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型が綺麗になっているから、徐々に当たっていくよ・・・と言われますが・・・いつからか、離れに問題が発生するようになりました。離れが上手くいっていたときは、弓を上手くひけず、力で一所懸命引いていましたが、その時の限界まで引いていました(今より全く引けていない)。的中率もその方が断然よかったのです。その限界が、矢が素直に離れてくれる理由だったのでしょう。そして、引き方が少しずつ修正され、引けるようになってきている今、弱い弓を使っていますと、どこまでも引けてしまいます。それで、素直に離れてくれず、何か変なテクニックを使い離そうとしているのかもしれません。これは、初心者である私なりの考えですので、違うのかもしれません。正解がわかないというのは、もどかしいものです。ただ、的中率があがってきたころから、的にあてる事が目標となってきたことも一因のような気がしましたので、本日は的に当てることは考えないようにしてみました。前回までよりも少しは離れが上手くいく回数が増えたような気もしますが・・・次回は、離れから残心の型をもっと意識してみようと考えています。どうか、素直な離れが出来ますように!
2024.09.08
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うつわの大きさによって感じ取れるものが違う・・・うつわが大きければ、より楽しめる・・・うつわ・・・
2024.08.25
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今回は、離れを注意して頂きました。的に当たった時の離れは、素直は離れだったと言われます。上手く行かない時は、離れの瞬間に弦を引いているとか・・・矢が的の少し下にいった時は、離れの後の手がが、少し上にあるとか・・・沢山の気をつける箇所をすべて意識していくには、やはり何度も何度もお稽古しながら、身体が覚えていくしかないのでしょう。
2024.08.18
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的にコンスタントに当たるようになってきたと思った矢先、2連続当たらず・・・そして前回は、20%強の確立で当たりました。ただ、教えて下さる方々が傍で細かくアドヴァイスをして下さっていますので、正確には当てて頂いているという感覚です。矢を離した時に、『当たる!』とか『上手くいった』などの感覚も全くありません。目が悪い私は、音で当たった事が分かると言った感じです。的に矢を射るお稽古に入る前は、矢を持たないお稽古が楽しくて、矢を持たなくても良いとか、矢を射るようになってからも当たらなくても良いという気持ちで楽しんでいましたが、当たり始めると、当たらないとがっかりするようになりました。とにかく次々に課題が出てきます。当初、苦労したのは、弓を膝頭に置けず、動いてしまっていました。知らない間におけるようになりましたが、かなりの時間がかかりました。同時に、取懸けが上手く出来ず、矢筈を親指を人差し指の間で押してしまったり(お借りしている弓の弦が細くなっていて、すぐに外れるという問題もありますが)・・・それは、手の甲をきちんと上に向ける(手をねじるイメージ)ことにより解消。
2024.08.12
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初日の感想は・・・大好き!素晴らしい!子供達みんなに学んで欲しい!まだまだ沢山の事を考えたと思いますが、三ヶ月経ちまして、思い出す気持ちです。以前より興味はありましたが(茶道に共通するところがありましたので)、なかなか始められないでいました。今回、始めるきっかけになりましたのは、ある80歳になられる茶道家の方からのお誘いでした(その女性はまだ始めていらっしゃいませんが)。とにかく、矢を持つまでのお稽古に魅せられて、このまま矢を持ちたくないと思った程です。(矢を射るようになった今は、その気持ちも勿論変化しています)いろいろな方が、代わる代わる教えて下さいますが、初日か二回目でしたが、ある女性の言葉が強く心に残った言葉がありました。弓を持つ動作の時に、”神器を持つように” と言われたのです。この時の感動は、おそらくこれから忘れる事はないでしょう。
2024.07.22
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うぐいすの歌声で目を覚ます幸せを感じるようになりましたのは、いつ頃からでしょうか・・・今年は2月に春を告げにやってきてくれましたが、その後の雨で何処に行ってしまったのか・・・ここのところ、また聴こえます。しかし、心なしか少なくなったような気が致します。お庭に来ていたホタルもこの何年か見ていません・・・変わりゆく日々に寂しさをおぼえます。#歌詠み鳥 #春告鳥 #うぐいす
2024.03.30
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今年もあなたの誕生日・・・今朝の義母様と私の談笑を、あなたは喜んでくれていたのでしょうか?義父様に続き、あなたの親友も先日、あなたのもとへ旅立ちました。こちらが、寂しくなっていく一方で、そちらは少しずつ賑やかになっていきますね。
2024.03.07
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美しい月が目に入りました。調べてみましたら、やはり満月。ストロベリームーンというらしいです。写真にとりましたが、美しさが伝わる画像がとれませんでしたので、画像なしです。
2023.06.04
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品格の大切さを感じた日でした。
2023.04.17
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なぜ、こうまで痛々しいニュースが続くのでしょうか・・・
2022.05.04
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5月1日は、フランスはミュゲ(すずらん)の日です。すずらんは、フランス語でミュゲ。愛する人、お世話になった人にすずらんを贈り、貰った人は幸せになると言われています。こちらの日記にも一度書いたのですが(探せず)、私にはミュゲの日の素敵な想い出があります。ある5月1日、引っ越しの次の日の朝6時前に、前のアパートに最後のチェックに行く為にタクシーで向かいました。途中にすでにすずらん売り(仮設売り場)が出ていたら、止めてもらいように頼んでいました。早朝にも関わらず、やはり出ていました。贈りたいだけのすずらんを購入し、タクシーに戻りました。運転手さんは、夜通し働いて、私をおろしたら帰宅するとおっしゃっていました。そこで、私はすずらんの小さな花束を、運転手さんに「奥様へ持って帰ってください」と渡しました。運転手さんは、「初めてです」と涙を浮かべて、お礼を言われました。貰う人が幸せになるすずらん・・・贈った私が幸せを頂いた一時となりました。
2022.05.02
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お茶のお稽古で、毎回戴ける美味しいお菓子・・・日本中の(時には海外の)季節のお菓子、時には手作りの・・・勿論、お茶を戴く前に甘いお菓子を戴きますが・・・珍しい美しいお菓子などは、別に持ち帰る人もいます。話し合ったあけではありませんが、みんな仏さま(ご先祖様)にお供えしていることが本日わかりました(勿論、私も含め)。そして、一緒に暮らしているご家族のためでもあります。ほんの少しの一人分のお菓子ですのに、分かち合いたいと思う心、自分自身よりも家族を想う心・・・皆同じ気持ちである事に少々驚き、また同時に温かい素晴らしい心に一緒にお稽古していますみんなの事を誇らしく思いました。母がそうでした。何時も私に持って帰ってきてくれていました。恐らく、母自身は食べないで持ち帰っていたのでしょう、私のために。今、私が持ち帰った京都の夏のお菓子が仏さまのところに・・・
2021.08.07
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モン・サン=ミッシェルはフランスにある世界遺産の修道院ですが、満潮の時の海に浮かぶその姿の美しさは、神秘的なものですね。名前を直訳しますと、モン=山、サン=聖人、ミッシェル=ミカエルですので、聖ミカエルの山でしょうか?!19世紀には、堤防も道路も出来、陸続きとなり、往来が自由に出来るようになり、観光地へと変貌していった訳ですが、この堤防、道路のために島の周囲が砂洲化してきました。”海に囲まれていないとモン・サンミッシェルではない!”と堤防をとりはらい、海流をもとに戻す計画、工事が国家事業として開始し、10年がかりで終了しました。人々を動かす原動力となりました、理由、そしてそれを現実にする国・・・やはり、素晴らしい国であることを改めて感じました。
2021.07.04
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これまで、心の赴くままに選択し、行動してきた私・・・そして、それを肯定し続けてきました。しかし、「脳は休めるほうを選択している」ことが解り、今は〇〇したくないから、やらない方が良い・・・というのが日常茶飯事の私は如何に自分自身を甘やかしていたことでしょう。私は長年に渡り、怠けていたとは!これから、心と反して締め切り間近のものは、早めに手をつけていきたいと思う所存でございます
2021.07.04
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私は、常々行動の源泉を”心”としていました。ただの我儘ではないか?と自分なりに確認しながらではありますが、心の赴くまま、また気分が乗らない時は止めるという生活をしておりました。その最たるものが、20代の頃、朝会社に行きたくないという感情が芽生えたら、その会社を辞めるというものでした。しかし、それはすぐに崩れました。三つ目の会社では、寝る時間、休日も惜しむほど忙しかったのですが会社に行きたくないと思う日が来ませんでした。5年目に所謂引き抜きで、変わる日まで・・・(正確には、その日も辞めたいと思わなかった)その時に学びました事は、”石の上にも三年”という諺の信憑性でした。この頃からでしょうか、先人者の言葉の重みを経験を伴いながら受け止めていくようになりましたのは・・・。ただ、私の場合は忍耐を伴い3年以上いた訳ではありませんので、この言葉には当てはまらないのですが、この時に、三年以上経つと何かが変わるという事を感じました。私の場合は、一年目からチーフだったのですが、その後社長の次のポストにおりましたので、20代にして、多くの判断を任されるという事になったのです。これは、目の前の仕事に真剣に取り組みながら年月が経ちますと、実績が重なり、確固とした信頼が生まれるのでしょう。それが経験出来ました事は、あとの私の人生を変えることにはなりましたが、やはり基本的に”心”に従う事は、本日に至るまで同じでした。今日までは・・・!!! つづく・・・
2021.06.20
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世の中が変わっていくことは、当たり前のこと。おそらく、今で言う人間もいつしかこの世から消えていくのでしょう。そして、おそらくこの地球自体も・・・。だからこそ、現在存在する人間も少しずつ変化していると思えば、どんな事も腑におちます。最近、倫理的には確かに間違えではないけれども、果たして・・・という事を頻繁に目に、耳にするようになりました。何かが起きた時に、対立する両者が存在するとします。倫理的には間違えていない片方の言い分を、もう片方が納得しません。それは感情によるものの場合は少なくないと感じます。昔は、合理的ではなく、人の心を大切に物事を解決していたのでしょう。最近は、仕事上でも、ネットで拝見する出来事でも違いを感じます。どちらが良いかという事ではありません。こうやって変わっていくのでしょう。私は、人の心を大切にする判断に傾きすぎる傾向にありますが、何を大切に生きるかもその人の生き方だと思います。先に消えていく私ですから、変えることなく残されたの日々を生きていこうと思います。
2021.04.25
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このところ続けて、全く予期しないところで”柔軟剤の匂い”という言葉を耳にしました。まずは、ある男性がその男性の会社のロッカーの上を年末お掃除していると、埃からは柔軟剤の香りがするというのです。理解出来ることではありますが、全く考えもしない事でした。そして、本日ある番組である教授が教室に入ると、柔軟剤の香りがするというのです。人間の匂いがなくなったと・・・。立て続けに柔軟剤の香りの事を耳にし、何かの象徴ではないか?と改めて考えているところです。
2021.01.17
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母が亡くなる数日前のある朝、「〇〇(私の兄。母にとっての息子)が迎えにきた」という。私が、「何と応えたの?」と尋ねると・・・「もう少し待ってと言った」と・・・私のために、もう少し生きることにしたらしい。母のまだ残された生きる気力が嬉しかった。
2020.12.05
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毎年行われる幸福度ランキング・・・今年もフィンランドが1位・・・とても興味深い事実が明らかになったようです。上位を占める北欧の国々が、税負担率が高いということです。素晴らしい結果です。ただ、幸福の定義が何かはわかりませんが・・・
2020.11.12
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人は、基本的に誰かのためになる、頼られる事に人生の意義を見出すのか・・・それは、人間の生の目的に沿っているからか・・・
2020.11.01
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栗を頂きながら・・・下さった方が、イノシシや熊に似た生き物が食べてしまうから・・・などという言葉と共に、栗を頂きました。イノシシや熊 驚きです。生涯見る事もないかもしれない動物たちと共存しているとは、逞しいです!しかし、頂きながらふと考えたのです。我々が彼ら(イノシシや熊)の食べ物を横取りしているのではないか?・・・と。どちらがこの世に先に出現したのか気になります。
2020.11.01
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今朝、ある番組で40代の女性に、今恋愛するとすれば、どういう人としたいですか?という問うものがありました。朝ごはんの食器を片付けながら、私もその問を考えてみました。頭の中で「素敵な男性に沢山お目にかかったけれど、どの人が一番理想的かしら?」などと思いを馳せておりましたら・・・私自身、驚きましたことに・・・その答えは・・・亡くなったフィアンセでした。理想というわけでもないのです。なのに、彼でした。そして、それは33回忌の本日に喜ぶべき答えでした。その答えを持って、彼のところへ行きました。彼へ報告をし・・・行くたびに未だにじっくり見ることが出来ないでいます彼の20歳そこそこのころの全身写真を見まして、久しぶりにときめいた私がいました。そして、お母様とお姉さまと笑いの時間を過ごして・・・結局、我々残されたものが幸せを感じさせてもらう素晴らしい33回忌となりました。
2019.10.18
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本日、知的障害者施設にお勤めの方がお茶のお稽古にいらっしゃいまして、大変興味深いお話しをお伺いしました。施設で茶道教室を開くようになり、入所者の方々の意識、言動に大きな変化があったというお話でした。何か一つに取り組むという姿勢が良かったのでしょうか・・・それとも・・・まだ答えは出ていませんが、時間があるときに考えてみようと思います。皆様のご意見もおきかせ下さい。
2019.04.20
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奇跡とは、起こす土台を築けたものに起こる事を改めて感じました。それは、希望する物事に対してあきらめず、一つ一つ全身全霊で取り組んでいった時に、少しの確立で起こるのでしょう。ある物事に取り組むそれぞれの違いを感じながら、つくづく確信できました。奇跡ではありませんが、本日日記を書こうと管理画面をあけましたら・・・ピント合ってませんが・・・
2018.11.16
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題名の”正論”の事は、少々前にこちらに書かせて頂きましたが、今朝改めて感じましたので再度書くことにしました。母の認知症が良くなりましたとはいえ、やはり少し残っております。そんな中、毎日楽しく、何事もなく過ごしていましても、私自身寝不足、疲労により、母に正論をぶつけたくなる時があります。母は決まって「ごめんなさい」と言いますが、母に謝らせてしまう結果になる正論をぶつけてしまう事が無意味であり、哀しくもあります。そこで、私は認知症を患っている高齢者の患者さん達には、正論は意味をなさないことを以前書かせて頂いたのですが、今朝はそれに加えまして、もしかしましたら、我々人類すべてにとりまして、認知症を患っている高齢者の患者さんが正論としないものは、正論ではないのではないか?と問題提起してみました。この事に付きまして、今は考える時間はありませんが、この問題提起に向けて考えて参ります。
2018.10.25
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昨日は、フィアンセの命日でした。丁度、母を預かって頂く日でしたので、午前中用事を済ませ、彼の家に向かいました。到着しましたら、お姉さまが私を見るや否や「良かった~、母が心配していたの。」とおっしゃって、お母様をすぐにお呼びになりました。何時も私が午前中にお邪魔しますので、何かあったのではないかとご心配頂いていたそうです。心配して下さる方がいらっしゃるというのは本当に有り難いことです。素敵な時間を過ごさせて頂きました。
2018.10.19
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下記は、あるメルマガからの抜粋なのですが、大変興味深い記事です。私はすぐにこの日本社会と海外を比較してみました。日本人の方がフラストレーション耐性が高いように感じましたが・・・「現代人の『思いどおりにならないことへの耐性』が脆弱化している」という事で「思いどおりにならないことへの耐性」を高めるためのお話しが出ていました。「思いどおりにならないことへの耐性」とは、思いどおりにならない状況や、フラストレーション(欲求不満)的な状況において、不機嫌になったり、感情的に反応したりすることなく、また、投げやりになったりすることもなく、心の安定性と平静さを保って、建設的な行動を選択することができる力のことです。この「思いどおりにならないことへの耐性」は、「フラストレーション耐性」ともいいますが、この言葉を最初に使ったのは、アメリカのローゼンツァイクという心理学者でした。ローゼンツァイクによると、私たちは皆、人生において、思いどおりにならない状況、つまりフラストレーション的な状況に、日常的に直面しますが、そのような状況において、心をかき乱されることなく、また、心を疲弊させることもなく、心の安定性を保っていられるかどうかは、私たちの「フラストレーション耐性」にかかっています。そして、このフラストレーション耐性を高めるためには、適度なフラストレーションを経験することが必要であると、ローゼンツァイクは指摘しています。また同様に、自己心理学のハインツ・コフートも「心の成熟のためには適量のフラストレーショが必要である」と述べています。私たちはフラストレーションのことを悪者のように考えてしまいがちですが、日々の生活の中で、適度なフラストレーションを経験することは、私たちのフラストレーション耐性を高める上でも、また、私たちの心の成熟のためにも、とても大切なことなのです。『スタンフォードの 自分を変える教室』の著者のマクゴニガルが言う「自己コントロール能力」は、「フラストレーション耐性」と非常に近いものなのですが、マクゴニガルによると、筋肉をエクササイズで鍛えることができるように、この「自己コントロール能力」もエクササイズで鍛えることができます。では、どのようなエクササイズを行えばいいかというと、自制心を要する小さなことを毎日継続して行うとよい、とマクゴニガルは述べています。姿勢をよくする、毎日手が疲れるまでハンドグリップを握る、出費を記録する、など、自制心を要することを毎日継続していくのです。つまり、自分にとって「面倒くさい」と思えることを毎日コツコツと継続していくわけです。これによって、自己コントロール筋が鍛えられるのです。これはまさに、日常生活の中に、適度なフラストレーションを作り出すことでもありますね。この本の中で、ノースウェスタン大学の心理学チームが行った実験も紹介してあります。これは、2週間の意志力トレーニングによって、恋人への暴言などを減らすことができるか、という実験です。まず、40名の成人(18歳から45歳まで、全員恋人がいる)を適当に3つのグループに分けました。第1グループは、食事をしたり、歯磨きをしたり、ドアを開けたりするとき、利き手ではないほうの手を使うよう指示されました。第2グループは、汚い言葉(俗語)を使うのを禁じられ、返事をするとき「うん」と言わず「はい」と言うように指示されました。第3グループは、何も指示を受けませんでした。そして、2週間後、第1グループと第2グループの人たちは、恋人から、ないがしろにされたり、いかにもカッとなりそうなことが起きても、以前と比べてカッとなりにくくなっていました。あまり反応しなくなっていたのです。しかし、第3グループの人たちには、そのような変化は何も見られませんでした。つまり、第1グループと第2グループは、2週間の間、毎日、指示されたことを実践したことによって、自己コントロール能力がアップしたわけですね。以上の実験結果を紹介しつつ、マクゴニガルは、「何かを選ぶとき、難しいほうを選ぶことを繰り返すとよい」と述べています。つまり、「楽なほう」ではなく、「自制心を要するほう」を選ぶことをすすめているのです。適度なフラストレーションが、私たちのフラストレーション耐性を高めてくれるというわけですね。以上、とても具体的で実践しやすい方法として、マクゴニガルが本で述べている方法を紹介しました。野口嘉則氏のメルマガより
2018.10.03
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生かされている限りこの世のために生きたいと思いました。本日、湧き出てきた気持ちです。台風24号でお亡くなりになったた方々、行方不明の方々のニュースがとても哀しく・・・そして・・・お亡くなりになった方が、私であったかもしれないこと、母であったかもしれないことを考えました。今日我々は生かされていること・・・そうであるならば、一所懸命に生き、この世のために生きるべきなのでしょうことが・・・
2018.10.01
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母の持病である間質性肺炎による肺機能低下で心臓が疲れてきたようです。毎日苦しそうな母を見ていますと、胸が締め付けられる思いです。少しでも楽になるようにと、冷たくなった足先をマッサージ始めると、少し寝てくれますので、その時間は息苦しさや疲労感から解放されると思いますと、手を止めたくなくなります。今朝はマッサージしながら、自宅介護の身体的疲労とは別に、被介護者の身体的、精神的苦痛の忍耐の姿を見届けなければならないという悲壮感との闘いがある事を改めて感じました。そして、その自分の心の闘いのほうが苦しく重い事も実感致しました。
2018.09.28
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悲しみを乗り越えたわけではないいつまでも悲しいいつでも涙がでる悲しみといっしょに生きている -朝ドラよりー悲しみを乗り越えたわけではなく、悲しみといっしょに生きている・・・私自身の悲しみと同じです。
2018.09.27
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今年、山口の行方不明の二歳児を見つけ、時の人となったボランティアの尾畠さん。講演、テレビ出演依頼、謝礼なども断り続けている。その理由は・・・ 「変わるのが怖い」その言葉を聞いた途端、尾畠さんをそうっとしておいて欲しいと思いました。例えば、謝礼を受け取らない尾畠さんに差し入れなどが増えるかもしれません。尾畠さんは有り難く感謝して頂かれることでしょう。人間は、それすらも続くと当たり前となってくるのではないでしょうか?!人間の愚かさを改めて考えさせられましたと同時に、尾畠さんの高貴な人間性に感服致しました。そして私自身、その為に(変化を拒む為に)目の前に来る環境の変化を拒むことをしないであろう事を考えますと、情けないばかりです。本日の課題となりました。
2018.09.24
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82歳になるアランドロンが引退宣言後のインタビューの様子が昨夜BSで流れました。子供のころ、ダーバンのコマーシャルのアランドロンは本当に素敵に見えました。ナタリードロンとの離婚後、彼の隣に金髪のミレーユ・ダルクがいた事も子供のころの記憶としてありました。そして、渡仏してテレビをつけて全くフランス語が理解出来ないという衝撃の中でも、ある映画の中の金髪の女性の気になりました。ある日、その女性が私の引っ越し先のアパートの同じ建物に住んでいまして、実際会うことになり、また挨拶まで交わす日が来ることになりました。その女性がミレーユ・ダルクだったと解った時には、子供のころのあの場面が思い出されたものです。それからしばらくして、近所のイタリア料理(一言さんをなかなか入れてくれない)の入り口近くのカウンターでアントニー・ドロンを頻繁に見かけるようになりました。(アントニー・ドロンの住居の目と鼻の先のレストラン)そして、またある夜は、アランドロン、ジャンポール・ベルモンドがワンちゃんと来店していました。アランドロンは、私が日本人だったからでしょうか、「Bonsoir」と声かけて下さいました。昨夜のインタビューは、予定から二回延期になったそうですが、二回目は昨年夏に亡くなったミレーユダルクの喪に服していたころだったようです。アランドロンは、「太陽がいっぱい」が日本で大ブレークした事により、俳優人生が順調にいくようになった事を日本に感謝していることを常々おっしゃっていましたが、昨夜も日本への感謝の気持ちが伝わってきました。一つ気になりましたのは、友人に言われたとして紹介された言葉です。「アランドロンは、すべてに対して才能がある。幸せになる事以外は・・・」現在、パリから少々離れたところ(何処か忘れました)で独り暮らしのようです。そこには、35匹のワンちゃんたちのお墓があり、ご自身のお墓もそのワンちゃんたちに囲まれるようにすでに準備してあるそうです。
2018.09.23
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少し前にノーベル賞受賞者である山中伸弥教授がテレビで平尾誠二さんに相談された時の言葉を紹介されていました。我々も心に刻みたいものです。<人を叱るときの4つの心得>「プレーは叱っても人格は責めない」「あとで必ずフォローする」「他人と比較しない」「長時間叱らない」。
2018.09.15
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今朝、朝ドラの中で「しあわせ病」という言葉を聴きながら、同じ感覚になった事を想いだしながら、人はみんな「しあわせ病」になれると思いました。しあわせ病の症状とは・・・”今まで見えなかった景色が見える・・・””勿論、癌になるより、ならない方が良いに決まっている・・・しかし・・””どんな時もキラキラしている・・・”だそうです。勿論、この場合”癌”という病とかけていますので”しあわせ病”と”病”がつけていることから考えますと、「しあわせ」だけになるのかもしれませんが・・・。私が、日本を離れる前でした。見るものすべてが愛おしくて、幸せで仕方ありませんでした。草、風、本当にすべて愛おしかったのを覚えています。それまで、見えなかった景色がみえるようになりました。ドラマの中では、ご主人のいびきも愛おしくなったと言っていますが、まさしくそのような境地でした。そして、兄、フィアンセが亡くなり、三年経ったある日、彼らのなくならない愛に幸せを感じた日の事でした。勿論、彼らが居てくれた方が良いに決まっている。しかし、彼らの死を通して、沢山の景色が見えるようになった・・・と友人に言った事を覚えています。それから、三(二?)年前の春、セカンドオピニオンを求めて、母を他の病院へ連れていきました時に、母の病状が思っていたよりも進んでおり、何時何が起きてもおかしくない状況であるから、家で好きに楽しませてあげて下さいと言われた日から、やはり同じく、母に関わるすべてが愛おしくなりました。それからは、母を看れる幸せを噛みしめ、日々楽しく過ごしています。
2018.09.14
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先日、全米オープンで優勝した大阪なおみさんの報道を見ていますと、彼女の事を無邪気という言葉を使って褒めていらっしゃる方がありました、その後、無邪気とは、邪気が無いという事と・・・続けておっしゃいました。始め、無邪気という言葉を聴きました時、「確かに!」と思いましたが、その後の「邪気が無い」という言葉に少々違和感を覚えました。勿論、無邪気は邪気が無いという事ですが、現在「無邪気」という言葉はもう少し柔らかい意味合いで使うことが多いからかもしれません。彼女のインタビュー記事などを読んでいましても、本当に素直に気持ちを表現する言葉を使っていて、素敵だなと思います。素直という言葉で表現するには、少々軽いような気もしますし、もっともっと崇高な感じも受けています。崇高さは人を感動させるのですね。私も今一度、自身の言動を見直してみたいと思いました。
2018.09.11
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少し前の新聞にこの論語が紹介されていました。「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」知者は物事を円滑に処理する様子を水が一か所にとどまらず流れる事にたとえ、仁者が欲に動かされず天命に安ずる様子を不動の山に例えていうのだそうです。最後、山を楽しむことが出来る人間でありたいと思いますね。
2018.09.07
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トランプ大統領の打ち出すアメリカファーストは、次々と早急決断により、善し悪し無関係に決断されていく。不透明で、もどかしさを感じる政治に不満を抱いていた国民に、当初はある種の爽快感を与えたのかもしれない。国連人口基金UNFPAへの資金拠出停止もその一つで、途上国における十分な教育を受けていない若者たちへの情報提供をも経たれることとなる。アメリカは世界の警察とまで言われ、幾つかの分野で世界の先頭に立っていた。国民をまず守るのは、十分理解出来るし、必要不可欠なことであると思う。しかし、人類の平和のために先頭にたてる器量を誇りに思って欲しいものである。
2018.09.05
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経営コンサルタントのカール・アルプレヒト(ドイツ)の言葉だそうです。企業の資産はお客様である・・・。何処でみた言葉かな?
2018.09.03
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母のベッドルームから・・・「はーい、はーい。」と何時もよりもはっきりと聞こえる。夢だとは解りつつも・・・走っていき、「ママ」と声をかけてみる。誰から呼ばれていたのか質問しますと、「おばあちゃま」(母の母)と・・・私が起こして良かったとホッとする。
2018.08.28
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本日、姉の家族、そのまた家族がうちに集まりました。姉の息子がその奥さんの家族を呼んでよいかと朝電話してきましたので、結局親族以外も集まった訳ですが、母を看ています私が一人で大勢のお食事を準備する事に遠慮するのが姉なのですが(きっと多くの人がそうでしょう)、この甥っ子は昔から良い加減に遠慮せずに来てくれます。今回も勿論、私としましては嬉しいお客様でした。姉の娘家族も勢ぞろいでした。その大勢(0歳児二人)の家族を見ながら、家族を造っていくこと、繋がっていくことの素晴らしさを感じました。私の人生、後悔は何もしていませんが、今日はその素晴らしさを前に、作ってみたかった、繋いでみたかったと改めて思わされました。
2018.08.14
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一座建立(いちざこんりゅう)茶道や能楽で使われる言葉。①能楽では、一座を経営すること。②茶道で、主客に一体感を生ずるほど充実した茶会となること。茶会の目的の一つとされる。 -大辞林-お客様を招くときには、出来る限りのことをしてあげようと工夫する。簡単なようで奥深いことですが、これにより招いた側と招かれた客が心が通じ合い、気持ちのよい状態が生まれます。 -あるサイトよりー人をお招きする時の事をいろいろと考えてみました。皆様、そうであるように・・・私も・・・献立を考える時、勿論御招きする方々の事を考え決めますが、時折、私自身が作りたいものが頭をよぎります。その時に、お客様のことを本当に一番に考えているのか?改めて考え直します。そして、会話を考えることもあります。まだまだ一座建立という言葉には足元にも及びませんが、これらは教育や躾で身についたものではなく、お客様に喜んで頂きたいという気持ちからのものであり、会を重ねるごとに少しずつ身についていったものだと思います。丁度、今はお盆で親戚を迎える準備をしています。何時の日か、一座建立という言葉を思わせるようなおもてなしが出来ますように精進してまいります。
2018.08.13
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バベルの塔を描いた絵画とは、以前より何かとご縁がありますが、そのバベルの塔の正体を今まで正確に知ることもなくまいりました。先日書きましたが、この度のお盆のご住職との問答の中にも登場致しました。言語のお話しの時でした・・・。さて、バベルの塔とは・・・旧約聖書の「創世記」の中に登場する巨大な塔。諸説ありますので、その中の一つの考え方としてご理解下さい。「神々が造った石と漆喰の変わりに、人々は煉瓦とアスファルトを使った技術をあみだした。人々は自らの誇示と団結力を高めるために、その技術を使って都市と天国への階段(すなわち塔)を築き始めた。神(エホバ)は、彼らの団結力が神の存在を脅かすと危惧する。そしてこの団結力は、人間が単一民族であり、単一言語であるからと結論づけ、神々は人間が使う言葉が通じないようにした。人々はお互いが理解出来ないようになり、塔の建築は中止され、人々は各地へ散っていった。」世界が統一された言語でないわけと言えますね。しかし、何か納得出来ないお話しです。余談ですが、レッド・ツェッペリンの天国への階段もご縁がある曲です。
2018.08.12
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昨日の続きですが・・・もしも、軍隊を持つことになった場合は、中立国となるべく条件を満たすまでになって、中立国となって欲しいと思います。
2018.08.12
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この時期になりますと「平和」という言葉が飛び交いますが、私も今年は今までと違う方向から「平和」を考える機会を頂きました。その前に・・・少し前に鑑賞しました映画の中に出てくるスピーチがまさしく、私の気持ちを言葉で現してくれていましたので、それを紹介させて頂きます。『グレース・オブ・モナコ』のラストの公妃のスピーチです。現在、日本は再び軍隊を持とうとしています。北朝鮮、中国の脅威、また米軍の負担、外交上不利となることなど、持つための理由がありますが、果たしてそれは、真の道なのか、改めて考えてみたいと思います。勿論、軍隊を持つことがそのまま戦争に繋がるという事でない事は、常識的に判断出来たうえでのことです。さて、映画の中のスピーチでは、グレース王妃(モナコ王妃)が圧力を受けているフランスに対してのスピーチです。「モナコの人々は、正しい事をしようとする善き人々です。私はおとぎ話を信じます。心から望めば実現するはずです。どんな努力も惜しまない覚悟があれば、世界は変えられると信じています。憎悪や衝突も消えるに違いありません。モナコは私自信です。私は軍隊を持っていません。誰の不幸も望みません。たとえ侵攻されても抵抗することなくここにいます。自分の出来る範囲で少しでも世界を変えるために。しかし、破壊する人がいれば、現実もおとぎ話も終わります。気にいらないから破壊する人がいます、当然の権利とばかりに。幸福や美を破壊する権利は誰にもありません。それは許されないことだと教わりました。そんな世の中には住みたくありません。庭に戦車が侵入しても、爆弾が投下されても、愛があれば解決できるはずです。なぜなら愛の力を信じているからです。」私は、日本は世界の中で、崇高な模範の国民であるべきだと思っています。それが日本の使命だと思っています。この世から醜い争いをなくすために、先頭にたって崇高な態度を示すべきだと・・・。堂々と「戦争放棄、平和宣言」を改めて行い、軍隊も今まで通り持たず、強い日本の姿勢を示すべきだと思っています。武力による強さではありません。精神性の強さです。そのような崇高な態度の国を攻める国があるでしょうか?もしも、日本が世界からなくなることになっても、崇高な態度をつらぬく方が美しいと思っています。
2018.08.11
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今年もお盆に来て下さるご住職(今年は前ご住職の免許返還に伴い、日程変更があり、お盆より早めにいらっしゃいました)と少しお話し致しました。まずは、私からの質問が・・・ 神道の神々を仏教はどうとらえているのか?でした。その後、いくつかの問答を繰り返し、ご住職からお話がありましたのが、中でも、隻手の音声は、私の中で課題として残りました。聞こえない声、音を聞きなさいという事だとは思うのですが、私の出した答えは・・・「示される方向(道)を良く聴きながら歩みなさい」という事です。聴きながらは、勿論聞こえない声を聴きながら・・・です。
2018.08.10
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ジョエル・ロブション氏の訃報に、何か大きなものを失くした感覚を得、今日までその理由を考えてみました。一番好きなレストランでもシェフでもありませんのに(大変失礼な言い方で申し訳ございませんが)、なぜなのか・・・。確かに、カジュアルなL'ATLIERは、一人でもいけ、ワインもお食事も裏切られるもありませんので、好んで行くところでした。そして、行きたいレストランではなく、食べたいレストランでした。〇〇の〇〇が食べたいと定期的に感じるものではありました。それでもまだ最もな理由とは言えません。先程、ついに応えが・・・お客さまを大切にする、満足するお料理であることだと思います。
2018.08.08
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大正12年生まれの裏千家第15代お家元 鵬雲斎大宗匠は、海軍に入隊後、特攻部隊にいらっしゃったそうですが、(私の父も大正12生まれで海軍に入隊していまして、晩年よく当時の話を聞かされましたので、何処か重なってしまうのですが)当時のお話しの中で、同隊員の一人が突撃前に仲間とお茶を頂きたいので、茶箱(お茶道具)を貸して欲しいと頼まれたそうです。その茶箱は、鵬雲斎大宗匠のお父様(第14代お家元)が持たせて下さった大切な茶箱だったようです。勿論お貸しになったのですが、その隊員は茶箱と一緒に突撃してしまい、戻られなかったそうです。しかし、その大切な茶箱はあくまでも物質でありますから、それよりも最後に最期に一服のお茶を飲めた隊員、またそれに纏わる様々な想いが、強く心に残ったことの方が、より尊いことであるでしょう。鵬雲斎大宗匠は、ご自身は任務を遂行できないまま、ご帰還なさった事に無念さを感じていらっしゃいます。その想いに、本日は涙しました。
2018.08.06
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人間に備わっている五感である、視覚、聴覚、触覚、臭覚、味覚に加え、第六感である超感覚的知覚ともいわれる直感のようなものが備わっていると言われている。数日前の新聞の『余録』欄に下記の内容が書かれていた。文化長編にある『人間は大災害をどう乗り越えたのか』にあるらしいのだが、縄文時代以前の遺跡には、洪水の後がほとんどないらしい。洪水に襲われたのは、稲作が始まり、水の得やすい土地に住み始めた弥生時代以降であるらしいが、しかし弥生時代も洪水の脅威に立ちすくんでいたわけではないそうである。遺跡から解るのは、洪水直前に家財道具ばかりか柱や上屋までも運び避難したらしいことである。洪水を見事逃れた弥生人の「予知力」「避難力」が現れている。我々の日々感じる「あったらいいな~」が瞬時に現実化されていくこの世の中、確かに人間の持つ力が劣っていっているのは実感出来る。洪水などにしても、天気予報に頼りっきりである。雲、海、また匂いから予想できたはずのものが、全くそうでなくなっている。勿論漁師さん達は未だにその感は備わっていると思うが・・・我々は、記憶力一つとっても、すぐに検索できる現在、記憶する必要性もなく、明らかに劣っていることであろう。それに代わる力が備わるなら、それもよしとすることが出来るが・・・ただ、衰えていくだけなら、やはりここで考え直したい。
2018.07.21
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昨日知人の訃報が入りました。昨年10月にお電話を頂いたのが最後でした。FBの更新が滞っているとは思っていましたが、癌を患っていると伺ったのが5日前でした。それからすぐに本人に電話を入れ・・・こんなに早く訃報が届くとは思ってもいませんでした。幼い子供と奥様を残しての旅立ちです。無念であったことでしょう。夏には会えるかな?と思っていましたのに・・・。私がフランス行きを決めた際に、会計士として紹介されたのが出会いでしたが、後々遠縁にあたることが発覚し、お互い驚いていたものでした。もう一度だけでもお話ししたかったです。どうぞ、安らかに・・・。
2018.07.15
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タイの洞窟からの救助は世界中が祈りながら見守っていたことでしょう。一日も早く救出出来ないものなのか・・・ヤキモキしながら見守っていました。そして全員救出のニュースは世界中が歓喜と安堵の声が交錯したことでしょう。しかし、この歓喜と安堵の感に浸るだけではなく、犠牲になった一人のダイバーの存在を対に忘れてはいけない事を改めて感じました。FIFAは彼らを今度の日曜日のワールドカップ決勝に招待したらしいのですが、残念ながら医者からの許可がでなかったらしいのですが、どうにか実現してほしいものです。
2018.07.13
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