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ついあてにされ、行動でも心意気でも妙に力んで引き受けてしまう、これが長女に生れたついた者のサガ、わたしも長女だからよくわかる。わかるけれども、お人好しな要領が悪いところもあるようだ。という『長女たち』の「家守娘」「ミッション」「ファーストレディ」中編3つの内容。3編とも母親を介護することになって娘が奮闘するのだが、それらに登場する老いた母親たちが、モンスターのごとき、阿修羅のごとくわがままでもの凄いし、どんなに尽くしても満足もお礼もない母親の娘に対する「私物化」が情けない。そんなに激しく描かなくてもと、もう高齢のわたしなど身を縮めてしまうけど、篠田さんのオカルトめく筆はうまくて参ってしまう。母親の立場、娘の立場の両方に感情移入して読んだ。寄り切られっぱなしでもなく、娘たちの再生もほのめかされていて、それがホッとさせられる。
2020年11月14日
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このブログをどうするか?62歳の11月に始めて延々と17年だよ。当時、62歳といったって全然老いたきもちはなく、「ばあチャル」なんていうハンドル名にして、タイトルも「晴耕雨読」など枯れたように洒落たし、(のちに「やっぱり読書」に変更、その時もざわついた記憶)世間でもそうですけどね、いまどき60代って見た目も行動も若いのですよ。しかしいま、いよいよ、80代に・・・変わらないつもりでも「どうよ」となってまいりましたのを、自覚していないわけではありません。いっそ終活の一環としてやめたらどうかいやいや、やっぱり寂しいな。というわけで、「続ける」「止める」いろいろ考えた末、「やっぱり読書おいのこぶみ」などと改題してみてほそぼそのたりくたりと続けることに・・・つまり、「老いの愚痴」がやまもりですな、くわばら、くわばら。おいのこぶみ=芭蕉の俳諧紀行『笈の小文』から
2020年11月13日
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柴田翔『されどわれらが日々ー』今さらって感ですが、ストーリーを例によって忘却、で、もう一度読むとまあ、こそばゆくなんか気恥ずかしい。斎藤美奈子さんが『文庫解説ワンダーランド』に「党」だの「六全協」だのの解説ぬきでは現代の若い人にはわからないだろうと書いているが、それはわたしにはないけども(やや同時代なので)でも、革命的暴力にあこがれながらもそこまで没入できない弱さがあったのに、党が路線変更したので肩透かしをされ悩む、なんて言ってる不甲斐ない弱さはわからない。そんな語り手(大橋文夫)がアンニュイになって大学に戻り普通の就職を目指して、あげく幼馴染と普通に婚約までして、でもなんだかぎくしゃくって、甘ったれもいいところだろう。その婚約者が自立してしまうのは当たり前なんだよ。(婚約者の名は節子!この時代よくヒロインに使う名だよね、と気がつく。例、三島由紀夫『美徳のよろめき』)『チボー家の人々』のような大河小説で、登場人物の目線が多岐にわたっていれば一場面としてよいのかもしれない。それに構成が自殺と離別の後、手紙で知らせる形式というのは、漱石『こころ』でも無理っぽかった気がするしね。この作品が芥川賞で当時ベストセラー・・・。それでわたしも読んだのだけどね。まあ、作品丸ごと昭和のやわな青春のかたみ。
2020年11月11日
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「帯状疱疹」!にとうとうかかってしまいした。チラホラと身近な人がかかった話は聞きましたが「わたしは大丈夫」という(根拠のない)自信があったので・・・、ピリピリ、ズキズキ、チクチクの痛み「何だろう」と思っているうちに大変なことに・・・そう、発疹が帯状に・・・まあ、痛いのなんの。かかりつけ医が一目、即診断でございました。医者は「日本では80歳までに、3人に1人帯状疱疹になる、と言われている。ワクチンもあったのに」と・・・知らなんだわ、そしてなお「待合室にパンフレットあるでしょ」とのたまうが、いまさらそう言われても・・・間に合わんよ、身近な人がかかったときに情報をよく聞いておけばよかったのに・・・。「50を過ぎたら気をつけたい帯状疱疹のはなし」というパンフレットを読むと、子どもの頃水ぼうそうにかかった時に、ウイルスが身体に入り潜んでいて、免疫力によって抑えられているが、加齢やストレスなどで免疫力が低下すると、ウイルスが暴れだす、ということ。その予防にワクチンもある由。たしかにこの頃、加齢(50歳から見たら30年は経っておりますしね!)はもちろん、コロナだけではありませんがストレスはたくさん、そして疲労(経年でね)はありましたしねえ。というわけで病んでおります。このストレスっていうのは厄介ですね。自分で自分を縛り上げる几帳面という性格が、災いしてるとわかっているのでございますよ。それに健康に自信満々の思い上がり。だからどうなの、とまあ、治るのを待つしかございませんね。
2020年11月05日
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再読した桐野夏生『OUT』は、読んだ本(2004年)なのに、新刊を読んでいるような気分、「忘れる楽しみの極意」と言うが、こんなことをしていたらたくさんの新刊本にたどり着けない。*****深夜の弁当工場で働く主婦たちが死体をバラバラに解体して捨てるという、異業(犯罪)をしてしまう描写は目が離せない。やはり桐野夏生さんのこういう筆力はすごい。雅子、ヨシエ、邦子、弥生(夫殺し)それぞれに屈託を抱えていたのだから、と言っても許されるわけはないが、そんな常識外れの犯罪だけじゃない、その後、4人のたどる道がだんだん際立っていくのが示唆的だ。特に主役たる「雅子」は心にうごめく自己を突き破りたいために、他の人の運命を変えてしまうのはどうだろう、結果関わる人々を破滅に追いやってそして成功していくのがなんとも。雅子はそんな自由を得た後、寂蒔を感じる、けれども強くなるには孤独と簡素が必要なのだと思い至るカタルシス。それに比べて登場する男たちの影の薄さが、やはり女性ならではの思いのたけかもしれない。今置かれている現状が少しも変化(進歩)していないから。
2020年10月30日
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「こういうのっていいなあ」と面白く読みました。主人公は東大卒の警察官僚ですが、頑なに自分の信念をつらぬいています。融通の利かない性格もあいまって周りに「変人」と言われております。自分は出世したいためにキャリアを目指し努力してきたのではなく、悪いことをしたら謝り反省する、法に違反したら処罰を受ける、そういう普通のことに重きを置くという信条なのです。いわゆる上級役人エリートは、自分のために栄達を望みますでしょう。だから少々方向の違う主人公は職場では浮きがちです。しかしそれが意表を突いていて、沈着冷静に次々と難問に立ち向かっていくこのキャラクターを作り出した作者の慧眼に好感度です。確かに「警察小説」では新しい方向です。わたしの好きな松本清張さんがご存命なら、真っ青になってたかもです。わたくしが知らないだけでかなり前にブレイクしていたのですね!映像化されてもいて。シリーズの次作『果断』も期待します。
2020年10月12日
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クリスティの「トミーとタペンス」の向こうを張るようなカップル、ミステリー本専門の書店経営者「アニー」と何でも相談所開設の「マックス」夫妻が、ゴシックロマンそのものの事件に巻き込まれていくミステリー。イギリス仕込みのゴシックロマンであるから、舞台が「風と共に去りぬ」の一背景を思いおこすお屋敷が多かっただろうチャールストン近くなのもうなづける。冒頭に家系図を挙げてはあるが複雑な登場人物と、思わせぶりなプロローグ、物語の間に挟まれた太字の挿入文章など構成は凝っているが、根気さえあればすんなりとはまっていくストーリーだった。ところでこのシリーズ、のんきダンナと気が強いけどロマンチックな奥さん。このカップルのかけあいと、マックスの母つまりアニーのお姑さんの微妙な登場(おじゃま虫)が、ユーモアたっぷり怒り(殺意!)たっぷりと、いやあ、よくわかるよなあ。これはシリーズの目玉かも。それにさ、流行らないダンナ事務所と小さい島(ブラウアーズ・ロック)の中のミステリー専門書店、生活はどうしているんじゃろか。この事件中は島の外、ホテルはスイートルーム!に泊まっているんだとよ。(もしかしてダンナがお金持ちだったっけ?ね)
2020年10月09日
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いくつになってもロマンチックな物語にめがないのです。教えていただいて早速読みました。『ジェーン・エア』に似てるかなとも思いますが、なかなか読めます。知らなかったです、このヴィクトリア・ホルトというイギリスの作家、ゴシックロマンの女王と言われていてペンネームをいくつか変えて、ものすごい数の作品を売り上げた凄腕とか。舞台がイギリスの景勝地コーンウォールは海を見晴らす高台のメリン館です。やはりゴシックロマンの舞台はイギリスでなくってはね。『琥珀色の瞳の家庭教師』というタイトルがちょっと不満です。「マグノリアロマン」という文庫シリーズに合わせているのでしょう。内容からすれば、昔の『メリン屋敷の怪』の方がまだあってます。でも怪と言うには現実的で不思議は感じません。「メリン館の女主人は誰」というようなストーリーですから。
2020年10月04日
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読む本を決める動機はさまざま。これは家人のおすすめ。本文もさることながら、解説がいいと言う。初、辻堂魁だが、なるほど人気TVドラマ『風の市兵衛』作者、その「人情物」もなかなかのよさです。回し役は自身番に書き役で勤めている戯作作家の卵「可一」、江戸時代の花川戸町の人間模様オムニバスです。帯の惹句「人の本心は誰にも分らない。だから思い遣る・・・。」が胸にささるのですが、解説の「・・・いや、人は誰しも、他人にはわからない思いを抱えている。明るい人も穏やかな人も、大人も子どもも、身分のある人も庶民も、武士も町民も、悪人ですら、何かしらの思いを抱えて今日を生きている。そして互いに、わからないまでもその気持ちを推し量ったりわかろうと努力したり、あるいはわからないなりに自分でできることをしたりして・・・」(文芸評論家 大矢博子)を読むと、もっともっと、じ~んとしてしまう昨今、やはりこの解説あってこそですね。
2020年09月30日
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幼いころや若いころ頃に読んで興奮したミステリアスな物語のパターンは、「古い広大な屋敷に数々の部屋があり」「その屋敷の家政を取り仕切っている怖い女管理人(女中頭とか)が居て」「ヒロインはどこかひねくれて孤独の女性」だったのです。つまりバーネット『秘密の花園』は伯父さんの大きなお屋敷、怖い女中頭のメドロックさん、わがままで気難しい孤児のメアリが主人公。デュ・モーリア『レベッカ』では結婚したマキシム所有のお城のようなマンダレイ屋敷、使用人の得体が知れない意地悪なデンバース夫人、ヒロインの質素で孤独な独身女性「わたし」という構成なのです。ここでも丘の上の屋敷、エレーナという孤独なヒロイン女性と厳格で頑固な管理人料理人のダドリー夫人が登場します。ただ、大きく違うのは、『秘密の花園』が荒涼としたムーアの風が吹くに屋敷の中で子供らしく探検するのと、『レベッカ』がツツジの花の香りと霧にまかれてそくそくと謎めいていくのにたいして、『丘の屋敷』は湿った寒い空気に触れられて、ぞおっとする超常現象が起こるのですが、それをどう理解するのかで違ってくるのです。ええーっこんなこと信じられない!ではだめなんです、正直わたしは途中まではそうでしたけどね。しかし、シャーリィ・ジャクスンの『お城で暮らしている』でも描いていますが、ヒロインの女性の個性・気質・属性がなんとも真に迫っていて、読み終わったときにはこちらが鬱々としてしまうのであります。この物語冒頭の「この世のいかなる生き物も、現実世界の厳しさの中で、つねに正気を保ち続けていくというのは難しい」という言葉が恐ろしくなります。
2020年09月27日
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日蓮の予言「外敵襲来」を確かめるために、千葉安房からはるばる九州西の島対馬まで旅をした見助。いよいよ対馬でその情報を見聞きしていくのが下巻。「見助」というネーミングがうまい。侍でもない職人でもない、ただ海で舟をこぐのとタイ釣りがうまい漁師。だから西海に出て、果ての島に渡っていくのも得意である、まじめで勤勉な好青年、というのも見知らぬ土地での活動ができるということ。そんな彼が「蒙古襲来」にまつわる事実関係を把握していく様は、一緒に歴史をひも解いて見ていくようだ。「元寇」が神風で終わったでは済まない、小さな島の逃げ道のなさは残酷な侵略と犠牲的な戦いの現実。その敵も味方もすさまじく容赦がないということをつぶさに見ていく見助。7世紀前の出来事ではあり、小説という形ではあるけれども、現代にも通じるものがある。日蓮という思想家の宗教も絡んではいるが、日蓮宗の解釈は重要ではなくて、人間としての生き方のやさしい解き明かしになっているのが好感。
2020年09月22日
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長い間、敗戦後の占領政策で洗脳され、国内が経済的に発展すればそれでよいというようにのんびり暮らしてきた日本。「国防」というキーワードが意識されだしたのは、拉致事件が明るみに出た頃から強くなったのではと、わたしは思います。鎌倉時代の世も昔のこととはいえ、やはり狭い国内でだけで覇権争いをしていた。そんな時代に日蓮というお坊さんが現れ「外敵が攻めてくるかもしれない」と予言、その諜報員のような働きをした若者の物語を通して、やんわりと国を守るということを解き明かされているような作品です。主人公は千葉の先端で育った孤児の「見助」。「日蓮」に出会い、関わっていくうちにはるばる九州の沖の対馬まで旅をして行ってしまうというのが上巻。時は鎌倉時代の後期、政府(幕府)は権力闘争に明け暮れ、そして疫病と天変地異、庶民は疲弊しておりました。そんな時には宗教が絡んでくる。世は念仏宗の「南無阿弥陀仏」と唱えてさえいれば幸せになれると、上つ方にも下じもも念仏宗一辺倒、そこに日蓮が警告的な説で異を唱え挑むのです。蒙古襲来、歴史教科書での記憶ありますが、帚木さんの想像力と創造の物語は臨場感あります。
2020年09月17日
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「虫唾が走るような不快感」が癖になってしまうという桜庭一樹さんお勧めの一冊。確かに嫌な気持ちになりながらも読むのをやめられない。自分の胸に問えば邪悪な部分がないとは言い切れない。人間の意地悪な妬み心が高じると、自制が効かなくなる哀しさ、お屋敷の火事に乗じて村人が略奪・暴行に至る過程が怖い。そんな人間心理を個性的な美姉妹をヒロインにして綴るシャーリィ・ジャクスンという作家の心理力に興味惹かれる。ゴシックロマンという作風は、20世紀はじめのイギリスアメリカ女流作家に多い、ダフネ・デュ・モーリアもそうだった。もっと言えばシャーロット・ブロンテからも始まっているのね。
2020年09月08日
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コナン・ドイル、ホームズシリーズのオマージュ。こういう本を書く作家はよほど好きでなければ出来ないやね。「シャーロック・ホームズ」シリーズを中学生時代に読みふけり、しっかり若い頭に入って推理小説にはまった者としては、ただ至福に浸っていればよいの。発想の転換、登場人物をすっかり女性に入れ替えると、事件も色模様が違ってくるのが面白い。しかし、やっぱり本家の『緋色の研究』のストーリーを忘れてるので、あわててウイキペディアにお世話になる(なにさ、若い頭が・・・と威張ってさ!)主人公の名前以外の登場人物、どうも聞いたような名前と思ったら、それももじっているのだと知る。その後のシリーズに発展する布石がちりばめられていて、この作品も続いていくらしい。
2020年09月06日
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再読ですが、忘れもしません、生まれて初めてSNS(ブログ)を緊張しながら発信し出したころに、これまた読書感想宿題など大嫌いなわたしなのに、感想をアップした本なのです。そういう思い入れがあって処分せずに、読み返したい本として本棚に残してありました。その昔の感想を読み返すと自分ながらよく書けている(笑)。だからそれでもういいのですが、あれから17年、世の仕組みや世情も変わったかなと。エンターテインメント的な物語運びで、5人の女性の自立と能力発揮の闘いが詳しく描かれています。「春になると、かごの小鳥が落ち着かなくなる。父が飼っているメジロが止まり木で何度も足を踏み換え、飛ぶことができないかごの中で、天をあおいではばたいたりする様を沙織は見たことがある。そのときの小鳥の様が、なぜか痛切に思い出される。」(P317「それぞれの春」)そうです、会社では補助的な仕事の20代30代のOLたち5人の飛翔物語。けなげに頑張る女性たち、失敗しても、成功しなくても、奮闘してなんとか道をつけていくのが切ない。違う面で大変さはあるけれども20年くらい前と今では格段の差でしょうね。しかし、スピードの遅い女性の社会進出、まだまだこの物語の域は大幅に超えていないのでは。さて、いまやこの人たちも40代50代になってます。そんな世をどう生きているのか、後日談が知りたい、(以下少しネタバレ)25までに結婚したい結婚願望の20代組。「紀子」は可憐で頼りない性格、一度目の結婚は失敗、ヘルパーの資格とるも、もう一度の結婚に賭けた。「リサ」は栄養管理士の資格ありながらセレブにあこがれていたが、医療援護の情熱のためにネパール行きの医師に結婚してついていく。「紗緒」はしっかり目的を持っているが、得意の英語、翻訳業を目指すが挫折、アメリカに渡って空の操縦士の夢にかける。そして、30歳も過ぎて焦っているふたり組。「みどり」は配置転換・転勤など理不尽な扱いをうける。会社を辞めなければ同じ会社の夫が出世しない、ついにリストラされる。だが、どっこいそれから子供を産み、個人事業を始める準備をしていく。(ちなみにこれってわたしのリアルな経験!!この物語のようにたくましくはなかったけど、身につまされた)「康子」はもてない女自認、こつこつためたお金で2000万円で中古マンション購入、ひょんなことから有機野菜販売コンサルタントに。さて「その後」はこうかな(わたしの想像 笑)「紀子」は相変わらず可愛く旦那に寄りかかりながらも義両親・実両親の介護に疲れている。「リサ」はネパールで夫と一緒に逞しくも生きている。慣れてはきたし、自然の喜びはあるが、難儀な生活をしている。「沙織」はアメリカでヘリコプターの操縦士稼業、しかし人種差別に憤慨している。「みどり」の個人事業は実現したが、世の中の景気に振り回されている。けれども子育ても一段落。「康子」の有機野菜、軌道に乗ったが、自然を相手の困難と闘っている。東京と長野に別居結婚の農業専門の夫ともすれ違いながらも仲が良い。相変わらず、5人と連絡を取り、旧交を温めるのも忘れない。ほんとにしっかり者の世話好き、美人ではないけれどつやっぽく、精力旺盛な「康子」が、前回同様この物語のヒロインではないかと思う。わたしの持ってるのはこれ送料無料【中古】女たちのジハード 篠田 節子
2020年09月04日
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エミリー・ブロンテ『嵐が丘』を下敷きにしたミステリーということで読みました。丘があって、木立に囲まれ、見晴らしがよくて、海が見えて、広々とした敷地に古屋敷が経っている。う~ん誰でも憧れますよ。しかもそこはいわくつき呪われた土地、競売にかけられるとか。ハンサムな遊び人の語り手は売り出し広告でそれを見つけて憧れ、たわいもなく欲しくなりますね。お金があればねえ。ところが、その物件の場所でお金持ちの女性に出会いました。それも少女のように可憐な美人のお金持ち、早速モーションかけるでしょう、夢かないました。なんと運命は語り手に味方してくれるのでしょうか!!んなわけないだろう、と読者は想いなが、らひたひたとアガサワールドに浸りたいのであります。夜ごと朝ごとみじめに生れつく人もいれば朝ごと夜ごと甘やかな喜びに生れつく人もいる甘やかな喜びに生れつく人もいれば終りなき夜に生れつく人もいる (ウイリアム・ブレイク)このロマンチックな詩が初めから終りまで伴奏であった・・・
2020年08月31日
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桜庭一樹読書日記2007年3月~2008年2月分。前に読んだ『少年になり、本を買うのだ』の時も思ったけど、ほんとに読書量が半端ではないですね。特にこの年度では夏『赤朽葉家の伝説』が直木賞候補になり、落ち着かない様子、そんななか『私の男』を執筆、そして『赤朽葉家の伝説』は落選。『私の男』上梓。またまたそれが冬の直木賞候補、受賞。当然受賞後のバタバタに、貴重な作家日常ですね。それなのに~この量です!怒濤の本の数々、偶然わたしが読んだのも多くあり、そうでないものにもすごく惹かれました。恐れおおくも嗜好が同じだなあなんて。読みたい本、買いたい本のリストがますます長くなりまして困りますね。読書感想がなにげないのにうまい・・・当たり前ですね、直木賞作家ですもんね。わたし、桜庭作品をちょっと(4作品)読んでいます。『私の男』は意表を突かれましていろいろ考えさせられたものでした。『赤朽葉家の伝説』は昭和が懐かしくておもしろかったです。感想のほか、本の薀蓄も目が離せなかった。山本周五郎『五辯の椿』がコーネル・ウールリッチのミステリー『黒衣の花嫁』の換骨奮胎だなんて!おもしろいものです。
2020年08月28日
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メアリ・H・クラークの最初の数作品はスピードと面白さが半端ではなかった。『子供はどこにいる』『誰かが見ている』『ゆりかごが落ちる』の3作品は忘れられないほどの印象があったはずなのだが、ふと『誰かが見ている』を何十年ぶりに再読したら、ストーリー展開はすっかり忘れていたのであった。ということで、二度目の夢中、あっという間に読んでしまった。異常者の犯罪に巻き込まれて、絶望のどん底に落とされ、普通の暮らしが遮断されて、苦しみと憂愁。書かれた時代が1970年代と古いので、もちろんインターネットも携帯電話もないし、電話がダイアル式の通信手段なのにスピード感があるのは、アメリカはニューヨーク市とその郊外が中心の舞台で、クラークという作家の筆力がいいのだろう。とにかく儲けものの再読だった!!今の時代、もっとスピード感あふれる面白いものがあるだろうけど、文学名作というのでもないが、読みでのある本はほかにもあるだろう。この文庫今は絶版のようで、古本でしか手に入らないらしいけど、読み継がれていようだ。
2020年08月25日
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ポイントが三つある。小説家を目指している柊玲央が小説を生み出していく苦しみ、新人を叱咤する編集者、そして柊玲央本人の人生事情。いや、むしろ登場する小説に厳しい目線の編集者小川乙三を描くことで、桜木紫乃さんの小説への心意気を言いたかったのかのではないかと。この小説中の小説「砂上」が、もし出版されないという結論だったらどうだろう。やっぱり小説家志望はあきらめないのか?また、本になったのはいいけれど、売れなかったら?読まれなかったら?読者に理解されなかったら?出版されなくて、売れなくて、うずもれていった物書きたちの積んでも積んでも崩れる砂の山。
2020年08月21日
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わ~、読みにくい!というのが第一印象。なんでしょうね、難しい熟語の説明を(○○・・・)説明でするのは、翻訳ものですと(○○)の説明は小さな活字ですが、地の文と同じ活字っていうのが画期的ではありましょうが、しかし、一度出てきたその同じ熟語の説明を何度もなんども繰り返すのです。そんなにいらないって!(笑)司馬遼太郎さんの『空海の風景』で空海というお坊さんのことは、司馬節ともいえる明るい調子の描き方でとても好きですし興味ありましたから、文章が読みにくい欠点もありますが、内容は分かり易く迫力もありましたので、頑張って読み通しましたけれども。1200年前、平安時代の黎明期に遣唐使として、平底船で危険がいっぱいの日本海を渡って中国まで行きつき、密教の修行をしてきた空海、修行ばかりではなく宗教上の文物もいっぱい持って帰ってきたのです。天才的語学力で中国語の会話読み書き、当地でサンスクリット語までマスター、並みのお人ではありませんね、というか、いつの世でもなにか興すひとは能力と、人一倍の努力というものがあります。著者まとめに「・・・密教というのはものごとの本質に自分から向かっていき、真理を直接、自分で見る教えだという。・・・」と説く空海とあり有名な「生まれ生まれ生まれ生まれて生の初めに暗く、死に死に死に死んで死のお終はりに昏し」で結んでいる。密教はともかく、この頃わたしは神様に「○○がかないますようお願いします」と祈るのではなく、「○○したいので、それにむかっての努力に力添えをください」と祈っております。
2020年08月18日
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41歳で止まってしまった作者死後にまとめられた最後の作品集という。しかし、どうしてこんなにみずみずしいのだろうか。生前芥川賞候補に何回もなりながら受賞しなかったというが、これこそ芥川賞じゃないか!文章リズムの若々しさと、雰囲気がえもいわれぬ。そして何しろ登場人物たちの会話がいい。エスプリとはこういうものを言うので。例えば「夜、鳥たちが鳴く」の一節(浮気をされた友人の妻が、主人公の借家に飛び込んできて同居する羽目になったのだが、友人妻のやけくそ行動に心穏やかならず、ついになるべくしてなってしまったその後に・・・)・・・・・・・「なんだ」「あたし、どこかおかしい?」男のことだとわかった。考えるふりをした。慎重に言葉を選んだ。まず、首を振った。それからいった。「ただ、とっかえひっかえじゃ、疲れないか」「かもしれないわ」「それでいいと思っていたんだろ」「ええ」「俺ならしない」「あんたはあたしじゃないわ」「でも、自分でやっておいて、そんなことを喋ることはないだろ。違うか」「かもしれないわ。・・・・・・・収められている5つの短編がそれぞれ、言葉と言葉、文章と文章の間のきらめきを感じる。古いところで長塚節氏「土」の文章と会話のリアリズムになぞらえてしまう。あれは俳句的な要素もあったが、ここでは現代詩的要素と言いたい。短編それぞれのタイトルがいいのは前にも言った。またこの文庫本の堀江敏幸さんの「陽の光は消えずに色を変える」解説が抜群、すっきりとよくわかるこれ以上の解説はないと思う。(堀江敏幸さんは未読なのでぜひ読もう)
2020年08月12日
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「アニーシリーズ」(クリスティーの「トミーとタペンス」を模しているようですね)第五の巻。そうですねえ、ミステリーの面白さから言うとまあまあ。でもクリスティー好きなら満足する。何しろ本の中で「クリスティー生誕100年」のお祭りが催されるストーリ展開ですから、例えば『スタイルズ荘の怪事件』から有名な『そして誰もいなくなった』『オリエント急行の殺人』を経て、最後の作品『スリーピング・マダー』まで、クリスティーの膨大な作品が網羅されているので、あるある、読んだ、読んだと、好きにはたまらない。また、英米ミステリー作品名、作者名も沢山書き込んであって、マニアには面白い。この本のページ半分はそれで埋め尽くされているよう。(それで分厚い文庫になってる 笑)合間にクリスティー由来のストーリ展開があって、推理が解き進むという感じ。ま、わたしは未読のクリスティー作品を読みたくなったり、読み直したりしたくなったが、特に『終わりなき夜に生まれつく』が気になった。ブロンテの『嵐が丘』を下敷きにしてあるゴシックロマンだそうだからちょっと楽しみだ。
2020年08月10日
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半世紀後ぶりに読み返しました。初めて読んだ記念すべき周五郎作品なのですが、内容が強烈過ぎたのか、今一つピンと来ない印象が残っておりました。ところが、50年の歳月は自分自身も社会情勢をも変化させたのか、ちっとも古びていない今日の問題と言っていいものでありました。なんで当時わからなかったのか。18歳のみめうるわしい乙女が猟奇的な殺人を次々に犯すなんて!とヒロインが若すぎる、そして読むわたしが世間知らずで、ものを知らなかったのだと。いつの世も片隅でまじめに苦しく努力する人々と、こずるく世渡り上手に得をするような人たちとで世の中はできているのでありまして、それを江戸時代の末期に置いてみて、ミステリー仕立てにグイグイ読ませる筆力はすごいし、構成がガタついていないというか、細かなところまで行き届いたストーリーはさすが!許せない罪を犯されてもそれを罰するに、何をやってもいいということはないけれども、そうしなけらばならない悔しさとヒロインの気質を、見抜いたかのような周五郎さんの並々ならぬ人間性への洞察力。ヒロインのつぶやき「それは・・・・この世には御定法では罰することのできない罪がある、ということでございます。 倫」現代でも理不尽な被害にあった人々の、悔しい解決されない嘆きがなんと多くあることか、と想いながら。「罪と罰」は永遠のテーマです。
2020年08月02日
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第一部「そこのみにて光輝く」は息を張りつめたような若さがある。くっきりした登場人物像たちの描写がうまい。特に中心の「達夫」と「千夏」がいいなあ~暗さの中にキラキラしたものがある感じ。「千夏」の弟「拓児」に誘われて「達夫」が訪ねた家は、開発に取り残されたようなちいさなバラック小屋だった。両親と姉弟が住んでいるその家は、生活・生きざままでもが壊れてすさんでいるようだった。しかし、そこには家族の強い矜持があったのだ、と思いいたる導入部に惹きつけられる。若くてなにものかに飢えている「達夫」が「千夏」とそれからたどる恋の道筋はすごくいい感じだ!!けれども、第二部「滴る陽のしずくにも」の二人のその後になると、おや?と思わされる。それは「千夏」があまりにも後ろに下がり過ぎて影薄い。伝法な「千夏」が普通に閉じ込められてしまったようだ、至極残念。
2020年07月28日
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17世紀、350年前のペスト・パンデミックのドキュメンタリー風の小説。しかもあの『ロビンソン・クルーソーの冒険』を書いたディフォーという作家の作品ですよ。ディフォーが生まれたのがその頃、新親や親戚の話を聞いたり、調べたりして、書いたはそれから50年後(初版発行は18世紀初め)と。それにしても古い、なにしろペスト菌の発見も1894年まで待たなければならない(北里柴三郎さん!)時代、果たして現代に通じるものがあるのか?と思って読みましたが、、、。時は1664年9月初め、場所はロンドン。ペストという悪疫はそれまでに時々発生しては恐れられていたのだが、オランダでまた流行りだしたという噂を耳にしたロンドン市民、H・Fさんが物語の語り手。そうこうしているうちにロンドンのある街に1~2の感染者が出てくる。そして翌年の1665年(日本では寛文5年)を大変な年にしたのでした。田舎に逃げた人も多かったけれど、商売が心配でロンドンに残って、生き延びて長生きしたH・Fさんが、見聞きした真実の記録を残そうとしたわけは、当時の当局も秘密主義であったし、口から口のセンセーショナルなデマ的伝承はあったけど、印刷物もなかったからいつの間にか忘れれ去られていく、そのことを憂えてでした。まあね、17世紀ですから、迷妄な盲信の行動、健康者も感染者も一緒に家屋ごと閉鎖してしまう施策だとか、大穴を掘ってたくさんの犠牲者の酸鼻な埋葬風景や、おどろおどろしいところがいっぱいあります。でも、細菌もウイルスも科学的にわかっていないにもかかわらず、この現代になんと似ていることか。「死亡週報」なる感染死者数の発表に一喜一憂する人々、狂乱のような行動をする人がでる、社会的弱者の不利益というか一番被害を受ける、当局の施策の不備、経済を回さなくては困ること、などまったく、今を読み解いているようです。ひとつ面白かったのは、3人組の庶民がだんだんひどくなる状況に怖じ気てロンドンから脱出するサバイバルのところ。周りの村だっておいそれと感染しているかもしれない市民を受け入れませんから、人里離れた森に野営するのがロビンソン・クルーソーの生活創意工夫を彷彿させて、筆運びの勢いありましたね。カミュの『ペスト』とはまた違った感ずるところがあります。人間は繰り返してきたのだなあと。
2020年07月26日
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「愛人業」事件は覚えておりましたが、「カジマナ」?ネットで調べて、そのネーミングの妙におかしくなりました。わたしもちょっと意地悪な見方をしていたでしょう。その後「後妻業」なる事件も起こり、ますます男性の問題がくっきりしてきたと思うのですが、この文庫の解説をなさっている山本一力さんは、この小説を「女性同士の友情と信頼である」と言い切っていらっしゃっるようで、それもあるがそんなことおっしゃってるから、それが証拠のようなものですよ、と言いたくなります(笑)たしかに雑誌記者の「里佳」と、大学時代からの友人で妊活中の「伶子」の友情との信頼関係が描かれています。獄中の「カジマナ」こと殺人容疑者「梶井真奈子」への面会もそんな風になって行きます。若くも美しくもない「カジマナ」がどうして男性を惹きつけるのか?理知的なキャリアウーマンの「里佳」と「伶子」が突き止めようとします。けれども実は「里佳」がボーイフレンドとうまくいかないのや、「伶子」が夫とちぐはぐになってしまう理由も一緒に解ってくるのです。男性の歴史的遺物遺伝子との闘いなんですね、つまり男と女の役割分担とか何とかの都合のいいごまかし。古くて新しい確執。昔のわたしたちのように「若いうちに売らねば、ゆき遅れる」とばかりにお見合いで永久就職したのから、現代の婚活大作戦で結婚にこぎつけたのに至るまで、いえ、恋愛の末結婚したとしてもその男と女の行き違い、この現代のコロナ離婚やら荒れ模様のSNSをみれば、ず~っと続いている闘いのようなもの。でもこの小説はそんなガチガチの闘う話ではなく、全編、バターのこってり、まろやか、いい香りにつつまれて(それがなんともうまいのだけど)おもしろかなしく、やっぱり努力するのは女性だったか・・・というもの。痒い所に手が届くようにとても痛快な小説です、女性の問題?いいえ男性の問題で、と読み解きました。それは、男が人間という生き物として、きちんと一人で生きているのかい?ということです。
2020年07月15日
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若いときを振り返るっていうのは恥ずかしいか、なんとなく盛ってしまうか、飾ってしまうか、照れくさいものだけれど、それも振り返る時期(年齢)にも関係してくるのだろう。この『きみの鳥はうたえる』は佐藤泰志氏30代のデビュー作でおとなになりたくもなく、おとなになりきれず、でも、おとなになってしまわないといけない・・・という21歳の青春時代を私小説風に書いている。なぜ私小説風と言うのかというと、磊落で硬質な書店員の「僕」と書店員仲間の「佐知子」の恋人関係が、「僕」の友人「静雄」のナイーブな優しさにつつまれて、恋人関係が静雄と佐知子に何事もなく移るなんてあり得ないこと。三人の関係が壊れてしまうのかと思いきや漂っているようになるのは、やっぱり僕と静雄は同一人物で、作者の分身だからと思えてしまう。(わたしの「盛った小説」説によると)すてきな題名はビートルズの曲「アンド・ユア・バード・キャン・シング」から。どうしても青い鳥をさがしてしまう若いときがある、生き生きしたものを求めてあがく時がある。平禄されている『草の響き』はもっと作者に近いという、井坂洋子さんの解説がとてもいい。
2020年07月09日
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人生が複雑怪奇であるということは真実だ。平凡な人生というものはありはしない。と、解き明かすような、アメリカの想像上のある町「ワイインズバーグ」に住む人々の暮らしや心模様の物語群でした。ひとつひとつの物語でもあるが、若い地方新聞記者ジョージ・ウィラードは聞き役でもあり、つなぎ役でもあり語り部です。1900年代の初めに書かれたアメリカ文学、ヘミングウェイやフォークナーに影響を与え、モダニズム文学のさきがけということです。この前に読んだ佐藤泰志『海炭市叙景』の下敷きのようなものということで読みました。なるほど、あるまちを創造、住人の人生模様を癖や性格などを素材にして物語るのは同じようです。でも、この「ワイインズバーグ」に住む人々は、「海炭市」に住む人々の生活がなんだか哀しげな様子なのに対して、こちらはとても奇妙な、むしろあっけらかんとしているような人間模様です。それなのにすごく人間らしいんですよ。人間はみんなどこかしら「いびつ」なところがあるんだよ、と言っています。作者の観察眼、資質の違いですね。それともアメリカモダニズムと私小説派の違いかも。こちらも結論は出ません、明るい未来の予言もありません、けれどもどこかしらおかしみを感じ、ほっとしたのも本当です。それに両方とも人間観察の背景に自然が美しく配されているのが印象深く、感動します。
2020年07月07日
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コロナウイルス肺炎、東京の感染者数が再び増加の傾向自粛しています、けれども一時ほっと息をついたところがあって夜明けの4時半にウオーキング、その時はマスクなしにしてますひとつだけ絵手紙教室に行きましたがそれもどうなるか?医療機関はどうしても通わなくてはならないそれは仕方がないわたしたちはワクチンや治療薬があるということに慣れ過ぎておりましたいつの時代も未知の疫病と闘って来ました先祖がいるのですもうこれは閉じこもって読書!4月~5月『アンナ・カレーニナ』(上中下)トルストイ☆☆☆☆☆ナラタージュ』島本理生☆☆☆『バレンタインデイの殺人』キャロリン・G・ハート☆☆☆『カラスの親指』道尾秀介☆☆☆6月『ある微笑』フランソワーズ・サガン☆☆☆☆『真夜中の子供たち』(上下)サルマン・ラュデイ☆☆☆☆☆『郵便配達は二度ベルを鳴らす』ジェームズ・M・ケイン☆☆☆☆『海炭市叙景』佐藤泰志☆☆☆☆
2020年07月03日
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日本のどこにでもありそうな、しかしそれは架空の街。そこに住んでいる人々の暮らしと人生を物語る。一筋縄ではいかぬ人間を見つめる作者の目は張りつめている。(41歳の若さで自殺してしまった作者を想うとなおさら)「まだ若い廃坑」「一滴のあこがれ」「夜の中の夜」など、ひとつひとつの短い物語のタイトルからして印象深い。(友人の書いた詩より拝借らしいが)何気ない普通の暮らし、あるいは切羽詰まった物語の淡々とした描写が光っている。バブルもはじてけない時代1980年代に書かれたので、予言的だと解説にもある。つまりうまくいかない人生模様や人間の心は、すっかり現代にも通じるのだということ。いえいえ、その前も後も世界情勢や景気や災害や疫病や、何もない時代なんてありはしない。そんなに突き詰めて苦しまなくてもいいじゃないか、人生いろいろあるけれど前向きに考えよう、いつかは・・・。
2020年06月29日
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(上)の感想の最後に読むのが大変と書いたが、エネルギー溢れる文字の氾濫に、頭がふらふらの状態になって、いやいや老体にはどおっと疲れが出てやっと読み終わりました。第1巻、第2巻、第3巻の構成になっていて、第1巻は語り手主人公サリームの家系図から始まります。母方の祖父の青春、その妻祖母との結婚のいきさつ、サリームの母の青春、結婚、そしてサリームが1947年の歴史的なインド独立の真夜中に生まれます。その家族の記録がぶっ飛んでいて面白いのですが、しかしこの第1巻の終わりでこの物語の仕掛けがわかってしまうのです。さあ、第2巻、第3巻はどーする、です。でも心配はいりません。アラビアンナイトも真っ青、奇想天外の冒険&インドの歴史的事実をからめた考察・批判なり、インド観光地案内です。というと漫画チックですが、近代世界文学にはない、超現代世界文学の真骨頂なのでしょう。マジックリアリズム!これからますます世界の文学にこのエネルギーはあふれるのでしょう。わたくしはこのハードカバーで読みましたが、上下巻あわせて574ページ数、上下二段の活字組はもっと若いときにだったららくだったのに、と思ったことでした。
2020年06月27日
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アメリカはカルホルニアその場しのぎに明け暮れる若いヤクザな男とふれなば落ちん風情の人妻との出会いその夫婦がやっている安食堂、文無しの男はそこで働きだした映画では印象的な場面だそうだが(映画化が7回だそう)文脈からもじりじりと、男と人妻のえもいわれぬ引力が伝わるそうなりゃどうなる、邪魔なのは中年の経営者のオヤジだ知略がうごめき、完全犯罪を目指すふたりの努力!その経過がスリリング男の独白で書かれている構成なので、うまくいくのか、と思わせるところが憎い感想が未アップだったので再読す
2020年06月17日
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インド・・・学校で習ったこと人口の多い国、東インド会社、永いイギリスの統治、ガンジー、独立、ネール首相、水爆実験・・・人人人の印象、ガンジス河の水浴、ブッダ発祥の地、輪廻転生・・・一般人が世界旅行に気軽に行けるようになったころ(1980年代から)「インドっていいよ、すごいよ、いく甲斐がある」とはまっていた友人がいた、けど・・・この本はそんな中途半端な関心を吹き飛ばしてくれるのだまず、大げさに言えば地政学と宗教学に目を開かれるインドの上端部カシュミュール地方から物語は始まる物語の語り手サリーム・シナイの祖父が礼拝マットを敷いて祈りをささげるえっ、仏教ではないんだ!!というとモノを知らないようだが、仏教じゃなくてもヒンドゥー教かもとイスラム圏でもあるんだよ!!だが、祖父アーダムス・アジズは西欧の教育を受けての医者う~む、かたちだけの祈りかもしれないとああ、のちのラシュデイ『悪魔の詩』が・・・しかし、しかし、そんなことはぶっ飛んでしまうめまいのするような展開、確かに面白い、エキサイティングマジックリアリズムとやらの妙味、エンターテインメントのお手本でも読むのが大変である!怒濤の流れ込みで、上巻を終わった
2020年06月13日
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いやぁ、わからないものです、人生思い通りには行かないですね~当初の目論見はシンプルな東京生活を営むこと行動するのに利便性があるのも都会に住む理由のひとつでしたまあ、1月からこっち交通費がほとんど0円旅行や出かけるという言葉も忘れそうです歩けるところに出かけても閉館、閉園が当然せいぜいがウオーキングですもんね家の近所の食料品店が我が家の冷蔵庫よと豪語していたとんでもありません、ほとんどすべて宅配にしてたまに足りないものを買い足すだけそれも混雑を避ける時間に時短でさっさとそれも何と味気ない、気晴らしにもなりゃしない時々美味しいものを食べにそれだからこそ都会にいるの、と言っていた歩いて行けるところには、これと言う店はないし三密食べ物屋も避けたいし、テイクアウトはあまり好かないしといっても、三度三度の賄いも飽き気味なんでしてそれに完璧、1㎏は太った!狭いマンションにしたのは簡単生活のメリットがあり、これからの歳には良いことだともうね、断捨離が進みすぎて、進みすぎて困るぐらい家中すっきりというか、そのうちになんにも無くなるようなさてさて、こういう展開にどう向かっていくかとわかっていることはわたくしたちは動いてはいけないそれが世のため人のため
2020年06月03日
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サガンです、世界的な超ベストセラー『悲しみよこんにちは』後の二作目。わずかに残っていた手持ちの、日焼けして活字印刷も薄い、古い古い文庫本。1952年前半初版、翻訳も朝吹登美子さんで1956年。そうですね、わたしの思い込みかもわかりませんが島本理生さんの作品からの連想ですね。すごく若くして(10代で)注目され、恋愛のみを書いているようななにともなく生活感が希薄な、それでいてシニカルな感じの文章。というわけで、実に60年ぶりに読みました。ストーリーは語り手ドミニクはソルボンヌ大学の学生(20)、恋人とのツーショットも絵になるようにほっそりとして素敵、と自分で言うようなお気楽さ。ひょんなことで彼ベルナールの叔父リュックに紹介されたのが始まり。その40男の落ち着いた魅力に惹かれ気味の彼女。そして叔父夫婦ともども仲良しになるも、リュックから「気軽に付き合わないかい?」とこっそり囁かれて度肝を抜かれるが、次第に引き寄せられて・・・パリの空の下で、カンヌで、ドミニクは若さではない人生経験の重み、渋みに魅せられて、それを愛情に変えてしまいそうになる、いやもう戻れないのではと困惑していくのである。サガンの筆はこの通俗的なストーリーに不思議に洒落た感性を盛り込むところが才能。『悲しみよこんにちは』よりも若さを惜しむ文学性が色濃くあると思う。無謀が続くわけではないとわかりつつ、果敢さ、臆病さ、好奇心、諦念に向き合う若いうごめきをさらっと描き出している。う~ん、当時わかっていたのかなあ~。ありし日の本箱・・・古い本はほとんど処分したのにサガンは6,7冊残しておりました
2020年06月02日
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導入部の軽妙さがすごくいいなあと読み始めました。読み進むうちにちょっとごたごたしているよね、と違和感が湧いてきたのもありました。でも、それがこの小説の肝でもあったのですね。推理好きにはたまらないトリック探しにも疲れたころ、大大どんでん返しで終わりました。マジックのように明るく乗り切るのはいいのだけれども、肝心の登場人物の哀しく厳しい過去を、ぼやけさせてしまった感じがあります。イマジネーションの世界は現実ではないけれども、リアルの臨場感もほしいのです。読者は贅沢です。直木賞の『月と蟹』はどんな風なんでしょうか。
2020年05月26日
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よくもこんなにというぐらい、ミステリー本の題名とミステリー作家の名前がたくさん登場する。合間にミステリー物語が進んでいくのだが、ミステリー好きは「タイトルと作家」を知っているかどうかに気を取られ、物語のすじがどこかへ行ってしまいそう。数々出てくる英米ミステリーのうちの、わたしの知っているのは20%くらい。アガサ・クリスティー、ドロシー・L・セイヤーズ、パトリッシア・ハイスミス、コナン・ドイル、ダフネ・デュ・モーリア、ジェイムズ・M・ケイン、ウイルキー・コリンズ、ロス・マクドナルドなど、この本に知ってて出てこない作家・作品も多々あるし、こうやってあげつらうのが好きな人は放っときましよう(笑)複雑なストーリー展開ではないし、そんなことで稼いでいる作品だ、という感想でOKです発行年数は1990年、翻訳は1993年と古い。【中古本】ヴァレンタイン・デイの殺人
2020年05月21日
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映画でいうとナレーションで追憶を語り、映像が流れていくように進んでいくという趣向。先生と生徒の恋愛、特別なことかと言うと珍しくもない出来事なんです。先生にあこがれる、高校の先生にやさしくしてもらった、先生に告白された、卒業後先生と結婚した。そのようなことはリアルでも見聞きしますし、禁断の恋と言うと大げさですが、ちょっと眉をひそめるようなことでけどね。揺れる年齢の感性や情緒はよくわかります。女性は幼くても妙に面倒見がいいというか、大人の心を読みます。生徒は先生が味方になってくれたことが忘れられないのですが、大人である先生の弱さも飲み込んでしまいます。それが恋愛になり、執着になって・・・。そこがこの小説のテーマでもあり、島本理生作家のテーマでもあるのでしょう。その後の作品『Red』で結晶したように思います。『Red』の完成度から言うとこの小説は少々ごたごたしていて、くっきりと描けていないですね。追憶というのは案外難しい構成なのかもしれません。40万部のベストセラーで、映画化もされていたそうですがそれは「なんとかのベストテン」に選ばれたからかもしれないと思ってしまいます。
2020年05月18日
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息子を捨て、夫を否み恋人と出奔したアンナ・カレーニナは、幸せではありません罪の意識があったから?不倫相手ヴロンスキーの情熱が醒めたから?いえ、自分に誠実に生きようとしただけ、自我意識が強すぎたのですもっと言えば、時代がのしかかっていました、現代でさえ「ガラスの天井」です19世紀の宮廷文化ならなおさらですしかし、トルストイさんの筆はすごいですよ魅力的な美しいアンナの容姿を通して、まっすぐ生きようとしてぶつかり悩むさまを克明に描き、爆撃のように胸に響きます若いときに読んだ印象は、アンナの情熱的な恋はわかるけどリョーヴィンとキチイの真っ当な恋に安心をしたものでしたがやはり、主人公はアンナ・カレーニナ現代に通じる普遍性を読み取れるということ恋愛だけではありません、人間の自我をつぶされるということはどういうことかを半世紀後に読んで、今回しっかり、深く感銘を受けましたねさて、リョーヴィンの哲学的思索に強い思いを抱いていたわたし最終章にありました「空色の丸天井」宇宙は広大だと知っているけれども、自分の眼には青い空が丸い天井であるとつまり、神を信じる自分を意識するという・・・わたし思いました、バチカンの青い天井絵を・・・実際に行って観るものですね~、西欧の宗教の色濃さがわかります
2020年05月15日
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大昔(1971年)に読んだ野坂昭如著『欣求穢土』作品の内容は忘れたが、その中に出てきた昭和の作家たちの名前を見ても、当時はあまりわからなからなかった。ましてその作家たちの作品も読んでいなかったので、気になりノートしてあったものがある。その後の読む作家選びに影響があったのだから、役に立っている。そのノートを処分するのでここにアップしておく。野坂さんはこういう業界ものが得意なのか、それも私小説のうちなのか、のちに読んだ作品『文壇』もそうだった。メモ(カッコ内はその後、読んだ作品)松本清張(もちろん知っていた『ゼロの焦点』など、大好きな作家)司馬遼太郎(当時は敬遠していたが『明治という国家』など多く読む)梶山季之柴田錬三郎(『御家人斬九郎』『幽霊進士・異常物語』)山岡荘八五味康介川上宗薫近藤啓太郎山口瞳(サントリーですね)立原正秋(いっときハマった『剣ケ崎』『残りの雪』など)源氏慶太(『定年退職』など)陳舜臣(『阿片戦争』)山田風太郎(『甲賀忍法帖』『戦中派不戦日記』など)遠藤周作(『沈黙』『イエスの生涯』など)吉行淳之介(『技巧的生活』など)笹沢佐保五木寛之(ベストセラー作家に、多く読まされた『青春の門』『風に吹かれて』が良かった)生島治郎(『片翼だけの天使』)渡辺淳一(『無影灯』など)戸川昌子黒岩重吉北原武夫石堂淑朗(1932~長部日出男(1934~井上光晴(詩人、井上荒野さんのお父様ですね)揚野浩(プロレタリア文学)安部公房(『他人の顔』)今だに知らないというか、興味がわかない作家さんもあるが(笑)このノートを処分した
2020年05月05日
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「道ならぬ恋人たちのアンナとヴロンスキー」「行き違いの失恋になってしまったキチイとリョーヴィン」のカップルたちは、さてどういう展開になったでしょう。時は19世紀ロシア帝国の末期、貴族階級が近代化に揺れているのであります。しかし19世紀も21世紀も関係なく、このようなテーマは永遠に続くのです。上巻、この小説の有名な冒頭「幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである」のモデルとしてその家庭問題騒動(これも浮気が原因)が描かれる浮気性お気楽なオブロンスキーは、どうも橋渡し役というかピエロ的存在なのです。この軽薄だけど憎めない人物も傑作ですねえ。トルストイさんは登場人物すべて生き生きと描写されています、さすが文豪だと感心します。とにかくそこが読んでいてとても面白いのです。アンナは夫カレーニンに仮面夫婦でいいから体面を保ってくれと言われたのに、ヴロンスキーの子供を宿し、ヴロンスキーが競馬場で落馬をすれば、観衆の面前で取り乱してしまうのです。当然「もう、離婚だ」となったカレーニンは、いくらアンナの兄オブロンスキーに頼まれても、崩さない固い決心だったのに、アンナが出産し産褥が酷く死にそうになるとほろりとしてしまい、アンナを許そうとするのです。アンナはその傲然たる(上から目線)がたまらなく嫌で、夫カレーニンとの間の息子に未練を残しながらも、離婚はせずヴロンスキーと外国へ出奔してしまうのです。悪女極まれりですかね。一方、キチイもリョーヴィンもそれぞれ不如意で孤独な日々をすごしていましたが、キチイは義妹(妻ドリーの)であり、リョーヴィンが親友のオブロンスキーはうまく橋渡しします。トルストイさん、うまくすじ運びましたね~(笑)その二人の結婚式の様子の描写が、やたらものすごく詳しいのです。こんなめんどくさい結婚式をしたら、二度と結婚式はたくさんだと男性は思うでしょう、とおっしゃっているみたいですね。ここまで再読してきて、はて?わたしの印象に残っているリョーヴィンの哲学的思索はどこ?と、記憶があいまいに・・・下巻に続く
2020年05月03日
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青年期、中年期に、そして今回の老年期にと3回目の再読です。このような世界文学をけっこう再読しておりますが、読む時期のパターンがだいたいこのようになっております。新型コロナウイルス肺炎の自粛が長引く中、再読し遺したものはないか?と頭をよぎるのも精神的影響でしょうか。この有名な不倫小説『アンナ・カレーニナ』を選びました(笑)深いわけはありません。むしろヒロインアンナの運命より、副主人公リョーヴィンの堅苦しいほどの真面目な人生観が、若年の頃より印象深く残っているので、もう一度しっかり読んでみたいと思ったのでした。さて、上巻は美しい魅力的なアンナ・カレーニナが兄オブロンスキーの浮気が原因の夫婦喧嘩を仲裁するためモスクワにやって来て、舞踏会で出会った美青年士官ヴロンスキーと不倫愛に至ってしまうところから始まります。オブロンスキーの友人リョーヴィンは、オブロンスキーの妻ドリーの妹キチイに結婚を申し込んであっけなく振られます。なぜか?キチイはヴロンスキーが好きだからです。けれどもヴロンスキーはアンナに心奪われていてキチイは目じゃありません。リョーヴィンもキチイも失意のどん底。やがてアンナも好きではない夫カレーニンに、浮気がばれて困りはてるどん底が。などとあらすじを言うとなんだかハーレクイン出版物のようですね。でも、トルストイさんの筆にかかると世界文学の名作になるのですよ。ま、わたしは登場人物の一人ひとりに寄り添ったるるたる描写が、人間のこころ、気持ちの動きを奥深く見せてくれる、そこに魅力を感じるのです。
2020年04月22日
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どうしても一年間に3回処置してもらわなければならない症状のため、恐る恐る公的大病院に行ってきました。病院敷地にはテントが張ってあり「発熱外来」が設定されていて、患者さんが間隔を置いて並んでおりましたので、やはり緊迫感がありました。でも、院内は落ち着いておりましたのでほっとしました。ものすごく空いていてびっくり、そりゃそうです。いつもの薬だけでしたら診察無しでもできるようになりましたからですね。診察室に入ると主治医がいきなり笑って「あなたの手術は当分できなくなりました」とおっしゃるので慌てました。わたしとしては、いえいえその手術はまだまだしたくないんです、と、ずっーと伸ばしているのですけどね(汗)「細々とがんの手術はしておりますが・・・」とおっしゃって、マスク越しではありますが、苦笑いしていらっしゃるようでした。本当に医療者の方々は今一生懸命に頑張っておられるのだ!なじみの先生の背中に後光がさしているように思いましたよ。
2020年04月18日
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昨日朝のいつもの時間、いつものウオーキングに出たらえっ!ジョギング、ウオーキングの人、人、人で驚きましたこれはコースと時間を変えないとだめだなぁ~と思いました今朝は雨が降っているので、窓から見た限りはさすが人が絶えてますがこのところ、静な住宅街なのにいつもより人通りが多めなんですよそう言えば朝一番のスーパーも、お昼時のお店も今までのようにガラン~としてはいません、困惑していますTVで見ると、買い物時にはものすごく混雑しているようですしこれはもう、必要な食料品買い出しいく時間と人数に制限をかけないとダメなんじゃないでしょうか都会の街では個人的に時間調節はなかなか難しいですからわたしも、もっと多く宅配にしてしまい、どうしても足りないものは夫婦のどちらかひとりが、週1~2回に行くようにいたしましょう(出不精の夫を叱咤して、連れ歩くのが目的の買い物だったりしたのですが 笑)あとは外を覗いてみて混雑してないかどうか計らって臨機応変にウオーキングはいたさねばなりませんその状態をどれだけ長く続けなくてはならないのか?嘆くのではなく、冷静にうけとめなくてはなりませぬ何もない不自由な時代に育ったわたしたちの世代はどっこい、精神は強いのでありますただ、そのしぶとさを、もう若いときのようには使えなく役立つことはできなくても、なるべくお手数をかけないようにいたしましょう人間の文明が不備はあろうとも、かけがえのないものだから大げさに言えば、人間の精神への愛です
2020年04月13日
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緊急事態宣言がなされましても、何ら変わらない日々のばあチャルくりかえしますが、1月から自粛しているのでもう三ヶ月にもなったのか!ということですむしろ介護的家事労働もすっかり慣れ(笑)ペースに乗ってきたようです変化と言えば、3月末に義姉(夫の長兄の妻)が突然死いたしましたことコロナ肺炎ではなく、脳梗塞で朝一番大きないびきと共に逝ってしまいました時節柄、お葬式にはわたしたち夫婦や夫の長姉は行けず(皆超高齢)ひっそりとなされました由実は夫家といたしまして長兄妻も、ともどもに先祖のお墓に入る予定でしたがお寺の戒名料が高いということで一緒にはならないことになりましたつまり、次男の夫が墓の世話・継ぐというかたちになりましたとは言え、うちも長男が独身、いずれ墓終いの時が来ると思います亡くなった義姉とは、夫家の105歳まで長命だった明治生まれの姑に仕える過程でいろいろ思い出がありますといっても義姉もわたしも戦後育ち、姑にとってもやりにくかったと思われますがはっきり言って姑の押し付け合いだったかもしれないです嫁どうし、タッグを組むような、抜け駆け勝ちのような微妙な関係でありましたねそこに今90歳で施設にいる夫の長姉、いわゆる小姑が調整するような、けしかけるような風で(笑)こういう賑やかな姻戚関係も、この少子化の時代やろうとしてもできないでしょうよ今となっては人生の面白い色どりだったかもしれません
2020年04月07日
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家にこもっている割には読了本が少ないです二か月分のまとめ2月『鴎外の婢』松本清張☆☆☆☆『ペスト』アルベール・カミュ☆☆☆☆☆3月『夏の裁断』島本理生☆☆☆☆『数の風景』松本清張☆☆☆『女の家』日影丈吉☆☆☆☆☆再読したのですが、14年もたつと内容はすっかり忘れていて、なぜか「すごくよかったからどうしてももう一度読みたい!」という気持ちだけは強烈に覚えていたのです。すっかり忘れていたのに感想は14年前とほとんど同じでした(笑)やはりいいものはいい、単に推理や怪奇的な小説ではない、りっぱな文学ですね。
2020年04月02日
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オリンピックも延期になり、喧々諤々のPCR検査数がふえ、感染者数が上がってくるでしょうねと、思っているうちにそうなってまいりました特に東京都はねいろいろ手を打つでしょうけれども住む者にとっては何をどうするのか?それが課題になってきますね近年、田舎から東京に住処を変えてしまったわたしたちあの不便だけれども人もまばらな空気がスカスカなところにいればよかったのかもしれませんと、いまさらそんなこと言ってもせん無いことでございますさて、わたしたち夫婦はどうしてるか食料品や日常品は基本、週一の宅配ですし足りないものは、早朝の小型スーパーに行って補い衣類なども前からネット通販の方が多かったのでしたから何も急に変えなくてもいいのでありますもう1月の半ばから公共交通機関にも乗っておりませんし趣味の教室も、同級生や同年代の集まりもみんな自粛して無し人通りの少ない道を散歩だけは毎日して後は家の中でストレッチ体操、ラジオ体操そして読書・・・の割には読めないのですが!?免疫力をつけるため、いい加減なことができないのでやはり三食の料理には時間がとられますしそれに、家にいると埃もたちますし整理整頓、掃除の回数も増えますねちょっとかないませんなあつい最近イギリスのTVで「外出禁止令で家庭に家族が閉じ込めれれると、DVやハラスメントが起こる心配もある」と言っておりましたが、なるほど何もしない、何にも出来ない家人がちょっと心配ですイライラしたわたしが暴力を・・・(笑)いやいや、散歩していて気が付いたのですが心なしか夫の足腰が弱ってきたようで昨日も神社の階段で躓き、100段もある、その一番上でしたのでひやりとしましたほんと、高齢者がそんなことで、どうなって行くかわかりませんね
2020年03月28日
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清張さんの全作品完読したいわたしの未読作品であるし、二度と読まないであろうから、我慢して読み通したけれども、はっきり言って、初期の作品のように勢いはないし、ダラダラしていて面白みに欠ける。こんなに苦労して読んだ清張作品は初めて。でも、この作品が書かれた1987年、清張さんは78歳ちょうど今のわたしと同年齢、作家もくたびれてくるお歳ごろである(笑)また、解説にあるのだが、ご自身はキリっと引き締まった中編短編がお得意と書いていらっしゃる。実にこの小説は中編を繋げて長編にしてしまったような作品といっていい。この作品の時代背景、80年代日本は庶民が国内だけではなく、自由に外国にも旅行に行けるようになり、このころの清張さん、外国旅行も盛んになさっていらしたとのこと。しかもグルメブームのはしりだったことも懐かしく思いだされる。そのためか、隠れ家的温泉や旅館の山菜づくし献立を丁寧に描いたり、謎のスタイリッシュ美女や、何で食べているのかわからないのに、潤沢にお金を持っていて自由行動ができる悪党らしき人物の登場。う~ん、エンタメを書こうとしたのか(笑)まあ、かわいい、っちゃ可愛いかな(笑)精彩はないけど、そこここに清張節はあったれど。
2020年03月17日
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わたしたち夫婦は82と78です、立派な「武漢から流行って来た新型肺炎コロナウイルス」の弱者でございます。とてもとても用心して過ごしておりますよ。なぜかといえば、うっかり感染して病院を塞ぐご迷惑をなるべく少なくしたいからです。でも、忖度の心遣いにちょっと疲れた気もしないではないです(笑)もう一か月以上繫華街には出ていません。最後は1月24日に築地場外市場に出かけて以来です。その頃にはしっかり日本に入ってきていたのですけれどもね。大型バスが何台も止まっていましたし、築地場外も卸売というよりは立ち食いのメッカになってますからね~。さて昨日の午後は一か月に一度通っている歯医者さんでした。通院をやめようか迷っていましたが、口中のこととて、常日頃きちんと消毒が出来ているのを知っておりますので行きました。案の定、いつもいっぱいの待合室ががらすきでした。そうなるのでしょう、わたしも次の予約は2か月後にして帰ってきました。かかりつけ内科医さんでもそう、いつもより空いておりました。やっぱり降圧剤の処方箋を二か月分にしてもらいましたよ。これっていかに保険制度に守られているかってことですよね。まあ、街のお医者さんも暇になり、経済的には打撃なのでしょうか。インフルエンザのように検査キットが出来れば違うのでしょうか。ちょっと前にも書きましたが、わたしたち高齢者は必要以外は、動かないほうがいいのに決まっています。ゆえ不要不急の外出を控えてはや、ひと月。TVやネットで情報を見てしまうのは仕方ないですが、初めの頃はわあわあと騒ぎ立ててるばかりのようでしたね。さすが最近は重大な状態を把握してきたようですが。ひゃっかめいそう=百家迷走?「百家争鳴」(ひゃっかそうめい)をひゃっかめいそう(百家迷走?)と覚えていたわたくし(恥)気が付いたのはこの記事を書くため、文字変換をしていて間違いを知りましたが、百家争鳴、そうじゃありませんこと?新型肺炎コロナウイルス感染についての専門家や行政の発信の方向が、一向にしっかりとさだまらないのに呆れますねえ。昨日(9日)の専門家会議の内容はかなりはっきりしてきましたが。珍説をひとつトイレを制する者はコロナに勝つ。妄想ですけどね、根拠はあります。コロナウイルスは排泄物からも感染とあります。日本のトイレは超が付くほど衛生的ですよね。中国に観光旅行した時に、行く前から知らされていたけれども、トイレ事情がすごく悪いなあと。イタリアでもベネツィア片隅の鄙びた料理店ではこれぞイタリアンとすごく満足したのですが、トイレに入ってびっくり、便座無しのどうやって用を足したらいいのか!?でした。ただし、イタリア北部の爆発的な感染者数、ミラノはファッションのブランド発祥の地にて服飾・縫製関連の中国人がそれを支えて、とても多く入国しているという情報を知り(知らなかった!)さもありなんと。そうです、いまはネットなどあらゆる情報手段がありますからね、やはり情報を知り過ぎていわゆる「コロナ疲れ」になりそうな日々。わたしとて眠いのに夜遅くまで(わたしとしては)報道番組を見たり、夜中に目が覚めると、思わずスマホを手に取り、ヤフーなどを見てしまうのです。いかん、いかん。
2020年03月10日
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本のタイトルが意味深い。書き手は30歳になろうとしている作家で、恋愛の盛夏の時を過ぎようとしている女性。恋愛にいつも戸惑い、失敗するのではないかとおびえている。男性との出会いにぎくしゃくし、ためらうのは子供時代に辛い性的虐待を受けていたから、そのことから立ち直れるのか、断ち切れるのか。衝撃的なのは本の「自炊」に使う裁断機の登場。「自炊」というのは本をバラしてスキャン、電子データにして保存すること。その本をバラすときに背表紙を切断する道具。ちょうど事情があり謹慎中だった書き手「千紘」は祖父の遺した大量の書籍を、娘である母に頼まれてやることになる。本という物を大切に思うものにとっては身を切られるようなことだ。まして「千紘」は作家である。このつらい作業を虚脱してか、あるいは身をさいなむようにして、祖父の遺した鎌倉の古民家で、夏の間続ける。同時に自分のトラウマをも断ち切りたいと苦闘すように、祖父のだった書斎作業場へ、男性を次々と招じ入れ奔放に恋愛に耽る行動をとる。時が過ぎていくままにやがて変化が。本の裁断をする作家という、気狂いにも似た行為に意味があるとしたら何だろう。女性の心理を只々わかってないと声高に言うのではなく、あたかも自身の性格のように扱いながらも他者との関わりからくるもの、男性遍歴のように積極的に挑んでいるようでも、おびえて模索している微妙な心理を描き、今回も昔に読んだフランス文学を彷彿させた。続編「秋の通り雨」「冬の沈黙」「春の結論」を書き下ろし付け加えたのが、なお「夏の裁断」を光らせているかと思う。
2020年03月04日
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