嗚呼!哀愁の我が音楽人生

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2006.12.29
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カテゴリ: 私の音楽遍歴

今日は久しぶりの「私の音楽遍歴-4」をお送りします。私の社会人デビューそして夜学へ。たくさんの出会いが待っています。

1990年春。高卒で社会に出て、某社某部署に配属された。まだ何も分からない僕を先輩方はよく面倒みてくれたと思う。当時を振り返ると、赤面モノの行動を沢山やらかしている。

先輩のOさんは当時30歳くらいだったが、昔バンドをやっていて、アマチュア時代の氷室京介もよく知っているとのことだった。LED ZEPPELINが好きで、バンドもやっていたとのこと。そんなことで当時のことをよく教えてくれた。

もうひとりのTさんは28歳くらいだったとおもう。高校時代はバンドを組んでいて、これまたZEPが大好きだった。ある日ZEPのLPをまとめて全部貸してくれた。これまで4枚目しか聴いたことがなかったので嬉しくてたまらなかった。今はすごく近所に住んでいる。

新入研修で驚くべき人の存在を知る。何の研修かは忘れたが、講師は数人を指名して前で自己PRさせた。そのうちの1人だ。その人はROLLING STONESが大好きで、なんとアメリカまでライブを見に行くのだとか。同期全員が驚嘆の声を発していた。
私も同様に驚いた。いつかじっくりお話をしたいと思ったし、同じ会社だからいつか相見える時がくるだろうと思った。約10年後、それは現実となる。ある人の引き合わせだ。それが前にも書いた「ストーンズクレイジー」Mさんだ。

もう一人同期で大きな出会いがある。やはりMさんという。現在はチョッパーさんと呼ばれている。3月のSTONES初来日公演では海外旅行ほどの金を注ぎ込んだと言っていた。かなりの変人。筋金入りのROCKファンで、この人からも今後ミッシェルガンエレファントのチケットを頂いたり、CDを借りたりと、頻繁ではないが今でもお付き合いは続いている。

社会人になって周りの友達はすべて進学し(または浪人)、学生生活を満喫しているのを見て、少し寂しい思いをした。なんだか自分も勉強したくなった。で、上司に相談して夜間の法律専門学校に通うことを決意した。この学校は中央大の通信教育部と連携しており、学科試験に合格すれば中大の単位取得も可能だった。1991年、20歳になる年の4月に入学をした。

同じクラスで1つ年上のSさんと知り合った。この人はギターを弾く。なかなかの腕前だったと思う。この人に勧められ、自分もギターを購入した。初心者らしく本体は5万程度のものを選択。当時よく宣伝していたIBANEZのRG-550というフロイドローズのついた現代風ギターだ。あの頃はEDDIE VAN HALENに憧れをもっていたので、そういう選択になったのだと思う。そしてアンプはSさんにそそのかされてGUYATONEの10Wのチューブアンプを選択した。3万ほどだったと思う。これはちょっと失敗したかもしれない。家に帰って音を出してみたが、思ったような音は出なかった。トランジスタでよいから小さなマーシャルでも買った方がよかったかもしれない。きちんと楽器屋で音を聴いて買えばよかった。

ギターは高校時代に、亡くなった叔父さんの使っていたクラシックギターをもらったので、簡単なローコード程度は知っていた。なので比較的スムーズにエレクトリックにも入れたと思う。夏にはスクーリングといって中大に4週間通うのだが、ここにもギターだけ持ち込んでSさんと練習した。

練習しながら思ったのは、フロイドローズ(それもフローティング加工)は弦交換とチューニングが大変で、プレイ中に1本切れると他の弦のチューニングも全て狂ってしまうため、非常に面倒。随分後になって、EDDIEはこれを嫌いフローティング加工をしていないことが判ったのだが。結論としては「いらない」と考えるようになった。SLASHやZAKK WYLDE、JOHNSYKESのようなLESPAULプレーヤーに憧れるようになったのもある。クラシックロックが大好きだったし、ZEPの影響もある。彼らの使っているLESPAULを見ると、モダンなギターはおもちゃのように見えてきたのだ。

で、我慢ならずに2年程してからoville by gibsonのLESPAUL-standerdを購入した。タバコサンバーストのキルトトップで、日本製だったとはいえ、上位機種だったから品質的には本家と同等かそれ以上だったかもしれない。家で早速アンプに通してみたら・・・・感動した。サステインがまるで違う。音が太い。このギターはペグ交換やbigsbyのトレモロ装着、ポジションマークの修理といったマイナーチェンジを経ながら、この後10年近くメインとして活躍し、最後にはFIREBIRDの購入資金にするため売ってしまうことになるのだが、今思えばちょっと惜しい気もする。

多少ギターが弾けるようになったので、友人とバンドをやってみた。最初期のラインナップはGrが自分、Baが幼馴染のT、Voが現在消防団の副分団長をやっているN、DrとしてNが従兄弟の女の子を連れてきたが、一度音合わせをしてみてほとんど演奏にならず崩壊した。で、次からはNがDrに転向することになる。これがTHE BULLSHITSの母体となる。詳細は後日。

音楽的知識の面では、社会人になり給料をもらう立場になったことで、欲しいCDはどんどん買うようになったから、大きな広がりを見せた。ライブにもよく行った。初めて見たロックコンサートは、90年のWHITESNAKE武道館公演。ギタリストにSTEVE VAIを加入させるという無理ありすぎの末期ラインナップだったし、席も武道館2階の一番後ろだったが、ライブ初体験、スタート前のあのドキドキ感、高揚感は忘れられない。Sさんの影響は大きく、THIN LIZZYを知ったのも彼の影響だ。彼は豊富な知識、特に古いブリティッシュハード系にはマニアな部分を持っていた。しかし若干性格に難があり・・・・というか、私といると必ず何かやらかすため、卒業後は頻繁に会って話すこともなくなる。この前も久々に会って飲んだのだが、やってくれた。突然咳き込んで、口に含んだジュースを私のスーツに吹き出しやがった。これでまたしばらく会うことはないだろう。まあ、早くいえばこの時代は、社会人の経済力をフルに活用し、その筋の音楽的知識は格段に増えたということだ。        続く。






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Last updated  2007.02.01 20:00:37
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