後半



 4人目の友達は、1991年の湾岸戦争の時です。行きつけの店で、とっても仲良くなった米兵に、ある日突っ込んだ質問をしたことがあったんです。
「お前、なんで軍隊に入ったの?」
と。そしたら彼が、
「これは俺の人生設計なんだ」
って言うんですね。
「高校を卒業した後、就職口がなくて、とりあえず軍隊に入った。軍で一個でも2個でも偉くなって、退役すると就職しやすい」
って言うんです。
「お前、戦争好きなのか?」
って聞いたら、彼、クリスチャンだったんですよ。
「戦争は絶対あかん。神様が作った人間の命を、神様が作った人間が故意に奪うのは、絶対に許されない」
と、はっきり言っていました。
「だけど、そういう練習をしているんだろう?」
と言うと、
「それは言わんでくれ」
と言っていました。最後に、
「お前は俺たちよりも戦争に近いところにいるけれど、怖くないのか?」
と聞いたら、
「そう言われれば不安だけれども、こんな平和な世の中だから、俺が軍隊にいる間には、戦争はないだろう」
と言っていました。

 そういう会話をして、しばらくして戦争が始まりました。テレビで、湾岸戦争が始まるかもしれませんとニュースが流れ始めた時、沖縄に電話して
「戦争が始まるかもしれないと言っているけれど、戦争始まるかね?」
と聞いたんです。すると二つ返事で
「始まるよ。もう港には戦車が並んでいるしね。米兵たちは街で荒れ始めているよ」
と言っていました。

 戦争が近づいてくると、沖縄では分かるんです。
「港に戦車が並び始めているよ」
っていうのは、米軍が使っているでっかい港があり、戦争が近づいてくるとそこに戦車が何百台と並ぶんです。ベトナム戦争はジャングルでの戦いだったので、迷彩色、粘土をこねたような緑色の戦車が並びました。ある日、それが全部なくなるんです。しばらくすると、ボロボロになった戦車が帰って来る。しばらく経ったら、きれいになった戦車がまたなくなるという、くり返しが始まります。湾岸戦争は、砂漠での戦いですから、薄い肌色に塗られた戦車が何百台と並んでいました。

 もう一つの
「米兵たちが街で荒れ始めている」
という意味が分かりますか? これが辛いんですよ。18、19、20歳位の兄ちゃんたちがある日、上官に呼び出される。上官の部屋へ行くと、
「お前、何月何日の何時の飛行機に乗って、戦場に飛べ」
って命令されるんです。上官の命令は絶対ですから、
「イエス、サー」
と言うだけです。それで上官の部屋を出た後、そいつ考えるんですよね。
「来週、俺は戦争に行かなければいけない・・・。」
「5日後に俺は戦争に行かなければならない・・・。」
「3日後、俺は戦争だよな・・・。」
「明後日・・・」
「いよいよ明日の飛行機に乗って、戦争に行かなければならない・・・。」
 出発の日が近づいてくると、その米兵はどうなっていくか。ほんとに変になってくるんですよ。精神状態がおかしくなっちゃうんです。そうすると、いろんな事をしでかします。電話した時にはすでにいろんな事が起きていました。
「もう戦争、始まるよ。米兵たち、街で荒れ始めているよ」
という中身はね、例えば、車を運転している米兵がひき逃げをして平気で逃げて行くとか、強盗も、ものすごく増えます。街の中での喧嘩も、ものすごいです。米兵の喧嘩って、並大抵の物ではないんです。ポケットにいろんな武器を忍ばせていることもあります。不安定になって、酔っぱらっている米兵の前を、たまたま通りかかった女性がレイプされ、辛い経験をするというのはたくさんあります。なんでニュースで流れないのか不思議なくらい、たくさんあります。

 そんな電話のあと、しばらくして本当に戦争が始まりました。沖縄から、兵隊の友達がどんどん戦場に行くような気がして、いつもテレビをつけっぱなしにしていました。

 ある日テレビをつけっぱなしにして、別の仕事をしていたら、沖縄の嘉手納空軍基地から飛んだ兵士が死んだというニュースが流れました。最初の頃だからか、死んだ兵士の名前を読み上げたんです。聞き覚えがある名前があってね。えっ?と思って画面を見たら、写真が出てたんです。
「軍隊に入ったのは、俺の人生設計。こんな平和な世の中だから、俺が軍隊にいる間には、戦争はないだろう」
と言っていたそいつが、死んじゃったんです。

 その時、強く実感しました。戦争は嫌だなってね。戦争を始めるのは政府のお偉いさんかもしれないけれども、結局、現場で死ぬのはそういう連中ですよね。なんかすごく悲しかったです。


 なんでこんな話をしたかと言うと、今までも沖縄の基地の話を聞いた人はいるかもしれないし、これからも聞くかもしれないけれど、何となく聞いていると、アメリカ人の兵隊=悪者だというイメージが付いちゃうと思うんです。

 だけど絶対、そんなことないです。皆、ほんとに良い奴なんですよ。だけど、戦争が近づいてくると、そいつらが変になっちゃう。あるいは毎日、人殺しの訓練を基地の中でやっているうちに、どんどんおかしくなっちゃうんです。そしてそれを、よしよしと評価する基地があるわけです。

 一番初めに紹介した小学生を襲った事件も、基地の中ではよしよしと言われます。
「お前らが小学生を襲ったのは、人を殺せる人間に一歩近づいたということだ」
って、いい評価をされるんです。だから悪いのは米兵、兵隊さんではないんです。悪いのは戦争です。そいつらを変えちゃう戦争ですよね。

 今、ニュースや新聞でひんぱんに流れている通り、今年中にイラクに自衛隊を送るかもしれません。すごく怖いんですよ。イラクに自衛隊が派遣されることになったら、行くだろうメンバーの中に入っている、知り合いがいるんですよ。そいつに死んでもらいたくないんです。もう嫌ですね、戦争で友達を亡くすのは。何か空しいですよ。悲しい。


 基地があることで、こんなこともありました。去年、友達が沖縄で交通事故にあって、電話をかけてきたんです。
「ひどいのか」
と聞くと、
「助手席に乗っていた妻が、意識不明の重体」
と言うんです。それで
「相手は」
と聞くと、
「米兵。どうしたらいい?」
と、聞かれました。
「周りの沖縄の人に聞いたのか」
と尋ねると、
「聞いた。あきらめろと言われた」
と言うんです。
「ほんとに申し訳ないけど、俺もそうとしか言えない」
と言ったんです。
 ほんとにそうなんですよ。交通事故をやった時、相手が米軍の関係者だったら、もうあきらめろっていうのが、沖縄では常識になっている。

 ここで交通事故をやったら、どうですか。
「なんちゅうことしてくれるんや、大事な車をへこまして」
あるいは
「乗っている家族を怪我させて、どないしてくれるんねん」
「保険でカバーしましょう」
とかいろんなことをやるでしょう。

 でも相手が米兵だと、それは期待できないのです。泣き寝入りするしかない。最近になって少し、日本政府が動き始めてはきましたが、それでも全然足りていません。


 飛行機の墜落事故もえらい多いんですよ。7~8年前、名古屋空港で中華航空機が墜落した事故を覚えていますか。何百人も亡くなった、えらい事故だったんです。

 飛行場の滑走路が見える所に公園があるんですが、そこに友達がたまたまいて、飛行機が墜落した瞬間、僕に電話がかかってきたんですよ。電話を取ったら、体の大きな男なんだけれども、えんえんと泣きながら、
「怖いよ、怖いよ」
とパニックになっているんですよ。
「どうした」
と聞いたら、
「今、飛行機が落ちた。えらい勢いで燃えているんだ、怖いよ」
と、ものすごいパニックになっているんですよ。それでテレビのニュースをつけたら、ものすごい事故だったんです。

 これはかなり大きなニュースになりましたが、実はその3日前に沖縄で、小学校から数百メートル離れた所にヘリコプターが墜落しているんです。

 更に、中華航空機の事故から3日後に、沖縄の畑にF15イーグル戦闘機がミサイル積んだまま墜落して、えらい爆発しました。なのになんでニュースにならないんだろう。そういうことは、いっぱい起きているのです。


 最初に、小学生が襲われるという本当に悲惨な事件だったにもかかわらず、それを聞いた時、ああまたかとしか思わなかったと言いましたね。なんでか。理由は単純。すごくいっぱいあるからなんです。私の身近な所でもいくつかあります。2つだけ紹介しますね。

 一つは僕の同級生です。女性で、直接襲われた経験があります。僕は男性ですから、そういう経験をした女性がどういう苦しみを負うのか、分からない。その時、彼女が自殺しそうなのを食い止めるのが精一杯でした。

 もう一つは、お母さんがそういう経験をして生まれてきた奴がいます。僕と同世代の男なんですが、そいつ格好いいんですよ、トム・クルーズに似ていて。お母さんは沖縄の女性で、お父さんは誰だか分かりません。

 彼は危ない奴だったんです。危ないというのは、自分がいつ死んでもいいというような無茶を、何でもするんです。例えばこっちも集団、向こうも集団で喧嘩になった時、相手がナイフを出したら、そいつはそのナイフを持っている奴の所へ行くんですよ。いかにも刺せという感じでね。

 今でこそ、ずいぶん落ち着きましたが、そいつは自分のなかで、ずっと疑問を持っていたんです。
「自分がこの世の中にいて、いいのか」
と。お母さんが襲われて、自分が生まれているわけでしょう。お母さんの辛くて、苦しくて、恥ずかしくて、どうしようもない経験がきっかけで、生まれて来たわけです。誰にも求められずして生まれて来た自分が、生きていていいのかという疑問をずっと持っていました。

 数年前にそいつから久しぶりに連絡がありました。悲しい連絡だったんですけど、
「おふくろが死んだんだわ。身近な親しい連中だけで葬式をやりたいんだけど来れるか」
て言うから、沖縄に行ったんです。小さなお葬式をして、終わったあと、そいつに聞いてみたんです。
「お母さんは最後、どうだったの?」
と。そうしたら、お母さんはその事件の後、亡くなる日まで、ずっと精神病院のお世話になりっぱなしだったそうです。もう頭の中が整理できなくなっていたんですね。夜、暗くなると事件を思い出す。目を閉じると思い出す。もうどうしようもない。こんな人が沖縄には結構います。


 沖縄のある町には、家の窓に鉄格子がいっぱい付いています。家の中は安全な場所にしておきましょうという、意思の表れなんです。

 ベトナム戦争の時、戦争に送られる直前の兵隊さんたちはひどい状態になって、街でいろんなことをしました。兵士がおかしくなるきっかけは、自分は誰かを殺すんだろうか、誰かに殺されるんだろうか、ということのほかに、自分は怪我をするんじゃないかっていうこともものすごい原因になるんです。

 戦争の怪我って、すごいですよ。私たちが想像する怪我とは、ちょっと違うんですね。僕の知っている人は、あごがなくなりました。普段はプラスチックで作ったマスクをして、その上に風邪を引いた時のマスクをしているので、ぱっと見は分からないんだけれども、そいつが見せてくれました。
「いいか。1回しか見せないけれども、覚えとけ。これが戦争だぞ」
と言って、マスクを外して見せてくれたんです。
 ・・・お化けですよね。ものすごいグロテスクな顔です。上の歯ぐきが丸見えで、のどちんこも丸見えで、よだれが垂れないようにするため、マスクの中には脱脂綿を詰めています。

 両手両足をなくし、目が見えなくなって、耳が聞こえなくなって、帰って来た奴もいます。友達がそんな風になって帰って来るのを見ていたら、これから戦場に行くという連中はほんとにおかしくなるんですよ。

 ベトナム戦争の時、ある町では、いろんな事件がありました。例えば、テーブルを囲んで夕食を食べていると、そこに明日か明後日、戦場に飛ぶ兵隊さんたちが5~6人、ひどく酔っぱらって、どかどかと入って来るんです。
「何なんだ、お前らは」
と言っているお父さんとお兄さんを羽交い締めにして、その目の前で、お母さんと妹がレイプされる。そして妹が子供を生むわけですよ。

 そういうことが、ほんとにいっぱい起きたんです。それで、家の中はせめて安全な場所にしようと窓に鉄格子を付けました。それでも減らなかったんです。


 それでどうしたかと言うと、変になった米兵たちの、性のはけ口をどこか他に用意しなければいけないということで、沖縄には黙認の売春街がまだ点在しています。沖縄に観光で行ってきますと称して、その売春街を目指して遊びに行く人も多いんです。そんなことは止めてほしいです。なんでそこに売春街があるかを考えてほしいんです。

 1945年に戦争が終わって、1952年まで7年間、北海道から沖縄まで全部占領されました。1952年の4月に日本は解放され、独立したんです。それからですよ。東京オリンピックがあったり、新幹線が通ったり、高速道路が走ったり、急激な経済発展を遂げたのは。だけどその時、日本が解放された代わりに沖縄だけ、アメリカにプレゼントされたんです。20年間ね。沖縄ではよく「捨てられた」と言いますが、沖縄を20年間捨てることで、日本はものすごい経済発展を遂げた。

 経済発展を遂げている日本の中で、沖縄だけは今言ったような事件が、ものすごくいっぱい起きていた。そのおかげで売春街を置かなければならないような島になった訳です。豊かな生活が出来るようになった日本、本土に住んでいる人が売春街になんで遊びに来れるんですか。これはね、ほんとに止めてほしい。ほんとに悲しいです、沖縄の人間として。


 前の沖縄の知事さんは、小学生が襲われた時、これからの5年間も米軍基地のために土地を貸しますよっていう書類に
「もう基地は出て行ってくれ」
といって、サインしなかったんです。そうしたら何が起こったと思いますか。

 日本政府が、沖縄の知事さんを訴えて、裁判にかけちゃったんです。裁判で結局、沖縄の知事さんは負けちゃったんですが、その時の判決は
「沖縄の知事さん、あんたがやっていることは、日本の公益を著しく害しますから、サインしなさい」
という内容でした。簡単に言うと、
「沖縄の知事さん、あなたのやっていることは日本に暮らす、すべての人の平和のために良くありません。サインしなさい」
という意味でした。

 その判決が下った直後、沖縄の友達と電話で話をしました。その友達というのは、僕の同級生で、米兵に襲われた女性です。彼女は電話口で静かに話していましたが、ものすごい怒りを持って、こう言っていました。
「私は生まれてこの方、ここまで憎いと思ったことはない。」
その時、彼女が憎んでいた相手って、誰だと思いますか。彼女を襲った米兵じゃないんです。彼女が憎いと言った相手は、悲しいですが、『日本』という国でした。彼女にはその時の判決の文書が、こう聞こえたと言うのです。
「『沖縄の女性の皆さん、米兵に襲われても我慢してください。それは日本全国の平和のためです。辛かったら、言って下さい。お金を出しますから』と言われたような気がする。いやだ」
と・・・。


 よく、
「沖縄の話をお願いします」
と言われるんです。
「沖縄の問題を語って下さい」
ってね。だけどこの『沖縄の問題』という表現は好きじゃないんです。これは本当に沖縄の問題かね?と思うんです。違うでしょう。

 例えば、あの9月の小学生の事件を取り上げてみると、あの事件の直後、彼女を襲った犯人のうちの一人のお母さんが、アメリカ本国で
「私の息子は無罪です、無実です。そんなことをするはずがありません。優しくて、紳士的な青年でした」
という記者会見をしました。

 そのお母さんの言うことは、たぶん本当だと思います。紳士的で優しかったはずの青年が、小学生を襲っている。そういう人間に変えられちゃったのはなんでか。

 あの時、小学生を襲ったのはたまたま18歳のアメリカ人だったけれども、そのアメリカ人の青年を、そういうことができる人間に作り変えたのは誰かというと、米軍という名前の軍隊なのです。

 その軍隊を沖縄に置くことを許し、支えているのは誰かと言ったら、この日本に暮らす私たち一人ひとりですよ。
 だからこれは、沖縄の問題ではないと思います。沖縄で起きている日本の問題、沖縄で起きている私たちの問題ととらえて頂きたいのです。

 あえて厳しい言い方をしますと、あの9月4日、沖縄にいる米兵3人を使って、沖縄の小学生を襲わせたのは、うちらだと思ってほしいんです。知らなかったんです、ごめんなさいというのは言い訳になりません。日米安全保障条約のお陰でこんなに静かな生活を送れる立場にある人間として、責任を持って沖縄を知っておくべきでした。知らないというのは無責任だと思う。知っていてほしいです。


 こういう質問をされたことがあります。
「そんなこと言うけど、実際、戦争が始まったらどないするの」
と。ものすごく的を射た質問だと思います。これもある沖縄のおばあちゃんですが、こう言いました。
「本当の戦争を知っている人は、そんな質問はしないよ。本当の戦争を知っていたら、戦争が起きたらどうするのと考えるだけで、身震いするよ。本当に戦争を知っている人は、その戦争を起こさないようにするにはどうするか、もっと手前から考えるよ」
ああ、なるほどね、と思いました。


 単純な話ではないんですが、今、日本のこの国がいろんな法律を作って、どんどん戦争に向かっています。具体的に戦争が出来る国になろうとしています。このまま行ってしまうと10代のみなさんが、一番巻き込まれる世代なんですよ。それが嫌でね・・・。単純に嫌なんですね。

 今、日本が戦争ができるように準備を始めているところで、合い言葉のように言われる「備えあれば憂いなし」と言葉を聞いたことがありますか。ああなるほどね、と思うけど、それに対して大きなはてなマークが頭の中にあります。

 2年前の9月11日を覚えていますか。ニューヨークのビルに、飛行機が飛び込んだテロがありました。あの後、沖縄で何があったか覚えていますか。露骨に日本中の人たちが、沖縄から離れて行きました。修学旅行で沖縄に行く予定であった学校がキャンセルし、新婚旅行で沖縄に行く予定だったカップルがキャンセルし、遊びに行く予定だった人がキャンセルし、私のところにもいろんな問い合わせが来ました。皆、
「沖縄は安全ですか。大丈夫ですか。危険ではないですか」
という質問でした。答えに困りましたが、まあ正直に言うしかないですね。
「危険です、沖縄は。あれだけ大きな基地があるわけですから、いつ攻撃されるか分からない。」
皆、それを分かっていて、テロの後、沖縄から引き上げた。その時、大きなはてなマークが頭の中に浮かんだんですよ。「備えあれば憂いなし」と本当に皆、そう思っているのであれば、テロが起こって、危ないと思った瞬間、日本全国1億3千万人全員、沖縄に避難すべきだったでしょう。日本全国どこを探してもこれだけ備えている島はありませんからね。なのに、逆でした。皆、離れていきました。ということは、備えれば備えるだけ危険だと、皆、知っているのだと思いました。素直になればいいのにと。

 これは単純な話ではありません。備えあれば憂いなしと言って、米軍の基地をどんどん強くする。あるいは沖縄を使って、戦争ができる状態にする。どんどん備えるのであれば、そこにふたをしないで下さい。見続けて下さいと思うんです。怖いと思った瞬間、離れられる人はいいですよ。だけどそこで暮らしている人たちはどうするんですか。テロの後、沖縄のある人がこう言っていました。
「ああ、また捨てられた」
と。これは素直な言葉だと思います。

 ここで暮らしていると、日米安全保障条約はあるのか、ないのか分からない、空気みたいなものじゃないですか。だけど沖縄のどこに暮らすか、沖縄でどいう経験をするかによって、安保って触れるんですよ。経験によっては、ものすごく苦しい、痛いものなんです。

 安保は大事だという人はたくさんいます。だけども安保って、どういうものか知らない人が、なんぼ安保が大事だと言っても、説得力を感じないんです。もし安保が大事だと言いたいのであれば、沖縄を知ってほしい。安保が嫌だと言うのであれば、なぜ嫌なのかという理由を、しっかり用意しておいてほしい。


 今日、きつい話もいろいろしましたが、沖縄がそういう状態にあるのは、日本という国が、そこに暮らしている皆さんが悪いんだと言いたいのではありません。とにかく沖縄を知ってほしいんです。沖縄を知らない人がいるのは、沖縄にとってすごく寂しいことだから、ほんとに知ってほしいんです。沖縄を知ることを通して、今、自分たちが所属している社会がすごくよく見えてきます。そのための材料として、沖縄をしっかり知っててほしい。

 最後に、今日一番言いたかったことを言います。今日の話を聞いたからと言って、私も俺も、米軍の基地反対とか、日米安全保障条約反対という結論は絶対に持たないで下さい。と言うのは、実は僕は、個人的に米軍基地に強烈な恨みがあります。だから僕が話をしたら、安保は嫌だ、基地は嫌だという話しか出来ません。ある意味、とっても片寄っています。安保は大事やで、基地は必要だという主張も、いろんなところからされています。

 今日の話だけで、絶対に判断しないで下さい。いろんな方向から情報を仕入れて、それをもとに考えて、じゃあ自分はどういう考えを持つか、自分で考え、自分で判断して、自分で決定できる、そういう人間になって頂きたいのです。そういう意味で、今日の話は、一つの方向からの、ほんの一つの情報として、覚めた頭で聞いてほしいのです。


 こういうことを言われたことがあります。
「沖縄に行こうかと思っていたんだけども、危ない、怖い所だったんですね。気を付けます」
と。でも、一番最初に言いましたよね。今日話したことは、ほじくらないと見えてこない話です。

 沖縄に行ってみると、今日の話は本当かいや?と思うほど、ほんとに良い所です。ほんと是非、沖縄に行ってみて下さい。西海岸の砂浜に座って夕日が東シナ海に沈むのを見て下さい。まん丸な夕日が水平線に近づくと、びよびよんと、ちょっと楕円形になるんです。夕日が海に沈むのを見て、ああきれいだな、なんて良いとこだろうと思って頂いた瞬間に、今日の話を少しでも思い出してくれたらと思います。

←前へ

←目次へ

HOME


© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: