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2017.04.11
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カテゴリ: 探訪 [再録]

                  [探訪時期:2012年12月] (末尾の地図番号5の場所)
坂本城趾碑から少し湖岸方向に進むと、 「東南寺」(天台宗) に突き当たります。
ここは延暦年間、比叡山の東南方向の 戸津ヶ浜に、伝教大師・最澄が両親への報恩と供養のために建立した寺 だそうです。 東南の方向にあったので東南寺と言われました。
最澄はここで、民衆に法華経説法を始めたそうで、 「戸津説法」 と呼ばれたそうです。現在も毎年8月に「戸津説法」が延暦寺の高僧により続けられているといいます。

寺の前にある説明板には、「寛永15年、高島郡今津にあった一堂を当地に移したので一名を今津堂ともいう」とのこと。
この東南寺もまた元亀年間(1570~73)の兵火で焼けてしまったのです。 今津堂と呼ばれたものが現在の東南寺になります (資料1)
本堂

本堂 に向かって左手傍に、 「光」の文字を刻した葉上照澄阿闍梨(戦後初の阿闍梨)の記念碑 が建てられています。土台正面には、生前に葉上阿闍梨が詠まれた歌が刻まれています。 ここが葉上照澄大僧正の最期の地になったとか。
  ひたすらに 謙虚に行ず ただ行ず
    つゆいささかの はからいもなく   南山


こじんまりした境内は湖岸側に、等身大くらいの地蔵菩薩立像が一段高く安置され、

その両側に、 数多くの石仏で、二つの塔のように塚が形作られています 。他寺では見かけたことがない形式でした。供養塔として壮観です。
これが何の供養のためなのか、当日、ガイドさんの説明を聴きもらしたのかも知れません。そこでネットで情報収集し、 これらが「坂本落城の際の戦死者の首塚である」と 説明されているサイトに出会いました。なるほどと納得できます。

 軒瓦に菊の文が使われているのが目にとまりました。

東南寺の先で右折すると、湖岸道路・西近江路です。
  (地図番号6の場所)

道路を横切った前方の 民間企業の門の脇に、「坂本城本丸跡」の碑 が建てられています。
敷地内で遺構の一部が発掘されたのです。

「坂本城は元亀2年(1571年)織田信長による山門(延暦寺)焼き討ちの後、明智光秀により東南寺川河口に築かれた水城としてよく知られている。
 天正14年(1586年)大津城築城までの間栄えた城であり、当地の発掘調査ではじめて坂本城本丸の石垣や石組井戸、礎石建物等が発見された。 大津市教育委員会」 (碑文転記)

この背後の湖岸を右方向に行ったところに、 坂本城趾公園 があります。
(この探訪では行程に組まれていませんでした。)

湖上には、観光船が眺められました。


左折して西近江路沿いに少し歩くと、「明智塚」 が道路に面し、少し奥まったところにあります。(地図番号7の場所)

じつはここ、私有地内なのですが地主さんが自由に訪れることができる形にされています。そして維持管理されているようです。

当日いただいた探訪資料によると、 このあたりは古くは「城」という小字名だったところ で、坂本城内推定地です。
この塚についてもいろんな伝承があり、「たとえば、光秀が坂本城築城に際して、本家の美濃守護土岐氏から伝領した宝刀を城の主柱の下に埋めた跡である、とか、光秀秘蔵の愛刀『鄕義弘』の脇差を落城に際して娘婿の左馬介秀満が埋めたところである、とか、また、左馬介秀満の首を埋めたもの、とか、明智一族の墓所であるとか」の諸説です。
この塚にさわるとたたりがあると言われ、そのために壊されることなく現在に至っているといいます。毎年坂本城落城の6月15日に、明智一族の悲運もあってその鎮魂のため、地主の方が法要を営まれているそうです (説明板にも記載あり)

最後の探訪地が、酒井神社と両社神社 です。(地図番号8の場所)
両神社は信長の比叡山焼き討ちのときに焼失。その後にこの地に再建された神社です。

酒井神社 鳥居と本殿
御祭神は大山咋神 (おおやまくいのかみ)
道路傍の神社説明板の由緒には、「社伝によればその創建は弘仁元年(810)下坂本の梵音堂にある磊から酒が涌きだしその酒の精は大山咋命であるとの神告をうけ人々は社を建てて磊をご神体としてお祀りするようになったと伝承されています」とのこと。
天正16年(1588)に再建後、元和6年(1620)に広島藩主浅井長晟 (ながあきら) が現在地に移し建立したそうです。

なぜ、広島藩主が? 
実は、再建段階の時代に、坂本城主が淺野長政であり、酒井神社・両社神社がこの地で長政の長男として生まれた淺野幸長の産土神となったためといわれているそうです。長晟は長政の次男です。

日吉大社の御祭神は総称で「日吉大神」と呼ぶそうですが、山王七社中の東本宮の御祭神が大山咋神なのです。そして、牛尾宮が大山咋神荒魂。日吉大社は天台宗の護法神です。坂本の地と大山咋神はさまざまにつながっているようです。 (資料1,2)

「明治29年琵琶湖洪水石標」
この境内で、こんな石標を見つけました。
琵琶湖の沿岸は瀬田川洗堰の完成(1905年)までは、ほとんど毎年洪水や冠水の被害があったようです。明治以降も4回あり、明治29年(1896)の洪水が大水害だったのです。「9月12日にはこの付近で水位は13尺近くあり、もと両社の辻南東隅にあったこの石標には、その最高水位線が明示されています。」 (説明板より) それがこの境内に移設されていたのです。

余談ですが、膳所の城下町跡をめぐったとき(2012.12.1)に、 同種の石標を響忍寺境内でも見ています。 この石標です。

ここでは省略しますが、 瀬田川沿いにも洪水石標があります 。こちらも瀬田川関連の探訪記の再録により、既にご紹介しています。 2箇所あります。こちらから御覧いだだけるとうれしいです
         (探訪 [再録] 瀬田川流域とオランダ堰堤(上桐生) -5  建部大社境内、明治29年洪水標、瀬田唐橋 へ)
琵琶湖に関わる歴史的記念物が点から面として、これまた結びついてきました。
同種の石標が他にもまだ残されているかもしれません。探訪の折に発見したら、またご紹介したいと思います。

本筋に戻ります。建物の屋根瓦で目にとまったのが、
  この 兎と丸に違鷹羽と思われる紋章 です。
武家の紋章として 丸に違鷹羽は淺野家 と、『歴史探訪に便利な日本史小典』(日正社)に載っています。兎はどういう関係だろうかという課題が残りました。

そこで、再録にあたり、余談としてその後に知り得たことを追記したいと思います。
一説にこんな理由があるようです。伝統的な瓦の製作をされている会社のブログ記事で入手しました。引用します。 (資料3)
「ウサギはつき(月)を呼ぶと言われたり、前にしか進まないとか、よく飛び跳ねることから昔から縁起のよい動物とされているようです。」

もう一つ、興味深い記事を発見。すご腕の鬼師が残した飾り瓦に、「波兎 (なみうさぎ) 」と呼ばれるものが残されているのです。それもやはり「縁起」ものという視点で説明が出ています。もちろん、興味深いウサギの飾り瓦の画像が掲載されています。 こちらからご覧ください。 (資料4)

本筋に再び戻ります。

通りを挟んで、酒井神社の前に、両社神社があります。


境内の説明板によると、祭神は伊邪那岐命・伊邪那美命の二神。元仁年間(1224~25)に 高穴穂神社の祭神を酒井神社の旧境内に勧請したことが創立起源だとか。淺野長晟が酒井神社を移設建立するときに、独立させたもののようです。
境内の本殿についての説明によると、 本殿の構造は酒井神社本殿と同じ です。彫刻など細部が少し異なるだけのようです。江戸初期の特徴を示していると記されています。

この両神社の説明をボランティアガイドさんから伺った後、現地解散となりました。
JR比叡山坂本駅まではここから比較的近い距離です。JRの駅に戻ることにしました。

その途中で、偶然見つけたのがこの旧跡です。

酒井神社の元の地がわかり、移転された距離もこれで判明しました。
思わぬオプション探訪で今回はしめくるることができました。



ご一読ありがとうございます。

参照資料
1) 『滋賀県の歴史散歩 上 』 滋賀県歴史散歩編集委員会編 山川出版社 p13-15
2)  日吉大社について   :「日吉大社」
3)  ウサギの飾り瓦の復元製作   :「淡路瓦 タツミのブログ」
4)  鬼師が残した飾り瓦    :「職人の遺した仕事」

【 付記 】 
「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。
ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。
再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。
少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。

補遺 
法華経のエネルギーを後世に 大津で天台宗・戸津説法  2016.6.22:「京都新聞」
 東南寺「戸津説法」  :「京都生まれの気ままな遁世僧」
戸津説法とは  :「水間寺公式ホームページ」
滋賀県大津市 東南寺  :JAPAN-GEOGRAPHIC.TV
坂本城  :ウィキペディア
坂本 坂本城趾公園ほか   :「歴史舞台 大津」
61.近江坂本城跡の発掘調査<速報>  滋賀文化財だよりN0.38 pdfファイル 
酒井神社のホームページ
  「おこぼ神事」「まいどこ神事」という説明板のおもしろい言葉に関心を持ち検索したら、
   ホームページがあることを知りました。
大山咋神  :「玄松子の記憶」
大山咋神
広島藩  :「江戸三百藩HTML便覧」
日吉大社について  :「日吉大社」のホームページ
両社神社   :「滋賀・びわ湖 観光情報」
酒井神社と両社神社   大津の歴史事典 :「weblio辞書」
明智光秀  :ウィキペディア
あの人の人生を知ろう~明智 光秀  :「文芸ジャンキー・パラダイス」
    この記事の最後の方に、塚や供養塔の写真紹介があります。

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


探訪 [再録] 滋賀・大津 石積みの門前町坂本と坂本城の痕跡 -1 門前町にて へ
探訪 [再録] 滋賀・大津 石積みの門前町坂本と坂本城の痕跡 -2 慈眼堂から坂本城趾碑 へ





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Last updated  2017.04.11 12:14:34
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