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【夫婦】「夫婦とは冷たからず温からず熱すぎからずのフゥーフゥー言いながら飲むお湯の熱さ加減、距離加減が好ましい・・・」と昔、結婚式のセレモニーか何かで聞いたことがある。結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれるかと、世の事に心を遣い、心が二つに分かれてしまいます。独身の女や未婚の女は、体も霊も聖なる者になろうとして、主のことに心を遣いますが、結婚している女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世の事に心を遣います。このようにわたしが言うのは、あなたがたのためを思ってのことで、決してあなたがたを束縛するためではなく、品位のある生活をさせて、ひたすら主に仕えさせるためなのです。(コリントの使徒への手紙一 7:33-35) エーメン クリスマスコンサート予約始まる 「ベテスダ・柏」はに参加しています
2003年11月28日
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【ブスブス ドブス】夫婦って不思議だなぁー優しく思い合いながら、時には互いに一番相手の辛い部分を傷つけ合う、愛して一緒になったのに、弁明を夫婦の仲に求めて別れる・・・モトイ妻が電話をしている。母国語で話しをしている。「ニーハオ、シェイシェイ、ブスブス ドブス」(ブスブスは、「違う違う」の意味のようで、決して醜女(しこめ)と言う意味ではありません。)日本人で勉強不足の私には何を話しているのやら、サッパリ分からないところがある。だが、それがまた魅惑(みわく)の至福(しふく)の時だったりもする。最近、そんな妻の電話の向こうが時折見える。「お母さん」、「トーチータンの妹」、「太った方のお兄さん」でしょう・・・???そんな感じで当たることが増えてきた。当たる確立も高くなるにつれて、何だか夫婦をやっているなぉ~~~以心伝心かな???などと思い始める此の頃である。割れ鍋に綴じ蓋(われなべにとじぶた)の腐れ縁かも???と思うこともあるが、やはり好ましくない相手ではないのだと思っている。神様の存在感が家庭を一つに束ねつつある。昔は身勝手な志向に夫々が振り回されていた家庭だったが、今少しずつ軌道修正されているのかもしれない・・・・・タダタダこれからの未来の祝福を主に願って エーメン言っておくが、不法な結婚でもないのに妻を離縁して、他の女を妻にする者は、姦通の罪を犯すことになる。」弟子たちは、「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです」と言った。イエスは言われた。「だれもがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである。結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。」(マタイによる福音書 19:9-12)エーメン【ベテスダの家】入り口クリスマスコンサート予約始まる 「ベテスダ・柏」はに参加しています
2003年11月27日
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「わが子よ。あなたの父の訓戒に聞き従え。あなたの母の教えを捨ててはならない。」(箴言1:8)
2003年11月26日
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【刺客(しきゃく)】子連れ狼の拝一刀(おがみいっとう)では無いが・・・私が今日(11/23)夕寝をしていると刺客がやって来た。「お父さんを起して来なさい」と妻に頼まれた長男が二階に上がってくる。「パパ、パパ、起きて、大きいお風呂に行くよ・・・」私(パパ)はそんな四歳の長男をチョチョイと倒して布団に入れる。すると長男は「パパ起きないよ」とママに言い付けに下のキッチンへと下りて行った。暫らくして又、長男はママに頼まれる「パパを起して来てね」と次女と先を争い二階に来る息子・・・懲りずに来る息子を待ち構えて驚かそうと、私はその声を聞き慌てて(あわてて)布団を出て押入れへと隠れに入った。「 が !!! 」イテテテテテテテテテ 足足足が・・・慌てて立ち上がり狭い押入れにと入ったとたんに足を攣って(つって)押入れの戸がドスン・バタン・ゴトンと外れた。その戸の向こうでは小さい息子が外れた引き戸を手で支えながら、「パパ何をやっているの」と言わんばかりの不思議そうな冷ややかな目線で私を見上げていた。私??? 私は攣った右足を押さえてイタタタタと動けずに放心状態、フリーズしていた。押入れの中からは、そんな息子に手を取られて出てくる有様。何だか孫にでも労わられるお爺ちゃんみたいで、老後をイメージする一時でもあった。惨めなパパ(私)と子供達の優しさにタダタダハレルヤ・エーメン【ベテスダの家】入り口クリスマスコンサート予約始まる 「ベテスダ・柏」はに参加しています
2003年11月24日
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【冬の夜空】夏には見えなかった星星が、この時期にはよく見える。(2003.11.23.)夜に妻を迎えにお店まで行き、自宅に着き、車から下りると、妻は最近必ず夜空を仰いで一呼吸おいてからこう呟く(つぶやく)「この星はきっとクリスチャンの魂ね、より神様に尽くした人達が一番明るく輝いているのネ・・・」「磨かれた霊の輝きよね・・・」と、私は、何を今更、乙女チックにメルヘンを・・・と思いつつも、ついつい「ソウだね~~~」と甘い言葉で頷いて(うなづいて)いる。そんな妻への罪悪感か??? 今日は夜の訪れにそんなことを思い出して路肩に車を止め窓から首を出しては夜空をボーと眺めていた。するとカーラジオからかこんな言葉が耳に届いた。自ら光を放つ星星は二百ガイ以上有ると言う、「2,000億以上だよ~~~」とラジオの中で驚く声が聞こえてきた。日本のクリスチャン人口1パーセンに満たない中で(プロテスタントの他にカトリックその他エトセトラ混ぜての割合で。)もしこの星に願よ、ならぬ星がクリスチャンなら日本人は何人が自ら発光しているのだろうか!!!何人が遠くの光に回答しているのだろうか???主のリバイバルよ 来りませ・・・そんな祈りが今日の終わりにあった。エーメン【ベテスダの家】入り口クリスマスコンサート予約始まる 「ベテスダ・柏」はに参加しています
2003年11月23日
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【聖霊の風】人は緑の湖面に落ちた一枚の木の葉のようだ。水面(すいめん)に浮遊し水を求める根の張る場所を求め彷徨(さまよい)泳ぐ主は水面(みなも)に聖霊の風を齎し(もたらし)木の葉を運ぶ喜びの泡が波紋を作り波紋は水の底から木の葉を支える沈んで朽ちて(しずんでくちて)消えないようにと木の葉は聖霊の風に導かれ行き先を知る根を張り芽吹き命の呼吸をする木は神のオアシスから水を汲み神の水へと帰る時を待つ・・・エーメン【ベテスダの家】入り口―――――――――――――――――――――――――――今日は(11/21)暖かく南風が吹いているクリスマスコンサート予約始まる 「ベテスダ・柏」はに参加しています
2003年11月22日
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【フェイス[形相]】おはようの朝を迎えた。(2003.11.19.)又、今日も子供達を夫々の学校へと送り届ける。真っ先に車に乗り込んだ長女は何時ものように次女を待っては「遅れる」「遅れる」とソワソワして足も止まらずに休まる事も無くブルブルと気忙しく動いている。次女の方はといえば、今日は目覚め起きがけからすぐに鼻血を出してグズグズとしている。次女が「鼻血が出たの」とティシュを鼻に詰めて車に乗り込んできて、それでは出発進行長女は次女に優しく「大丈夫」と声を掛けるものの形相(ぎょうそう)が変わってきている。「遅れる」「遅れる」と落ち着きが無く気持ちの中ではバタバタと走っているのが見て取れる。朝食の蒸しパンと果物を今日は車中で頬張って(ほおばって)いる。長女を真っ先に中学校の側で下ろすと、車の前には何だかチョット知能障碍(さのうしょうがい)でも有りそうなおじさんが立っていた。「不味い(まずい)かな???」 と思いつつもそこに車を止めると、おじさんは「何故後ろで止まったのかと」言わんばかりに露骨に後ろを振り返っては、私の車を気にして覗き込んでいた。(見返り美人ならぬ、見返りおじさんかな???)長女は、車を下りるや否や(おりるやいなや)そのおじさんの居る方向目指して走っていく、形相ケワシク・・・そこには中学校があるからなのだが、おじさんはその時迫り来る形相を見てか??? 逃げ出した。娘の足の方が速く追いついて、追い越したり追い越されたりしている。まるで一位を争うようにダッシュして爆走して縺れる二人が走って行った。私は娘の顔を想像して思わず吹き出してしまった。きっとその時あのおじさんは娘の必死の形相を見てヨッポド怖かったに違いないと思う・・・娘が中学校の校門を入ってからも、外の通りではおじさんがビクビクしながらチョクチョク後ろを気に掛けて振り返って歩いていた。可哀そうに・・・御言葉を聞くだけで行わない者がいれば、その人は生まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。(ヤコブの手紙 1:23)エーメン【ベテスダの家】入り口クリスマスコンサート予約始まる 「ベテスダ・柏」はに参加しています
2003年11月20日
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【なめらかな唇】昨日(11/16)、教会での礼拝を終え、学びを終えして帰る途中、もう夜の戸張(よのとばり)に包まれていた。夕食を済ませると、子供達は何時しか疲れ果てて車の中で寝息を立てて動かなくなっている。夜のロマッチックな景色にも関わらずに、私は妻にこんな話しを問い掛けていた。「俺、クリスチャンに生ってから(なってから)言葉がモツレルようになって、出なくなったような気がしている。数年前にセールスでお客さん周りをしていた時には、あんなに有ること無いことペラペラと相手に合わせて話せていたのに・・・」と。助手席に座る妻は一言だけこう言った。「貴方がウソを付けなくなっただけよ・・・」と・・・その一言は効いた・・・大外狩りでブン投げられて、大の字に畳に叩き付けられたような、イテテテテテとタダタダ伏してエーメンの一言に尽きる思いがした。墓穴(ぼけつ)を掘ったか・・・ドボン・ブクブク !!!「命を愛し、幸せな日々を過ごしたい人は、舌を制して、悪を言わず、唇を閉じて、偽りを語らず、 悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って、これを追い求めよ。 主の目は正しい者に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。主の顔は悪事を働く者に対して向けられる。」 もし、善いことに熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。しかし、義のために苦しみを受けるのであれば、幸いです。人々を恐れたり、心を乱したりしてはいけません。心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。そうすれば、キリストに結ばれたあなたがたの善い生活をののしる者たちは、悪口を言ったことで恥じ入るようになるのです。 (ペテロの手紙一 3:10-16)エーメン「ベテスダ・柏」はに参加しています【ベテスダの家】入り口 クリスマスコンサート予約始まる
2003年11月19日
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【質と形】何時ものように缶コーヒーを自動販売機で買って車を運転していた。でも何故か手元の缶コーヒーの感覚が何時もと誓うのに気が付いて、改めて缶コーヒーに目を向けた。なるほど・・・この缶コーヒーには缶の淵に溝が入っている。握りやすく、滑りにくくて、安定して持ち心地が良い。フラットなら熱を指の一点が感じて熱いのに対して、これだと触れる面積が広くて瞬時に熱さを感じさせない。メーカーの心遣い(こころづかい)だなぁ~~~~~と感心した。「なんとなくそのスリムなボディーラインに憧れを抱いてその缶コーヒーのボタンに指が止まった。」のだったが、思いがけない発見(気づき)があった。ある身近な機械デサイナーが、こんなことを言っていたのを思い出す。「質の良いものは形も良い、形の良いものは質も悪く無い」彼いわく、「良いものは互いに引き合いより良いものが形成される。」と言うのが持論(じろん)らしい今日(11/12)は何故か「質と形」について考えさせられることが多い。朝起きてテレビのスイッチを押すと(「押すと」だ「ひねると」だと年齢がバレル。)ニュースで「世界の中心で愛をさけぶ」と言う本の話しをしていた。私はまだ読んではいないが、「1, 000万部を突破した本『世界の中心で愛をさけぶ』。」と、紹介されていて、初めは「×××ソクラテス」と言う題名だったのだと言う。その名前があまりにも哲学書のようで硬すぎるので、名前と表紙を名前のイメージに変えることで、又、人気女優のコメントを見開きにつけることで売れ足が伸びたと話していた。(これはフィールドを題名とデザインを変えることで広くして刈り取りも増やしたよい事例かもしれない・・・)その後に目に入った風景は、浄水器の水を汲む人盛りだった。「如何にも(いかにも)浄水器」という感じのゴッツイ機械が店先に置かれていた。その前に列をなして雨上がりの冷たい青空の下で人が並んでいた。(私は「コンパクトでも良いものはあるのに!!!」と思った。)若い店員さんのお話しを聞きながら皆、一列になって水を汲んで行く。「人は食事を目でも味わう、」と言われているようだが、商品にしても、それは同じことが言えるのかもしれないと思わされる風景であった。時代の中で昔は中身が空でも大きいものが売れた、ウォークマン世代から次第にコンパクト化商品が売れ出して、今又、もどろうとしている部分がある。人は形に囚われるのか???質に囚われるのか???は分からないが、人が自らの五感や六感を用いて神の下さるインパクトをプラス思考で感じ取れれば、狭き門も広く進むことができるように思う。「ハレルヤ」の喜びの声が、心に平和と平安の光を齎し(もたらし)満たすように・・・ハレルヤ・ハレルヤ・ハレルヤ・エーメン・・・「ベテスダ・柏」はに参加しています【ベテスダの家】入り口 クリスマスコンサート予約始まる
2003年11月18日
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貴方は見て見ぬ振りをした方が良いと思いますか???律法学者のように突っ突き回すだけ突っ突きまわして息絶え絶えを確認して立ち去った方がよいですか???貴方は救えますか???エーメン【杖の先】道端に放り出されて倒れる人影その横を素通りして見て見ぬ振りして行く人の群れそんな中に律法学者の顔が有る律法学者は倒れる人影の横に立ち止まったそして倒れる人影を律法学者は杖の先で突っ突きまわす・・・生きているか??? 死んでいるか???と自分よがりな探究心と興味を満たすために???そして倒れた人影の手元がヒクリと動くや否や(うごくやいなや)律法学者は、その場を逃れるようにソソクサと小走りに立ち去っていった冷たい地べたが倒れて傷ついた人の体温を容赦無く(ようしゃなく)盗み去る(ぬすみさる)助けを求める擦れた声(かすれたこえ)が微かになって消えて行く・・・エーメン貴方は見て見ぬ振りをした方が良いと思いますか???律法学者のように突っ突き回すだけ突っ突きまわして息絶え絶えを確認して立ち去った方がよいですか???貴方は手を取って救えますか???(貴方には私の言いたい事が分かるはずです。)すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、 彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』 さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」 律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」(ルカの福音書 10:25-37) エーメン「ベテスダ・柏」はに参加しています【ベテスダの家】入り口 2003年11月13日 クリスマスコンサート予約始まる
2003年11月17日
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【ヤベツの祈り】牛久のアブラハム牧場(男達の集い)に行くために車を走らせていた。2003.11.13.PM8.20.頃のことだった。千葉から茨城に渡る橋の上でのこと・・・無性に自分にいたたまれなくなって、ヤベツの祈りのCDをカーステレオが壊れる程に自分が壊れる程に大きい音にして聴いていた。車が その音の振動に震えて、頭が痛い程にけたたましい・・・その中で私はハレルヤ・ハレルヤと叫んでいる。(「シンケンペイ(台湾語キチガイ)だよな。」 と思いつつ・・・)暗い闇夜に天使が下る・・・(ガブリエル君!!!)Jesusへの思いが込み上げてくる目頭が何故だか熱くなる水滴が頬に何故だか滲んで流れるハレルヤ・ハレルヤ・ハレルヤ・エーメン助手席に何かの存在を感じて側(そば)の暖かな存在に感謝した。ただ言葉にならない沈黙の祈りと変えられて行くハレルヤ・・・エーメン ハレルヤ・・・エーメン♪♪Footprints♪♪主と私で歩いてきたこの道足跡は二人分でもいつのまにか一人分だけ消えてなくなっていた主よ あなたはどこへ行ってしまったのですかわたしはここにいますあなたをおぶって歩いてきたのだあなたは何も恐れなくてよいわたしがともにいるからわたしは乾いている地に水を注ぎ乾いた土地に流れを与える。あなたの子孫にわたしの霊を注ぎあなたの末にわたしの祝福を与える。 (イザヤ 44:3)エーメン「ベテスダ・柏」はに参加しています【ベテスダの家】入り口 2003年11月13日 クリスマスコンサート予約始まる
2003年11月15日
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【外食・愛餐】「不思議なものだなぁー」と思っている。それは、私が飲食店に関わりを持ったことである。私はつい二、三年前にクリスチャンになるまでは外食をもっとも心の中で苦手なことに置いていた。だから特定の自分で定めた所に時折食べに行くことは有っても、食事で冒険することはよっぽどの事がなければせずに、せいぜい駅前の立ち食いそば屋で済ますのが、もっともポピュラーな有様だった。それは何故か???今思うとこんなことが原因かと思い出される。小学三年生の時のことだった思う、私は給食が好きで小学校に通っていたようなところが有った。(給食=愛餐は似たところが多いように思う。)小学二年生の時に盲腸を拗らして長期の入院をして、勉強も着いて行けなくなった、ある日のことだった。先生が私にこんな言葉を言った。「○○君は勉強の時は落ち着きも無くダメだけど、給食の時は真剣に我武者羅(がむしゃら)に食べているネ」と、その時は気にも止めずに「あの先生らしい皮肉だ」と思ったと思うが、暫らくして母親参観日(ははおやさんかんび)の日に先生は同じ事を母親にも言ったのだろう。母親が先生の言葉に心痛め私にその事を打ち明け話した時に私の心は、それを記憶してしまった。人に見られて恥ずかしい動作として・・・又、しばらくしてこんな言葉も本の中で見つけてしまった。「食事の動作は人間の欲望と野心が表面に出る、人間のもっとも恥ずかしい動作だ。」と、「排泄(はいせつ)の生理的動作よりも、もっとも汚い動作が食事だ。」と・・・西洋料理のマナーなども当時はハイカラに習い、それは、ますます外食を私にとって苦手にしていった。(祖父母、両親もきっとこの先生の言葉が気になって、実践で学ばせようと、そのようなエレガントな場所に私を連れいくよう心掛けたのだろう!!!)「外食は気を使って美味しくない」との思いを心の奥に忍ばせていった。[人間失格(太宰治)でも食事を味わえない事について 書いてあって同調した時期もあったように憶えている。]そしてその苦痛を取り除いてくれたのは、教会の愛餐(あいさん)であり、語らいながら食する喜びを教えてくれた。[私は「食事は黙って食べなさい」と教わってきたから、食事の語らいを知らなかった。]今、この台湾茶房「謝栄村」を教会の愛餐をモチーフに立ち上げる喜びを改めて感じている。この愛餐の雰囲気が多くの人に伝わり、又、身内にも改めて喜びを与えるもので在るように祈りたい・・・エーメン主イエスは食事を通して弟子を含め、より多くの人々と交わった。(語り合い・喜び合った)それは食事が感情表現の頂点にあるからかもしれない・・・「言葉と食事」口は災いも生むが喜びも産み育てる。ハレルヤ・エーメン『この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。 (マタイによる福音書 15:8)口に入るものは人を汚さず、口から出て来るものが人を汚すのである。」(マタイによる福音書15:11 )すべて口に入るものは、腹を通って外に出されることが分からないのか。(マタイによる福音書15:17)しかし、口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す。(マタイによる福音書15:18) 悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである。(マタイによる福音書15:19)エーメン「ベテスダ・柏」はに参加しています【ベテスダの家】入り口 2003年11月13日 クリスマスコンサート予約始まる
2003年11月14日
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クリスマスコンサート2003.12.17(Wed)見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられるという意味である。)(マタイ1:23)神は、実にそのひとり子をおあたえになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。 (ヨハネ3:16:17)場所 台湾茶房・謝栄村(シャローム)開場 7:00pm開演 7:30pm入場料 2000円 1drink&天心付出演 Rachel&Shibaken Vocal. 弓削礼子 Guitar. 柴田健太郎弓削礼子プロフィールフェリス女学院大学音楽学部声楽学科卒業。卒業後、ラニーラッカー氏に師事Bright Lights Choir、米軍横田基地ゴスペル教会内クワイヤで賛美活動を行なう。現在「The One Voice Choir」「柏逆井ゴスペルクワイヤ」、などでのクワイヤ指導の傍ら、ゴスペルグループ"Vessel"、"The 246 Victory Fellowship Choir"、またソロでの活動も行なう。問い合わせ先・主催 台湾茶房「謝栄村」南柏駅前店 千葉県柏市豊四季509-36 STビル2F TEL/FAX: 04-7176-1887E-Mail: Bethesda@jcom.home.ne.jp URL: http://plaza.rakuten.co.jp/bethesda 共催 クリスチャンコミュニティ&グッズの「ベテスダ・柏」◎どこで聞いたのか、もう予約が入り始めています。定員が御座いますのでお早めにお申し込み下さい。
2003年11月13日
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【夜海】(よかい)闇夜の中で靴を脱いで海に足をつける足の先から頭の天辺に冷たさが到達(とうたつ)する背筋に電撃が飛来して骨骨が冷たく鉄板のように硬くなるモノクロに焼き付けた写真のように時が止まり波音だけが産声を高らかに上げる・ ・・こんな魔夢(まむ)を何故か見た。御子イマヌエルお救い下さい。エーメン――――――――――――――――――――――――――――ある牧師さんが「他人を癒す者は時としてその呪縛(じゅばく)に囚われることがある。」と言っていたのを思い出す。
2003年11月12日
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【あの木】あの木・・・あの木は春に緑に芽吹き私に命の力と喜びと新鮮な空気をプレゼントしてくれたあの木は夏に葉を開いて私に日陰と花と葉の香りと鳥の囀りをプレゼントしてくれたあの木は秋の青空に赤や黄色の色彩豊かに私に実りと感動をプレゼントしてくれたあの木は冬に葉を落として私に太陽の温もり分けてプレゼントしてくれたあの木・・・そんな あの木今はむやみに切り刻まれて立て掛けられて放置されている工事現場のスミのスミで・・・見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き砂漠に大河を流れさせる。 (イザヤ書 43:19)エーメン「ベテスダ・柏」はに参加しています【ベテスダの家】入り口
2003年11月11日
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【明日への出会い】太陽は低く伏して田んぼに光が注ぐ水は動いて光を乱射してビル、壁、車、そして赤黄彩る木々へと光を運び分けて与える青空に流れる綿雲は黄色く薄化粧して遠くでじゃれ合う鳥達の声空気が次第に冷気を覚えて車中の温もりを持ち去っていく「コトン」と頭の天辺でドングリの落ちる音一時、時間が止まったような静けさにシャローム今日の光が閉ざされて行く明日の出会いを迎えるために・・・エーメン{ベテスダの家}入り口
2003年11月10日
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【変身ウオーターボーイズ】息子が先日、スターウォーズのDVDを真剣に見ていた。そして昨日、スターウォーズのおもちゃをお爺ちゃんに買ってもらったらしく今日の朝、遊んでいた。おもちゃで遊ぶうちにエスカレートして身振り手振りもボルテージが上がる。????? チョット待て・・・その息子の声に耳を傾けよくよく聞いてみると・・・スターウォーズの名前が長女の大好きな「ウオーターボーイズ」に間違ってなっているようだ。その上に仮面ライダー555までもが混ぜこぜになって!!!「ウオーターボーイズ変身トォ~ヤャャャャ~~~」と飛び跳ねている。コラコラ又、頭をゴチンコするゾ・・・私の頭の中では、こんなメロディーが流れてきた。♪♪♪皆そろって鍋の底煮込んでしまえば形も無くなるもうスグ出来上がり貴方のためにチャイニーズ・スープ♪♪♪思わず荒井由実のチャイニーズ・スープのこんなメロディーが口に出る。冷えたカップの苦いコーヒーのように、気だるく握り潰した想い出と共に・・・ハシャグ息子と想いに耽る父!!! 絵になるかな???ゴチャ混ぜにすれば、皆同じ、されど同じ、考えあぐねて良いこと無いわと世の中に悩む事無く今日を眠ろうと・・・ただただ今日はお休みなさい。息子の微笑み恵みと受け止め主に感謝して、明日の恵みに感謝してエーメンヤベツは兄弟たちの中で最も尊敬されていた。母は、「わたしは苦しんで産んだから」と言って、彼の名をヤベツと呼んだ。またヤベツがイスラエルの神に、「どうかわたしを祝福して、わたしの領土を広げ、御手がわたしと共にあって災いからわたしを守り、苦しみを遠ざけてください」と祈ると、神はこの求めを聞き入れられた。(歴代誌上 4:9-10)エーメン{ベテスダの家}
2003年11月09日
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【ブレーキ】あなた方がもし車を運転する人達だとしたら貴方達がブレーキを踏む時は危険回避をする時ではないか???何故、この平坦(へいたん)な道で闇雲(やみくも)にブレーキを踏むのか???それは自らを危険にさらし、車までも故障にさらす原因ではないのか???神に開かれた道であなた方がブレーキを踏む時にその恵みは行く手を阻まれて(はばまれて)自ら望む終着地(しゅうちゃくち)への道を塞ぐ(ふさぐ)。今日(11/7)の朝、車を運転しているとこの言葉が頭に響いた。 彼女は答えた。「あなたの神、主は生きておられます。わたしには焼いたパンなどありません。ただ壺の中に一握りの小麦粉と、瓶の中にわずかな油があるだけです。わたしは二本の薪を拾って帰り、わたしとわたしの息子の食べ物を作るところです。わたしたちは、それを食べてしまえば、あとは死ぬのを待つばかりです。」 エリヤは言った。「恐れてはならない。帰って、あなたの言ったとおりにしなさい。だが、まずそれでわたしのために小さいパン菓子を作って、わたしに持って来なさい。その後あなたとあなたの息子のために作りなさい。なぜならイスラエルの神、主はこう言われる。主が地の面に雨を降らせる日まで/壺の粉は尽きることなく/瓶の油はなくならない。」やもめは行って、エリヤの言葉どおりにした。こうして彼女もエリヤも、彼女の家の者も、幾日も食べ物に事欠かなかった。(列王記上 17:12-15)エーメンベテスダの家(0088)
2003年11月08日
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【ゴミ箱の中の花】の続きその後、自分を忙しくして、今日(11/6)のアブラハムの牧場(男達の聖書勉強会)をサボって抜けようと思っていた。(今日の牧場は、こんどの礼拝の奉仕讃美の練習である。)牧者(牧場の導き人)から電話を頂きながらも・・・なんだかんだと用事を済ませてゴタゴタと時間を費やしていた。そして「もう牛久まで行くのは無理だと(千葉から茨城までだし)」との自分の納得出来る口実を作ろうとしていた。約束の時が過ぎる中で長女を長女が通っているプールまで迎えに行くと娘に「アブラハムに行きなよ」と言われる。何故かその口調は私の期待を呼び起こす声に聞こえて、思い切って出かけた。牛久に行くと何時もの場所は真っ暗で車も無ければ人気も無い牧者(牧場の導き人)の携帯に折り返すように電話を入れると「新会堂(アガペーチャペル)で今日はおこなっている。」と言われた。(筑波か・・・益々遠い)Uターンして帰りたい心境(しんきょう)にケジメを付けて教会(アガペーチャペル)へと車を進める。暗いハイウェーにハレルヤやと怒鳴りながら、今日の次女の健気(けなげ)な姿を思い起こして・・・クシャクシャの古びた新聞紙に包まれた、乾いて色褪せた(いろあせた)紫の花束を大切そうに抱え込んで、「捨てられて可哀そうだからゴミ箱から拾ってきたの」と言う・・・私の心を悟って(さとって)なのか「パパに上げる」とその枯れて乾いた花束を私に差し出してくる。その純粋な仕草が私のほこりだらけの薄汚れた心には、とても受け止められずに辛かった。水気の無い心には乾いたその花は受け入れる器が無かった。教会に着きスグに帰る積りだった。お店に電話を入れると妻と長女が「こっちは何とかなるからゆっくりしてきなさいよ」と言う。讃美歌の練習をしていると妻と子供達のそんな優しい温もり(ねくもり)が暖かく(あたたかく)一つ一つ理解できるようで何だかとても微笑ましくも嬉しくなって主に感謝した。一粒の水滴に気が付き・・・家に帰り着くとPM11時をもう回って12時になろうというのに長男四歳が夜更かしして起きていて、玄関口まで飛んできて、「パパお帰り、美味しいお土産ある???」と満面の笑み(まんめんのえみ)を浮かべ喜びにクシャクシャの顔で飛びついてきた。そして私は「今日の学びは!!!」この家族の「愛」なのだと悟らされた。主の導きに感謝して・・・エーメン
2003年11月07日
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【ゴミ箱の中の花】今日(11/6)、知能障碍を持つ小学生高学年の次女が小学校のゴミ箱から、もう枯れて萎れた(しおれた)花束を拾ってきてはこう言った。「だって可哀そう(かわいそう)なんだもの」「このお花、捨てられて可哀そうなのだもの」「まだ綺麗なのに可哀そうなのだもの」と・・・そんな彼女を見ていて目頭が熱くなる。悲しみが込み上げてくる。我が身と合い待った心の縺れに(もつれに)悲しみに紫に乾いた花束・・・この子は、世に捨てられて、天に用いられる子供なのかも???と思い車中の暗がりでバックミラー越しに彼女を見詰める。彼女は笑顔で「パパに上げるネ」と言ってくれる。薄汚れた古びた新聞紙で包んだ乾いた花を大切そうに運転席の私に差し出した。ズッシリと重い花束を持っていてと彼女に返すと、「お爺ちゃんに上げようっと」だって・・・パパは振られて又、娘は乾いた花束を大切そうに抱え込んで、持ち歩いている。―――――――――――――――――――――――――――――それから,イエスは弟子たちに言われた.「だから,言っておく.命のことで何を食べようか,体のことで何を着ようかと思い悩むな. 命は食べ物よりも大切であり,体は衣服よりも大切だ. 鳥のことを考えてみなさい. 種も蒔かず,刈り入れもせず,納屋も倉も持たない. だが,神は鳥を養ってくださる. あなたがたは,鳥よりもどれほど価値があることか. あなたがたのうちのだれが,思い悩んだからといって,寿命をわずかでも延ばすことができようか. こんなごく小さな事さえできないのに,なぜ,ほかの事まで思い悩むのか. 野原の花がどのように育つかを考えてみなさい. 働きもせず紡ぎもしない. しかし,いっておく.栄華を極めたソロモンでさえ,この花の一つほどにも着飾ってはいなかった. 今日は野にあって,明日は炉に投げ込まれる草でさえ,神はこのように装ってくださる. まして,あなたがたにはなおさらのことである. 信仰の薄い者たちよ. あなたがたも,何を食べようか,何を飲もうかと考えてはならない. また,思い悩むな. それはみな,世の異邦人が切に求めているものだ. あなたがたの父は,これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである. ただ,神の国を求めなさい.そうすれば,これからのものは加えて与えられる. 小さな群れよ,恐れるな.あなたがたの父は喜んで神の国をくださる. 自分の持ち物を売り払って施しなさい. 擦り切れることのない財布を作り,尽きることのない富を天に積みなさい. そこは,盗人も近寄らず,虫も食い荒らさない. あなたがたの富のあるところに,あなたがたの心もあるのだ.」(ルカによる福音書 12・22-32) エーメン
2003年11月06日
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【秘密の湯】ムフフフフ止められない止まらないカッパ××××パクパク・・・それと同じく止められないのは夫婦の秘密ムフフ子供に対してのこんな秘密・・・そんな訳で、子供達に秘密でスーパー銭湯に妻と二人で行って来た。会員カードを持って行くと二日前に有効期間が切れている。妻と「そういえば去年、毎日二人で忙しくしている時にこのカードを作って仕事帰り夜中に来たよね~子供達をお爺ちゃんに寝かしつけてもらってから~~」と昔話に花開く。「もう一年近く来ていないのか ???」と交わす言葉に離れる二人・・・男湯と女湯へと別れて行った。湯煙が闇夜に呑まれ(のまれ)て消えてゆく、雲間に恥ずかしげに顔を薄っすらと出す、白いお月様を見て!!!「妻もあんなに初々しい時期が有ったのよネ・・・」と想いに耽る(おもいにふける)。白い月も風の流れに何時しか黒い雲に飲まれて消えて見えなくなって・・・!!!湯船に首までゆったりと漬かって・・・この気持ち良さをなにならん、悩みのうちのなやみなれ2003年01月26日 【 ヴェルレーヌ 】じゃ無いけれど・・・なんだかとにかくのぼせてエーメン
2003年11月05日
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【神様からのフルコース】神様は高級フルコース料理のように私達の一生に貴方の必要を全て整えられている。次に出すものを定めて用意してくれている。貴方は、そのコース料理の中で今、初めの飲み物に手を付けた所なのかもしれない。嫌いな食材に手を付けているところなのかも、メインディシュのビーフにかぶりついているところなのかも分からない。今ただ味わう手元に有るものに目を向けて神様を信じて願いさえすれば、食べづらい苦手な食材ですら、神様のスパイスが美味しく食べやすい物へと変えてくれる。味わいは「愛」によって増し加えられる。メインディシュに舌鼓して、熟した果実に天の恵みの喜び感じて、甘いデザートにラストワルツが流れるのかも???貴方の時の中に神様のお与えになった未来今は未知の味が未来には調えられて揃えられている。味わい食べることを望み願い行なう貴方へハレルヤエーメン
2003年11月04日
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【天の国で誰が一番偉いか(マタイ18:1-5)】「いったいだれが、天の国で一番偉いのでしょうか。」(1節)。弟子たちがイエスにこう質問しました。地上は激しい競争社会です。受験競争でも会社でも政治や学問の世界でも、誰が一番偉いか激しく競われています。しかし、弟子たちは「天の国」、すなわち神の国、天上界、教会、宗教や信仰の世界において、誰が一番偉いかを問うています。ここに人間の罪深さがあります。しかし、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせ、「心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない」と言われました。悔い改めて自分を低くし、小さく無力な子供のように、ただイエスに信頼し、これらの小さい者の一人を受け入れる者が、神の国に入ることができ、最も相応しい者なのです。(10/12説教)日本キリスト教会 南柏教会2003.10.19.週報より・・・エーメン心、思い当たる方に捧げると共に、この週報をお持ち下さいました中島牧師様に感謝致します。ハレルヤ・エーメン
2003年11月03日
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【この言葉が・・・】「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある.生まれる時,死ぬ時植える時,植えたものを抜く時殺す時,癒す時破壊する時,建てる時泣く時,笑う時嘆く時,踊る時 (中略)愛する時,憎む時戦いの時,平和の時. 」(コヘレトの言葉3-1~4・8)「主の御名を呼び求める者は,だれでも救われる.」(ローマ人への手紙10-13)『疲れた者,重荷を負う者は,だれでもわたしのもとに来なさい.休ませてあげます.』(マタイによる福音書11-28)…………………………………………………………………………今日、パソコンを開くと何故かこんな聖書を書き記したものが開かれ現れた。あまりにも今必要とする御言葉がココに現れたことで驚いている。でも何故に書き記したのか???その記憶は定かでない・・・ただただエーメン感謝・感謝・・・
2003年11月02日
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