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ははは、前回の記事が2018年1月。またもや2年近くが過ぎました。
2018年12月に亡父の法事もどきがあり、その時から老母には会っていません。
汚家片付け手伝いの連絡も絶えたからです。
片付けどうなってんの?などと、自ら禍いを招くようなことはしません。
2019年は、義父が病気で亡くなりました。
11月12月と亡父の弟妹が相次いで亡くなりました。
香典を姉に立て替えてもらったので、立替分どう渡したらよいかと問い合わせました。正月に老母の家のどこかに置いておいて、とのこと。
必要と思われる用事がない限りあの家には行くつもりがない。ということを、宣言しようか迷いました。
まぁ、シンプルに伝えることしました。お正月には行きません。振込先か現金書留か、どっちがいい?
数日たちますが、返事はまだありません。
ということで、老母に最後に会ったのは2018年12月。一年経過。
そんなこともあってか、また凝りもせず見ている発言小町。今はこの話題。(笑)
■ 子供のいる娘・いない娘
https://komachi.yomiuri.co.jp/t/2019/1215/925213.htm
想像ですが、次女さんの気持ちはとても良くわかるのです。
こっちを向いてほしい。私を認めてほしい。そして親のためにいろいろ尽くす。
そして、残念なことに、尽くせば尽くすほど親に利用されてしまう。親はそれが当然で不満に思うほうが親不孝と考える。
子供心に思ったものです、都合よく使われるようになるんだろうな、貧乏くじをひくんだろうな、と。
私を認めてほしいという思いと同時に、親の態度に傷つく度に対策も取らねばならないと思った10代でした。
つまり、産んでやった、育ててやった、〇〇してやった!と親が言うのを、どれだけ小さくできるかどうか。
高校は、2箇所から奨学金を借りて、制服から修学旅行まですべてまかないました。
大学は、国公立に入る頭はなかったので、一年浪人中に入学金を貯め、授業料免除してもらえる大学に行きました。授業料免除の毎年の申請は、ちょっと嫌な思いもしましたが、仕方ありません。
家から遠い大学だったので夏休み等のバイトは交通費と教科書代などに消えました。
そして当時の母は私に言いました。授業料免除等のことは親戚に言うな、と。
当時は、父のプライド保持のためかと考えていました。
私の大学進学を、あの母は親戚に何と言っていたのかは知りません。
まぁ兄の葬式の時の、顔見知りではない親戚の私への態度を考えると、姉を持ち上げて妹(私)を下げるのは当然のことながら、よい風には言っていなかったんでしょうねぇ。
それと、私は母親の愚痴のゴミ箱でした。
私が他の親戚と仲良くなって、母がこう言っていた、ああ言っていたなどと話したら、母が困ります。
母にとっては、私と他の親戚が仲良くなるのは防ぐ必要があったのだろうと、今はわかります。
働きだしてから家にお金を入れつつ、一人暮らし準備貯金を貯める。
一人暮らしと同時に分籍届提出。
あの小さいアパートのドアを開ける瞬間の安心感。幸福感。
結婚してからは、夫婦で年始の挨拶。
父が亡くなってからは、兄弟で決めた送金を続けています。
大丈夫、もういいよ、って声がします。送金は続けますが、無駄な年始の挨拶には行きません。
それに、義父が亡くなって喪中ですしね。
今の幸せを、再確認。
2021年あなたの庭では遊ばない 2021年10月25日
さらば老母 2018年01月30日