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使徒行伝5:21~42を読む。
キリストの事を伝えたために使徒たちは当時の宗教指導者から尋問される。使徒たちは「人に従うよりは神に従うべきである」と言う。殺意をもった人たちの中に神の助けが用意されていてピンチは脱するが、むち打たれ脅されたうえで釈放される。
彼らはむち打たれ脅されるが、イエス様の名のゆえに恥を加えられた事を喜んだとある。
誰も脅しや暴力、辱めはイヤである。なぜなら痛みや辱めはその人の体と心に痛みを感じさせるからだ。体の傷もそうだが心の傷が治るのには時間がかかる。プライドが傷つくからであろう。
それは彼らのプライドは神によって守られていたからだといえる。どんなに理不尽な事をされてもその出来事を許された神を信じ委ねていく信仰が彼らをそのように成長させたのだと思う。
「私はあなたがたに平安を残していく。私の平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな。またおじけずくな」ヨハネ14:27
この世の平安と使徒が持っていた平安は確かに違う。過酷な境遇にあっても感謝と喜びで乗り越えていくのは尋常ではない。使徒達は福音を伝えて最後には殉教していく。しかしその恐ろしい死ですら平安をもって乗り越えていけるとしたら、この世の平安とは全く違うといえる。
聖書は、神に愛されている事を知ってその人生を神に委ねるなら誰にでも、その平安が与えられると約束している。