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Zikomo daysにご訪問いただき、ありがとうございます。写真の容量がいっぱいになってしまったため、お引越しすることにしました。新しいURLは↓です。http://plaza.rakuten.co.jp/malawi/もしお気に入り等に入れてくださっていたら、お手数をおかけしますが、再登録していただければ幸いです。新居、マラウイの日々でも引き続き、よろしくお願いします。たまに思い出したくなった時には、こちらものぞいてやってください。では、新居でお待ちしております。3年と2ヶ月、ありがとうございました。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
July 1, 2008
ンゴロンゴロもセロネラも、朝ごはんでシャンパンが飲めたのが素敵でした1人1杯かな? と思いつつ、他の3人は飲んでないから、いっか、と思い、お代わりしてしまった大風邪ひきの私アルコール消毒も必要です玄関脇には、あじさいが咲いていました。アフリカにもあじさい、咲くのですね~。薔薇もきれいに咲いていました。ンゴロンゴロを後に、アルーシャ市内へと戻ります道中、お土産物やさんが並んだ、かなり魅力的な場所があったのですが、ドライバーによれば、すりや泥棒がかなり多いそうで、止まってくれませんでした代わりに止まってくれたお土産物やさん 所狭しと、トイレの前まで、絵が飾られています。行きも、別のお土産物やさんに寄ってくれたのですが、全体的にかなり高かったです。ザンジバルの空港や奴隷市場で$5で買えたバティック(染め物)のタペストリーが$25から始まりました。アルーシャ市内のお土産物やさん街も高かったし、お土産はザンジバルで買った方が安いのではないでしょうか?マサイに虜な私たちは、Yさん以外はそれぞれ数枚、マサイの布を買ってしまいましたが帰りも、道行くマサイに目が離せないっ! マサイ衣装のこんな姿、私的にはかなりツボです ランチは、空港にほど近いコーヒーハウスにて。 コーヒーの香りだけでなく、かなり文明の香りこの後、帰国するYさんは、ここで働きたいとおっしゃっていました釜焼きのピザが食べられましたが、生地が冷凍?と思ってしまったイマイチさマラウイの都市で食べられるピザの方が美味しかったです。ダル・エス・サラームに向かう機内から見られた、アフリカ最高峰 そう、キリマンジャロですYさんの持っていた鞄は、手工芸隊員の方が作られたものだそうで、かなり素敵でした 日本でも売れそう。 この日の夕食は、キリマンジャロホテルの中のオリエンタルレストランで、最後の日本食。ま、評判通り、美味しかったです・・・が。金曜だったためか、予約で満席だそうで、バーで、2時間半あまり待たされた挙句、閉店まで1時間以内で食べるよう言われ、感激も半分以下になってしまいましたその後も、今となれば、笑ってしまう大きなトラブルがあったのですが、ここには書けません帰国した際、生ビールと泡盛でも用意してくださったら、ぺらぺら話しますよ~ 「タンザニア旅行のすすめ」と銘打ちながら、トラブル続きの珍道中紹介でしたね私たちの経験が、皆様の旅の参考となれば幸いです。旅行記に3ヶ月、費やしてしまいましたね今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
June 30, 2008
遠くの方に、象の群れ! 象、好きなんですよ~ディズニーのキャラクターのなかでも、ダンボが一番好きかも。 立派な5本目の脚、うまく表示されているかな?ドライバーは、顔の形でオスメスの区別がつくそうですが、私にはわかりませんでした。 この鳥、象やガゼルなどとよく一緒にいました。かばさんは、日中はやっぱりお昼寝中園内をくるくるまわっているうち、さっきのサイにより近づいて見られました。ん~、これは?? 奥の黒いのがバッファロー、手前がガゼルですね。 トイレ休憩の際、周りの木には猿がうようよ。 ドライバーがトイレに行っている間に、彼ら、車の中に侵入。お弁当の残りのバナナの皮等、物色してました。一人、車内に残っていたCは大悲鳴。ドライバーが慌てて戻り、自分の腰のベルトを外し、ムチ代わりに彼らを追い払ってくれました。山の上に見えるのが、本日泊まるNgorongoro Wildlife LodgeTel: +255-(0)27-2537058 ホテル目指して、火口縁を上がっていきます。車1台がぎりぎり通れる細い道。ガードレールなぞもちろんなく、崖側に座っていた人たちはかなり怖かったそうです車中から見られた、ンゴロンゴロ ホテルの客室からも、ンゴロンゴロの絶景が楽しめました 前日泊まった、セロネラ・ロッジと同じ系列なのですが、お食事も、デザートも、従業員の対応も、ンゴロンゴロの方が快適でしたお湯もちゃんと出たし、窓ガラスも入っていて、そんなに寒くなかった。ピークシーズンには、ディナータイムに民族ダンス等見られるそうですが、私たちが行った時は、ダンスどころか、レストランの工事中今日もマラウイアンに腹立ってしまった。まだまだ、人間ができてないです・・・今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
June 30, 2008
マサイ村を発った後、最初に現れたのは、私のお気に入り道中、マサイ村訪問の興奮が冷めやらない私たち。ガイドが、「さぁ、マサイのことはもう忘れて、ここからはサファリだよ」と言うのですが・・・ンゴロンゴロ自然保護区は、24時間ごとに入場料が加算されるようです。入場時間の確認のため、ガイドがゲートの受付に行っている間、ビーズ細工のキーホルダーやネックレス、ブレスレットなどを手にしたマサイが3~4人、車の周りに集まってきました。(襲われることを恐れ、写真は撮っていません)車内に手を伸ばし、私たちに強引に手渡し、値段交渉。同行のAさんがいくつか買っていましたが、1つ$5くらいだったかな?彼らがまだ、車内に手をつっこんでいるのに、発車させるガイド。後から見ると、ネックレスが1つ、車内に落ちていました。ごめんね。そしてまた、マサイ話に花が咲く私たち。完全に、マサイの虜です火口縁から坂道を下り、ンゴロンゴロ自然保護区へと入ります。しばらく進むと、クレーターの中にあるマカトゥー湖が見えてきました。 マカトゥー湖では、♪ちょいと一本足~のフラミンゴがたくさん見られます。ピンクレディー/サウスポー遠くの方に、数が減っているという、サイが見られました。カメラを新調する際、この旅行のためにズームの利くカメラにしたのですが、正解でした♪池のほとりで、ランチタイムここでも外に出ることは許されず、車内でいただきました。ここで、「MALAWI」と書かれたTシャツを着た白人さんがいたので、思わず話しかけてしまいました。アフリカを旅行中のオーストラリア人だそうで、「マラウイはいいところだったから、 タンザニア旅行を終えたら、また行くんだ」と、おっしゃっていました。その言葉を聞き、なんだかうれしくなってしまった私すっかりマラウイアン化しつつありますね我が物顔で道に座り込むヌー イエメンやインドの牛のように、ドライバーからムチでしばかれることもなく、そろーり脇を通らせていただきます。「仕方ないな~」といった様子で、のっそり移動してくれました。 ぴこぴこぴこっと小刻みに動く、ガゼルの尻尾がかわいい しまうまが列をなして、順に沢へと降りていました。列が作って順番を待てるなんて、一部のMアンより賢いっ!このライオンは、結構間近に見られましたね~。今日のドマシは風が強く、セーターを着ていても寒いですアフリカなのに今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
June 30, 2008
ボマと呼ばれるマサイの集落に、お父さんは1人。このボマは20人の奥さんと、その子どもたちから成ります。確かに皆、顔が似ている。 歌とダンスの後、家の中を見学させてもらえました。歌とダンスの動画をアップしたいのですが、うまくいきません。もしや携帯からしかできない?私の使っている携帯はカメラなし、モノクロです おうちはとても小さく、かがまないと入れません。マサイのことを説明してくれたこの彼は、英語も流暢。アルーシャのセカンダリースクールに通っており、家族の中には、大学に通っている人もいるそうです。ダル・エス・サラームやザンジバル、アルーシャなどの街中で、マサイの衣装の警備員や、空港でポーターをしていた人、お土産を売っていた人たちなど、普通によく見かけました。学生として町へ出て、アルバイトしている人もいるのかもしれませんね。説明の最中、↓この子が寄って来てくれたので、一緒にじゃれてしまって、説明をほとんど聞いていなかった私この子も風邪ひきさんなのか、鼻水ジュルジュルでした。私も相変わらず、大風邪の真っ最中。彼女と顔を寄せ合い、じゃれている時、ふとかつて『世界ウルルン滞在記』で見たブラジルの少数民族のことが思い起こされました。彼らを守るため、私たちの持つウィルス等をその村に持ち込まないよう、入村時間が限られ、レポーターもホームステイできなかった村。風邪ひきの私が彼女とじゃれて、大丈夫なのかな? と不安になりました。彼女も鼻水ジュルジュルだったし、家族も町に出かけているので、ある程度の抵抗力も備えていると思うのですが・・・ベッドには立派な敷布 白とうもろこしを練って作るウガリを、マサイも食べるのです。 マラウイではシマと呼びます。キーホルダーやネックレス、ブレスレットなどのビーズ細工を売っていました。 お母さんたちの手作りです。↑これはライオンの爪からできているそうで、かなりひかれました。大体$10くらいから始まり、$5くらいになるようです。この村を離れてから知ったのですが、入村料は近隣ボマの人たちと持ち寄って維持費となり、お土産の売り上げが、彼らの直接収入になるのだとか。とうもろこしなどの必需品や、腕時計をしている人も何人かいましたが、牛を育て、マーケットで売ったお金で買っているそうです。このンゴロンゴロはケニアの国境に近いのですが、何日かかけてケニアまで歩いてでかけることもあるそうです。国境も、パスポートも、仕事も持たないことが、彼らの誇りでもあるようです。牛を育てる=お仕事のような気もするのですが、彼らにとって職業ではないのですね。牛乳を加工するためのひょうたん このボマには幼稚園も併設。 幼稚園に通う子が35人いると言っていました。全員、1人のお父さんから生まれました。↓髪剃り中 以前、訪れた農耕マサイより、こちらの遊牧マサイの方が、私たちのイメージするマサイに近く、お勧めです。ガイドの方から、「行く?」と聞いてくれると思います。町でマサイに「Suvai」と声をかけられたら「Eva」もしくは「Ipa」と、「Takwenya」の場合は「Iko」と答えてくださいね。マサイの挨拶です。今日はマラウイ南東部の高校が集まって、英語劇大会が行われています。入場料MK100は、マラウイ vs ジブチ戦と同じ値段。高校の演劇部の発表会とFIFAの試合が同じ値段て・・・見に行った生徒によれば、「他の学校の劇はいいけど、うちの学校はいまいち」とのこと。会場校なのに・・・今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
June 21, 2008
ホテルのお部屋から見られた朝陽 我が家から見られる朝陽も、素敵なんですよ目覚ましをセットする必要のない日も、ベッドルームに差し込む朝陽で、自然に目が覚める贅沢日本では、日の当たらないワンルームで暮らしていましたから朝陽や夕陽、壮大な青い空、どこまでも続く平原、木陰、家族そろって夕食が食べられることなど、日本では得がたい「豊かさ」を感じること、ままあります。この日は、セレンゲッティ国立公園を通り抜け、ンゴロンゴロ自然保護区へ移動。道中、オスのライオンも見られました。ラッキー☆ しまうまの群れにも何度か会いました。 そしてヌーたち。 あなたたちに会うために、4月にやって来たのよ~。そう思うと、このぬぼーっとした風貌が、やたらかわいらしく感じてしまいますもしホテルにヌーのぬいぐるみが売っていたら、買ってしまったかも。なんて言いつつ、ホテルの売店は高いだろうと思い、入ってないので、未チェックですがハイエナです。 ライオンは狩った獲物の内臓を主に食べ、ライオンの食べ残したパーツをハイエナが食べると、知人のマラウイアンは言っていました。このハイエナは、穴に入り込み、これまたぬぼーっとしていました。保護色なのか、土色でしたね。 ンゴロンゴロ自然保護区の中にある、マサイの集落を車1台あたり$50程度で見学できるそうで、立ち寄りました。最初、訪れた集落は$70と提示され、ガイドが他の集落に行ってくれましたが、ここも$70。ちょうど先客が帰るところだったこともあり、ガイドが交渉してくれた結果、$60になりました。ここでも、歌とダンスで迎えてもらいました。 ここでは、女性陣も整列して、コーラスに加わっていました。 女性陣の大きな首飾りが素敵☆ ビーズで出来ています。そして、やっぱりジャンプ! 結構高く、跳び上がっていましたね。男性陣の靴はお手製。 女性は裸足。 写真用のフォルダが満杯になってしまいました昨夜、泣く泣くかなり削除したのですが、残しておきたい写真の方が多く、タンザニア紀行文が終わったら、お引越ししようかなと、考えています。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
June 20, 2008
バルーンサファリが終わった後、ガーナ、チュニジアでの隊員生活を終えたお2人と合流。セレンゲッティ国立公園のサファリへと出かけました。地球の歩き方('06~07年版)によれば、林を含めて14,763平方km。東京、神奈川、埼玉、千葉を合わせた1万3404平方kmよりも広く、セレンゲッティとは、マサイ語の「果てしない平原」という意味なのだとか。これは・・・なんだ? トピかな? お昼間のかばさんは、水の中でお昼寝 ライオン♪ ライオンは主にめすが狩りをするので、メスライオンの方がよく見られるのだそうです。 ガイドさんはだちょうを見かけると、「ダチョー!」と日本語で叫び、車を止めてくれます。水牛やきりん、ぞうなど、他の動物では止まってくれないこともあったのですが、なぜか、だちょうは彼のお気に入りでしたね。後日、だちょうのお肉を食べる機会があったのですが、上手に料理をしてあったのか(あるいは風邪でわからなかったのか?)臭みもなく、やわらかく、結構イケましたこ・・・これは?? ・・・鳥です。すいません、名前がわかりませんランチはホテルに戻りました。他のお客さんはランチボックスを持っておでかけだったのか、あるいは時間がずれていたのか、レストランは私たちの貸切でした。レストランからの見晴らし♪ ホテルの敷地には、↑このハイラックスがうじゃうじゃいました。↓イボイノシシですね。 ガゼルの群れ・・・多分 トピだと思うのですが・・・? ↑このトピとガゼルだったかな? を狙って、草の向こうに2匹のライオンが隠れていました。トピはライオンに気づき、ばりばり警戒中そ知らぬ顔でうろうろしているイボイノシシ。奥にライオンの頭が小さく写っているの、うまく表示されているな?しばらく経った後、ライオンはイボイノシシに狙いを定め、駆け出したのですが、すたこらさっさと逃げられてしまいました狩りに失敗した、腹ペコのライオン。かわいそうなくらい、お腹がぺっしゃんこですグラウンドホーンビルかな? ↓多分、ディクディク。 臆病な動物だそうで、すぐに逃げられてしまいました。ガゼル きりんの群れ♪ この日もセロネラ・ワイルドライフにお泊り。岩丘の岩をそのまま巧みに利用して建てられているそうですが、相変わらずお湯がほとんど出ず、寒かった先週土曜のワールドカップ予選1~2月に行われたアフリカンカップの覇者エジプトを、なんと! マラウイが1対0で破りましたちなみにジブチは、コンゴ(DRC)にも6点進呈マラウイ、コンゴ、エジプトがそれぞれ2勝1敗の三つ巴ですが、得点差で現在、マラウイがリーグ1位今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
May 4, 2008
気球から降りたところ、きりんの群れが見られました。 のんびりもう1機の到着を待ちます。送迎のジープに描かれていたロゴもう1機の乗客と合流したあとは、シャンパンで乾杯♪ シャンパンなんて、日本出国の際のさくらラウンジ以来でしょうか?シャンパンは、私の一番大好きなアルコールなんですシャンパングラスを持ち運びできる、こんな素敵なセットがあるのですねぇ写真右に脚だけ写っているのは、日本から新婚旅行でいらした女性。モデルさんのようにすらりとした体躯だけでなく、こうしてグラスの片づけを手伝ったり、パンク修理の後、ウェットタオルを差し出したり、とても気の利く方でした。彼女を見ていて、そういう気遣いのできる女性らしさを、この1年半あまりですっかりなくしてしまったなーと、反省させられました。隊員間かつマラウイでは、女性だからと重い荷物を運ぶのを手伝ってもらったり、座席を譲ってもらったりする機会はほとんどなく、ユニセックスですから奥様は編集者、旦那さんはカメラのデザイナーさんだそうです。気球でご一緒した後、翌日のサファリのランチタイム、アルーシャの空港でと、何度かお会いしました。気持ちのいいカップルでした。アカシアの木に止まっているのは、ハタオリドリかな?ジープで、木陰にセッティングされた朝食会場へ移動します。召使風の衣装の人たちが、サービスしてくれます。この仕切りの向こうには、洋式トイレ(水洗)がありました。一緒に気球に乗った方たちとともに、朝食。 ここでもシャンパンがいただけましたこの日は、私たちと上述の日本人カップル、アメリカ人カップル、オーストラリア、イギリスからの男性のほかは、すべてスペインからの団体様。スペインのご婦人方は、まるで大阪のおばちゃん。2年前なら太刀打ちできたのでしょうが、のんびりマラウイ生活で脳がとろけ始めている今の私は、彼女たちのパワーに圧倒されっぱなしでした。朝食後、気球の操縦士さんから、証明書をいただきました。帰り際、またもや私たちの車がパンク・・・朝食会場のすぐ間際には猿もいましたが、襲ってきませんでした。ワールドカップ予選先週の土曜までマラウイは、8対1というサッカーとは思えない得点数でアフリカンカップの覇者エジプトを上回り、リーグ1位でした。スポンサー数社から、選手それぞれにMK 10,000が支払われたり、国会答弁でもジブチ戦がネタになったりしていました。次はいよいよエジプト戦。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
May 3, 2008
タンザニアでサファリをする際、日程によってはンゴロンゴロ自然保護区までのこともあるようですが、私たちがセレンゲッティ国立公園まで行ったのは、気球に乗るバルーンサファリがその目的の1つでもありました。前夜、5時にモーニングコール、5時半出発と聞いていました。が、翌朝、5時に部屋まで起こしに来てくれた人が、今すぐ出発だと。他の人たちを待たせているぞ、くらいの勢いでまくしたてるので、慌てて飛び起き・・・たかったのですが、この頃、風邪が最悪前夜、あまり眠れず、体を引きずるように、やっとの思いで起き上がり、駆けつけました。が、まだ誰もいない・・・結局、寒い中、30分あまりロビーで待つことに。ようやく到着したお迎えの車↓道中、パンクしてしまったそうで前日のサファリ中にもパンクした車がいましたし、サファリでは日常茶飯事なのかもしれません。くいっくいっと4WDの車がすいすい持ち上がるのは、まさしくてこの原理だなぁと感心して、シャッターを押したところ、修理を手伝っていた白人さんに叱られてしまいました。失礼!結局、このパンク修理を30分あまり見守ることに・・・目的地に向かう道中、お散歩中のかばと遭遇。(写真がない)夜行性の彼らは、日中は水中でお昼寝夜は陸に上がり、とても危険なのだとか。目だけがぎらりと光っていました。気球乗り場では素敵な朝焼け。 気球の乗り方の説明と、注意事項がありました。この日は風が強すぎて危険とのことで、更に30分あまり、車の中で寒さにがたがた震えながら、待機することになりました。刻々と変わりゆく朝焼け すっかり明るくなってから、ようやくGoサインが出て、気球の空気入れが始まりました。 テリムクドリ ようやく出発!気球は8つの小部屋に仕切られており、それぞれ2人ずつ乗り込みます。↓写真は、同時に飛んだもう1機の気球。 気球から見られたのは、このヌー? 水牛?の他、ガゼルくらい。これまでマラウイでホースサファリ、ザンビアでエレファントサファリ、タンザニアでバルーンサファリを体験しましたが、いずれも動物を見るための手段ではないですね。乗ることに意味があるのかな?ちなみにこのバルーンサファリ、所要時間1時間とガイドブックやホテルのインフォメーションにはありましたが、私たちが乗っていたのは20分あまり。風向きによるそうで、最短で15分、長くて45分くらいだと操縦士はおっしゃっていました。昨日(6/8)のワールドカップ予選、マラウイは、0対1でコンゴに負けてしまいました。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
May 2, 2008
ンゴロンゴロ自然保護区に入った直後の山道で、トラックがぬかるみにはまって動けなくなっていました。 マサイも救出を手伝います。このように未舗装路で大型車が通行止めしてしまうこともあるから、やはり雨期のタンザニアはお勧めじゃないのかもしれません。(『地球の歩き方』によれば、3~5月が大雨期、11~12月が小雨期)ここでランチか? と長丁場を覚悟しましたが、(初日はランチボックスを、ガイドが持ってきてくれました)チェーンなどを使って、そのトラックを救出するまで、30分~小1時間待ったのかな? 意外に早く抜けられました。『地球の歩き方 ‘06~07版』(78頁)によれば、「ンゴロンゴロ自然保護区は南北16km、東西19kmのクレーターの底にあり、火口縁は標高2,300~2,400m、クレーター底の標高1,800m、深さ600mという世界有数のもの。ほとんどの動物はクレーター内で一生を過ごす。人間という動物が棲んでいない数少ない野生の領域でもある」とのこと。火口縁に沿って進み、しばらく走ったところで、クレーター内部を一望できる展望台へ。でも「先ほどの渋滞が押し寄せてくるから」と、車から降りることも許されず、車内からぱちりンゴロンゴロ自然保護区の中にあった、マサイの集落で、マサイの衣装で、サッカーをしている人たち発見!自然保護区のマサイは撮っちゃだめと言われていたけれど、かなり遠方だったから大丈夫かなと思い、ズームで隠し撮り 小さくてわかんないかサファリで最初に見た動物は・・・なんだっけ?? おそらく、ウォーターバックだと思うのですが?そして、しまうま ずんぐりむっくりしていました。ンゴロンゴロ自然保護区とセレンゲッティ国立公園の境目でランチ。但し、ランチは車内で食べなければなりませんでした。動物への影響を配慮してでしょうか?1人$10のランチボックス。串カツのようなものとサモサ、チップス、カステラのようなケーキ、バナナ、ジュースなど、かなりゴージャス&オイリーでした。その後、セレンゲッティ国立公園へ。私たちが動物園等で見慣れたキリンよりも全体的に茶色い彼らは、マサイキリンだそうです。残念ながら、ここでカメラの充電が切れてしまいましたがしまうま、キリン、ヌー、ガゼルなどが群れでわんさかいました。キリンは、なわばり争いがないのだそうです。数日間ともに過ごし、また別々に去っていく。別のところで、また別のきりんと出会えば、ともに過ごし、別れていく。そんなきりんのピースフルな習性から、タンザニアの何かのロゴはキリンを模していると言っていました。なんだっけ? すいません。サファリ中のガイドの説明、メモしてないです・・・「なわばり争い」がないのは、うらやましく感じました。この日と翌日のお宿はセロネラ・ワイルドライフ・ロッジ。Tel 255-(0)28-2621516通常1泊ツイン$250(3食付)のところ、4月は、大雨期でお客さんが少ないためか$160。この値段が、4月にサファリをする決め手になったんですけどね。高級ロッジのはずが、お湯が出ず、寒かったおまけになぜか窓ガラスが1枚入っておらず、むちゃくちゃ寒い。ストーン・タウンでひいた風邪も、この頃、最悪。みんなが美味しくないと言っていたスープの味もよくわからないまま、流し込んでいました。夜中もげほげほ咳が止まらないだけでなく、うなされていたそうで、同行のCも眠れなかった様子。ほんまごめん・・・昨日(5/31)のワールドカップ予選マラウイ vs ジブチ戦、8対1でマラウイが勝ったそうです。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
May 1, 2008
セレンゲッティ国立公園と、ンゴロンゴロ自然保護区をまわるサファリツアーに、4/1から3泊4日で出かけました。ガーナ、チュニジア、それぞれ2年間の活動を終えた元隊員の方たちと一緒に、車をチャーターできることになりました。アルーシャからンゴロンゴロ自然保護区にたどり着くまでに、道行くマサイがいっぱい前日訪れたマサイ村の人たちより、はるかにマサイっぽい「ンゴロンゴロに入ってからは、マサイにカメラを向けてはいけない。彼らが投石してくる危険があるから」と、ドライバー兼ガイドに注意されたため、ンゴロンゴロに着くまでの道中、ここぞとばかりに撮りました。 走行中の車からの撮影のため、なかなかうまく撮れない道中、トイレ休憩に寄ったところの物売りが、「間寛平の友達」と言っていましたが、カンペーちゃんも、タンザニアに来られたんですかね?ちなみにその物売りは、Tシャツなどの自分の商品と、日本製のボールペンと交換しないか? と言っていました。残念ながら、私は交換できるような日本製のものを持っていなかったのですが、ボールペン等が紙幣代わりになるかもしれません。遠くに見えたマニヤラ湖 『地球の歩き方』によれば、大地溝帯(グレート・リフト・バレー)の底にある、ソーダ性の水の湖なのだとか。ンゴロンゴロ自然保護区の入り口 ゲートの横には簡単な展示コーナーがあり、絵葉書やステッカーなども売っていました。ここのトイレのきれいさにびっくりして、思わずぱしゃり日本の皆さんからすれば、なんてことないトイレでしょうが、マラウイのニイカナショナルパークの入り口と比べれば、う~ん、20~30年くらい進んでいる感じ。1年半あまりのマラウイ生活で、「普通」に感激できるようになりました。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
April 8, 2008
マサイ村ツアーを申し込んだ際、ランチはお弁当が良いか、それともマサイの女性が作った食事を彼らと一緒に食べるか、選択肢がありました。迷わず、マサイの人たちが作る食事を選んだ私たち。が。いつもは、この家のお母さんが調理してくれるそうですが、この日は畑仕事に出かけていて不在。残念ながら、マサイの食事を味わうことはできませんでしたというわけで、ツアー終了後、村の入り口のレストランで、遅めの昼食となりました。牛肉です。野菜も、炭水化物もなく、肉のみ。これぞ、マサイちなみにタンザニア滞在中、このサファリとキリマンジャロというビールはどこでも入手可能でした。奥に写っている「MALTA」、ガイドが飲んでいたのですが、ギネスのノンアルコールビールだそうで、初めて見ました。↑このイーグルというビールは、ここでしか見ませんでした。奥でけだるそうに写っているのは、ドライバーです。その後、村の入り口から少し行ったところにある、クレーターに連れて行ってくれました。クレーターの中にある池に人影。クレーターの脇にようやくマサイらしい、放牧してはる男性発見!その後、ホテルまで送り届けてくれましたが、すっかり眠りこけていた私たちこのツアー、いくつか疑問が残りました。まず、公共交通機関を使った場合、1箇所のマサイ村しか行けないけれど、$ 50でプライベートカーを手配すれば、村から村への移動を歩きではなく車でまわれるので、マサイ村を何箇所もまわれると言われ、プライベートカーをお願いすることにしました。(詳しくはこちら→★)が、ここまでお付き合いいただいておわかりの通り、1日中、歩いて移動さらに伝統医師から見学料を請求されたり、ランチをマサイの人たちと一緒に食べられなかったりこの日にかかる経費と、マサイの文化と伝統維持のための寄付金込みで、一人$57をツアー会社に払ったことを知ったガイドがかなり驚いていたので、ツアー会社がマサイの人たちを食い物にしているのかと思い、チップとして10,000シリングはずんでしまいました。その後、ツアー会社の担当者に連絡を取りましたが、まだ仕事中とのこと。結局、夜10時ごろホテルに来てくれました。風邪が絶好調で、気力体力ともになかった私は休んでおり、同行のCが対応してくれたのですが、彼女曰く「誰を信用したらいいのやら?」ツアー会社は、ガイドが提示した詳細に従って金額を設定しており、儲けはほとんどないと言っているとのこと。明細によれば、私たちがチップなど渡さずとも、ガイドは相応の収入を得ているようでした。ガイドの所属団体に入ってしまうのかもしれませんが。農耕、定住化したマサイの人たちの普段の姿は、私たち日本人がイメージするマサイではなくマラウイの人たちと大差ない、どころかむしろ、マラウイより豊かだと感じ、あるいは日本の田舎を彷彿とさせました。農作業の合間に駆けつけてくれた歌とダンス、また伝統医師の姿から、日本の田舎に外国人が訪れ、いくつか村を歩き回り、「外国人が来たよ。ほらほら、 ちょんまげ&かつらかぶって、着物着て、刀刺して・・・ ○○さんは、蘭方医役」と、準備してくれている姿をイメージしてしまいました。『地球の歩き方』にはおすすめと書いてありますが、ん~? 日本の大都会に生まれ育った人なら、一見の価値あるかな?日本の田舎で育ち、マラウイに暮らしている私にとって、このために1日割くのは惜しかった。残念ながら、おすすめしないツアーでした私見、載せてもらってます→新BS ディベート「アフリカの声にどうこたえる」今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
April 7, 2008
その後、マサイの伝統医師のお宅を訪問しました。 黒と白の石を牛の角から作った容器に入れてふり、出てきた石の数で、病気や災難の原因や治療法がわかるのだそうです。例えば、泥棒が家にやってくる、という結果が出れば、ミリンダの空き瓶に入れられた粉末を家の周りにまく。すると、災難を逃れられるそうです。粉末の成分を聞きましたが、秘密だそうですストーン・タウンでひいた風邪を引きずっていたため、風邪の治療をお願いしたところ、西洋医学に基づく薬などを一切排除しなければならないとのこと。すでに薬を服用していた私は、治療を受けられず。さらに占いもできるというので、私の将来を観てもらおうと思いましたが、10分で30,000シリング($1≒Tsh 120、2008年3月当時)。日本で私が観てもらった占い師さんたちより高額のため、断念しました。ここにたどり着くまでの道中、子どもを病院に連れて行くガイドの知人の若夫婦に出会いました。その時は、伝統医師がいるのに、病院に連れて行く彼らの行動が理解できなかったのですが、実際に見学してみて、若夫婦の選択がなんとなくわかるような気がしました。見学終了後、一人5,000シリングを要求されました。二人の妻とその子どもたちを養っていかなければならないと。私たちはこの日にかかる経費、全部込みという契約で$57支払い済みであると領収書をガイドに見せたところ、ガイドが二人分10,000シリングをツアー会社から受け取り、後ほど届けると医師に説明してくれました。ツアー会社との契約に関しては後述するとして、「二人の妻とその子どもたちを養っていかなければならない」からとお金を請求されること、私は納得がいきません。養えないなら、なぜ二人も囲ったの? と。いつ訪れるやわからない外国人に頼らずとも、養っていける基盤をもって、結婚すべきだと思う。ちなみに我が家のハウスキーパーも、第三子出産後、おむつの洗濯に石けん代が必要だから援助して・・・云々、言っていました。その時にも、子どもができれば、生活費が余計にかかることは予測できるわけで、計画出産しようよ、と思ったのですが。・・・なあんて、これは日本人的感覚であり、アフリカでは通用しづらい理屈なのかもしれません。伝統と科学、文明の融合は難しい?今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
April 6, 2008
一昨日(5/14)のマラウイは、祝日でした。初代大統領の名を冠した、カムズ・バンダ デー。去年までは、6/14、フリーダム デーと呼ばれていたこの祝日。来年の大統領選を控え、初代大統領の支持者たちからの支持を得るため、急遽変えたとも言われており、「カムズ・バンダ デーって、なんだ?」と、疑問を口にするマラウイアンもいます。年度途中で突然、祝日が変わるのが、私には理解しづらい(そもそも「年度」という感覚が曖昧なのですが)。ちなみに昨年までは祝日だった12/26のボクシングデーも、急遽、今年から廃止されました。4連休がなくなったところで来月、NHKで放送される、アフリカ支援をテーマにした番組HPに私見を載せてもらってます。良かったらご覧ください→新BS ディベート「アフリカの声にどうこたえる」(6月上旬までの掲載だそうです) マサイ村訪問記を続けます。放牧から農耕へと、スタイルを変えたこの村の人たち。畑の風景は、マラウイと変わらない・・・遠くに見えた、牛とともにくつろぐ子どもたち水汲み帰りの子ども このおばあちゃんがなんだかキュートで、思わずシャッターを押してしまったところ、おばあちゃんと話していたおばちゃんも近づいてきてポーズをとるので、一緒に写りたがっているのだと思い、パチリが、その後、お金を請求されました・・・写真て、人それぞれですね。インドやマラウイの田舎など、撮ったことで喜んでくれる人たちもいれば、写真を嫌がる人たちもいるし、ミャンマーやペルー、マラウイの観光地など、写真を撮ったことでお金を請求されることもあり、断られるのも、お金を請求されるのも嫌で、だんだん写真を撮るのが億劫になっています。この時は撮ってしまったし、小銭を渡した方がいいかな?と思ったのですが、ガイドが止めていました。村人たちがこの種の現金収入を得ることへの抵抗、あるいは今後、この村を訪れる観光客への影響を配慮してでしょうか?伝統、プライド、異文化、現金収入・・・今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
April 5, 2008
これは、精霊の宿る木。草をお供えして、お祈りします。マサイの神社、といったところでしょうか。朝は寒かったアルーシャ。日が高くなるとともに気温も上がり、歩いているうちに体温も上がったのでしょう。すっかり温かくなりました。ガイドは着ていたジャンバーの片腕に、残りのパーツを収納。小さなサンドバック状態にしてジャンバーを持ち歩いていました。 これもマサイの智恵?道中、会った子ども。子どもはマサイも、マラウイも、やっぱりかわいい歌と踊りを見せてくれる広場へ向かいました。私たちの到着とともに、遠方から、歌い、踊りながらマサイ入場。歌とダンスが始まりました。 彼らが高く飛び上がるのは、悪い霊を地面に押し込めるためと、JICA マラウイスタッフから聞きましたが、このガイドによれば、マサイの戦士の強さの象徴なのだとか。 アカペラによる音楽はずっと同じなのですが、いろんな歌詞があるそうです。 彼らが持っていた長い杖の使い道をたずねたところ、武器であると、デモンストレーションしてくれました。彼らの足元を見ると・・・農作業の途中に、駆けつけてくれたのでしょうね。観客の子どもたち 30分ほどのデモンストレーションが終わると、きちんと並んで退場されました。明るく、社交的な人々でした。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
April 4, 2008
マサイのいす 座っているのはガイド 私たちもこのいすに腰かけ、ガイドがしばらくマサイについての説明をしてくれました。(風邪薬の影響か、やたら眠くて、うろ覚えですが)男性は14~5歳になると、割礼の儀式があるそうです。女性はすでに禁止されているそうですが、男性は今も行われており、このガイドも10年あまり前に受け、かなり痛かったそうです。割礼後は3ヶ月間、同じ時期に割礼を受けた子たちと一緒に、村から外れたある家ですごし、そこから出ることは許されません。その間、自分たちよりも先に割礼を受けた子たちが焼いてくれる肉をひたすら食べるのだそうです。そうして一人前のマサイの戦士になるのだとか。ちなみにマサイではベジタブルは女性の食べ物で、マサイの戦士はベジタブルを食べないそうです。トマトやなすは食べるそうですがこちらではベジタブル=青菜野菜のことなんですよね。つまり、マサイの戦士は青菜を食べないのだそうです。男性は牛の血を飲むそうなので、ミネラルはそこで補給しているのでしょうか。マサイは遊牧の民でしたが、この村は、異民族間の結婚により定住、農耕を始めた人たちだそうです。かつては一夫多妻制でしたが、妻をめとるためには牛1頭以上を渡さなければならず、経済的になかなか厳しいこと。さらにキリスト教の影響もあり、徐々に一夫一妻になっているとのこと。40~50代のこの家の主は妻を二人抱えているそうですが、20代のガイドは一人の女性を大切にしたいと言っていました。世代的に一夫一妻へと移行の時期にあるようです。牛乳を発酵させるためのひょうたん にわとりは家の外に専用家屋。鳴き声がうるさいから?水汲み帰りの子ども マサイでもマラウイ同様、子どもたちは働き者です。お母さんが持ち帰ったバナナにむしゃぶりつく子ども。最初は子どもたちもカメラを嫌がっていたのですが私たちが帰る頃には、カメラに大興奮お母さんと記念撮影をしようとしたところ、構図のなかにホーローのカップも一緒に入れたがる子ども。なぜ? ホーローのカップは高価なの?それとも思い出の品?このおばあちゃん、味がありましたね~マラウイでも、ヤオ族は今も割礼の儀式があります。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
April 3, 2008
これはアロエで、真ん中からにょきっと長く伸びている茎が、マサイの家の柱になるそうです。これはエレファントグラス。その名の通り、象のえさとなる草で、マサイの家の屋根になるそうです。 道端にあった露店。結構、いろんなものが売っていたので、びっくりしました。これは屋台ですが、雑貨屋さんには携帯のユニットの看板がかかっていましたし、ガイドも携帯で連絡を取っていましたちなみにこの屋台で売っていたバナナは、1年半のマラウイ生活のなかで、いちばん美味しいバナナでした(ここはタンザニアですけど)マサイの人たちが薬草として使うハーブ。 家の中を見学させてくれるお宅に到着。かがまないと入れない玄関。入り口の壁になぜか鏡が埋め込まれていたのですが、これはデコレーションなのだとか。壁や大黒柱は牛糞からできています。牛糞で壁を作るのは、インドで私が訪れた村と同じですね。最初の土台は男性が作り、壁を塗ったりするのは女性。1年ごとに建て替えるのだそうです。室内は、家の中心が居間、兼、台所。大黒柱の根元がコンロになっていました。 居間の周りにお母さんの部屋、女の子たちの部屋、玄関に近い左側が男の子たちの部屋、右側が牛の部屋、奥がやぎの部屋。もちろん夜だけですが、家畜と一緒に住んでいることにびっくり牛部屋 牛糞は、燃料にもなります。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
April 2, 2008
すべての旅程を事前にお願いしていた今回の旅行ですが、唯一、手配してもらえなかったのが、アルーシャでの歩いて行くマサイ村ツアー。自分たちで現地旅行社を探さなければなりませんでした。アルーシャに着いたのが日曜の夕方で、閉まっているお店が多いなか、旅行社を2軒回りましたが、ともに1人 $ 50。『地球の歩き方 ’06-‘07年版』には$ 20と書かれていたため納得いきませんでしたが、日本人観光客も多いのでしょう。先方も先刻承知で、こう言われました。「その本にはサファリ$ 80って書いてあるけど、 そんな価格でしてくれる旅行社など、今はないよ」確かに、空港からホテルまで、5,000シリングと書かれていたのが、空港前のタクシーカウンターで、現在は20,000シリングと言われ、支払った私たち。マラウイでも、原油価格の高騰により、物価が急上昇庶民の足、ミニバスの代金は1.5倍、食パンの価格は昨年に比べ、2倍になってますからね。そんなもんかな~と思ってしまいました。後日、空港から市内までのタクシーは、5,000~10,000シリングで行けることを知ったのですが当時はTsh 20,000が“フェアプライス”だと思っていました。歩いて行くマサイツアー。公共交通機関を使えば、$ 20だったか、$ 30だったか。その場合、マサイ村を1箇所しか行けないけれど、$ 50でプライベートカーを手配すれば、村から村への移動を歩きではなく車でまわれるので、マサイ村を何箇所もまわれると言われ、プライベートカーをお願いすることにしました。さらに、マサイの歌とダンスを追加すれば、$ 30。でも、この日はパンフレットに書かれているマサイのマーケットが開催されず、見られないというので、交渉、ねばった結果、歌とダンスつきで1人 $ 57にしてもらいました。ちなみにアルーシャで私たちが泊まったのは、ツイン、トイレ・シャワー共同で$ 9という安宿ですが、熱くてコックが回せないほどの熱湯がたっぷり出て、お湯シャワーを存分に浴びられました。Meru House InnMeruhouseinn@hotmail.comTel +255-(0)27-2507803 ストーンタウンでひいてしまった風邪が芳しくなかった私。持参していたパブロンを前日までに飲みきってしまっていたので、朝、薬局に寄ってもらいました。パブロンのような総合感冒薬など売ってないですからね。咳止めを求めたところ、マラウイの雑貨屋さんでも売っているものが Tsh 1,500、インド製が Tsh 2,000だったか、Tsh 2,500だったか。イギリス製の、咳止めだけでなく、鼻水にも効くというものがTsh 4,000だったため、イギリス製のものを買いました。($1≒Tsh 1,200、2008年3月当時)アルーシャの薬局 30分ほど車で走ったところで、村の入り口に到着。日曜であれば、そこでマーケットが開かれるのだとか。そこからは未舗装の悪路。途中、何度もスリップし、この先、私たちの乗っていたセダンで行けるのか、かなり不安でした。最初にオフィスで、この村の案内がありました。このオフィスはNGO団体のものらしく、ホテルまで迎えに来てくれたガイドの彼は、ここのスタッフ。外国人ボランティアたち(ニュージーランド人だったかな?)もこの村の学校で、活動中だそうです。オフィスから歩いて、村に向かいましたしばらく歩いた後、最初に教えてくれたのが、道端に植えられていたコーヒーの木からとったコーヒー豆 外皮をむき、中身を乾燥させるのだとか。アルーシャはキリマンジャロのふもとですからね。日本でも有名な、キリマンジャロコーヒーの産地です。キリマンジャロコーヒーの中でも、グレードの高い・・・名前を忘れました日本でも聞いたことのある銘柄だと言っていました。確か、さんまちゃんがCMしていたコーヒー缶にそんな名前のものがあったような気が??さらに歩くと、こんな立派な水路が。ん? この村って、もしや、マラウイより、かなり豊かなんじゃ??道中、ガイドの家を通り過ぎました。ガイドの甥っ子たち 学校もいくつか通り過ぎました。ちょうど休み時間だったらしく、たくさんの子どもたちが外にいました。 ん~。制服がきれい。破れた制服を着ている子どもたちがいない。うん、この村は、マラウイより、裕福に違いない・・・基準がマラウイになってしまっている私今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
April 1, 2008
あれ? 日記と旅程が1日ずれてしまいましたね。なんでだろ? ま、いいや。3/30は11:30にストーン・タウンの空港を発つ飛行機に乗るため、9時頃、パラダイス・ビーチ・バンガローを発ちました。パジェ、パラダイス・ビーチ・バンガローは本当に素敵な場所で、できることならもう1泊したかったのですが、今回の旅行は、旅程を事前にJICAに報告する必要がありました。ちょうど村の電話線が盗まれ、ネットが使えない時期だったこともあり、タンザニア国内線と宿、サファリの手配を、すべて事前にダル・エス・サラームにある、日本人が経営する旅行社にお願いしました。日本にいた時の私の旅のスタイルは、往復のエアチケットだけとり、あとの行程や宿は、現地についてから決めることがほとんど。ホテルを事前に予約する必要のある時にはネットからで、日系の旅行社を通したことなどほとんどない私にとって、今回の旅行は未だかつてない、ゴージャスな旅でした。そんなわけで、すべて旅程が決まっていたため延泊もできず、泣く泣く出発出発前、Sさんとの記念写真をお願いしたところ、警備員のマサイの人たちも気安く、一緒に写真におさまってくれました。空港まで、バンガローから手配してくださったタクシー(マサイの人の後ろに写っているバン)で$40(Tsh 50,000)が、このタクシー、途中で人を乗り降りさせ、よく止まる・・・同行のCが見かねて、「私たちは急いでいるんだ」と運転手に言ってくれましたが、貸し切りタクシーがミニバス化?スペースが余っているから、小銭を稼いでいたのでしょうか?空港に着いたものの、私たちの乗るはずのPrecision Airのカウンターが開いていない。イヤな予感・・・奥から出てきた係員に「もう出発しちゃったから、明日おいで」と言われましたが、その時点で、10:30。「私たちが乗るのは、11:30発の飛行機だよ」と言ったところ、しばらく待たされた後、事務所に連れて行かれました。パソコンに向かっていた、偉そうな係員曰く「誰かが、君たちのフライトを変えた。 (パソコンの画面を指し)この通り、明日のフライトだ。 明日来なさい」私「誰かってどういうことよ? 私たちがそのパソコンをいじれるっていうの? 私たちは今日中にアルーシャに行かなければならない。 今日の飛行機に乗せてちょうだい」係員「リコンファームをしていない、君たちが悪い。 明日来なさい」まったくらちがあかず、係員に「スワヒリ語はしゃべれないのか?」と言われたため、この航空券を手配してくれた旅行社の担当者に電話してもらいました。旅行社「この航空会社はダブルブッキング等も多いため、 早めに空港に行くよう、注意しましたよね? フライトの15分前に来たため、乗せられないと言っています」私「いやいや、私たちは1時間前にカウンターに着きました。」旅行社「今まで言われたことないですが、リコンファームが必要だと言っていますね。 この航空会社、トラブル多いんですよね」私「私たちがこの航空会社を指定したわけでもないし、 なんとか今日中にアルーシャに行けるよう、 御社からもプッシュしてもらえませんか?」旅行社「手配したといってもツアーじゃなくて、個人旅行ですから、 基本的にご自分で対応していただかないと。 今日は日曜で、タンザニアンスタッフとも連絡とれませんし、 電話で依頼するより、現場で対応してもらった方がいいと思います。 もし、ザンジバルにもう1泊することになっても、 ホテル代等は当社の免責事項です」私にしてはかなりゴージャスな代金を支払った手配旅行だったのですが、なんだか残念な対応なのでした強引にお願いした結果、係員はしぶしぶ、同日、ダル・エス・サラーム乗継、アルーシャ行きの便を手配してくれました。二転、三転する、筋の通らない説明に、かなり頭に来ていたので、係員の気分を害する言動を私がしてしまったためですが、かなり感じの悪い対応でした。C曰く、「相手はそれなりのポジションの人なのだから、相手を立てて交渉しないと」とのこと。確かにそうだけど・・・ 反省。アフリカ生活の長いK専門家は、「アフリカは、怒らず、焦らず、あきらめず」とおっしゃいますが、なかなか・・・。これまで日記に書き連ねたようなトラブルの数々を通じ、アフリカ人に、人間性を鍛えてもらっているような気もしますが、すぐ怒ってしまう私は、まだまだ修行が足りないですね。チェックイン時に、フライトスケジュールを見てわかったことなのですが、私たちが乗るはずだった便は、フライトが早まっていた様子。それを一切説明せず、「フライトの15分前にカウンターに来た」「リコンファームをしていない」などと訳のわからない言い訳をくり返すタンザニアン・・・しかし、あなどれないリコンファーム。席の確保だけでなく、フライトスケジュールの変更もあるため、事前のリコンファームが必要なのですね。国内線であっても。そんなこんなでしたが、なんとかザンジバルを出発。機内から見たザンジバル アルーシャの空港での、機内預け荷物の受け取りはこんな感じ。自分の荷物を各々取っていく。これも初体験でした。これもアフリカでは、大したトラブルじゃないのかも。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
March 31, 2008
ザンジバル東岸のパジェ。 どこまでも遠浅で、私が今まで訪れたなかで、いちばんきれいな海ここで、日本人女性Sさんがパラダイス・ビーチ・バンガローを経営して16年になるそうです。http://www.geocities.jp/paradisebeachbungalows/ ベッドにお花のサービス事前に予約していた私たちのために、いかの塩辛とお魚の酢漬けを作ってくださっていました。タンザニアにはキリマンジャロ、サファリなどいろんな銘柄のビールがありましたが、このンドヴが、私はいちばん口に合いました。私、お魚の酢漬けってあまり得意じゃなかったのですが、Sさんの酢漬け、最高 久しぶりの塩辛も最高これらと、パジェの素敵なビーチをアテに、ンドヴを数本飲んだ後、赤ワインのボトルを空けてしまいました マサイと白人女性のカップル 砂浜を自転車でやってくるもの売りたち沖の方まで行くと、馬ふんウニが獲れると聞き、1kmくらい頑張って歩きましたが、延々ひざくらいの深さでした。近辺ではむらさきウニしか見つけられず、残念ランチは、ザンジバルで手に入る麺を使った冷やし中華とシーフードチャーハンをオーダー。両方ともむちゃくちゃ美味しくて麺好きな私たちは、冷やし中華をもう1皿注文してしまいましたランチの間に、赤ワインをもう1本空けてしまいどんだけ食べ&飲むねん、お昼間から・・・同行のCとは訓練所で同じ班で、週末よく飲みに行っていたのですが、マラウイに来てからは任地が極北と南にわかれ、たまに首都で会った時くらいしか話す機会がなく、のんびりランチをしながら、この間のあれこれを話しました。夜は、Sさんお手製のお寿司&お刺身。これまた、美味しかったですね~途中から、Sさんも席に加わってくださって、一緒に酒盛りいろんなお話しをさせていただきましたが、「朝のバスのドライバーたちは、 嘘をついているのではなく、言い訳をしているのよ」といった視点をはじめ、特に印象的だったのは、「(協力隊の)たった2年で彼ら(アフリカ人)を変えようなんて無理だろうけれど、 自分が変わることに意味があるんじゃないかな」というお言葉。16年、ここで生活してはる重みを感じました。塩辛や酢漬けだけでなく、お魚のはらわた、茄子の炒め物、出し巻き卵などのアテも用意してくださって、どれもこれも美味しく、すっかり話し込んでしまいました。風邪の私は2時過ぎに失礼しましたが、Cとは3時頃まで話していたそうです。Cは「新婚旅行でまた来たい」と言っていましたが、わかりますね~。とっても素敵な場所私もいつかまた訪れたい場所ですSさん、たくさんお世話になりました。胃と心の洗濯今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
March 30, 2008
この日、ザンジバル東岸で、日本人女性Sさんがロッジを経営されている、パジェへ向かいました。前日、オールド・アラブ砦のカウンターで、パジェ行きのバスを予約。朝、ホテルまで男の人が迎えに来てくれました。マラウイのアフリカンタイムに慣れきっている私たち。30分は遅れてくるだろうとのんびり朝食を摂っていたら、予想外に早く来てくれました慌てて荷物を取りに戻り、慌しく出発したため、前日買ったばかりのタンザニア国旗のビーズ細工を部屋に忘れてきてしまいました前日、ひいてしまった風邪がかんばしくなく、道中、眠りこけていた私突然、一緒に乗っていた男に起こされ、「パジェから、パラダイス・ビーチ・バンガローまで10,000シリング。 払わないなら、今、ここで降りろ」と言われました。前日、予約した際、すでに12,000シリング払ったと領収書を見せましたが、パジェからバンガローまで、さらに10,000シリングかかるのだと言います。ザンジバル西岸のストーン・タウンから島を横断、東岸のパジェまで約1時間の道のりと、パジェ内の移動(約5~10分)が、ほぼ同じ値段なんてあり得ない。前日、カウンターで、予約をすればこの値段だけど、予約なしで当日乗ろうとすれば、値段が上がると言われ、私たちは予約したと説明しましたが、「お前らは予約していない」「じゃあ、なんで、ホテルまで迎えに来られたの?」と聞き返しても、訳のわからない説明をくり返すばかり。運転席の隣に座っていた男がカウンターに電話し、同行のCがその電話に出て、カウンターの人と話し、とにかくロッジまで行ってもらうことになりました。到着後、10,000シリング払えと、バスの後部座席に積んでいた私たちの荷物を渡そうとしません。やむを得ず自分たちで荷物を出しましたが、Cが鞄の外ポケットに入れていたお土産の絵をとりあげ、物色しながら、「返して欲しければ、10,000シリング払え。 さっきの電話でカウンターの人と話し、払うことに同意したはずだ。 払わなければ、警察につきだすぞ」と脅す始末。同意などしていないし、10,000シリングは法外だ。荷物をとりあげるなんて泥棒かと、Cと二人で彼らと格闘していたところ、バンガローの人たちが出てきてくれました。Clove Hotelからバスを予約するとTsh 16,800、Sさんのロッジから彼らに依頼するとTsh 19,200、私たちが依頼したカウンターはTsh 12,000だったため、おそらく、カウンターの人間が彼らへのリベートを払うのをこばんでいるのだろうというSさんのとりなしもあり、Tsh 5,000を支払うことになりました。まったく納得いきませんでしたが、Sさんにご迷惑をおかけするのも忍びなく・・・彼らの言い分は二転、三転し、なんとかお金を巻き上げようとする彼らは本当に気分が悪かった。オフ・シーズンで客が少ないこともあり、小銭を稼ぎたかったのでしょうね。日本円にしたらたった1,000円ほどのことで、真剣にけんかする私たち金額の問題じゃないんですよね。例えば、今はオフシーズンで客が少ないから、料金は倍と、最初に言ってくれていたら、納得して支払ったと思う。道中、儲けが少ないことに気づいたのでしょう。突然、契約を変え、筋の通らない理屈をとうとうと並べ、お金を巻き上げようとする彼らの根性に腹が立つ。アフリカらしいといえばらしいのですが、そんな彼らの生き方、主張を受け入れること、私は困難です。私たちが利用したのは旅行者向けのバス(と言っても、バン)でしたが、ザンジバルの人たちの交通機関ダラダラなら、2~3時間で行けるそうです。ダラダラ マラウイではマトラと呼ばれるこのタイプの乗り物、トラックの荷台に直接、人が乗り込みますが(写真はこちら→★)、タンザニアでは、屋根も座席もついている。さすがタンザニア空港のタクシーはパジェまでTsh 35,000と言っていましたし、人数が多ければ、タクシーがいいかもしれませんね。ピーク時ならいざ知らず、オフ・シーズンのパジェ行きバスはおすすめしません今朝のマラウイは小雨。この時期の雨は珍しいです。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
March 30, 2008
大聖堂を見学した後、かつて浴場として使われていた建物へ。 世界遺産の建物だと、入り口にいたおじさんに勧められ、入場料2,000シリング払いましたが、ん~、室内も狭く、これで2,000シリングは高いと思う。($1≒Tsh1,200、2008年3月現在)その後、この日のお宿、Clove Hotelへ移動。急遽、ストーン・タウンを2泊に変更したので、コーヒー・ハウスに連泊することができませんでした。オランダ人女性が経営するClove Hotelは、最上階のテラスで、ドリンクを飲みながら海を眺めることができ、かなり気持ち良かったです。ダブル$60(朝食付)http://www.zanzibarhotel.nl/Clove Hotelに置いてあったビラを頼りに、白人女性が経営、ザンジバル女性がしてくれるオイルマッサージを受けに行きました。オイルマッサージが終わった後、薬草をお湯につけたもので全身プッシュしてくれたのですが、その後、突然、マッサージ嬢がいなくなってしまいました。まだサービスが続いているのかなと思い、扇風機ががんがんまわっているなか、全裸でびしょぬれで5分以上。別室でマッサージを受けていた同行のCが着替えて部屋に入ってきて初めて、サービスが終わったことに気づかされました。そのお店を出る頃にはすっかり声変わりし、本格的に風邪をひいてしまったのでした夜ご飯は、ビーチサイドのおしゃれなカフェの砂浜に置かれたテーブルで、ろうそくのもとででも風邪のためふらふらで、味もよくわからず夜中も咳が止まりませんでした。同行のCは暑くてたまらなかったそうなんですが、風邪の私に気を使って扇風機を回さず、彼女は最上階のテラスで寝たそうです。申し訳ない、C。風邪を治したくて入ったマッサージで今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
March 29, 2008
目覚めのコーヒーか紅茶を、お部屋まで届けてくれるサービスのある、ザンジバル・コーヒー・ハウスやはりここは、ホテルの名前にもなっているコーヒーをオーダー。が、残念ながら、ぬるくて美味しくない・・・おしゃれなパッケージに入ったコーヒーを、1階の喫茶室やダル・エス・サラームの空港でも売っていましたが、買う気になれなかった。このサービス、しない方がいいんじゃ??朝食は、最上階のテラスにて。このテラス、イエメンのサナアで泊まったホテルの最上階にあった、カートと呼ばれる噛み煙草を楽しむ、男性の社交場とよく似ていました。 2005年8月、イエメン、サナアにて。左のおじさんが持っている草が噛み煙草、カート。噛んだ後、その葉っぱを頬がはちきれんばかりにぱんぱんになるまで詰め込みます。人によっては酔っ払ったりするそうで、近隣国では禁止されているそうです。話をザンジバルに戻し、朝食はジュース、フルーツ、菓子パン、シリアルは自由にとることができ、カフェ・ラテやエスプレッソなどのコーヒー類か、紅茶と、卵料理かパンケーキ、ワッフルから、オーダーできました。この日、ワッフルは選べませんでしたが・・・朝食では、アイスランドから来ていたご家族とご一緒になりました。奥さんは経営を大学で教えているそうで、1980年代に日本に来たことがあるそうです。小学生のお子ちゃまたちも、流暢な英語を話していたのですが、公用語はアイスランド語、学校の授業もアイスランド語、英語は学校の教科で習うだけなんだとか。なのになぜお子ちゃまたちは、私以上に流暢な英語を操る??朝食を摂っていたところ、またも大雨3月のタンザニアはやはり大雨期です朝食後、風邪気味の私を気遣い、同行のCが街まで傘を買いに行ってくれました。その傘を持って、大聖堂、Cathedral Church へ。かつての奴隷市場跡に建てられた教会です。ちなみに前日、入り組んだ路地に迷ってしまい、「Cathedral Church」への行き方を何度か尋ねたのですが、「Roman Catholic Cathedral」を教えてくれる人がほとんど。「Slave Market」の方が通じるようです。Roman Catholic Cathedral 『地球の歩き方’06~’07』(ダイヤモンド社、252、254頁)によれば、 アラブの奴隷商人は、東アフリカ全域より捕らえられたアフリカ人をザンジバルに運び、この場所に奴隷市場を造った。売り場は46m×27mの長方形で、三方はヤシの葉、一方は石に囲まれていた。市は16:00に開かれ、男の奴隷は土の上に、女の奴隷は離れた所に立たされていた。 奴隷と買い手の数はしばしば600人を超えるほどだった。アフリカ全体では奴隷船で毎年数十万人ものアフリカ人が運ばれたが、新大陸まで生きてたどり着いた人は1500万人、途中で亡くなった人はその5倍といわれる。 ↑アフリカの探検を続けたリヴィングストンが生涯を終えたジンバブエ北部Chitamboから運んできた木材で作られたという十字架奴隷を収容していた地下室も残っていました。身長158cmの私が、かがまないと歩けないほどの高さの部屋がコンクリートで2段に仕切られており、奥行きもさほど広くなく、ここに何人、収容されていたのでしょう?奥まで入ってみましたが、沖縄の平和祈念館やひめゆりの塔に似たぞくぞく感が若干あり、とても写真を撮る勇気はありませんでした。↑スウェーデン人の彫刻家が、1998年に作った奴隷の像残念ながら、説明書きがほとんどなく、詳しい説明は、本のコピーからなる、このボード1枚。他の観光客は英語、スペイン語?それぞれガイドに案内されていましたが、その方が、この地のことをよりよくわかるのでしょうね。↑Cathedral Churchの左奥の、白い尖塔はモスク。ムスリムと教会が共存した街。哀しみ、憎しみを乗り越えるつよさを、私も身につけたい。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
March 29, 2008
日本食レストランまで往復してくれたタクシーの運転手さんに私たちが泊まったYWCAから空港までの所要時間を聞いたところ、「15分」とのこと。しかし前日、3時間かかったことから、念には念を入れ、9時15分発の国内線に乗るため、同じタクシーの運転手さんに7時にYWCAに迎えに来てもらいました。が、早く着きすぎてしまい、チェックインカウンター前の荷物検査を受けられる部屋に入れてもらえず、1時間近くベンチで待つことに・・・ダル・エス・サラームから、飛行機でたった20分でザンジバルに到着空港での待ち時間を考えれば、船で行った方が安く、早いかもしれません。かなり揺れるそうですが。空港からホテルまではタクシーしかなく、交渉の末、10,000タンザニアシリング 。($1≒Tsh1,200、2008年3月現在)ここで簡単にザンジバルの歴史を。1499年、バスコ・ダ・ガマがザンジバルを訪れて以来、ポルトガル人が支配していましたが、彼らはアラブ人に追われます。1832年、オマーンの王、スルタンがザンジバルに宮廷をおき、その後、起こった奴隷貿易の反対運動の影響を受け、1890年にイギリスの保護領となるまで、その支配下にありました。1963年、イギリス連邦から独立、国連に加盟したものの、スルタンやアラブ人に不満を募らせていたアフリカ人によりクーデターが起こり、1964年ザンジバル人民共和国として独立。同年、タンガニーカ共和国と合併、タンザニア連合共和国となりましたが、今もなお、ザンジバルをひとつの独立国として考えている住民も多いとのこと。(『地球の歩き方’06~’07』、ダイヤモンド社、250、256頁)今もなお、住民のほとんどがムスリムで、顔立ちもアフリカ系ではなく、アラブ系の人がほとんど。ザンジバルの中心は、世界遺産ストーン・タウン。アラブ風の建物と入り組んだ路地が、その特徴です。 この日のお宿はザンジバル・コーヒー・ハウスという、ストーン・タウンの内陸部にある素敵なホテル。バス、トイレは専用だけど、部屋から離れた場所にあるツイン$75(朝食付)に泊まりました。バス、トイレが室内にあるお部屋は$90のようです。Tel : 255-(0)24-2239319http://www.tanzania-adventure.com/zanzibar-coffee-house.htmhttp://www.zanzibarcoffeeshop.co.uk/index.html素敵なホテルで、まずしたことと言えば、シャワー、洗濯 前夜、停電、断水でしたから・・・電池を切らしていたカメラを充電して出かけたので、この日の写真、ありませんウェルカムドリンクは、1階の喫茶室のメニューから選べました。ホテルの名前に「コーヒー」が入っているのですから、カフェ・ラテをチョイス、一緒にチョコレートケーキをいただいたのち、街を散策に出かけました。観光地のため、お土産やさんも多かったです。動物がくっついてたり、描かれている食器とか、柄が動物になっているサラダフォーク&ナイフとか、デザイン豊富な布やアクセサリー、マグネット、キーホルダーなど、きっとね、日本から直接来たら、しょぼく見えたと思うんですよ。所詮、アフリカですからね。でも1年半、世界最貧国の1つマラウイで暮らしている私たちにとって、久しぶりにふれる文明心わき踊り、入り組んだ路地に誘われるまま、お土産やさん巡りになってしまいました。まだ2日めなのにお土産やさん巡りで歩き疲れたため、18世紀、要塞として使われた、オールド・アラブ砦のなかのレストランで、ビールを飲みながら休憩。片言の日本語を話すお兄ちゃんに話しかけられ、同行のCは、彼を相手にスワヒリ語の練習をしていました。夕方、1883年にスルタンが式典用に建てたという驚嘆の家をようやく観光。夜は、オールド・アラブ砦と驚嘆の家の間の、細い道に連なる屋台街で、先ほど、砦で話しかけられたお兄ちゃんと再会。彼が働いている屋台でえび、いか、まぐろ、ロブスターなど、シーフードの串焼きを食しました。ん~。私は、シーフードは生が好きかな。特にロブスターは、時間が経っていたのか、いまいちでした。屋台は他にもいろいろあって、「ザンジバルピザ」という看板の食べ物、売り子たちは日本語で「お好み焼き」と言っていましたね。一銭洋食みたいな感じかな?アジアでよく見られる、さとうきびジュースもありました。ザンジバルはスルタンの支配時代、スパイス産業が発展したそうですが、屋台のさとうきびジュースもジンジャーたっぷりで、風邪気味の私にはぴったりでした。ムスリムの町ですから、屋台でビールを売っていない、飲めないのがツライ。屋台の客引きのお兄ちゃんに、食べ終わったらビールを安く飲めるお店に行こうと誘ってもらっていたのですが、なんだか風邪がひどくなりそうだったので、お誘いをお断りして、早めに宿に戻ることにしました。そう、この頃から、風邪気味だったんですよ・・・さとうきびの搾り器、マラウイにもあればなと思うのですが、マラウイではひたすら、さとうきびをかじる。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
March 28, 2008
そんなこんなのAIR MALAWIですが、定刻通り、タンザニアの首都、ダル・エス・サラームに到着。 かなり大きな都市であることが、機内からもうかがえます。空港も、マラウイよりもかなりイケてます。事前にタンザニアJICA事務所から届いた注意事項を守り、カウンターでタクシーを依頼し、ブリーフィングのため、事務所へ向かいました。空港では曇天だったのが、道中、突然の激しい雨 雨はますますひどくなり、みるみる道路が浸水。途中でタクシーが動かなくなり、たまたま近くにいた、別のタクシーに相乗りさせてもらうことになりました。先客は、タンザニアで1年半働いているアメリカ人。「ザンジバルに行くなら、東岸のパジェで、日本人女性がバンガローを経営しているから、そこでゆっくりするといい」と、薦めてくれました。道路浸水はますますひどくなるばかり。 飾られているのはタンザニア国旗停電のため、信号も機能せず、大渋滞。通常なら、空港から15~20分で行ける事務所まで、3時間かかりました。「新記録ですね」と、タンザニア事務所のボランティア調整員の方に言われました。彼らも「赴任以来、初めてのこんな大雨」だったそうです。その他にも大きなトラブルがあり、かなり焦ったものの、なんとかクリア。ようやくその日のお宿、YWCAにチェックインしましたが、大雨のため、停電、断水・・・とりあえず荷物だけ置き、タクシーで、韓国人が経営する日本食レストランOSAKAへ向かいました。数ヶ月ぶりのお寿司、お刺身、揚げ出し豆腐、海老のから揚げ、海鮮鍋、日本酒などに舌鼓。(カメラの充電を切らしてしまって、写真がない)食べ過ぎましたトラブル続きの旅の始まり今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
March 27, 2008
3/26(水)~4/5(土)まで、タンザニアに行ってきました。私たちは2年で20日間の任国外旅行が認められており、マラウイ隊員が現在、許可されているのはタンザニア、ザンビア、モザンビークの3国です。ザンジバルやキルワ、ンゴロンゴロ、セレンゲティなどの世界遺産、観光名所の多いタンザニアの場合、40日前までに旅程を提出して、マラウイ、タンザニア両JICA事務所の許可を得なければなりません。さらに到着後、安全情報などのブリーフィングを受ける必要があるため、JICA関係者の受け入れは1ヶ月につき30人までと決められています。(2008年3月現在)タンザニアは7~8月がベストシーズンと、先輩隊員から聞いていました。でも、その時期は現職教員の再訓練プログラムが入る可能性があり、3~5月はタンザニアの大雨期のため、直前まで迷っていましたが、8月には見られない、ヌーの大群が見られるということで、思い切ってこの学期休みに行ってきました。 2008年2月のインフレ率が16万4900%というジンバブエの隊員が、利用を許可されないAIR MALAWI。でも私たちがタンザニアに行くには、安全上、陸路は認められておらず、ケニアも南アも経由できないため、AIR MALAWIしか手段がありません。今まで手書き、自由席、いろんなエアチケットをもらいましたが、会社名の入っていない、白紙のチケットはこれが初めてです。出国審査では、女性には女性の係官があたり、財布や化粧ポーチの中身まで、鞄の中ほぼすべて開けられます。「プライバシー」などという言葉は存在しません。マラウイクワチャの持ち出しがMK 3,000までに限られているからだそうですが、隣国にもっていったところで紙くず同然のマラウイクワチャ。係官が物色しているとしか思えない。私の化粧ポーチから、アイブロウライナーを物珍しげに確認、「これは私(=係官)のものか?」と聞かれました。同行のCは、ライターと防虫スプレーを2本とられ、マラリア予防に不可欠だから、未開封の防虫スプレーを返して欲しいと訴えたところ、あっさり返してくれましたしね。安全対策の荷物検査とは思えない・・・機内から見るマラウイ湖 朝の機内食。オムレツか目玉焼きか選べました。↑写真を見て、おかしな点にお気づきになりましたか?「朝からビール」、確かにそれもおかしいんですけどビール瓶が配られるのですよ。ビールだけでなく、ファンタやコーラ、いずれも瓶。がっしゃん壊せば、たやすく凶器となり、ハイジャックしようと思えばできてしまうのではないか?「荷物検査」に意味があるのか、ますます疑ってしまうのでした。AIR MALAWIなぞハイジャックしたところで、発言力にはなり得ないということでしょうか?帰りにフルーツを持っていたら、「私の分は?」と聞かれました。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気blogランキングへ
March 26, 2008
Bingu Mutharika、みなさんはご存知でしょうか?歌手? スポーツ選手? いえいえ、マラウイの大統領なのですよ。御年75歳。こんなこと覚えたところで、日本で行われるどんな難関試験にも、マニアックなクイズにも、出題されないと思いますが。来年が大統領選のため、積極的に遊説に出かけているようです。この日は同じ敷地にある、教員養成カレッジの卒業式にも出席。(この卒業式、去年は5月だったのが、今年は3月。 カレッジのスケジュールがよくわからない・・・)にぎやかな歌声に誘われ、9時ごろカレッジに行ってみましたが、8時半到着予定の大統領はまだ到着しておらず彼の顔がプリントされた、おそろいの衣装に身を包んだ政党支持者とおぼしき女性たちが歌い、踊りながら、彼の到着を待ちます。 写真を撮っていたら、警備の警察官に怒られてしまいました。カレッジからの卒業式への招待状を提示したところ、「学長に許可を得てくるから、ここで待ってて」と言われ、大統領の到着までは撮影してもいいけど、大統領の写真は撮ってはいけないと、厳命されました。スーパースター、Luciusより厳重だわん。大統領のお歩きになる場所には、赤じゅうたん 婦人会?だけでなく、民族衣装?を着た子どもたちも踊っていました。時間が経つにつれ、ギャラリーも続々と増え・・・赤じゅうたんの先に、カレッジスタッフたちが整列。 ハリーポッターみたい。左の青いマントの方は博士号を持っており、他の方たちは学士、ここには写っていませんが、黄色のマントの人たちは3年で得られるディプロマという資格と、マントの色で、その人の資格がわかってしまうのだそうです。アメリカ人ボランティアたちも、それぞれマントを羽織っていました。私はマントを持っていませんから、なんとなくうらやましかったです。ヘリコプターで、大統領到着。 007みたい。結局、彼が到着したのは11時すぎ。卒業式の開始時刻も遅れました。分刻みで、そのスケジュールが新聞に書かれる、某国総理大臣とは大違い。しかし、ヘリコプターで2時間遅れって、当日の朝、首都を出発したのでしょうか?彼は教育省のトップでもあり、その彼が2時間あまり遅刻って・・・生徒に「時間を守りましょう」という指導は難しいなと思いました。数メートル先に見た彼は、恰幅が良く、年よりお若く見えました。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気blogランキングへ
March 22, 2008
またまたすっかりご無沙汰してしまいました。月刊になりつつありますね 私のブログ。この間、マラウイは出場できなかったサッカーのアフリカンカップとか、(1~2月ガーナで開催、エジプト優勝、カメルーン2位)時機を逸してしまったネタもいくつか・・・活動等でばたばたしていたのもありますが、2月上旬に盗まれてしまった村の電話線、1ヶ月あまりかかってようやく復旧したのもつかの間、4月上旬にまた盗まれてしまったそうで、今もまた、家からネットができなくなっています「電話線を盗んだ人は、それをどうするの?」とマラウイアンに聞いたところ、「自分の村につなぐんじゃない?」と言っていました。のんびりした国です。同じ敷地にある教員養成カレッジには高速? LANが走っていますが、2月はカレッジがプロバイダーへの料金未納のため、使えませんでした。が、今回はカレッジのLANが使えるのが救い。少しずつ、この間のできごとをupしていきますね。 この日は私のお誕生日でした。昨年は、携帯電話会社が火事のため、携帯が使えず、(こうして書いてみると、次から次へと、 日本ではあり得ないことが起こってますね、マラウイ生活。)イエ電のプリペイドカードを切らしており、まったく一人きりの誕生日でした今年はお誕生日前日に、家族と、かつての教え子からお祝いメールが届いたのに始まり、日本からお祝いメールやカードも何通かいただきました。携帯にも、当日早朝、飲み友達イッサから、その後、同じ敷地に住むアメリカ人たちからもお祝いメールをいただきました。お昼は、韓国流にわかめスープで、自分のお誕生日を祝いました。夕方、イッサとダグラスがうちに来てくれたため、特別な日のためにとっておいた、家族や日本の友達が送ってくれた芋焼酎とおかき、チゲ(トッポギ入り)を奮発してお祝いそのおかきは、うに入りだったため、普段、シーフードに接する機会の少ない彼ら、とりわけダグラスは大はしゃぎ。さらにダグラスが、芋焼酎の水割りを「うすい」と言うので、焼酎を足すと「濃い」と言い、水を足すと「うすい」と言うので、さらに焼酎を足す・・・という、往年の花紀京さん(吉本新喜劇)のネタを、素でしてくれたため、一人、大爆笑吉本新喜劇 ギャグ100連発 保存版(DVD) ◆20%OFF!帰り際も、何度も「もう帰る」と言いながら、グラスを差し出し続けていましたダグラスは、日本でもコメディアンになれるに違いない。「バンダ(=ダグラスの名字)センセイワ、カッコイイ~、オモロイ~、デキル、オトコ」「I’m not ヨッパライ」「I’m not ナンパ」などと、怪しい日本語を操りますしね。チゲを食すダグラス 彼らがHappy Birthdayを歌ってくれました。こちらの歌詞は、Happy Birthday to you Happy Birthday to you Happy Birthday dear ○○ Happy Birthday to you~の次に、 How old are you? と続くのですよ。聞かんでよろしい、そんなこと・・・イッサ・ミシェック 素敵なお誕生日でした♪久しぶりにぽちっ↓とありがとうございます
March 5, 2008
またまたすっかりご無沙汰してしまいました。先輩隊員たちから、1年を過ぎた頃から時間が経つのが早く感じるようになると聞いていましたが、ほんまにこの半年、終わってみればあっという間でした。特にこの3ヶ月は精神的にかなり辛くて、眠れなかったり、食べられなかったりしました。一人で考え込む時間を作らないため、活動に没頭し、次から次へとすべきことを自ら作っているうちに、あっという間に経ってしまいましたね。2月上旬には村の電話線が盗まれてしまったため、ネットができない環境でもありました。そんなマラウイ生活最大、人生でも数えるほどのピンチを抜けたと実感できたのが、このLucius Bandaのライブでした。Lucius Bandaは私でも知っているほど、マラウイでは超有名な歌手そのライブが3/3/月、近くの町ゾンバでありました。ちなみにこの日はMatyrs’dayといい、独立のために闘った闘士をしのぶ祝日でした。Luciusのライブは、マラウイ最大の都市Blantyreでは入場料MK2,000(約2,600円)くらいするそうですが、旧首都ゾンバではMK400(約520円)也。会場へと続く道 開始時刻よりも2時間ほど遅れて行ったのですが、まだ前座のバンドが歌っていました。小1時間ほどして、ようやくLucius ダンサーズの登場。 メインダンサーのこのおなかが、私はとても気になりました。マラウイでも近年はスリムがもてはやされ、無理なダイエットをする若い女性もいます。このメインダンサーの脚とおなかは、やばいんじゃないかと思い、マラウイアン(30代、男性)に確認したところ、彼は彼女のことを太っているとは思わないそうです。ん~。マラウイなら、私でもダンサーになれるかもそして、Luciusの登場。ダンサーに見劣りしない巨漢です。そんな超有名人の写真を、こうしてバシャバシャ撮れてしまう、マラウイの大らかさが素敵↑私の飲み友達、同じ学校でチチェワを教えているChatha先生と、隣村の学校でフランス語を教えているIssa先生。踊ってます。会場で一緒になったご夫婦。この奥さんのご陽気さにも助けられ、彼女と抱き合い、踊りまくっていた時、なぜか涙がこぼれましたもう、大丈夫。私は生きていける、と私が突然、泣き出してしまったため、ChathaとIssaに心配をかけてしまい、申し訳なかったですその後も閉演まで、踊りまくりました後日、ゾンバのレストランや、隣村のボトルストアで、見知らぬ人たちから、「こないだLuciusで、踊ってたね~」と声をかけられました。私ってば、目立っていたのね お気づきかと思いますが、久しぶりに日記に写真を添付することができました。それも日本からカメラを運んでくださった、先輩隊員Mさんのおかげ ありがとうございました。そして申し訳なかったけれど、心底、心配してくれたChathaとIssaにも、本当に感謝いろんな人に支えられて、私はマラウイでの生活を続けられています。ありがとうやっとマラウイのことを好きになり始めました。久しぶりにぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
March 3, 2008
またまたお久しぶりです。先週水曜から村中、イエ電が使えず、我が家からネットにつなぐことができません。(ぴーろぴろぴろぴろ・・・と、まるで宇宙人と会話するかのような、 懐かしの電話回線、平均50kbpsでつないでいるのですよ。 皆様のところになかなかお邪魔できない or お邪魔してもなかなかメッセージが残せないのもそのためです。)同じ敷地にあるカレッジには高速? LANが走っているのですが、大学が料金を滞納しているそうで、去年の年末から使えません。JICA事務所に提出すべき書類も送れず、予定を早めて上京、ようやくネットにつなげられています。昨日は書類を事務所に持参すべく、朝、いつもよりも早く出たのですが、公共交通機関? ミニバスが来ないやむを得ず、空のマイクロバスを止めたところ、近くの町ゾンバにある国会議事堂まで議員を送った帰りの、政府のミニバスが首都まで戻るところだそうで、乗せてくれることになりました。ミニバスより若干、安いお値段で私だけでなく、道中、何度も客を拾っていました。公用車で小銭を稼げてしまうことに、びっくり。月給10,000クワチャ(約12,000円)にも満たないそうですし、小銭稼ぎも黙認されているのかもしれませんね。しかしこのマイクロバス、遅い・・・ミニバスは日本のバンタイプの中古車、年代ものの整備不良の車で、平均時速100kmくらいでびゅんびゅん飛ばすので、途中で止まる回数が少なく、早ければ首都から4時間ほどで着くのですが。このマイクロバスは平均40~60km。さらに道中、眼鏡屋さんや本屋さん、レモンやマンゴー、モザンビークとの国境の村ではモザンビークワインなど、何度も止まり、お買い物。返す返すも、公用車を私的に使えてしまうことにびっくり。ミニバスでは補助席と合わせて3人がけのシートに4人座り、身動きできない状態なのに比べ、ゆったり座れ、風景も見られる。(ミニバスでは、ほとんど車内しか見られません)さらにドライバーからのミニ情報は、今まで何度も通った道なのに知らなかったことも多く、例えば-村に突然、立派な建物があるので、何だろうと思っていた その建物はモザンビークとの国境、イミグレだったこと-見晴らしのいい丘からの眺め、 奥にはマラウイ湖が見えていること-Ntchewでは座位で埋葬するため、お墓が円形などなど、プチ観光気分で楽しかったです。が。首都まであと1時間あまりの町で、「数キロ手前で知り合いの車が故障しているから、 整備士をそこまで連れて行く」と一旦引き返し、さらにドライバーは南部にある、マラウイ1大きな都市ブランタイヤまで戻らなければならなくなったと、その町で降ろされてしまいましたミニバスに乗ろうとしたのですが、通常の1.5倍の料金をふっかけられ、乗らず。たまたま通りかかった首都に戻る自家用車が乗せてくれました。運転手は母親くらいの年代のマラウイアン、ムスリム女性でした。かつてアメリカで看護師の資格を取り、働いていたそうで、今は首都や、南部の避暑地マンゴチなどでご商売をされているそうです。子どもさんのうち3人がアメリカで結婚、生活しており、今週末から4月まで、アメリカの子どもさんのところへ行くのだとか。旅行がお好きで、アメリカには毎年訪れ、昨年末には何度目かのサウジアラビア(ムスリムですから巡礼)、南アやインドなど、あちこち行かれたそうです。「子どもたちも皆、独立して、主人と2人だから 小さな家に引っ越したの」というお宅に連れて行ってくださいましたが、いやいやいやいや、JICA事務所の調整員宅並みの豪邸家財道具も立派で、ただ見惚れるばかり・・・マラウイアンの中にも、こんな富豪がいらっしゃるのね、とマラウイの“マハラジャ”生活を垣間見せてもらった気分。ミルクティーとパンをごちそうしてくださった後、JICAドミトリーまで送ってくださいました。オマーンやイエメンを旅した際にも、たまたま知り合った人や通りがかった家にご招待され、何度かご馳走になりました。旅人? をもてなすのは、ムスリムの習慣なんですかね?結局、いつもの1.5倍ほどの時間がかかり、事務所にも行けずじまいでしたが、なかなか楽しい旅でしたまったり、のんびりからの発見。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
February 13, 2008
以前、ミャンマーで乗った馬車の御者が、ブラックの女性が黄色い花を耳に飾っているのを見て、「カラードが、カラーをつけている」と笑っていました。先週、職員室に、博物館でしかお目にかかれないような蛇腹式の、かなり年代もののカメラが。生徒が、親に売ってくるように言われたと、学校に持ってきたのだそうです。マラウイでいくらくらいになるのか、同僚に聞いてみましたが、値は付かないそうです。「授業料が払えないから、親にカメラを売ってくるように言われたんじゃないか?」と、同僚たちは笑っていました。マラウイで、セカンダリースクール(日本の中学3年~高校に相当)に通えるのは就学年齢人口の20%程度。学校に行きたくても通い続けることができない、授業料が払えない子どもたちも多いのです。いずれの事例も、私は笑うことができません。そういうことで笑えるか否かで、人としての思いやりの深さの違いを感じ、残念に感じたりします。では、「先進国」の人が思いやりや道徳的に優れているかと言えば、もちろんそういうゆとりのある人たちも多いだろうけど、一概にそうとは言い切れないと感じます。同じ敷地にアメリカ人ボランティアたちが住んでいます。彼らのサイクルは短く、以前、ご紹介した人たちの幾人かはすでに帰国したり、任地変更等で、今は、新しいメンバーも増えています。彼らと接していると、彼らも噂話に翻弄されていたり、人の陰口や批判もありますし、彼らにとってもここでの生活は、ストレスが高いのだろうなと感じます。私も、日本人との関係に消耗したり、傷ついたり、逆に傷つけたり、迷惑をかけてしまったり・・・昨日、学校で、もう一人の日本人ボランティアが担当している学年のある男子生徒から、彼の所在を聞かれました。私 「首都に出張中で、今週の火曜か水曜には戻ってくるよ。 何か教科のことで、質問?」生徒「ううん、I miss him.(=彼に会いたいんだ)」私 「彼を愛してるんだね」生徒「Yes, also you.(=もちろん、あなたのこともね)」私は担当していない学年の生徒で、以前、村で道に迷った時、たまたま会い、学校まで一緒に歩いたことがあるだけなのですが、「also you」、彼のそんな心遣い、優しさが胸に染みました。人に優しくできるか、思いやりをもてるかは、国籍ではなく、おかれている環境や状況に拠るところも大きく、そして精神的なゆとりがあるか否かかもしれません。私も、ゆとりを持ち続けていたいものです。いつも笑顔で、人の素敵なところを吸収していきたい。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
February 5, 2008
木曜、先週に引き続き、同僚がカレッジでしている家庭科教育論の授業を見せてもらいました。指導要領を遵守すべき、という内容でした。指導要領を学生各自が持っているわけではないので、教師がその内容を口頭で伝え、筆記することに主な時間が割かれていました。指導要領は1冊約1,000クワチャ(約1,200円)くらいしますから、確かに、マラウイの物価から見ても高いと思います。でも携帯電話や衛星放送の見られるテレビ、DVDプレーヤーなどを買う余裕のある先生たちも多く、授業の基準となる指導要領や、教科書を買うよう指導しても良いのではないかと思います。学生さんも、国からお給料が支払われていますしね。大学の授業で、口頭で伝えられた教科書や指導要領の内容を書き写すことに多くの時間を割くのはもったいないと感じました。私は学生時代、指導要領の時代経過や背景を学び、その問題点を考察する、骨太の指導教官に導いてもらったことを再確認しました。 金曜、SMASSE(中等理数科教員再訓練プロジェクト)の月1回のミーティングがありました。夏に行われる、年に1度の職員研修会に向けた授業案づくりが始まっています。この日は、2件の訃報に対する黙祷から始まりました。1件は、参加者の息子さん。もう1件は、JICAマラウイ教育分野の現地職員Freedomさん。先日、ふとFreedomさんが学校にいらっしゃった時のことを思い起こしていたその日、帰ったら訃報メールが届いており、びっくりしました。天に還られる前、うちの村にも寄ってくれたのかもしれませんね。私にとって、現地職員のなかで唯一、お名前とお顔が一致する方でした。謹んでご冥福をお祈りします。以前にも、この会合の参加者が亡くなったそうですし、同僚は先月、義理の弟と伯父、2件の訃報が続いたそうです。マラウイアンにとって死は特別なことではなく、身近なことなのだと、改めて感じました。さて、ミーティング。参加者が書いてきた授業案に対する、教員養成カレッジの先生からの突っ込みは、なるほどと思わされることも多く、私が突っ込めない、英語の壁を感じました。去年は、文法や単語のチェックにかける時間=授業案の体裁を整える時間のように感じ、その時間が長すぎると感じました。でも、彼らも第2言語ですし、表現を確認し合うことで、考えていることを共有しあっているのかなと、改めて思いました。しかしやはり、もっと授業の中身を議論すべきだと思いました。どういうアクティビティを、授業の中にどのように導入すれば、より生徒の理解を深めることができるのか。残念ながら今回は、そんな話し合いにまでたどり着けませんでした。 1つには、資料があまりにも足らない。カレッジの先生の手元にも専門書がないらしく、参加者が学生時代にとったノートと、私たちが普段使っている教科書を使って書いたようです。最後の全体シェアリングのなかで、参加者から、事務局のインターネットを使わせてほしいという提案があり、使えるようになったのは、1つ前進だと思います。しかし私自身、教材研究をする際、ネットから情報を選び出すだけでも時間も労力もかかりますし、それが正しい情報なのか見極める目も必要ですしね。専門書が不可欠だと思います。また、専門家を講師に招くのも有効だと思いました。参加者が"table setting"など各分野のエキスパートになるよりも、外部資源を活用し、それをいかに授業に盛り込み、生徒の理解を深めるかを考えるのが、我々家庭科教師の仕事だと思うのです。 マラウイ生活もあと8ヶ月となり、残された時間の短さに対する、焦りも感じ始めました。去年もっと積極的に関わっていたら、今年、何かの提案をできたのかな、という後悔も、正直あります。でも悔やんだところで、過去は変えられないですしね。1年目は、日本の家庭科を伝えたいという気持ちが強すぎたのだと思います。さらに日本に捨ててきたものと、マラウイで得られたもののあまりのギャップに、悔やむ気持ちも大きかった。日本で最後に勤めた学校でも1~2年目、かなりしんどかったのは、システムや環境の違いもしかり、失ったものと得られたものの差も大きかったです。それでも3年目にはやりがいを感じ、4年目はラクさせてもらってました。ここでも同様に、環境に慣れ、未練を考えないようにし、仕上げの段階に入ったのかなと思います。ようやく「パートナーシップ」という単語を実感しはじめました。できることから、少しずつ。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
February 1, 2008
年末から、電気関係にたたられているかのような我が家。冷蔵庫が、今にも歩き出しそうな、旧式、二層式の洗濯機のような騒音を立て続けているのに始まり、2口電気クッカーのうちの1つが加熱しなくなり、残りの1口は弱火で、調理に時間がかかりすぎるため、新調。3,600クワチャ也(約4,500円弱)が、新調したクッカー、1口はなぜか弱火にしてもつまみが自動で強火に巻き戻るため、温度調節不能さらに突然の大雨の際、鞄のなかに入れていたデジカメが使えなくなりました。これは2年前までマラウイで活動していた先輩隊員が今月、マラウイにいらっしゃる際、私のかつての同僚が預けてくれた荷物とともに新しいカメラを持ってきてくださることになりました。人のつながりに本当に感謝新しいカメラを、実家からその先輩隊員宛に送ってもらった同じ日、雷にmacのアダプターがやられました。間に、雷防御つきの変圧器を入れていたにもかかわらず、その変圧器も壊れました。恐るべし、マラウイの雷。同僚のPC隊員に聞いても、macなので、おそらくマラウイでは入手不能だろうとのこと・・・これもご無理をお願いして、学生時代、かつ最初の職場の先輩に代用品を探してもらい、来月、マラウイに戻ってくる同期隊員に届けてもらえるよう、依頼中。人のつながりに本当に感謝さらに、土曜の夕方から今日の夕方まで丸3日間、停電が続きました。たまたま土曜の夕方、道を歩いていて目撃した同僚によれば、電柱のヒューズがスパークし、青色の火花が飛んでいたとのこと。私は、日本の無償資金協力で2年前に建てられた教員住宅に住んでいるのですが、同時に建てられた女子寮を含め、以前からあった校舎や教員住宅等、同じ敷地の建物を合わせた消費電力が、トランスフォーマーの容量をオーバーしており、ヒューズのスパークにもつながったのではないかというのが、理科の先生の見解。一番大きな都市ブランタイヤから、新しいトランスフォーマーをクレーンで運び、直すのに少なくともあと3日はかかると言われていました。先述のmacのアダプターの件で、日本と連絡取るべく、今朝から授業の合間をぬって、同僚の経営するお店で充電させてもらい、学校の電話線につなぎ・・・ と大騒ぎでしたが、今日の夕方、復旧。日本にメールを送ることもでき、久しぶりのお湯シャワー&電気クッカーで料理もできます冷蔵庫&冷凍庫の中身はほとんど腐り、被害は甚大でしたが・・・マラウイアンも「This is Malawi」「何事も、カメレオンのようにゆっくりしか進まない」と言っておりました電気の使えない3夜は、とても長かったです。ろうそくの灯りでの読書も思うようにはかどらず、マラウイアンが子だくさんな理由がちょっぴりわかった気がします。「日本にもこんな停電、あるの?」と、同僚たちに聞かれました。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
January 29, 2008
マラウイは雨期、今も大雨&雷です。先ほど、家のヒューズが落ちました。今も流しているiTuneが、聴こえづらいほどの雨音。日本なら、台風や警報の時くらいしか見られないようなこんな大粒の雨や轟音の雷鳴が、1日中続くわけではなく、毎日、数時間。それ以外は曇天で肌寒かったり、からっと青空でやたら暑かったり、気温差も激しく、体調をくずしている生徒たちも多いです。今日は、うちの警備員アフィークに、レインコートを買ってあげました。300クワチャ(日本円で400円くらい)のポンチョと、1,500クワチャ(1,800円くらい)のレインコートと迷いましたが、この大雨の中、外にいてくれるし、無遅刻、無欠勤で花壇や畑を作ったり、草刈り等、本当によく働いてくれていますからね。レインコートを奮発しちゃいました。数日前には20cmくらいのチャンボと呼ばれる魚を3匹買ったため、1匹を夜食用にあげたところ、「子どもたちに持って帰りたい」とのこと。村で手に入るのは煮干サイズの小魚が多く、珍しかったのでしょうか。なんていいお父さんなんだ と感動し、ついつい2匹、持たせてあげちゃいました ところで年末から、精神面のみならず、生活環境でもトラブル続きです。徐々にお話したいと思いますが、とりあえず今日は水道のお話。すでに何度か書きましたが、まだ続いているのですよ、水道トラブル。新築の家に入ったにも関わらず、最初の請求書から、私が住む以前の請求も含まれていたため、それに関しては学校が払うと、学校側と水道局と話し合い済み。6月、7月、9月は銀行から代金を振り込んだのですが、どうやらそれが届いていないようだったので、7月、振込通知書を近くの町ゾンバの水道局まで持っていったところ、対応してくれた女性職員はそれをコピーしていました。が、8月。料金未払いで、いきなり止められ、村の水道局へ行き、振込通知書を見せて説明。(詳しくはこちら→★)10月に再び止められたため、学校の副校長に近くの町まで同行してもらい、振込通知書をはじめ、これまですべての請求書と領収書のコピーと、その一覧表を渡したところ、対応してくれた人が「彼女は料金を銀行から振り込んでいるのが、我々の手元に届いていない、 我々の問題だから、水道を止めることのないように」とのレターを書いてくれたため、それを持って村の水道局へ。その時、副校長が、「水道をいきなり止めるのではなく、事前に学校へ連絡するように」と言ってくれたところ、以来、11月、12月、1月と毎月、学校に料金未払いの警告電話がかかってきました。11月、12月は自分一人でコピーを持って行き、銀行や水道局で同じ説明を繰り返しましたが、その都度担当者が変わり、進展なし。先週、また警告電話がかかってきて、ようやく学校が私が住む以前の請求分を支払ってくれることになったため、彼らとともに近くの町の水道局へ行き、「銀行から振り込んだと、もうこれで5回目の説明。 ちゃんと調べて、明日電話して!」と怒ったところ、翌日、「振込みは確認された。もう請求書には記載されない」との電話をもらいました。今週、新たな請求書が届いたため、今日支払いに行ったところ、案の定、銀行から振り込んだ分は未だ確認できていないようで・・・電話をくれた人は一体、何を調べたんでしょ?半年に渡り、何度も足を運び、説明し続けても話が通じないことに、怒りを通り越して呆れるとともに、マラウイアンにはかなわないと思いました。 今日は料金調査係の担当デスクが不在だったため、隣の部屋のえらそーな人に相談。「マラウイ生活はどう?」と聞かれたため、「快適よ。水道のこの問題以外はね」と答えたところ、「利用者の問題を解決することが僕の仕事であり、 担当者に、再度調べて連絡するよう伝えるよ」と言っていましたが、信じられなくなっている私。きっと来月の請求書にも、その分は記載されていることでしょう。わかりやすく説明するねばり強さや、怒らない冷静さを学ばせていただいているのかもしれません。お役所的体質なのか、それがマラウイ流仕事のやり方なのかわかりません。でも家には、誠実なアフィークが働いてくれていますしね。吉凶混合というか、捨てる神あれば拾う神ありというか、去年は嫌でたまらなかった任地や活動に、癒されている今日この頃です。日本の「常識」は通用しづらい国。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
January 26, 2008
今年は毎日、学校へ行っています。「当たり前のこと」なのにね。去年はそれさえ、できなかったんですよ。授業以外は学校へ行かず、週休5日制 家に引きこもっていました。赴任直後に体調を崩している間に、学校が休みに入ってしまい、2ヶ月間、打ち合わせすらできなかったこと(詳しくはこちら→★)。やっと学校が始まったその日、マラウイアン家庭科教師が転勤してきて、私の持ち時間数が減ってしまったこと(★)。事務所に相談したところ、「日本の学校の良さを伝えてください」と励まされ、時間割の組み方を伝えようとしたところ、私が組んだのとは異なる時間割が実施されたこと(★)。生徒たちがデータを整理、分析した経験が乏しいことを知り、自らの生活を客観的に観察、自分の頭で考察する経験を重ねる必要性を感じた(★)矢先、国家試験対策のため、教科書を板書するよう指示されたこと(★)。マラウイアンが自分でできることは自分ですべきだし、ボランティアが来た結果、自分ですべきことをしなくなったり、逆に、通常業務に支障が起こるのであれば、本末転倒。ここで試験や掃除の監督などの1マンパワーにさせていただくことが「ボランティア」や「国際協力」とは思えなかったこと。同じ学校に私以外にも日本人ボランティアが2人いたため、日本の文化を伝えることは彼らがするだろうと思っていたこと・・・などなど私がここで何ができるのか、何をすべきかわからず、自分を見失い、ストレスのかたまりだった1年3ヶ月。去年は職員室にいるのが嫌でたまりませんでした。彼ら、おしゃべり好きで、また地声も大きいんですよ。職員室でとても教材研究ができず、ipodを聞きながらしていたこともありましたが、そのうち、家でするようになってしまいました。彼らとのコミュニケーションも、拒んでいたのだと思います。でも昨年、夏のSMASSEで、マラウイアンにとって挨拶がとても大切なことを知り、今年は職場でも、通りがかりの人とも、自分から挨拶をするよう心がけています。そんな「当たり前のこと」も、できなかった去年今週は初めて、同僚マラウイアン家庭科教師の授業を見せてもらいました。最初の頃は、日本の家庭科や学校教育の良さを伝えたいという気持ちが強すぎたのだと思います。正直、彼女の授業を見たところで、学ぶべき点はないと思っていたし、授業を見ようとすら思えなかった。彼女は同じ敷地にある教員養成カレッジでも教えていますが、今までは正直、教師の卵に対してこそ、“ほんまの家庭科”を伝えたいし、彼女よりも私こそ教えるべきだと思っていました。英語もできないのにおこがましい話ですが、カレッジで教えている日本人ボランティアもいますしね。情けない話です。1年3ヶ月経ってようやく、彼女の授業を見てみようという気持ちの余裕ができました。見てみれば、予想していた通りのチョーク&トーク、教師が持っている知識を一方的に与える銀行型教育(パウロ・フレイレ)でした。カレッジではチョークさえも使わない、教師はトーク&学生はwriteでびっくり逆に感動しました。教師の一言一句を書き取れる彼らに。マラウイの大学では、それくらいの英語力が何より大切なようです。去年だったら、そんな授業に対して批判しか感じなかったけど、楽しかったですね。彼女や生徒や学生さんとともに過ごす時間が。変わりましたね、私。こうして彼女の授業に参加させていただくことが彼女との関係づくりの一歩であり、パートナーシップを築いた上で、数ヵ月後には何か提案できたらと思っています。まずは相手のことを知らないと、伝わりにくいですよね。例えば、カレッジの授業で、家庭科の授業に影響を与える要因として、最初に「language」が挙げられ、次に「専門知識と技術」、「環境整備と道具」、「教師の資質」と続き、最後が「生徒」でした。英語は第二言語だし、専門用語も多いという説明もわかりますが、やっぱり授業の主体は「生徒」だと、私は思うのです。残りの任期の間に、そんな視点を伝えられたら良いのですが。今、できることから一歩ずつ。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
January 25, 2008
私が4歳の時、母が長期入院した日であり、私が中2の時、盲腸の手術をした日であり、そして、協力隊の2次試験もこの日でした。なんだか印象深い出来事の多かった1月20日。またまたお久しぶりです。夏休みの絵日記状態になっていた私のブログですが、この間、いろいろありました。昨年の12月、マラウイ生活最大のピンチを迎えました。マラウイに来た直後の3か月もストレスが高く、体調を崩したり、配属先に赴任したものの学年末休みに入ってしまっており、science科長(マラウイではなぜか家庭科もscienceの1科目)や家庭科担当者に会えず、授業準備もできず、何度、帰国しようと思ったかわかりません。今回のピンチは、その時以上に辛かったですね。あまりよく眠れず、食べられない日々が数週間続き、人生で最低の年末年始でした。隊員生活中に自ら命を絶つ人もいらっしゃるそうですが、ふとそんな方たちの気持ちがわかるような気がしたし、以来、生きて帰ることが、今の私の最大の目標になりました。学校が始まり、ここに書いた通り、休日出勤や12時間労働を続け、マラウイに来てから最高に働き者の時間をすごすことで、考えすぎないようにしていましたが、今度はリバウンドか、食べ過ぎてしまったり・・・やはり家で、一人の時間がだめですね。ピンチはチャンスと言いますし、この困難を自分のものにすることで、より魅力的になって帰国したいと思います。私のマラウイ生活も、あと8か月あまりになりましたしね。泣いても笑っても同じように時間がすぎていくのなら、笑ってすごした方がいい。残りのマラウイ生活を満喫したいと思います。詳細を語るのはやめておきますね。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
January 20, 2008
7日の月曜から、新学年が始まりました。(マラウイでは1月から新学年が始まります。 入学式も、始業式も、身体計測もありませんが)9日(水)の職員会議で時間割作成委員が決まりました。(新学年が始まってから時間割をつくる、 日本では考えられない、のんびりした学校です)昨年、私が活動でつまづいたきっかけの1つが、この時間割作成でしたからね(詳しくはこちら→★)。今年はどうしても組み方を伝えたいという気持ちが強く、委員に立候補。10(木) 私の配属先は、40分×9時間授業が週に5日、うち2時間は全校集会と清掃のため、週43時間しか授業はできません。前日の職員会議で発表された各学年の科目と時間を総計したところ、今年も案の定、各学年とも49時間、48時間・・・各科長さんに調整してもらうことから始めなければなりません。(これに対し後日、授業が足らないとおっしゃる人もいました)さらに日本なら、市販の時間割作成用キットがありますが、ここはマラウイ。昨年のカレンダーの裏面と瓶の王冠で代用。王冠を拭いてくれた生徒と、黙々と科目とクラスを書き入れてくれたMr. Nazombeに感謝。11(金)から組み始めたものの、1日で終わるはずもなく、12(土)も休日出勤。ようやくできあがった夕方、ひょっこり現れたMr. Nazombeに言われました。「同じ学年の同じ科目は、同じ日に実施しなければならない」例えば、1年A組で月曜に生物の2時間連続授業があれば、1年B組の生物も、月曜に2時間実施しなければ、「授業の内容を忘れてしまう」こちらでは一人の先生が多学年に渡り、2~3科目を担当しますから、そうなのかもしれませんね。しかし、日本ではない発想で、再度組み直し。このルールは結構しばりが大きく、人によっては6時間授業の日もあれば、1時間授業の日もあると、非常にアンバランスな時間割になってしまい、申し訳なかったです。昨年、このアンバランスが理解できませんでしたが、このルールに引っ張られていたのねと、納得・・・13(日)も休日出勤、18時頃までしたものの完成せず、14(月)朝6:30に出勤し、授業開始前にようやく完成!・・・と思いきや、この日突然やってきた教育実習生のため、再々度組み直し。この日の午後、ようやく完成しました。15(火)は祝日でしたが、午前中出勤して、時間割入力のお手伝い。16(水)職員室用の掲示ができ、ようやく一段落。この間の作業をずっと付き合ってくださったMr. Dzimbiriはじめ、Mr. Kububa、Mr. Chimberengaに感謝。実際、組む場面ではやはり自分でしてしまった部分も多く、手法がうまく伝わったとは思えないけど、やりたいことをさせてくれる、配属先の懐の深さに感謝です。私自身、去年なら「最初に言ってよ!」と思ったであろうことも、じゃ、これをより良くするにはどうすべきか?と、発想がたくましくなったような気がします。マラウイアン気質に慣れつつあるのでしょう。自己満足今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
January 16, 2008
なぜかパソコンの電源が入らなくなってしまったチョンデの飼い主さん。成績処理に必要とのことで、我がパソコンを持参したところ、肉じゃがを作ってくださいました。築数十年と思われるチョンデの飼い主さん宅。雨漏りのためか天井の一部に穴が開いています。幅十数センチのカーテンレールが、恰好のチョンデの足場となり、天井裏へ出入りするようになってしまいました。後日、↑写真のチョンデがいる真上あたり、1m四方あまりの天井が落ちていたそうです自然崩落? それとも・・・ 飼い主さんが成績を提出した後、飼い主さんと仲良しのチポヤ先生とともに、チロンジレのボトルストアへ行くことになり、採点でお忙しいダグラス先生もで呼び出してしまいました。飼い主さん宅で2次会をすることが多いのですが、この日はダグラス先生がご自宅に招いてくださいました。ほんま突然の訪問でしたが、イヤな顔1つせず、ご家族の夕食をわけてくださった奥様、素敵ですそれにマラウイでは、ご主人は来客と一緒に食事しても奥様は台所にいらっしゃることが多いそうなんですが、奥様も一緒に食事してくれたのもうれしかったですねこんな風に、旦那様が友達を連れて帰ってくるような家庭が私の理想 できるだけ早く、実現するのですSONYのテレビ でもテレビ放送は見られず、DVD観賞用とのことダグラス先生は『ブラック・レイン』を何度も見ているそうで、飼い主さんのことを「ケン タカクラ」「ユーサク マツダ」と呼んだりします。その『ブラック・レイン』や、ナイジェリアのミュージックDVDなどを見せてくれました。ナイジェリアは年間映画制作本数がインドを上回るほど、映像や音楽が盛んなのだそうです。私はまだ見たことありませんが、韓流並のメロドラマも多いそうですよ。ダグラス先生の息子さん 長男の名前も「ダグラス」。マラウイでは、長男に父親の名前を与えるのが一般的なのだとか。次男はうちのハウスキーパーの次男コータローとほぼ同じ年くらいですが、コーよりかなり大きかったですね。ダグラス先生も背が高いですしね。 親子って不思議。そっくりな表情をしますね世界のケン・タカクラ ブラック・レイン今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
December 2, 2007
おそばせながら、あけましておめでとうございます皆様、新年はいかが迎えられましたか?2008年、皆様と皆様のご家族、大切な人たちが笑顔と健康で満たされ、今まで以上に素敵に輝く1年となりますよう、お祈りしています。 長いバカンスを終え、今日(2008/1/7/月)からようやく仕事が始まりました。先週の土曜、最後の旅行から家に戻ってみれば、夕方から翌昼過ぎまで、21時間あまりの停電雨期の最中で、雨&雷が多く(今も雷、鳴ってます)、倒木のため、電線が切られたのではないかとのこと。こちらはユーカリの木が多いんですよ。弱いんですかね? ユーカリ。さらにイエ電のプリペイドカードがなくなってしまったため、今日、近くの町まで買いに行ったところ、電話会社がお休み。平日なのになんで? と思いきや、ストライキ中なのだとか。おかげでプリペイドカードは品不足、便乗値上げも横行中。12月には私たちの移動手段、ミニバスがストで、公共交通機関がマヒしてましたし、現代日本ではなかなか味わえない、停電やストライキを満喫? させていただいております・・・ 年末のある日、我が家の風景です。ソファのカバーがぼろぼろになっていたので、模様替え? 布を換えてみました。↑ハウスキーパーの次男、コーは今、コンロの下のこの空間↓がお気に入り自分の家に見立て、「今日はここで寝る」と言っているそうです。つまようじのふたを杯に、ビールの空き瓶を傾け、ぷはーっと言っております。将来は酒豪?2月に生まれた末っ子のヘレナも自力で座れるようになり、人見知りもするようになりました。長男のサムは、歯が生え替わりの時期です。 母親のマーガレットが洗濯物を取り込んでくれている様子。器用にその場でたたみ、頭上に乗せていきます。(腰に巻き付けているのがチテンジ。背中に、 みの虫状にヘレナが巻き付けられています。)↓我が家のペット、ではないのですが、よく出没します。3センチくらいのものは、かわいいと感じるようになりました。この子は、大きな虫を丸飲みしたようで、数時間、この状態で動けずにいました。今年もよろしくお願いいたします。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
December 1, 2007
チョンデの飼い主さんが、ダグラス先生と飲みに行くとお声をかけてくださいました。ダグラス先生が持っているのが、「チブク」と呼ばれるマラウイやザンビアの地酒。地域によって、メイズと呼ばれる白とうもろこしや、米、きびなどが材料になるそうです。それらの粒々が残っている、飲み物と言うより、ザ☆穀物を食べるという感じ。(中身の写真はこちら→★)「チブク」を英訳すると「SHAKE SHAKE」。よく振ってから飲まないと、大量の沈殿物が残ってしまうのです。これをこしたら、韓国のマッコルリみたいになるのかな。1本飲んだら、私はおなかいっぱいになります。マラウイアンは何本も飲んでますけどね。この日のダグラス先生のランチはチブクだそうで我々日本人に、「ピリ」「バンダ」(ともに鈴木、佐藤並みに多い名字)などのマラウイアンネームをつけるのが好きなマラウイアンが多いですが、この日、飼い主さんも命名されました。「チブク」と。↓ボトルストアのマスコットボーイ2次会はやはり飼い主さん宅で。飼い主さん宅の周りは、野生の猿がうようよしています。子連れの猿を他の猿たちが守っていたのが印象的でした。「酔っぱらい」ダグラス先生とチョンデ 今日は1日がかりで家じゅうを大掃除。すっきり~明日は、SMASSE(現職理数科教員再訓練プロジェクト)のコアトレーナーたちの今年最後のミーティングに参加。その後、首都に上がり、年末年始はマラウイ湖で過ごしてきます。2007年も大変お世話になりました。皆様、良いお年をお迎えください。11月下旬からの日記は来年に続きます・・・今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
November 15, 2007
Ntcheuでは、青少年活動のSKさんも今年の11月まで活動してはりました。SKさんが、配属先のメンバーとともに作らはった、バスケットコート そのSKさんが、後任のMくんと一緒に、Ntcheu散策に連れて行ってくださいました。歩いていると、マラウイアンたちからひっきりになしにSKさんのお名前が呼ばれ、車で目的地まで送ってくれた人も。 ←コレ、車の荷台。↓Ntcheu名物?のチプシ屋さん。 マラウイは旧イギリス領のためか、どんな田舎の村にも、チップス屋さんがあります。なかでも、Ntcheuのこのお店のチプシは(マラウイアンは語尾に「i」をつけることが多く、 「チップス」よりも「チプシ」の方が通じやすいです)日本のポテトに近く、美味しいとSKさん大絶賛Mちゃんも、わざわざ途中下車して、このお店に寄るほど。Mちゃん曰く、ビニール袋に入れるとべたついてしまうので、この店先で食べるのが最高なのだとか。確かに、美味しかったです。SKさんによれば、このお店はチプシだけでなく、キャベツの千切りもNtcheu1細いそうで、夕食用に、キャベツ1玉分の千切りをお持ち帰り(約100円)。確かに、まな板も使わず、かなりの細さの千切りが、みるみるできあがっていきます。「日本のトンカツ屋さんの前で、この作業をしていれば、 客寄せになるんじゃないか」とSKさんはおっしゃっていました。SKさん命名「Ntcheuのドンキホーテ」確かに食料品やソフトドリンク、新聞、石けんなどの日用品だけでなく、卓上スタンドをマラウイに来て初めて、このお店で見ました。確かに、なんでも揃いそうです。 壁にへばりつく人たち 何をしているのかと思いきや、塀の中では、サッカーの試合が行われているのだとか。 大人だけでなく、子どもたちからも大人気のSKさん。進行方向から歩いてきた子どもと、いきなりアルプス一万尺が始まりました。SKさんのお宅 相田みつをこよなく愛するSKさんのお部屋のカレンダーはやっぱり 蚊はとってもお嫌いだそうで、「昨夜、蚊帳の中に蚊がいた」と、中に残っているはずの蚊を必死に退治。 SKさん宅のマットを持って、T隊員宅へ移動。マットを担いでいるのはMくん。 夕食は、T隊員がとんかつを揚げてくれました。細切りキャベツとともに、美味しくいただきました♪SKさんのポジティブさ、見習わなければ!今日もぽちっ↓とありがとうございます人気blogランキングへ
November 12, 2007
皆様、クリスマスはいかがおすごしでしたか?こちらは今日12/26はボクシングデーで、昨日から2連休。(詳しくは昨年の日記をご覧ください→★)カレンダー上は24日のイブは平日でしたが、電力会社は午前中のみの半休、電話会社も午後はお休み(半休か、全休かは未確認)。5連休の人も多いみたいですね。 飼い主さんのお誕生日翌日。首都に上がられるチョンデの飼い主さんと一緒にミニバスに乗り、私は首都までのちょうど中間点にあたるNtcheuで下車。そこで活動中の、T隊員の料理教室を見学しました。飼い主さんや、私の同期男性隊員たちから、アイドルのように扱われているT隊員。野菜隊員として、野菜の育て方だけでなく、その普及のため、村々で料理教室もしてはります。この日のメニューはマヨネーズの作り方と、ポテトサラダ、大豆入り野菜サラダ。 右の写真の、手前白いシャツの女性が、私の祖母を彷彿とさせ、なんだかほっこりしてしまいました若いお母さんが使っていた、おんぶひもが大人気。他の参加者たちも代わる代わるおんぶひもを試していました。こちらではチテンジと呼ばれる2mほどの布で、赤ちゃんをみの虫状態で母親の背中にくっつけるのが一般的なので、おんぶひもは珍しいのです。 ↑チテンジの上にニットを巻いた状態。赤ちゃんが生まれた時、ニットを送るのが習慣だそうで、ニット帽&服を着ている赤ちゃんもよく見かけます。暑いのに、なんでニットなんだろう?こういうおっぱいぽろりシーンもよくみかける光景です。11月下旬に帰国したT隊員は、この日がこの村で最後の活動とのことで、村人からチテンジが贈られました。T隊員はチテンジ集めがご趣味だそうですが、その彼女も持っていない珍しい柄だそうです。Ntcheuはモザンビークとの国境に近く、おそらく、モザンビークの物ではないかとのこと。「国境」といっても柵があるわけでなく、村人は普通に行き来できるようです。 夜は、お料理上手なT隊員、お手製のコロッケでもてなしてくださいました。 その後、「ガイヤの夜明け」というテレビ東京の番組を見せてもらったのですが(もちろん録画データ)、市立病院の民営化というお話で、私が子どもの頃、遊んだ児童館が映っていたことにびっくりまさかマラウイで、本籍地の風景を見るとは。一緒に見ていた他の隊員が「マラウイみたいだな~」とおっしゃっていましたが、ハイ、確かに我が本籍地は、マラウイ並みのとんでもない田舎です・・・ 翌朝には、T隊員の愛犬がマラウイアンに売られていきました。200クワチャ(約240円)也。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気blogランキングへ
November 11, 2007
当日は朝から、お誕生日のメッセージを書きました。それとは別に、お誕生日メッセージを新聞広告に載せてもらっていたので、(こちらの新聞には、そんな広告コーナーがあるのです)その新聞と、デコレーション用のいちご等を買うため、近くの町、ゾンバまでお出かけ。メイン料理は以前、習ったとんこつラーメンと豚の角煮を披露しようと思ったのですが、たまたまこの前日、事務所から、中部地区で豚コレラが発生したため、他地区でも豚を扱う際は、よく火を通すようにとの連絡が入り、安全上、豚を扱うのは断念飼い主さんはコロッケがお好きなので、コロッケがメインになりました。デコレーション用の生クリームの泡立てにも1時間あまりかかり、飼い主さんがいらっしゃるまでにコロッケが完成できず、飼い主さん、ご自身に揚げてもらいましたメニューは、・近くの町ゾンバでは手に入らないカマンベールチーズと、 りんご、トマトのオードブル・クリーム&ポテトコロッケ、鶏の唐揚げ・きゅうりととろろ昆布の酢の物・デザートは、すいかのポンチ。これらの写真を撮っておけば良かったそして、デコレーションケーキ 間違いなく、人生で一番手間のかかったケーキです。日本なら、電動ミキサーもあるし、オーブンの温度調節、材料の買い出し(生クリームは大都市にしか売っていません)等、1/6くらいの労力でできそう。プレゼントは、ジンがお好きな飼い主さんのため、タンカレー(マラウイではなかなか手に入りません)に、先述の新聞広告と手書きのカード。この新聞広告に載せる写真を送るのが、ちょうど我が家が停電でネットが使えない時で、同じ敷地のカレッジや隣家で充電させてもらい、新聞社と何度もやりとりをして、大変だったんですよ。以前、このブログに飼い主さんのお写真を載せていたところ、大変、怒られたので、新聞広告も嫌がらはるかな?と思い、1番小さな写真で、1社のみにしました。(マラウイの新聞、メジャーは2社)が、予想外に喜んでくださって、もっと大きな写真&2社に依頼すれば良かったと思いました。ちなみに、この広告を見たY隊員から、「お誕生日おめでとう」との連絡が入ったそうです。タンカレーはこの日のうちに3/4くらい空けてしまい、うち1/3くらいは私がいただいてしまいました普段、とってもお世話になっているお方ですし、マラウイでできる精一杯をさせてもらったかなという感じです。最近、会えば、けんかばかりでしたが、この日の飼い主さんは優しかったですね。お祝い事、好きなんです今日もぽちっ↓とありがとうございます人気blogランキングへ
November 10, 2007
11/8はチョンデの飼い主さんのお誕生日でした。いつお祝いできるかわからなかったのですが、前日の夕方、当日来てくださるとのご連絡をいただき、早速、仕込みの開始。こちらでも大都市なら、砂糖のかたまりみたいな甘―い市販のケーキが手に入りますが、私の住んでいる村ではそれも入手不能。まず、薪オーブン用の炭を買いに行くことから始めました。量りも、電動ミキサーも、温度調節のできるガス or 電気オーブンもないところで焼くスポンジケーキ。この日は湿気が多かったためか、炭に火をつけるだけで30分以上かかり、やっと起こった火を、他の炭に移すのにまた30分以上。この状態で、ようやく卵の泡立てを始めたものの、泡立て器が電動ではないので、やたら時間がかかる。別立てなんて、してられません子どもの頃、いとこのお姉さんがたまにケーキを焼いてくれましたが、当時は電動ミキサーもなく、手でしてはりました。彼女はケーキ作りがよっぽどお好きだったんだなと、あれこれ思い返しながら。時折、オーブンの火が小さくならないよう、風を送り、炭を混ぜ、足しながら、再び卵を泡立て・・・の作業をくり返し、1時間以上かかったでしょうか?ようやく生地ができ、いい頃合いのオーブンに入れて、焼いてみたものの、ふくらまない小麦粉を入れすぎたかな? と思い、再度挑戦してみることにしました。2枚目の準備に台所に立っていたところ、ふらーっと一瞬、記憶をなくし、しゃがみ込んでしまいました。防犯上、窓を締め切った状態で、炭を大量に使っていたため、一酸化炭素中毒だったのかな?頭が痛く、気持ち悪くなってしまったため、仮眠。(以来、炭のにおいを嗅ぐと、うっとなってしまいます)夜中の1時過ぎから作り始めた2枚目のケーキ。同様に1時間あまりかけて、卵の泡立て。今度は火がだいぶ小さくなってしまっていたためか、焼くのに時間がかかり、できあがったのは、朝の4時過ぎでした。命がけのケーキ作り。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気blogランキングへ
November 9, 2007
マラウイの隊員は、住んでいる地区により、極北、北部、中部、南部にわかれ、年に4回、安全対策委員会が行われます。私が住んでいるドマシは、南部地区に入ります。南部では、安全対策委員会の日に合わせて新隊員の歓迎会、また、隊員の帰国1か月ほど前にfarewell partyをします。11月下旬に帰国する6人の皆さんのfarewell partyが、マンゴチのパームビーチで行われました。16-3 farewellも、同じ場所で行われました。その時は、30人あまりが一度に乗れる、大きないかだで湖上へ行き、遊べましたが、今回はそのいかだが故障中とのことで、残念。3月の写真→Farewell partyは、次に帰国する人たちが主催しますが、今回はバーベキューやカレーなどの手料理がたくさん。また、主催者の皆さんが考えてくださる帰国隊員への贈り物も楽しみの1つ。16-1(=16年度1次隊、以下同様)の人たちへは、大統領の顔写真入りの布で仕立てた服に、寄せ書き16-2 絵16-3 ご本人のお写真をもとにした平面彫刻17-1 ご本人のお写真をもとにした立体彫刻今回は、マラウイのサッカーナショナルチームのユニフォームに、後輩隊員が寄せ書きをしました。後日、お会いした中部のK帰国隊員は、南部の贈り物が寄せ書きだったことを知り、「全体farewellのプレゼント、寄せ書きはないな」などと推測してはったのが、なんだかおかしかったですみんなの想いを背負って帰国。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気blogランキングへ
November 8, 2007
ブランタイヤにある一流ホテルのなかのレストラン、Grill 21へ行ってきました。このホテルは南アフリカ資本らしく、マラウイにいることを忘れさせてくれる、素敵な店内 メニューに値段が書いてなかったので、かなりどきどきしながら、オーダー。前菜はそれぞれ、いか、えび、チキン。 内陸国なので、シーフードを食べる機会が少なく、こういう場ではついシーフードをオーダーしてしまいますが、ここではチキンがいちばん美味しかったです。そしてメインのフィレ。むちゃくちゃ美味しかった~~~家畜飼育隊員によれば、マラウイの牛は食肉用に育てられていないらしく、くさい&かたいんですよ。このフィレは、マラウイで食べたなかで一番、やわらかかったです。もちろん、臭くもないし。輸入モノかな?デザートも2皿オーダー。1口ずつ分けてもらいましたが、美味しかった♪ビールのほか、ワインを1本開け、さらにチョンデの飼い主さんはジン、私はスコッチ、お酒をあまり召し上がらないNさんはコーヒー。1人4,000円くらいだったと思います。日本と比べると、かなりお得感がありますね。マラウイでは、うちのハウスキーパーの月給以上。申し訳ない 翌朝、宿の人が、「カメラ、持っておいで」と言うので、何事かと思いきや、 野生のカメレオンでした。威嚇している姿はまるで怪獣みたい。マラウイにもあるんですよ、高級店。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気blogランキングへ
November 7, 2007
マンゴチからマトラと呼ばれるトラックの荷台か、ミニバスに揺られ、1時間弱。そこから歩いて20分あまり行ったところに、マラウイのなかでも大きなリゾートホテルClub Makokola があります。こんなリゾートホテルには、車で行きたいところですが、隊員は車の運転は、認められていません。マンゴチの町中では、チャリマトと隊員は呼んでいる、自転車の荷台に乗せてもらう乗り物が一般的で(他地区に比べ、料金も安め)、タクシーも見つけづらいですしね。 こんな素敵なお部屋に泊まるのは、何年ぶりでしょう?ビーチも最高! プールもあります。 ボートで近くの無人島まで行きました。 鳥がいっぱい。 他にもバナナボート、水上スキー、水上ボード?、ビーチボール、テニスなどのアクティビティも充実しています。夜はバーでお酒を堪能 これで1泊1人78ドルだったかな?(夕食、昼食、アクティビティは別料金)夕食は選択肢が少なく、若干、残念な気がしましたが、朝食、昼食は美味しかったです。アジアのリゾート地より、お得感がありましたね。私が今まで泊まったなかでは、マラウイで一番好きなホテルになりました★★★★★たまには贅沢♪今日もぽちっ↓とありがとうございます人気blogランキングへ
November 6, 2007
チョンデの飼い主さんの学校は、山の上にあり、この時期は色とりどりのお花が満開 飼い主さんのお宅の庭にも、アフリカの桜と呼ばれるジャカランタが咲いていました。校内にはやぎが闊歩し、まるでアルプスの少女ハイジのような世界。 この日は今年度最後の、飼い主さんの授業でした。テスト前だったこともあり、生徒もとっても真剣。 飼い主さんは授業の最後に、「Be proud of yourself. bye」とのメッセージを板書してはりました。真摯な授業態度に好感が持てます。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気blogランキングへ
November 5, 2007
10/24/水 久しぶりに家に帰ってみたところ、電気が切られていました。停電が非常に多いため、最初は停電かな?と思っていたのですが、電気が使えないのは、我が家のみこの家に住み始めてから1年以上経つのに、まだ1度も請求書が届きません。これまで10回以上学校の事務長にも言い、自分で直接、電気会社にも何回か行きましたが、「大丈夫」と言われ続けました。それでもやはり請求書は届かず、結果、「料金未払い」で切られました。払わないんじゃなくて、請求書が来ないから払えないのにね。まったく、日本での「常識」は通用しない国ですやむを得ず、この日は七輪でインスタントラーメンを作り、早々に就寝翌日、学校の副校長とともに近くの町ゾンバの電気会社へ行き、請求書が届くよう、再度申し込んできました。11月分の請求は、接続料のみでしたが、12月分にこれまで1年分の電気代が加算されているのでしょうか?金欠な時期だけに、こわいっ 10/26/金 任地からミニバスで3時間あまり。マンゴチのNさん宅にお邪魔しました。ランチをとっていたところ、突然の大雨のため、そのままお店で2時間あまり雨宿り。マンゴチ名物? フルーツパフェを食べながら雨が小降りになったのを見計らい、Nさん宅に戻ってみれば、停電しばらくすれば復旧するだろうと、暗がりの中、あれこれお話していました。途中、バサバサバサッという激しい音にびっくり大雨のため、グラスフェンスと呼ばれる、家のまわりの塀が倒れたのだろうと、Nさんは話していました。雨が小康状態になるのを待ち、夕食をとりに外に出たところ、他の建物は電気が点いている不思議に思い、Nさんの家の周りを確認したところ、なんと倒木のため、電線が切られていました。さっきのバサバサバサッは、倒木だったのです。幸いにも、Nさん宅の電線は校長先生宅と共用のためか、翌日には電気会社がやってきて、復旧しました。マンゴチエスコム(=電力会社)の素早い対応にびっくりです。ちなみに夕食は、これまた地方都市では珍しい、中華。マラウイは台湾と国交を結んでいるためか、大都市にしか中華レストランがないのです。Nさんによれば、マンゴチはかつてビクトリア女王も避暑に訪れたことがあるとのこと。マラウイ湖の最南端に位置する、観光地ですね。ゾンバエスコムとは大違い今日もぽちっ↓とありがとうございます人気blogランキングへ
November 4, 2007
チョンデの飼い主さんが同僚の方たちと飲みに行くのに、同行させてもらいました←ダグラス・バンダ先生。「バンダ」って、日本で言えば「鈴木」「佐藤」並みのマラウイでは一般的な名字です。「かっこいい、おもろい、バンダ先生」と、日本語でご自分のことを紹介されるご陽気なお方ですが、実は「マラウイの東大」と日本人は呼んでいる、マラウイ大学チャンセラーカレッジ出身のエリート。私が今まで接したマラウイアンのなかで、最もわかりやすい英語を話します他のマラウイアンが話している内容を、私が理解できていない時には、即座にわかりやすい単語に言い直してくれたり、キレる人だなと感じます。ボトルストアにいたところ、寄ってきた子どもカメラを向けると、なぜか目がよってしまいます暗くなってきたので、飼い主さん宅に移動して2次会。他の同僚の方たちも集まりました。女性の先生がさしてきた傘ではしゃぐ、ダグラス先生。伝統的には、女性が人前でお酒を飲むことは好まれないようで、女性の先生方は勧めても、ほとんど口をつけていませんでした。都市部や若年層では、飲酒する女性も増えているようですが。「おなかすいた」とおっしゃる同僚の方たちのために、飼い主さんが、ナポリタンを作ってはりました。麺を食べる習慣がないので、すすれないマラウイアンが多いです。食後はなぜか、腕相撲大会。昼過ぎから始まった酒宴も、23時前にようやく解散。と思いきや、0時過ぎに飼い主さんの隣家の同僚の方が、飼い猫ジュニオを連れて、再び登場。自分よりずいぶん小さなジュニオに対し、腰がひけてるチョンデ。ジュニオがチョンデのトイレに入ったり、えさを食べていても、チョンデは、控えめにジュニオのお尻をトントンするのみ。挙げ句の果てには、おなかをもろ出し、降参?へたれのチョンデでしたダグラス先生との酒盛りは楽しい♪今日もぽちっ↓とありがとうございます人気blogランキングへ
November 3, 2007
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