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2022.12.18
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カテゴリ: 観照

これは、 11月2日 に「​ 観照 今朝の朝顔  遅咲きオーシャンブルー ​」と題してご紹介した時の画像です。

この遅咲きのオーシャンブルー、健気に今朝も 未だに 花を開いてくれています
遅く咲き始めたので、遅くまで花の咲く期間がズレているのでしょうか
2021年は確か11月27日にはもう花が一つふたつになり、もう終わりだな・・・・という状態でした。

11/2の後、晴れた日の午前中に、庭の花を定点観測的に撮ってきました。
そのご紹介です。

=== 2022.11.16 ===
2週間後 です。


そして、この頃には、


玄関へのささやかなアプローチ傍の花壇に 小菊が花盛りに なって来ました。
11/2にはまだ咲いていなかったと記憶します。一方で、昨年とほぼ変わらずに咲き始めたように感じています。 



撮った写真を選んでいて、ふと想起したのが「花の命は短くて」というフレーズ
ネット検索してみますと、ヒットしました。

「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」
林芙美子が色紙などに好んで書いた短詩 だそうです。「女性を花にたとえ、楽しい若い時代は短く、苦しいときが多かったみずからの半生をうたったもの」と言います。 (資料1)
 どこでこのフレーズを記憶にとどめたのか。林芙美子の短詩とは初めて知りました。


その一方で、 デュランタが未だ健在 で花を咲かせてくれています。
こちらも調べてみますと、デュランタは熱帯植物でアメリカのフロリダ地方~ブラジルの植物だそうで、開花期があ6~10月と説明されています。 (資料2)
11月中旬でも小さな花を沢山咲かせているのです。

=== 2022.12.4 ===

さらに、2週間ほど経ち ましたが、 たくましく花を咲かせて くれています。








=== 2022.12.11 ===

さらに1週間が 経ちます。咲く花の数は減少ぎみに・・・。だけど昨年よりはるかに元気!





 デュランタに少し変化が・・・・。 枯れた花が目にとまるように なってきました。




=== 2022.12.18 ===
そして、今朝の花々の姿です。

さすがに、オーシャンブルーの 花が咲くのは終末期になってきた感じ ・・・・・。
よくぞここまで咲いてきてくれたなと感じています。

枯れた花が目につくように なりました。

一方で、花を開いてくれています。いましばし花を愛でる日数がありそうです。


デュランタはさらに枯れた花が増えていますが、がんばりっこです。
まだまだ咲いてくれるのでしょうか・・・・・。


小菊は思ったよりも短期間で終わるのかもしれません。
道路に面した側の小菊は半分以上の花が枯れてしまい・・・・、家人がバッサリ花枝を切ってしまいました。

勿論、咲き誇ってくれる小菊は健在です。
小菊の咲くのは、10月、11月のようですので、けっこう健闘して咲いてくれているということになるのでしょう。 (資料3)

我が家の小さな庭は私の管轄外。咲く花を楽しむだけですので、花まかせです。

年年歳歳花相似 歳歳年年人不同
という『唐詩選』に収録されている詩句が有名です。
この詩句を記憶していても、その原詩に遡ってみることはあまりありません。
かなり以前に確認してみたことがあったと思うのですが、忘却の彼方に・・・・。
こちらもネットで改めて検索してみました。 (資料4)

その後で、手許の岩波文庫本で確かめますと『唐詩選』巻二の七言古詩に収録されています。
唐代の詩人、劉廷芝 (651?-678?)の 「白頭を悲しむ翁に代わりて」と題する詩 でした。 別の名は希夷 。一説に希夷が名、廷芝は字とも。 (資料5)

 「落陽城東桃李花」という七言から始まる26句の詩です。最初の8句がひとまとまりの感じで、その後に次の詩句が続きます。
 古人復た洛城の東に無く
 今人還た対す 落花の風
年年歳歳 花相似たり
歳歳年年 人同じからず
 言を寄す 全盛の紅顔の子
 応に憐れむべし 半死の白頭翁

この詩句でふと思うのは、「年年歳歳花相似」と毎年花が例年通りに咲いているというけれど、本当に同じといえるほどなのか・・・・、花もまた似ているようで似ていないのではないか、「花不同」と言えないかという疑念です。
勿論、この詩句が「花相似」と「人不同」を対句にし、「来る年ごとに花の姿は同じようだが、来る年ごとに、見る人の姿は変わるのだ」と対比しています。その次の一句は「うら若い少年たちよ。死の世界へ片足をかけたような白髪の老人を、あわれんであげたまえ」と語りかけます。人は年々年をとっていく。来る年には亡くなっているかもしれないと。
対句の形で自然の花と人の変化を対比強調した表現であることは理解できるのですが・・・・・。
「花相似」だけに着目すると、ふと思う素朴な疑念です。

「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」は禅語にも 取り入れられています。
手許の一書には、漢詩からとられた 「桃花依旧咲春風」 という句を禅語として取り上げて、その中で、 「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」とほぼ同じ意味という説明 が加えられています。
こちらは、 唐の崔護が詠んだ詩 の一句です。
 去年の今日、此の門の中
 人面桃花相映じて紅なり
 人面は知らず、何処にか去る
桃花旧に依って春風に咲(え)む

崔護が清明節に都城の南に遊び、桃の花が咲く人家を訪れ、飲物を求めたところ美女が気持ち良くもてなしてくれた。翌年の清明節に再訪し、「桃花は去年と同じように美しく咲いたが、去年相見た人はもはやいない」という事態に遭遇します。その歎きをこの詩に詠じたのです。桃の花と人の姿を対比しその嘆ずる主旨は同じというわけです。「大自然の悠久さに対する人生の無常さを詠嘆したものだということになる」 (資料6)

大きく横道にそれましたが、遅咲きのオーシャンブルーの花咲く経緯を記録を兼てまとめてみました。

来年はどういう咲き方をすることでしょう。「年年歳歳花相似」と巡ってくるでしょうか。

ご覧いただきありがとうございます。

参照資料
1) ​ 花の命は短くて苦しきことのみ多かりき ​ :「goo辞書」
2) ​ デュランタ ​  :「みんなの趣味の園芸」
3) ​ 小菊 ​  :「EVERGREEN 植物図鑑」
4) ​ 年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず  ​   :「ことわざ辞典」
5)『唐詩選(上)』 前野直彬注解 岩波文庫 p99-104
6)『禅語の茶掛 一行物』 芳賀幸四郎著  淡交社  p213-214

補遺
劉希夷 ​  :ウィキペディア
資料29 劉廷芝の詩「代悲白頭翁」 ​  :「小さな資料室」
年年歳歳花相似 歳歳年年人不同   禅語 ​  :「臨黄ネット」
崔護「人面桃花」 ​  :「中国旅游ノート」
『人面桃花(博陵崔護、姿質甚美~)』現代語訳(口語訳)・書き下し文と解説 ​ :「マナペディア」
清明節 ​  :「コトバンク」

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Last updated  2022.12.18 18:44:30
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