全1105件 (1105件中 1-50件目)
最終日の午前は大阪中之島美術館へ。建物自体が立派。常設展示がなくて企画展が「ものに見る芸術」?とかだったので、様々な展示物(日常品が多いので触れてはいけない芸術品とわかりにくい)に触ろうとして危険な息子を連れた自分は、ほぼ素通りのように順路を通って出て、館内の椅子で過ごす。 そこから梅田スカイビルに行く予定で、路線バスに乗ろうと思ったのだが、やっと見つけたバス停が逆方向…反対車線のバス停が目視では見つからず、あまりの暑さに少し茫然…その時、目の前を通ったタクシーに助けを求めるかのように手を挙げて、乗り込む。 「梅田のビルまでお願いします」…という自分の言葉に…運転手さんが「えーと、どのビルでしょうか…スカイビルですかねえ」と推測してもらい、暑さですでにだいぶ自分の思考力がなくなっているのを感じる。 梅田スカイビルでは高いところ大好きの自閉系息子はなかなか満足!…だが、観光客の多さかお腹が空いてきたかで、やや不機嫌。ちなみに不機嫌になるといつの間にか帽子が横向きになっている(笑)…のだが写真の時はそこからすでに90度回転している! 空腹を早く解決しようと、ビルの地下街で、お好み焼き屋に入ろうと思ったら、有名店だったのか、外国人観光客の行列。10人待ちの所に並んだが「ここから40分待ちです」と言われてすぐに切り替えて、うどん屋に入る。するとそこがビルの中庭の噴水の美しい場所で(写真なし)こういうラッキーも珍しいと旅の最後を喜んで終える。 早く新大阪駅に着いたので指定席を取り直そうと、人のいるみどりの窓口を探すが機械しか見つからず、ちょうどあったJR西日本株主専用窓口に、株主ではないけれどどこに行けばいいか聞こう…と尋ねたら、「何時ごろのにしますか」と聞かれてとんとん拍子に30分後ののぞみをとってくれて、そのスピード感に驚き、「(街の人々に)きたえられているなあ…。」と感心する。毎回、福祉割引の乗車券を買うのに拝島駅でどれだけ目も当てられないことになっているか…。以前は住んでる地域の駅にあったのだがなくなり、わざわざ行く拝島駅での毎回のひどさに(待つ場所も暑い外で立ったままだし、自分が人を待たせることになりつらい)、これなら窓口が複数ある立川駅まで電車で行ったほうがよほどいい…と今回もなったのを思い出す。 そもそも、指定券はネット経由でとれる(エクスプレス予約)のに遠距離の乗車券(福祉割引)は有人のみどりの窓口しかダメ(事前登録とかすれば不正も防げるのに、できないのは不正防止が理由らしい)というのがおかしいのだが。我が家はともかく、電車の利用がしにくい車いすユーザーに、乗車券を事前に買うために電車に乗って他の駅に行きなさい…って、なんだか変だなあ…と。 先の新大阪駅員のすばらしさで新大阪駅での滞在時間は30分くらいだったのだが、そう混んでない時でも、涼しくてくつろいで待てる場所がなくて(新幹線待合室は大きいのだが、人の数もいるので)困った。これを書いているのは、台風で山陽新幹線の乗入れ運転がなくなり新大阪駅に人があふれた8月18日…よりも後なので、「あそこが大混雑したら人々はいったいどこでどうすごしているのだろう…」とニュースを見て思った。我が家では、無事にこの夏のイベントが(早々と)終わり感謝。
2023/07/28
コメント(0)
山口マツダ西京きずなスタジアムでの高校野球観戦、下関帰省か らの福岡旅行…には続きがあって、帰省の際はほぼ毎回1泊か0泊で新幹線途中下車の旅をしている。今まで行ったのは、福山・彦根長浜・浜松・岡山・姫路・新横浜…東にいくぶんには往復乗車券の値段は同じなので(特急券は割高になるが)家族で全県制覇に向けて少しずつ…そしてだいたいお城のある所に行っており、今回は「大阪」へ。奈良県の旅(息子中学生の頃)で生駒山上遊園地に行ったので正式には大阪初訪問ではなさそうだが、いわゆる大阪の街は初めてということで。 新下関駅に早朝着くと、ほぼ誰もいない場所にストリートピアノがあり、夫婦交代で弾くのだが、鍵盤の白い部分が少しずつなくなってきて(木の色)、時にそのすき間に爪が引っかかる…といういつ撤去されてもおかしくない状態である。次の誰かの寄贈待ち…なのか。 第一目標は大阪城だったので、新幹線下車の後、新大阪駅か大阪駅(梅田駅)でコインロッカーに荷物を置いて、昼飯を食ってちょっと行って来よう…という計画だったのだが、駅が広くて小さなコインロッカーコーナーしか見つからず空きがなく、駅構内で移動距離が長くて荷物が重くて…としているうちに「えい、もう先にホテルに行ってしまえ」と地下鉄御堂筋線で1駅乗って、駅から徒歩4分(…と書いてあったが迷ったので地獄の15分間を過ごす)のホテルリソルトリニティ大阪へ到着。 ビジネス街の高いビルで周りが見えず、スマホの位置情報は調子が悪く、見つからない焦りと荷物の重さで死にそうになったり、イライラしたり…それもそのはず、7月27日(木)の午後の大阪の気温は38度!…この日の全国最高気温であった。 チェックインしたら涼しい部屋で息子はすぐに裸祭りで昼寝に入り(笑)、その間に計画を立て直して夕方に「スパワールド」に行くこととなる。結果的に、大阪城行くのやめて良かった。公園内、昔のお濠がある公園なのだから絶対すごく歩くし、あの暑さの中では親も子も不機嫌爆発…まちがいなかった。 そういえば、地下鉄の中でも、降りて地上への階段を上がる時にも、この街で感じる象徴的なことがあった。 梅田から地下鉄に乗り込んだ大荷物を持った三人…うち一人はは絶対変わってる人…とすぐわかる私たち。できれば一人座らせたいが無理だったので何とか人が少なめの所に場所を確保…というタイミングで、50代?くらいの女性が、ぱっと席を立って前方まで来て、「良かったらここ座り!」 「ありがとうございます。でも1駅なんで、かえってこのままで大丈夫です。でも、声かけてくれておおきに!」みたいな西の人か東の人かわからない自分の返事に、またいい笑顔で「ほんまか、遠慮しとらんか。途中でも座りとうなったらまた言うてや」みたいな感じで、すごいスピード感と勢いで気持ちの良い親切を受けた。(その間、30秒くらいとはいえその席が空いたままなのもよかった。おばさま、またその席に無事戻れた) 地下鉄を降りてから、地下空間からの長い階段を上っていると、上から熱風が吹いてきて、その途中の踊り場でスーツケース2つを真ん中に置いていちゃついている男女観光客が見える…。もうすぐそこに着いてしまうし、このままでは大荷物を持ったまま通れないので、10段くらい下から「通りますよー!」とバカでかい声で一応優しく叫ぶ自分。ところがキスが盛り上がっているのか気づかない動かない…で「どけやこのクソが(ピー)…」みたいな感情を押さえて、言葉を選んでなんて言おうか考えていて、もしや外国語が必要なのか…と思っていたところで、上から降りて来た30代くらいの女性が、まずササッとそのスーツケースを動かして二人の方に寄せてくれて、「あんたら、これ、邪魔なってんで!」(でもあまり反応なし)みたいにやってくれた。本当にありがたかったしすごく礼を言ったのだが、後から考えて「あのタイミングですぐに迷いなく人の荷物を動かせるかって言われたら、結構そういうの平気な職業の自分たちでもできんなあ~」と妻と話す。 以前、仙台の人たちがさりげない親切がすごいと書いことがあるのだが、大阪の人たちはストレートに親切(笑)その分、障害児の親の立場で過ごしたら、言われる時はいろいろ言われそうだし、でも堂々と優しくしてもらえることもありそうだし、そのあたりは過ごしやすいのか過ごしにくいのかどっちだろう…なんて思いながら、少なくとも観光客としてはいい経験をさせてもらった。(自分は大阪初めてではないので感じは知っている) さて、夕方からのスパワールド。プールとお風呂をそこそこに楽しむ。ビーチボール専用の場所(ネットがあるわけでなく単に隔離空間)…があるのが斬新だったが、これはトラブル回避になるだろうなあと感心。男子高校生グループは1時間ずっと本気でバレーをしていたが本当は出会いを求めていたはずなのでは…と勝手に心配。 退場すると薄暮の中、見られる予定になかった通天閣がそこに見える。行きに、動物園前駅のすぐ前なのに方位を間違えて迷っている道中、3人ほど危険な運転の自転車のオッサン(絶対酔ってる)に遭遇した(笑) ケンミンショーとかで言われるそれは大げさな話でないんだ…というのがあったので、泳いだ後の食事は、そんなディープ空間でそういうみなさんがたくさん楽しげに過ごしている「新世界」とかそっち方面…に向かう階段を降りていく勇気は出なかった。 しかし、絵になる街だなあ。ついでながら、うちの息子はビリケンさんに昔から結構似ている。 淀屋橋駅まで戻り、行きに見たお好み焼き居酒屋に入ろうとするが入れず、となりのたこ焼き屋(行きに見た時にテイクアウト専門と思った)が入れたので、そこで食事&飲み会。ミナミの中心地に行かないと食べられないと思っていたうまいたこ焼きに出会い、その他のおつまみもちょうど良く、最高であった!…が店名は忘れました(笑) 緒方洪庵の適塾跡地(というか今は緒方ビル)に近い所にある店。 宿泊はホテルリソルトリニティ大阪。名前が覚えられないのが難点だがそれ以外は満足で、大浴場もあり、朝食もうまかった。これもまた緒方洪庵の適塾(適々塾)跡の近く…としか説明できず申し訳ないが、隣りが明治初期の洋館(下関で言うと旧英国領事館みたいな)であった。教職教養や日本史でその名を覚えた緒方ビルができればこういう趣であって欲しかったが…つい通り過ぎるほどのただの会社ビル。
2023/07/27
コメント(0)
7月26日 世界遺産となった宗像大社へ。大島(三宮)と沖ノ島(二宮)とセットでなったことは知っていたので、前日そう思いながらホテルで見た夕日と島は感動的だったのだが、参拝してから資料館に行ったことで、「沖ノ島ははるか彼方だった…」ことがわかる。そういえば数日前に飲んだ「控え外野手」の友人が翌日沖ノ島にダイビングに行く話をしていて、「壱岐・対馬並みの遠さ」と言っていたのに対し「へえ~」と答えていた自分を思い出す。どんだけ聞き流してる(笑) ちょうど祈祷をお願いした人がいて大仰な雅楽の世界が見られたのだが、その写真はなし…(ビデオをとっていたので) たくさんの国際観光客がビデオ撮影中の雅楽の最中に、中央のさい銭箱に歩み出て、盛大にお賽銭を投げ入れてお参りポーズする我が息子(たぶんそうまちがってはいないはずだが普通はひるむ)の堂々さが世界を動かしたのか、後に続いてお参りして立ち去る人もちらほら。我々は涼しい別館に行き、母と妻は最後まで見届ける。 少し離れた「海の道むなかた資料館」は、世界遺産になってから慌てて作った?ようだが、とても良かった。沖ノ島の祭祀用の鏡や外国からの器…正倉院もびっくりのお宝が出ていたり、映像の力で、立ち入り禁止の島に入った気になれる。 北九州市まで戻り、照葉スパリゾート門司店(前行った時と店名が変わっていた。一度潰れて経営が変わった模様)でいくつもある風呂を少しずつ満喫。一つの場所で短時間しか入らないから、息子は結局、温泉宿よりスーパー銭湯でいいってことか…。 夕方は実家で過ごして、歩いて行ける民泊施設熊野「魯」で宿泊。とても落ち着くし良いのだが、民泊だけど他の日に使った安ホテルより高いので…これが最後となるかな。 でも、いつか、母がいなくなり、実家を壊す日が来て、だからどうしてもこの町に今日は泊まりたい…という日が来たらここをまた使うかもしれないな…なんて思ったら少し不思議な気がした。 もともとは旧市内の山の口町の借家に住んでいて、家賃値上げの際に「じゃあ家を建てる」と父が謎の決断をして、自分は中2の時に転校することとなり…人生の転機(つらい方)となった…んだけど結果的には必要な時間だったのかな…とか。そんなことを思っていたら高級ソファで熟睡…。
2023/07/26
コメント(0)
7月25日 家が博多駅に近かった、電車が走っていた、堅粕小学校だった、緑橋があった…という母からの少ない情報(11歳まで住んでいた割には…)から、かなりの位置情報を割り出して、昔、自宅があったと思われる地域や通学路と思われる道路を車でゆっくり回った。何もなかった場所までビル群になっているし、旧博多駅は出来町公園として残っているがただの原っぱだし、「この風景は!」というのはなかったらしい。神社なら昔の風景も残っているか…と櫛田神社(山笠で有名)に行くがあまりそういう感じではなかった。が、その前に行った「博多町家ふるさと館」にあった2代目博多駅の写真に強く反応! 「私これ知っとるよ!」(そりゃそうだろうw)ということで、片道6車線(右折・左折時のレーンも含む)もあるようなところを必死で運転して右往左往して、一方通行の多さに方向感覚を失いながら時間を過ごした甲斐がやっとあった。が、あの写真だけならネットで見られるが…昔の民芸品とかの中で見るから意味があったのだと…思うことにする。 道の駅むなかたで昼食。ロイヤルホテル宗像でプール&宿泊…の予定が、部屋で水着に着替えて中庭に行くと「雷が遠くで鳴って雨雲が近づいている」…というのでプールを閉めたばかりの係員と遭遇。もう着替えているのにそれは息子に納得させるのは無理…もう料金も払っているしそこをなんとか…と懇願し、じゃあ上の人に聞いてとなったので…フロントで大声で芝居がかった懇願をして…なんとか、10分間だけ入れてもらう。(ちなみに雷雨は30分後くらいだったのでお互いに結果オーライ。 和洋室は使いやすく、温泉も良かったし、食事もおいしかった。(プール入れてくれたので、その後はとにかく従順で感じのいい客として過ごすw)
2023/07/25
コメント(0)
今回の帰省の目的の一つに、母を旅行に連れ出すという目的があった。両親健在の頃は我々が帰省するとほぼ毎回旅行に行っていた(元石油タンクローリー運転手の父に長距離運転をさせて自分が楽する狙いで、広島旅行と称して迎えに来させたりw)ので何となくそれが自然だったが、2019年の帰省時は二人の足腰が弱ってきたこともあり、自宅で会うだけになっていた。 母一人になってそういう機会も減っただろうとコロナ禍で2回企画したが流れていたので、冥途の土産に(と本人にも言ってしまうが…)今回こそと意気込んでいた。 川棚温泉、菊川温泉…のふぐコースの予定が、流れるうちに遠出する計画に変わり、博多まで(下関から)車で行くことになった。母の足がだいぶ弱って新幹線のホームはつらいということでそうなったが、自分が嫌いなので高速道路には乗らない自動車旅。なぜ博多かというと、そこが母が幼少のころ過ごした場所だというのを思い出したからであった。 つまり我々(自分と息子)にとっても、ルーツをたどる旅だったのだ!7月24日 下関から宗像を経由して博多へ。下の道で順調だったが、若松区と戸畑区を結ぶ赤い「若戸大橋」が関門橋のように有料道路だと思いこみ、避けて行こうとするとどこにも渡れず、ぐるぐる周辺を回って無駄な時間を過ごす。シーナ&ロケッツのルーツをたどれた…かのようにいろんな道に迷い込む。彼らが見上げていた赤い橋は、無料だし、通るととても近いし本当は便利です。 北斗の水くみ海浜公園海水浴場。きれいだが、熱砂が地獄。ライフセーバーがいる…というのが売りだったのだが、トイレに「ライフセーバー募集! 泳げなくても大丈夫!」とあって(笑)、こける。溺れたら通報してくれる?ってことなのかな。 そこからもかなり運転してルートイン博多駅前ホテル泊。車から荷物を降ろした直後に激しい雷雨。夕食には駅ビルにぬれずに行ける立地でナイスだった。大浴場のあるホテルだったのだが、43度の湯は熱すぎて、息子、足までは入ったが10秒で出て、結局湯船につかれず…。女湯は「熱いけど入れた(温度のちがいか気合のちがいか)」らしく、母が満足ならまあ良かった。
2023/07/24
コメント(0)
7月23日 土井ヶ浜海水浴場へ コロナのことで夏に帰省するのは2019年以来。その年は他に行ったこともあり7年ぶりくらいか。この日はやや濁りがあるけれど波は穏やか…関東で行ったここ数年のうちに息子は「やや荒波」を求めるようになっており不服そう。首を折り曲げて沖を見る。(波が来た時の昨年のポーズ) 山陰方面に来たら「たかせ」の瓦そば。本館が休みで別館?にて。それでも本家はうまい。メディアがつくった瓦そばブーム…山口県全体に広まって、おいしくないものも増えて、たぶんよそで変なの食って「瓦そばまずいね」という観光客増えるんだろうなあ…と余計な心配。 自分はここの瓦そば以上に、山陰方面に来たら必ず買う、他地区に出回っていない「二見饅頭」がこれまたソウルフード。一口サイズのほぼこし餡に薄皮。甘いものを日頃食べない息子と取り合いになる。海で食べる予定が着く前の車中でなくなる(笑)
2023/07/23
コメント(0)
7月22日父三回忌 息子それなりにがんばる。浄土真宗…何派かわからないがすごく歌わされる(笑) 平家茶屋で食事。関門海峡の絶景。船の行き来すごい。予約時に法事の後と伝えただけなのに、かげ膳を用意してくれていて驚く。 夜は前日会ったサードと控え外野手と飲む。
2023/07/22
コメント(0)
楽天ブログへの旅のまとめ投稿ができないまま、冬・春・夏と3回も旅が終わってしまったので、FBに記録するだけでもいいや…と書いたらそれなりの文章量になったのでこちらにも写真を差し替えて掲載。過去に戻って7月21日からの旅の始まり! 地元駅始発での強行軍(自分は午前3時起き、息子4時起き)に、息子が珍しく新幹線で寝ていた。日頃は両親が爆睡してもひとりウォークマンを聴き続けているが…。朝早く出されたのは、祖父の3回忌前日の帰省が、母校野球部の試合と重なったため、「これは行くしかない」と妻子を巻き込んでの初日のオプションが野球観戦。第2シード校を一つ倒してのベスト8進出。大学2年生の時にまだ知っていた後輩たちを応援しに行って以来の38年ぶり。(遠い目) 相手の高川学園が秋・春と県大会優勝校。昨夏全国準優勝の下関国際は反対側ブロック。徳山高校の監督は大学で知っている顔(友人のチームメイト…というか学大野球部)。ちなみに決勝は宇部鴻城VS南陽工業となる。 屋根のあるネット裏席の最後方は涼しい風が時々吹いて快適。かき氷の助けも借りながら、息子、予定の2時間くらい(7回裏まで)を無事に過ごす。ニコニコ見ていたが、野球そのものを見ているのでないとしたら何が楽しかったのか…やまなみ? 後で一人で下の方まで降りてみたら迫力が全然違った…野球見るならバックネット裏かぶりつきがやはり良い。 球場で40年前の同期のキャプテン(4番ショート)とサード(兼投手)に会う。この場で会えると結構感動。ほぼ毎年飲み会であってるけど(笑) そのサード(この世代では「あの時のサードの人!」と言われている)は今年母校のコーチとして名前が載っている! 感動。当時の教育実習の先生は野球部長…自分の東京行きを後押ししてくれた人である。ちなみに、校長先生は当時マジに怖かった先輩である(爆) ちなみに試合は0対2まで見たが、その後1点取り、1点取られて、1対3で敗れた…。貴重な1点は、キャプテンのタイムリーで、そのキャプテンは同期(野球部でなく陸上部のちゃんとした人)の息子さんと聞きこれまた驚く。 息子がいつも食べる下関駅のふく天うどん。 自分がいつも食べる下関駅の肉うどん。たぶん、瓦そばよりもソウルフード。ただ、最近は新下関駅の肉うどんの方が本当は好き。
2023/07/21
コメント(0)
6月12日の出来事。FBより再編。写真横向きのままですが記録用ということでお許しを。思わぬ形で近況報告。春から3校12枠、全部新規…で忙しく充実した講師ライフです。完全にどこだか西多摩地区の方にはわかるので友達限定記事に一応しつつ、今日の出来事を記録。…というか近況報告が遅れましたが、まずは昨年度通常級で1年生5クラスに出ていたEast。今年度は、自分が支援級を希望したこともあり、通常級講師枠はなくなり(教諭の先生負担増えてすみません)、週1回支援級のみ4クラス(40名の大所帯)に出ています。大変だ…と聞いてたから力になりに行ったつもりですが、やはり大変で(笑)、先生たちの負担軽減になったかどうか微妙で、怒らずにソフトにやるぞ…と思っても、H島中生活指導部副主任の頃の心や目つきに戻って、でも思い切りよい指導はできないのでストレスたまっています…。 一方で、3年ぶりにもどる予定だった市内のうちから2番目に近いM中は、他の方の去就の玉突きで講師枠が急になくなり、一度断ってしまっていた1番近いG中というかGo中に6年ぶりに復帰することとなりました! 3クラスオールになった18年前に講師枠が生まれ、息子小学1年生の時から12年間行って、6年空いて今年もどると、もう2クラスオールしかありません。本来講師枠ないのでは…と思ったら、若い先生の軽減枠なので今度はそう長居できなさそうですが、空き時間には6年前にやり残した「社会科準備室」の片付け…など、思わぬ「人生の後片付け」みたいなことも(これは急に指導主事にとられたU田先生のやり残しですが)「片付け不十分で申し訳ない。F先生、N先生、後はお願いします」という古文書発見と共に楽しんでいます。というか、ここの子たち何か波長が合うのか、変な人は多いんだけど(笑)授業が楽しみです。まあ、合うのか合わないのかわからん妻もここの出身ですが…(笑)それが週3回ですべて枠は埋まった…としていたところで、ここよりさらに西にある隣町の1校、正確には隣の村の1校から、支援級のお誘いがありました。実は今年、市内6校のうち4校、隣の町は2校のうち1校、隣りの村は1校のうち1校…と3月に話をいただき、「俺、なんかむっちゃもててるんだけど? 昨年市教委指導室ともめたことで’(妻の学校の管理職のことで…これはまたいつか別件で報告)逆によその校長から人気出てる?」と軽口をたたいていたが、まあ、偶然そろって空きが出ただけとはいえ、昨年・一昨年と欲しかったよなあ…即OKだったのにと惜しみながらみんな断ったのだが、隣の村は支援級で少人数だし行きたい気持ちもあり、頼む管理職の感じもすごく良かったので、火曜日に4校時までG中、5校時までに車でH中に移動して5・6校時の枠も受けました。(ここまでが近況報告兼前置き)ふたを開けてみると向こうの5校時スタートは13時25分。山は日が暮れるのが早いからか…と思いつつも、G中で12時40分に終わって、職員室で荷物を持って出られるのは12時50分。向こうでも10分前につきたいので実質25分間の移動…はギリギリで車中食をするしかない。そして、普通その時にいろいろやる信号待ちがほとんどない。なので最初から準備をして、たまにある信号や、直線が続く時にひょいと口に入れる感じ…サラダスティック様々、おにぎりももち米がベスト、のり付けるのは無理…(でもデブには昼飯抜きの選択肢はない)そんな方法に慣れてきたがとにかく焦ってはいる(が、安全第一でやるので大丈夫)のだった。が、今日は安全運転のその前に起こった。写真でどうぞ察してください。写真の後ろにコメント追記します。門の足の出てる低い方の金属に、ぐっと擦り付けたようで、タイヤの横がナイフで切ったようになっていた。なので、凝固剤と空気を同時に入れてもプシューッと噴水のように広がる…。スペアタイヤがある時代ならまだ20分遅れ位で何とかなったかもしれないが…。車の保険関係で、レッカー車を呼んで、販売店に持って行き、バランスで2本タイヤを購入して交換。代車で帰る。悲しいのは今年からの学校とはいえ、その前に12年間行ってたのになぜ今更…というところ。今までも同じようなことをやっていたけど運よく助かっていたんだろうなあ。もしこの日そのまま焦って行ってたら「対向車線からはみ出てくるトラックにぶつけられて大事故」…とかだったのをタイヤパンク程度で済んだ(守護霊とかどなたかのご加護)…と前向きにとらえて…タイヤ2本交換&技術料、しめて4万6千円也…。
2023/06/23
コメント(0)
年賀状の文面より 春三月、行き始めた中学校特別支援学級(情緒)と特別支援学校(肢体・高等部)の枠が一気になくなる…というピンチを迎えながらも、市内で四校目となる中学校(通常級)に滑り込みセーフ。 十一月、秋川流域花火大会に中丸工房としてブース初出展。息子が関わった牛乳パック再生紙にプロ・アマが描いた絵・版画を販売しました。 教師業(三十六年目)もしぶとく楽しみながら飛躍の年にしたいです。息子書「卯」…母かなり誘導の書
2023/01/01
コメント(0)
年末にまとめてアップシリーズ。当日の様子を、友人たちまで公開のFB投稿より一部貼り付けます。 花火大会ブース出展、無事終了いたしました! 経費を考えるともうかってはいない(笑)わけですが、息子のやった仕事(といっても本人にとっては日常の紙ちぎり)が世の中の経済活動に結び付いた…という意味では卒業後初めての記念すべき日となり、うれしかったです。 こうした出展、どこかでまたの機会…があるかどうかはわかりませんが、そこに向けていろいろ考えていかねば…と思ったところです。売ることを度外視して美術館風のたたずまいを…と設定していましたが、入りにくい店に入ったけれど買わなかった人もいること(本来それで良しとしていました)、逆に店を横目に見たけど入らない人が多いこと(キッチンカーに並んでいて、買ったらすぐに花火の場所取りに行く人が100人中99人w)…この辺りの人を取り込む方法を考えないといけなかったな…と、本来はそこは気にしないはずだったのに、行列のできる店のとなりのラーメン屋さん…みたいな気持ちになって、ちょっと悔しかったので、商魂に火がつきました。 そもそも、インターネット販売の準備をまだ全くしていなかった(今回の販売物の準備で精いっぱいだったが、そもそもやっとかないとと思いついていなかった)ので、もしそれがしてあれば、ホームページを紹介するフライヤー(ブースに入った人に配っていたビラ)を、キッチンカーの行列の人に配れば当日や後日の展開が違っただろうなあ、もったいないことをした…と反省。 美術系団体の「出展」ではなく、美術商として「出店」していく方向に自分がシフトしていく…そんな予感がします。というか、たくさん持ち帰った一点物の商品どうしようか…そうだフリーマーケットか(同じ会場で翌日フリマあったようですが、さすがにすぐはw)…などと考えながら、本日からしばらくは工房の道具やその商品や作品提供者の個別会計などの後始末に追われます。 と言いつつも、やってよかった、この話に乗って良かった…という楽しい時間を過ごしました。工房スタッフは自分と上田画伯と新旧教え子5名。その日が空いてそうな職業の人たちで、こういうイベントをおもしろそうと言ってくれそうで、しかもやり始めたらすごい力を発揮しそうな人たち…という人選で声をかけましたが、私の人を見る力というか心眼に感心…自画自賛(爆)する結果となりました。「考える力」とか「生きる力」、むかしの学校でも多少荒れて雑な環境でも、育つところでは育っていますよ。 倉庫となり水回りもダメになっていた旧宅を、工房として使えるように整理し始めた7年位前にはこんな日が来るとは思いもしなかったなあ…と感慨深いです。 ということで当日の販売物の写真、インターネット販売にむけての準備ページでご覧ください。 あっ、いつか本当にネット販売し始めましたらご購入の検討もお願いいたします。こちらでつながっている方々には「納期いつでも可」や「一般の方優先の納品先延ばし」などの特別条件(工房の甘え)でご提供させていただきます。(割引って言えよw)これは販売ページではありません。工房のブログです。https://nakamarukoubou.jimdofree.com/
2022/11/19
コメント(0)
教え子がFacebookで書いてくれた記事を記録としてこちらに無断貼付けしました。今週末は花火!19日(土)秋川で花火大会があります。緑豊かな東京です。私はメイン会場で「中丸工房」という福祉作業所の展示販売をお手伝いしに行きます。中丸工房は、中3の時の担任の先生が、息子さんを所長として開業した福祉作業所です。工房で作られた紙に、アーティストや地元のアートを学ぶ学生さんが絵を描いたものなどを販売します。キッチンカーが出たりスケートパークがあったり、昼から楽しめるイベント会場になってるようです。先生とは中学卒業以来会っていませんが、「手伝いに来い。お前が番頭だ」と言われたので行きます。先生は うたうははごころのCDを買ってくれたので逆らえないので、行きます。とまれ花火です。緑豊かな東京に週末お出かけの方、お近くの方、ぜひー。かつてお近くだった方も、たまには実家に顔を出しましょう。私は実家には寄りません。花火大会当日の様子も、もう一つの記事で。
2022/11/18
コメント(0)
帰りにちょっとだけ寄り道して小田原城のお濠へ。城は以前行っているし時間もないのでパスしたが、車でちょっと壕を見たくて、ただそのイベントというか仕掛けをどの場所でやっているのかわからないけど、たまたま通ったなら…と帰り道から90度曲がってみると…最初に出たお濠にあった!星槎で講師をした時にお世話になった北川純先生(たぶん同い年)の芸術。SNSで見た時は、お風呂に浮かべるアヒルだと勝手に思っていたが、大きかった!飛んでいくアヒルが特にいい。日頃(って言っていいのか)、北川氏がおこなっている「女性の像に白Tシャツを着せる活動」もかなりストライクだったのだが、これはさらに万人受けしそう…というか芸術家がやってるって気がつかないかもしれないけれどもいろいろといい!そしてずっと車は走り、帰りに町田のロテンガーデンに寄る。16年くらい前に仲人さんのお葬式の帰りにたまたま見つけて、このスーパー銭湯、いつかまた来ようと思っていた。茶色いお湯が…あれ、湯河原よりこっちの方がいいぞ(笑)ごはんが…あれこっちのほうがおいしいぞ…いやいや勘違いということにしておこう。ホワイトホットセーフティ バスディッキー お風呂のあひる Munckin(マンチキン)iPhoneケース 手帳型 iPhone13 ケース iPhoneSE iPhone12 SE3 SE2 8 Pro Max mini カバー お風呂のアヒル 黄色 あひる イラスト 動物 どうぶつ アニマル柄 模様 カラフル かわいい カワイイ きれい おしゃれ ギフト グッズ 雑貨
2022/08/10
コメント(0)
海の家で軽く昼食をとり、少し泳いであがる。だいたい2時間半。これは大体どこに行ってもそれくらいなのでもったいないけどしょうがない。今回この海水浴場にはSがちぎり続け食べ続ける海藻がないことに気がつく。ボードもそれを乗せるために使うのだが今回は出番なし。海藻がありすぎて困ったことも(山口県の阿川ほうせんぐり)、波が穏やか過ぎて自分たちの周りだけ水が濁って困ったことも(瀬戸内海の松山市側)あったが、ないってこと今までないので…と書き始めて、そういえばSの海デビューの熱海もそうだったかもなと思う。その時は海水浴場自体が人工的過ぎて水も変なぬるさできれいに思えず自分がすごく嫌だった(笑)のだが、ほぼ同じ位置にありながらこんなに全然違う海水浴場(海藻のこと以外では)で、湯河原海水浴場は相当ポイント高い!もし、この黒さが寂れた感を出して人気がないとすれば、インスタ映えを求めない人には最高!日帰り温泉に寄り、いい時間を過ごす。前日泊まったホテルの目の前で、万葉の湯がやってるところ…やぱり使い勝手がいい。さらに奥に進み、千代田館に泊まる。今度は洋室だったのでくつろげた。が、部屋にあるはずのシャワールームがないので、水着が干せない。予約の時に確認したはず…と見直すと「シャワートイレ付」とあった…。勝手に、湯船はないけどシャワーはある…シャワー&トイレだと思い込んでいたけど、まさか「ウォシュレットそのもの」のことだとは!というような勘違いはあったものの、使い勝手の良いホテルだった。翌日、本当は泳がない予定だったが、せっかく海の家の使い勝手もわかったし、駐車場も町営のものがより近いことがわかり(トイレのある所)宿泊者なら時間的にそこにも入れられそうだし…また泳いだのがこの先の写真。S母の指こだわりで帽子とゴーグル。一見ライフセイバー。波は結構あって自分的にはすごい方だったのだが、駐車場のオッサンによると、「今日は普通かおだやかな方」らしい。\楽天ランキング1位受賞/ ボディボード ボディーボード ソフトボード サーフィン サーフボード ショート 子供用 子供 ジュニア キッズ 大人用 ショートボード 2人乗り 初心者 IDEAL アイディール サーフ 海 プール 海水浴 【離島不可】ボディボード ボディーボード ソフトボード サーフィン サーフボード ショート 39インチ 【店頭受取不可】39inch ideal 子供 子供用 大人 キッズ ジュニア 初心者 初乗り 波乗り マリンスポーツ リーシュコード サーパストレーディング IB-100ジュニアフローティングベスト FV-6116n NEW ファインジャパン 釣り用・川遊び・水遊び用 子供用★送料無料 ライフジャケット フローティングベスト 4色 男 女 大人 ライフベスト 救命胴衣 lifejacket 釣り フィッシングベスト カヌー カヤックフィッシング 防災 水中作業 川遊び 海水浴 マリンベスト 高浮力 110kgまで
2022/08/09
コメント(0)
高速道路が苦手である。が、無料のバイパスは結構好きである。ちがいは隣の車線を120kmとかで抜かれるのが嫌なので、疲れる。が、下の道なら長時間の運転もそう苦にならない。ということで、湯河原へ。16号のバイパス使う。圏央道使わない。西湘バイパスは有料だから使わない(が、その下の海の家で過ごすこととなる)方針で、途中小田原から渋滞にはまったがこの時は西湘バイパスのの渋滞も見えたのでいらつかず(笑)まずは予定通り、吉浜公園に3時半頃着き、湯河原のプールにて泳ぐ。施設から海が見えるのに泳ぐ場所が違うので少し怒るS氏…。が、こういう「明日はあっちの海で泳ぐよ」と言える時は結構すんなりと「なら、よし」とうなずく。この日の旅館は湯河原に来ているのだが、県境だったので住所は熱海市になる「いすゞ」へ。相当に古い、昭和感満載の宿。料理はおいしかった。ただ、和室だと着いた時と朝食の後に布団がない…という普通のことが我が家の場合は困る…ということを再確認。他の旅行なら平気なのに、家族旅行はそのタイミングで「裸祭り(すべて脱いで布団にもぐる)」を行うといういつの間にか定番化したこだわりがあり…。着替えて水着で車に乗り、いよいよ湯河原海水浴場へ。前日行ったプールの駐車場からでは相当歩くことがわかり、駐車場が近い海の家「クロンボ」を利用。今時この名前大丈夫か…(公教育では「ちびくろサンボ」とかがダメという話だし)と思いつつも、そうした感覚も含めて、こちらも昭和感満載のアバウトさで、過ごしやすかった。海の家に荷物を置いて、海へ。遠浅の海に慣れて、ガンガン直線的に突っ込んでいく男とそれを必死で追う男(笑)こちらも遠浅ということで選んでいたので、本当で良かった。もちろん他の人がつくった、ガウディ的砂のオブジェ。黒い砂はサラサラ…どうやって固めたのか。浜は黒いけれど、慣れてくると違和感なし。ガウディ ポップアップで味わう不思議な世界 (しかけえほん) [ アントニ・ガウディ ]ライフジャケット ベスト ホイッスル付き イエロー/黄 S~XXXLサイズ【フローティングベスト 救命胴衣 笛付 ベスト式 アウトドア フィッシング 釣り マリンスポーツ キッズ用 こども用 男性用 女性用 海 川 防災 緊急時 水上バイク 船】リーフツアラー RA0402 スノーケリングベスト スリム
2022/08/08
コメント(0)
通所施設が夏休みとなり、1泊2日と続けて2泊3日の旅行へ出た。まずは、お墓参り3か所! 墓参りとスーパー銭湯が結びついているので、コロナの日常ではSと一緒に墓参りはできないのだ(笑) 特に青梅方面は過去完全セットだったので…。そして、昼は焼肉! 外食も彼は4ヵ月ぶり。泊まるホテルが、イタリアンのコースということで、たぶん上品すぎるだろうから、今のうちに庶民のぜいたくで満足しておこうと。今回は、毎夏、大学音楽サークルの友人たちとやってきたうちのそばでのバーベキュー&お泊り会を、コロナでできなかった2年を取り戻すべく、年とってもできそうなプチ旅行にバージョンアップ(金額的には)、若者的大騒ぎぶりはパワーダウンの企画。が、第7波のせいでさすがに10人で集まるのは断念し、我が家だけが実地踏査として宿に向かった。ベランダから見える景色。鳩ノ巣渓谷。散歩に出て渡った、かなり揺れる橋。双竜の滝をめざし歩く。たぶんこれというところで記念写真。そして違ったことに、本物を見て気づく(笑)滝の周りは、廃墟となった旅館が複数残っていて、ある意味、こっちの方が見どころ…。「鳩ノ巣渓谷 廃墟」とかで検索するとそういうページにいけます。どうやらそっち方面では有名な場所だったらしい。https://blog.hauyashi.com/archives/5116https://www.kanzaki3.com/entry/2021/04/28/203653もちろん、予約した宿は営業中(笑)バリアフリールームもあるし、きれいな部屋。和洋室が板張りなのも良い。そして、こんな感じのが出てくるイタリアンのコース料理。おいしいんだけど、なんともいえぬ違和感…。いや、もう一歩さらにおいしければそれを超えてくるんだろうけど残念ながらそこまでではない…ということか。お風呂も同じく、温泉の湯としては普通に良いのだが、湯船が小さく、露天風呂はさらに小さく、古い良さも新しい良さもなく中途半端…。もし、安かったらそれでもおすすめしたかもしれないが…我が家単独や大勢で使うにはちょっと違うなあ…という宿だった。でも、少人数でゆっくりのんびり…って感じの人や、本気で山歩きの人にはおすすめ。
2022/08/07
コメント(0)
2022年8月2日17:00 2階のキッチン(冷房なし)にて41.0℃
2022/08/02
コメント(0)
実は行ってたシリーズ3(2022年4月にまとめてアップ)Sの母の母方の祖父…Sひいおじいさんは結構有名な元校長で、自分が行った職場でも2校で古い額入り写真が飾ってあるのを見た人であった。ご本人(実物)と数回お会いしているがむしろ歴史上の人物イメージ…。自分の家のルーツについて、それ以前の記録があまりないことでその方(Sひいじいさん)が色々調べた結果、秩父事件に関わりがあって、山をいくつも越えて逃げていく中で青梅に住んだ…その結果、苗字の読み方を変えて珍しい漢字の「○○」になった。この話は、自由民権運動などの中学社会の授業で、五日市憲法などとともに地域の話として取り扱う秩父事件の時によく紹介していた。叔父がボトルキープする時にその苗字を書くと、髪の薄い方に「いやみか!」と怒られたという話として(笑)以前、事件に関わっていた人の記録(おそらく裁判になったり罪を問われた人)を古い図書館で調べたときにその元の苗字を見つけられなかったが、「そうか、逃げとおしたなら名前はばれてないわけだ」と気づいて、自分がそのことを調べるのはそれっきりになっていた。.140年くらい前の当時(明治時代)は秩父暴動とされ、恐ろしい犯罪、火付け強盗とされていたので(ほぼ板垣退助が見捨てたせいだが)、関わった一族は当然それを子孫に秘したであろうが、今や自由民権運動が地域に根付いた一例として、欧米の市民革命のスモール日本版…のような位置づけである(言い過ぎかも)。今回、自宅から普通に行かずに、途中、青梅から秩父に抜ける山道をあえて行きも帰りも通る(違う山道)という思い切った旅だった。対向車が来たらつらい細い山道だったので、空いていた今回は助かったが、もうわざわざ通ることはないだろうけれど(笑)、なるほどこれを追われながら逃げてきたとしたら、大変なことだったろうと想像できた。が、子孫であろう1人はずっと寝ていた…。皆さん、車酔いもせずに最初のトイレ休憩所に到着。もしかしたら、夏の川遊びに使えるかもと下見。横瀬川の下流。武甲温泉に入る。昭和感たっぷりでなかなか良い湯。泊りはここではなくてホテルに。1泊目は農園ホテルの別館。元リゾートマンション…ということだが、玄関を出ると外の寒さ…階段とかがかなり、友人の大学時代のいいアパート…みたいな感じ。それでも、中はメゾネットタイプの中2階のベッドなどもあり楽しめた。が、温泉でもない大浴場は、中浴場規模で残念。サラダはおいしい宿だった(安かったので文句はなし)。中2階からのぞく裸族翌日は、秩父事件の際に中心となった人々が多かった吉田村へ映画「草の乱」(見てないけれど)に使ったセットの建物が資料館になっているということだったが、なんとこの日(火曜日)はここもふくめて何かと定休日…。写真を撮って、建物の周りを見学して、道の駅に車を止めたまま、ウォーキングで椋神社や滝へ。椋神社に向かう橋の龍3000人の人々が集まったという椋神社へ歴史に思いをはせるのは関係のない自分だけで、子孫かもしれない他の二人は淡々と過ごす(笑)今は、この農民ロケットを飛ばすお祭りで有名らしい。子(ね)の神の滝に行く途中の桜 車に戻って、天然温泉星音(せいね)の湯へ。今時の入浴施設だが、今回の旅で一番良かった湯かも。少なくとも駅前観光地の「祭りの湯」よりずっと良かった。黒谷に移動して、楽しみにしていた洋食屋さんはやはり定休日で、和同開珎の採掘地は道路工事中で断念し、なんか笑っちゃうオブジェのある聖神社へ。奈良の都で流通した貨幣の銅採掘地、当然、お金持ちになるご利益がある…はず。おみくじは大吉!泊まった宿は「和どう」夕食は懐石料理で本当においしかった。こういうゆっくりとしたおいしい食事…なんか久しぶりの気がした。順番に出るような料理をSがゆっくり待てるようになったのも大きいかな。ただし、テーブルは、箸の包み紙やお手拭きのビニールなどのちぎったものでいっぱいだった…。ただ、宿から降りられる川は先ほどの横瀬川上流…いくつかの宿の排水のせいかにおいもあり(硫黄かもしれないが)、水が溜まっている部分はこけがあり、あまり水につかりたくない感じ…。夏の川遊びのための宿にはならなかった。(が、充分、また来たい宿であった)吉田を出た秩父事件のご一行は、西方面を攻めた後、この音楽寺(堂)に集まり、寺の鐘を打ち鳴らしながら、今の秩父市街地へ「ときの声」を上げながら駆け下りていった…と授業で使う資料にあったのだが、現実の距離感は「声続かないだろう」という相当な距離であった。着くまでに疲れるよってくらい離れた山の上だし、いま大きなハープ橋があるが昔は川まで降りてまた登っただろうし…。でも音楽寺から眼前に見える街は、当時の風景を思わせてくれるいい感じの場所だった。ちょっとおとなしめのS、ご先祖様の霊と対峙してたのかな…。後ろに武甲山が見える音楽堂のある山(丘?)そして、その鐘はいつでも突いてよし(たぶん戦時供出で当時のものとは違う)の大盤振る舞いのお寺。秩父困民党戦士の墓碑から市街地を眺める。S本人、がけを降りるそぶりを見せたのは、ちょっととり憑かれたか!?そして我々は山を駆け下りて(車でゆっくり)秩父まつり会館へ。バスガイドさんの研修?と一緒になり、施設のオッサンのいつもより気合の入った?説明を断片的に聞けた。建物の中に神輿があったり、3D映像の後にその神輿のスペースに祭りの様子を重ねて見られたり、なかなか工夫のある展示・体験施設だった。秩父神社はこんなところまで左甚五郎の装飾…という驚きの一方、秩父事件で人々が集まった場所でもあるのにそのことに触れる記述が一切ない…ことにも驚いた。やはり秩父暴動とされた時代の名残で、神社としては一貫して無関係の立場をとっているのかもしれない。時代によって歴史の評価が変わるから…うちはそれなくても十分やってけるし…みたいな。
2022/03/28
コメント(0)
誕生日メッセージくださった方(ちょうど会った時に言ってくれた方もふくめてw)ありがとうございました!日頃おとなしい自分のスマホ、マナーモードにしてあってもバイブレーターの振動が今日は何度も来て、「地震か?」と驚く(笑)一日でした。後ほど(後日?)個別にお返事しますが、ひとまずこの場でまとめてお礼申し上げます。そんな56歳の誕生日に、春から新たに行く学校に短時間あいさつに行っていて、その中でもほんの15分間くらい、午前11時前後に校長室で管理職と打ち合わせをしていて、そのタイミングで静かな校長室で何度も響くバイブレーターの振動の音!響き始めると自分から積極的に話題をふってみんなの気をそらしたりしていたが、そんなピンポイント攻撃を見事なタイミングでしてきたのは、大学時代の音楽サークルのU先輩とそのはるか後輩のU君の「飲みましょう」のやりとりだったと後で判明。かたぎのことをしようとすると邪魔をするなんてさすがのロッカーです。ちなみに校長先生は、講師3・4年目の頃の「なんちゃって兼業講師」の時代の自分を知っている当時MM山2中の教諭だった方。でも、こちらは当時と体型も違うし、マスクしてるし、30年ぶりでばれないはずだからしばらくは黙っておこう…という方針だったのだが、会うなり「あれ?」という顔で見つめられて「初めまして…ではないですよね…」と言われたので、さすがに嘘はつけず、自白しました。余計なことを覚えていないことを祈るばかり(笑)
2022/03/25
コメント(0)
実は行ってたシリーズ2(2022年4月にまとめてアップ)夏に下関のS祖父が亡くなり、父も臨終に立ち会えず、コロナ禍で母とSは葬式に出られず…なくなった実感が持てないこともあり、この正月はなんとしても下関に行きたい…しかし、今おさまっている新型コロナも年明けは広がること必至…と考え、12月25日(土)~29日(水)の日程で結構ひそかに(笑)下関帰省していた。普通なら実家に最初から泊まるのだが、今回は初日の新幹線で長時間、陽性者と一緒かも…とも思い、完全消毒後に実家に帰ろうということで、到着日は下関駅周辺で一泊。そこそこ新しくできたビジネスホテル「天然温泉海響の湯スーパーホテルPremier」でダブルのコネクティングルームに宿泊した。当初は、この日、駅周辺に泊まるのなら友人たちと豊前田でとことん飲める?…と張り切ったのだが、声をかけてから気づいた。それでは彼らを感染リスクにさらしている…と。なので、下関に来ても人を避ける行動様式は続く…羽目を外せない旅だった(笑)下関駅で降りてホテルへ。居酒屋をいろいろ調べていたのに、人の混雑を避けて、結局、夏行くのと同じ「やぶれかぶれ」でフグを食べる。夜の海峡ゆめタワーにのぼる。ライトアップしているのかちょっと半端な関門橋。ただこの橋のサイズや縦横のバランスが一番見ていて落ち着く。ホテルで2回目の温泉(せまいのでドーミーインには負けている)に入る。翌日実家へ。買い物等の後に、和楽の湯でくつろぐ。今回自宅で風呂に入った日が0(笑)さらに次の日にS祖父の墓参り。祖母方の実家の墓参りの後にランチメニュ&風呂に海峡ビュー下関アヤソフィア(旧国民宿舎)へ。風呂は空いていて最高のながめ。垢田の夕陽が見える公園に今回は何度か行く。時間と天候が合えばいい夕陽が見られそう。この長州出島への橋は通してもらえないし、いらなかったんじゃないかという気もするが…。夜はホットプレートで瓦そば。うまいけど、前日に「たかせ」で食べたから…別物として味わう。4日目、S祖父方の実家の墓参りなどをした後に、ぴーすふる青龍泉で入浴。ここは夏の海水浴の後に祖父と3人で男湯によく入ったなあ…という一応供養も兼ねた場所。5日目の帰る日までに、ブルーベリーの植え替えや、竹細工作品の選別と梱包、ビデオの整理と梱包(自宅で編集してもどす)、自分の幼少期のおもちゃの整理と梱包(自宅で選別して処分)、テーブルの修理、いろんな場所にクレ55スプレー…など、S祖母が一人で暮らすのに困りそうなことを手伝う目的は果たせた。新幹線に乗る前に4人で寄った回転ずし、思いのほかうまかった。Sが欲しがったイカの握りを祖母が強引に半分にしてあげているのを見て「イカ、うまいんだな」と確信した。
2022/01/25
コメント(0)
実は行ってたシリーズ1 (2022年4月にまとめてアップ)祖父の葬式に行けなかったS、供養の下関帰省を計画したが、やはり新幹線に乗る感染リスクを施設も重く見て、もどってから2週間通所できず…ということだったので、スッと断念。8月17日(火)~19日(木)の日程で、車で行ける温泉地を探した。行先は群馬県草津町のホテルヴィレッジ。昼の湯畑渋い街仕様のローソンこの後、ホテルの温水プール・温泉へ夕食後に夜の湯畑へ翌日も同じ感じで過ごす。霧や雨にたたられたが最終日は良く晴れた。大きな池のような温泉、洗い場はないが良かった。草津への行き帰りが思ったより大変で、高速道路の運転がやはり抜かれすぎで疲れる。行きは雨の80km制限がかえって走りやすく、自動運転機能もうまく使いこなせて良かったのだが、帰りは晴れて制限速度なし?なのか100kmなのか右車線は猛スピード。自動運転を使っていてもこわくて73kmくらいに設定して80kmをアクセルでキープするチキンさ。日頃、バイパスで同じくらいのスピードで走ることもあるのだが恐怖感が全然違って、周りの車のことを信用できない(笑)秩父から抜ける山道があるようなので、次に来るときは下の道で行ってみよう…と思ったことを書き残しておこう。ムーミンパークそばの慣れた温泉に寄って、食事をして、後は山道や市街地の道をのんびり帰った。
2021/08/17
コメント(0)
ずっと忘れない日がある。昭和58年(1983年)7月22日、1回戦最高の好カードと言われた下関商業との試合は3対3で延長となり、10回表、6点を一気に取られて敗れたその日。その試合(も)、控え内野手で代打要員の背番号10番は一塁コーチャーとしての仕事のみで打席には立てなかった。(それでもすごく疲れたが…) 代打ではなく、最終回に守備要員(守備が不安で控えだったはずだがw)としてセカンドを守って出場したら、相手打者がセカンドからサードに移った選手を狙ったセーフティーバントを試み、1球でチェンジとなった…。球飛んで来なくて良かったが(笑)、正に何もせずに高校野球が終わった。小学校の町内対抗ソフトボールでは、鬼監督だった父の強引な手腕もあり、弱小地区だった山の口町が、ベスト4や準優勝…その息子も一部の他地区のコーチ等から天才扱い(爆)されていたこともあったのだが…。それだけに「今日は出るかも」と思い試合を見に来ている父はどんな気持ちだったのだろう…高校野球であまりにも活躍しない息子(ちなみに兄は反抗してサッカー部w)…という後ろめたさもあり、その頃の話は大人になってもあまりしなかった。それからちょうど38年、2021.7.22オリンピック開会式の前日に、83歳で父は逝った。 7月初めに脳血栓で倒れて救急搬送された時は「2週間程度で退院」と聞いていた。家で倒れた時、ろれつが回らない状態で母に必死に何かを言っていて、「これに書いて」と紙を渡したら右手がマヒしていて、左手で必死に書いた文字が「119」だった…という、「書かせるよりもまず救急車だろ!」というブラックジョークのような話が、その後、元気になっていれば笑い話になるはずだったのだが…。入院中に左手にも新たにマヒが出たことでしっかり検査をし直すと、7月9日の段階では、脳の血栓は2つ、栄養失調で管を入れている、腎臓に影がある、血尿が出ている、両手や足のマヒ、熱も出ている…と今思えば結構深刻な状況になっていた。検査が続き、医師から検査結果を説明されるまでの期間、コロナ関係の面会禁止で母は会えず、医師の電話待ちだった。そして、7月19日に家族(母と兄)に「腎臓がん」であること、腰骨などに骨転移があることの説明があり、そのまま医師を伴って本人へのがん告知に病室に行った。父は、面会禁止なのに現れた二人に相当驚いていたようだ。相当悪いなと覚悟したのかもしれない。告知を受けた時に父の意識はしっかりしていて、倒れる前の1か月間、食欲不振でかかっていた近所の内科医のことを「○○のやつ…」(がんを見逃して的外れな食事療法をさせやがって…の意か?)とつぶやいた。医師が今後の治療計画を示したこともあり、「すぐに死ぬようなことはないだろう」と家族もそこそこ長い闘病を覚悟した。 が、その告知までの間にも、尿の排泄がうまくできなかったり、肺に水がたまったり、自発呼吸が困難になり酸素マスクを常時つけていたり、主因の腎臓がんの治療はできないままだった。昨夏は新型コロナのことで帰省できなかったので、もう2年会っていない。これはとにかく一度早めに見舞いに行こう…と、やっと受けられる2度目のワクチン接種の後、8月に…と計画し始めた。単身で行くか妻子も一緒に行けるかどうか…と。しかし、7月21日には多臓器不全の状態になり、「現在の状態から脱却することは極めて難しい」「治療に反応がなければ数日以内にお亡くなりになる可能性が十分にあります」との説明を受けたと夜に連絡が入った。 そのまま荷造りをはじめて、7月22日早朝4時に単身で始発電車より早いバスで出発。これなら新幹線小倉経由で11時47分に下関駅に着く。兄は家族で見舞うつもりで病院に朝電話をしたら、午前は治療があるので午後の方が良い…と言われ自宅待機中(だったか会社に一度行ったか)。11時頃、母に急変の報が入り、「すぐに来てくれ」…母は車で駆け付けた。死亡届には11時38分とあるが、山陽本線に乗り換えた後の列車内で聞いた11時33分の母からの留守電メッセージで「自分が間に合わない」ことを知り、体の力が抜けた。母も含めて家族誰も看取れなかったのだ…。 後から考えると、いつもせっかちで、結構「かっこつけ」の人だっただけに、「死ぬとなったら苦しまずにスッと、家族にもその姿を見せずに…」は、本人の狙い通りだったのかもしれない。病院で姿を見た時、つらい症状が1か月弱続いていた人とは思えないほど、穏やかな表情をしていた。一度お見舞いにと帰省したはずが、4連休のうちに葬儀まで済ませることになった…。こんなに早く使うことになると思っていなかっただろうが「俺が死んだら」という題名のA4サイズの白封筒の中に連絡先や口座番号や遺影の候補写真や喪主がやること…などの印刷物があったのは助かった。まあ、その題名はどうかと思うが(笑)お通夜まで忙しくて気が張り詰めていたが、間もなく始まる…というタイミングで大混乱。5人の家族葬だったはずが母の連絡の仕方も悪かったのか、一部の親族がコロナのこと無視で誘いまくって、「17人いる!」の突然の状態に「受付」の仕事をひとりで始める故人の次男…。「御香典にはさわれませんので…」と打ち合わせで言っていた典礼会館の方も見かねて、「大丈夫ですか」と声をかけてくれたので「いっぱいいっぱい…いや無理です」と返事をするとてきぱきと手伝ってくれる。あまり付き合いのなかった父方の親族に振り回され、大汗をかいた後に、やっと式場の席に着いて悲しみに浸り始めた。遠方でコロナ禍の今は来られない母方の親族(言葉通り親しい一族w)の弔電にうるうる…。家族からの聞き取りでつくられた「故人の人生の系譜」みたいな文章がすばらしく、ちょっと本人の実態と違うことも含めて泣き笑い…。そして、お経が始まると、モンゴルのホーミーのような倍音成分豊富なお坊さんの声に酔いしれた。いつの間にか夢の中…というか、少し夢を見るほど寝てしまった…。手元の数珠、2回落ちる…。「おいおい…」と思うだろうが、お坊さんの手元の「チーン」の大きいやつ(鐘)が、「ゴーーン」と鳴った瞬間に、となりの兄と母がビクッと起きていたのを見て、なかなかにすごい一族だな(苦笑)と今度は笑いをかみ殺すのに必死だった。
2021/08/07
コメント(2)
1学期がこんなに忙しかったのは、最後の学級担任の年だった2004年度以来…。常勤の教諭時代より非常勤の時間講師生活の方が長くなり、作業所通所の息子の送迎で枠数も多くは入らなくなった今、「もう学校の仕事で忙しくなる心配はない」(笑)と思っていたのだが、何が起こるかわからないものだ。かといって、失敗したわけではなく、今年度は思い描いていた2か所からの仕事が見事に来たのだが、両方予定より多い枠数で来て、それでいて無理すれば何とかなる枠数だったので無理することにしたのだが、さらにその一つ一つの授業準備が予定より大変だった…ためにハードな日々となった。大変なあまり、例年なら「今期の仕事はこうなりました」と記録としての意味も含めてこのブログにアップするのだが、今年は早々と断念。そんな中、誰かに送ったメール(方言のも含む数人分)から引用して当時の気持ちを思い出してみた。1 今年度は、肢体不自由の特別支援学校の高等部で8枠(高1~高3)と、中学校の特別支援学級(固定の自閉症・情緒障害学級)で5枠(中1~中3)。少なく見えるけど、通常級やったら3クラスとかある分が、すべて1クラス1回きりなんで、7種類の準備する量が半端ない。しかも高校の世界史が5段階評定で「●」やった俺には中学歴史にない部分が全然わからん(オスマントルコとか)ので、勉強してから資料つくるのがヒイヒイ(笑)(すみません、仕事に差し支えるので評定はブログ貼付けの際に伏字にしましたw) 2 火の車です!(笑)高校4種類、中学3種類の授業準備に、近年ない締め切りに追われる生活…ところが今週からわけあって息子の作業所が通所停止に…。始まったばかりで仕事も休めず。息子は、お昼に祖父と昼食を取ってから午後はウォーキングや隣の家で作業や運動…に父母交代で当たっています。まだ3日目なので本人が怒ってないのは救いですが、我々が不規則です。 3 今日は8日目ですが、職員さんに新型コロナ陽性者が出て、通所はGW明けまで停止となっています。1名だけで広がりはないのですが、他の職員さんも家に帰らず缶詰め状態で、通所施設の方で暮らしていることもあって4月28日まではその状態が続く(その後は未定)ということで…。仕事して帰ってきたら、やっと息子の一日が始まる(つまりこちらは家での持ち帰り仕事もできない)という大変な状態です…。 4 ともあれ、自分が望んでいた学校、しかも本来自分が受け持つべき生徒さんたち(ここで、息子を受け持っていただいた先生たちへの恩返し&罪滅ぼし…)がいる所に入れたので、時間的に少し無理してでもまずはやってみようと思っている所です。聞いていないのに副校長が電話口で「今は暴れている生徒いないんですよ」と3回も言ったのが気になりますが…元H中生活指導部副主任なので本当は暴れる君がいても許します(笑) 5 いつもは、1校は通常級の仕事があったので、通常級まったくなしの年は18年前のN養護の仮自閉症学級担任教諭で心折れかけてた時以来です。なので、教職34年目だけどちょっと不安(笑)でも一度はやりたかった自閉症・情緒固定の固定級で、場所的にも一番行きたかった学校なのでがんばります。引用終わりというので、5月半ばからは息子の作業所がひと段落して自分の仕事のみが大変となった。授業準備や定期考査作成に追われながらも、新型コロナのことで他に何もできないから「授業準備に集中」できる(笑)日々。ただ、本当に追われているから、夕食を食べ終えてくつろぐ時間にも食卓にパソコンを置いて少し仕事…、寝る前にまた打つから2階に持って上がったり、息子と別棟の工房にいる時もパソコン仕事…と、あまりにも移動するのでノートパソコンの電源コードを2つ買い増しして、移動のストレスを減らした。明日の授業のプリントづくりを前日にする…という綱渡りの日々、7種類もあるとどれがどうなっているかもわからなくなり(笑)急に締め切りが迫ってくる!ただ1~8名の少人数でやる授業、それぞれの生徒(クラス)に合わせたことを自分で考えて工夫できる自由さ・楽しさは、この上なく貴重な体験となっている。どちらの学校もそれぞれ学校・学級経営?に変な慣例があり、それを半分気にしつつも、うまくかわしたり、調整したり、ひそかに正したりw…今の立場・年齢だからこそ、また謙虚なふりをして厚かましい自分だからこそ、ストレスなくできているのかなあ…とも思っている。1学期は結局一度も余裕を持てなかったので、夏休みにものすごく先まで準備をしよう!…と計画を立てたのだが、人間追い込まれたときほどの頑張りは、日常にはできないようで、今のところ、1週間分も終わっていない。(8月6日現在)夏休み入ってすぐに、「さあ、やるか」というタイミングでそれよりも優先な大変なことが起こったことが大きいのだが…。
2021/08/06
コメント(0)
Facebookより引用誕生日メッセージくださった方々、ありがとうございました。後ほど、個別に返信させていただきます。来年度の講師枠は、ねらっていた話が2校種うまくまとまり、予定より少し働きすぎ…ながらもひとまずサクラサク!ちょうど満開になった、うちの広い庭(笑)の巨大山桜をごらんください。遠景~2階から見る桜~部屋で寝転んで見る桜~近景。山桜なので緑の葉っぱが花のあるうちにすぐ生えてくるため、この美しさは5日間くらい限定!
2021/03/28
コメント(0)
昨年、M中にあと一年残留して引退…なんて書いたら、予定外に市内から放出されました…今となってはG中・M中と近場に十五年いられたのがいかにぜいたくだったか、特に息子在学期間にずっといられたことに感謝です。が、新型コロナで休校騒ぎのこのタイミングだったことで何かとバタバタ。新学期、顔も知らない生徒に宿題を出す。 緊急事態宣言中の六週間、息子通所施設が休みとなり、休校中の自分と、朝はウォーキングとボール運動、昼食は庭で弁当、午後は自宅隣りの工房で牛乳パックのビニールはがしと紙ちぎりと音楽鑑賞の毎日。おそらく人生初めての、『いつもおだやかな生活』を過ごし、その流れで六月からの通所施設での日々も以前より(は)落ち着いて⁉います。 始まってホッとした峠向こうの中学での仕事は、やっと会えた初対面の生徒たち、マスクで区別がつかない! 表情が見えず反応がわからない!(ウケているのかわかりにくく、余計な話がやや減少) …などに戸惑いつつも、それなりに順調に楽しんでやっています。 年度途中でH東の講師枠も追加しました。あの超進学校!…なはずなく、同じ名称の特別支援学校肢体不自由部門高等部(後補充の授業者補助)ですが、『準ずる教育』を探るチャンスとなり、新年度は中学校の特別支援学級・通常級の枠と共に少しずつやれるといいなあ…と引退撤回です。
2021/01/03
コメント(0)
人のいないところへ…の家族旅行。まずは通所施設へのお手紙から。 年末、近場で安全な場所を選んで一泊する計画を立てておりますので報告いたします。日頃、新型コロナウイルス対策のための最小限の生活で、趣味の温泉・大浴場に行けないこともあり、一週間以上休みのある年末年始に連れて行ければと思っています。 この冬もまだ新幹線移動は心配ですので、下関への地方帰省はいたしません。感染予防をきちんとしつつ、万が一の時も金木星にご迷惑をかけなくて済むよう計画しました。 自家用車で行けるところで、比較的空いていて、そばに屋外露天風呂があって、夕食も個室で…ということで、『PICAさがみ湖』のトレーラーコテージに宿泊し、食事は家族単独のテラスバーベキュー、夜の空いている時間を選んで近くの温泉施設『うるり』へ、翌日さがみ湖プレジャーフォレストで屋外の乗り物に1つ2つ様子を見て乗るかも…という予定です。以下略 ということでPICAさがみ湖のトレーラーハウスに年末の自粛期間…でもまだGotoキャンペーン最終日に行くつもりになっていた。なんとイルミネーションもやっているらしい…それはいいが混まないかと心配になり調べていくと、メインの目的である温泉施設はなんと遊園地の入り口にある。 さらに、関東三大イルミ(電球の数)らしく、旅行2週間前くらいからやたらとテレビで取材されて紹介されている…風呂絶対混んでる…というのでいろいろ考えた末、やめた! 細かいタイムスケジュールの旅行実施要綱も仕上がり、自閉症児用の写真カードも後は印刷だけとなり、当日持っていく薪(自宅の庭木)の燃焼実験まで済ませてあったのだが(笑) 神奈川方面ではなく、埼玉方面へ、特に陽性者の数が少ない方面へ…夏の旅行で候補になっていたところを調べ直すと、なんと前回よりも近めの施設のある越生町は、陽性者9名と驚きの一桁! ということで再び、通所施設へのお手紙。新型コロナウイルス感染拡大を受けて、1泊旅行はキャンセルも視野に入れて検討しましたが、施設や学校の休みが活用できるこの機会を逃すと夏まで難しくなりそうで、S本人の何ともいえない最近の小荒れの毎日…やはり何らかの形で少し外出して発散させたい…となりました。 許可をいただいていたのは、『PICAさがみ湖』のトレーラーコテージに宿泊し、食事はテラスバーベキュー、夜の空いている時間を選んで近くの温泉施設『うるり』へ、翌日さがみ湖プレジャーフォレストで屋外の乗り物に1つ2つ様子を見て乗るかも…というものでした。しかし、こちらの遊園地は関東三大イルミネーションが売りのようで、テレビ等で紹介され始め、温泉施設もそれによって混雑するのではないか…という心配を持ちました。我が家は遊園地やイルミはカットできても温泉施設はどうしてもはずせない…という状況なので、行き先ごと変えて「利用者の少ない、宿泊客のみの大浴場」を、探し直しました。 その際、相模湖を含む相模原市の陽性者数がすでに1,000人を超えており、八王子・町田方面と同じく流行の兆しがあり、そちらの地域を避けようと、夏に行った埼玉方面に行き先を切り替え、陽性者数の区市町村別データを参考にしました。変更先の越生町は陽性者9名(A市は106名)とH村並みの状況です。(12月21日の累計数)以下略 期日 12月27日(日)~28日(月)行先 ニューサンピア埼玉おごせ場所 〒350-0401 埼玉県入間郡越生町古池700ということで、行先を変えて無事出発。昨年までは墓参りと温泉がセットになっていたので、ずっと行けてなかった2か所のお墓にまずはお墓参り。そして、相模湖に行っていたら食べるつもりだった「焼肉」を昼食に。4ヵ月ぶりの外食にご満悦。90分コース食べ放題で、思いの他遠くまで来ていないのにもう14時。 この後は、一路ホテルをめざす。15時半に到着。さっそく温泉へ。こちらは以前から日帰り湯もやっていたが、温泉を掘り当てたのは昨年らしい!泉質は素晴らしくいい湯だった。少し風呂が浅かったのが残念ではあったが。 夕食も、高級食材ちょっとずつ…というプランを結構満喫。朝食は感染対策でバイキングではなくなったが、火をつける鍋で味噌汁が出てきたり、和風あっさりではあるが良かった。そして、いつもながら、チェックアウトギリギリまでまた寝る我が家。帰りに寄ったのは大きな滑り台。龍崖山公園なるところ…なんとか地図でたどり着く。ちびっ子がたくさん滑り、若いお母さんやお父さんが見守る中、怪しい男が母を伴い滑り台の上に。父は滑り台の下で待ち受けビデオ撮影。怖がってやらないかと思ったが、ちびっ子たちを見てその気になったのか急にすっと滑る。重たいせいか猛スピード(笑)滑り降りた後の距離もちびっ子より長く、父の足元まで来たのを止めたというか吹っ飛ばされた感じ。笑ってしまったが、本人は思ったより怖かったのかその怒りをどうしよう…となったのか、父の後方にいた若いお父さんに向かっていきなり走っていき、両手を突き出して超大声で「うー!」と脅かす。たぶん寿命を間違いなく一日は縮めるほど若いお父さんは驚いていた…。もう本当に平謝りしながら、「すみません、手は出さないんですけどおどかすことがあって…」とか「思ったより怖かったみたいで…」とか言い訳しまくり…笑ってくれる優しいお父さんで良かった。昼食は宮沢湖温泉喜楽里へ。カーナビの案内で着いてみると、なんとムーミンバレーと同じところ…やばい混んでる…かと思ったら温泉の方は空いていて一安心。眺めもいいし、とても使いやすいいい入浴施設だった。&食事がおいしかったので◎。帰りに地元の神社に寄って「幸先参り」なるものを年内に済ます。外出から2週間は通所施設に行けなくなったので、ここからはお散歩のみの2週間である。でも、ここで行けて良かった。またいつか旅行に行けるように、下関で海水浴できるように、健康に気を付けて過ごさなくては。
2020/12/27
コメント(0)
11時チェックアウトだったので、朝食後も二度寝ができてのんびり。ロビーの何とか君は、答えに困るとすぐに「僕は眠くなりました」とさぼる。帰りに近くの文殊禅寺へ。日本三大文殊と言われているそうで、奈良の安倍の文殊が大好きだった我が家としてはものすごい期待と共に出かけた。が、御開帳は一年に一回のお祭りの時だけだった…京都・奈良じゃないんだからそりゃそうか。埼玉県立嵐山史跡の博物館へ。展示物も面白かったが、外の古い時代の土のお堀が当時をしのばせていて何か良かった。菅谷館跡…とのこと。やたらとスマホを見ている人がまわりにいて、この城というか館のVR…かと思ったが、帰って調べてもホームページにそういう情報はなく、ポケモンだったのか?帰りにサイボクハムに寄り、天然温泉花鳥風月に入る。とても良い。レストラン花鳥風月も落ち着いたムードで良い。が、そりゃそうだが、豚肉中心…。サイボクの店の方は密…だったので早々に引き上げた。
2020/08/08
コメント(0)
朝食後は部屋で二度寝。前日、それほど「プール最高!」っていう感じではなかったのでさすがに丸一日プールの予定では無理だし、前もって調べておいた、近くて、そう混雑しない施設を見学。まずは長島記念館。川沿いののどかな場所に突然ある石の蔵。まさにここに代々住む地主さんが買い集めた名画を飾ったなんともハートフルな美術館だった。でもびっくりするような著名画家の絵もあった。そしてそれが誰だったかもう忘れた(笑) 横山大観だったか…。次は行田市郷土資料館へ。これには驚いた。時間つぶしくらいのつもりが、なんとここは「忍城」跡地だったのだ! 「のぼうの城」で一躍有名になったあの…。資料も面白かったし、何より冷房が助かったし、復元した城も悪くなく、ちょっともうけた気分。昼食はプリーモチーズカフェへ。食べ物の店が立ち並ぶ一角にあったのでチェーン店?なのかもしれないが、ピザ生地もその場で打っているし、食べ放題だし、感染対策もしてあるし、かなり満足だった。その店方面に行く間にずっと見えていた巨大な何か…製鉄所の高炉ではないかというものがすごく印象に残る街だった。ホテルに戻り、午後のプールへ。波の出る時間まで何とか粘れたので、そこそこ満喫。本人はそれよりも、ガラガラの子ども用ボールプールを楽しむ。サイズ感が…危ないおっさんである。それ以上に、乗ってしまった子ども用滑り台…はまってとれないんじゃないかという感じだった。夕方~夜は前日と同じ動き。ただ、夕食メニュー前日と変えてくれたのはいいが、おいしくなくなった…。
2020/08/07
コメント(0)
こんな手紙を施設に出して、OKを取って夏の旅行に行った。 いつもお世話になっております。息子Sは、日頃、新型コロナウイルス対策のために最小限の移動を以て生活しております。趣味の温泉・大浴場にもプールにも行けない日々ながら荒れずに穏やかに過ごせていること、我が子ながら感心するとともに、安定した生活をさせてくれている日中の生活介護に感謝しております。特に月曜プールと火曜短期入所ができていることが大きかったと思います。 しかしながら、最近「暑い毎日だしそろそろ下関の海水浴じゃないの?」と思っているのか、数日に1回ルーティーンのように旅行の時の写真カードを引っ張り出しては写真をめくってアピールしております…(親は「ああ、前に行ったねえ」と流しています)。 もちろん、こんなタイミングで例年のような新幹線移動はできないし、大旅行となる地方帰省はいたしませんが、感染予防をきちんとしつつ、万が一の時も○○にご迷惑をかけなくて済むようなタイミングで2泊3日の旅行を計画しております。 自家用車で行けるところで、比較的空いていて、ホテルに屋外プールと屋外露天風呂があって密でなく、夕食も個室で…というところを見つけました。さらに旅行後『次に○○に行くまでに1週間以上間隔が空けられる』という日付で仮予約を入れております。 また、ギリギリまで様子を見て、今よりも世の中の状況が悪化した時は無理せずキャンセルする予定です。(父が糖尿病治療中で重症化の危険があるため) 以下略期日 8月6日(木)~8日(土)行先 四季の湯温泉ホテルヘリテイジ場所 埼玉県東松山方面森林公園のそば 9時半ごろに出発して、一般道で…というより、西寄りのものすごい山の中の道を使って行く。いろいろなルートがあるようだが、いずれも苦にならない道。ただ選択が悪く、工事渋滞に巻き込まれつつも…順調に到着して、通り過ぎて食事へ。 イタリア厨房バジルへ。味よし。ムードよし。座席の広い間隔も良し。またぜひ行きたい店となったので記録も兼ねて記す。 14時頃、ホテルに到着。 苦しいが、水中でもできるマスク的なもの試してみた。和洋室このあたりはホテルのHP写真。露天風呂が道なりにいくつもある。昔(15年くらい前に行った)より整備された分、ワイルドさはなくなったが、滝の前でかき氷が食べられるなど良くなった点もいくつか。夜の散歩に出るとちょうど良い涼しさ。少しライトアップされていて歩きやすい。他の家族の花火を遠くから楽しむ。そして二度目の風呂へ。夜の滝はなかなか見事。夕食、なかなかうまかった。外部の人の日帰り風呂も兼ねている施設だが、夜は宿泊者専用になるため、空いていて安心。くつろげた。ただ、宿泊の本館からあまりに遠い…別館を通り抜けて、プールのわきの道をずっと行き、風呂受付に入ってそこからも長い通路…。行くまでに一汗かいて、風呂でさっぱりして、そして戻るとまた汗をかいている(笑)貴重品を風呂の前のロッカーに入れてそのまま来てしまい、風呂受付で気がついた時には…絶句。説明してわかったのかどうか、受付に置いていけない息子が一緒に戻ってくれてホッとした。
2020/08/06
コメント(0)
仕事は、休校中とはいえやることがたくさんあり、2つの仕事(作業所職員?)を掛け持ちしているイメージ。学校にほとんど行かなくて済む代わりに、やらなくてはいけなくなった仕事(だいたいパソコン仕事)をやれるのは夕食後~夜中と、土日のみ。さりとて土曜は息子こだわりで公園に行くし、家の植物との戦い(草刈り・枝切り)も待ってくれないし…本当に時間がなかった。 「生徒が自分だけでできる課題」を作成することとなり(生徒は週1の登校日にそれを提出し、次を受け取る)、学校変わってまだ顔も知らない人たちにいきなり宿題を出す人となる。提出されたものを取りに行ってチェックする…までは覚悟していたが、それに基づく「確認テスト」を6月に中間考査の代わりにやる…ということになり、その作成に追われる。 来週から始まる、自身3カ月ぶりの授業は、のんびりスタートどころか、「初めましてのあいさつから2時間分の内容」を1時間でやる…しかなく(そのテストまで日がないため)、しかも人生初のマスク越しのしゃべり1時間×4枠…で、生徒は全員新しい人たち…。 少し不安に思っているが、「この世の中の状況に生徒はもっと不安なんだろうな…」と思うと、こっちは人生酸いも甘いも味わったベテラン…しょうがない四の五の言わずにがんばってくるか…と思うのであった。即納 フェイスシールド 感染対策シールド フェイスガード フェースシールド フェースガード 飛沫感染防止 ウイルス対策 花粉症対策
2020/05/28
コメント(0)
緊急事態宣言の解除を受けて、息子の作業所への通所が6月より解禁!…となる連絡が来た。 通所停止となってから6週間、よくがんばった(特に俺w) 自宅で過ごしている…というよりは、別の作業所に通った(ような)期間にしようと、ゴールデンウィークも採用せず(巷でのステイホームウィーク)月~金まで、ほぼ決めたメニューで過ごした。 一日の流れは、朝、作業所に行くのと同じ時間に車で出て、人があまりいない道でウォーキング。いくつかの場所を試したが、ステイホームウィークのあおりで公共の駐車用やトイレが閉鎖されてしまう中、使えたのは、隣町の役場からH中の坂を上ってロン・ヤス会談記念碑までハードな山道(でも舗装されていて雨天可)の往復。または河川敷グラウンドに行き河原の葉っぱちぎりとウォーキング、地元市役所出張所から小学校の支援学級でよく行ったおむすび山への急な坂道…などを併用。帰りに弁当を買い(たまに休日母の手弁当)、工房に戻るとまずラジオ体操。室内の運動器具で腹筋や自転車こぎやロデオ。外に出てキャッチボールやサッカーやフリスビーもどきの後、家の外周ウォーキング。その間に父がテーブルやいすを準備して工房前通路でアウトドア気分で昼食(雨の日はタープテント張ってまでこの場所…)。 食後、ウォークマンを30分くらい聞いているその間に洗い物やトイレ…そしてうたた寝…し始めると、本人が終了を告げに来て歯磨き。午後は前日に煮沸した牛乳パックのビニールはがしを一緒にやり、その後は小一時間ひとりで紙ちぎり(乾いた牛乳パックのパルプ)、父は紙すき&アイロン(はがきサイズ5枚がやっと)。 紙ちぎりが終わると2時半くらいから書類整理…というかパンフレットを見ながら全部入れ替える謎の作業とコーヒータイム。音楽ビデオに合わせてカラオケ的マイク遊び(「うっ、うっ」と言いに来る)の後、木金はヘルパーさんとお出かけ(これまた違うコースのウォーキング)、月~水は父と工房で入浴、ピアノ鑑賞…4時半修了という至れり尽くせりの無認可作業所(爆)であった。 始まる前は、慣れるまで最初荒れるかな…1週間くらいたったら今度は「本当の作業所はどうなった」と荒れるかな…と二人きりで煮詰まることを心配していたのだが、日頃から毎週月曜日の夕方にやっていたメニューを拡大したのが良かったのか、6週間の親子作業所(自宅隣りの旧宅)生活は順調で、通所先で暴れたりすることが時々あったのが嘘のように、最初から最後まで穏やかに過ごせた。刺激が少ないのがいいのかも…。 環境設定次第でSはこんなにおだやかに笑顔多めで生活できる…とわかったのは大きな収穫だった。 自分にとっても健康的で、うちが田舎でよかった…という生活なのでストレスなく過ごせて、こまめに腹筋するし、毎日歩くので、いくぶんお腹の脂肪が減った!(その2 お仕事編に続く)
2020/05/28
コメント(0)
現況の報告、いろんなタイミングでのメールを貼り付けて再編集。4月、緊急事態宣言なるもの(まだ出てなかったのに)を受けて、新勤務校は週1回の学年別登校日までふっとんで、5月6日まで完全休校となってしまいましたが、それでも入学式をやれただけいい方で、住んでる市では前日に全校中止決定…街の有線放送でまで連絡…でした。講師の仕事は今年まだ3日しか行っていません。教諭はしばらくは毎日だったようですが…。今年度からの講師制度の変更で自宅研修が廃止されたので、4月は授業なくても意味なく出勤する予定でしたが(笑)、さすがに「休校期間中は特別な例として認める」通達が都から来ました。せっかく時間ができたので、通信制の教員免許更新講習、全部まとめて終わらせました。講師枠は4枠だけ、もう1校の講師を支援学級待ちにして、少し遠い中学通常級や小学校通常級の枠を見送っているうちに、ネットでの募集は全部消えてしまいました。が…どこになってもしばらく授業なかったわけだし,まあいいかwという感じでいたら、息子が通所している知的障害者入所施設の作業所、市内で感染者が出たことや、世の動静の変化を受けて、「通所の停止」が4月20日より実行となり、5月6日まで(たぶん延長して5月末かな…)行けないこととなりました。「施設入所」の方々は3月半ばから自宅に一度も帰ることなく過ごしている中で、ここまで約6週間自宅から通わせてもらえたことに感謝しつつ、準備を進めていた「朝、車で出て公園等で少し運動、その後自宅隣りの工房(一応紙すきと版画をやる場所として個人事業所登録あり)で過ごす」という日々を親子で過ごしています。今は、妻(小学校教諭)が4日に1回の出勤(学校内学童)で他の日は自宅にいますが、学校一部登校…世の中に先駆けて始まり「両親の学校は始まっているが息子の作業所にはまだ行けない」という状況になると、もう講師できない?と思ったり、かといって、「課題作成はしたけれど授業を一度もやらない」まま終わると今月給料出ないのかも…という不安定な状態になっています。こうなってくると、もしちょうどいい講師の話がもう一つ出てきても(学校が動いてないから教師も誰もやめないし出ないとは思うが)受けられないなあ…というところです。幸い、この2週間の親子作業所生活は順調で、通所先で暴れたりすることが時々あった息子が最近の方が穏やかに過ごせています。祝日は採用せず…ゴールデンウィークも平日として同じメニューを過ごしているので土日以外は休みなし…。
2020/05/03
コメント(0)
5講座あった教員免許更新講習もこれが最後。テキストが届かないとかいろいろなトラブルがあったけれど、向こうも急に忙しくなっていたようで(やはりこの休業中に通信制で免許更新と思った方は多いようで)まあ許す…として、この答案を打って送信した時に通信エラーが起こったようで、その後確認した画面で「記述式試験未実施」となっていた時には驚愕!が、こうしてブログに記録を残そうと思い「コピーしてメール下書きに貼り付けておいた」ことで助かった。しかし、貼り付けると「0文字/1200字」となって読み取らない。貼り付けられないようになっているのか…全部打ちなおしなのか…と思ったが、ダメもとで「あ」と一文字打ってみると急に「1001文字/1200字」となり、貼り付け成功。次に送ると送信済みとなり一安心。ちなみにこの後の問題にあるが、本当は800~1000文字で出題されているのに、「あと何文字」というのが1200字基準になっているのは向こうのミス(笑)オーバーして出した人たち結構いそうだけど…。自分が1000文字までだと気がついたのは、ここまでの4講座もそうだったことで、変なこだわりが生まれ、「すべて1000文字ピッタリ」で提出していたからである。もちろんこの講座もそうして提出。ちなみにこの講座はテキストがあったので、このしっかりした文面は元の文章をほぼ丸写し…3つの理由ってやつをうまく関連付けてつないだだけなので、こんな難しいことが自分の頭にあるわけではございません(爆)あっ、でも選択式の50分20問のテストは、毎回結構難しく、もちろん調べていいのでネット検索しまくり(笑)の場面もあったが、20問×5講座でなんと満点だった!…ということは更新免許には残らないと思うので、ここに書き記しておこうと思う。教師として満点の男!(爆)この先は最後の講座の記述式解答近年、個人の生活において金融を活用する能力が重要になっている理由を、具体的な例を3つ以上挙げて説明してください。※下の入力ボックスに、解答をキーボードで入力して下さい。※解答は800~1000字程度でまとめてください。※解答時間は60分以内です。60分を超えると通信が切断され、解答内容がクリアされますのでご注意ください。※解答作成後は、右上の【提出】ボタンを押下し、提出を完了してください。 個人の生活において金融を活用する能力が近年重要になっている理由は、第一に『運用ニーズの高まり』が挙げられる。自らの責任で意思決定する期間・機会が格段に増加しているが、たとえば長寿化が進んだ今、その分の老後の生活費を確保する必要があり、各種の調査では仕事を引退するときに2000万円~2500万円の貯蓄が必要だという答えが多いようである。その金額を貯蓄するためには、低金利の預貯金では金利0,1%なら毎年57万円積み立てが必要(23歳から65歳まで2500万円の場合)だそうだが現実的にそんな余裕がある人は少ないと思われる。もし、金利5%の金融商品を運用できたならば毎年18万円で済む。この積立額が少なくなれば現役の時の生活が楽になる。 このように運用利回りの高低が重要となると、第二の理由に『選択肢の多様化』が挙げられる。例えば、預金、国内株式、国内債券、外国株式、外国債券、不動産投資信託(REIT)などの一般的な選択肢があり、さらにそれを複数活用するならば、どれを何%持つか、保有する金融商品の組み合わせも選択できる。資産運用の三要素、安全性・流動性・収益性…この3つを同時に満たす金融商品はない。リスクを分散させるためにもタイプの違う金融商品を複数活用することが望ましい。 そうなると、『リスクの拡大』が金融を活用する能力が重要となっている理由の第三として挙げられる。高齢者の方々から大金を巻き上げるような詐欺事件も近年増えている。地道にためてきた預貯金では老後の資金が足らず、一獲千金な話に飛びついて騙されてしまう残念な事例である。このような商品で騙す手口は「ローリスクハイリターン」を謳っていることが多いが、そんな金融商品が正規のものとしてあるはずがないことを知っていることも重要である。多様な選択肢があることを活かして、個人が利便性や収益性を高められる可能性が広がる一方で、収益の高い金融商品は予想外の損失を抱えるリスクもある「ハイリスクハイリターン」であることを知り、その上で選択したりしなかったり…そういう判断力が求められている。 金融リテラシーという言葉の広がりとともに、その重要性は年々学校教育の中で浸透してきているように思えるが、それはまだ教員個々の思いである。PISAの金融リテラシー調査への参加など、国の施策で重点を置いていってほしいと考える。1000/1200 入力済み(あと200文字入力できます。)
2020/04/26
コメント(0)
まだ3回しか転勤先の学校に行っていないのだが、その管理職(以前の同僚)に送ったメールが近況報告にちょうど良かったので、一部伏字にして転載。社会科講師△○です。大変神経をすり減らす日々をお過ごしかと思います。本当にお疲れ様です。こちらはこの機を活かして教員免許更新講習を通信制(テストもネット)で行い、5講座中あと1つというところまで来ておりますので、次に職場に行く時には終了報告ができるかと思います。さて、本題のあまりよくない報告です。面倒なことを増やすことになるかもしれませんが、世の中の動静によって5月7日以降の自分の勤務が不透明になるかもしれませんのでその報告と御高配のお願いです。息子は○○市の「△△」という知的障害者入所施設の作業所に自宅から「通所」しており、その送迎を私が行っています。市内で感染者が出たことや、世の動静の変化を受けて、「△△」でも「通所の停止」がいよいよ来週より実行となり、5月6日まで行けないこととなりました。「施設入所」の方々は3月半ばから自宅に一度も帰ることなく過ごしている中で、ここまで約6週間自宅から通わせてもらえたことに感謝しつつ、準備を進めていた「朝、車で出て公園等で少し運動、その後自宅隣りの工房(一応紙すきと版画をやる場所として個人事業所登録してあります)で過ごす」という日々を親子で過ごす予定です。そこは、妻(小学校教諭)が4日に1回の出勤(学校内学童)で他の日は自宅におりますし、自分の自宅研修の時間も取れるので問題ないのですが、5月7日以降、講師の仕事も息子の作業所もどうなるか現段階ではわからないため、「学校は始まっているが作業所には行けない」という我が家にとっては最悪の状況を想定した形をお話しします。木曜日3・4校時と金曜日3・4校時に授業枠を入れていますが、これは息子の行動援護のヘルパー利用を前提に組んだもので、勤務校市内の事業所「A(木曜日)」と「B(金曜日)」が午後3時に作業所にお迎えに行ってくれていました。「知的な遅れを伴う自閉症」である息子の安定のためには「繰り返し」の予定をなるべく変えないことが重要で、来週からの作業所がない日々もこちら(ヘルパーとのウォーキング)は続けていく予定で、自宅隣りに3時にお迎えに来てもらうのですが、もし5月7日以降も作業所が休みだった場合、このタイミングで自分が立ち会わなければなりません。自宅には留守番の高齢の義祖父がいるのですが、息子を決まった時刻に出かけさせるための準備はできないので、作業所休業中の生活メニューをこなすためには私が朝から一緒に過ごす必要があり、木曜日・金曜日の出勤ができない可能性が高いのです。その代わり、火・水曜日の1~4校時なら「息子を自宅に残しておいて、祖父に食事だけ食べさせてもらう」ことが可能なのでどちらか半日出勤することができます。この事態を想定して今年度はまだ他校の講師枠を入れていないので(タイミング的にもう入れる可能性もなくなってきていますが…)、もしそうなった時にご一考をお願いできれば幸いです。おそらく5月中に本時間割通りの授業を行える可能性は低いのでは(できても登校日をしぼっての特別時間割になるのではないかと勝手に予想…)と思いますので、その節はそういう形で、本時間割を変えずに、出勤する曜日を変えていただければと思います。(書類上は出勤日の振り替えで大丈夫でしょうか…)出勤できた日については、通常授業もオンライン授業も課題設定対応もできますので、いかようにもお使いください。設備的には、出勤せずに「○○工房」で一人授業を録画してDVDに焼いて学校に送る?…とかそんなことも可能ですが、その時はちゃんと検閲した方がいいかと思います(笑)まだやや流動的ですが、ギリギリまでわからずに直前対応になるかもしれないのでひとまず報告いたします。こんなご時世ですが、本当にお体にお気をつけてお過ごしください。在宅 ワーク iPad 10.2 第7世代 キーボード ケース ipad pro 10.5 タッチパッド搭載 ペン収納 us配列 アイ パッド Bluetooth 2019 10.2 インチ キーボードケース オートスリープ スタンド 軽量 ブルートゥース Keyboard テレワーク リモート オンライン授業マイク付 スマホ三脚 YouTube Vlog 動画配信 スチール製 在宅ワーク テレワーク おうち時間 ゲーム配信 手持ちOK ユーチューブ Vログ 組み立て簡単 andoroid iphone アンドロイド アイフォーン 三脚 ビデオカメラ 動画 撮影用 携帯用 固定 ポータブル オンライン授業
2020/04/19
コメント(0)
子どもの観察のポイントについて述べなさい。また、発達に偏りがあると評価された場合、発達を促進するあそびを自身で考え、解説しながら紹介しなさい。※下の入力ボックスに、解答をキーボードで入力して下さい。※解答は800~1000字程度でまとめてください。※解答時間は60分以内です。60分を超えると通信が切断され、解答内容がクリアされますのでご注意ください。※解答作成後は、右上の【提出】ボタンを押下し、提出を完了してください。回答済 | 2020年04月18日 02:52子どもの観察をする際には、感覚、記憶、コミュニケーション能力、興味・理解、集中力・思考のくせの5項目に分けて観察して記録すると良い。その子どもの特性がつかみやすくなるのでアセスメントの際に大いに役立つと言える。またそうした記録を残すことで、何らかの不適切な行動に対しても「なぜそうなったのか」を感覚・記憶・思考の視点から探って仮説を立てやすくなる。イメージだけでとらえると、良くないことやできていないことばかりが目立ちやすいが、記録を残していくと、その子の秘めた能力やすでにできているのに見落としていたことなどが見つかりやすくなり、適切な支援に結び付けることができる。発達に偏りがある子どもの発達を促進する遊びも、その子どもの特性にあったものを考えていく必要がある。講座の中でも、神経衰弱やパターンしりとりなど、遊びながら何らかの力を伸ばす遊びが紹介されていたが、行動観察を通してつかんだ特性とその子の興味・関心を活かす方向で考えていくことも重要である。たとえば、感覚の中の触覚が敏感な子どもにおいても、指先程度の感覚やくすぐり程度なら楽しくやりとりができて、コミュニケーション能力をはぐくむことができる時がある。そういう子どもには、こちらの人差し指と中指を交互にあてて歩くようなしぐさで「○○ちゃんの右手を1・2・1・2…」とか「おーてーらーのーおーしょうさんが…」などその子が楽しくなるようなセリフを言いながら、手や腕を触ってそのあとくすぐるなどの遊びも、お互いに楽しめて肯定的な感情を持つことができると思う。また何度も繰り返しを求めるときには、「目を見て、『もう1回』と言えたらとか、『おかわり』のサインを手で出せたら行う」ようにすれば、コミュニケーション能力の向上やルール作りにもつなげられるかと思う。また、聴覚に敏感で大きな音や子どもの泣き声が苦手な子どもにおいても、人の口笛の音が好きということが意外にある。そういう時は「ホーホケキョ」というウグイスの鳴き声を最初はいわゆる定型のメロディで吹いて喜ばせてみる。気に入ったようなら上記と同じ方法で「もう1回」のやり取りを楽しむ。そのうちにわざと後半の音程を間違えて「ホーホケキョ」の「ケ」の音程が上がるはずが上がらずに「キョ」が上がってしまい「おかしい」と思わせられたら、「ちがうちがう」と手を振って一緒に間違いを共有する。さらにうまくいったときには一緒に「できたーイェイ」とハイタッチ(的なしぐさ)をする…など広げていくと、「まちがうこともあるんだ」「失敗してもいいんだ」「やり直しができるんだ」という感覚にもつながるかもしれない。上記の自身が考えた遊びは、自閉スペクトラム症の我が子(すでに成人)とやっていた遊びである。有効だったかどうかはわからないが、悩める時期に楽しく過ごせた貴重な体験であった。
2020/04/18
コメント(2)
発達障害のある幼児児童生徒の指導に当たって、あなたが特に留意したい事項はどのようなことですか。あなたの考えを具体的に述べなさい。※下の入力ボックスに、解答をキーボードで入力して下さい。※解答は800~1000字程度でまとめてください。※解答時間は60分以内です。60分を超えると通信が切断され、解答内容がクリアされますのでご注意ください。※解答作成後は、右上の【提出】ボタンを押下し、提出を完了してください。通常学級の中での発達障害のある幼児児童生徒の存在は、平成24年の文科省調査でその可能性のある児童生徒の割合が小学校で7,7%、中学校で4,0%とされて話題となった。が、その時初めて存在したわけではなくて、以前からもいて、学校教育は彼らの特性に配慮しない強制的な指導をして、彼らをずっと追い込んでいたのである。時に、私は重度重複障害の自閉症者の父である。すでに成人した彼が「知的な遅れのある自閉症」の診断を受けた約20年前、自閉症についての文献を探すのに苦労したのを覚えている。インターネットも今ほど普及していなかった当時、中学校教諭だった私は養護学校に異種間異動することでしか知識や指導方法を得られなかった。子どもの送迎などもあり、その後は時間講師として中学校に戻り、通常学級や特別支援学級で授業を担当しているが、今こうして「教員免許更新講習の必修科目」の中に、発達障害を学ぶことが入ったことに隔世の感と喜びがある。ただ、現場では、教員が発達障害の知識を得ても、有効な指導をしていない場面もまだ多くみられる。自戒を込めての話であるが、自分が留意している、そして今後も留意したい事項は次の2点である。一つは、発達障害のある生徒が通常学級の中にいることを意識して授業を進めること。中学校社会科においては言語的な説明のみにならぬように、視覚的な資料を並行して使用したり、資料集や地図帳などを使う時「○○ページを見てください」と言った時は黒板にもその数字を書くなど、ちょっとしたことを面倒くさがらずにやるようにしている。ユニバーサルデザインの授業…とまではいかないが、彼らにわかりやすくすることは、他の生徒にとってもわかりやすい授業である。その配慮を様々な場面で怠らないこと、常に意識することが留意点である。授業内容そのものも構造化を進めていくことが重要であり、こちらは自分の力量不足もあってなかなか難しいが、ICT教育が進んでいく中でその可能性が広がるように感じている。もう一つには、「この障害はこういう特性があるからこう指導すればよい」と決めつけないことを留意している。20年前より、知識もついて経験も積んだ。が、似たタイプの生徒を以前指導したからといってその指導方法を当てはめようとすると失敗することもある…と肝に銘じて、目の前のその児童生徒を白紙の状態でしっかりと観察・分析するよう心がけている。もちろん、以前と同じパターンで通用することもあるが、「目の前のその児童生徒が必要としている支援は何か」という命題を、常に個人レベルでも考えることが重要だと思っている。合理的配慮が法律的にも認められるようになった今なら一層、そうした支援がしやすくなったと言える。集団全体の指導とその中の個人への配慮、その両輪をうまく使って発達障害のある児童生徒に向き合っていきたいと考える。
2020/04/17
コメント(0)
◎「情報モラル教育(情報セキュリティ・著作権ユニット)」からの出題です学習した内容から、あなたが情報セキュリティと著作権の中で、いますぐ実践したいと思うことを3つ挙げるとしたら、どれを選びますか。また、それを選んだ理由は何ですか。項目別に、視聴した内容と関連付けながら書きなさい。※下の入力ボックスに、解答をキーボードで入力してください。※解答は800~1000字程度でまとめてください。※取り上げる3つの項目別に解答をまとめてください。(段落で分けてください)※解答時間は60分以内です。60分を超えると通信が切断され、解答内容がクリアされますのでご注意ください。※解答作成後は、右上の【提出】ボタンを押下し、提出を完了してください。情報モラル教育の中で自分が実践したいと思うことの第1は、「SNSの功罪」について生徒に伝えることである。理由は、すでにスマホを所有している生徒が多く、その多くがSNSを使用していると思われ、学校も生活指導の一環としてSNSの使用の注意をしているが「もしかしたら的を得ていなかったかもしれない」とこの講義を通じて感じたからである。というのも、学校が行う指導や、警察が行う指導は「すでに安全に使いこなしている生徒」には「いやいやそんなことないから…」と自分に関係ないと思われがちで、「まだスマホを持たずインターネットも使わない生徒」については「インターネット通信は恐ろしいものだ」と思わせがちであったように思う。他者とつながりを持つことで、人生で有用な多くの情報を得たりすること、適切にSNSを使えば生活が豊かになることを伝えたい。一方で「狭いコミュニティ」に囚われて、必ず返信を要求するような使い方をしていると「便利なもので不便になる」危険性があることをすでに使っている生徒に伝えておく必要があると思う。いずれにしても抽象的だったことを、具体的な事例を挙げて説明できると良いと感じた。その危険性と関連するが、第2に、「情報の漏れ方・残り方」についての実例を広めたいと感じた。理由は「そんなケースがあるのか」と多くの人々がまだ知らない形で情報が漏れている、悪いことをする側にはその能力があることを知ったからである。たとえば写真に同時記録される位置情報。表記されてなければ出ていないのかと思いきや、何らかの方法を加えることでその写真の位置情報を第三者が取り出せる…そこまでとは思わなかった。カメラを使う段階で「位置情報を記録しない」設定にすることが重要であることを伝えておきたい。また、漏れたものが他で次々と転記されれば、たとえ元記事を削除してもらうことに成功してもネット上にさらされ続ける恐怖を感じた。ネットモラルを自分が守ることはもちろんだが、「守らない人がいる」ことを前提にそれに備えておく重要性を感じた。第3には「パスワードの設定」について、これも実例を挙げて説明していきたいと思った。理由は、今まで公民の消費者教育の中でそうしたことを扱ってきたが、「○○にしてはいけない」という実例は出せても「○○というやり方にすればよい」という実例はなかなかできなかったのである。誕生日の数字にしない、名前にしない、複数のサイトで同じものにしない…と生徒に言いつつも、覚えにくいものを何種類も設定して、しかもそれを何度も変える…なんて難しいと自分自身も思っていたし苦労していた。仮に名前をパスワードに使ったとしても「aを@に置き換える」「母音のローマ字部分をカットする」など、「なるほどそういう手があったか」という方法がいくつも紹介されていたが、こうした事例を今後活かしていきたい。
2020/04/14
コメント(0)
通信制で受け始めたが、通常は試験だけはどこかに行って受けるものが多いのだが、その暇さえ許されない我が家では「試験もネットで受けられる」というものを選んだ。顔認証システムで本人確認をした後は、資料を見て回答してよい…ということで少しなめていたら、記号選択問題も結構難しい。さらに文章記述問題、感想程度で許されるかと思いきや、使う語句が多すぎて組み立てが難しい…。が、乗り切って書いた小論文。最初、資料にある言葉だけ使って組み立てたら400字くらいでまとまってしまい、「あら、800字も必要なのかよ」と自分の意見を入れ始めたらダラダラと増え、そのうち現場の声など入れたくなり…あれもう入らない…文字数1000字でこれより先は文字数オーバー。ということで少し削っていたらなんとぴったり1000字(改行は1文字)になったのでそのまま提出(送信)せっかくなので、問題の出題も含めてここに貼り付けることにする。しかし、比較的得意分野だと思う発達障害のことでこんなに苦労していたらこの後どうなってしまうのだろう…落ちても再試験とかあるようだけれど…。長すぎてたぶんよっぽど興味がある方以外にはお勧めいたしません!(笑)発達障害のある子のケース別サポート実例事典 発達障害を考える心をつなぐ[本/雑誌] / 月森久江/著 上野一彦/監修問題子供の困難さへの気づきから指導計画の立案までのプロセスを、次のキーワードを用いながら具体例を挙げて説明しなさい。ニーズ 多角的なアセスメント 合理的配慮 困難さの背景要因 PDCAサイクル※下の入力ボックスに、解答をキーボードで入力して下さい。※解答は800~1000字程度でまとめてください。※解答時間は60分以内です。60分を超えると通信が切断され、解答内容がクリアされますのでご注意ください。まずは各発達段階において、学習の遅れや集団生活での困難さへの気づきが大切である。学力の遅れや友人関係などの形で本人や保護者から主訴・ニーズがあった場合に、その困難さの背景要因を探りつつ、発達障害のある可能性を視野に入れて考える。複数の情報から多角的なアセスメントを得る必要があるし、その際にはコーディネーターや校内委員会など専門家と相談しながら進めることも重要である。早期から保護者との連携を密にすることも望ましい。配慮や支援を始める前に、今行っている指導やこれから行おうとしていることが合理的配慮になっているかどうかも必要な視点である。そのことで大きな改善が認められそうであれば、ツールの活用等も含めた「特別な配慮」をすることが大切である。指導仮説を立てる際には心理教育検査も活用し参考にするとよい。どんな検査をするのか、どう活用していくのか、こうした段階で専門家と連携していることが大きな恵みとなるであろう。検査の結果が指導仮説の裏付けになれば、支援方針や指導計画を立てやすくなる。またこの際に、知識や学術的な方法論にとらわれずに、目の前のその子にあったものは何かと考えることが重要であろう。障害は千差万別。自閉症スペクトラム障害一つをとってみても、こだわりなどの自閉度の軽重、知的障害の軽重などの組み合わせは無限であり、障害名でひとくくりにできるようなものではない。当然、アセスメントや検査の結果から出てくる支援方針や指導計画も、画一的なものではなくてその子に合ったものであることが求められるであろう。また指導を行う教員にもそれぞれの個性がある。その人に合ったやり方や教員集団の中での工夫(誰が中心にあたり誰がフォローするなど)もしつつ、計画したい。合わせて、決めた支援方針や指導計画に柔軟性を持たせることが大切である。指導計画はPDCAサイクルで随時見直す。こうしたPlan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善)の 4段階を繰り返すことがすべての仕事にも通じて大切なことであるのは周知であるが、学校現場では教育行政への届け出などが足かせとなってむしろ「早い段階で決めたことを修正していきたいのにそれをさせてもらえない」という声も聞く。たとえば、個別指導計画を学期ごとに変更することは可能だが、学期途中で変えた時に「こういう理由でこう変えた」という記述を書くことができるが、否定的な管理職もいるようで(こういう計画を当初立てたのであれば、そのことに対して「良くなった」となるように記述するべき…と考える頭の固い管理職、特別支援教育への知識・理解のない管理職がまだまだ多い)、そうした場合、現場の教員はあきらめるか戦いに時間を費やすか(本来子どもに向けたい時間を失うこともある)それを乗り越えて行く力も要求されている。ケース別発達障害のある子へのサポート実例集(小学校編) 発達障害を考える・心をつなぐ [ 上野一彦 ]
2020/04/10
コメント(2)
8年間お世話になった市内のM中を出ることになり、山を一つ越えたO市の一中にて4枠のみ勤務。もう1校は、特別支援学級を入れようとして待っているうちに「入れ損ねた!」という状況。4月7日緊急事態宣言なるもの(午前はまだ出ていなかったのに)を受けて、週1回の学年別登校日までふっとんで、5月6日まで完全休校となってしまった。それでもO市は入学式をやれただけいい方で、居住地で前任校のあるA市は前日夕方に市内全校で中止決定…学校メールで知らせ、街の有線放送でまで連絡…ウイルス対策はしてあっての実施予定だったのだからこの急変更は理解に苦しむ。もしかしたら行政の長の思いつき判断や圧力でもあったのか。もう延期日程なんてしばらくないよ…。講師の仕事は今年度まだ2日しか行っていない。正社員の教諭は毎日出勤だが、講師は例年なら授業開始までやっぱり2日も行けば大丈夫だったのだが…今年度からの講師制度の変更で『自宅研修が廃止』されたので、この4月は授業なくても今週から授業日には意味なく出勤する予定だった(笑)授業準備や打ち合わせなどをしろとのお達し。その授業準備をパソコンでやりたいのに、今度の市は個人パソコン持ち込み禁止、学校パソコンへのUSB接続禁止…。じゃあ、学校のパソコンでそのまま打つか…と思ったらまだパソコンにアクセスできる個人パスワードも本人用のアドレスも割り当てられていないとのこと。手書きオンリーなの?そんなら家で仕事させろよ!…と思いつつ、もう春休み中に家でプリント等は作り終わっていたから「まあ、社会科関係の本の読書でもするか…」と思っていた。が、さすがにこの時期にわざわざ来させて感染を広げてはいかんと教委も気づいたのか、自分以外のベテラン講師が教委に苦情の電話でもたくさん入れたのか「今回は特別な例として諸条件を満たしていなくても休業期間中の自宅研修を認める」通達が来た。そりゃそうだろう。せっかく時間ができたので、通信制の教員免許更新講習、1つ試しにやってみた才能開発研究所なる怪しげな名前のやつ(選んだそれは発達障害の講義で学芸大の上野先生などなかなか良かった)が順調だったので、残り4つもそこの通信制で全部申し込んで、まとめて終わらせることにした。どう考えても今年度は5月以降バタバタと忙しくなりそうだし、夏休みもなくなる予感があるし。(来年度も講師やるかどうかは別として…)が、総額なんとなんと33000円! 1講座6000円~6500円の相場通りで、試験もWEBで交通費がない分、これでも安くついた方だが…。なぜこれが自分の負担なのかやっぱり納得いかんなあ。雇い主が払ってよ。私の世代(10歳上と10歳下も)がこの免許更新講習制度のトップバッターとして10年前に始まり、民主党政権が終わらせようとしていたのに自民党政権に戻ってやはり継続(文科省や縁の議員の天下り先の利権確保?)となって…2巡目の先頭に入った。10年前はまだ大学など講義をする側も不慣れだったので「実験中のためまだ無料」だった。なので私は免許更新をしたのではなくて「免許更新免除講習」によって「免除」されていたので「俺は更新はしない」と反抗する最後のチャンスだったのだが…まあいいや。
2020/04/08
コメント(0)
誕生日おめでとうメッセージ、ありがとうございました!コロナ関係で、長期休暇?の宿題を見るために出勤となり、返信が一律「いいね」で済ませたままですみません!宿題のワークの検印も、ろくに見ずに乱打してきましたが…。誕生日(いつも終業式)に出勤するのは10数年ぶりですが、子どもの頃と同じく、誰も覚えていてくれませんでした(笑)クラスのお別れムード全体に流される日なので、「いつですか?」と以前に聞かれていても、個人の誕生日、まず思い出されず過ぎていくことは普通なのですが、特別支援学級に出てた時だけは、自閉っ子が「先生は今日誕生日です。おめでとうございます」と言ってくれていました!(さすが歩くカレンダーって子でした)ついでに私事報告ですが、「いい職場に恵まれて来年も…」と年賀状で宣言した年に限って、クラス増のあおりで転勤となりました…。(雇い止めとも言えますが)1年契約なので毎年退職して毎年新規採用されていたわけですが(笑)それが今回の市内のM中は8年続いていたので(その前のもろ居住地のI中は12年)さすがに後ろ髪引かれる思いです。講師制度が大きく変わる年なので職場を変わると心配事も多いのですが、続けることにして、北隣の市(観光地というかキャンプ場などのある…)に小枠で行きます。あとの週1日(火曜日4時間)はこの機会に特別支援学級にも復活したい(特別支援学校ではありません。車通勤でないと送迎で困るので)と思って、まだ他を断っている最中ですので、多摩地区にてそんな話を聞きましたら(中学社会)ぜひご一報ください! (訂正…西多摩地区ほぼ限定でした。)と頼んでおきながらも、「あそこの支援学級のやり方いやだよねえ」とか評判の悪いところはなるべく遠慮を…(爆)【追加部分】考えてみれば、Facebook友達の中に特別支援学級につながりを持つ方がたくさんいることを思い出しました。すでにコメントをいただいた方々も含めて。この記事は友人の友人までの範囲に限定してあるので、万が一そうした方が自分を推薦してくださる場合に備えて、特別支援関係の履歴(頼んでいる方に送ったもの)を載せますのでそうした際にはご参考くださいませ。通常級と違って講師枠の設定の時期をとうに過ぎているので、生徒人数の急な増加…などないとこの春に入るのは難しいと思いますが…。売り…というほどでありませんが、特別支援学級ではA市立I中で講師3年、H市立U中で講師1年・指導補助者(介助員)7年、特別支援学校ではNKで教諭1年(中学部自閉症学級)、S国際高校Tセンターで講師1年、自閉症児の保護者を21年(笑)…が特別支援関係の経験です。特別な技はありませんが、目の前の生徒の様子やその学級の方針に合わせて内容を組んだり変更したりのノウハウは持っているかと思います。教師生活は新年度が33年目です。
2020/03/26
コメント(0)
秋保温泉宿泊の際、夜遅くに行った風呂併置のマッサージの「タイ式マッサージ」が素晴らしすぎた。本人曰く、本当のタイ式と日本式の通常のを御客さんの凝りに合わせて自分流で混ぜています…とのことだったが、この日以降、上がりきらなくなっていた左腕が伸びるようになり、ストレッチで維持できるようになった。ホテルでゆっくり過ごして11時30分にホテル発のバスで仙台駅へ。時間がないので駅ビル内で昼食をと思ったが駅ビル3階の牛タン通りやすし通りは激混み。しかし、そこではない駅ビルの洋食店に入ると大当たり!前日の夕食の3切れの仙台牛…では足りず、最後のぜいたく。駅ビル内での様子で確信したが、仙台は、街の人までがみんな親切で、道で行き違う時も譲り合う場面が多くて、若い人にもそれが自然と浸透していた。これももしかしたら伊達公以来の伝統なのだろうか。驚くとともに感激し、ぜひ再訪したいと思う旅となった。
2020/01/07
コメント(0)
秋保温泉のホテルニュー水戸屋行きのバスが午後3時に出るので、それまで仙台観光の予定。周遊バス(るーぷる仙台)に乗ろうとチケットを買いに行ったら、その前にバス会社の人に行先を聞かれ、「休日で止まらない場所もあり、その回数なら路線バスの方がいい」とアドバイスをされる。ひとまず仙台城跡に行くつもりで乗車しようとすると今度はボランティアの人が近づいてきて、質問に答えてくれる。なんて親切な…。仙台城跡この石垣はいい!特別にファンではないけれど、やっぱりこの像はカッコいい!息子、伊達政宗への道は遠い…。城の内部の再現東日本大震災で落ちてしまったという像いろいろな意味で貴重大崎八幡宮に思いつきで行く。会社の仕事始めという日で、会社員の団体が多い。学生スポーツチームも。仕事始めの日にお参り…そんな風習、東京でもあるのか?…と思いつつ、人の多さの割に過ごしやすい、マナーの良さに感服。お昼は、寿司勝という市場近くの店へ。完全に会社員たちのランチタイムで浮く観光客(笑)ながらぜいたくにつまむ。無事ホテル送迎バスに乗り、小1時間。両親は爆睡し、息子はウォークマンにノリノリしつつ、秋保温泉着。ちょっと大変な道のり(池とか庭園を越えて)を経て室内プールへ。親子2組のみでガラガラ。夕食前にスーパーに行き、秋保おはぎ本舗さいちという老舗で有名なおはぎを買う。夕方だったせいもあり半額。種類もいくつかあり買い過ぎる。そして我慢できずに夕食前に自分だけ食べ過ぎる…。和食お任せメニューは、やはり牛タン…だけかと思ったら仙台牛ステーキも! でもおはぎ食べ過ぎの自分のは、手前側の肉も、半分は息子の元へ…。
2020/01/06
コメント(0)
カキを食べに北へ!どうせどこ行っても寒いから…と宮城県への旅。自宅を6時25分に出て大宮駅に8時12分に着ける列車があり、これを使うと新幹線で函館も意外に簡単に行けるぞ…と今後のために記録。乗るのは8時34分発のやまびこ号だが、写真の息子後方の新幹線は途中で分かれるらしく、こんな付き方をしてるのを東海道では見たことなかったからかなり驚く。仙台に10時頃着く。宿泊はホテルモントレ。大浴場も含めてまた泊まりたいと思える良いホテルだった。駅から近いのでコインロッカー代わりに荷物を預ける。様子が先にわかるっていうのは自閉っ子的にもナイスな作戦だった。在来線に乗って、松島方面へ。松島海岸駅で降りて、調べていたイタリアンの店『松島イタリアンtoto』へ。これが、なんとも素晴らしい店で、ランチがちょうど食べたいメニュー設定でおいしいし、量もあるし、別に頼んだピザもうまいし、カキ食べ放題の店に行かずに地元食材をうまく生かした料理を食べようとした作戦が大正解だった。食後は徒歩でまずは円通院へ。そして、瑞巌寺へ。ここは、中の写真は撮れなかったが、なんというか、黄金いっぱいありましたね…という文化。この場所に、天皇の間を作ってあった…っていうのは伊達政宗公のやる気というか野心が感じられる興味深いものだった。でもそれ以上に目を引いたのは、円通院にも瑞巌寺にもあった、古代からの岩をくりぬいてお墓を作っている文化。他の観光客は近寄りもせずに通り過ぎていくのだが…我が家はそれぞれの立場?で興味あって時間がかかる。そして、松島の海岸へ。美しい景色を見ながらも、「ここも津波で…」と思うと胸が詰まる。ここの五大堂に渡る道が海の上の小さな橋で、ビデオをとりながら渡ったが後で見ると結構怖い。ここをひょいひょい小走りで渡っていった息子は、やはり高いところ大好き。みちのく伊達政宗歴史館へ。少し距離があり、他の観光客がほとんどいなかった(笑) 瑞巌寺を出たところにあった、主に外国人観光客狙いと思われるオイスターバーにわざわざもどって入る。 その日のディスカウントにも引かれ、「さっきのイタリアンはおいしかったけどもう少しカキも食べたかった…」という気持ちもあり、カキフライや焼き牡蠣を間食としていただく。高台から松島を見たいが車ではなかったので、「西行戻りの松」公園に行くことにする。タクシー乗り場がないと思ったら、観光協会の建物に入りそこから電話をするらしい。待つ間寒くないし、そこからの海の景色もよくナイスなアイデア。ただ聞いてみないとそのことが全然わからないつくり(笑)車で行く道は大回りだが、坂はきついので歩かなくてよかった…という距離をタクシーで登って到着。来て良かった!…という絶景。ここからだと松越しに見えるのもまたよし。帰りは下り道なので徒歩で駅に向かう。近いのだが「えっ、本当にここ歩いていいの…」というようなところも通る。踏切だけど遮断機が閉まらないところも久しぶりに渡る。それがまた単線ではなくて、結構距離があるのだ。そこを通る前に、やめたけれど「えっ、ここ渡れるけど道じゃないよね…今通ったの特急電車だよね…」という場所もあり、なんというかそのおおらかさに驚く。仙台駅に戻り、ホテル近くの「牛たん炭焼 利休」で牛タンはもちろんシチューや三角定規揚げなど食べる。松島で焼きガキ・生ガキを食べ、仙台で牛タンを食べ、もう旅の目的は達成か(笑)息子Sが、どちらも食べる食べる…偏食の子だった頃が遠い昔…。ホテルに戻り、1回券しかついてない大浴場へ。写真はホテルではなく、そこから見えたほぼ「トミカタワー」のような駐車場。
2020/01/05
コメント(0)
Facebookより転載教員同士のいじめ(というか、ただの傷害事件だと思うが)のことばかり騒いで「給特法改正」(改悪)のことに関連付けてくれないメディアにいい加減頭に来て投稿。このニュースで出る学校や教員に対する悪意や不信感をそのまま「教員もう少し働けよ」みたいな世論に持っていきたいのでしょうか?教諭として日々忙しく働いている皆さん、たぶん、カレーを目に入れられることよりもひどいことを「働き方改革」と称して閣議決定していますよ。極論を言うと私は「非常勤労働者」なので、この法律改正は直接関係ありません。ですが、目の前で仕事をきちんとやってニュースさえ見る暇もないような教諭の皆さんが知らないうちに、おそらく歴代でもっともその職の資質を欠く萩生田文部科学大臣(教育勅語をこよなく愛しているという説明1点でも十分でしょうか)の旗振りの元、この先ずっとひどい目にあいそうなことを何もせずに通り過ぎたくないのです。給特法の問題は、「ちゃんと残業代を仕事量に合わせてもらえるようにすること(たとえ安くても)」が一番の解決策であり、その改正のためにがんばっている先生(ツイッターで斉藤ひでみの名で活動して現在は実名で訴えを出し報道されました…いじめのニュースから比べるとほんの少し…)たちもいました。が、内閣が進めている改革はこれではなく「裁量労働制」の導入で、簡単に言うならたとえば「1学期に毎日10時間の勤務時間にするけれどその代わりに夏休みに振り替えて休ませてあげるから」というものです。ここだけ聞けば多くの中学校教諭の皆さんは「もともと8時に来て20時に帰っているから(12時間以上労働が常ですね…)別にいいか…」と思っているのではないでしょうか。(たぶん、教諭時代の自分もそう思ってしまったのではないかと)でも今だって、結局夏休みに部活が入るし、3日とかの「夏休」さえなかなか使えなくて困ったり、ましてや「年休」なんて毎年使い切らずに余らせているのではないですか。夏休みにまとまった休みを取って…って言われてもたぶん取れないから、日頃から働きまくる先生たちだって得になることは何もありません。じゃあ、だれにメリット?と考えたらお金を出す側…つまり行政側の都合でしかないわけです。このまま通したらダメだと自分が思う2点だけでも書くとここで裁量労働制だけの「給特法改正(改悪だけど)」を通すと、「残業代を勤務時間に応じてちゃんと出す」という当たり前のことが、ずーっとずーっと先送りされてしまうということ。4%先に出しておくから後はどれだけやっても残業代なしね…ってこんなブラックで全国チェーン展開(笑)の組織、他にあるのか…。今後、「残業代支払い」の改正を願い出ても、「給特法ならあの時に改正したからまだしばらくは議題にしなくていいんじゃない?」って、戦後ずっと手つかずにされていたのと同じく、未来の教師たちにまで悪影響を及ぼすことになる、そしてそれは未来まで行政側の予算削減を実現してしまうからそれを向こうはやりたいだろうし、一度認めるとそれを変えるのはもう難しいだろうという点。もう1点は、中学・高校で部活動の時間が勤務時間にあたるようになるので、顧問になることが義務付けられる可能性が高いこと。(リンク先の記事を見ると今でも強制的にならされる人が後を絶たないことがわかりますが)自分は部活動の顧問がやりたくて中学校教諭になったような面も当時はあったので(笑)、「絶対にヤダ」って先生の考えをそう理解できているとは思えないけれど、本業が忙しい先生たちをさらにそこで強制的に働かせるための「改正(改悪)」のような気がして、そうなってくると「部活動ってそういうものじゃないでしょう、っていうか、学校単位でなくて地域スポーツに移行していって教員も学校を出て地域で指導に関わろう…とかいう動きはいったいいつの間に消えたの?」と思うのである。さらに…と書こうとしたことが本当にそうかどうか…ここは個人的見解だが、部活動指導での暴力問題とか生徒を追い込んでいることとか、教諭が追い込まれて同僚に当たるとか、管理職のパワハラとか…本当は取り組むべき課題を学校側に丸投げしているけれど、さらにみんなを忙しくして悪化させるだろうなあ…と感じる。カレーは口や目だけでなく、鼻に、耳にも入ることに…いやそういうことでなくて、職場がギスギスするんだろうなと。真偽はわからないが、昔、年配の先生が言っていた。「俺は田中角栄は嫌いだけど、あの人は『教員に余裕を与えて社会経験を積ませてやらないと教育がダメになる』と考えていて、夏休みに海外研修に行かせたり、管外出張で他県に行かせたり、なんだかんだと公費で、半分遊びでもいいから『現場を離れての研修と休養』をとらせていた。」と。昨今の政府や内閣の決定にはそういった理念をかけらも感じない。忙しい先生たちに少しでもこの声が届きますように。追伸:東京都では非常勤講師の制度が次年度から急に変わることになり…待遇改善なのか、自由度を減らす改悪なのか…詳細が出ないと判断しかねている状況です。リンク先より抜粋給特法とは※『公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法』の略称である。正式名称からわかるように,公立学校の教員だけに関係する法律である。給特法を簡単に説明するなら,「公立学校の教員には残業代を支払わないよ。だから残業しなくていいよ。もちろん,校長は教員に残業の命令をすることはできないよ。でも,教師なら自主的にやりたい残業もあるよね。だから給料を4%増しにしてるよ。」という法律である。中略つまり,定時後に部活指導などの諸々の『仕事』は,法律により『やらなくてよい』とされているのだ。そして,『教職調整額』と呼ばれる4%増しの給与をもらっているからといって,校長から残業を命令されることもない。給特法により,校長は教員に勤務時間外の業務を命令することができないが,これには例外が存在する。臨時又は緊急のやむを得ない必要があるときの他,次の4つの場合に限り,校長は教員に勤務時間外の業務を命令することができる。(参考:「教員の職務について」)▼超勤4項目▼・職員会議・学校行事・緊急事態・実習(※高校のみ)もちろん,部活は上記の4つの場合に含まれない。このため,給特法さえ理解していれば勤務時間後の部活指導を断ることができる。https://www.kyodo-bukatsu.net/l4/?fbclid=IwAR1fkhIfcoGVB7N1yuFyN1I7EjElhhvOrmM46E1oqCbOb34C9tngwW9wekU
2019/10/21
コメント(2)
朝食後は、長浜観光をして夕方までに東京へ帰る最終日。琵琶湖 ほとんど海長浜城からの長浜城へ城でなくて資料館なので、城として古いものではないし何でもないのだが、資料もなかなかわかりやすいし、展望台としてとても良い感じだった。何よりも現代の建物だから冷房!…これはこれで良い。海洋堂フィギュアミュージアムは結構なお値段。一貫してデコピンでピシッと確認するが、ゴジラはなぜかスルー。涼みたいときに見つけた曳山博物館お目当ての店は案の定つぶれていて残念。ただそこをめざしたから曳山博物館に行けて良しとしよう。途中、『長浜ラーメン』の店があった。博多の長浜なのか、ここの長浜なのか…どっちの味なのか気になる(が、入っていない)。
2019/08/10
コメント(0)
途中下車の旅、今回は米原駅で新幹線を降りて、彦根城へものすごく暑い日で…でも糖尿病とわからずに体がつらかった昨年、起伏のあまりない浜松城ですらつらかったのを思い出すと今年は足がすいすい前に出る。写真は撮っていないが天守への道は後半ほぼはしご(笑)であった。50代の今のうちに来ておいてよかった。健脚の年配の方はたくさん知っているが、自分にはたぶんあと数年でこれは登れなくなる…と直感。降りるときに、自分より上にいるSに声掛けをしつつ降りていると、自分より前(下の段)のロングスカートの人の布を踏んで転びそうになる(踏まれた方は気づかず)でも、昔の面影がいろいろなところに見受けられるとてもいい城であった。10指に入るなこりゃ。ただしもう行かないが(笑)そのまま城下の商店街に出て、近江牛を食す。その後は行きに乗った周遊バスで彦根駅に戻る…いや戻りたいのだが周遊バスのバス停が見つからない。食事場所、お土産屋、地元の人…と、言われたバス停に着いては「これ違う」となって3人に聞いたがそれぞれ違っていて、結局自力でわかりにくいそれを見つけた。周遊バスと路線バス数社とそれぞれ競い合うのではなくて協力してわかりやすくしてくださいよ。というか、ここで店やってたら各社のバス停は抑えておいて欲しい…かな。さらに電車で長浜に移動して、『ホテル&リゾーツ長浜』に宿泊。本当は琵琶湖で湖水浴なるものをしたかったのだが車でないと行きづらく…プールのあるホテルを探して予約していたのだ。となりに琵琶湖を見ながらプール。結構リゾート気分。部屋から見える琵琶湖の夕焼け
2019/08/09
コメント(0)
下関での最終日も海水浴。家のものが車を使うということで予約したレンタカーを取りにいく。が、自分の名前がないと言う。半ばキレ気味に申し込みのデータをスマホで見せると…なんと一日まちがえて予約していた…。幸いにも、車あり、翌日のキャンセルも無料でOK。本当は土井が浜まで行きたかったが、夕食をS祖父母と外で食べることにしたので、ぐっと近くて、でもきれいで使い勝手がよい、昭和感あふれる『室津海水浴場』へ。今やうちでは定番。帰りに自宅付近の休日料金の高い『和楽の里』で入浴…と思ったら木曜定休。実家の風呂で許してくれるSの成長に感謝。夕食は5人で海鮮居酒屋『魚鮮水産』へ。 S祖母に「ああ、巌流ね?」と言われてピンとこなかったが、ネット予約名にはなかったが、店に行くとそっちが目立って書いてあるし、店内に入るとまさしく巌流島の決闘。宮本武蔵が佐々木小次郎(佐々木巌流)に襲い掛かるオブジェしかし、小次郎敗れたり…ツバメ返しはこうしてやぶられていた新史実!翌日は新幹線で途中下車の旅。
2019/08/08
コメント(0)
6日は台風通過のため自宅待機7日はS祖母方の墓参りからスタート。こちらの前田家の墓は旧市内の高台にあり、街並みを見下ろし、関門橋が見えて、好立地。(過去記事に写真あるかな…)いつかそのことを書こうと思うが、若くして日中戦争で亡くなった私の実の祖父と、育ての祖父と、共通の(笑)祖母と、やはり育ての曾祖母…などが眠っている。亡くなった「育ての祖父」が、「実の祖父」の戦場での写真や、訳ありの曽祖父の写真などをアルバムにまとめて保管してくれていた。お墓を後に、うちの家族としては初めての山陽小野田市方面へ。爆睡中のS母はともかく、天気も良くて道もきれいで、ドライブが珍しく気持ちよい。(基本自分は運転はそう好きではないが)行先は、『花の海 ひまわり』山口にもひまわり畑がある…ということをたまたま知って…ミーハーな写真を撮ろうと。しかし、あまりに暑い。さらに「どこに連れて行かれるのやら…」とS機嫌悪く爆発寸前。通りすがりのちびっ子に「うー」と吠えかかる…。ひまわり畑で写真…無理かなと思っていたら、その手前に、大好物の『かき氷』店を発見!「300円高いな…」と思ったが背に腹は代えられず購入。選べる4つくらいの味から、イチゴを1つだけ購入。なんと本物のイチゴが!うまい安い機嫌が直った自分もあわてて追加注文、ブルーベリー。この2つだけが本物の果実で、他はただの色付きシロップ…でも同じ値段。お腹をすかせて『ドライブインみちしお』へ。ここもケンミンショーで行ったその日の夜にテレビでやっていてびっくり!その『貝汁』のうまさたるや…たぶんこんなにアサリをいっぺんに食べたことはかつてなかっただろう(笑)という量。でも味が自慢。なぜそんなにおいしいのかはわからない…味噌は薄目、でも塩加減が良い。その他の食べ物は…普通(笑)さて、本日も海水浴だが、山口県の山陽側の海で泳いだことがなかった。厳密にいうと、彦島の西山海水浴場(現ひこっとらんど海水浴場)では泳いだが、山陽か山陰か決めがたい場所なので…。下関だと山陽側は関門海峡で、それは『壇ノ浦の合戦』の勝負を決めたあの潮の流れ…もちろん泳がないのだが、もし泳いで流されると『どざえもん』である。昔の人は潮の流れの変わり目の小1時間で1km先の門司に渡った…という話も聞いたことがあるが…そもそもそんな距離はプールでも泳げないし。行先は『焼野ビーチきらら』人工海岸は砂になにか違和感があり、海もやはり山陰側と比べるとお世辞にもきれいとは言えず。でも熱海とか湘南よりはきれいな気もするが…。工業地域をバックに、そして遠くに阿蘇山(たぶん)などの九州の山を見ながら泳ぐ。ちなみにこの場所、全国夕日百選に選ばれている。しかし、この日は午後から曇り…海に入って15分くらいで遠くに稲光。残念ながら雨となった。隣接する建物でお湯に入り、日没を待たずに出発。帰りに寄った鶏の居酒屋、『博多一番どり居食屋あらい 長府店』チェーン店ではあろうが、うまかったので記載。
2019/08/07
コメント(0)
前日、2時くらいまで飲んでいたが(他の人たちは4時くらい?)、台風接近中で翌日に海水浴に行くしかなくなったので(本当はもう1日あとの予定だった)がんばって早めに切り上げて、少し寝て、家の車で3人で出発。まずは、吉母でS祖父方のお墓参り。(S祖父母というか、私の父母はいろいろ健康不安はありつつも健在)一族の墓、昔は滝部の山奥の広大なN家の土地の山の中腹にあり、ちょっとした探検で、登山しながら竹藪をかき分けて、いや竹を切りながら進んで、江戸時代からの一族の墓の広場に到着…だった。が、S祖父(六男?)の兄(長男)が山を売ったか何かで、移転して普通の町中のお寺で1つにまとめられた。楽になったけれどちょっと残念。昔のお墓の写真は息子小3の頃の日記にあるはず…。https://plaza.rakuten.co.jp/autism777/diary/200604030000/さて、このコースを通ると必ず買うのが『二見饅頭』小さくて食べやすくてパクパク入る。まいう~の石ちゃん(石塚)がテレビの取材で来た時にあっという間にペロリ…だったが、運転しながらひょいっとつまむとあっという間に10個くらいなくなっている…。お店は、S祖父の同級生のおばさんがやっていたが今は代替わりすぐに食べ始めたいので、中身の写真をいつも撮り忘れる(笑)屋号は「ときわ屋」だったことを最近知る。今年は、『渚の交番』代表を中学3年時の友人がやっている『島戸海水浴場』へ。向かいは角島…こっち側もきれいな海と白砂の海岸。遠くの橋は海の上を走るかのような景色で有名な角島大橋。うちは、息子が海に向かって縦に突っ込んでいくので、もう少し遠浅の距離が長くないと…でやっぱり土井が浜か…となったが、そうでない一般の方々にはこっちの方がおすすめである。帰りは、西長門リゾートの日帰り温泉でくつろぐ。ここの露天風呂は本当に気持ちいい。そして、ものすごい坂を上り、『犬鳴稲荷神社』へ。インスタで世界から観光客が来ているあの長門の海の千本鳥居…ではないが、こっちにも数は結構ある。そして近づくと蜘蛛の巣が張っている…。もっと遅い時間に来れば海に沈む夕日がバッチリ…ではあるが、我が家は待てない家なので…瓦そばはやはりここ『たかせ本館』で食べて夜に帰宅。
2019/08/05
コメント(0)
2020年1月になってしまったが…2019年夏の旅行記をまとめました。いつもの新幹線帰省。小郡駅…じゃなくて新山口駅でのぞみ号からこだま号に長い待ち時間で乗換。が、今後ここでの楽しみを見つけてしまった。なんと「生外郎(なまういろう)」を取り扱っているではないか!山口のういろうはわらび粉でつくるのでぷりぷり食感…生だとさらにおいしかった。ケンミンショーで見るまで、生…の存在を知らなかったので人生初であった。新下関駅で肉うどんを食べて、自宅へ。その後、唐戸で高校時代の友人たちと飲み会…からの小学時代の友人たちとの合流予定。その前に唐戸散策亀山八幡宮の大鳥居に挟まる謎の軟式野球のボールこの裏面なので、高さ的にも角度的にもどうやったら入るのかわからない…。この坂は亀山の裏手の単なる坂…だが、子どもの頃、亀山八幡宮のお祭りでおみこしを担いだころの休憩場所だったのを思い出し記録。低学年の子は紅白の縦長の旗をもって歩く…これが普通だと思っていたが、源氏と平氏の旗だったとは…。唐戸に新しくできたおしゃれなお好み焼き店『ヴェルデポンテ下関』https://mtke.jp/gourmet/4319/関門焼き…なる、瓦そばとお好み焼きの融合は、そのどちらよりもおいしかった!息子、ものすごいスピードでペロリ。満腹になった家族をタクシーで帰して、30数年ぶりの小学生時代の友人たちと唐戸のスナックへ。すでにお好み焼き屋の違う席で待機してもらっていた(笑)そのスナックはうちの兄と同級生のママさんも含めて、出身中学の人たちの巣窟であった。小学校親友のTっくんの松山千春は歌も容姿も圧巻わかりにくいが、テレビ画面には歌手本人スキンヘッド映像があり、完全に歌い手スキンヘッドとかぶっている。(笑)うまい、うける、うまい、うける…と1曲の間にエンドレスな感情の動き深夜に兄が現れて、しばらくして初カラオケを一緒に歌うことになる。「何がハモれる?」と問われ、「昔、家にあった兄ちゃんのレコードなら何でも(勝手に聴いている)」と豪語する。そんな多数の中から、チューリップの『心の旅』にするか…と言うので、「それは安直じゃないか? もっと俺たちにしかできないものがあるだろう」とちょっと欲を出す。「もっと人がやらないものを…」と言い過ぎたのか、かなり酔っていたのか、10分後に流れた曲はクィーンの『バイシクル・レース』…だった。こんなの誰がハモれるんだよ…というかそもそも主旋律さえ、俺たち誰も歌えてないって(笑)
2019/08/04
コメント(0)
全1105件 (1105件中 1-50件目)