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休みの日はいろいろ食べにいってますがこれでも相方さんはダイエット中。それなりに上手くいっておりただ今-10kg減。こうなるとズボンもブカブカでございます。腰パンというか…うっかりベルトを忘れてしまうと膝パンとなり露出変態オジサンとして捕まりそうだったので服を買いにいきました。関西空港の対岸にあるりんくうプレミアム・アウトレットです。ペット同伴可なんでやたらとワンコが多かった気が。買い物をした後、隣のりんくうシークルで夕食+温泉へ。でかい観覧車のある商業施設です。観覧車には中年男性二人が深刻そうな表情をして無言で向かい合っていました。まぁ人生いろいろです。夕食は大起水産で回転寿司。今まで行ったことのある関西のチェーン回転寿司店の中では大起水産が一番美味しい気がします。りんくうシークル店は初めてでしたが他の大起水産の店と変わらずネタが新鮮で美味でした。温泉は施設内にあるりんくうの湯へ。お湯質はあんまり特徴のないかんじでしたが、ネットにつながっているPCが何台かあったり漫画も3万冊おいていたりとちょっとしたネットカフェみたいになっていて、買い物ついでや関空利用の際のトランジットにちょうどよいのではないかと。
November 27, 2010
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連続更新。さて日曜日は。奈良県桜井市にある談山神社の紅葉が見ごろ・・・というニュースをみてほな行くか~ということになり。途中においしい蕎麦屋さんがあるということで、そちらで昼食を頂いてから向かう予定に。同じ桜井市にある会津屋本店さんです。看板も意味不明ですが手作り感たっぷりです。ワンコがお出迎えしてくれました。名物ダッタン蕎麦。このお店は注文してから蕎麦をうってくれるので時間はかなりかかります。さらにオジサマ一人で店を切り盛りしてるので混んでるとさらに時間かかります。本を読んだりワンコと遊びながら待つこと一時間強…待ったかいはありとってもおいしかったです。なんだかんだで店を出たのが16時近くになってしまい・・・さらに談山神社の6キロ手前くらいから渋滞で車がなかなか動かず。拝観時間は17時までなのでもう無理かと思いましたが、駐車場がいいタイミングであきギリギリ滑りこみました。なにかとツイてる!私の撮影技術ではこんなもんですが…紅葉はもっともっと綺麗でした。まぁ着いたのが遅かったので数分もたたないうちにすぐ暗くなってしまい、そんなに紅葉はみれませんでしたが、この日はとっても月が綺麗でした。帰りは長谷寺温泉の井谷屋さんでひとっ風呂。旅館の温泉です。日帰り入浴は600円。内湯しかありません。施設も古いしあんまりいい温泉とはいえないですが、ちょうど夕食宴会時の時間に行ったので貸し切り状態でのびのびできました。
November 23, 2010
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週末更新するといって二回で止まってしまいました。さすが私!いやいや、まだだまだ終わらんよ!ってことでまだ続けさせて頂きます。このマメなる更新(私にしては)いつまで続くことやら。というわけで、少し前になりますが20日の土曜日のお出かけは・・・大阪で行われた中国の尖閣諸島侵略糾弾デモに参加してきました。天気もよく家族での参加も多くて(かわいいワンコ連れもいました)なんだかほのぼのムード漂うデモでした。主催者発表によると3300人以上集まったようです。このようなデモに参加するのは初めての経験で、いろいろ思うところはあるし、主催者側の意向に手放しですべてに賛同しているというわけではないのですが…ただこのデモに参加し、この運動がもっと広がっていくことでマスコミも…ひいては政府もこの声が無視できないものになり、今の売国無責任民主党政権に対してNOの意思を届けることができればけして無駄なことではないのかなと。そして反政府色の強いこのようなデモに参加できる表現の自由があるのはとても幸せなことであり、この自由をこれからも守り続けたいと…そんなことを思ったり。誰が政権をもとうと政治なんて世の中なんてそう変わらない…そんな風潮の中、私も今まで政治にそこまで関心を持っていなかったのですが、民主党政権に変わって改めて気付いたのは、どの政党が政権を持つかによって国の行く末は大きく変わるのであり、意思を反映するための選挙は大変重要だったんだと・・・今更ながらですが。さてデモが終わり夜もふけて…打ち上げの夕食は難波のSWINGよしもとビル2Fにある「ニューミュンヘン南大使館」で。なんば界隈は安い居酒屋さんが乱立していて呼び込みも激しいので、そういうところに比べるとこの店の割高感は否めませんが、お酒も料理もお味の方はしっかりしているので満足感は高いです。何より生ビールが旨い。幸せ~。食後は腹ごなしに下のゲーセンで遊び。二軒目を探したのですが何となく家で飲み直そうということになり帰宅。クリスマスかっというような画になっていまいましたが…近くのスーパーの見切り品を集めて今年のボージョレーヌーボーで乾杯。今年のボージョレーは酸味が強く甘味が少ないかんじです。好みは別れるようですが去年のほうが私は好きかも。
November 23, 2010
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土曜日は和歌山県貴志駅にいらっしゃいます駅長たまにご挨拶に行ってまいりました。伊太祁曽駅近くの駐車場に車を止めて和歌山電鉄にて貴志駅へ。一時間に二本程度の割合で電車が運行されているようです。発車まで少し時間があったので近くの伊太祁曽神社に寄って参拝。それなりに大きな神社でございました。伊太祁曽駅には駅長たまグッズが所狭しと並べられております。ついつい私も来年度の卓上カレンダーを買ってしまいました。伊太祁曽駅⇔貴志駅を結ぶ電車はいちご電車とたま電車とおもちゃ電車の三本があります。今回、私たちは行きはイチゴ電車帰りはおもちゃ電車に乗りました。イチゴ電車の車内はシートもイチゴだらけです。おもちゃ電車はその名の通りおもちゃだらけ。フィギュアもたくさん。ガチャガチャまであります。つり輪までかわいい。子供たちは目を輝かせてフィギュアの飾ってあるガラス窓に張り付いていました。車窓からミカン畑の広がるのどかな風景を眺めながらガタゴト揺られること10分。着いたるは貴志駅。貴志駅の駅舎は最近新調されたばかりでとても立派になっていました。お社まであります。肝心のたま駅長はお昼寝中でございました。11歳というご高齢の中、勤務サービスに励んでいるそうで最近では日中はほとんど眠っているらしいです。もうどこが頭かわからないくらい寝込んでいます。(ガラスが反射してしまい写真が見にくいですね。)お昼時だったので近くで昼食を済ませようと寄ったのは駅から50メートルくらい離れたとこにあるてっちゃんの店。ご夫婦?でやっておられるカウンター中心の小さなお店。お店の中の至る所にたまグッズが。いもステーキ定食をいただきました。お腹を満たして駅に戻るとたま駅長はまだ寝ておられます。電車発車時刻まで時間潰しに駅中にあるたまカフェで食後のデザート。私はいちごジェラート、ダンナはいちじくジュースを頼みました。お、うまい!カフェの中は椅子もタマです。鈴までついています。座って食べてると外から「わーーーー起きた~!起きた~!」と悲鳴に近い叫び声が。駅長がお目ざめになったようです。猫が起きただけで外は大騒ぎです。おそるべき駅長です。行ってみると正面を向いて眠たそうなお顔で撮影サービス中。たくさんの観光客が集まりカメラを向けています。たま駅長は十秒もしない内にまたお眠りになってしまわれました。シャッターチャンスをまたも逃してしまいました。今度はガラスの反射に気をつけて写メをとってみました。あぁでも寝顔もかわいい。またね、たま駅長。廃線寸前だった和歌山電鉄。そのとある無人駅に偶然にも居ついてしまった猫のたま。そんな「猫の手」を文字通り借りて存続の取り組みをしている和歌山電鉄をこれからも応援したいと思います。帰りは和歌山マリーナシティに寄りました。とりあえず温泉めぐり。ということで入ったのは紀州黒潮温泉です。夕暮れ時に行くと男湯の開放感たっぷりの露天風呂からはサンセットが見えるそうです。女湯からは見えませんが外の景色はちらっとみえてけっこういいかんじでした。そして黒潮市場へ。食事処とお土産屋が一緒になっている市場です。市場内で海産物を購入し、隣のテラスで海をみながらバーベキューを楽しむことが出来るのも特徴の一つ。お魚は水槽から取るとその場で刺身にしてくれるみたいです。ただし閉まるのが早い・・・。私たちが行った時間にはもうバーベキューの時間は終了していました。お店自体もほぼ閉まりかけだったのですが、おかげで見切り品のお寿司を半額で購入することができました。海をみながらお寿司を頂きました。トロがうまい!さらに買い物。どうも地元産の醤油や味噌などの調味料や酒に惹かれてしまう私たち。なんだかんだおみやげを買い込み・・・家に帰って晩酌。日本酒に紀州梅と金山寺味噌がよくあいますね。何杯でもいっちゃいそうでヤバイ。
November 14, 2010
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連日で更新しております。できれば週末は更新していきたいと思いますがいつまで続くでしょうか・・・できれば生あたたかい目で見守ってください。それでは本日のランチ現在相方さんは低糖質ダイエットをしており食べられるものが限られているため、最近の外食はビュッフェスタイルのお店に行くことが多いです。「ダイエット中にビュッフェ・バイキング?」と思われる方もいらっしゃるかもですが、ビュッフェスタイルだと炭水化物や揚げ物は選ばず、豆腐や野菜中心に選ぶこともできるので食べ物の選択を間違わなければ量自体はたくさん食べても太りにくい。ってことでかなりストレスのないダイエットできるようです。相方さんもなんだかんだよく食べてはいますがダイエットはうまくいっているようでございますよ。最近のビュッフェ・バイキングは健康志向の中、野菜や豆腐中心の惣菜が充実しているところが多いですしね。…といっても私はビュッフェに行くとデザート(糖類)もたくさん食べちゃうので太ってしまいそうです。本日のビュッフェランチはこちら京都・精華町のけいはんなプラザ内(2階)にあるラ・セーヌさんけいはんなプラザ内のイベントが何もない日にいったので、私たちの他には2組程度の客しかおらず、ゆっくりのんびり食事ができました。メニューは和洋折衷。カレーはけっこう美味しかったかな。全般にチープな印象ですが、それなりにいろいろ種類あるし、ひじきやごぼうなどのおばんざい系統も多くまぁお値段相当かなと。でも二度目はないかな…ってかんじのお店でございました。窓からはでっかい日時計が見えました。影がちゃんと時間をさしていてちょっと感動。それにしても…ほとんど車も走ってないのにだった広い道路、整備された環境、その中の無駄に広い建物、誰も見ていないだろうでっかい日時計・・・第三セクターの匂いがぷんぷんする建物でございました。食事の帰りに国会図書館に寄りたかったんだけど日曜日は閉館していました。残念。そこでまた寄り道。同じ精華町にあるケーキ屋さんル・パティシエ・ヤマダでございます。ここのケーキは私の知っているケーキ屋さんの中で5本の指に入るくらいうまいと思います。そしてお値段もお手頃。精華町周辺に行くとつい寄ってしまいます。テレビや雑誌でもよく紹介されているのでいつも混んでいるのが難点ですが。特におすすめはフルーツのケーキ。フルーツがとっても瑞々しくて口の中でふわっととろけちゃいます。甘いものが苦手な相方さんでも「おいしい!」といってペロっと食べてしまったケーキでございます。(今はダイエット中なので食べていませんが)本日のケーキはこちら。栗と抹茶のお菓子ではこれから夕食後にいただきま~す。
November 7, 2010
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いやはや毎度ずいぶん放置していました。コメントも長らく放置しておりまして本当にすみません。このブログを始めた頃の何かを伝えたいという内なる情熱はすっかり醒めてしまったといえば醒めてしまいJWのこと家族のこと自分の人生や仕事のこと・・・あの頃ここで好き勝手に述べていたことは今はもう消化されてしまったのかあの頃のようには語れなくなっている自分もいてもちろん今も今で仕事や家族について思い考えることはあるのですがそれはあえてここで言葉にする必要のないことであったりんーここに書くネタがなかったり。JW系のブログの大半が一時期栄え・・・そのうち徐々に更新頻度が低下し・・・そして消えていくのもそんな過程を経るからかと思います。そして「更新・管理ができないからブログ自体を消去します」という管理人さんも多いことと思います。ただ私としてはあの頃の想いも考えもそのときの私の真実であり生きてきた証であり・・・できればこのブログは残しておきたいなとも思うので更新頻度は今後とも低いと思うのですがひっそりと残させて頂けたらと思っています。近況ですが最近は休みのたびにどこかへ出かけています。てなわけでここをまだ覗いてくださっている方にはどうでもいい内容かもしれませんが主にはお出かけ紹介ブログ(どちらかというと食べログ)としてちょくちょく更新していけたらと思います。もし近畿地方に旅することでもあったら参考にしてみてください。そんなわけで今日出かけたところ。お昼のランチラッキーガーデンホームページはこちらかなり険しく細い山道…暗峠(くらがりとうげ)を上っていくと辿りついた森の中の一軒家。生駒山の中腹にあるスリランカ料理のお店でございます。肝心の料理写真はございません…私は料理を出されると反射的に食いついてしまう「マテ」ができないワンコなのでいつも写真を撮り損ねている気が…。料理はコースを頼みました。メインのカレーはまぁ普通かな…ってかんじでしたが、なんといってもお店で作っている野菜がおいしかったです。インドやスリランカ料理のサラダってコールスローのようなものが多くあまり期待していなかったんですが、ここは自家栽培している朝採れ新鮮野菜。さすがにうまかったです。カレーの中に入っていたカボチャもホクホクでうましうまし。そして快晴だったのでロケーションは最高。空気もおいしくて気持ちいい。自然の中でゆったりとくつろげる癒しの時間でした。敷地内の牧場には羊さんと山羊さん。羊さんたちはまったくやる気が感じられません。山羊さんは元気で人懐っこいです。奥には陶器の器や手編み物などの手づくりギャラリー小屋がありました。小屋の傍にはかりんの木。うろうろしてるとここの住人ぽいオジサマにかりんを頂きました。ありがたや~私はいつも何か物欲しげな顔でもしてるんでしょうかね・・・よく初対面の方に物を頂いてるような。。ありがたや~。ホワイトリカーと氷砂糖を買って、かりん酒に。おいしく育ってくれるかな。帰りにちょっと寄り道。音の花温泉へ。露天風呂がとっても広い!湯質もまぁまぁよかったとですよ。
November 6, 2010
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これはにゃんだろうパカッぷにぷににゃのだーにゃらんの「売れますよぉ」のCMにのせられ・・・つい私も肉球を出してしまいました。お値段高すぎと思うんですけどね。リクルートの商業戦略にのせられてるアホだと分かってるんですけどね。でもでも肉球ぷにぷになんだもん。ぷにぷにの幸せを味わいたかったんだもん。http://www.jalan.net/jalan/doc/nyalan/summer2007/index.html
May 22, 2010
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GWはいかがお過ごしでしょうか。GW初日はずっと楽しみにしていた劇団☆新感線RX「薔薇とサムライ~GoemonRock OverDrive~」観劇してきました。今回は運よく良席がとれて(1階13列目のセンター!!)観劇前からめっちゃテンションあがっていました。役者さんの表情もオペラグラスなしでバッチリみれるし花道を通るヒロイン天海祐希さんがめ~っちゃ近くで見れてもう惚れ惚れしちゃいました。麗しいって言葉がよく似合うお方ですわ。今回はRシーリズ(ロックの楽曲が舞台上で生演奏されるシリーズ)ってことで生演奏はやっぱいいですね。ジャンル的にはこの間観た『蛮幽鬼』の方が芝居的要素が強くて好きなんだけど今回はお芝居ってよりド派手なショーのような感じんでもこれはこれでほんともう理屈抜きで楽しかった~~~~~小難しいことは一切ない!とにかく笑えてカッコイイ!これぞエンターテイメントあー楽しかった~~~最後は客席全員がスタンディングオベーションやっぱ最高!!!無条件で元気にさせてくれるお芝居です。私は宝塚やミュージカルはそんなに好きというわけではないんだけど新感線だけは別で。幕前のあの定番の曲を聞くだけで心が高揚してくる。そして幕が開くとそこからはもうグイグイ引き込まれておバカで笑えてあっというまの3時間40分。公式サイトはこちらhttp://www.bara-samu.com/明日への活力を十分いただきましたのでまた明日からお仕事がんばろうと思います。
May 5, 2010
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というわけで先回の続きです。(勝手に)RED君ものがたり~RED君25歳の頃。エホバの証人という組織で奉仕の僕なんつーのをやっています。・・・彼が奉仕の僕なんてかなりうさんくさかったことでしょう。(まぁ今でもうさんくさいことには何ら変わりはありません。)RED君はその頃からJWの教えを本当に信じているわけではありませんでした。ただ母親を裏切るような行為ができなかっただけでしょう。しかし齢は既に25歳。高卒にてファミレスのバイトをしながら奉仕(JWの布教活動)に取り組んでいるRED君その日暮らしの生活でお金がありません。高校生の頃、両親が離婚した影響もあってお金には大変苦労している長男RED君。何より将来が不安です。マズローの理論にあてはめると、基本的欲求の第二段階である安全の欲求の欠乏状態(経済的安定性の欠乏状態)にあります。そこでRED君はJWなんて辞めて普通に働きたいと思いはじめます。RED君はJW現役の母親と同居していますが母親はもちろん彼がJWを辞めることを決して許しません。布教活動に割く時間を少なくして、普通の会社に就職することさえも許しません。こうなったら家を出るしかないのですが現状ではRED君には貯金もなく、家を出るにも他に住居を借りることができません。居候させてくれるような友人もいません。一般人の彼女はいたようですがその彼女のもとに転がりこむのは男としての矜持が許さなかったようです。そこでRED君一発奮起。前々から計画していたことを実行に移します。書置きを残し突然家出、パチンコ屋の住み込みバイトを始めます。住み込みで働ければ家を出ても住居と生活費は何とかなります。JWも当然やめるという結果になります。自然消滅というか突然消滅です。まわりもびっくりです。そして彼はとにかく働きます。ある程度の貯金もできます。とりあえずマズローの欲求の第二段階である安全(経済的安定性)の欲求は満たされるようになりました。しかし・・・寮での一人暮らし。コミュニケーションも苦手とするRED君、周囲の同僚との関係もうまくいかず、彼女とも別れ、ひどい孤独感に苛まれます。マズローの理論でいうと欲求の第三段階である所属と愛の欲求が欠乏状態です。経済的には自立をはたせても彼の孤独は埋まらず将来に対し何の希望ももてず鬱状態になります。そんな頃、彼はネットにて元JW系のサイトと出会い某メーリングリストに入会します。・・・今から約7、8年前のことです。当時の彼をリアルに知っているという方はほとんどがこんなブログみておられないのではないかと思いますが当時の彼がメーリングリストに綴るメールは「友達がいない。生きていても仕方がない。死にたい。」など、どうしようもなく鬱々ネガティブまっしぐらでした。そんな頃、RED君はそのメーリングリストで主催した某オフ会にひょっこり参加、そこで現在の嫁に出会います。(・・・私のことですね。)出会い目的か!と突っ込まれそうですが、まぁまぁ。お互いそういうつもりはなかったのですが妙にタイミングがあったというかなんというか。RED君にとっては最初にして最後となるオフ会参加だったので(RED君は元JW系のオフ会自体は好きではないらしい)あのときお互いが出会わなければ今とは違った人生でしょうから出会いとは不思議なもんだと思います。この出会いは私にとっても彼にとっても大きな転機となりました。ここからの恋愛~結婚へのあれこれについては私の以前からのブログに恥ずかしげもなく書き連ねておりますので省略。まぁとにもかくにもマズローの基本的欲求の第三段階所属と愛の欲求が満たされるようになります。以前の私のブログにも書いていますが結婚すると決めた際、お互いの仕事についてはいろいろと話し合いました。私の両親も彼の母親もRED君がパチンコ店の仕事を続けるなら勘当すると言っていたからです。そして私は以前から抱いていた夢…作業療法士になるべく学校に行きたいという思いもあったからです。私が仕事に対する想いを語り、作業療法の学校に行きたいと言ったときRED君は応援してはくれたものの・・・こんなことをいいました。「俺は仕事なんて金が稼げれば死体運びだってなんだっていいんだ」と。私とはまったく異なる考えをもっていたRED君。私は昔からおそらくは中学、高校時代から仕事というものにやりがいを求めていました。仕事=金銭だけではなく、自己実現の手段として捉えていました。そして就職氷河期といわれる時代だったとはいえ、大学在学中に将来どういう自分になりたいか、その中でどういう仕事をしたいかを考え気になった会社の説明会に出向き、その内の何社かの面接を受け、その中でよりよいと思える企業に就職できました。・・・私は今までいかに恵まれた立場にいたのか、と痛感しました。RED君の「仕事なんかなんだっていい」という考えは家庭環境の影響や彼自身がJWを抜けるのが遅かったということもあり食うことだけでせいいっぱいの中、自分のやりたいことや人生についてじっくり考える余裕がなかったからなんだろうと。結局、RED君は結婚・引越ししてからもパチンコ店の仕事を続けることに決めます。しかしRED君にとって新しい環境はなかなかなじめなかったようです。自分より10歳以上年下で人として人に対する敬意ももろくに払えないような器の人物が自分の上司として偉そうにしてる会社。いじめのような扱いをうけることもあり周囲からなかなか認められず苦労します。マズローの基本的欲求の第4段階、承認(尊重)の欲求の欠乏状態です。基本的にはいつも穏やかなRED君ですが、あの頃はつらかったことでしょう・・・飲んで荒れて帰ってくる日もありました。はやく昇進したい。認められたい。その思いの強いRED君。・・・だからこそよけいに角が立ってしまい周囲と反目してしまう部分もあったのではないかと思いますがとにもかくにも仕事にうちこみます。そうして徐々に昇進し、少しずつ周囲の理解も得られるようになっていきます。しかし同時にパチンコ業界というものに対して嫌気がさしたりもしていたようです。そんなころRED君は前からちょくちょくやっていた株式投資に本腰を入れてとりくみはじめいろいろな考えをもつ投資家やトレーダーと交流しはじめます。本もたくさん読むようになります。RED君の世界や価値観が大きく広がりはじめます。そしてお互い切磋琢磨しあえるデイトレード仲間に出会いトレードを通して自分自身に自信をもてるようになりそうしてマズローの基本的欲求の第5番目・・・自己実現の欲求が出現するようになります。「トレードで生計をたてたい。トレードと向き合いたい。生涯の仕事にしたい」と。彼は今、専業トレーダーとして成功するべく努力しています。人は・・・願えばなりたい自分に変われると思う。JWを抜けてパチンコ店の寮の6畳一間の部屋にこもり死にたい死にたいと願っていた日から扉を開けいろんな人や物や価値観と出会い一歩ずつ世界が広がり一段一段段階をへて。・・・死にたいと思っているところからいきなり自己実現の段階へこれたわけではない。ひとつひとつ段階を踏んで、山をこえて今がある。山を登っているときは何の変化にも気づかないかもしれない。でも振り返ってみたとき思えば遠くへきたもんだと。ほっこりと笑える。自分のことはさておき勝手にRED君について語ってきましたが(一応相方さんには了承とっています。何書くか詳しくは話していませんでしたが)べつに社会で大成功したわけでも有名になったわけでもなんでもないですがJWの離脱後の社会参加に関する・・・数あるモデルケースのひとつとして何らかの参考になればいいなと思います。そんなRED君のトレード日記はこちら↓(一応紹介)http://d.hatena.ne.jp/redsnows/
April 17, 2010
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我が相方さんは、現在トレーダーを生業にするべくがんばっています。私が作業療法の学校に通っているとき、相方さんはがんばって働いてくれていたので今度は相方さんが好きなことをする番。ほんの4、5年前までは「自分のしたいことなんてなにもない」「仕事なんてなんだっていい」「金さえ稼げればなんだっていいんだ」なぞとのたまっていた相方さんが好きなこと、本当にやりたいことをみつけてくれた。トレードを生涯の仕事にしたい、俺は本当にこれがしたいんだ、と。私は正直いってトレードにはあまり興味はありません。収入も不安定だろうので大丈夫かという思いもなきにしもあらずですがただ自分の好きなこと、やりたいことを見つけて成りたい自分になれるよう奮闘している相方さんをみるのはとてもうれしいです。相方さんをみてると人って本当に変わっていくもんだなぁと思います。彼と出会った当初は某元JW系のメーリングリストにて「友達がいない」「死んでも誰も悲しんでくれる人なんていない」「自分は誰からも愛されない」「死にたい」・・・なぞ、今ではネタとしてからかって笑える(もちろん当時はからかったりしてませんよ)鬱々メールを泣きながらに書いていたようですが・・・そんな人が今じゃトレーダー仲間と毎日のように生き生きと楽しそうに会話しております。いつもおバカなことをやらかしたり、「それ面白い?」というようなしょーもないこと言って一人で笑っており、単純で幸せなやっちゃなぁーと思います。あの当時の片鱗がないくらい、おバカで適当で明るいです。まぁ本来の資質が現れてきただけなのかもしれませんが。相方さんをみているとマズローの欲求段階をそのまんま・・・上へ上へと駆け上がってきているように思います。マズローの欲求段階・・・ピラミッド型になっているアレです。心理学や社会心理学をかじったことのある方なら一度は聞いたことがあると思います。詳しくはこちらhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E7%90%86%E8%AB%96というわけでマズローの欲求段階説をもとに勝手に相方RED君にあてはめて解説してみようと思います。続く。
April 17, 2010
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無事引越し完了し新天地で働いています。・・・いやぁ今働いている病院面接の時・・・その場で内定承諾書を書かされたあの日、リハ科長や他スタッフとのやりとりからヤバイところだろうとある程度の覚悟はしていましたがうん・・・やばいです。閉鎖的でチーム内バラバラで。いろいろ衝撃的でした。外部からきた私たちみたいな人間にとってはこのやり方はおかしいだろうと思うことが多く・・・でも従来のやりかたでやってきた人は変化を好まずこうしたほうがいかに合理的で患者さんや他チームのためになるかと思っても変えない変えたくないという部分が大きくて私はどちらかというと郷に入れば郷に従え長いものには巻かれろな受身タイプなんですがそれでもやっぱ仕事ですからいい仕事していきたいし。もちろんそれぞれの病院にはカラーがあるしそれに合わせるべきとことは合わせるけどやっぱ変えていかなきゃいけないと思うところは変えていかなきゃなわけで。ただし言い方や提案の仕方に相当気をつけなければやり込められてしまうどころかもうその提案は二度と出来なくなってしまいそうで口下手な私にとってはとてもコミュニケーション力の試される修行の場かもと。久々にすごくストレスためている気もしますが・・・こんな状況下でも救われたことには私と同じように外部からきた先生たちもいておかしいところはおかしいと思っているわけで力を合わせていけば変えていけるかなとかそんな希望ももてるところ。とりあえずやれるだけはやってみる。
April 13, 2010
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リハビリ系のブログを俳回してたらこんな記事をみつけた。http://onuki.seesaa.net/article/14995686.html大腿骨を骨折した少女が輸血拒否し創外固定となったケースである。はっとした。自分自身が今こういうケースを見聞きすれば・・・輸血さえしていれば本人もドクターも療法士もこんな苦労しなかったのではないかつい、そんなIFを考えてしまうのではないかと思う。・・・まぁエホバの証人だから自身の背景と相まってよけいに感情的になってしまう部分もあるかもしれないもし輸血していれば・・・もし内固定できていれば・・・感染のリスクだってかなり防げたかもだし痛みももっと少なくてすんだかもしれない。そうして・・・もしエホバの証人でなければ・・・と。そんなIFを考えてしまうのではないかと思う。このケースに限らずとも、うまくいかないリハビリの進行状況を患者さんの背景の問題にしがちな自分がいる。患者さんの背景のせいにして、自身の治療効果かどうかということに対しどっかで逃げ道をつくっている。正しいとか間違っているとかではなく何であれどんな状況であれ、患者さんの今の現状そのまんまを受け入れて最大限の努力をはらうそれがリハビリ、それこそが療法士たらんと改めて感づかされた記事でした。さまざま価値観、それぞれの背景、抱える障害そんな中で患者さんも家族もドクターもコメディカルも人間はできることしかできないだから今の自分にできることを最大限やるそれだけのこと。そのはずなんだけど。それだけのことが臨床ではいつも本当に難しいと感じる。3月末で引越し。この病院で働けるのももうあと少しなんだから残していく患者さんに後ろ髪引かれる思いもあるけとできることは最大限にやろう。。。
March 10, 2010
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あけましておめでとうございます。旧年中はこの更新のあまりされないブログに訪れ目を通してくださりありがとうございました。元旦に更新するなんてことはブログ開設して7年、初めてのことではないかなと思います。そんなわけで外には珍しく雪が積もっているのかもしれません。今年は何かが起こりそうです。まぁ単に今日は私の仕事が休み&相方さんはお仕事なもんで、お家で一人ゆったりまったりしてるからだけなんですけど。というわけで本日は近況をば。昨年は父の病気が判明したりなどいろいろ。まぁ今は容態は落ち着いておりなんともないのですが今後のこともあり。前々から話がでていたことではありますが、近くに住んでくれないかと両親に頼まれ。相方ともいろいろと話し合った結果・・・お互いの仕事の区切りをつけれる今年の3月末に実家近くに引っ越すことになりました。というわけで去年の9月頃から就活していました。働きながら就活って面倒くさいもんで、仕事に穴を開けたくないしこの業界狭いから気軽に病院見学とかいけんしそんなわけで…とりあえず母校の学院に相談。紹介もあり某機構を受けて筆記・面接に合格。なすがままの辞令に従おうという気になり…一応面接では1.実家に近い病院(同じ府県内)2・急性期か回復期で3・できれば手の外科(ハンドセラピー)をやりたい そして脳血管障害(できれば急性期)で。という希望を出していたのですが蓋をあけてみれば見事に却下されており…まぁハンドがやれる病院なんて機構にはほとんどないか、とは思っていたけど打診がきたのは実家と同じ府県内ではなく隣の小さな県。伝統ある県だけど・・・んー田舎。まぁ交通の便は割合よく、実家まで4、50分程度でいけそうな距離なのでよいのですが。病院は古く・・・筋ジスやALSなどの神経難病や重度心身障害を対象とした病院。まぁ希望分野とは違うけどそれはそれでいい。自らはけして選ばなかっただろう分野だから。それはそれでOTとしての幅も広がるだろうし経験も積める。・・・なかなか難しい分野だと思うんだけど。ハンドの患者さんって、自身の技術的なものや知識も要求されるけどエビデンスも他よりはあるから、こうしたらよくなるだろうってのが分かりやすい。そしてまぁ骨折の状態とかにもよるけど基本的に回復する。自然回復も手伝って回復すれば患者さんも喜んでくれる。でも神経難病は・・・。そうはいかんのだろうな。新しい分野に飛び込んでいくのは、やっぱ怖い。それよりなりより気になったのが赤字経営&スタッフの仲が悪くて雰囲気最悪なところ。リハ科長からの説明があった後、その下で働いているスタッフに「あいつ(リハ科長)頭おかしいから」なんて言われる。フツウいうか・・・面接にきたやつにそんな内情。ほかにもいろいろ・・・ギスギスしたかんじが見え隠れ。とりあえず当たらず触らず。現在のところOTは1人しかいない。PTは大人数だけど。んでもって「開設のつもりで分野を切り開いてください」とPTのリハ科長。面接時からそんなプレッシャーかけられ。。。先輩が次々と辞めていきなりトップの責任を負わされた前の病院のトラウマがいまだ残る私は「考えさせてください」といおうかと思ったけど・・・ここで揉めたら母校との関係も悪くなるかなとか・・・まぁいろいろ。結局言えず・・・雰囲気にのみこまれて内定承諾書にサイン。・・・まだ私2年目だし。もうちっとOTの先輩のいるところでやりたいし。機構なら先輩がいてくれるって思いが甘かったのか。まぁ良いように捉えれば自分の好きなように風をおこせるかもしれないということか。きっと。友人や今の職場の人たちには転職するのは4月からなんだし、今からでも間に合うから病院かえたらと勧められたけどたしかになぁ・・・とも思うけどまた就活するの面倒くさいし、仕事の休みあんまとりたくないし。ま、いっかーなんとかなるかーという楽観的思考もあり。前の病院だってなんとかはなったんだから。まぁ前の病院はドクターが辞めてOTが閉鎖になり、正直ほっとした自分もいるんだけど。正々堂々と辞めれたから。トップになるのはまだしんどい。でももうそうはいってられない年になってくるんだよなぁ・・・。今年で32だし。そろそろお子も欲しいしとか思うようにもなってきたし。お子を育てるのなら都会よりちょっと田舎のほうが環境的にいいかなぁこの病院には保育所もついているし産休とれるだろうし・・・とか打算的な部分もあり。いろいろと不安要素も強い未来。不安で怖いと思う反面新しい土地、新しい生活が待っていると思うと少しワクワクもしている今日このごろ。まーなるようになる。なるようにするか。きっとなんとかなる。なんとかする。そんなわけで本年もよろしくお願いいたします。
January 1, 2010
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1年程前我が相方Redのブログ(Redの株式投資☆通常の3倍)がいきなり閉鎖しまして。この不況時ですからダンナの行方を心配するメールも時折こちらに届いておりましたが・・・ダンナは相変わらず毎日バカなことを言って元気に暮らしております。まぁいろいろ思うところあったりトレードに対する考え方や姿勢、手法も変わってきたりとで前ブログは閉鎖したようです。突然ご挨拶もなしにすみません。現在はこちらでブログを書いております。Onlooker in market~マーケットで勝てないあなたへhttp://d.hatena.ne.jp/redsnows/株・トレードオンリーのブログでして、以前のような元JWカテゴリーはありませんが興味のある方はぜひどうぞ。
December 13, 2009
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用事があって実家に帰った。高校の卒業証書が必要だったので押入れの中をあちこち探していると私が大学生の頃、母宛てに送った何通もの手紙が出てきた。・・・捨ててなかったんだ・・・と思った。A4の用紙に書かれた分厚い手紙。まぁ一言で言えば、エホバの証人の組織批判だ。何ページにもわたってグダグダと書いていた。こんなこと書いたっけ?と今ではその内容もすっかり忘れていたけど。あの頃は尖っていたなぁ・・・と笑えた。自分の正当性を主張したかったんだろうな。必死で。自分は間違っていない。組織は間違っているんだ。自分は正しいんだ!!!!!と。ガラガラと崩れ落ちいく自身の足場。そう必死で主張しなければ立っていられなかったんだろう。当時の手紙の端々にみられる「組織は間違っているんだ」というような文章はただ「自分は間違っていない」と自分自身を正当化したかっただけ・・・・・・相手のことを考えているつもりでいて、自分のことしかみえていない、余裕がない、そんな文章だった。まぁ、それもそれで自分にとっては必要な過程だったのかな。たしかに今でも私は、自身の選択を間違っていなかったと思っている。その手紙に載せた組織批判の内容自体もね。間違っていないし、よく推敲して書けているというかよく書いたなぁと思うよ我ながら。・・・まぁいろいろ書いているんだわね。聖書のどの箇所にはどうだけど組織はどういってる、こうこうこれがおかしい!ってことをあーだこーだと。もうどーでもいいやんみたいなことをネチネチと。いやぁ、あんたよく調べたね・・・みたいな。時間かけて書いたんだろうなぁ。めんどくせーことをよくやったねぇ…とある意味感心する。今ではもうあんな手紙は書けないし書きたくないし書く必要もない。自分が間違っていないことを届かぬと分かっている相手に向かって声をあげて主張する必要がない。安定した足場がしっかりあるから。安心してこの足場に立ち続けていられるから。人からどう思われようが、どう言われようが、芯の部分はもう揺るがないから。10年前の手紙を読み返して・・・誰の言葉だったか忘れたけど・・・たしか軍部のトップに立つ人のお言葉だったかな?「こうでなければならぬとするのも病だが、こうなってはならぬというのもまた病」というのを思い出した。「なければならぬ」「なってはならぬ」「これだけが絶対正しい」「これは絶対に間違っている」そんな感情やこだわりから自分自身を解放すると自由に生きれる。ここ10年間を通して、そんなことを思う。・・・とかなんとかいいながら、ま、基本、私の性格テキトーですから。面倒くさいことが嫌いなだけですけど。正しいとか間違っているとか・・・んなことどーだっていいんだよ。とにかく「今、この時が大事なんだよ」という気持ちになってきただけなのかも。適当で面倒くさがり・・・私の短所でもあるところなんだけど。この自分のいい加減さに救われてきた部分、だからこそ生きてこれたってのは少なからずあるんやろうね。注)一応お断りとして書いておきますが、これはあくまで私自身が書いた組織批判の手紙についてのことであり、JWの組織批判発言をしている人たち、本を出版した方たちのことを批判するつもりは毛頭なく、組織のことをいろいろ調べてその間違いを一つ一つ明らかにしている方たちがいるからこそ救われる人も多くいると思いますし、私自身もその一人ですし、その功績には感謝しております。
December 6, 2009
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めちゃ久々の更新。でもって観劇日記。せっかく来てくださったのにお芝居に興味のない方はごめんなさい。先日、劇団☆新感線の舞台「蛮幽鬼」を観に行ってきました。メインキャストは・・・主人公の伊達土門に上川隆也さん。その復讐を助ける謎の男が堺雅人さん。土門のかつての婚約者で今は大王の后となっているのが稲森いずみさん。その彼女を心から慕い護衛する役に早乙女太一さん。などなど豪華客演陣の顔ぶれ。そして脇を固め楽しませてくれるのが高田聖子に粟根まこと、橋本じゅんさんなど安定感のあるいつもの新感線メンバー。今回は古田新太がいないのがちょい寂しいかな。感想(そんなにネタバレはないつもり)まず今回の主役。上川隆也さん。復讐にとりつかれた男、伊達土門を熱演。彼が放つ気品とオーラ。凄みのある目力。迫力のある殺陣。立ち姿の美しさ。この方はTVもいいけどやっぱ舞台で観たい!っていつも思う。大好きな役者さんです。対する堺雅人さん。微笑みながら躊躇なく人を殺していく笑顔の殺し屋を好演。この方も私の大好きな役者さん。今回は上川さんと早乙女さんに囲まれどうしても比べられてしまうせいでちょっと可哀相というか…彼の殺陣が見劣りしてしまうのは否めないんだけど、それをカバーするくらい上手いんだな。とろけるような笑顔。その奥の悲哀と空虚。TV(大河ドラマ)でいえば、「新撰組」で演じた山南敬助や「篤姫」で演じた徳川家定でも思ったけど、彼が演じる役は余人に変えがたい。そして今回も。あの役ができるのは堺さんしかいないと思う。んで早乙女太一さん。早乙女さんははじめて舞台でみたけど、やっぱなんといってもさすがに殺陣が美しい。もう見惚れてしまう。まさに剣の舞。間近で観て鳥肌がたった。殺陣でこんなにも感動したのは久しぶりかも。弱冠18歳。そのうちもっともっと磨かれてオーラーを放つようになるのかな。今後の成長に期待です。最後に稲森いずみさん。正直そんなに期待してなかったというか、舞台だけど大丈夫?くらいに思っていたけど思ったよりよかったというか、凛とした美しい女優さんですわ。ストーリーは・・・架空の古代国家を舞台に繰り広げられるデュマの「モンテ・クリスト伯」をモチーフにした復讐劇。真面目で善良な人が裏切りに遭い、復讐の鬼と化してしまい・・・という・・・こう書くとドロドロとしたストーリーのようだけど、笑いもたくさんあり、美しい殺陣もあり、魅力・見所たっぷり。最期もほとんど皆が死んでしまう重く哀しい話なのですが、一筋の希望もあり、見終った後はなんかやたらにスカっ!!!!!としているという・・・これが演劇のカタルシスってやつかー!ってかんじの。物語は簡単明瞭。オチもまぁ読める。演出家・いのうえひでのり×脚本家・中島かずきがタッグを組んだ王道のエンターテイメント。まぁ観る人によって感じ方は様々なんでしょうが、私は見終った後に、心から「面白かったーーーー!!!」といえる芝居でした。この芝居を作り上げてきた皆様ありがとう!!!!!!!って心から感謝できる芝居でした。もう「よかった」という簡単な言葉でしか書けないんだけど、ほんと最高でした。いやー、生きててよかった。帰りの車の中でずっと「よかった」「よかった」を連発していました。いっしょに巻き込んで連れて行った相方さんも満足してくれたようでよかった。というわけで久々にアップしたブログですが興味のない人にはまったく興味ないだろう芝居ネタになってしまいました。まだ大阪では公演中。当日券もあるようです。http://www.banyuki.com/
November 17, 2009
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ずいぶん放置しておりました。この一年を振り返ると…日記が2つ。いまさらここの更新は誰にも気付かれていない恐れが。4月。作業療法士として働き始めて1年経過。「作業療法科には今、5年目の先輩と3年目の先輩がいて経験年数的には浅いけど、だからこそ勉強会をしっかりやって頑張ってるよ!」昨年、ここに就職する前にそう言われて、“だったら頑張れるかな”とそう思って就職を決めた。就職した途端に5年目の先輩が辞め・・・12月末には突然3年目の先輩が辞め・・・・まぁ・・・いきなしトップになってしまったわけで途端に襲ってくるいろんな責任と重圧感。。。もうねぇ奥さんどうすんねんと初めて診る疾患の患者様の処方がきて分からないって言えないし実習先でも見たことない疾患だし文献でいろいろ調べてもいまいち自信もてないし内心焦りまくってるけど患者様の前ではそんなとこ見せれないし毎日が綱渡り。。。疲労困憊でどうにかこうにかやってきたきつかった。。。OTの看板を背負う責任「ここのOTは大丈夫か」そう思われているのではないか?・・・ドクターやPTなど周囲の職員の目や評価がすごく気になって気になって彼らによく見られようと周囲の目を気にするあまり“肝心の患者様と本当に向き合えてこなかったのではないか”そんなことも思う。白い服を着て歩くことの重さ。患者さんや家族の方々のリハビリにかける期待はすごくでかい。いきなりポケットにけっこうな額の金を突っ込んでくる家族の方もいる。「先生よろしくお願いします」と・・・丁重にお断りしますが・・・それでさえ精神的にけっこう追い詰められる。期待はものすごく重い。もういろんなことから逃げたくなってうちはいつも責任ってもんから逃げたいヨワヨワな人間だってことをつくづく思いしらされた。そんなこんなでもなんとか頑張ってきた。この時期にきて病院経営の危機現在ニュースでもよく問題になっている地方病院の崩壊というか・・・この3月末に整形の手の外科専門のドクターが辞め、そしてもうすぐ6月末には脳外科のドクターが二人とも辞め脳外科は閉鎖になり・・・担当できる患者さんが少なくなればOTの存在意義もなくなるわけで・・・そんなわけで働きつつ転職活動今度は家からかなり遠いけどベテラン上司がしっかりいてくれる病院へ。母校の先生の紹介があったのであっさり内定。・・・世の中コネですのぅ。6月末までは今の病院で勤務し7月1日からは新しい病院へとりあえず当面の目処は立った。1年目からいろいろと波乱万丈でもがんばったもん・・・もっとこうしたほうがよかったのかなとか、もっとこうできたのかなとかそりゃいろいろ思うところはあるけど人はできることしかできないんだ。だから今できることを精一杯頑張ろう。
April 5, 2009
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ずいぶんお久しぶりの更新でございます。携帯壊れてしまいバックアップしていなかったもので友人知人の電話番号やらアドレスが分からなくなっております。さらに友達なくしそうですが日常におわれてすべてを放ったままどんどん世捨て人ちっくに。私の携帯番号やメアドは変わっていないはずなので・・・私の連絡先知っている方がいらっしゃれば気が向けば連絡くださいまし。ごめんなさい。まぁそんなこんな日々いろいろあることにはありますが流れるように流されるように一日一日が過ぎております。明日からまた仕事かと思うとわけもなく鬱々と・・・重圧感。いやがんばらねば。↓最近やたら思い出す群台詞↓***********************朝日のような夕日をつれて 僕は立ち続けるつなぎあうこともなく 流れあうこともなくきらめく恒星のように立ち続けることは苦しいから立ち続けることは楽しいから朝日のような夕日をつれて ぼくはひとりひとりでは耐えられないからひとりでは何もできないからひとりであることを認めあうことはたくさんの人と手をつなぐことだからたくさんの人と手をつなぐことはとても悲しいことだから朝日のような夕日をつれて冬空の流星のように ぼくは ひとり劇団“第三舞台”の代表作「朝日のような夕日をつれて」<作・演出:鴻上尚史>***************************はじめてこの群唱に出会ったのは大学1年生の時だった。芝居の本公演が終わった後の打ち上げでぐでんぐてんに酔っ払った先輩たちが舞台上に次々にあがってはこの群台詞を叫んでいた。酔っ払っていてしっかりと立てないのに立ち続けようとする先輩たちを皆で笑いながらなぜだか泣きそうになっている自分がいた。今でもこの群唱は心にずっしりと響いているわけもなくどうしようもなく仕事に疲れたとき大切に思っていて力になりたいけれどもなんと言葉をかけてよいのか・・・みつからないときそんな時この群唱をひとり・・・噛みしめるようにつぶやいてしまう。
October 13, 2008
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ご無沙汰しています。それでもちょくちょく覗いてくださる方々どうもありがとうございます。先回の日記から・・・あわただしく日々は過ぎおかげさまで無事卒業、引越し完了、国試も合格しました。今は病院でOTとして働いています。対象は脳卒中片麻痺や整形疾患(骨折・末梢神経損傷・リウマチ)の患者さんが多い病院です。この手が動かんのや・・・歩けるようになりたいんや・・・涙ながらに訴えられる患者さんにいったい何ができるのだろうともっと良いプログラムが考えられるのではないかともっと適した手技があるのではないかと自分のすること成すことがすべて単なる"モドキ”な気がして自身の力不足が悔しくて学生とは違う責任の重さにもうウワーーーーーーーーーってなりそうなかんじですがうちなんかに当たってごめんなさい・・・・もっと良いセラピストにあたれば・・・って悔しくて申し訳なくて家に帰ったら泣けてくるけどとにかく・・・やらせて頂くしかないそんな毎日です。・・・がんばる。今は。
April 14, 2008
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3期目の実習終了。無事合格ということで。症例さんやメンバーさんとの別れ。最後は寂しくてちょっと泣きそうになった。でもついについに・・・終わったーーーーーーーーーーーーーーーー!終わったよーーーーーーーーーーーーーーー!7月の終わりから3期に渡る臨床実習、遂にすべて完了。長かったような短かったような。・・・今から振り返るとすごい短かったな。駆け抜けてきたこの4ヶ月弱・・・悩んだこと学んだこと涙したこと消化不良のこと・・・いろいろいろいろそれより何より今はとにかく疲れた・・・もう疲れたよパトラッシュそんなこんなの昨日はやっとこさ相方さんとゆ~っくり酒飲んでぐっすり眠りました。少し気力復活。。。あとはセミナー発表と卒論&国家試験まだまだ山はあるけどひとつひとつこなしていこうと思います。
December 16, 2007
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表面的で逃げている だけど掘り下げると深みにはまって潰れそう バランスとるのは難しい・・・何より掘り下げる時間もほとんどない。 どんなに睡眠不足が続いても朝はやってきて考察を深められないままデイリーノート・ケースノート・・・文字にしたレポートを毎日翌朝には提出しなきゃいけなくて 手足のしびれがまたひどくなってきた。自分もけっこう身体症状でてるなーと思いつつ・・・ 眠りたい。何も考えずに。深い深いところへ。なんだかループにはまってるなと思いつつ抜け出すための解決策も見いだせないままずるずるなんとかきてしまっている。とりあえず1時間寝よう。。。
December 6, 2007
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就職、内定しました。市民病院ではないですが・・・それに近い病院です。うちに急性期のスピード勝負がつとまるのか!?ってかんじなんですけど・・・若手のOTが多くて私がいくと一番年上になりそうなのが難点なんですけど・・・まぁどんな職場でも不安材料はあるものと思いつつ。がんばります。なんかすんなりと就職先が決まってしまって拍子抜けというか自分から遠い世界で物事がどんどん進んでいってるようなそんな私の本体は実習の渦中でもがいてるまま。まぁもがけるのも幸せなことなのだと思い・・・たい。
November 25, 2007
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一週間経過・・・担当症例さんとの会話をすべて言葉におこす。自分は症例さんのどの言葉を拾ってどの言葉を流したのか。会話にはいろんな分岐点がある。あのとき何故こういったのか。どうすればよかったのか。自分の感情と対峙する・・・その作業。いろんな背景を抱える方との関わりみんな優しく受け入れてくれて楽しいことも多い。だけど「なぜ私はここであなたはここなの?」患者さんの無言の問いかけ。それをひしひしと感じる瞬間。あちらの世界とこちらの世界の薄い壁。私とあなたの薄い壁。いろんな感情を吸い込んでしまったのか・・・封印していたいろんな感情がでてくる。バイザーからのフィードバック・・・今回はものすごくたっぷり時間をとってくれる。・・・今回のバイザーさんはとても優しいんだけど感情を掘り下げて聞いてくるから・・・答えなくちゃ・・・に追い込まれて涙がとまらなくなる。苦しい。レポート書いてるときももう涙が止まらない。全身蕁麻疹。。。もっと割り切らなきゃと思うけど、いろんな狭間にもだえる。精神科のOTにはならない。なれない。実習ではいつもそう思う。だからというわけじゃないけど身体障害のOTに進むことにした。でも実習は実習だし・・・1,2年と違って長いし。。。・・・乗り切れるかなぁ・・・
November 11, 2007
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2期目の実習終了。そして明日から3期目、精神科での実習。 ついにファイナル。 2期目はいろいろやりにくかったことも多かったけど・・・・・まぁ無難に無事6週間終了。 結局正規のバイザー様は最後まで現れず・・・別の方に担当していただき・・・ 実習中のいろいろ・・・・・・いろいろ溜まってるものはあるけど空に向かって「あ゛ーーーーーーーーーーーーーーー」と叫んで終わります。 相方さんはうちの様子を心配してくれていろいろ聞いてくれるんですが言いたくないってわけではなく愚痴は吐きたくないってわけでも何でもないのですが言葉にするのも嫌なことというのはあり単に言葉にするのが面倒くさいだけなのかなんなのかアレなんですが言葉にするといろいろが違う気もして違う風に伝わる気もして違う風にとられる気もしてそうなるともっと苦しくてだから言葉というのは難しいものでもありただぎゅうとぎゅうと抱きしめてくれれば自分の中の膿はそれで落ちついていくから・・・うんありがと。 最終日の夜、松尾スズキ演出のお芝居「キャバレー」を観にいってきました。現実から離れ・・・ ♪人生はキャバレー つかの間のキャバレー♪ 久々の舞台はやっぱいいもの。そして映画「クワイエットルームへようこそ」も観てきました。松尾スズキづくしで幸せです。 そして引っ越しも無事完了。まだまだダンボールだらけだけどお互い時間ないし・・・ね。 どこに服しまったかもよく分からんし・・・ ・・・相方さんは時間のない私のかわりに洗濯してくれるのはありがたいけど 雑巾として使ってたタオルも相方の色つきTシャツもなんでも一緒に洗濯機へ私の下着もネットにいれずにポンポンポンポン・・・・・ うきーーーーーーっちがーーーーーーう色落ちる~~~ネット入れてぇ~~~~ って私が中身をとりだそうとすると 「ポンポンすぺしゃるーーーー!」 といってさらに上着やらなんやらをいっしょにいれようとする・・・・ あーーーーーーうがーーーーーーーーーーーーーーっ ・・・なんかもうどうでもよくなってきました。 まぁ手伝ってくれるのはありがたいんですけどね。もうちょっと・・・なんとかならないものかと。 相方さんは「ポンポンスペシャル」という言葉が気に入ったらしく「オレのすべてを表してる言葉だ!」といって自画自賛。さらにポン。 うがっ・・・もうほんとどうでもよくなってきました・・・とりあえずどうにかこうにかここまで乗り越えてきたから。最後まで走り抜きたいと思います。
November 4, 2007
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年のせいにはしたくないって思ってきたけど体力の限界を感じつつ・・・睡魔に身体が溺れ・・・いろいろと精神的にも疲れてるからかな・・・。銀河英雄伝説(小説・アニメ)のタンクベッド睡眠が欲しい。1時間入っているだけで8時間の睡眠が得られるそうな。妄想モード突入してます。めげない。相方さんの転勤に伴い近く引っ越すことになりそうです。同じ県内ですが。実習先へも学校へも変わらず遠いですが。めげない。就職先も運良く私を欲してくれるところがあり、願書出せば決まりそうなのですがこの引っ越しによって通うのがこれまた遠くなりそうで・・・。めげない。。。学生の今しかできないことを学生の今だからできることを今は精一杯やるのみ。
October 8, 2007
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私は人になびいたり、懐いたり、尊敬したり・・・そういうのがどうしてもできなかった。今でもその傾向は強いと思う。学校のクラスメート(現役生)が「あの先生(OT)すごい」って騒いでいても聞き流してることが多い。上司や先生としてみると、いろいろ目についてしまうことが多いのか批判的にみてしまうことも多くて、まぁそんなことは外にはあまり出さないし基本的に上司受け・先生受けは良い方やと思うけど、心は素直になびけない。面従腹背・・・小さい頃からの癖。・・・エホ証2世として親やまわりの信者の顔色伺いつつ、うまく生き抜いてきた方法。いまださほど変わりはない。現在の学校の教員や今まで実習先でお世話になった女性OTは独身か離婚経験者(子ども無し)がほとんど。先生A:「女はこの資格とったら強いわよ。男なんて頼らなくたって生きていけるの。」先生B:「私の母は専業主婦で子育てしていわゆる女の幸せって道を歩いてきたわ。私は独身だけど、この仕事は患者さんのために働いて毎日が生き生きと充実していて、子育てのためだけに生きた母親の生き方とは違うけど、こんなに楽しい幸せなことはないと思ってるわ。」一応(?)旦那のいる私は反応に窮する。とりあえず頷くしかない。生き方や価値観は人それぞれですからねぇ。でもそういう先生方の言動を見ていると精神的な余裕の無さを感じてしまうことが多かった。まぁ元来の性格の影響もあるのだろうが、物言いもいろいろ断定的というか・・・この先生たちは人(学生)を育てるということをどう考えているのだろう・・・と疑問に思うことがあったり。他のクラスメートの扱い方を見てて、パワーハラスメントのようないろいろ不信感抱くようなことが多々あるからかもしれんけど。。。・・・そして自分の将来に不安を覚えた。OTの仕事って家庭と両立していけるのだろうか・・・と。そんなこんなのときに、臨床実習で素敵なOTに出会った。前にも書いたけど、子どもを二人育てながら作業療法科のトップとして長く働いている40代の女性患者さんのためとはいわず「何よりも家族が一番大事よ。家族のために働いてるのよ。」と平然と言ってのける方だった。私が実習中の間も、一週間近く休みをとって家族で旅行に行ったり。休日も有休もフル活用。それでいて患者さんのことをよく見ていて、その方のことを一生懸命考えていて、人と関わる仕事が好きって心から言えて、患者さんからの信頼も厚いOTだった。患者さんに対しても、学生である私に対しても毅然とした厳しさも見せる方だったけど、けして威圧的ではなく、そんな中に母親の温かさも会間みせるような・・・包容力のある大らかで明るい方で、ちょいとどっか抜けているようなとこもあるカワイイ方でもあった。仕事に対する自分自身のポリシーもはっきり持っていてそれを学生である私に自身の言葉でしっかりと伝えてくれる方だった。家族(夫・子ども)・仕事(患者様のこと・周囲のスタッフとの関係)・自分自身とてもバランスのとれている方だなと感じた。そして、ちゃんと名前でよんでくれた。(他の実習地では「学生さん」とか「おいっ!」としか呼ばれなかった・・・名前で呼ばれたのはココがはじめて)別に名前で呼んで欲しいとかそんなこだわりがあるわけじゃないけどちゃんと一人間として尊重してくれてる・・・そういうことがいろんなところで感じ取れる方だった。・・・そういう学生に対する対応は、患者さんに対する対応に対してもどっかこっかであらわれるものやと思うんやけど・・・。同じ社会人入学だったということもあってか、リハビリの技術的なことや知識だけじゃなく、学校生活からプライベートなことまでいろいろなことを話してくれたり、こちらからも話せた方だった。・・・はじめて、自分のことをOTとして、人として、育ててくれてるなぁ・・・てのを感じた。実習期間中は、彼女からいっぱい学びたいと思ったし、やっとモデルの一つにしたいようなOTに出会ったと、そう思った。そういえば予備校の仕事してたときも、私が尊敬できるって思う女性は、子育てしながら、その部署のトップとして働いている女性だった。どんなに忙しいときも、いつも笑顔で、部下や生徒を育てている方だった。「人間、子どもを育てて一人前なのかなぁ・・・」最近、頻りにそんなことを思うようになってきたり。。。いや、子育てしてる上司=尊敬できる人/子育て経験無しの上司=尊敬できないってわけでは決してないけど。人を育てるということは・・・人間としての深みが滲み出るのは・・・家族・子育てから学ぶことも大きいのではないかと。我が子を育てるって人間としてものすごく大きいことなんじゃないかなと。うまくいえないけど、そんなことを思う今日この頃。
September 24, 2007
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二期目の実習突入し一週間経過・・・急性期の総合病院新患として入院される患者様も多いけど、退院していく患者様も多く慌ただしさを感じる・・・そんな病院んでもってハプニング発生。。。うちのSV(バイザー)に当たる方が体調不良で初日からずっとお休み・・・かなり重症のようで、しばらくお休みされるとのこと・・・なもんで症例様も未だ決まらず・・・他のスタッフは若手のOT2名。人当たりはいい方なんだけどできるだけ時間とってフィードバックしようとしてくれてはるんやけどなんせSVがいないので皆私の扱いをどうしたらよいかもてあましている状態。んで、それぞれの担当患者様+休んだバイザーの担当分の患者様もいきなり回ってくるから一日にこなさなきゃいけない仕事量が半端じゃなくすごい忙しそうだし、めっちゃ残業されてるみたいで気の毒というか・・・うちはお荷物状態で、もうなんか存在自体がすいませんってかんじで居場所が・・・・・・いや居座ってやりますとも。図々しく生きてやりますとも。ビバ実習生。楽しめ放置プレイ。今回は整形疾患の患者様が多くて今まであんま勉強してなかっただけにちょい苦戦中。レントゲン画像見ても骨折線がどう入ってるのかわかんねぇ・・・ううやばいなぁ。。。んでもってうちもなぜだか体調不良。初日から下痢と嘔吐が続いてる・・・毎朝駅のトイレで吐くのが日課になってもーた。駅が新しくてトイレもきれいで一番落ち着く。。。はぁ。。。いかんいかん。気を大きくもってがんがるのだ。
September 22, 2007
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そしてプロフィールを変更しました。年齢だけだけど。気づいたら3才もサバよんでたので。永遠の26才。これまた中途半端な。気づいたらもう29になってました。ギリギリガールズ。いえい!でも患者さんには現役生に間違えられました。「20才」って言われました。やっぱり~。違う患者さんには「35才」っていわれました。それは認知症のせいにしておきました。違う学校から来てる現役の実習生に最初は現役生に間違われました!いえい!最初は騙してましたがその後ばれてしまい「おばはん」と言われました。シメておきました。29才。ユンケルとキューピーコーワゴールドとエスタロンモカは必需品。まだまだがんばります。
September 9, 2007
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行楽地へ行く人で混雑していた電車がいつの間にか学生服姿の高校生でいっぱいになっている。いつの間にか夏も終わり・・・そして6週間の臨床実習第一期目も残すところあと数日もともとは精神障害分野希望だったし、身体障害系の分野は苦手だと思ってたけどその気持ちを覆すぐらい、いいバイザーに巡り会えた。現在、担当させてもらってる症例さんは、歩行の獲得にむけて平行棒内で訓練中。OTのバイザーだけじゃなく、その様子をみているPTの先生たちも、ちょくちょくアドバイスをくれる。かつてなかったいい実習地。同時に悲しいこともあった.先日OT室にきていっしょに話をしていた方が急変・・・そして亡くなったことを伝え聞いたり・・・リハビリの限界生きることと死ぬこと今を生きるためリハビリ・・・その意味私には何ができるのか何ができないのかどこまでできるのかまだまだ分からないことだらけだけど残り一週間の実習私のできることを、がんばる。。
September 4, 2007
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指令は「まっ、やってみるだぁね」の一言大海の中に投げ出されて見よう見まねで患者さんに体当たりSVの眼はどっかこっかできらっと光ってて視線を感じて汗汗しながら戸惑いながら緊張しながら患者さんにとって本当にこれでよいのか・・・どれだけ負荷かけていいのかこんなことで治療効果あるのかなにもかも分からんけどとにかくやらせていただく。きっといつかはもっとクリアに分かる日もくるんだろか・・・一年後には臨床に立っているはず、なんやけど。。。自信なくしたり頑張ろうって思ってみたり楽しかったり落ち込んだり
August 19, 2007
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臨床実習始まってます。こんなに実習が楽しいと思えるのははじめてかも。毎日1時間くらいしか寝れないけど症例さんとじっくり関わらせてもらえる病院いろんなこと学ばさせてもらってます。何よりバイザーが素敵な人たちスーパーバイザーは姉御肌でサバサバしてる2児の子持ちの主婦ケースバイザーはテキトーさ加減がほどよい1児の子持ちのパパスーパーバイザーはうちと同じ社会人組から出発した方同じ学校出身だし、いろんな意味で先輩「実習中寝れないのは当たり前」って課題バンバン与えてくるし言うことはけっこう厳しいのかもなんだけどレポートへの突っ込みも激しいかもだけどどれも納得できるもんで片道2時間半かかるハンディの大変さもすごい汲んでくれるしフォローもいれてくれる。絶妙な飴とムチ変なあら探しはしないし、下手に人を追いつめない。何より裏表がないから安心できる。あー、分かっていらっしゃるわ・・・ってかんじ。やっぱ経験の功なのかな。実習指導者として尊敬できる。忙しいのに時間を縫ってうちの考えをよく聞いてくれる学生だからって馬鹿にしないで真剣に。そしてしっかり応えてくれるし。「答え」はくれないけどこんなに相性のあうバイザーははじめてかもついていきたいと思うもっともっといっぱい吸収していいセラピストになれるようにそしていつか自分も後輩をちゃんと育てることができるように
August 11, 2007
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以前書いた大分古い記事「プライドそれぞれ」に現役さんからコメントをいただきました。コメントのテーマが「通りすがりの意見」とあったので、ここを見る気はもうないかも、と思いましたがこんな辺境ブログにはJW現役さんは滅多にきてくれないので嬉しくって(相方曰く「現役か?釣りじゃねーの?」)釣りだろうが釣られようが見てようが見てなかろうがレスしちゃいます。以下現役さんが下さったコメント***********************>開拓者・バイトorパート生活がスタンダードなのは日本だけですよ。>海外には、全時間仕事をしながら全時間奉仕している人たちもいる。>母子家庭で2人の子供を育てながら学校に行って開拓しているお母さんもいる。>あなたは狭い日本の、自分の会衆だけの世界でしか価値観を育てられなかった。>海外では増加しているのに、日本の伝道者は去年より減っています。>なぜだと思いますか?>「これしちゃだめ、あれしちゃだめ」と言われ続けているからですよ。>人のレールに沿った生き方しか出来ない大人・子供たち。>開拓者は多いけど、脱落者も多い。>JWは650万人以上世界中にいます。>いつか時が来て、あなたの価値観が広がることを願います。>それと、あなたの日記を見ていると、ご両親や周囲のJW信者の影響力は良く分かりますが、>肝心の「エホバの価値観」が影響を及ぼしていないのが気になります。>神様の存在、認めてますか?>根本的にエホバの言葉「聖書」が信頼できるのかどうか、>考古学でもいい、科学でもいい、JW以外の書籍でもいい。>あらゆる方面から調査してみてください。************************海外という表現があまりに漠然としているのですが。。。増加している海外とはどこの国のことを指しているのでしょうか?今まで禁令下にあったり、伝道活動が近年になって活発になっている国とかが主な増加国じゃないのかという気もするのですが、ま、どこの国で増えようが減ろうが私の知ったこっちゃーありません。以前の日記でも似たようなことについて触れたつもりですが「異文化との出会い」私はそもそも聖書=エホバの言葉とは思っていません。偉人たちが後世に残してくれた偉大な書物だと思っています。私にとって心の糧としたいと思える言葉もありますし納得しがたいものもあります。聖書が科学的?けっこう科学的じゃない記述もいっぱいあると思いますけどね。処女の腹から子が生まれたとか・・・まぁ他にもいろいろありますが、そんなことは他の元JW系HPやブログでも見てくれりゃいいでしょう。この辺境ブログにわざわざ辿りついていただけたということは、その他サイトももう見ておられるかもですが。ま~あなた方JWさんは、科学的じゃないことはすべて奇跡といいきってしまえる何でもありの理屈付け屋さんばかりなんで話しあっても無駄だと経験上思っております。人はそれぞれの国、環境でのいろいろな生き方があります。私は今の生き方を自ら選びました。その心に恥じないように生きていこうと思っています。世の中にゃーエホバの証人だけではない、いろいろな価値観・世界観があります。あなたはあなたの信じる道を生きていってくださいな。それが心から良いと思えるのなら。私も私の信じる道を生きます。
March 24, 2007
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ずいぶん放置しておりました。いろいろコメントくださった方々、長らく返さなくてほんとごめんなさい。コメントしたことも忘れるくらいの頃に返信・・・となってしまい申し訳ないです。それでもここを見に来てくださっている方、毎度ありがとうございます。久々にログインすると管理画面がかなり変わっててびっくりしました。まーそのうち時間ができたら更新しまする。たぶん。では・・・とりあえず生存確認のご報告。
March 11, 2007
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ずいぶん以前(春くらい?)に書いていたんだけどなんとなくアップできなかった日記。別にネタがないから今更アップするってわけではないけど、なんとなく。・・・さっき読んだゆかっちさんのブログの内容に思わず呼応してしまったせいもあるかもやけど。時期的にかなり前のことなんで、出てくる話(ホリエモンや村上氏の話)は古くてピンとこんこともあるかもですが・・・。***************************発達障害の第一人者といわれる「偉い」先生の講演をききにいった。出席者はほとんどが幼稚園・保育園の先生方。私はOTの学生仲間といっしょに参加した。内容は「幼児期の子供たちとの関わり方」みたいな、聴衆向けに丁寧に噛み砕かれたわかりやすいお話。 その先生いわく、 「子供は遊びを抜きにして健全な人格形成はありえない。前頭葉が発達しない。」 「(堀江氏や村上氏の逮捕の話題を出しつつ)子供のときに勉強ができても遊びができなければ人間性が駄目になる。利己的で(中略)彼らは(堀江氏)は勉強はできたけど、遊んでなかったんでしょうね。」 「勉強の落ちこぼれはよい。それでも立派な社会人になれる。だが休み時間の落ちこぼれ(仲間と遊んでいない)は社会の落ちこぼれになる。」 「大きくなるともう手遅れです。幼児期・児童期、この時期が大事。」 ・・・・・・。 話はかわり、精神医学での授業でのこと。 精神科医の先生いわく、 「人格障害の患者は、薬が効かないので大変。人格障害は、水商売や風俗のねーちゃんも多いんですよ~。育ちも影響していて、小さい頃に(性的)虐待されたとかってことも多く、そういう人たちは自分を痛めつけるために自らそういうところに入っていくってのもあるんでしょうね~」 そんなエピソードを先生たちは面白おかしく話す。 みな笑う。自分たちは「普通」であるという安全圏の中の、笑い。 私もみんなといっしょに笑う。 ・・・だけど、認めたくないけど、やっぱり、軽く凹む。ちと傷つく。胸の奥がきりっと痛む。心にどす黒い血がじわりじわりとにじんでくる。目頭が熱くなってくるのがわかる。外に噴き出してしまわぬよう必死で感情を抑える。涙が溢れ出ないように無になろう無になろうとそれだけを念じて波立つ感情を静める。社会の落ちこぼれ。人間性が駄目。人格障害。 自分の人生を・・・生まれを育ちを否定されたような気がするのだろうか。自分は駄目な人間だと烙印を押されたような気になるのだろうか。 発達障害の先生が、「遊ぶことがとっても大事だ」と説く時期・・・幼少期。 私は幼稚園も保育園にもいかず、母親といっしょにあの宗教の伝道活動につれまわされていた。伝道中、親が家の人と長いこと話しこむ。退屈になった私が集中が途切れてひとり勝手に遊びはじめようものなら、「帰ったらムチね」とにらまれ家に帰ると布団叩きが待ってた。 そんなこんなで小学校へ入学。入学してはじめて、同じ年代の子供たちにいっぱい囲まれた。 でも私はみなが当たり前に知っている、幼稚園やTVを通して覚えたのであろう歌を知らない。女の子の間ではやってるゴムとびの遊び方を知らない。 休み時間になるとゴムとびかはじまる。やり方がよく分からない下手くそな私をいれたら入れたチームは不利になる。自然と仲間はずれになった。 放課後は集会の準備&集会OR習い事、土曜日の午後は伝道、日曜は集会、「世の友達との交わりは有益な習慣を損ねる」という原則のもとに、放課後に学校の友達と遊ぶのは禁止。誕生日やクリスマス会、七夕集会などの学校の行事事(いうなれば集団を通しての遊び)も禁止。 そんな私に、「休み時間の落ちこぼれは社会の落ちこぼれ」「遊んでない子は健全な人間形成はありえない」という言葉はちょいキツイ。 まー負けず嫌いだった私は、練習してゴムとびはうまくなったけど。。。 ・・・それに実際本気で落ちこぼれだとは思ってないけど。そんなに自分が人間として駄目だと常に思っているわけでもないけど。 かといって自分のすべてを肯定できてるわけでもなく、自分の中の歪みもそこから逃げたくなる日も、なぜあんなこといったのだろうと自己嫌悪になる日も、 でもそれはいわゆる「普通の人」でも時にはあることだろうと思いつつ。。 だからどうってことはないんだけど。そのはずなんだけど。 発達障害の先生や精神医学の先生が語った言葉は、核心をついている言葉なのかもしれない。たしかにそうなのだろう。 だけどそういう言葉を聞くと自分がなにか狭い檻の中に閉じこめられてしまったかのような、もうその檻からは逃れなれないような、息が詰まりそうな気になる。 でも、生まれがどうあれ育ちがどうあれその影響が科学的にどうあれ統計的にどうあれ 私は私から逃げることはできなくて、 過去がどうあろうが、弱さを歪みをいっぱい抱えていようが、 私は私を生きていくしかなくて、 でもそんな凸凹な私をわかった上で受け入れてくれる人はいてそんな凸凹な私だからこそ、分かり合える人、心から受け入れられる人がいて それが人間社会で生きていくということなんだと、欠けているからこそ、そこにはまる人もいるものだと、 だから私は私でいいんだと、生きていていいのだと、健全だろうが不健全だろうがコミュニケーションが上手にとれようがとれなかろうが、 人間の価値は誰にも裁けないでしょう。 ルールを破ったら罪は裁ける。だけど人間の価値は裁けない。あの先生が人間性を、その価値を否定しまくっていた堀江氏だって堀江氏なりの価値はあるのでしょう。 まー私は堀江氏が好きなわけでも嫌いなわけでもとくに被害を被ったわけでも利益を得たわけでもないからいえるのだろうけど。。。 そんなことを思いつつ 先生たちがいう、「人間性」がよいってなに?悪いところも良いところも、みんな人間の一部分やろ・・・と心の中で悪態をつきつつ、 「普通の人たち」という目に見えない巨大な存在に押しつぶされそうになるような心を抱えて、その巨大な塊に合わせて生きていかねばならない、ときどき息がつまりそうになる生きづらさを感じるこのココロ主義の時代に、 私は私でいいのだとそう確かめたくて あなたもあなたでよいのだとそう伝えたくて 生きていてもいいんだと。ここにいてもいいんだと。 そんな気持ちをどこかの誰かと共有したく。 ・・・てか久々ですねぇ・・・このブログに書くの。。。最近はミクシィにはまってたんですけど、あっこには、こんな記事はなかなか書けず。 久々に高熱が出ました。なんだか精神的にも体力的にもまいってたみたいですわ。はぁ~~~~~。 疲れてるからこっちにかくんかいってかんじなんですけど、こっちには愚痴吐きやすいんだもん。*************************以上、春くらいに書いてなんとなくアップしてなかった日記ですが、・・・ちなみに今日も嘔吐と熱で久しぶりに学校お休み。弱ってるなぁ。
November 27, 2006
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犬が死んだ。私が小学生の頃からずっとあの実家で暮らしてきた犬。「今朝亡くなったよ」と実家から連絡があった。母のかすかに泣く声がした。年齢からも「もう長くはない・・・」と思っていたけどそんな感情はすぐ忘れ、いつもの生活に追われていた。知らせを受けて、へなへなと身体から力が抜けた。約19年間。あの家ではいろいろな出来事が起こった。犬はそれをずっと見てきただろう。見てきたというより、ずっとそこにいた。家に居場所が見出せず泣きながら犬を強く抱きしめていた夜も父と兄が喧嘩して窓ガラスが割れた日も警察があがりこんできたときも、私が大学生になって実家を出て行ってからもずっとあの家に居続けた犬。生意気で聞かん坊そしてゲンキン。普段は「おすわり」と言っても全然聞かないくせにエサを手に持っていると「おすわり」と同時にこちらがまだゆっていないのに先回りして「お手」までしていた。いつのことだったか・・・母と私が公園で犬の散歩をしているとき、父が兄とまた喧嘩をして、父は私たちのいる公園に逃げてきた。三人で家に帰ると、玄関には鍵がかかっており、その奥には椅子やら机やらがうず高く積まれているのが透けて見えた。バリケードのつもりだったのだろう。自宅は兄に占拠されていた。自分たちの家に入れないままなすすべもなくまた公園に戻って途方にくれる情けない親子三人・・・と、犬一匹。あの犬だけは、そんな事の重大性をまったく認識しておらず散歩が長引いたことにただ喜び、自分の縄張りを拡大すべくあちこちに小便をひっかけていた。出しすぎで小便がもうでないにも関わらずまだ片足を高くあげてほんの数滴の小便を出そうと頑張っていた。なにひとつ事を理解していない滑稽な存在。実家に住んでいるとき、なんだかんだ私はあの犬の存在に救われていた。でも時は過ぎ、あれほど飼いたいと親に訴え続けたことも一生世話をするからという約束もすっかり忘れて私は実家を出た。「お前のところに、この犬も連れて行け~」という父。「寮で犬が飼えるわけないやん」と私。・・・勝手なもんだ。夫婦二人だけになった家に、犬はそれからもずっと住み続けた。先日久しぶりに実家に帰ると犬の待遇が格段に変わっていた。まるでお犬様だった。玄関で飼われていたはずの犬は居間にあげられていた。畳の部屋に犬専用のマットが敷かれ、そこにふんぞりかえっている。そして犬専用の扇風機まであった。扇風機の前にどかっと寝そべり風に吹かれて涼しい顔。久しぶりに帰省した、一応ゲスト待遇でもいいはずの私たち夫婦のためには、クーラーもつけてくれず扇風機もないというのに。だらだら流れてくる汗。あまりに暑すぎるので、結局私たちはお犬様に断りをいれて扇風機の風を少し借りた。エサもドックフードからかわって、私たちが食べる食事とほぼ同じものが与えられていた。「年取ってから普通のドックフードはもう食べないのよ」という母。肉は噛み切れないため、きっと私が幼かった頃にしてくれていたのと同じように、母は口の中でそれを軽くカミカミしやわらかくしてから犬の口に運んでいた。お犬様は喜んで食べていた。「もう最期も近いだろうからね・・・・ほんとは人間の食べるものはあまりあげない方がいいんだろうけど、こんなに長生きしたんだから最期はできるだけ好きなようにさせてあげたいのよ。」そう母はいっていた。たしかに犬は目に見えて年老いていた。目は白内障でほとんど見えなくなり、足も悪くなりほとんど歩けなくなっていた。でも好きなものはたくさん食べていたし手厚い介護のせいで毛並みもふさふさしてツヤがあったし、まだまだ元気そうにもみえた。最期の夜、犬は一晩中ずっとキャンキャン鳴いていたという。あんなに鳴くのは今までになかったらしい。・・・苦しかったのだろう。死と闘っていたんだろうか。母は「だいじょうぶよだいじょうぶよ」といいながら一晩中ずっとさすってあげてたようだ。「もしかして最期になるかも」と不安になりつつ、「明日は病院に連れて行こう」そう思っていたらしい。母は、兄や私が夜泣きしていた頃のことを思い出しながらずっとずっとさすっていたといっていた。「犬も子どもといっしょね」と。・・・そんなときもあったんだろうな。いろんな感情が重なりあって泣けた。母からたっぷりの愛情を注がれ、犬は明け方そのまま息をひきとった。享年19歳。大往生。ありがとう。
October 1, 2006
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「評価する」ということを私は極端に嫌ってきた。・・・あの子がどうだろうと別にいいじゃないか・・・。・・・そんな分かったように人のことをどーのこーの・・・。詩の世界で生きていたかった。正も邪も善も悪も光も闇もすべてが境界線なく同列に共存してる世界。・・・混沌。そんな世界が好きだった。詩人になりたかった。人を取りまく世界や生になんの評価も意味もつけず、ただそのままを認め描く詩人でありたかった。そこに一片の温かさがあればそれでよい。そんな世界でむき出しの「生」のままドロドロと存在していたい。すべての矛盾を包む大きな流れの中で流れ流されそのままに生きていたい。アメリカイズムな心理系統の勉強は嫌いだった。この世の中「正常」も「異常」も、その基準はすべて平均値から判断したこと。集団のコミュニケーションがとれない。だから異常?普通はこう思うもん?~と思わなければその人は心を抑圧してる?だからどうした?どうしてなんでもかんでももっともらしい意味をつけようとする?すべてはその時代や社会や環境を背景とした変動する価値観の中での評価。それをいかにも「絶対」として振りかざすような言い方に辟易した。でも、OTの仕事だって結局、患者さんの評価にはじまり評価に終わり・・・。・・・正常値、異常値、正常行動、異常行動・・・そうなんだよなぁ。私が風俗で働いてたとき、この仕事が「天職だ」って思ったのはお客さんの異常性も自分の異常性も、あの空間ではすべてが正常で当たり前のこととして身体を通して丸ごと受け入れられて、そこに私の思う究極の癒しがあったから・・・かな。そんな私がOTに向いてるのかな・・・。なんかこのまま学校を卒業して仕事が勤まるかどうか、というか・・・いろいろ考えるとしんどくなってくる。まーどんな職を選ぼうと、「仕事する」ということは迷いの中を突き進んでいくしかないのかもと思うんだけど。・・・なんだろうね、疲れてんのかなぁ。最近はそんな忙しいってわけでもないだけど。まあいいや、ドロドロと生きてやる。
April 23, 2006
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第3期目の実習は、ちょいきつかった。・・・患者さんとしゃべってるときはとっても楽しくて、勉強になったんだけど。問題はレポート。。。朝6時に家を出なきゃいけないのに、朝5:30になってもまだレポートが完成していないという現実に直面し・・・毎日あせりまくり。結局電車の中でもPC打って、実習地のすぐ近くにある寮で印刷させてもらってた。寮の友人たちには、いつもいつもお世話になりっぱなしだ。実習地にいくのに片道2時間以上かかるせいもあるんだけど、五日間の睡眠時間は、合計3時間ちょっと。初日、二日目はほぼ徹夜。中日で一時間、最終日ニ時間の睡眠。二時間寝ると、「めっちゃ寝た~!!!という気になる。人間の適応能力って恐ろしい。まぁ、手は震えるし、立ってるだけでせいいっぱいだったけど。おまけに外耳炎で耳や頭も痛むし。眩暈がくらっとして意識を失いかけたときが何度か。たぶん一瞬寝てしまっていたのだろうけど・・・、 寝ないように前腕には爪あとだらけ。たまに噛んでみた。ぎゃう。どないにも倒れそうだった日は、寮に泊めてもらった。寮の友人がご飯つくってくれたり、PC貸してくれたり、いろいろいろいろ・・・温かさにふれて、泣けた。もういっぱいいっぱいだった。なんとか踏みとどまったけど、いろいろ、なんだかなぁ・・・。やっぱどんなに追い詰められてても、一日一時間は寝なきゃと思った。思考がしっかり働かない。いろいろ悪循環になるし。それでもなんとかとりあえず、実習無事終了。あとはセミナーの資料をちょこちょこっと用意して、まだまだやることはあるけどちょっと一段落。はふーーーーーー。
March 12, 2006
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コメントに対する回答の続きです。「元JW2世となぜ結婚できるのか?」ということですが、まず、>「結局同じ環境を味わってきたもの同士でくっついて生きていく事しかできないようにも見えるのですが」というコメントに対して感じたことについて・・・寒い夜、芯まで冷え切った身体は独りでいてはなかなか暖められません。でも隣に人が寄り添って抱きしめてくれれば、すぐに暖かくなります。相方もよくいいます。「人は一人では生きてられない。一人でもやっていける、けど一人で生きてちゃいけない。」同じ環境を味わってきたもの同士でくっついて生きていく・・・世知辛い世の中、そうして生きていけるのは素敵なことで、それは一つのたくましい生き方ではないか・・・と思います。ですが、加えて言わせていただくと、友人でも恋人でも、私は誰かと人間関係を築いていく上で学歴や容姿、収入をそこまで重視しないのと同様、元JWで有る無しをそんなに重視していません。肝心なのは「人となり」・「ウマ(波長)が合うかどうか」だと思います。私には元JWの友人もいれば、そうではない一般の友人も大切ですし、元JW2世の人(=相方)とつきあう前には元JW2世ではない一般の人(同じ大学の学生とかバイト先の人とか・・・)と一時期付き合ったこともありました。で、そんな中なぜ元JW2世である相方と結婚したのかということですが、1.相性2.タイミングがよかったからという理由ですかね・・・大きな部分では。 1.相性たしかに、相方と付き合いだして思うのは、元JW2世同士似たような体験を味わってきてるからこそ、 相手がどうしてそう考えるのか感じるのか、 深いところで分かり合える部分が多いと感じます。JWをネタにしたギャグもツーカーで通じますし。でも元JWだからつきあってるというよりは、相方だからつきあってるというわけで。自分が引っ張っていくより、相手に合わせるほうが楽という受身タイプの私。反対に相方はゴーイング・マイウエイ典型的なB型男。マイペースで強引で勝手な奴だけど、そのペースに引っ張られるのは私にとって心地いい。相方は私に「いつもいつも合わせてくれてありがとう。勝手でごめん」などとよくいいますが、私には「無理して合わせている」という意識はなく、結果として合わせていることになる私の行動自体が、私のマイペースで自然な行動なわけで、相性・息がこれほどうまく合う人、ベターハーフと思える人はこれまでもこれから先もないだろう、たとえそれよりいい人物が現れる可能性があるとしても、私はすべてを相方にかけたい・・・そう思えたから、相方がその思いに値する人物だったからというわけで・・・「いっしょにずっといたいから」という単純な答えが相方との結婚の理由、今でも「なぜ結婚しているか?」といわれれば、私はそう答えるでしょう。プラス*お金に対する考え方(散財・豪遊タイプ OR 貯蓄・堅実タイプ)*仕事/子供に対する考え方(結婚したら女性は仕事をやめてほしいか/子供は?) *人生観、価値観、性にたいするスタンス などなどそういう人生・生活に関わる考え方、また「二人の人生にとって何を大事に思うか、何を大切にしていきたいか」というコアな部分が話していて付き合ってきてしっくりとくる、ぴったりと噛み合う部分があるから結婚を決めることができたわけで一般に二人の間に結婚の話が浮上し、結婚を本気で考えるとき、結婚を決断するか否か(別れるか)のポイントというのは、そういうところにあるのではないでしょうか・・・。そういうものは元JWだから、あるいは元JWではない一般人だから噛み合う、うまくいくというものでもないでしょうし、、、 友人(一般人同士のカップル)の話ですが、 学生時代から10年近くつきあってきても、そういう部分が噛み合わなくて結婚には至らず別れたカップルもいますし、また、噛み合わない部分(仕事をどうするか)について長い時間をかけて話し合い、もうすぐ結婚するカップルもいます。相方も私も、それ以前には元JWではない一般人と何人かつきあってきましたし、でもそういう人たちとは上記の点でも噛み合わない部分があったから別れたりうまくいかなかったりしたわけで、(まぁ、他にもいろいろと要因はあるのでしょうが)でももし噛み合っていたら、年齢的にも相方は違う人と結婚していたかもしれないと思いますし・・・、2.タイミング相方とは、お互い彼氏・彼女という特定の人が偶然いない時期にタイミングよくめぐり合って付き合いだして、年齢的にもまぁ結婚適齢期でしたし・・・巡り合ったときに、もしもどちらかに彼氏・彼女がいれば、はじまってもいない関係だったと思います。♪あの日あのときあの場所で君に会えなかったら僕らはいつまでも見知らぬ二人のまま♪って歌詞がありますけど、まさにそうだなぁなんて・・・・・・ってあんまり答えになってませんかねぇ。・・・なんだか例えば、アメリカ人のチャールズと結婚した女性が 「アメリカ人だから結婚したの?」と聞かれて「国籍がどうだからではなく、チャールズだから結婚したのよ」「そりゃぁチャールズはアメリカ人・・・、アメリカ文化の影響を受けた思想をしてるところもあるけど、だからといってチャールズがアメリカ人だから結婚したというわけではないわ。チャールズという人間とずっといっしょにいたいから、いろいろな時を積み重ねた上で、愛しあえると思うから結婚したの。」 と答えるみたいな。そんなかんじ?ですかね。って、わけわからん妄想の例えに走ってしまったような気もしますがこれを私の一応の回答とさせていただきまする。
February 27, 2006
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掲示板に↓のようなご意見をいただきました。*****************あづみさんを含め元Jw2世の人にお聞きしたいのですが、なぜ元JW2世である事を公表し、またあずみさんのように元JW2世同士で結婚したりできるのですか?(中略)皆さんJWをやめているのにどうして元JWの人と関わりたがるのでしょうか。結局同じ環境を味わってきたもの同士でくっついて生きていく事しかできないようにも見えるのですが。******************「あづみさんを含め元JW2世の人」とあるので、ここをご覧になっている他の元JW2世の方からもご意見・コメントもらえるとうれしいです。(コメントくださった方へ→ただしここは不定期更新サイトでそこまで賑わっていないのでもっと大きな元JW系サイトに書いたほうが答えてくれる人も多いかもと思いますです。)とりあえず、私のケースで。~私が元JWであることを公表する/元JWに関わる理由について~その一 「同窓会のノリで」mixiなどネット上のコミュニティーサイトでは、「○○高校出身者集まれ~」みたいなものをよくみかけます。そこで自分の母校のコミュニティーが見つかり、何年も連絡をとっていなかった友人と再開して、また仲良くなったりするケースも多々あるようですが、私も実際、大学時代の友人とそういう形で数年ぶりに再開して、学生時代よりも仲良くなったんじゃないか・・・という人もいます。そういうものと少し似ているというか。。。 小・中・高校時代、私は実家にいて、JWの活動をそれなりにまじめにやってきたもんで、一般(JWではない)の人間関係は希薄であり友人は少なく、 その頃の友人で今でも連絡が続いてるのは 一人しかいません。ちなみに相方は0人らしい。まーそんなわけで、その頃の思い出といえば関わりの強かったJWコミュニティーの思い出のほうが、嫌なものも楽しかったものも、より強く多く残っており、元JWのオフ会でも盛り上がるのは「OO巡回区?うわ~いっしょや~あの大会で出たうどんうまかったよね~」 みたいな思い出話に華をさかせる、同窓会みたいなノリがあります。昼寝するぶたというサイトのオフ会では、 それに加え幹事さんグループがちょっとしたイベントを企画してくれてたりすることもありますしね。私はそういうのは楽しいから参加させてもらってますが、(といっても遠いのでほとんど参加してませんが)まー、○○高校出身でも「同窓会なんて楽しくもないしいかない」という人もいますし、それと同じくJW出身者でも「オフ会なんていかない」ってタイプの人もいると思うんで、オフに参加するか否かの感じ方・考え方は人それぞれかもと思います。その二、「自分を構成しているものの一部だから」自分の思考、感じたことを表現しようとするとき、それは自分の過去の経験からつながっている考えなんだと気づくことがよくあります。だから公表しているというかんじですかね。 私は最初このブログでは、当時の日常生活において考えたことを整理するため・・・「OL兼SM嬢の日常生活」みたいなスタンスではじめた日記であり、元JWであるということを最初から出していたわけではないです。初日の日記。。。「仕事バランス」ですが書いている日記の話の流れ上、「自分がなぜそう感じるのか」という理由を書くときに、元JWで経験してきたことが大きい要因の一つだと思ったので、だから公表した、ってかんじですかねぇ・・・。私は「現在の自分は、過去の自身の経験からつながっている連続体であり、また自分の現在・未来を自身がどのように捉えるかによって、過去の経験の持つ意味づけは変わる。」と思ってます。なんで私にとって、JWでの経験というのは自分の構成成分の重要な要素で・・・私にとって元JWであるということを公表するのは、このブログ上でも時々出てくる話である・大学で芝居やってたとか、・予備校で働いていたとか、・その上でSM嬢もやってたとか、・今は作業療法士目指しているとか、そういう経験・プロフィールを話すのといっしょの位置づけにあるんですが、あくまでこれは私の場合ということで、他の方はどうでしょうか、というところで。。。その3.「誰かに役立ってもらえれば・・・」私の過去の経験・今感じることというものは私個人だけのものじゃなくて、他のいろいろな方々と共有できる部分もあるのではないか、・・・そんなことを思ったりもします。私自身、最初に「エホバの証人の子どもたち」という秋本さんが書いた本を読んだとき、 「苦しんできたのは、こんなことを思っていたのは自分だけじゃなかったんだ」とも思って涙しました。自分の心のかたくかたく閉ざしていた部分に光が差し込みました。幾年にもわたって積み重ねてきた孤独感がすこし和らぎました。そして僭越ながら、私自身がこうしてブログで自分自身の経験を表現することによってそのように感じてくれる人もなかにはいるかもしれない・・・と。私のブログを読んでくれる人のなかで、(それは元JWに限らず元JWではない一般の人でも)そう思ってくれる人が少しでもいてくれれば、と一年半前くらいに、少し似たような質問が掲示板にあって、そのときにサイトの方向性となるものを書いたことがあるので、そちらもリンクしておきますね。サイトの方向性サイトの方向性 その弐相方との結婚に関しては、元JWだから結婚したというわけでもなく、、、まー、またの機会に書かせていただきまする。
February 27, 2006
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人の目をその評価をとてもとても気にするくせに、その評価を直接聞くことはこわい。その評価が良きにしろ悪しきにしろ、その場に居合わせることがこわい。いつでもそうだったな・・・臆病者なのです。きっと私は自分の弱さのために大切なことを聞き逃して、自分を改善していける絶好の機会を失っている。役者をやってたときも仕事をしていたときも、いつでも、そうだ。その傾向はいまだ変わっていない。そんな自分が悔しい。うまくやろうということばかり考えてる気がする。まー、やれてないほうではないと思うんだけど。どっちかというと、うまくやれてきたほうかもしれない。だからよけいタチが悪い。・・・それではそれだけではいかんと。きっと今のうちにできるだけの失敗をしておいたほうがよいのかもしれません。そして今のうちに吸収できることをいっぱい吸収しておいたほうがよいのかもしれません。JWの狭い世界を抜け出して、この広い世界にきて、・・・いや、あの世界にいた頃から、空っぽな自分を人に知られることが怖くて、人に嫌われることを怖れて、肝心なところで、知らないことを知らない、分からないことを分からないということがいえなくて知らなくて当たり前のことでさえ知らないといえなくてできないことからさほどの努力もせずに逃げてうまくごまかして取り繕って生きてきた。人並みに・・・を達成する要領は悪いほうではなかったから、なんとかやっていけた。でも、そんな自分からはもういい加減卒業せねばいかんのでしょう。知らなくてもいいんだ。そこに気づけば、そこから始めることができるのだから。それは分かってるはずだった。いまだ超えられないのは、肝心なところでたった一言が聞けなくなるのは、言えなくなるのは人への怖れのせい、傷つくことが怖いせい。・・・それは自分の弱さ。それも分かってるはずなんだ。でもいまだ裸になりきれない自分がいる。・・・素直にしなやかに生きたい。人を怖れず、失敗を怖れず、人の胸に飛び込んでいける強さをもちたい。そこから世界は広がるんだから。・・・謙虚であれ。笑ったニュース・・・いたたたた・・・<運転免許更新の講習に誤ってアダルトビデオ…福岡>相方曰く「こういうの見るとちょっと勇気でてくるね。自分もよく失敗するけど、こ~こまでではないと。」んだ。んだ。んだ。世の中いろいろ人生いろいろ恥もいろいろ。・・・がんばって生きていこ。
February 18, 2006
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精神科・デイケアの実習先でのこと。アクティビティー中にふらっとやってきた精神科医(Dc)そこで作業療法士(OTR)と臨床心理士(CP)と合わさり、揃いもそろって雑談がはじまり、偶然同じテーブルにいた私、ちょい緊張気味・・・いやだってねぇ、こちとらしょぼい学生ですからねぇ・・・なんて気後れ気味で。そんなとき、突然私に「趣味は何?」な~んて話をふってくれるOTR。「三線です」(沖縄の楽器)と答えると、ちょうど、以前沖縄で働いていたことのあった沖縄フリークのDcと話がはずみ・・・昔、私が西表島のスナックで働いてたことを話すと、そこはDcも行ったことがあったお店だと判明。Dc:「だってそこくらいしかないじゃん」私:「・・・たしかに」おお、世間って狭い。なんやかんやいろいろ経験しておいてよかった。(目上の方ともいろいろとコミュニケーションがとりやすい)と思う。実習はバイザー(OTR)の先生に嫌われたら終わりとか、レポートで寝れないとか、いろいろ大変だという噂も聞いてたけど、ここの実習先ではそんなこんなで先生たちにもメンバーさんたちにもよくしてもらえて、緊張気味で望んだ実習も第1ステージ無事クリア~。また遊びにいかせてもらいたいような場所になりました。次の第2ステージがはじまるまで、今はちょっと小休憩中。沖縄のことがなんだか懐かしいなぁと思い、ネットでふとそのお店の名前を検索してみればぬぁんと~、、、私と同じようにあの店で短期住み込みバイトをしていた人(私より後にはいった人と思われる)が、本を出しているではありませんか~。 八重山猫背通信いや~、びっくり。さっそく注文しちゃいました。楽しみ~。あー、懐かしいな・・・「食堂」だというアルバイト募集の広告をみて疑うことなく、はるばる海を越え約2000km離れた離島にやってきたというに、 なんだか食堂というには、雰囲気が違うぞ・・・まー、昼も営業していて沖縄の郷土料理を出していますし、食堂といっても間違いではないのかもですが、夜はスナックのようなもの。(カラオケ付)でも身ひとつで出かけた私には、帰るための飛行機代もなく(片道切符なのさ~とカッコつけて出かけた・・・というより貧乏学生で金がなかった。) まあいいか・・・なんでも経験!と、3食付住み込みバイト生活がはじまり・・・。初日勤務から、宮古島からくる牛飼いのオジィに、ここの風習になじめとオトーリ強制。。。(グラスにはいった泡盛を一気飲みするもの。回し飲みでエンドレスで続く。)最後はフラフラになりながら店の片付けをしたり・・・そいや酔ぱらったお客に、お姫様抱っこで抱えられて愛車(軽トラ)に無理やり乗せられそうになったこともあったけ。ママさんは既に奥の部屋に引っ込んで我関せず・・・てか寝てるし・・・「わ~!お姫様抱っこされたのはじめてぇ~☆」 なんて喜んでる場合じゃなかとですよ。ほっときゃマジで犯られそうになりますからね・・・。それでも憎めない愛すべき人たちであり・・・人というより獣というか・・・あんたら本能のままに生きてるやろ、、、と突っ込みいれたくなるような。(すべてがすべてというわけではありませんが)いきなりむかってきてキスされたりねぇ・・・もう「はぁ!?」ってかんじのことも多かったのですが、・・・当時私は22・・・ 今では「マダム」もしくは「姉御」などと学校でいわれている私もあの頃は、まだ生娘だったというか、お客(おっさん)の扱い方に手馴れてなく、男のいなし方がわからずに、とにかく振り回されてばかりいたような・・・でも皆ハートが熱くて面白かったなぁ。あのころのよもやま話、私もネタにすりゃ本になってたかも~?もう記憶も薄いですが。また沖縄に行きたいなぁ。。。
February 7, 2006
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街は、どこもかしこもバーゲンセール。どこにいっても同じような服、服、服に囲まれて・・・意識が遠くなりそうになりました。社会人になりたてのころは、スーツも揃えなきゃだし、嬉々としてバーゲンに臨んでいたきもするんだけど、今となっては「高い!」と感じるものも平気で買ってた気もするんだけど…何を見ても「はぁ~~~~、なんだかなぁ・・・」で、結局ほとんど何も買わず。生地の違いはあるけれど、デパートでは万円台のものが、庶民向けの大型店(ヨーカドーやイオン系など)に入っているショップでは、千円台で売られている。とにかく大量に。なんだか怖くなる。なんでこんなにも同じようなものがいっぱいあるのか・・・店の前のワゴンでは、数週間前に2000円以上で売られていたものが500円という値札をつけ、ぐちゃぐちゃに置かれている。新しい服がつぎつぎに入ってきて、売れ残った服はつぎつぎとワゴンへ・・・怖くなる。・・・そんなことをなにげなく相方に話してると涙まで出てきたことに自分でもびっくりだけど。あー感傷的すぎ・・・。でも怖い。この大量消費社会の行く先を考えると。まー、環境・地球資源の問題は、TVや雑誌でもよく取り上げられる題材だし、はじめて考えるような話でもないんだろうけど、街に出て、大量の服に囲まれて強く感じた。こわい、と。けっこう前にも、「ガイアの夜明け」というTV番組だっけ?100円代のスニーカーを大量に売る企業の特集をやっていたけど・・・100円代で靴を買えば、どうせ100円代なんだから・・・と消費者はそんなに大切に使わないだろう。次から次へ・・・企業同士の一時の競争が将来何を生むのか・・・そう考えると怖い。昔の日本では、着物が破れたり擦れたりしてくれば、他の布でつぎはぎをして着た。それでも使えなくなれば、その着物はつきはぎ用の布にするか、ぞうきんにして使うか・・・そうして布を大事にして使ってきた時代もあったという。こうしたつぎはぎをかわいく美しくみせるために発展したのが「刺し子」(布地に糸で幾何学模様を縫いこむこと)という、作業療法でもときどき使われるアクティビティらしい。まー、そんな時代に・・・とはいわないまでも、気にいったデザインで長持ちするものだけを買いたいと思う。でも安いほうがいいはいんだけど。学生の身分だし。。。・・・そんなわけで、お店を長時間うろうろまわったものの値段・デザイン・質・身体にあうかどうか・・・といろいろ考えると結局ほとんどなにも買えず、帰ってきてしまいました。今年は雪がよくふるので、手持ちのコートじゃ濡れるし寒いし、ダウンが欲しいなぁと思ってたんだけど、まー、とりあえず雪が降れば相方のデカすぎるダウンでも勝手に借りていこう・・・。ちょっとヤなんだけど。雪だるまみたくなっちゃうから。って借りといて文句いうなってかんじですね。はふー。
January 9, 2006
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ずっと放置プレイですいません。掲示板とかも書いてくれてたのに。うう。ごめんなさい。授業、レポート、グループワークと、怒涛のイキオイで過ぎていった2005年、後期の学校生活。今は、やっとちょっと休める冬休み。バイトしたり、ライブにいったり、久々に大学時代の友人に会ったりとなんやかんや楽しく過ごしております。書きたいこと、残しておきたいこともあったはずなんだけど、なんだかなぁ・・・で終わってしまい。「あっという間の後期の学校生活」という一言で片付けてしまったけど、このままじゃ、「あっという間の一日でした。あっという間の一年でした。あっという間の学校生活でした。あっという間の人生でした。おわり。・・・あ、まーそれなりにいい人生でしたよ。」で一生が終わってしまいそうだ。気に入った言葉、印象に残った風景や出来事、強く抱いた感情を言葉として残しておきたいとも思うんだけどそうやって言葉にして残しておかないとただ日々がガラガラと過ぎてしまうのみ、毎日をその場かぎりでやりくりして生きていくだけで、後々に残っていかない、というか。昔々に抱いていたはずの、すべてがどうでもよくなるような絶望感も愛憎の矛盾も、今、時間を経て、そんな凸凹な感情は、平坦なひとつの道に均されてきている。「そういえば、そんなこともあったかな。」 ・・・そうやって時が経つといつしか忘れてしまうあの頃の痛み。その当時に書いた文章がこうして残っていなければ、忘れていることはきっともっと多いでしょう。・・・幸せになると素通りしてしまう、他人の哀しみ。「忙しいから」という言い訳に甘んじて自身の限界を小さくつくり安全な中にとどまろうとしてる。そんな現在の自分・・・これでいいのだろうかと、時々ふと立ち止まってみたりもするけど、現実に流されて、流されるままに、進んでいる。それはそれで良きことだ、とも思う。忘れるから生きていけるんだし、すべてを背負っていこうとすればその前に自分が潰れてしまうから。でもやっぱ忘れちゃいかん・・・忘れたくない、と思う。何を大切に思いどう生きたかったのか・・・どうしてOT(作業療法士)になりたいと思ったのか・・・そんなことさえ雑多な現実の中で見失いそうだったけど。家中の人形やぬいぐるみの心臓と思われる部分に、刃物で穴をあけ続けていた少年のこと。JWを憎み、そのまま亡くなった彼女のこと。 普通の社会生活が送れなくなっている義弟のこと。JWのことなんてもうどうでもよくなってたんだけど、・・・いくらJWの組織が昔ほど体罰を推奨しなくなったとしても、たとえ問題行動が昔より解消されてきたとしても、人の人生を・・・右も左も分からぬ幼き子どもたちの人生を狂わせてきたヤツラの過ちは、簡単に忘れ去ってしまえるようなことではない。風化させたくはない。・・・そんなことを最近また強く思うようになってきたり。って、相方が最近ブログに、自分の過去(JWの過去日記)を書いてるからこんなことを改めて思うんでしょうけど。 もちろん、もし過去に戻れるとして、救えるわけでもなく、自分に何かができるというわけでもないだろう・・・こうやって電波を通してあの宗教に潜む危険性を叫ぶことくらいしかできないけど。・・・残された命、意思、想い・・・もっと大切に生きていかなきゃ、と思う。 今年・・・ここ最近の自分は自身の位置の安泰をはかることばかりに終始し、必要最低限の活動しかしていなかったなぁ・・・と思い・・・反省。来年は、もっと周囲を見渡せるように、限りある時間を有効に生かして活動的に。 って毎年同じようなことを言ってそうなんだけど。まー、とりあえず、この学校を卒業しないことには何もできないしなぁ。。。まず、優先順位は、学業・・・3年間で卒業できるように学業に集中ってとこだけど。その中でも時間をうまく使って他の活動もできるように・・・自身のスキルも上げていけるように・・・精進したいものです。まー、この何に対しても面倒くさがりな自分をもうちっと改善しないとなぁ。と、なんやらつらつらと書きなぐってしまいましたが、・・・今年も、このブログにお付き合いくださりありがとうございました。 あまり、というかほとんど更新されないのに、ちょくちょくチェックしてくださったり、コメントをくださったり、本当に感謝してます。来年もよろしくお願いしますです。それでは、皆様、よいお年を~。
December 31, 2005
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あいやしばらく。久々に私の脳を刺激してくれるものに出会いました。相方が「あづみなら好きだろ」といって紹介してくれたものです。「SEX教団」ザイン教祖はトホホなエロじじい (夕刊フジ)最近「何か物足りない何かが物足りない」 と感じながら漠然と生きていましたが、こういう電波系刺激に飢えていたのかも。巷ではけっこう騒がれている有名な話だったのですね。こんな団体があるとはつゆ知らず。最近はテレビを見る時間もなく、電車の宙吊り広告をぼーっと眺めるくらいでこのような、いわゆる「カルト」情報にはめちゃくちゃ疎くなってしまいました。昔は卒論に関係してたこともあって、こうした情報にはけっこうアンテナ張っていたつもりだったのに。最初はこの記事をみて、「また出たか・・・この煩悩エロじじい・・・」くらいのもんだったんですが、そして千石イエスが主催していた団体「イエスの箱舟」のことを思い出したりして、あの信者たち(シオンの娘だっけ?・・・もうオバサンだろうけど)は今どういう日々を過ごしているのかなぁ・・・なんて思っていたのですが、オフィシャルページをみて、ふむむぅーと。オフィシャルページいや、オフィシャルページの方は、これまたすごい突っ込みどころ満載の電波飛ばしまくりで笑えたり、「イエスの箱舟」より、ずっと社会的に危険な思想をもっているようにも感じるのですが、HP内の、「神文学のいろは」というコンテンツにある「聖と性」と題した文章の一部分にはちょいと同感というか、私も昔からずっと考えてきたことであったりして。「性を卑しむものこそコンプレックスの塊、逆に性にしか興味が無く聖なるものをバカにする者も・・・」のくだりあたりが。そういえば、このブログを立ち上げるとき、同時に「聖」と「性」そして「生」をテーマにしたHPを作ろうと考えていたことを思い出しました。結局HPの立ち上げはしなかったけど、当時準備した下書きがPCに残っていたので、貼り付けてみます。・・・・・「性」と「生」は、密接に相関している。自分自身の存在の本質に関わるもっとも重要な問題だろう。「誰かを愛する」ということにおいても、「性」的な部分を省いては、全てを語ることはできないように思う。エホバの証人のような原理主義傾向の強い宗教の「聖」は、人間の「性」の欲求に蓋をする。「性」に対し、不道徳という言葉で否定的なイメージを植え付ける。抑圧された欲求、そのはけ口はいったいどこに向かうのか。人間のもっとも滑稽で恥ずかしくて公にできない部分。このタブーとされる領域に、踏み込んでみたい。自身の「性」についてのストーリーを語ること、他人の「性」についてのストーリーを聞くことによって、より人間の本質的な部分に近づけるような気もするし、いや、そんな難しいことではない、単に私の自己満足サイトかもしれない。ただ、「性」に問題を抱えていた方々に、私の個人的経験から何かを伝えたい。そして私も誰かの個人的経験から何かを得たい。」・・・・・なんてことを書いていて。まー、今やほとんど更新されないわけのわからんブログと化しておりますが、立ち上げ当初はこんな気持ちもあったんだなぁと・・・。最近はこういうこともあまり深くは考えなくなり、脳内電波も飛ばさなくなり、忙しい毎日の中、ずいぶんまともな生活を送ってるような気もしますがどんどんと腑抜けで馬鹿になっていってるような気も・・・。と、本題からそれました。もちろんザイン帝国・・・彼らの思想に同調してるわけではないです。彼らが売っている商品というものも、「ギャクか?ネタか?」というほどいかんとも素敵なもので・・・本当に信じて買う人がどれほどいるのかは知らないけど、実際にいるからこの集団は成り立ってきたんでしょう。。。その商品のラインナップというのも、「二度と金に困らない! 旨い汁だけ吸って吸って吸いまくる! 他人の金を自分のものにする戦慄の財産強奪専用兵器!!」『財産吸引魔』¥67,200(・・・そんなわけわからんもんに大金出してるから金がないんじゃないの・・・)とか、「KILL! KILL! KILL!!冷酷上等!恐るべき暗殺魔術で欲望達成乱れ撃ち!一撃必殺の「蠍毒」でバイオハザードを惹起し、邪魔者を一掃せよ!」『蠍』¥39,900ですぜ。。なんともオメデタイ。これを買うと暗殺魔術で次々と邪魔者を抹殺できるらしいです。なんかのアニメでも見ているような気分になりますが・・・以前、小中学生の15%以上が「死んだ人は生き返る」と考えているという調査結果が出たらしく、「今の子どもたちは、アニメやゲームの影響で・・・死生観が希薄・・・」なぞとマスコミが騒いでおりましたが、そんな発想をもつのは、なにも「最近の子どもたち」に限らないのかもと。(というか、この調査は調査の仕方や設問方法に問題があり、信憑性に欠けるみたいですね。)まー、混沌とした世の中、いろんな輩がいるもんでございます。
October 22, 2005
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電車の中で携帯を落としました。見つかりませぬ。。。買おうにも金が・・・苦しいです。金を稼ぐためにバイトしてるのにその途中で携帯落として買うようじゃぁ、しんどい思いしてバイトした意味がない。今月はコンタクトも買いたかったのに。うう。うーショック満載。もう少し待ってみるつもりでいるのですが。。。携帯の番号しか伝えていなかった人も多いので、かなり困ってます。迷惑かけまくりです。携帯のメモリーにしか電話番号やメールが入っていない人がほとんどなので、こちらから連絡をとるにも困っています。携帯がなかった頃は、友人・知人の電話番号ってある程度は覚えていたものなのに。今じゃまったく覚えていません。どっかの就職試験で、知人の名前と電話番号を5人書けっていう内容のものがあったらしいのですが・・・・・・これってめっちゃ個人情報やんね。「適当に番号つくって書きゃいいんじゃないの?どーせ調べはしないでしょ。」なんて思っていましたが、それはまぁともかく他人の電話番号5人もかけません。今確実に書けるのは、実家の電話番号と以前働いていた会社の電話番号くらい・・・。相方の携帯番号すら覚えていません。私はそんなアホみたいに携帯を使うほうではないのですが、むしろ充電がきれたまま放置していることが多くよく怒られるのですが、それでもかなり携帯に依存してる生活だったなと実感。携帯がないと不安です。何年か前に変えた携帯をとっておいたことは唯一の救い。これにて一応分かる電話番号もあるのですが、学校やバイト先など連絡をよくとらなきゃいけないような人の番号は入っていないことが多く・・・昔の友人は番号変わっている人たちも多いだろうし。ただでさえ少ない友人がよけい減りそうですわ。あー、うちってなんでこんなに物落としたりなくしたりするんだよぅ。って自己嫌悪。意識しておこうとは思うんだけどねぇ、抜けちゃうんよねぇ。とにかく物の管理ができてないんだよね・・・いい大人になるんだけど。物をなくすこともよくあるんだけど、物が増えてることもよくあるのねん。相方と私の机は向かいあわせになってるんだけど、相方のペンたてからどんどんペンは少なくなり、逆に私のペンたてや机にペンが増えています。うちのせいだ。はっはっはっは。手癖わりぃ~。。。
August 15, 2005
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最近人を見る目が変わってきました。男でも女でも、顔ではなく<筋肉>をじっくり見てしまいがちです。「ああ、あの人かっこいい!」ならず、「ああ、あの人三角筋がきれい!」学業病かも。後期からの授業に向けてバストアップ大作戦を決行しようかと思う今日この頃。後期の授業からはじまる、「体表解剖学」という授業。それは、男女でペアを組み、身体を触りあいながら、骨や筋を感知し互いの身体にその走行をペンで書き込むという授業らしい。端からみると絶対怪しいはず。「なんのプレイやねん」みたいな。水着着用強制なんだけど、女性は何歳であろうと、「三角ひも・ビキニ」強制ですぜ。奥さん。 一瞬学校辞めようかと思っちまったぜ奥さん。OTになろうという夢を一瞬であきらめそうになっちまいましたぜ奥さん。「スクール水着をきてくれ」ってオッサンに頼まれるほうがまだマシかもってんだよ。自慢じゃないけどスクール水着はけっこう似合うと思ふんだなぁ。・・・ゆってて悲しいけど。かろうじて申し訳なさげに○首が隠れるくらいの水着を私に着ろと・・・ああこの情けない貧粗な胸を人前にさらせというのかー。谷間がなくてひっかりりもしないもしペロンってはがれたらどうすんだよどうしてくれんだよこの乙女の純情な気持ちを。まぁ先輩によると口頭試問が大変すぎて忙しすぎて恥ずかしがってる暇などないらしい。めざせCかっぷ。おーーーーーーーーー!とりあえず買いました。ユニクロで特価500円になってた頼りない水着。試着しましたが鏡で自分の姿をみてひどく情けない気持ちになりました。パルコや丸井や高島屋のよなところでは、1万円ちょいぐらいでかわいい水着が売ってますが、そーゆー高いものを買えばちょっとはマシにみえるもんなんでしょうか?そうは思えないので、500円にしておきます。。。ううう。どうせこんな水着、この授業の後は闇に葬り去られ一生着ることはないでせう。・・・ここからは女子限定のはなし・・・昔、とあるお仕事をしてたときに聞いた情報をおひとつ。こういったビキニをきるときなぞは、女の子は下の毛を処理しなきゃぁいけません。シェーバーなぞで剃るのですが、剃った後はチクチクすることがあります、、、よね? そんなときは下の毛にもリンス。らしいです。まぁ、ちったぁやわらかくなってくれる気がしまする。女の子はなにかと大変だ。
August 3, 2005
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暗い話題がつづいたので気分一新!といってもネタがないので、我が相方をネタにして語っちゃいましょう。 相方が仕事でいないうちに・・・っと。うへっへっへっへ。というわけで、今回は、「相方RED君の生態」編をおおくりしていきたいと思います。我が相方RED君は、彼のブログを見てもらえればわかるようにかなりのゲーム好きです。クソゲー・エロゲーなんでもやってるみたいです。最近は「プリンセスメーカー」という、女の子を育成していくゲームをやってました。女の子には私の名前を、育てる主人(養父)には自分の名前をつけてプレイしています。アホです。うまくやれば最後は養父と女の子が結婚できるらしいです。めでたい人です。ちなみに私の名は馬にもつけられています。それは競馬の競争馬を育てるシミュレーションゲーム。名づけることのできる馬は一匹のみではなく、たくさん登場してくるので、RED君は、うちの名前をいろいろと変形させていっぱいつけてるようです。「お、あづみん、はやいはやい!」時々独り言をいって喜んでいます。でも自分の名前がついた馬が一位だと私もけっこううれしかったりします。・・・私の方が喜んでいるかもしれません。 こうして家でひっきーゴロゴロやってるのがRED君は好きらしく、外出はあまり好きではないようですが、買い物などにいっしょに出かけると、それはそれで楽しそうにしています。いろんなところに興味深々らしくキョロキョロしてることが多いです。ですが肝心なところは見ていないので、時々柱やガラスにぶつかります。たまに急に立ち止まります。「お砂・・・クックおすな・・・」・・・どうやら靴に砂がはいったようです。 家に帰り着くと、必ず「ただいマンモスー」といいます。なにかと時代錯誤しています。私が家にいるときは、驚かそうとして、彼なりにそぉーっとはいってきて「わっ!」とやることもあるのですが、・・・ハナからばれています。アパートの階段をバタバタ・チャリンチャリーンとあがってくる外の音からして彼が帰ってきた、とわかるからです。バレバレすぎです。「探偵にはぜったい向いていない」といつも思います。そんなRED君、料理は得意です。レポートなぞを書いていて小腹が減ったとき、「はら減ったはら減った」と叫び続けていると、RED君はおずおずと台所にむかい、「はい、エサ~」となにかしらのものを作ってもってきてくれます。私は腹が減ると、口から出る言葉がすべて「腹減ったぁ~」に変換されて出てしまうのでたぶんうるさいんだと思います。自分でも分かってるんですがやめられません。RED君が作る料理はうまいです。私がごきげんになり静かになったところを見届けて、また彼はゲームの世界に戻ります。一家に一台RED君だと思います。さすれば世界はなにかと平和です。
July 27, 2005
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バイトから帰ってくるとやたらと家の周囲が騒がしい。どうやら裏の公民館で盆踊りが行なわれている様子。てわけで相方といっしょに見物に。うちの近所って、こんなに子どもたちがいたんだとびっくりするほど、小さな広場にいっぱい子どもたち。とうもろこしやらアイスクリームが売られている小さなコーナーもあり、我が相方はとにかくいろんなところに興味深々らしく、小さな広場をあちらこちらと落ち着きなく右往左往。そりゃ一人でこんなところに来たら、あーたはきっと子どもを物色してる「変なおっさん」としてみなされただろうよ。。。うちの帰りを待っててくれてよかった・・・と思う。輪の中で大人たちの真似をしながら踊る小さな子どもたち。一生懸命太鼓を叩いているお父さん。子どもたちの様子を気遣うように見ながらいっしょに踊るお母さんたち。盆踊りなんて気にせずに周囲を走り回って遊んでる男の子たち。そういう光景をみていたら、なんだかいろんな感情を急に思い出して、涙がとまらなくなった。疲れていたせいもあるんだろう。溢れる感情を制御できなくなってしまった。大抵の子どもたちにとって、こういう思い出は大きくなって思い返しても、たいした意味はもたないなんでもないことなのかもしれない。「あー、そういえばそういうこともあったかな」ってくらいの。でも、私には許されなかったこと。だからわだかまりとしてゴロゴロと、消化しきれずに心の奥につっかえているんだろう。普段はそういう光景を目にしても気にならずに、むしろ自分も入っていって楽しもうかってくらいの時もあるくせに、疲れているとこういうちょっとした刺激で過去の思い出スイッチがはいって、次から次へといろんなことを思い出して感情があふれてもうとめられない。・・・お祭りのこと、盆踊りのこと。 私の実家も、今住んでいるとこに似て、夏祭りや盆踊りなどの地域的な活動が活発なところだった。実家の近くにある大きな神社。そこは小学校に通うための通り道になっててなじみの深い場所だった。その神社が舞台になる夏祭りの際は、実家のすぐ横に走っている通りが交通止めになって、神輿が走ったり屋台がぎっしり並んでとても賑やかになる。祭りはなんといっても子どもたちが主役だった。昔から、祭りというもんは地域の親睦を深めるという役割を果しているんだろう。近所にいる小学生の子どもたちはみんな「子ども会」というものに入っていて、祭りの際には笛を吹く役割を与えられたり、踊り子の役割を与えられたりしていた。 ぴーひゃらぴーひゃら・・・夏休み近くになると、子どもたちは学校への集団登校の行きや帰り、よくお祭りのお囃子を笛で練習しながら歩いていた。それは私がすごく疎外感を感じてしまう時期でもあった。 近所の人が私を子ども会に入れるよう、親を説得してるところを見たことがある。「私も子ども会にはいりたい」親にそういったこともある。でも、それは許されぬ相談だった。祭りに参加できない私は、毎年この時期が嫌だった。集団登校で学校に通うのが苦痛だった。自分だけ入っていけない輪。それをまざまざと何度も感じさせられる。ピアノを習ってた私は、簡単な曲ならば聞けばなんとなくどの音なのか検討がついたから、自分でこっそり祭りのお囃子を吹いてみたこともある。母親のいるところで吹くと怒られるから、いない時にこっそり。ほんとはお祭り当日、他の子と同じようにお化粧をしてもらって、着飾ってみなの前で笛を吹きたかった。お祭りの賑わいは、嫌でも聞こえてくる。窓からお祭りの様子がみれる。・・・その中で当たり前のようにして楽しむ他の子どもたちが、とてもとてもうらやましかった。今は祭りにも自由に参加できる。過去のことなんて気にならずに楽しんでる。でも、疲れていたのかな・・・。盆踊りの輪の外から、大人たちとともに踊り笑う小さな子どもたちの様子をみてると急に、あの頃感じていたんだろう孤独感と疎外感に全身が包まれて、浮くような震えるようなかんじがして、涙がはらはら止らなくなった。・・・相方がずっと手を握ってくれてた。 今は自由に生きていて、会社・学校、そういう所属する集団の中でそれなりにうまくやってきているつもりだけど、でもいつもどこかでかやの外にいるような疎外感を感じてしまうのは、きっとあの時代に形成された、集団というものからの疎外とその恐怖ともいうべき感情が離れないためだろうか・・・なんてことを思ったりして、私にはどこにいても誰といても居場所のないような依り場のないような気持ちがずっとあったけど、それを埋めてくれたのは相方で、・・・趣味も性格も私とはめちゃくちゃ違うのに、相方は不思議なくらい私が疎外感というものを感じてなくて済む相手で・・・・・・相方の中に溶けてなくなってしまいたいそんなことを時々思う。死にたいとはもう思わないけど唯一個人として社会集団の中で生きていくってなかなかしんどい。好きな人の胸で溶けてひとつに融合できたら・・・なんて依存心剥き出しのありえないことを考えてみたりもする。はふ。ちょいと精神状態が凹んでるですね。 なんか軽く鬱はいってるのか疲れずぎなのかバイトに行くバスの中でまたまたあの頃の哀しみに身体が浸ってしまって急に涙が出て止らなくなったり・・・記憶ってやつはいつどこで急によみがえってくるかわからんから厄介なやつだ。・・・まぁきっと生理が近いせいもあるような気もするぞ。
July 24, 2005
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このぜんぜん更新されていないブログも2万アクセス突破。いつも見にきてくださってる方々、どうもありがとうございます。これからもたぶんぼちぼち更新しますので、どうぞよろしくお願いします。掲示板等ほったらかしで本当にごめんなさい。メールも出したい方・お返ししたい方はい~っぱいいるのに、なんかいろいろいっぱいいっぱいすぎてぜんぜん出せていません。メール出すときゃみんなに出しまくれるんだけど、これが何らかの忙しさによってメール出さなくなると誰にもとことん出せなくなるのでございますよ。でもいつもいつもおもってます。はい。伝われ気持ちよーーー。で伝わればもっとコミュニケーションは楽だ。はふー。テストが終わったと思えば、実習・レポート・口頭諮問に追われる毎日。♪失敗しない 後悔しない 人生がいいな少し考えてみただけさ 有り得ないって解ってる巧くいかない 日々が繋がって いっそ 止めたくなって それも出来ないどうやらまた 朝に繋がった 遅刻かも 起きなくちゃ♪バンプの歌詞。最近毎日思うこと。いろいろ忙しくてやることが溜まると、器用にやりくりすることだけに執着してしまい自己中にさえなるし生活自体を楽しめていない。といって不器用なので器用にやりくりもできていない。・・・そう感じる今日このごろ。んー、いかんですばい。
July 22, 2005
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ほとんど一睡もできずにレポートを書いてるのにまだ完成できずに揺れる電車の中でも書いている。時々字を間違える。でもレポートの字の間違いは、修正ペンで2文字までは修正可(3文字以上は不可)という決まりがあるので間違えられない。しかもレポートって手書き、つまりPC不可・・・「私たちの時代にはPCなんてなかったわ」っていわれてもさぁ・・・ってかんじやけどとりあえずは従うしかないもんねぇ。。。授業やらグループワークもどきで遅くなって夜9時すぎに家についても、翌日の朝9時までにレポート提出って決まりがあるから、時間がほんとにない。がくんがくんと睡魔がおそってきながらも必死でレポート書いてる姿は満員列車の車内でかなり異様に映ってるかもしれない。んなことをいえば、「実習中の睡眠時間は一週間合計で6時間だったよ・・・」と笑いながら語る先輩の声。先輩より遠いとこにすんでる私はいったいいつ寝れるんやと。もうね、アホかと。バカかと。そんな日は、学校をやめるか学校近くに一人だけ下宿するか(つまり別居)どちらかを選択しなきゃいけない・・・かも、と、弱気になって追い詰められる。遠くから通ってきてるクラスメートたちはどんどん寮や下宿することを決めはじめている。中でももっとも遠いとこから通ってる私は・・・う~ん。相方は、「いっしょに住めるのは、将来できることだけど、学校は今しかいけないんだからつらかったら下宿してもいいんだよ」ってゆってくれるけど、でも、やっぱ、ねぇ。うー。まだ今はがんばれるけど、実習はじまったら考えもんだなぁ・・・・。なんかなにが大事なのかわかんなくなってくる。。。人生ってなんだ。どう生きたいんだ。ふたりの人生。3年間、のはずなんだけど。うーーーーーーーー。まんぼ。
June 19, 2005
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