれこういう経験をしてきた人、「これらが自分」って思い込んでいました。そして、それがしごく当たり前のことで、それが不思議だともなんとも思ってきたことがなかったわけです。ところがある時、わたしは気がつきます。(実際にはある朝、ぼーっとしていた時でした)ああ、自分ってホントは名前もなくて、歳とかいろんな思い込みも関係なくて、何も欠けてない、完璧な存在で、今まで自分だと思っていたのは、自分の自我だったんじゃん。実は自分は、名前もなにもない存在なんじゃんって気がついたわけです。で、話を最初に戻します。わたしたちが自分だと思っていたのは、ホントの自分ではなく、これが自分だと思っていた自我だったわけです。たとえば、わたしが濱田浩朱が自分だと思い込んでいる状態だと、批判(に感じる)言葉を聞いたいりすると、濱田浩朱が批判されたと感じてしまうわけです。そしたら、いろいろな感情が出てきます。「俺は、講演家だぞ」とか、「すごくがんばってきたんだぞ」とか、「お前は俺のなにを知っているって言うんだ?」とか、いろんな感情が出てきます。そして、自分の経験や自分に関わる周りのものも批判されたように感じて、自分自身を批判されたように感じてしまいます。なぜなら、それら自分を自分と表現する「要素が自分」だと思い込んできたからです。(↑ここが超重要です)ところが、批判(されたよう)に感じたのは、実は自我のことであって、本当の自分のことではないんだって、自分自身に言ってみると、まるで魔法のように、すっとこころが静かになるんです。これは、悟ってないとできないかというと、そうではないようで、不思議と誰もがこころがすっと静かになるのを体験します。ただ、そんな簡単に正当化から降りたくないという自我への執着が強ければ、容易には静かにはならないかもしれませんが。でも、「ああ、ホントの自分のことじゃなくて、自我のことだったんだ」って言葉を口にしてみると、不思議と静かになるのは、何人もの人たちが試してもらって、体験しています。まさに言霊の力なりって感じです。さきに方法というよりは、センスとお伝えしたのは、これは知識やスキルのジャンルではなくて、実際にやってみて、そこで「感じる」ものだからです。知るのではなくて、実際にやってみて、勘をとるといった感じでしょうか。よかったら試してみてください。よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへ本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのおこしを、こころよりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
May 13, 2009
閲覧総数 188

