PR
Free Space
Calendar
Keyword Search
Category
香炉や骨壺がいくつかありましたが
どれも意味ありげなデザインで凝ったものでした。
嵐の神
(後のアステカではトラロク神)
左手に匂い袋、右手にトウモロコシを持ってます。
口から飛び出して見えるのは呪文らしい。
なんだか可愛らしいですね。
大神殿のテンプロ・マヨールで
厚く信仰されていたのは
トラロク神
(農耕の守護神)と
ウィツィロボチトリ神
(太陽神・軍神)とのことですが、
ウィツィロボチトリ神への供物は
「人間の心臓」
ゆえに
生贄(奴隷)を獲得するための戦争が多かったのね。。
トラロク神の壺
降雨を強く願うことから
多くの生贄は 農耕の神・雨の神
である
トラロク神に捧げられたとのこと。
ギョロ目、牙、稲妻を現す文様などが
特徴みたいですね。
両脇には金星と星、
中央には 鷲と兵士
が表され
「亡くなった兵士の魂は太陽と共に天球上を旅しなければならなかった」
と、書いてありました。
鷲の兵士像(170cm)
また
現在も、なお発掘中であり
近年、多くの金製品のアクセサリーが出土しているそうです。
◇
<マヤ文明>
多くの都市国家が争いと友好を繰り返しながら
統一化されることなく
大きなネットワーク社会を形成し
ユカタン半島を中心に熱帯雨林地方で
栄えたのがマヤ文明。
その歴史は長く、
天体観測を得意とし精緻な暦やマヤ文字を作り、
パレンケ王朝では
パカル王以降の業績を記録した歴史書も残しています。
これは、その神殿の碑文の一部。
マヤ文字で
西暦647年3月5日と記されているらしい。
古代のメソアメリカ地域
では
雨季と乾季の変動を予測することが最重要だったため
惑星や月の周期を中心とした天文学が発達し
人間のサイクルとされた金星周期(260日)に基づく
宗教歴(マヤ歴?)なども生み出し
特にマヤ文明においては
特異な宇宙観を形成していったようです。
私はマヤ歴には疎いのですが
自分のKinを知るのは面白いですね。
ここまで、
長々とお付き合いいただき有難うございます。m(__)m
当時の社会、文化、人身供犠による祭祀など
掘り下げていくと
宗教哲学まで及ばないと語れないと思いますが、
それは、専門家にお任せ。
私にとっては、改めてこの地域の古代文明を
知るきっかけとなったようです。
ご無沙汰です。ゴーヤにゾンビ?ケイトウ、… 2024.10.02 コメント(11)
2年ぶりの「アナゴちゃんまつり」と沖縄… 2024.07.26 コメント(6)
今日は夏至ですね。いかがお過ごしですか? 2024.06.21 コメント(7)