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2021.01.02
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第二話を書こうかどうか、ずっと迷ってました。

他の人に自分のプライベートをここまでオープンにしても良いのかな❓と言う疑問があったからです。

僕の場合は日記のつもりなので、自分の過去の事は書く必要ないよね❗️ って思ったから。

自分のブログを読み返してみると、その日または前日の出来事が多い。

でも、その日に思い出した過去の出来事も書いていた。

昔の事を思い出したら、その時に忘れてしまわないうちに書き留めておくのもいいのかな。
と思うようになりました。

なので、  第二話  始まりです。



僕達の新婚生活は経済的には非常に厳しかった。

僕がこの時期病気がちで結核で合計一年半と椎間板ヘルニアで、合計7ヶ月入院、退院を繰り返していたからだ。

入社→入院→退社、入社→入院→退社、の繰り返しでした。
新婚時代の事なので、入籍して間もない頃の話しです、中野にある国立中野療養所で再度手術を受ける為、半年間再入院しました。
結婚前には東京都清瀬市の国立東京病気で一年入院してました。

その後は、今度は椎間板ヘルニアで4度入退院を繰り返し、こちらも合計7ヶ月の入院期間でした。 僕の20代は合計2年以上も入院していた。

嫁さんはこの頃が一番 辛かった と言ってます。 僕を見舞いに来た帰りのバスの中、寂しさと不安で、いつも涙が止まらなかった、、、らしい。 それを聞かされたのは、ずーっと後の事でしたが。なので僕の身体の事には、未だにとても気をつけてくれている。

退院してからの生活は兎に角、お金が無かった。

その頃、バイトくらいしか出来ない僕は、お金が無くて食べる物も買えなくなってしまい、二人で水を飲んで凌いだり、当時はコーラの瓶をお店に持っていくと10円と交換してくれた時代だったから、夜中に瓶集めを必死でしていた。

今思うと、生活保護を受けた方が良かったのかもしれませんが、何も出来ない人だと思われたくなかったから、それだけは嫌だった。

職種さえ選ばなければ、色々な仕事があった。食べて行くのに必死な時は、職種なんて二の次でしたね。

嫁さんは、一度も外に出て働いた事がなかった人だったけど、僕が働けないので働きに出てくれた。その頃の僕は入院生活が長く、かなり体力が落ちていた頃で、フルタイムの仕事は、その頃の僕には体がもたなかった。 その時は僕が主夫してました。

僕達の住んでいた都営住宅は風呂場は有ったけど、風呂桶と風呂釜が付いてない。要するに風呂場には何も無い。風呂桶と風呂釜は自分達で用意しなければいけない。

だから、お風呂は近所の銭湯に行ってた。
冬のある日、寒い夜だったなぁ〜 帰り道、目黒川に架かる橋の上で嫁が足を滑らし転んでしまった。

とても短い、小さな橋なんだけど、丸く真ん中がもりあがってて、カーブしているから、滑りやすかった。 

転んだ弾みで眼鏡が真ん中から真っ二つに折れてしまった。 嫁はその2つに折れた眼鏡をセロテープで繋いで1ヶ月か2ヶ月くらい暫く使っていた。

まだ若かった頃だから、恥ずかしかったと思うけど、、、。 嫁は大丈夫見えるからまだ使うよと平気な顔してた。とてもありがたかった。

嫁さんは、風呂上がりに何故かコーヒー牛乳を飲むのが好きだった。

嫁がまだ幼い頃、父親と銭湯に行って、父親がコーヒー牛乳を買ってくれて飲んだ、その時の事が忘れられないそうだ。数少ない父親との思いでの一つだとか。

その父親とは、嫁が小学校に上がる前に両親が離婚し、その後会ってない。今も消息は分からない。

僕は母親の記憶があまりない。嫁は父親の記憶がほとんどない。そう言えば、あの頃のコーヒー牛乳とオールドタウンホワイトコーヒー、何となく似てるかなぁ。

銭湯から出る時は声掛け合って一緒に出るけど、それでも冬は寒くて大変だった。特に目黒川の橋の上を渡る時は、そこだけ建物がないので風の通り道になっていて、吹きさらしで、特に寒かった。


この写真はきっと目黒川の橋の真ん中あたりで写したものだと思います。あの頃もこんな風景だったなぁ〜。

その頃の生活で、楽しかった記憶が残ってるのは、自転車の後ろに嫁さんを乗せて30分くらいの所にある、 スーパーダイエー に行く事だった。

そこには、僕や嫁が欲しいなぁー と思う物が一杯あった。 でも見るだけ❗️ そう、それらを買えるだけのお金はなかった。食べて行くのがヤットだったから。

でも、僕はそれを見て、手に取っただけで満足出来るんだけど、嫁さんは我慢が苦手なタイプ。

だから、いつもなだめるのが大変だった。

その頃、嫁が欲しかった物は、ピーターラビットのマグカップやプレート、スプーン、だったと記憶してます。 

今の私達からしたら、何の躊躇もなく、すぐに買える金額なのに、あの頃の僕達には、何ヶ月も我慢して、お金を貯めてやっと買える物だったのです。

自分の欲しい物を見に行って、いいなぁーと思うだけで、何も買わずに帰ってくる。

でも、たまに少し余裕が出来た時にちょっとだけ買って帰る事もあったんだ。

若い時ってこんな事でも嬉しいんだよねー。

今思うと、ストレスの溜まりそうな事だったと思うけど、当時の僕には嫁さんと2人で ダイエー  に行くだけで、なんかお出掛けって感じでウキウキ感があって、楽しかった。 

僕は他の人よりも感覚が幼かったので、こんな事でも、とても楽しく感じた。 いつも、ダイエーに行こう と誘うのは僕だったけど、嫁はあまり乗り気ではなかった。
その頃の嫁さんは、外出があまり好きではなかったから。

それと、食料品の買い物。これも楽しかった。
いつも北品川商店街の八百屋さんや、お肉屋さん、魚屋さんで買ってたなぁ〜。
今日は、これがいいよー、これが安いよー って昔ながらの光景と同じ。おじさんやおばさんがやってる八百屋さんや魚屋さん。

また、ちょっと遠いけど、お肉屋さんの問屋さんが有って、決まった曜日に安売りがある。
それ目掛けて、やっぱり2人で自転車で行く。
卵ワンパック10円とか、但し1家族ワンパックのみ。だから他人のフリをして買ってたりしてた。(笑)お肉もかなり安かった。

いつも自転車のカゴに買った物入れて来るから卵が何個か必ず割れてしまう。毎回工夫してみるけど、やっぱり割れてしまう。

2人で、やっぱり自転車じゃ無理かなぁ〜 って顔見合わせた。
そんな事がとても楽しかった。


でも、たまにちょっと贅沢出来る時もあったよ。

僕が正社員で働き始めた時、毎月お給料日だけはお寿司を買って食べた。お寿司屋さんに行けるような余裕はないから、持ち帰りのお寿司屋さん。

確か 京樽 だと記憶してますが、2人でお店に行って、どれが良いか選んで、持ち帰りでルンルン🎶気分で帰ったよなぁ〜。
それと、缶ビール1缶だけ!
そんな事が、嬉しくて、楽しかった。

経済的に余裕が無かった、、、なんてカッコいい物じゃなくて、一文無しになった事も何度もあるし、本当に思いっ切り貧乏でした‼️

でも東京に出てくる前、家業の手伝いをしていた時の方が、僕にとっては辛かった。
なので、お金がなくて、病気がちだったけど、不幸だなんて思った事なかった。

誰でも新婚時代はそうだと思うけど、
嫁さんと一緒にいるだけで楽しくて、例えどんなに貧乏しても幸せだった。



第3話に 続く  かどうかは、分かりません

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最終更新日  2021.01.02 17:35:13
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