あぁ人生って

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2007年07月11日
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一昨年から乳がん&転移がんと闘ってきた妹が、日本時間の月曜日に残念ながら帰らぬ人となった。おとといがお通夜で昨日はお葬式だった。

先月末予定を早めて一時帰国し、毎日病院通いしたのだが、先週の水曜日から妹が呼びかけに答えられなくなって、誰か24時間付き添って欲しい、と病院側から言われ、義弟、父親そして私と交代して病室に泊り込んだのだった。月曜の朝、意識は混濁状態で、苦呼吸を繰り返して手足から順々に冷たくなっていく妹を看るのは辛かった。痛みは無かった筈、と言われたけど、水さえ飲めず、やせ細るだけやせ細って、目蓋さえ閉じられなくなって苦しんでいく様に、癌って本当に酷い病気だ、と憎くなった。多分妹と最後に言葉を交わせたのは、私が金曜の夜に病室に泊り込んだとき、ふと妹が一瞬意識を取り戻して「姉ちゃんなんでここにいるの?」「あんたの世話するためよ」と「誰かが部屋を空けろって言った」「誰もそんなこと言ってないよ」だけ。私からは「ゆっくりしていなさい」ばかりで、もっと「よく頑張ってるよ、えらいね」とか「あんたは私にとって大切な存在だった」とか結局言えなかった。妹の様子からは安らかに逝った、とどうしても思えない。「無念だったろう」とか「苦しかっただろう」とか。

先々週は妹は私の帰国を待ちかねて週末外泊し、自宅でいつも通りに振舞おう、と無理していた。息子達や猫と一緒に過ごせたことは彼女にとって楽しかったことだろうと思うけど、入院生活で昼夜逆転している妹に一晩中1時間おきぐらいにトイレや水分補給に起こされ、私としては精一杯頑張ったつもりだけど、介護士でない私の補助は上手とは言えず、言葉が満足に喋られなくなった妹が、私の頼りなさに結構苛付いていたのが判った。私がモルヒネの点滴の付け替えをうまく行えず、少しモルヒネを無駄にしたので早めに病院に帰ることになって、妹はホッとしていた様子だったのだ。両親や義弟にしても入院当時から既に意識があまりはっきりしなかった妹と満足に会話できず、私と同じように感じているかもしれない。両親は私の看病があって助かった、と言ってくれたけど、妹には私は少しでも役に立ったのかなぁ。悲しみと一緒にどうしても後悔が残る。

お通夜やお葬式は急な知らせにもかかわらず、妹の地元の中学時代の友達から東京の友達まで駆けつけてくれて、予備のホールまで埋まるくらい会葬者が訪れ、妹は人望があったんだなぁ、と家族は驚いた。両親も義弟も私もお通夜や葬式の段取りは初めてだったので、葬儀会社の人から呆れられる場面もあったけど、無事に滞りなく終わって一段落。式中、義弟が読み上げた弔辞の「二人の子供を自分がしっかりと育て上げるつもり」のくだりでは私の娘が大声で泣き始め、私の涙が引っ込んだ。娘も息子も叔母の死を未だ受け止められていなかったのだ。
豪華絢爛な火葬場では娘は怖い、と納骨所に入らなかったけど、息子は従兄が入るのなら自分も入る、と聞かず結局一部始終を興味深そうに観察していた。でも箸渡しは彼には無理、只でさえお箸使いが難しいもの。妹がお骨になると、益々終わったんだなぁと感じ、これから「面影」や「記憶」の中に生きる、ということが実感された。会いたくても会えない、声を聞きたくても聞けない、電話しても喋れないし、ブログの更新も無いのだ、と。葬儀社の人や周りの人が1週間後にガクっと来るんですよ~、と脅された。涙って枯れる事無いのね、というぐらい泣いているのに、これ以上ってか?





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最終更新日  2007年07月11日 16時15分28秒
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