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2017.04.19
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カテゴリ: 探訪 [再録]
本坊
                        [探訪時期:2013年11月]
本堂を拝観してから、本坊の方に回りました。こちらに拝観受付所があったのです。
本坊の玄関脇に「明智光秀展」という立看板の表示も出ていました。客殿や庭も拝見したいので、拝観することにしました。

本坊は、案内図に赤丸を追記したところです。青色は後でご紹介する「鐘楼」のあるところです。

明智光秀展は書院の建物の中の各室を展示室にして、「大本坊」の駒札にも記載されている「天正年中明智公所造之古木」と彫られた古材、明智左馬之助が琵琶湖を馬で渡った時の鞍そのほか様々な遺品や光秀関連の寺院、供養塔などのパネル写真などが展示されていました。

写真撮影は禁止されていましたので、庭や室内風景などのご紹介ができなくて残念です。
書院の南側、客殿との間の庭が拝観ルートで最初に見る庭で、 「穴太衆庭園」 だとか。穴太様式の庭園というのは初めて拝見する庭でした。

客殿建物の西側、裏山の急傾斜を利用した 客殿庭園は、小堀遠州作の観賞庭園 です。庭の中央に瓢型の池泉があり、丸刈角刈に樹木を刈込み、石組や灯籠が配されています。山の斜面を巧みに利用し、落ち着いた雰囲気の庭です。書院の北側には近年に作庭された庭園が見られます。

拝観の途中、書院一室の展示から西教寺が かつて京都にあった法勝 (ほっしょう) 寺を合併継承している ということを知りました。

法勝寺は現在の岡崎公園・動物園のある地域、白河と称された場所です。
藤原氏の別荘(白河別業)の地を藤原師実が白河天皇に献上し、 白河天皇が法勝寺を創建 するのです。その後、この辺り一帯に 六勝寺 と称されるように、次々と「勝」の一字を含む寺名のお寺が建立されていきます。 法勝寺はその嚆矢であり最大の規模だったそうです 。しかし、時移り、火災、兵乱などで、お寺は衰退していきます。法勝寺は、「1571年(元亀2年)に法勝寺領押領を禁じる綸旨が出されたのを最後に記録から姿を消す」状況になり、事実上の廃寺になっていったようです。「て天正18年(1590年)に勅命によって同じ円観門流に属していた近江国坂本西教寺に併合され」るという結果になったそうです。 (資料1) つまり、「、後陽成天皇は綸旨を発し、応仁の乱後、荒廃して廃寺となっていた京都・岡崎の法勝寺をその末寺である西教寺に合併させることとした。法勝寺の寺籍は西教寺に引き継がれ、法勝寺伝来の仏像、仏具等も西教寺に移された。」という次第です。秘仏・薬師如来坐像は法勝寺からの継承された遺物だとか。 (資料2)



書院から回廊づたいに改めて本堂拝観に行く途中で、見たのがこれです。
「兼法勝西教寺」という石標と駒札 です。


拝観を終え本坊を出てから、回廊の一部が反り橋状に作られているところの下をくぐって、この場所の前に行きました。左奥の建物が客殿です。
冒頭の画像の本坊正面の左側に石灯籠が見えます。石灯籠から左側に向かう廊下の状態をご覧ください。

境内をも少しご紹介しましょう。

水屋側から見ると、茶所、納骨堂、鐘楼と並ぶ建物の前を通って、本坊に向かうことになります。


鐘楼は残念ながら中を拝見できません。

おもしろいのは、下部の袴腰の上、高欄の下部分の蟇股のところに、 様々な姿態の猿がぐるりと彫刻されている ことです。書院での展示パネルにこの拡大写真が展示されていました。パネル写真を見たので撮ってみましたが、夕刻になってきており、あまり良く撮れませんでした。まさに 護猿が境内のあちらこちらの建物にたくさん彫刻されています。



「茶所」は休憩所の建物ですが、中央に観世音菩薩立像が安置されています。


そして、この建物の前には 龍の頭部 が建てられています。 「昇龍」を意味する そうです。

境内には大きな宝篋印塔がいくつか建てられています。

          聖衆来迎阿弥陀仏二十五菩薩像に向かって左端の手前にこの二基。


右端の手前には菩提樹がありますが、客殿に向かう途中にももう一基。

その傍に建てられているのがこの像です。 算盤を手にしたお地蔵さま
この西教寺には江戸時代の旗本で長崎奉行を勤めた 長谷川藤広の墓所 があるそうです。
            (気づきませんでした。またの機会に探訪し拝見したいと思います。)
この人は 「大津そろばん」の元祖 なのだとか。それで珠算連盟大津支部の方が、このそろばん地蔵を奉納されたそうです (資料3) 大津算盤自体は、長谷川藤広に随行して長崎に行った片岡庄兵衛が、その命を受けて、工夫研究して生み出したもののようです (資料4)

興味を持って調べてみると、いろいろとわかってきておもしろいものです。
 平成に建立された十三重石塔も建てられています。


収蔵庫の手前に 「波心庭」というのも平成の作庭 です。

研修道場の方に足を向けて見ました。

門をくぐって左手を見ると、3体のかわいい石像があります。 「念仏小僧」 です。

なかなかおもしろい。

その先には、小さな羅漢像の集団です。
そして、さらに3体の石像です。「羅漢さんと説法石」という駒札が建てられています。


研修道場側から見た門

このあと、再び総門への参道に戻って、西教寺を後にしました。


これで西教寺の再録によるご紹介を終わります。
ご一読ありがとうございます。

参照資料
1) 法勝寺 :ウィキペディア 
2) 西教寺 :ウィキペディア 
3) そろばんを持ったお地蔵さん 西教寺   :「紅若バスのブログ」 
4) 大津算盤   大津の歴史事典 :「大津市歴史博物館」 
大津算盤  :「走り井餅本家」
歴史散歩 そろばんの元祖 大津算盤 :「西近江しんぶん」


【 付記 】 
「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。
ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。
再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。
少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。

補遺
法勝寺の模型
戒牒    :ウィキペディア 
宝篋印塔  :ウィキペディア 
長谷川藤広  :ウィキペディア 
大津算盤  :ウィキペディア 
羅漢   :「コトバンク」 
五百羅漢について   :「羅漢寺」

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


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Last updated  2017.04.19 21:57:40
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