遊心六中記

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2023.02.04
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カテゴリ: 観照
=== 2023.1.22 ===

10時過ぎに撮った南の空 。快晴です。
南西方向の空 
西方向の空

東方向の空 には横雲がたなびいています。


13時過ぎに は、 南の空 にはグレーの雲が満ちています。
南西方向の空 
西方向の空
        南西から西にかけては、雲の姿が南の空とは少し異なります。

       一方、ベランダで 頭上の空 を撮るとこんな状況です。

東方向の空 は、グレーで塗り潰したような感じに。


14時45分頃に、東方向の空 を撮ると、稜線上の白雲と青空に変化しています。
南の空

                          ズームアップ!
南西方向の空 
西方向の空 

さて、雲がたりのつづきです。

『新古今和歌集』巻第十一 で抽出した歌の中から一読して歌意が理解しづらい歌を選び順次始めます。

よそにのみ見てややみなむ葛城や高間の山のみねのしら雲  よみ人知らず 990

「よそにのみ」の「のみ」は副助詞ですが、ここでは意味を強める語と理解します。「やみなむ」は、終わるだろうか。その語句の前の「や」は疑問を表す間投助詞。この歌は巻十一「恋歌一」の冒頭に載る歌です。「葛城や高間の山の」は、葛城連山の中にある高間山。
(あの人をよそながら見るだけで終わるのだろうか。葛城連山の高間山の峰にかかる白雲のように、私の手のとどかない人として)

わがおもひ空の煙となりぬれば雲居ながらもなほ尋ねてむ  忠義公 1007

「雲居」は、ここでは宮中、禁中のこと。雲居は空・煙との縁語。「ながらも」は、・・・デハアルガ。
(私の恋の思いは燃え上がり、空の煙の如くになっていますので、宮中であってもやはりお尋ねしますよ)

しるしなき煙を雲にまがへつつ世を経て富士の山と燃えなむ   貫之 1008

「しるしなき煙」は、はっきりとしない恋の思いを燃やした煙。「まがへつつ」は、区別がつかなくなって。「世を経て」は、いつまでも。「富士の山と燃えなむ」は、富士山の如くに思いの火を燃やしていよう。この歌で、当時の富士山が活火山だったことがうかがえます。調べてみますと、「平安時代に当たる9世紀~11世紀は、有史以来、富士山の活動が最も激しかった時代である」(資料1)とのことです。
(はっきりとしない恋の炎を燃やした煙を雲の如くにまぎらせて、いつまでも富士の山のように思いの火を燃やしていよう)

白雲のみねしもなど通ふらむ同じみかさの山のふもとを  藤原義孝 1011

この歌には、次の詞書が付いています。
ふみつかわしける女に、同じつかさのかみなる人かよふと聞きて、つかはしける
藤原義孝が恋文を贈る女の許に、同じ役所の長がかよっているという噂を聞いて女にこの歌を送ったというのです。ここで長とは左近衛大将をさします。歌の表層は白雲と峰、三笠山の麓を詠んでいますが、そこには暗喩があります。白雲=女、峰=左近衛大将、麓=近衛府の下官である義孝本人。三笠山=近衛府の大将中将少将。
「しも」は副助詞で、強めを現す語。よりによって。正に。「など」は、原因を問うのに用いる語。どうして。なぜ。
(白雲はよりによってなぜ三笠山の峰に通うのだろうか。山には麓があるのに。あなたは、よりによってなぜ近衛府の大将に思いを寄せるのですか。私が近衛府の下官であるのに)

下もえに思ひ消えなむけぶりだにあとなき雲のはてぞ悲しき  皇大后宮大夫女 1081

「した(下)」は、心の中。心中。「したもえに」は、心の中だけで思い焦がれての意。「思ひ消えなん」は、自分は思い焦がれて死んでしまうだろう。「煙だに」は、火葬にした煙さえも。
(心の中だけで思い焦がれて、私は焦がれ死んでしまうでしょう。死後火葬にされた煙さえも雲に紛れてしまう我が身のはてを思うと悲しい)

雲の変化に戻ります。
=== 2023.1.23 ===

9時半頃に撮った南の空 。この日は雨が降りました。
また、今までに無い寒波が近づいてきているという予報が出始めていたと記憶します。
南西方向の空


14時半頃に撮った南の空 です。
南西方向の空 
西方向の空 
東方向の空

=== 2023.1.24 ===

8時15分頃に撮った南の空 。寒波の接近の影響でしょう。グレーの雲が厚そうです。
南西方向の空 
西方向の空 
東方向の空

南東方向の空 には、 雲のベールの背後に太陽 が見えました。
       こういう太陽の姿を撮るのは、雲の姿を撮り始めて初めてだと思います。


12時45分過ぎに撮った南の空
南西方向の空 
この日の夜には大寒波が日本を覆うという予報だったと思います。

和歌の歌意の続きに戻ります。

消えねただしのぶの山の峰の雲かかる心のあともなきまで  藤原雅経 1094

この歌には、「和歌所歌合に、忍恋の心を」という詞書が付いています。題詠です。
建仁2年2月10日の影供歌合だそうです。
「消えねただ」は、「ただ消えね」の倒置。すっかり消えてしまえ。「しのぶの山の」は、信夫山を詠む背後に忍ぶ恋の心が掛けられています。「しのぶの山の峰の雲」は、四句「かかる心の」の序。調べてみますと、「信夫山」は福島県北東部にある羽山・羽黒山・熊野山の三山(信夫三山)の総称だそうです。 (資料2,3)
(すっかり消えてしまえ。信夫山の峰にかかる雲よ。かかっていたあとも残らないまでに。私の忍ぶ恋の苦しさもまた、すっかり消えて、あとかたもなくなるまでに)

ながめわびそれとはなしにものぞ思ふ雲のはたての夕暮の空  左衛門督通光 1106

夕暮は雲のはたてに物ぞ思ふ天つ空なる人を恋ふとて 」(古今・484・読み人しらず)が本歌だそうです。「わぶる」は、わびしく思う。「はたて」は、はて。限り。
(じっと眺めていると侘しく、何ということなしに物思いにふけるなぁ。雲のはての夕暮れの空を)

たのめてもはるけかるべきかへる山いくへの雲の下に待つらむ  賀茂重政 1130
「遠き境を待つ恋といへるこころを」という詞書が付いています。「たのむ」は、信頼する。「ても」は、接続助詞。あることを仮定し、またその仮定が無意味であることを表す。「かへる山」は、越前国の歌枕で、現在の福井県南越前町だとか。
(約束を信頼しても、遙かに遠いこの帰山からいつ帰れるやら。幾重の雲の隔たる地にていつまで待つことになるのだろうか)

逢ふことのむなしき空の浮雲は身を知る雨のたよりなりけり  惟明親王 1134

「数々に思ひ思はずとひがたみ身を知る雨は降りぞまされる」(古今・705・在原業平朝臣)が本歌だとか。「むなしき空」は、「逢ふことのむなしき」と「むなしき空(虚空)」が掛けられています。「わが恋はむなしき空に満ちぬらし思ひやれども行く方もなし」(古今・488・読人しらず)があります。「浮雲」の裏には「憂き」の心情が重ねてあるかも。「身を知る雨」は、身の程を知り落ちる我が涙を空・雲の縁語「雨」で暗喩しています。「たより」は、関係のあるもの、縁、ゆかりの意。
(恋しい人に逢うことができない私には、虚空に浮かぶ浮雲は、我が身の程を知り落とす涙の雨とゆかりがあるのだろうな)

わが恋は逢ふをかぎりのたのみだに行方も知らぬ空の浮雲  右衛門督通具  1135

「我恋は行方も知らず果てもなし逢ふを限りと思ふばかりぞ」(古今・611・大河内躬恒)を本歌とするそうです。「かぎり」は、最終。「だに」は、係助詞。(意志を表す文に用いて)大きな望みをすて、最も小さな望みでがまんする意を表す。セメテ・・・ナリトモ。と解しました。
(私の恋は、あの人にひとめでも逢えさえすればというものなのだけれど、それさえ、どこに行くのかもわからない浮雲のようにはかないものだなあ)

始めてみると、なにがしかひっかかる語彙を含む歌が多いので、巻第十一と巻第十二から抽出した歌をすべて取り上げました。(なお、抽出歌第1022首に文字誤読があり、削除しています。)
次回は巻第十三から続けていきたいと思います。

さて、雲の変化の続きです。

=== 2023.1.25 ===
朝、起床すると、ベランダの欄の上には10cm位の雪が積もっていたでしょうか。
この朝の雪の状態は、既に拙ブログに一部書き込みました。

12時頃に撮った南の空 です。青空が戻ってきていました。
南西方向の空 
西方向の空 
          2階の 大屋根の南側先端に積もる雪 を少し入れて撮ってみました。
東方向の空


16時頃に撮った南の空
南西方向の空 
西方向の空 

雲は刻々と変化し続けます。類型化した雲の空は見られても、同一の雲の姿の空は見られません。

つづく

参照資料
*『新訂 新古今和歌集』 佐左木信綱校訂 岩波文庫
*『新古今和歌集』 日本古典文学大系28  岩波書店
*『新古今和歌集』 上・下 久保田淳訳註 角川ソフィア文庫
*『古今和歌集』 窪田章一郎校注 角川ソフィア文庫
1)​ 【国土を脅かす地震と噴火】9 平安時代の富士山① ​ 
     有史以来最も活発な時期/伊藤 和明               :「労働新聞社」
2) ​ 信夫山 ​  :「福島の山々」
3) ​ 信夫山 ​  :「福島市観光ノート」

補遺
信夫山 ​  :ウィキペディア
信夫山が熱い! NHK「にっぽん百低山」で紹介されたコースを歩こう ​:「福島市観光ノート」
陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに 乱れそめにしわれならなくに ​ :「小倉山荘」
忠義公 ⇒ ​ 藤原兼通 ​ :ウィキペディア
藤原義孝 ​  :ウィキペディア
藤原雅経 ⇒ ​ 飛鳥井雅経 ​ :ウィキペディア
左衛門督通光 ⇒ ​ 久我通光 ​ :ウィキペディア
皇太后宮大夫女  ⇒ ​ 藤原俊成女 ​  :ウィキペディア
惟明親王 ​  :ウィキペディア
右衛門督通具 ⇒ ​ 堀川通具 ​  :ウィキペディア

  ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

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Last updated  2023.02.04 21:51:07
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