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駄猫「チコ」の真実1~10話
「チコ」が亡くなってからの1年間は、思い出すのが多少つらくてブログでは触れていなかったが、ようやく「チコ」のことを人に話せるようになってきたので、少しずつ“信じ難い”エピソードの数々を披瀝してみたいと思う。駄猫には違いないが、「チコ」が起こした数々の奇跡というか、笑いというか、ほのぼの日記を楽しんでいただきたい。
(1)チコとの出会い
台風の予兆に町が震えていたある日、ペットショップの前で小さな鳴き声を上げる2匹のネコを兄が見つけたことからチコと我が家の歴史が始まった。
「このまま置き去りにしたら、死んでしまう」
と言いつつ兄が2匹の猫を抱えて帰ってきた。両親は、手のひらに乗るほどの小さなその猫どもを心からかわいいと思い、飼うことを承諾した。
その日から、2匹のやんちゃ、いや、暴力団的テロリストと過ごす日々が始まった。体の小ささを生かして、家具の隙間に潜り込み、ホコリだらけになって出てくる、ゴキブリを追いかけ回す、マムシをくわえて帰ってくる、高級な観葉植物を食い散らす……。
あ、いや、これは言い過ぎた。主犯は、チコの兄か弟に当たる「キコ」という猫だ。「チコ」は「キコ」について回っていただけに過ぎない。
2匹で暴れ回る日々が半年ほど続いたある日、事件が起こった。朝、兄が目を覚まして2階から1階に降り、朝食をとろうとしたところ、居間の畳の上に何かの羽が散乱していた。畳が見えないくらいのひどい状態。ちゃぶ台の下をのぞくと、首から先のない鳩の死骸が。
「おかあちゃん! これ何や!!」
「どうしたん?」
母が台所から居間に走ってきて、こわばった兄の顔に驚く。
「いや! キコやわ!」
そう言うと、頭のない鳩の死骸をむんずとつかみ、裏の勝手口から出て休耕田に投げた。
この話を後で聞き、鳩の頭を食べてしまった「キコ」にも驚いたが、素手で頭のない鳩をつかむ母にも驚いた。
これで話が終わったわけではない。急いで鳩の羽を片付けたが、食欲をなくした兄が朝食をとらずに出勤した後、再び「チコ」が頭のない鳩をくわえて帰ってきたそうだ。「キコ」の勇姿を真似たかったのだろう。もちろん、母にしこたま叱られたのは言うまでもない。
そんな、波乱含みの駄猫との生活のスタートは、その後の15年間を占っていた。そのことに気づいたのは1年とかからなかったが、確信したのは、15年後の昨年である。さまざまな事件の記憶が一つになったとき、運命的とも言える駄猫との生活が肯定できたのだ。
奇跡のような事件の数々の記憶が。
(2)猛猫「キコ」の存在
台風の日にやってきた、駄猫「チコ」には、猛猫「キコ」という兄(弟かもしれない。一緒に生まれた雄猫)がいた。「キコ」は見事な駄猫だった。実家の周辺に縄張りを張っていた、けだもののようにでかくて怖い猫をも(実は、キコとチコ以前に飼っていた猫がこの猫に殺された可能性が高く、年齢も5歳は超えていたと思われる。キコはわずか数ヶ月で巨体を誇る駄猫となり、けだもののようなこの猫を従えるボス的存在になっていた)ひれ伏させるような存在感のある猫であったが、威嚇や喧嘩をすることは一切なかった。なぜなら、そんなことをせずとも、鳩に襲いかかって首を食いちぎり、ガリガリと食ってしまったり、到底登れそうにない高い塀や屋根にやすやすと登り、高みから下々を見下ろしているような猫だったため、野良猫に勝ち目がなかったのだ。正真正銘の「ノラ」である。
「チコ」はそんな兄に憧れたのか、そうすることが得策だと思ったのかは定かではないが、常に「キコ」と同じ行動をとった。
そんな「キコ」と「チコ」に歯向かう野良猫はいなかった。家族にとって、それは、「キコ」が“野生”として、高い能力を持っていたからだと認識していた。
しかし、それだけではなかった。わずか1歳と半年で亡くなってしまった「キコ」がいかにすごい駄猫であったかを、いま改めて認識している。
にわかには信じ難いが、「忠犬ハチ公」張りの出来事が間もなく起こるのだ。猫の本脳や能力として考えるなら、肯定し難いほどの衝撃的な出来事が……。
猫を侮るなかれ、である。
「チコの真実」といっておきながら、前回と今回は「チコ」の兄(弟かもしれない)の「キコ」の話である。「チコ」の人生に多大な影響を与えた「キコ」であるので、少々おつき合いいただきたい。
(3)猛猫「キコ」の頭脳
前回書いたように、「トラ」や「ライオン」にも通じるような激しい野生を感じる猫「キコ」は、頭脳のよさもズバ抜けていた。
トイレは一度で覚えた。時間感覚も素晴らしかった。エサの時間、飼い主の生活ペース、行動パターンをうそのように覚えていて、自分の興味のあることについては、常に先回りしていた。
「キコ」が特に気に入っていたのは、“自動車でのお出かけ”である。母が化粧をしている時点で、玄関に待機し出す。父が車のキーを手に取ったら、玄関のたたきの陰に身を隠す。父が玄関ドアから出たら、すかさず隙間から外に出、車の運転席の下側に潜り込んで身を隠す。父がロックを解除し、ドアを少し開けた瞬間、滑り込むように車内に乗り込んで、助手席に鎮座する。
「もう、また乗ってるやんか。しょうがないなぁ」
と母が言いながら車に乗り込み、「キコ」を持ち上げて座席に座り、キコを膝に乗せる。「キコ」はおとなしくし、じっと前を見ている。
父がエンジンをかけ、車を出すと、「キコ」はひょいとハンドルに飛び乗る。まるで止まり木のようにしてハンドルに器用に乗っかったまま、前方を凝視している。
「これっ、邪魔や、降りなさい」
父が「キコ」の背中を押すと、ダッシュボードの上に移って、なおも前方を凝視している。
ネコは、外に出るのが嫌いなものだ。見たことのない景色を見るのが、最も恐怖するところの
ようだ。「チコ」はそうだった。いつも「キコ」と一緒にいたが、外出のときだけはついてこなかった。
「キコ」のすごいところはそれだけではない。そうして到着したス-パーで両親と私が買い物をしている間、全くいやがることも、動じることも、粗相するころもなくじっと車の中にいた。
買い物が終わって車に戻ると、「キコ」は助手席に行儀よく座って、こちらを見ている。ずっとそうしていたのか、直前に気配を察知してそうしたのかは定かではないが、我々が気づいたときには、きちんと座って外を見ていた。
「お待ちどうさま。さ、帰ろな」
と父が車を出すと、再び止まり木作戦である。ここのところは学習がないが、とがめられても一応の主張はしておきたい、ということなのかもしれない。
父が疎ましがって背中を押すと、ダッシュボードの上で外界の景色を楽しんでいる。対向斜線を走る車は、さぞや驚いたことだろう。ダッシュボードにちょこんと座る猫が見えるのだ。置物にしては大きく、本物とするとおかしな光景だ。猫が車に乗り、しかも外の景色を凝視している……、にわかには信じ難いだろう。
「キコ」は、猫の常識を塗り替える駄猫だった。
家の中に出現したゴキブリは百発百中しとめた。ヤモリもいたぶっては絶命させていた。エサに好みはなく、何でも食べた。食べ過ぎて吐いてしまっても、全部なめて再び胃におさめた。
前回も書いたが、地域の野良猫を統括しているボス(壮絶な縄張り争いの果てなのか、片目で、人間でも怖いような風貌の年増ネコ)が、「キコ」の前ではかわいい声で鳴くのだ。「キコ」はボスを一瞥し、自分の行きたい方向へ行く。するとボスと、それに従っている4~5匹の猫がぞろぞろと「キコ」について歩く。「キコ」にはよほど野生としての力が備わっていたのだろう。しかし「キコ」は、うちでエサを食べ、寝床があり、寂しい思いも切実な食料難も経験していない。それほどまでに野生の血が強い理由はいまだにわからない。
しかし、「キコ」は余りにも強く、頭脳のよい駄猫だった。
……あ、書きたかったエピソードにたどり着かない。致し方なく、次回に。ここから書くには長くなり過ぎるものすごい話なので。
(4)猛猫「キコ」は忠猫だった
片目で巨体を誇るケダモノに近いような地域のボス猫さえも猫なで声を出してすり寄ってくるような、存在感のある猫だった「キコ」は、わずか1歳で亡くなってしまった。その原因は、にわかには信じ難いような物語だった。
父は、2日に1度の出勤で、朝出たら翌日の深夜2時まで仕事をするという勤務体系だった。「キコ」がやってきてしばらくたったとき、父が2日に1度夜中に帰ってくることを覚えた「キコ」は、父が外に借りている駐車場まで父を迎えに行くようになった。父の車が入庫するまで、父の駐車スペースにちょこんと座り、父が入庫すると外に出て車がおさまるまで待つ。車の動きがとまると、父が降りてくる運転席側のドアの前で待ち遠しそうに待っている。
「迎えに来てくれたんか」
父が声をかけると
「ニャワァー」
とかわいい鳴き声を上げる。
父が家に向かって歩き出すと、同じペースで「キコ」も歩き出し、連れ立って家に戻ってくる。
パジャマに着替えた父は、自分の酒肴と「キコ」の分を用意してちゃぶ台の前に座る。「キコ」も父の横に座って父の顔を見上げている。ふと気づくと、なぜか「チコ」も部屋に入ってきている。
「お、これ食べぇ」
父が「キコ」のエサの皿を「キコ」の前に置くと、
「ニャワァァ」
と礼を言ってから皿の中のエサの匂いをかぎ出す。
「チコ」は黙って見ているだけである。
「チコ、お前もこれ食べぇ」
そう言って父が「チコ」の皿にエサを入れてやると
「ニァァァ」
「キコ」より一段高い声を上げて礼を言う。
こうして、ようやく「チコ」もエサにありつく。
そんな日々を数ヶ月過ごしたある日、それは、父が定年退職した翌日であった。本来なら、出勤の日だったが、出勤する必要のない父は朝から家にいた。暇な父は、「キコ」や「チコ」と存分に遊んだ。
その夜、「キコ」はいつものように駐車場に向かった。昼間、父と遊んだことなど忘れて、2日に1度の習慣が彼の行動を支配していた。
随分待ったに違いない。必ず父と連れ立って家に帰ってきていた。その記憶しかないのだ。
しかし父は帰ってこない。待ちくたびれたのか、帰ってこない父を心配したのか、駐車場の外の
大きな道路に出てしまった。父の車を探したのかもしれない。もしかしたら、父の車に似た車が来たのか、道路の向こうの我が家に急いだのか、何かが起こって「キコ」は道路に出た。そして、駐車場入り口の道路上で車にはねられた。
結論は“バカ”だったのだ。さっきまで遊んでいた父が外から帰ってくるはずがない、とわからなかった「キコ」は所詮駄猫だったのだ。
しかし、「キコ」の死の知らせを聞いたとき、私は涙がとまらなかった。台風の日に飼い主に捨てられ、我が家でスクスク育ちながら、わずか1年ほどの短い命だった「キコ」は、一体何のために生まれてきたというのだろう。
それが、猛猫「キコ」の生涯だった。
(5)兄の死に「チコ」は…
兄の後ろをついて歩き、兄の行動を真似ることで自分の存在を肯定していた感のあった「チコ」にとって、「キコ」の死は余りにも唐突で、生まれて初めての衝撃的な出来事だったに違いない。
ある日突然、よりどころとしていた存在が消滅してしまったのだ。“死んだ”ということさえ認識してはいなかったはずである。もしかしたら、ほかにもいたであろう兄弟のように、ある日突然引き離された、という認識を持ったかもしれない。
「チコ」はしばらく遠くを見詰める毎日を送っていた。どこからか聞こえてくる兄の声や気配を感じ取りたいと願っていたのかもしれない。窓やドアの外に神経を配りながら、どこともない空間を見詰めて、部屋の片隅にちょこんと座っていた。
「チコ」が、“兄はもう帰ってこない”と覚悟したのは、定年を迎えた父が、「都会に住んでいる意味はない」と、これまた意味のない理由で、故郷でもない田舎に引っ越すと言い出し、新たな居住地に移ると決めたときだった。
家に出入りする不動産屋や運送業者に対して、異様な匂いをかぎとった「チコ」は、不安と不服に満ちた表情をしていた。
しかし、「チコ」は沈黙を通した。兄の不在が彼女を寡黙にしたのかもしれなかった。
「兄の所在を知っているのはこの家(や)の人々なので、騒いで事を複雑にしてはいけない」
と思ったのか、
「騒いでは、この家の人々に兄のように葬られる」
と察知したのか、いずれにしても、おかしなほど静かな時間を過ごしていた。父も母も、「チコ」の大人しさは「キコ」の死のショックによるものと確信していた。
私は、わずかにそのことに疑問を持っていた。「キコ」の猛猫ぶりに隠れていたが、「チコ」の
駄猫ぶりは半端ではないと実感していたからだ。
そしてその疑問は、早晩確信へと変化することになる。意味なく田舎に移住すると、両親が決めたときから。
ほどなく、「チコ」の「駄猫」ぶりが炸裂する。驚くほどのパワーをもって。
(6)「チコ」の逃走
駄猫「チコ」が我が家にやってきて、1年ほどが経過したある寒い日、父親と母親は都会からド田舎へと引っ越すことになった。私を含めた兄弟は全員独立していたので、老夫婦と駄猫「チコ」だけの新たな生活が始まるということだ。
その日、「チコ」は朝から何かに怯えていた。
次々と荷物が運び出され、どんどん家の中の景色が変わっていくことに対してか、それとも、そこにいる人間のすべてが自分に一切気遣ってくれることなく忙しそうにしていることに対してか、はたまた、人間の言葉を理解して、その日限りで棲みなれた家を離れるという事実を知ったことに対してか、いかなる理由かはわからないが、怯えた目で周囲を見回し、少しの物音にもビクリとする
臆病な「チコ」がいた。
果たして、荷物を積んだトラックを送り出した後、両親と兄、私と一緒にキャリーバッグに入れられた「チコ」は自家用車に乗り込んだ。この時点から新居に到着するまでの3時間余り、人間4人は「チコ」の恐ろしさを体感することになる。
「ワァォォォォー、ワァォォゥゥー」
とものすごい鳴き声を絶えず上げる。皆が反対するのを押し切って、兄がキャリーバッグを開けて「チコ」を抱こうとした。すると「チコ」は脱兎のように兄の手をすり抜け、シートの下に潜り込んでしまった。キャリーバッグの中と違い、オシッコ対策をしていない車のフロアゆえ、粗相をしないかと心配しながらも、「チコ」を引きずり出すことができず、そのままにすることにした。キャリーバッグから出したかいもなく、「チコ」のものすごい鳴き声がやむことは、片時もなかった。
私は後悔した。「キコ」が健在の間に「チコ」を車に同乗させ、「キコ」の勇姿を見せておけば、これほど怖がることはなかったのではないか、それなりに見栄を張ろうとしたのではないかと思い至った。
その鳴き声に滅入りながらもようやく新居に到着し、外に出るべく開けられたドアから、「チコ」が逃走した。何とも素早い反応だった。人間4人は皆、「チコ」が外に出るような勇気はないと思っていた。しかし、人間より早く「チコ」が外に出た。そして、逃走先が皆目わからなくなった。少し探してはみたが、ほどなくして到着したトラックから荷物を下ろしたり、整理したりする必要があったため、一旦「チコ」のことをうっちゃることになった。ただし、「チコー、チコー」と周辺を探し歩く兄を除いて。
ようやく荷物を運び入れ、ある程度整理できたときには日没近くになっていた。いよいよ「チコ」を探さねば、エサのこともあるし、戸締まりのこともある。荷物を放って「チコ」を探していた兄に「どこにいそう?」と聞いても、「わからん」の一言。ふと新居の隣の敷地に置いてある材木と、それにかけられた青いビニールシートが気になった。
「ここは?」私が聞くと「呼んだけど、反応はなかった」
と兄。反応するわけがない。逃走したのだから。私はビニールシートをはがし、材木を少し動かしてみた。奥の方にキラキラ光る二つの何かがある。「チコ」の目だ。材木を動かして手が突っ込めるほどの隙間を開け、右手を奥に差し込んだ。首根っこをむんずとつかみ、思いっきり引き上げる。「ワォォォォーウ」と、怯えた鳴き声を上げたが、首根っこをつかまれて力が入らなくなった体は抗うこともできず、棒のようになっていた。そのまま家に入り、床の上に放した。すると「チコ」は尻を下げた無様な姿で家の中にすごすごと入っていった。「ワゴー、ワゴー」という異様な鳴き声とともに。
ほどなく日没となり、外の景色が全く見えなくなると、「チコ」は冷静を取り戻して家の中を歩き回った。環境が変わることに、この上ない恐怖を感じたのだろう。多分、それが猫の習性なのだろうと思う。しかし、兄の「キコ」は外に出ることをいとわなかった。「キコ」と「チコ」の違いは何なのだろうか。「キコ」は、おそらく進化した猫なのだろう。頭脳や行動は、猫というより犬
だった。「チコ」は飽くまでも「猫」、しかも「駄猫」なのだ。
それは、翌朝証明された。夜が明け、外の景色が見えた途端、例の「ウァォォォォゥー」の鳴き声とともに、尻を下げ、腰が抜けたような無様な格好で歩き回る駄猫ぶりを披露し、人間たちの顰蹙を買った。
先行きが思いやられるような新生活の幕開けの朝だった。
(7)贅沢な毎日
チコは大変贅沢な猫である。自分の好きなものしか絶対に食べない。しかも、「マイブーム」があって、最初に気に入ったのが「マグロの赤身」だ。トンボマグロやビンナガマグロといったレベルの低い魚は食べない。本マグロのみ所望する。
朝4時になると、漁業の町だけあって、町じゅうにけたたましいサイレンが鳴る。これを合図にチコが父や母を襲撃する。襲撃された人間は、眠い目をこすりながらまずは、雨戸を開け、窓をすかしてやる。「チコ」は散歩に出かける。戻ってくるまでに食事の準備をしておかないと、ご機嫌斜めになり、いやな声で鳴く。まるで「いい加減にしてよ。食事を用意しておくのはあなたの務めでしょう」と言っているような表情で。
「マグロの赤身」は生で食べたが、その次の「マイブーム」・「ウルメイワシ」、その次の「ハゲ(カワハギ)」は火を通さないと食べない。「ハゲ」は、「ハゲ」だけ食べた。「ウマヅラハゲ」には決して口をつけなかった。しかも、小さな骨の1本まできれいに取ってやらないといけない。1本でも残っていると、後でゲロする。
「カツオ節」が「マイブーム」になったときは楽だったが、「A-COOP(漁協)」で売っているものしか食べないので、調達が面倒だった。
生涯を通して好きだったのは、「カニ」だ。タラバでもズワイでもいい。少しカニの身の入ったカニカマボコもよく食べた。
「マイブーム」になる餌の共通点は“高価”であるということと、“手に入りにくい”ということ。
スーパーで見つけたら、大量に買い込んで冷凍しておかなければ、大変な自体を招く。
「マイブーム」の食べ物を用意せず、キャットフードや人間の食べ物をやったりしても絶対に食べない。とても贅沢な猫なのである。
あるとき、餌の皿に何度餌を入れてやっても食べないし、長く置くと腐ってしまうので、乾燥タイプのキャットフードだけを残して、餌の皿を父が引き上げてしまった。
「食べたないんやったら食べんでええ」
そう言う父は「チコ」の真実を知らなかった。
1週間以上、水だけの生活を送った「チコ」は痩せ細り、歩くときにフラつくようになった。
鳴き声も上げないことを心配した父は、犬猫病院へ「チコ」を連れていった。
医者が下した診断は「栄養失調」。
40分間もの間、栄養剤の入った点滴を受けさせるハメになり、治療費に9,000円もかかった。
「何日分の餌が買えるのか……」
父は激しく後悔した。
かくして「チコ」は、「マイブーム」の餌をGETし、以後も人間が逆らうことはなかった。
ハンガーストライキ……しかも、命にかかわるほど食べないなんて……。
筋金入りの美食家、それが「チコ」の真実である。
(8)言葉を理解する? 駄猫
「チコ」はわがままな毎日を謳歌していた。食べたいものを食べたいだけ食べ(といっても、
スタイルを気にする女の子だけに、常にスリムで、小顔で、毛艶がよくて、の状態を生涯続けた)、人間の迷惑を顧みず、毎日の日課を自分のペースでこなし、寒い日は日だまりでウトウト、暑い日はエアコンの下でのんびりする日々を送った。
あるとき、実家に帰った私に両親は「チコ」と声を出して言うことがなかった。常に「アレ」と言っている。「アレ」=「チコ」と理解できていても、何か違和感を感じて聞いた。
「“チコ”って言うと都合が悪いの?」
「しっ!」
父親に叱咤された。
話を聞くと、「チコ」や「ネコ」と口にするだけで「チコ」は聞き耳を立て、よからぬ話題と察知するや襲撃してくるらしい。例えば、「チコはほんまに贅沢でわがままや」などと言おうものなら、背後から飛びかかってくるらしい。「チコ」がだめだと気づいた両親は「ネコ」と呼ぶことにした。しばらくは自分のことと思わず、「チコ」は悠然としていたらしい。
しかし、あることで『ネコ」=「自分」と気づいた。そのあることとは、「ネコはカニが好きやな~」という母親の一言である。「チコ」は、「カニ」が無二の大好物である。それを話題に出したら、チコが反応しないわけはない。
「ネコ」が話題に出るたびに耳をそば立て、いやな話題だと襲いかかってくるという。
と、聞いてもにわかには信じ難い。猫に、それほどの理解力があるとは思えない私は、試してみることにした。「ネコ」も、それに続く話題も、できるだけ明るい発音で、にこやかに話すことに努めてこう言った。
「ネコは好き嫌いも多いしわがままやね」
笑顔で。すると、私の傍らにあったドアの隙間からチコの手が飛び出した。チョイチョイと上下する。しかし、「チコ」の体と顔は見えない。手だけである。極めて臆病な「チコ」は、体を隠しながら、相手に攻撃をしようとしているのだ。
その手が何ともかわいい。次に、そっと顔を出してこちらを
見る。
「なんやんねん」
と言うと、また体と顔を隠して手を出してチョイチョイ。かわいい。
でもそれは、私と「チコ」が余り面識がなく、たまに会うだけの間柄だからであって、密着すればするほど、危険な襲撃になるそうだ。
そのことは、間もなく起こる出来事で痛いほど知ることになる。そのとき同時に、チコの賢さも体感することになる。駄猫の本領は、賢猫よりも驚異を感じるほど本能的な賢明さを包含したものと言えた。
(9)「アゴで人間を…」の駄猫
実家に戻ったとき、「チコ」の生態を垣間みて驚くことがよくあった。その一つが、駄猫である「チコ」が人間にさまざまな指示をすることである。
夏の朝、父親と一緒にビールを飲みながらテレビを見ていると、
「ワォォォ~ン」
と、何かを訴えるような鳴き声が聞こえてきた。振り向くと、「チコ」がよどんだ瞳で父を見ている。
「お、どうした」
父が声をかけると、「チコ」はゆっくりエアコンを見上げた。
「わかった、わかった」
父はエアコンの電源を入れた。「チコ」はタンスに飛び乗り、エアコンの緩やかな冷風にあたりながら、“よしよし”といった満足の表情で目を閉じた。
冬のある日、父親とビールを飲みながらテレビを見ていると、
「ワォォォ~ン」
と何かを訴えるような鳴き声が聞こえてきた。振り返ると「チコ」がいて、頭を下げながら父親を見ている。
「よっしゃ」
父親はコタツの電源を入れた。チコが阿吽の呼吸でコタツに入った。ありがたい。私はすかさず足を入れた。いつもは電源が切られている。
「寒いなぁ」
と言っても、
「チコが(コタツの中に)おるから辛抱してくれ」
昔は、コタチの中に猫がいるのは当たり前だった。もちろん、人間があったまる傍らで。しかし我が家は違った。コタツの中に「チコのベッド」(私が通販で買ってあげたもの。丸いウレタンのベッドにボアがついていた)が入れてあり、その下に小さなホットカーベットが敷いてある。通常は、ホットカーペットの電源だけ入っている。つまり、コタツは人間用ではなく、「チコ」用なのだ。ホットカーペットでは賄えないほど寒いときだけ、「チコ」の要望で電源が入れられるのだ。このときは「チコ」の要望でコタツの電源が入れられた。だれにはばかることなくあったまれる。
ビールを飲みながら父親とダベッていると、
「ウワォォォー」
と大きな鳴き声を上げながら「チコ」がコタツから飛び出してきた。
「すまん、すまん」
父親が慌ててコタツの電源を切る。あったまっていた私は驚いて聞いた。
「え、もう切るの?」
「コイツは5分だけでええんや。それ以上つけてると暑い言うて出てきて怒りよるねん。5分たったら消してやるねんけど、きょうはお前としゃべってて、忘れてた」
ものすごい「チコの法則」があることを知った。
大晦日に実家に戻った私に食べさせようと、夕刻前に父親がカニをさばいていた。出刃包丁でカニの足に切れ目を入れている父親の斜め後ろにちょこんと座ってそれを眺める「チコ」がいた。カニは「チコ」の大好物である。匂いにつられて出てきたのだと思った。
いよいよ夜になり、カニちり鍋をコンロにかけ、父親とビールを飲んでいた。ふと気づいて聞いた。
「チコは? カニをあげなあかんな」
「コタツの中にもおらんな。散歩に行っとるんやろ」
「そう。なら、心置きなく食べられるな。1本だけよけとくわ」
鍋ができた。蓋を開けると、カニの香りがあたりに漂った。何かの気配に気づき、ふと傍らに目を落とすと、「チコ」がちょこんと座っていた。わかっていたのだ。父親がカニをさばいているときから、夕飯はカニ鍋とわかっていて、人間の気配から夕飯どきを察知したのだ。
もちろん、チコの分が最初でなければならない。
チコの皿にタラバガニの大きな足の身をゴソッと取って入れてやる。湯気が出るような熱いカニの身を躊躇せず食べ始めた。
「熱くないんやろうか」
「カニだけは別みたいやな。ほかのは、皿にあるのを確認してどっかに行ってしまうのに、カニはすぐに食べる」
食べ物に執着しない「チコ」独特のポーズ(カッコつけ)を解除してしまうほど、カニが好きなのだ。間違っても、最初のカニを人間が食べてはいけない。食べている人間の膝に飛び乗って、
「ウワォォォー、ウワォォォー」
と、カニを食べさせるまで鳴き続ける。
「それを食べるのは、アンタではない! ワタシよ!」と言っているのである。
結局その日、「チコ」はタラバガニの大きな足を2本半食べた。ものすごい食欲である。
もしかして「チコ」は、人間の生まれ変わりで、自分が猫であることを認識しないでいるのではないかと思った。
ま、父親とビールを飲んでテレビを見るばかりの私もなんだが、人間をアゴで使う猫というのも凄まじい存在だと、改めて思い出している。
(10)夏の暑さに
夏の暑い日、実家に帰った私は、ドアを開けるやいなや
「ニィヤォゥオー」
とかわいい声を発しながら私の足にまとわりつくチコに愛らしさを感じた。ふと、視線を落とすと、チコの様子がおかしい。背骨に沿って、体毛がない。いわば、逆モヒカン状態になっている。意味がわからず声をかけた。
「チコ。どうしたん」
呼びかけると、チコが私の顔を見上げた。
「ニィヤォゥオー」
またしてもかわいい声を発しながら。私は驚愕した。チコの顔がおかしい。ま、眉毛がある! しかも、赤い眉が! 目の上に優雅に弧を描く赤い眉のある瞳は、とても妖艶で人間的だった。
しかし、よく見ると、マジックで書かれたものだとすぐわかった。父に言った。
「これ、どうしたん? 背中の毛と、眉毛」
「暑いから、夏バテせえへんように背中の毛を刈ってやったんや」
「眉毛は?」
「頭の毛を刈ったら、ぶさいくになったから、眉毛を足したったんや」
意味がわからない。赤い眉毛がある方がぶさいくな気がするが。
しかし、「チコ」は極めて満足そうな表情で家の中を動き回っている。後頭部から尻尾にかけての体毛は、猫にとっては体温保持に大きな役割を果たしているのだろう。電動バリカンですいただけで、暑い夏を快適に過ごせるというのなら、猫を飼っている人にこのことを知ってもらって、無駄な冷房費を使わないようにしてもらいたいと思う。
容姿を第一に考える「チコ」にとって、変な眉毛を描かれることは不本意だろうが、「ブサイクだ」と指摘する人もいないのだから、眉毛の意味もわかりはしまい。
夏に弱い猫を飼っている御仁へのアドバイス。頭から尻尾にかけて、背骨に沿って体毛を剃ってください。(特に大阪の)暑い夏を過ごす秘策です。
もちろん、動物愛護団体から「動物虐待」と騒がれない程度に抑えていただくことを望みます。
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