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もう何年も前から気になってたラーメン屋があったんです。
清風堂・・・・
素盞嗚氏お気に入りの 「がんこ亭」に近いもんだから
つい敬遠しちゃってたんだけど、
今日は意を決して行ってみました。
清風メン、800円・・・・
ちと高い・・・
店内も汚い・・・・
「おまちどーさまー♪」
「・・・・・ほう!」
香りがよい。
ゴマのオイニですな。
まずはスープから
・・・・・
ふむふむ・・・・
トンコツベースに煮干風味・・・
そこに練りゴマを入れてるようざんす。
ピリッと辛味をきかせた唐辛子・・・・
悪くないじゃん♪
して、麺は?
・・・
ほう・・・・
これも悪くなーい♪
こんな感じです。
がんこ亭にゃ勝てないけど、
まずまずでした。
しかーし、
もうちっと店内をキレイにしような、大将!
前置きが長くなったけど、昨日の続きッス。
法隆寺釈迦三尊像の光背銘に書かれた
「上宮法皇」。
こいつはどうみても聖徳太子じゃない!
ちょっと調べれば簡単にわかるのに、
なぜコレまでの研究者は
「上宮法皇」=「聖徳太子」と
言い続けたんだろうか?
答えは意外と簡単だ。
「近畿天皇家以外にわが国には公権力はなかった」
この「絶対的イデオロギー」に
思考を拘束されてたんですな。
だから、多少違っても、
「だいたいコイツでいいんじゃない♪
他に適当なのがいないから・・・」
というおよそ学問的とは言えない
根拠にもならない根拠で定説が作り上げられてるんです。
「倭の五王」問題もそうですね。
宋書に出てくる五王も、
その記事内容からすると、
近畿天皇家に当てはめることは不可能なのに、
むりやり仁徳や雄略にこじつけている・・・
さて、次なる問題。
じゃーここに書かれている上宮法皇って誰?
これです。
資料が少ないんで、確実なことは言えないけど、
「法皇」の称号から、ある程度の予測はつきますな。
では「法皇」とは何か?
後の世では、
「天皇」が院政を敷いて「上皇」や「法皇」になったってあるけど、
この7世紀の大和地方にはそんなもんはなかった。
この「法皇」とは、もともと中国で使われてた称号なんです。
要するに
「仏法に帰依した天子」なんです。
7世紀はじめに
倭国から隋国に使いが行きましたね。
あの有名な
「日出づる処の天子・・・・云々」
これです。
ここに出てくる天子の名は
「タリシヒコ」
誤解のないようにいいますが、
タリシヒコは通説の言うような聖徳太子などではない!
栄えある九州倭国の王者だ!
時代的に考えても、
法隆寺釈迦三尊像の光背銘に書かれた
「上宮法皇」は倭国の王者「タリシヒコ」と断定してもいいと思う。
まーここまでは、これまでの素盞嗚説に
付き合ってくれた人には容易に想像がついたと思うんだけど、
問題はこの後なんです。
疑問1
なぜ九州倭国王タリシヒコのことを書いてある本尊を
法隆寺に持ってきたのか?
疑問2
光背銘に書かれたことが聖徳太子じゃないことは
すこし調べればすぐわかるはず。
であればこの光背銘をなぜ無傷で保存したのか?
削り取ってもよさそうなもんだけど・・・・
この謎が、ずーーーーーと解けなかったんです。
仮説とも言えない「想像」なんだけど、
最近やっと、なんとなくだけどわかってきました♪
次回からは「素盞嗚の大胆予測」いってみます!
さっきらーめん喰ったあとに何気なく
ふらふらぁっと「スーパーかねひら」に入ってしまった。
肉団子、ロールキャベツ、鶏肉のぶつ切り、
海老ちゃん、たらちゃん きのこ、水菜・・・・
今日の素盞嗚家の食卓はいかに!
え、 誰が作るかって?
はい、アタシ素盞嗚が極上ナベを作りマース♪
SEE YOU NEXT TIME