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連休終わりの5/8、津軽海峡に面した木古内町サラキ岬にはまだ鯉のぼりが泳いでいました。
津軽海峡を行く漁船、どうかご無事で。
サラキ岬沖には幕末に活躍した 咸臨丸
が1871年の暴風雨で沈没し眠っているそうです。
1887年清水市に咸臨丸乗組員殉難碑を建立してくれたのは、なんとあの清水次郎長でした。
それに先立つこと1868年、修理中の咸臨丸を新政府軍艦隊が襲撃し、咸臨丸の船員の遺体を逆賊として放置したときにも(性格悪いぞ薩長)、清水次郎長が小船を出して遺体を収容し埋葬したそうです。新政府軍に収容作業を咎められると、「死者に官軍も賊軍もない」として突っぱねたとか。当時、静岡藩大参事の任にあった旧幕臣の山岡鉄舟がこれに深く感謝し、このことがきっかけで明治になってからも次郎長は山岡・榎本と交流を持つようになりました。
書の達人でもあった山岡鉄舟の揮毫した咸臨丸乗組員の墓が清水市に残っているそうです。
弱気を助け強気をくじく、真の侠客 (きょうかく)
たる侠客が存在した時代があったんですねぇ。
清水次郎長さん、この震災のときにもし居たなら・・・
サラキ岬に咲く野の花の向こうに見えた、今にも雨が降り出しそうな津軽海峡。
1984年にサラキ岬の沖で鉄製の朽ちた錨が発見され、
それが咸臨丸のものだと2006年正式に発表されました。
なんていう花でしょう。シソ科のヒメオドリコソウでしょうか。
松前町から札幌に戻る途中、江差追分で有名な江差町を通過。
「歴史を生かすまちづくり」による江差いにしえ街道にある「旧中村家住宅」。
江戸末期、北前船で賑わった江差に近江商人が建てたものだそうです。
お隣のこの建物、お酒が売ってるのかな~と思って戸口をガラガラッと開けたら、
珈琲の香りかぐわしき「茶房せき川」という素敵な喫茶店でした。
「あらっ、お酒屋さんじゃないんですか、失礼いたしました~」と後ずさりでFade out(笑)
旧中村家住宅横の坂道を下った先に見えた江差の海は、
海と空の境界線が溶けていました。
あ、江差沖にはこりゃまた 開陽丸 が沈んでいます (^ー^;)
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