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最近、巷ではインフルエンザが大流行しているみたいですね。私の周りでも数人感染者がでました。私は不規則な生活にもめげず、今はピンピンしていますが・・・「○○は風邪ひかぬ」・・・もしや・・・皆様もお体にはくれぐれもお気をつけ下さい。人間やっぱり体が資本です!!
2006年01月27日
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人間ですもの、人間には人それぞれ価値観があります。それはとても大切です。でも、それがあるゆえの弊害もあります。価値観、つまり認知の枠組みですが、もう少し身体機能に、例えば知覚機能に近い部分では錯視や錯覚、ゲシュタルト心理学の「図」と「地」の関係なんかも含まれる部分があるように思います。価値観ってとっても大切で、一つの事実、例えばコップに入っている水を理解する際に「コップに半分も水がある」と考えるのか「コップに半分しか水がない」と考えるかで、その人の気分や心の在り様は大きく違ってくると思います。ちょっとした差ですが、大きいと思います。また、そんな時に柔軟な視点の切り替えができると楽なのですが、視点が固まってしまうとどうしても生き難くなってくるように思います。時にはそれが原因で心が不調和をきたすこともあると思います。ある出来事に対して「これは不可能だ」と思っている場合、それは無理という真実として人間は出来事を捉えがちですが、「不可能」というのもその瞬間でのその人の認知に影響されている可能性があります。つまり、不可能も本当に不可能なのかは、真実はわからないと思います。真実と現実の違いがあると思います。そういう意味では、「不可能」とは「不可能性」という一つの可能性なんだと思います。不老不死など、本当に不可能な事もあると思いますが。それは今回は少し脇へ置いておくとして。なんとなくですが、そういう風に考えれたら少し硬さがとれ楽になれるように感じています。歴史上に登場する発明家というのは、こういう視点の下、不可能を不可能性として考え、あくまで可能性を追求した人達なんだと思います。少し話が脱線しますが、こういう考え型をする時に大切になるのが、「しんどい時ほど止まってはならない」という歩き方のコツかなと思います。人間はすごく疲れて、くたびれて、しんどい時であるほど、止まらずに歩いたほうがよくて、止まって休むと次に立てなくなるという考えがあります。これは別に疲れを無視して死ぬまで馬車馬のように走り続けなければならいというのとは少し違うと思います。しんどい時にも止まらずに、と考えると確かにそういうニュアンスがゼロというわけではありませんが...むしろそれよりも、登山の時の歩き方のように、ほどよい休憩もはさみながら、配分を考えながら、というニュアンスも含まれいるように思います。ある一時期にエネルギーを放出するためにエネルギーを時に貯めながら、そんな感じかなと思います。不可能という可能性に立ち向かう時、とても莫大なエネルギーが必要となります。放出するためには、それと同じくらい貯める事も大事な事だと思います。
2006年01月26日
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催眠というと、何をイメージするでしょうか?たぶん、普通はテレビ等の影響で退行催眠や「あなたはだんだん眠くなる~」みたいな導入をする暗示だと思うのですが、・・・なんだがとっても怪しげですね。。。でも、それだけではないんですよね。以外と普段の生活の中にも、ちょっとした暗示や催眠って存在するんですよね。例えば、“鰯の頭も信心しだい”って諺や、お母さんが子供に使う「痛いの痛いの飛んで行け~」ってやつも、相手の状態をコントロールするって意味では、簡単な催眠みたいなもんですよね。特に大阪の文化である“笑い”、これも緊張を人工的に作って急激に弛緩する。相手を誘導しているって意味では催眠の一種でもあります。普段、何気なく生活している中に以外と沢山存在しています。それを意識的に上手く利用する事でコミュニケーションの促進に繋がれば、と思って短期療法やNLPのテクニックを仕事先で説明してみたのですが・・・説明の仕方が下手だったせいもあり、楽しんでもらえませんでした。説明下手や頭が固くなってる自分を痛感しました。う~ん、なかかな難しいな。。。話し下手、人間関係下手だから面接室仕事に逃げ込んでるなぁ、・・・・・・イカン、イカン、もっと社会性を身につけなければ(>_
2006年01月20日
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一昨日の晩、仕事後にセミナーを受け、眠くて目をシパシパさせながら10時くらいに帰宅し、マンションの集合ポストを覗いていたら“ドーンっ!!”と大きな音が外から聞こえました。「何事??」とビックリしてから「もしや・・・」と、勘違いである事を祈りつつ、急いで道路へ確認しに行くと、自転車が倒れ、そこから10数メートル先に高校生の男の子が道路の端に寝てました。急いで彼の意識を確認し、動かないように説得してから、急いで救急車を呼びました。ひき逃げです!!彼の搬送先の病院が決まってから、警官と事故直後の状態について話し、その日は部屋に戻りました。今日は帰りが遅い上に疲れがピークだったので、帰りにタコ焼きを買って帰ったのですが、警官との話しが終わった頃には11時半近くになっていました。近所では有名なタコ焼屋さんで買って、ちょっと楽しみだったのですが、冷めたタコ焼きのわびしさや虚しさが、事件への虚しさとリンクしてなんとも思い出深いタコ焼きの味でした。そして昨日。朝早くに警察から電話がかかってきて、彼が頭を強く打ったせいで、(恐らく)一過性の健忘を起こしていて、当時の状況が全く早期できないというのです。大事に至ってないといいのですが・・・心配です。最近は精神医療でも高次脳機能障害へのアプローチが注目されていますが、・・・その話は別の機会にまたするとして。無事だといいのですが・・・。彼の安否を心配しつつ、もう一つ気になるのが交通事件での捜査技術についてです。第一発見者である私も音以外何も聞いておらず、目撃者ゼロです。ちゃんと犯人を検挙できるのでしょうか??不幸は身近で続くものなのか、最近、私の周りでひき逃げ事件が多いのです。去年は仲のいい女の子が夜中にひき逃げに合い、その時もかなり強烈な事件だったのですが、犯人は見つかりませんでした。テレビで放送されている、警察の特番では捜査技術は格段と向上していて、かなりの高確率で逃げても検挙できると放送されいますが、実際はどうなのでしょうかね??大阪に引越した時、治安は心配でしたし、「もしかしたらいつか、何らかの形で事件に関わる日がきたりするのかな」なんて漠と思いはしてましたが、まさかこんなに早くに事件に遭遇するとは(>_
2006年01月19日
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私はわたしの事をする。あなたはあなたの事をする。私はあなたの期待に応えるためにこの世にいるのではない。そしてあなたも、私の期待に応えるためにこの世にいるわけではない。あなたはあなたで、私は私。機会があって私たち二人が出逢えたならば、それは本当に素晴らしい。もし二人が出逢えなければ、それはそれで仕方がない事だ。上の詩をご存知でしょうか?ちょっと機会あって私もしばらくぶりに見たのですが、これはゲシュタルト療法という心理療法の方法論を考えた、パールズという精神科医が詠んだ詩なんです。彼の創始した心理療法は日本ではあまり普及しませんでした。テクニックだけを借用したり、ブリーフセラピーの一環として折衷した形で使用されている方は多いかもしれませんが。本格的に実践されてる方は他の有名な技法に比べれば少ないと思います。そこには多くの理由があるように考えられるのですが、その中には自己の責任を強調する思想は、そういう事に疎い日本人には合わないとの考えから。または、過度の直面化は治療対象論的に考えた時に適応範囲が狭いため。このような意見も含まれると思います。「私は私、あなたはあなた」なんて言われたら、そんな個人主義的な発想は日本人にはなじみにくいように感じるかもしれませんが、本当にパールズが言いたかったのは個人主義的な価値観ではなく、如何に人間と人間が「今、ここで」出逢えるか?なんだと感じます。相手を操作する事も色眼鏡で見る事もなく、自分も操作や色眼鏡で見られず、あるがままの我と汝が出逢う方法を追求した一試論なんだと思います。ゲシュタルト療法は強いリードをする(とても操作的)と思われがちですが、本質の部分ではそうではないように思います。相手の動きや展開にひたすらついて行き、そこであるがままの自分として治療者が介入する。相手を最大限に尊重しないと展開がおきません。イメージと裏腹に、そういった意味では非常に受容的な技法です。そして治療対象論的にも、技法の修整と共に少しずつ広がってきていいると思います。ゲシュタルト療法を学んでいると心とは、考えるものではない、感じるものだ。と言われているようで、個人的にはそこからの気付きや学びは大変面白く大きいものがあります。私が勝手に、偏見を持って見られているという憶測に立ち、その憶測に対する些細な訂正でした。
2006年01月15日
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しばらく更新がままならなくなっていましたが、、、お久しぶりです。私は今、仕事で3つの異なる職種の現場に関わらせてもらっています。そこではどれも、新鮮で面白い発見が多く、結構楽しく働いています。例えば、非行と不登校の心理臨床の実践での違い、根っこの部分では似通っている部分も少なくないと感じることも多いのですが、問題の表れ方としてこんなにも違いがあるのか?と興味深く、また対極とでも言えるような表現方法をとって問題が出てきている現場に関わっているので、片面だけをみるよりも非常に視点が広がって面白いです。・・・心理士として役に立ててるか?うーん、まだまだ不十分で至らないとこばかりですね。まぁ、そこは今回は考えないようにしましょう。そんな風に興味深い発見も多く楽しく働いているのですが、臨床の楽しさを感じているとその臨床の楽しさを教えてくれた、駆け出しの頃のある男の子の事を思い出します。詳細は書けませんが、その時点において僕の手にあまる(と、自分では思っていました)根の深いを問題を抱えた方だったのですが、こちらが耐えれず臨床を続ける事に困難さに圧倒されかけていたときに、心理臨床とは何だろう?自分には何ができるのか?と寝れないほど考え込んでいました。そんなある日、「わからない」と感じることで余計に問題をこじらせていることに気づきました。「心理臨床とは実践の学である」それがバカな頭にも少しわかるようになりました。人と人との関わりを基盤とする学問・実践である以上、こちらの問題や心身のあり方を抜きには考えが成立しません。こちらの考えが相手の関係の空間の理解に影響を及ぼしていると、数ヶ月かかってようやく気づくことが出来ました。それと共に、彼から「出逢いから学ぶ」という事がどういうことなのか?少しだけその答えに近づくヒントを頂きました。書ききれないほどに沢山の事を彼から学ばしてもらったのですが、最も大きな学びが「今、ここで」の人としての出逢いを通して学んだ事を、次の面接、次の出逢いに還元していく事、それこそが心理臨床であり、何に気づき、学んだ事をどうやって還元したらいいのか、についての一遍を学ばせてもらった事です。彼との出逢い、様々な人との出逢いを糧として、楽しく、悩みや困難と共存しながら、臨床実践を続けいきたいでです。いつも謙虚に、いつも楽しく、いつも悩みながら。
2006年01月13日
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ちょっといまさらな気もしますが…せっかく年始(まだギリギリ年始ですよね?)ですので、今年の目標を考えてみようと思います。1.安定した収入を得て、ちゃんと家賃を払い続ける。 って言っても、これまでもちゃんと払ってましたが。…ただ、新居は家賃がアップしてるんです。ガンバって働かねば!!今年こそは、今年こそは安定した収入を得たいです。職業柄どうしても常勤の仕事というのは高嶺の花ですが、今年はガンバって安定した収入をゲットしたいです。2.太らない!!&運動不足を解消する!! 何故か?それは、この正月に彼女から、あるお祝いにミリタリージャケットをプレゼントしてもらいました。それを着るためにはある程度スリムな体型が必要なように感じています。それに今のままだと…今あるパンツ(ズボン)がはけなくなりそうで、一人勝手に危機感を覚えてます。3.心理療法の研鑽を怠らない。 心理臨床全般の研鑽、自己研鑽を怠らないようにしていくつもりですが、特に、精神科臨床と精神分析的精神療法の勉強を引き続きガンバる。精神科臨床は将来的にはそれ一本でいければと思っているジャンルなので、今はあまり関わりがないですが、学び続けていきたいです。今はまったくですし、将来的にも実践できるようになるかわかりませんが、精神分析的精神療法の勉強と研鑽を積んでいきたいです。4.ブロクの更新を続ける。 大きくはこの4つですね!今年もガンバろう。皆様、今年も何卒宜しくお願いいたします。
2006年01月06日
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新年明けましておめでとうございます。昨年末は引越しのせいで、かなりドタバタと目まぐるしく師走が過ぎ去ってしまいました。&引越しの片付けと修理で年始もバッチリ潰れちゃいました(T_T)本当にお久しぶりです。久しぶりの書き込み、ちょっと自分でも嬉しいです。そして新年んという事で心晴れやかです。・・・引越しは・・・すんごく大変でした。日々の仕事に追われ、準備が前日まで殆ど出来ていたなかったので、徹夜で梱包しました。そして、友達に運搬と掃除を手伝ってもらって、どうにかこうにか、なんとか終わりました。・・・お礼と引っ越し祝い&そして忘年会を兼ねて、新居で盛大な鍋パーティーをやったのですが、徹夜にアルコールをガンガンいれたので、かなり妙なハイテンションになってしまい、久しぶりに学生のような盛り上がり方をして楽しく年忘れをしました。すっごく楽しかったです。やっぱり友達に逢えるのは幸せな事だなぁと痛感していました。新居は広さと立地条件は至極最高なのですが・・・・なにせ物件自体がかなり古いため、いたるところにガタがきちゃってました。契約した頃から多少は予想していたのですが、予想を大きく上回るボロさでした。特に水周りが悲惨で・・・大晦日、もう後数時間で今年も終わるという時にトイレの水管が壊れ、トイレが水浸しに(>_
2006年01月02日
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