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銚子ポートタワーから約7km、「地球の丸く見える丘展望館」に到着しました。ここからは屛風ヶ浦に犬吠埼灯台、銚子市街も左に右に見えます。地球が丸く見えるわけではないけれど、愛宕山山頂(73.6m)にあり、16mの高さがあるので、屋上は海抜90mにあります。エレベーターで展望台に昇り、右手に見えるのが屛風ヶ浦。断崖絶壁。犬吠埼も見えます。ただし、下の階からだと民家と重なって灯台が見えない。 さらに屋上に出てみます。屛風ヶ浦。沖合には風力発電も。 犬吠埼灯台。 銚子の市街。先ほどの銚子ポートタワーが小さく見えます。 展示コーナーでは、大きな琥珀の原石が見られました。
2021年05月06日
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銚子ポートタワーから地球の丸く見える丘展望台に行く途中、銚子大仏に立ち寄りました。別名飯沼観音。正式名円福寺。銚子電鉄観音駅はこの寺に由来します。奈良時代の神亀5年(728)からという由緒あるお寺です。仁王門から入ります。 本堂の前には大仏が。5.4m、江戸時代の正徳元年(1711)に建立された阿弥陀如来。大仏と一緒に写真をと書いてあります。千葉県唯一の五重塔は、2009年に新しく造られたもの。33.55m。 植樹された椿は歌舞伎役者・市川海老蔵が植えたもの。堀越は彼の本名です。思いのほか、大きい大仏。来たかいがありました。
2021年05月05日
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ウオッセ21と空中連絡道で結ばれているのが、「銚子ポートタワー」です。ハーフミラーガラスのツインタワーで、4階の展望台は地上46.95mの高さ。太平洋が一望できます。市内の地球の丸く見える丘展望館とのセット券にしたら安かった(700円)のでそうしました。エレベーターで一気に昇ります。到着。結構高い。 足元には銚子港。北側に目を転ずると、利根川の河港が見えます。 せっかくセット券を買ったので、地球の丸く見える丘展望館にも行ってみることにしました。
2021年05月04日
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沖縄最終日(3月31日)は、那覇に直行して、波上宮(なみのうえぐう)に立ち寄りました。沖縄総鎮守で琉球国新一の宮。石の二の鳥居をくぐって境内へ。赤い屋根が琉球っぽいけれど、神社の創建は意外に古く、14世紀。 明治天皇の銅像。狛犬はシーサー。 この旅が無事に終わったことを感謝してお参りしました。
2021年04月23日
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沖縄最後の夜(3月30日)は今帰仁村で宿泊。泊まったのはペンションサンセットビーチ。客室は2階で、1階には海から上がった時用のシャワーがありました。海水浴シーズンなら人も多いのでしょう。雨も上がったので、すぐ目の前の浜辺へ。もっと天気が良かったら景色もよかったのに。 夕飯は通りに出たところにある北山商店で、イラブチ(アオブダイ)の刺し身やマース煮(魚のあら煮)、オリオンビールなどいろいろ買いました。
2021年04月22日
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今帰仁のお城を見学した後は、資料館「今帰仁村歴史文化センター」を見学します。入り口の前にある船は、2011年の東日本大震災で岩手県山田町から流された船で、2018年に古宇利島沖で発見されました。7年もかけて。持ち主の山田町の大石さんと龍神丸も対面を果たし、結構話題になったようです。展示品を見ていきます。今帰仁城から出土した壺や皿などの食器。 古銭。琉球が中国と日本の間で、貿易国として栄えた往時をしのばせます。首飾り。勾玉が大きい。 この刀は、国宝千代金丸(ちよがねまる)。最後の北山国王攀安知(はんあんち)の所有した伝説があり、尚家に伝わっています。これは複製で、本物は那覇にあります。
2021年04月21日
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古宇利島からの帰り、スコールのような土砂降りで観光はちょっと難しいかと思ったけれど、今帰仁城に着くかどうかのところで突然雨が上がりました。「今帰仁の神様に歓迎されてる」と妻。また降りださないうちにお城の見学に行きます。今帰仁城は南北350m、東西800m、面積3万7000平方m。最大級の城(ぐすく)です。琉球統一前の北山王国の王城で1416年、中山王国の尚巴志王によって滅ぼされました。落城させた将軍は護佐丸。中城城を造り、勝連城の阿麻和利の讒言で殺された人。考えてみると今回の旅は護佐丸絡みの城巡りでした。立派な外壁の真ん中にある門は「平郎門」。 門の裏側から。石組みの造りが古い時代を感じます。2月ごろには、カンヒザクラがきれいに咲くそうです。もう時期外れですが、ガイドさんに勧められ、サクランボを食べてみました。酸っぱい。 新しくできた石段。旧道は向かって右側に埋もれています。主郭(本丸)に到着。奥に火の神が鎮座しています。 さらにその奥へ。志慶真門郭(しげまじょうかく)です。城主に仕えた身近な人々が住んだと考えられています。発掘調査で4つの建物が発見されました。 海も望めます。さあ、主郭に戻ります。低い門につっかえました。 御内原(うーちばる)。女官の住んだところ。ここからの城壁と海の眺めが素晴らしい。
2021年04月20日
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海抜82mの高さから、古宇利大橋と海を一望できる「古宇利オーシャンタワー」。券売所から自動カートに乗ってタワーまで登ります。カートはジグザクに斜面を登ります。あまり天気は良くないが、古宇利大橋も見えてきました。 音声に従って、記念撮影。約5分でタワーに到着しました。さらにエレベーターで塔に昇ります。3階から。先ほどより橋がしっかり見えます。 そして階段で屋上へ。今にも雨が降りそうですが、絶景でした。お土産にパインジュースやシークワーサージュースを買いました。
2021年04月18日
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玉陵の後は、識名園(しきなえん)へ。琉球の国王や王族が使用した庭園です。1799年に創建され、中国や日本の庭園様式を取り入れつつ、琉球独自の庭園になっています。中国皇帝の冊封使を迎えて宴を催したこともあったようです。真ん中に池がある回遊式庭園で、ゆったりとお散歩できます。園内に入ると熱帯植物の林を抜けて行きます。 正門の裏。さらに歩いていきます。 育徳泉。今でも湧いている井戸。池の水源の一つになっています。六角堂。中国風。 池の真ん中に2つ架かる大小の石橋。中国風のアーチ橋です。池の回りを1周して、反対側から見る御殿(うどぅん)。 石橋2つを遠目に見えるところまで来ました。
2021年04月11日
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首里城の後は、玉陵(たまうどぅん)へ。歴代の琉球王の墓所です。1501年、第2尚氏王統第3代の尚真王によって造られました。2018年には沖縄県の建造物として初めて国宝に指定されました。第1門。門は二重になっています。サンゴ砂利を敷き詰めた庭を歩いていきます。第2の門。この奥に見えるのが、御陵です。 墓は3つの部屋からなり、正面の部屋(中室)は葬儀の後、亡骸を納めた場所です。数年経過した後洗骨し、王と王妃は向かって左(東室)=写真=の部屋に安置されました。正面に向かって右(西室)=写真右側=はそれ以外の王族が葬られました。写真左側は中室。 東室の上には、シーサーがしっかりと守っているようです。資料館も見学。壺や遺骨を入れる厨子などを見ました。
2021年04月10日
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園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)石門は、世界遺産の構成要素の一つ。守礼門から首里城に入ったすぐのところにあります。琉球国王が外出の際にここに立ち寄り、安全を祈願した礼拝所です。1519年に創建され旧国宝にしてされていましたが、戦災で壊された後、1957年再建されました。琉球石灰岩で造られており、門の形をしていても人が通ることはない神の門です。後ろの森が聖地、園比屋武御嶽です。
2021年04月09日
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那覇に戻り、首里城へ。10数年ぶり3度目の訪問です。公営の駐車場が満車でタイムズに止めました。そのため、本来の守礼門からでなく、入ったことのない木曳門から入場することになりました。19年10月31日の火事から約1年半、焼け跡は果たしてどうなっているのか、気になります。焼け残った広福門が券売所で、向かいにあるのが首里森御嶽です。城内に10か所ある聖地の一つ。無事再建されるようお祈りしました。奉神門から入ります。 大龍柱(りゅうちゅう)。焼け残ったものが見られます。がれき。袋に分けて片付けられています。 正殿遺構。15世紀の石積み。土台。 東(あがり)のアザナ。城内最高地点に登ります。上から見た全体図。建物がなくなって寂しい。 アザナから首里城と逆側を見ます。 出口の久慶門。守礼門。こちらから出たのは初めてです。 .3
2021年04月08日
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うるま市の「勝連(かつれん)城」は、世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺跡群」の一つ。12世紀ごろの建造でグスクの中でも最も古い城です。なんと無料で見学できます。阿麻和利(あまわり)の統治下にありましたが、首里に謀反を起こし、1458年に落城したと伝えられます。しかし、戦闘の痕跡がなく、阿麻和利が地元では英雄・名君と伝わっており、正史には疑問があります。伝わる経緯はこうです。琉球王国第6代・尚泰久王の娘婿である阿麻和利は野心家だった。泰久王は忠臣の護佐丸(王妃の父)を中城城に移してけん制した。阿麻和利は護佐丸が軍備を増強しているのを見て、謀反と訴えた。王は阿麻和利を信じ護佐丸は弁明せず自害。阿麻和利は今度は泰久王を狙ったが、妻が泰久王に知らせたので敗れた。でもこれはかなり不自然です。泰久王が、実力者で邪魔な2人を消すために画策したのでは、と疑ってしまいます。今後の研究が待たれます。立派な外壁を見て登っていきます。 ミートゥガー(夫婦ガー)という縁結びの井戸。三の曲輪。 トゥヌムトゥ。木の下の石は、収穫祭の時、神人(カミンチュー=神職)が腰掛けた石。海の眺めも素晴らしい。 さらに石段を登っていきます。二の曲輪を経て、一の曲輪へ。一番上、一の曲輪に到着。海中道路方面。 一の曲輪にある「玉ノミウヂ御嶽(うたき)」。守り神をまつった拝所。二の曲輪にある洞穴・ウシヌジガマとつながっているのでは、とも言われています。右の大きな石は霊石です。
2021年04月06日
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中城城は標高160mの丘陵上にあります。立派な石組みは、黒船のペリー提督も調査隊を送り、その築城技術の高さに驚嘆したことが報告書に記されています。南の郭から立派なアーチ門をくぐって、一の郭に入っていきます。 正殿のあったここは、内地の城でいえば本丸。沖縄の城も、一の郭、二の郭、三の郭、南の郭、北の郭、西の郭などに分かれています。一番上から再び海を眺めます。 一の郭と二の郭をつなぐ門。布組みという工法。野面組みに比べ、すっきりしています。二の郭の城壁。一部登ることができます。 凄い造りに感激。三の郭に降りていきます。 護佐丸が増築した北の郭を左手に見て、三の郭へ。馬場から眺める三の郭は広々としていました。そのまま入場口のほうに降りていきます。約40分ほどの散策。中城城をすっかり堪能しました。
2021年04月02日
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沖縄2日目(3月29日)は世界遺産のお城を巡りました。まずは「中城(なかぐすく)城」。最初に建てられた時代は不明ながら、15世紀、護佐丸(ごさまる)の増築で知られています。護佐丸は尚氏6代の王に仕えた英雄です。最後は謀反の罪を着せられて殺されたそうです。朝8時半からオープン。大人400円。9時前に到着。先客もほとんどいなさそうでした。正門までは無料カートで送ってくれます。結構坂もきついので、乗ってよかった。 近づくと城壁の立派さが目につきます。時代が違うので、場所によって石組みも異なります。こちらカンジャーガマ。鍛冶屋の跡です。海も見えます。朝方雨が降っていたのでちょっと曇っています。 正門跡。かつては矢倉があったそうです。城跡の碑。石組みも素晴らしい。 正門の裏側。では、南の郭に登っていきます。 城内には拝所が多数ありますが、ここには拝所が3つありました。首里遥拝所。この先は首里城の方角です。久高遥拝所。神の島、久高島の方向を拝みます。 こちらは雨乞いの御嶽(うたき)。南の郭の野面組みが荒々しく、堪能しました。この先は一の郭です。
2021年04月01日
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クルックフィールズのテーマの一つがアート。草間彌生さんをはじめとするアートが園内のあちこちで見られます。赤と白のボウリングのピンのような不思議な形が遠くからも目立ちます。タイトルは「新たなる空間への道標」だそうです。草間さんのアートは、他に鏡張りのキューブもあります。こちら、カミーユ・アンロさんのアート。 カラビナカー。アメリカの通学バスが子供の遊び場に。サステナブル・ブリッジ。東京湾に漂うごみを固めて作った橋。 これは、ブランコから落ちた人?まだ展示準備中のようです。 全身から水が出る人。他にも、中に入るとクリスマスツリーの飾り付けに圧倒される建物など、いろいろありました。
2021年03月03日
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八千代八福神の最後の一つは寿老人。長福寺(八千代市萱田)がそれです。弁財天の長福寺(八千代市米本)と名前は同じですが、別のお寺です。応仁の乱後の1487年(長享元年)創建、火災を経て江戸時代の1616年(元和2年)に再建されました。寿老人は本堂左に黒光りした銅像があります。鹿を連れています。境内は、季節がら、梅が色づいていました。 ビンズル像。撫で仏。撫でると病をよけるといわれています。本堂。しっかりお参りします。スタンプも8つたまりました。 真っ赤な山門。両脇の仁王像も立派です。
2021年02月22日
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八千代八福神の大黒天は、妙徳寺(八千代市真木野)にあります。吉祥天の妙光寺からほど近い、南に400mほど秀明大側に戻ったところです。鎌倉時代・正応6年(1293)の板碑が残っているけれど、市内最古だそうです。大黒堂の中は、見えなかったです。でも、大黒天は本堂にあるようです。
2021年02月12日
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八福神にするために、七福神に加えられた吉祥天は、秀明大学の先の妙光寺(八千代市小池)にあります。創立は室町時代の永和年間(1375~79)で日蓮宗です。明治時代の大火でほとんど焼け、現在の本堂は平成2年建設のものです。吉祥天は本堂にありますが、見られませんでした。ここはいまのところ唯一、八千代八福神ののぼり旗が立っていませんでした。加盟の8寺の中にも温度差があるのかな。本堂前にある銅像。吉祥天ではなく、水子観音でした。
2021年02月09日
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八千代八福神の布袋をまつるのは、高津観音寺(八千代市高津)。高津比咩(たかつひめ)神社に隣接しています。平安時代前期、藤原時平の娘、高津姫は菅原道真のたたりから逃れるため、荘園のあったこの地に移り住みました。姫の死後、神社が建てられ、姫の信仰していた十一面観音は観音寺の本尊になりました(江戸時代に焼失したそうですが、再建されたのか本堂にありました)。山門から本堂をのぞく。 境内には韓国式の鐘楼、慰霊塔があります。関東大震災の折に起きた朝鮮人虐殺事件(高津事件)の供養のためです。 最近、事件を否定する歴史修正主義の動きがありますが、それはひいきの引き倒しです。負の歴史から目を背けることは、かえって日本を貶めることになると思います。
2021年02月08日
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八千代八福神の一つ、弁財天は長福寺(八千代市米本)にあります。1551年、米本城主村上綱清の創立と伝わるけれど、1467年の板碑が残るので、それ以前から何らかの施設があったらしいです。綱清は1558年、戦に敗れて自害。墓は本堂の脇に五輪塔があります。戦の相手は太田道灌と伝わりますが、道灌は1486年に死んでいるので史実ではありません。綱清は1575年の戦に参加した記録があり、古河公方の書状が残るなど不明の点が多いので、今後の研究が待たれるところです。長福寺はよく前の道を車で通っていました。両脇に戒壇石がある入り口、さらに山門を入っていきます。目につくのは鐘楼門。ちょうど正午。突然、鐘が突かれてびっくりしました。時間が来ると自動で突くやつです。 門の下には四天王像。2014年に奉納されたものです。本堂にお参り。八福神のスタンプラリーのスタンプも押します。 肝心の弁天様はどこにいるのかな、と思ったら山門の外、駐車場よりも手前に、お堂がありました。この日は開いていませんでした。
2021年02月02日
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八千代八福神の一つ、福禄寿は東栄寺(八千代市保品、真言宗豊山派)にあります。ここは八千代市でも東のはずれ、新川を渡れば佐倉市のユーカリが丘地域です。自宅からも一番遠いお寺です。本堂にお参り。写真の右側にも見えるしだれ桜が有名。機会があれば花の季節に来たいものです。本尊は薬師如来。1708年に改修の記録があるのでそれ以前のもの。お寺の創建は不明ですが、八福神・毘沙門天の正覚院の釈迦如来像は保品から来たと伝承されているので、正覚院(平安時代・保元)より古いのかな?
2021年02月01日
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八千代市内最大の古墳が「根上(ねのかみ)神社古墳」。東葉高速鉄道の村上駅のからすぐのところにあります。全長50m、後円部径35m、同高さ3.5m、前方部径32m、高さ2.5m。一部が住宅造成のために削られましたが、現在は神社の社殿が建っています。急な石段の参道を上っていきます。右手は辺田前公園になっていますが、電車が開通した頃はうっそうと木が茂っていました。溶岩のような岩の上に狛犬が立っていました。 お参りしてから、古墳の周囲を一周します。真ん中がちょっとくびれているのが、前方後円墳っぽく見えました。 説明板。
2021年01月21日
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八福神の一つ、毘沙門天をまつるのは「池証山鴨鴛寺正覚院」(八千代市村上)。恵比寿の貞福寺同様、真言宗豊山派です。本堂までの間に、仁王など石像がずらりと並びます。平安時代後期の創建で、八千代市で一番古い寺です。 手水には弁天様が。釈迦堂の前には寝釈迦像が。 この寺にはオシドリ伝説が伝わります。保元の頃(1156~59)、平真円というものが阿蘇沼でオシドリの雄を射た。その夜、オシドリの雌が人間に姿を変えて現れ、歌を残して去った。翌朝、射止めた雄の死骸に雌がくちばしを合わせて死んでいた。真円は狩りをやめようと誓い、出家してお堂を建てた。それがこのお寺だそうです。
2021年01月19日
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七福神巡りは正月の定番ですが、八千代市では八千代の「八」にちなみ、七福神に吉祥天を追加した「八福神巡り」が設定されています。まず訪れたのが、恵比寿がまつられている「貞福(じょうふく)寺」(八千代市吉橋)。ここには、八福神巡りのスタンプ台紙が置かれ、さらに恵比寿以外の福神の石像も並べられています。 その上、自宅から一番近くて歩いていける距離にあるので、ここを最初に選びました。貞福寺は、1394年(応永元年)の開山。中世、吉橋城の二の丸になっていました。1536年(天文5年)、城主・高木伊勢守胤貞は扇谷上杉氏と戦って滅亡。落城後、生き残った家臣が主君の本尊の血流地蔵をこの地に安置したといわれています。
2021年01月15日
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君津市のマザー牧場近くにある鹿野山神野寺(かのうざんじんやじ)。598年、聖徳太子の創建という関東最古の寺です(浅草寺より古い)。昨年の台風15号の直撃を受けました。重文の表門が全壊したり、奥の院や境内の木々にも大きな被害が出ました。79年には、当時の住職が飼っていたトラが脱走して大騒動になったことを思い出します。写真は仁王門。境内入り口左にあるイチョウは樹齢350年はあるそうです。 鐘楼は天正年間(織田信長の時代)の建立。本堂では、正月に備えてしめ縄の飾りつけをやっていました。本堂は宝永5年(1708)建立。 本堂の裏の聖徳太子像とヘビの像にお参りしてから奥の院へ。庭の池には鯉がいるかと思ったけれど、見当たりませんでした。奥の院は元禄16年(1703)建立。台風の被害を受けたそうですが、再建できてよかったです。 天狗の面と高下駄があります。榛名山、筑波山と並ぶ関東三大修験道名山だそうです。
2020年12月28日
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鋸南町の道の駅「保田小学校」。廃校になった小学校を利用して5年前にオープンした人気の施設です。体育館が市場になったり、校舎が宿泊施設や食堂や温浴施設になっています。お土産を買うにもいい所です。小学校なのでおなじみの二宮金次郎の石像もありました。このご時世、マスクをしています。早く、マスクが要らない世の中になるといいですね。
2020年12月27日
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南房総市の「岩井海岸」にやってきました。はるか洋上には、うっすらと富士山も見えます。拡大したけど、分かりづらいかな。 夏は海水浴でにぎわうのでしょうが、冬の海は静かでした。近くのリゾートコンドミニアム「グランビュー岩井」から見る海の景色。 ブルドーザーが砂を運ぶ作業をしていました。遠浅の海で海水浴に適し、臨海学校も行われるそうです。日大二中の小屋も近くにありました。正面右手の岬は西ヶ崎というそうです。
2020年12月24日
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東京ドイツ村のイルミネーション。見晴らし台から下りてきて、残りも見ます。遠くから見えていた船の真ん前に。キャラクターが船に乗っていました。花やキノコのような明かり。 恐竜ライドは長い行列ができていたので断念。そのカートの走るルートには、時計のような模様が。不思議の国のアリスをイメージしたのかな? 観覧車の方には、「虹のトンネル」が伸びています。トンネルの前には、クリスマスプレゼントが。 イルミネーションをだいたい一周して、すっかり満足でした。
2020年12月13日
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東京ドイツ村のイルミネーション。日没から時間がたつにつれて、鮮やかにその姿を見せ始めました。15年間の総集編のような展示。ゲートをくぐるとまずは音楽バンドが現れます。遠くに、浮かぶように光る船。 日が暮れて足元に海のように青いイルミネーションが広がります。 カボチャの家。三角形。ピラミッド? イルミネーションの真ん中にいると全体像が分かりません。上から見たいと思って、見晴らし台に向かいます。何の絵かよくわからないけど、丘の上から見るイルミネーションは圧巻でした。 丘の真ん中に、ドイツ村のキャラクター、天使のアンジーが光っています。
2020年12月12日
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東京ドイツ村といえば、冬のイルミネーションが有名。06年から始まって今年で15年、年々大規模になり、かつては関東三大イルミネーションに数えられたこともあります(18年以降はさがみ湖イルミリオンに取って代わられました)。この日の日没は午後4時27分。直後から、丘に明かりがつき始めます。 レストラン&売店のマルクトプラッツにもイルミネーションがつきます。ドイツ村のキャラクター・アンジーも。 「光と音のショー」が始まり、音楽が流れ、建物の屋根が点滅します。音楽が終わると違うイルミネーションになりました。 先ほどジンギスカンを食べたレストランの屋根も光りだしました。斉天大聖。孫悟空です。2年前のチャイナランタンフェアの名残かな。 イルミネーションを見ながらカートで恐竜を見て回る「ジュラジャーマンライド」の恐竜。日もすっかり落ちました。それではゲートをくぐってイルミネーションの世界を回りましょう。 過去15年のイルミネーションをいろいろ振り返る内容になっています。
2020年12月11日
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マザー牧場は動物と食事だけではありません。わくわくランドというミニ遊園地には観覧車やおとぎ列車、ジェットコースターなどのアトラクションがあります。サイクルモノレールを子供と2人で漕いでみました。食事の後の運動にはちょうどいい。上からおとぎ列車などを見下ろし、遠くの山も眺めて見晴らしも良かった。 以前はなかった新アトラクションの恐竜パーク。入り口で恐竜がリアルに動いていました。入らなかったけど。羊や馬を見て、ハイキングコースを歩きます。もっとすごい山道かと思えば、雑草も刈られ、整備されていました。 1時間歩いた後は、もうおなかがすいたのかロングポテトにブルーベリーソフトを食べていました。
2020年12月04日
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上野の森美術館の「キング&クイーン展」に行ってきました。ロンドン・ナショナル・ポートレートギャラリー所蔵の歴代の英国王や王族の肖像画、写真などの展示。テューダー朝、スチュアート朝、ハノーファー朝、ウインザー朝と続くが、エリザベス1世、ヴィクトリア女王や現女王のエリザベス2世、故ダイアナ元妃、キャサリン妃の肖像画もありました。メーガン妃は写真だけでした。見応えはありました。
2020年11月12日
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千葉県印西市(旧印旛村)にある「松虫寺」。松虫姫伝説にまつわる古刹です。松虫姫とは、奈良時代の聖武天皇の皇女、不破内親王のこと。病気療養のため、この地に下向したところ、病気が治ったとか。松虫寺は聖武天皇の命で、743年、行基が創建したそうです。立派な仁王門をくぐって境内へ。本堂。いずれも江戸時代末の慶応元年の建立。 裏にある塚が、分骨塚。姫は遺言でこの地に分骨されることを望んだそうです。 境内にある松虫姫神社。弘法大師の石像。 それほど遠くない、印旛日本医大前駅近くには、松虫姫公園があります。牛に乗った松虫姫の石像があります。都に帰った姫に置いて行かれた牛が身を投げたという「牛むぐりの池」。牛が身を投げるなんてありえないですが。現在は調整池です。 不破内親王は、天武天皇の孫の塩焼王に嫁ぎますが、夫は恵美押勝の乱に連座して殺され、息子氷上川継も謀反で流罪。内親王も配流されその後の消息は不明です。
2020年10月14日
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群馬県富岡市にある光厳(こうごん)寺。曹洞宗鳳来山。名前の通り、室町時代、北朝初代光厳天皇による開基です。「仮面ライダーゴースト」(15~16年)の大天空寺のロケ地として知られます。山門が立派で、一度行ってみたいと思っていました。2階建ての楼門。四天王のうち2体を安置しています。 石段を上っていきます。唐門は中雀門というらしいです(光厳寺のサイトによれば)。 本堂に到着。開いていませんが参拝します。 広い中庭。ゴーストとスペクターがここで戦っていたなあと思い出します。庭に石仏があります。 左右に。山門は2階に上れるらしい。気づかなかったのはうかつでした。
2020年09月05日
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草津温泉に行く途中、八ッ場ダムに立ち寄りました。道の駅・八ッ場ふるさと館に車を止め、不動大橋へ。昨年10月の令和元年東日本台風で、貯水前で空だったダム湖(八ッ場あがつま湖と命名)に水がたまり下流の洪水を防いだと話題になりました。その時より水は引きましたが、確かにたっぷりです。 ↓こちらは3年前に来た時の建設途中の八ッ場ダム。線路跡もすっかり水没しました。
2020年08月23日
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古墳2つに登った後、かみつけの里博物館を見学しました。上毛野はにわの里公園の一角、2つの古墳の間にあります。クーラーが効いていて猛暑日にひと息つけました。展示品は、古墳から出土した埴輪や土器や石棺などです。写真撮影可能だったので、いくつか撮ってみました。人型の埴輪。武人か。 土器。首飾りや鏡などの副葬品。 もうひとつの古墳、保渡田薬師塚古墳は残念ながら道路などで削られてしまっています。残っている部分は、現在は西光寺というお寺になっていますが、敷地内に出土した石棺を展示し、見学できるそうです。脇の道路を通過しただけですが、見学すればよかった。
2020年08月22日
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保渡田古墳群の中にあり、一番古くて一番大きいのが、「井出二子山古墳」です。墳丘の長さ108m、外堀まで含めた全長213m、全幅173m、後円部径74m、高さ10m、前方部幅71m、高さ7m。保渡田八幡塚古墳と違って状態が良かったため葺石を敷いたりはせず、発掘前の墳丘の状態をなるべく変えずにそのまま残しています。 草むしたその姿に、1500年の歴史を感じさせます。頂上に石棺の様子の写真。この位置にあったということ。博物館で見られます。 被葬者はこの地を治めていた車持氏と言われています。輿を提供する職務だったので、雄略天皇(西暦479年没と推定)に車持の名をもらったそうです。5世紀後半の築造年代とも合います。
2020年08月21日
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群馬県は実は古墳王国。ヤマト王権もこの地を重視し豪族を勢力下に加えていました。そのうちの高崎市にある「保渡田古墳群」を訪問しました。5世紀後半から6世紀前半にかけて建造され、巨大な前方後円墳3基がありました。車で近づくと、石に覆われた古墳の威容が迫ってきます。保渡田八幡塚古墳は地元の人たちによって葺石や埴輪が並べられ、往時を再現しています。石は40万個、円筒埴輪は6000本だそうです。八幡塚古墳は墳丘の長さ102m、後円部径56m、高さ現存6m、前方部幅53m。二重の濠に外周溝まであります。 昨夏公開の映画「仮面ライダージオウOver Quartzer」のロケ地であり、一度来てみたいと思っていました。埴輪は地元の人が作った複製です。(出土品は博物館にあります)早速登ってみます。 この日は35度を超える猛暑。あまりの暑さの子供がTシャツを脱いでしまいました。濠の中に浮かぶ中島。保渡田古墳群の特徴です。 上から見た景色。後円の中には、石棺があり、見学できます。 ここまで復元したのは、地元の人の熱意が感じられます。では、次の古墳(井出二子山古墳)に行ってみます。
2020年08月20日
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福島県唯一の国宝の建物、JR常磐線内郷駅近くにある「願成寺(がんじょうじ)・白水(しらみず)阿弥陀堂」。いわきまで来たら、寄ってみたいと前から思っていました。平安時代末期、1160年に奥州藤原氏の藤原清衡の娘、徳姫により建立されたもの。平泉を思わせる浄土式庭園が立派です。12日、行ってみたら、なんとお盆休み。残念。敷地の外から、遠目に庭園を見ました。散策したかったな。阿弥陀堂の建物。 車を回して裏に。次は、開いているのを確認して来てみたい。
2020年08月17日
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あぶくま洞から帰る途中、磐越道小野IC近くの「リカちゃんキャッスル」に立ち寄りました。元々小野町には、タカラ(現タカラトミー)の福島工場がありました。リカちゃん人形は現在は中国で大半が作られていますが、現在も製造の過程が見学できます(工程の撮影は禁止)。まずは、等身大の「ウェルカムリカちゃん」がお出迎え。動いたり、しゃべったりします。うちの子は男の子で興味ないかと思ったけど、面白がって見ていました。 続いて2階へ。歴代リカちゃん人形の展示されているミュージアム。67年の初代リカちゃんを中心に、左は友達のいずみちゃん、右はボーイフレンドのまさるくんです。女の子の夢も年々進化し、90年代はサッカー選手が登場。 そして現代は、宇宙飛行士。リカちゃん好きで知られる山田邦子さんのリカちゃん。似てる。 女の子たちはリカちゃんのコスプレでなり切って楽しんでいます。こちらは世界旅行コーナー。ハワイをバックに。建物もヨーロッパのお城風です。リカちゃん人形に興味はなくてもそれなりに楽しめました。
2020年08月16日
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いわきから足を延ばして、田村市(旧滝根町)の鍾乳洞「あぶくま洞」に。20年ぶり2回目です。洞内は3300mありますが、公開コースは約600m(別料金の探検コース120m、現在休止中)です。洞内は一年中15度で夏涼しく冬暖かいそうです。大人1200円(JAFカードで200円引き)でした。しばらく進むと鍾乳石が出てきて自然の洞窟になります。 だいぶひんやりしてきました。8000万年かけて作られた自然の造形。妖怪の塔。 白磁の滝。光る石がハート形に並んでいる。 黄金のカーテン。洞内最大のホール「滝根御殿」に到着。高さ29mあります。 階段を上って上まで行ってみます。「観音像・さるの腰掛」という石。 滝根の斜塔。確かにピサの斜塔みたい。洞穴サンゴ。 第2のホール「竜宮殿」。神殿という名の石。クリスマスツリー。隣には樹氷があります。 奥まで続く洞穴。名称は忘れました。出口付近にある「月の世界」。 ライトアップされて、昼になったり、夜になったりします。場所はあぶくま高原の山の上。町を見下ろすところにあります。周辺にはプラネタリウムも。
2020年08月14日
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蓮沼ウォーターガーデンには有料アトラクションがいろいろあります。1000円で1200円分の回数券を買って、スライダーにチャレンジ。「スプラッシュシェイカー」はゴムボートに乗って、地上20mから最大角度90度で急降下しさらに上がって落ちるというまるでジェットコースターのようなアトラクション。だいたい1人1回200円のものが多いけれど、これは1人400円で2人以上から。乗る人は地上から乗るボートを持ってスタート地点へ。 心の準備ができないうちにスタート。真っ暗な中を進み、横揺れ、そして急降下。さらにブーメラン。全長182m、十分すぎるほど堪能しました。人が滑ってるのを見るだけで怖い。 残りの回数券は、「トルネードツイスト」で使用。こちらも2人乗りゴムボートを持って上がります。 真っ暗な中をねじれたり上下したり、スリル満点でした。楽しかった!(出口付近にて)
2020年08月07日
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夏だ、プールだ!ということで、千葉県山武市(旧蓮沼村)の「蓮沼ウォーターガーデン」に行ってきました。いつ以来だろう。隣接の遊園地に行ったのが6年前、プールはそれより前なので、震災よりも前、子供が幼稚園の頃だと思います。コロナ対策で、事前にネットで入場予約をします。9時過ぎに到着。大きな波のプール(うみ)の近くに、シートを敷きました。まだ水が冷たい。 あいにく、今年は造波は中止です。波打ち際は海っぽく砂が敷き詰められています。クジラに乗るのは禁止。知らずに乗ってしまい慌てて降りました。 せせらぎを歩いて流れるプールへ。途中の滑り台。中学生にはもう小さい。 一番奥には湖と呼ばれるエリアへ。次は、有料スライダーにチャレンジします。
2020年08月06日
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三峯神社に行く途中に広がるのが、荒川最上流、旧大滝村(秩父市)にある二瀬ダムが造ったダム湖の秩父湖。三峯神社に行く人は、ダムの上の片側交互通行の道を通過し、ダム湖を見ながら登っていきます。結構大きなダムで、完成は1961年。高さは95m。水力発電や農業用水に使用されていますが、このダムのおかげで、最下流の東京の洪水が免れているんだと思います。もちろん他のダムや荒川放水路のおかげもあります。ちょうど放流中でした。ただ通過するだけなのも忍びないので、駐車場から遊歩道を歩いて写真を撮りました。
2020年08月01日
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三峯神社から片道1時間半の山道を登ったところに、奥宮があります。標高1329m、妙法ケ岳の山頂です。三峯神社の境内を出て、レストハウスの山麓亭の脇に登山道の入り口があります。舗装されたなだらかな道。これなら、と思ったら、甘かった!最初の鳥居から先、急勾配の山道が出現しました。本格的な登山道です。 木の根っこを利用した自然の階段ばかり。木に目印があるので何とか、進路が分かりますが、道なき道を行く感じ。途中、すでに奥宮にお参りした人や、下山客とすれ違います。残り600m付近。 奥宮直前、手すりや鎖でないと登れない、急坂が現れます。奥宮に到着。登山のパーティーが先客でいました。しっかり参拝します。 三峯の由来となった一つ、雲取山(2017m)は雲の先。残り2つは妙法ケ岳と白岩山です。先ほどまで天気は良かったけど、山の上は天気が変わりやすいです。 下りの方が大変。奥宮から、慎重に下りていきます。
2020年07月30日
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7月19日、関東最大のパワースポットと言われる三峯神社へ。標高1102m。前日の雨がうそのように上がりました。神様に歓迎されているのかな。特徴のある三ツ鳥居から先が神域です。両脇を守るのは狛犬ではなく、オオカミ(お犬様)。宝登山もそうでした。 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の像。 三峯神社も宝登山神社同様ヤマトタケル絡みの創建です。随神門。1691年建立。04年に改修されたばかり。 立派な彫刻。拝殿に到着しました。1800年建立。 足元に竜の模様。2012年の辰年に突如現れた敷石の龍神です。樹齢の800年の御神木。鎌倉時代の畠山重忠奉納の杉の木です。
2020年07月29日
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長瀞を後に、秩父鉄道秩父駅前の秩父神社へお参りします。宝登山神社と同じ秩父三社の一つです。12月の秩父夜祭で有名ですが、夏はひっそりしてました。創建は崇神天皇10年。武蔵国ができる前は、この辺は知々夫国であり、初代知々夫国造(ちちぶのくにのみやつこ)の知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)を祭っています。神門をくぐって本殿へ。本殿は極彩色で、四方を立派な彫刻に囲まれています。正面左に「子育ての虎」が見えます。 左甚五郎作の「つなぎの龍」は工事中で見られませんでしたが、背後の「北辰の梟」、側面の「お元気三猿」=写真=は見られました。「よく見て、よく聞いて、よく話す」の3匹だそうです。
2020年07月25日
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ロープウエーの終点から徒歩6分、宝登山神社の奥宮があります。あいにくの雨ですが、石段を上ってしっかりお参りしました。狛犬の代わりに、鳥居前の両脇には、オオカミ(お犬様)が祭られています。ヤマトタケルノミコトを助けた、犬の伝説が息づいています。 しっかりと参拝します。山上には、動物園がありますが、雨もひどくなってきたので今回は見送ります。次はロウバイ、梅、桜の季節に来たい。なお、奥宮の御朱印は、ロープウエーの乗車券を見せれば、山麓の宝登山神社でもらえます。
2020年07月22日
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長瀞町の宝登山(ほどさん)神社は、秩父三社の一つです。ヤマトタケルが東征の折、猛火に襲われ巨犬が火の中に入って消したという。火止(ほど)から宝登山の名が付いたとか。そして巨犬を祭ったのが神社の起こりだそうです。この鳥居は二の鳥居。 石段を上って本殿。極彩色で彫刻が細かいのが特徴です。水が湧いていますが、飲用不可でした。相生の松は、昭和天皇・香淳皇后のご成婚を記念して1924年、植えられました。夫婦円満の松です。
2020年07月20日
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