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2024.05.31
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カテゴリ: 観照

2つのミュージアムへの往路は、普段と少し異なる道を歩きました。
JR京都駅の正面を出た後、塩小路通~七条通~西洞院通とジグザクに北に歩み、正面通との交差点で左折して、 正面通を西に 進みました。
この時、北側の建物を全く意識せずに歩いていたのです。
一筋西、 東中筋通との辻の北東角 、真新しい屏が鍵型に凹んだ区画に、

今では、長い歴史のある小学校などで、時折みかける 二宮尊徳の少年時代の像!
なつかしい像を目に止めました。
背後の建物が何か、全く考えもしませんでした。塀が高いので無視。 

台座の正面に 銘板 が嵌め込んであります。 「植柳小学校の碑」 と題字。
そういえば、この辺りに学校があったな・・・・。

銘文には次のようなことが記されています。
*明治政府による明治5年の学制発布より早く、明治2年9月16日に、下京第19番組小学校として、町衆により山川町に開設された。
*明治7年(1874)9月、児童数急増により柳町の現在地に移転。教室は本願寺から伏見城の遺構・関雅殿の寄贈を受けた。校名を植柳小学校に改称。植松町と柳町の町名に由来。
*当時の小学校は、原則地元負担による運営。寄付金、分担金、本願寺の援助金など。
*平成22年(2010)3月31日、閉校。140年の歴史。児童数減少による。
 下京渉成小学校に統合
*二宮金次郎像は、小学校の正門の横に設置されていた。

帰宅後に調べてみますと、正面通の北側、東中筋通と西洞院通の間の区画に位置した小学校の敷地が、デュシタニ京都という名のホテルに建て替わっていました。2023年9月にオープン。
京都市内も少しずつ変貌している!! 観光都市化が進展しているよう・・・・。


辻を横断し西に入ると、この レトロな建物 が見えます。 レンガ造りの建物
一筋西が油小路通で、油小路通と正面通との辻の南東角がこの建物の入口になっています。
建物の東と北側面を東から眺めていく形に なります。


建物の東面に六角形の尖塔風の箇所 がまず目にとまります。
例えば、スリランカのジャミ・ウル・アルファー・モスクの建物の一部、あるいはドイツのドレスデン城の塔の一部などを連想します。 (資料1,2)
各面にステンドガラスが嵌め込まれた窓が設けてあるように見えます。西欧の教会の窓にイメージがリンクします。


イスラム圏のモスクに見られる球形状の屋根 -例えばマレーシアのプトラ・モスクの屋根の一部- の異国情緒と方形層塔のイメージを組合わせたような意匠 です。
装飾的要素をかなり組み入れている感じ。

反りの急な切妻造の屋根の側面を切り取って組み合わせた印象 を受けます。
合掌部の拝(オガミ)には、 三ツ花懸魚 が設けてあります。





北側面に設けられた 窓の周囲は石材が装飾的に組み込まれ ているようです。
デザインは比較的シンプル。スッキリしています。
壁面上部に石材が横縞状に使われていて連続性を感じます







正面通に面して、 道路との境に石柱を建てて、鎖でつなぎ 、敷地境界が明示されています。
石柱の上面に石像 が乗っていて、おもしろいアクセントになっています。後で細見します。



辻の南東角に設けられた入口 。レンガ造りの建物に併せて扉は金属製で質実剛健という感じ。

扉の上のアーチ状に組み合わせた石材の部分を眺めますと、 ここにも懸魚の意匠 が取り入れられています。


入口前は石段 が設けてあり、 石段の両側先端には、ここにも奇妙な獣の彫像 が石柱上面に鎮座しています。 若干、阿吽形像の印象を抱き ます。狛犬像的機能を兼ねているのでしょうか。魔除け封じ・・・・。


油小路通に面した建物の西側面
デザインとしては同じ形がこちら側にも連続しています。

道路に面した境界表示のスタイルも同じ です。


敷地の南西側 には、通用門でしょうか、 が設けてあります。
門扉の上部はアーチ状の意匠 が取り入れられて、粗いメッシュ状の金属柵で防備してあります。侵入防止策としては当然でしょう。


門扉の前面通路の両側、油小路通に面する境界に、 ここにも彫刻像の付いた石柱 が建てられています。
手前は象だと識別できますが、南側の獣は何でしょう・・・・不明です。


重要文化財の指定を受けた建物 で、 現在は「本願寺伝道院」として 、浄土真宗本願寺派僧侶の布教・研修の道場として使用されているそうです。  (案内文より)

文化財としての 指定名称は「旧真宗信徒生命保険株式会社本館(本願寺伝道院)」
この名称で、どのような目的を持った建物であったかが分かります。

この建物は、 明治45年(1912)に東京帝国大学教授伊東忠太の設計 、竹中工務店の施工により建築されました。諸建物が併設されていたのですが、 現在はこの「本館」のみが残っている とのこと。
伊東忠太の提唱した『建築進化論』(石材や鉄に依存しつつも欧化でも和洋折衷でもなく、日本建築の木造伝統を進化させること)を明確に表現した建物 で、外観は古典様式に基づくものの、開口部まわりや軒まわり、塔屋の形態などにサラセン様式、日本の伝統的な様式が用いられています」 (案内文一部転記)

それでは、改めて、境界石柱上の奇妙な獣たちを眺めてみましょう。

つづく

参照資料
1. ​ モスク ​  :ウィキペディア
2. ​ 【2023年最新】ドイツの古都ドレスデンのおすすめ観光地10選!定番や穴場を厳選 ​ :「NEWT」

補遺​ 観照 諸物細見 一覧表
伊東忠太 ​  :ウィキペディア
伊東忠太 ​ 近代日本人の肖像 :「国立国会図書館」
伊東忠太の建築一覧 ​  日本建築めぐり :「建築パース.com」
伊東忠太とインド建築 ​  神谷武夫
サラセン ​  :「コトバンク」
ドイツの城口コミランキング ​ :「4travel.jp」

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観照 諸物細見 一覧表








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Last updated  2024.06.01 16:50:16
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