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2017.12.27
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カテゴリ: 探訪 [再録]
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「下永橋」を渡って、大和川の南側・下永に入ります。


橋上から大和川の上流側(東)を眺めると、京奈和道の高架の橋脚が川の中央に居座っています。
反対の下流側(西)はゆったりとした川の流れが見える風景が広がっています。
このあたりの地図(Mapion)はこちらをご覧ください。



下永の集落の中の道を通り、大和川に近い位置にこの 「八幡神社」 があります。
この神社の境内、一番大きな石灯籠の先にある建物、ここがめざす探訪地でした。
併せてこの八幡神社が探訪地にもなります。

石鳥居の傍に立つのが、ここ 「大字下永(東城: ひがしんじょう )」の説明板 です。
この地、古くは旧初瀬川の左岸にある「 東城垣内 (かいと)」 だとか。「東城の地名は、西城 (にしんじょう) とともに 外敵を防ぐ砦が築かれていたことに由来する 」記されています。

この八幡神社は、かつては旧初瀬川右岸東方の小字高堂に神宮寺の白米密寺とともにあったと伝えられている そうです。右岸に白米密寺があったとすると、その附属寺院として、前回ご紹介した「教導寺」が近くにあったのだなとうなずけます。



現在、地図(Mapion)に「白米寺」として記載されているのが、この地蔵堂(収蔵庫)です 。白米寺は「はくまいじ」とも「くめじ」とも呼ばれているようです。ネット検索で調べた範囲では、二通りの読み方がされています。
この建物は八幡神社の駒札によれば、昭和43年(1968)に建てられました。

今回は史跡見学教室ということで、地元の関係者のご厚意・ご協力で開扉していただけて、収蔵庫内を拝見できました。 「飛行山白米寺」という簡易な扁額が正面に かけられています。
普段は閉じられているのでしょう。


収蔵庫の左側に、祀られている 主な仏像の写真入りの説明板「旧白米寺の諸佛」 が立てられています。駒札もたてられています。
地図を見て、興味深いと感じたのは 地図上の表記 です。現在は八幡神社の境内の一角にこの白米寺としての地蔵堂(収蔵庫)がある形なのに、 八幡神社の名称記載がなく白米寺と記載されている点 です。

下永の八幡神社の神宮寺としての白米密寺は、江戸時代中頃には廃されているのです (資料1)


収蔵庫の中央に 阿弥陀如来坐像 そして、右斜め奥に 地蔵菩薩立像 がそれぞれ安置されています。


阿弥陀如来坐像(重文)は、 定朝様の阿弥陀如来像 です。檜材漆箔の寄木造で、像高は144.2cmだそうです。手は上品下生 (じょうほんげしょう) の来迎印 (らいごういん) の印相です。 平安後期の造立と推定 されているようです。「蓮台の蓮肉と華盤は本来のもの。東部は全体形に比べて大きく、特に肉髻をやや大きく高く古風な造り、螺髪も丁寧に造られています。目は彫眼です。大和的な作風といえるようです。 (説明板、資料1,2 以下同じ)

地蔵菩薩立像(重文) は、樟 (くすのき) 材の一木造で 平安中期の造立 とされています。像高161cm。当初は彩色が施されていたそうですが、間近に拝見しても剥落してしまっていてわかりません。 

目は彫眼で、左手に宝珠を載せ、右手は下に垂らし、右肩にあずけた錫杖にそっと指を添えて支えている形です。よくある錫杖をしっかり握るタイプと異なりところを特徴的だと感じました。膝下のところは、翻波式衣文がみえます。部分写真を撮ったのですがピントが甘くて没です。残念!


阿弥陀如来坐像の左側には、壁際に沿ってL字形に諸仏が安置されています。


勢至菩薩立像・地蔵菩薩立像・毘沙門天立像・弘法大師空海像が並んでいます。

一番端に安置されているのも、サイズは小さいですが弘法大師像でしょう。

阿弥陀如来坐像から見ると、左斜め後方の壁際に安置されているのが、 不動明王立像 です。こちらは県指定文化財のようです。 鎌倉時代初期の作 だとか。像高51.5cm。
檜材の寄せ木造で載金彩色が施されています。


  小像の 眷族 (けんぞく) が並んでいます。
向かって左は、制吒迦 (せいたか) 童子、右に矜羯羅 (こんがら) 童子です。


右の方の壁には、白米密寺と関係のある古文書のコピー類が説明文とともに展示されています。


拝殿と狛犬

この拝殿前の狛犬は、大坂の石工・佐吉により造立されたものです。台座に銘文があり、安政6年(1859)に奉安されたことが判明しています。丹波生まれで、難波伊助のもとで修業したことから、 丹波佐吉と名のった石工 で、幕末期に大和・大坂を中心に活躍し、特に狛犬に優れた技量を発揮し、奈良県には多くの作例があるといいます。この八幡神社のものは佐吉の中期のものだそうです。
バランスのとれた姿態と、力強く躍動感ある表現、細部まで行き届いた繊細な彫りに特徴があり 、とりわけ基台に刻まれた 「奉献」の文字の彫りの深さに顕著な個性が認められます 。」 (資料2)
探訪​時間の余裕がなく、狛犬を仔細に観察し写真が撮れなかったのが残念! ​​





拝殿と収蔵庫の間に、石の柵と扉があります。今回はこの扉の内側の境内に入り、社殿の全体を正面から拝見できました。

拝殿と本殿との間に、石鳥居が奉納されていて、一段高い境内に社殿があります。
瑞垣の部分が白い築地塀となっていて、鉄製扉がいわゆる門の代わりに使われているのが特徴的です。私の神社の拝見経験からははめずらしいものです。

神木と築地塀の間に様々な形の石灯籠が奉納され並んでいます。


本殿
祭神は誉田別命 (ほんだわけのみこと) 及び 足仲彦命 たらしなかつひこみこと 、仲哀天皇)と 息長帯姫 おきながたらしひめのみこと 、神功皇后)だそうです。

本殿の左右に配された境内社  
熊野神社 (祭神: 伊邪那美命 いざなみのみこと )と 愛宕神社 (祭神: 加具津智命 かぐつちのみこと )が祀られています。

本殿への石段の左側に石燈籠が安置されています。四角い燈籠です。火袋の部分が木製になっています。
この竿には慶長11年(1606)の銘が刻されています。


中台の縦の面は正面と側面では異なる文様で彫られています。


境内にある手水舎の水盤側面には「八幡宮」と刻されています。現代の蛇口を注ぎ水の源にしてあるのが、ちょっとおもしろいところ。手水舎の左には 「百度石」の石標 が立っています。

白米寺の収蔵庫で諸仏を拝見し、八幡神社を拝見したことで、今回の史跡見学教室の探訪が終了しました。

                    八幡神社の隣にある 「融通念佛宗正念寺」

このの門前を通って、ほぼ真っ直ぐに南に向うと探訪終点の 近鉄橿原線「結崎駅」。駅までは徒歩10分位の距離です。

こんな案内板も設置されています。

ご一読ありがとうございます。

参照資料
1) 「関西史跡見学教室26~奈良・二階堂~」 龍谷大学REC講座
     当日配布の講座資料 作成:龍谷大学非常勤講師・松波宏隆氏
2) ​ 川西町の文化財

【 付記 】 
「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。
ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。
再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。
少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。

補遺
佐吉狛犬 八幡神社 ​ :「探訪 狛犬 発信 奈良から」
下永八幡神社百味御供 ​ :「マネジャーの休日余暇(ブログ版)」
下永八幡神社 宵宮祭 ​ :「巫女筋・日向家の日常」
下永八幡神社 秋祭り 本宮 ​  :「大和フォト歳時記」

~~ 調べてみて、石工丹波佐吉とその作品にかなり着目されていることを知りました~~
丹波佐吉と大和 ​  長田満男氏  余禄と肩書された文  pdfファイル
江戸末期の石工  丹波佐吉 ​ :「趣味の部屋」(狛犬屋オヤジの裏サイト)
丹波佐吉の狛犬~円丈師匠佐吉を語る
丹波佐吉 狛犬・石造物と石仏制作年表 ​  Coma-たんさく人 :「石仏巡り 散策」

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

探訪 [再録] 奈良 二階堂、下永を歩く -1 前栽駅付近・弥勒堂・星塚古墳・下ツ道・杵築神社 へ
探訪 [再録] 奈良 二階堂、下永を歩く -2 二階堂地蔵堂・教願寺ほか へ
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Last updated  2017.12.27 12:30:06
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