Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

2012年07月04日
XML
カテゴリ: 夢有無有
「中国故事」一念巌をも通す
 名将には将たる者と武勇に人並み秀でた者があり、家代々武門である漢の李広は、後者に属して武勇に勝れ、天下に勇名を轟かせた将軍でした。彼の生まれは胡地に近い隴西で、北は匈奴の前進基地オルビス砂漠と接し国境都市らしい荒々しさに包まれています。やがてこの地で幼少時代を送った李広は、武術の訓練を受けるようになると頭角を現し、ことに弓に至っては、ことに勝れたものがありました。漢の文帝(B.C.166年)十四年のこと、匈奴が大挙して粛関を犯した時には、僅かの人数ではあるが鍛え上げた手兵を率いて、匈奴に劣らず見事な騎馬戦術と弓の腕前を見せます。数十年来匈奴から苦杯をなめさせられた文帝は、此の報を受け、手前に置きたくなり、侍従武官に任命します。
 その後。文帝の狩りの御伴を仰せつかったときのこと、虎と出くわし、それと組み打ちして見事に仕止めます。(閑話休題;まあ、このあたりは、旧約聖書であれば、士師記のサムソンやサムエル記のダビデであれば獅子と成る訳です。しかし、虎の方がひとまわり体が大きく、哺乳類全般に云える事ですが、顎の力を示すバロメーターである正面顔が円いことは、シャチと同等であり、一層恐ろしく感じます。)危うく難を免れた文帝は、今更ながら驚き、高祖の時代に生まれていたらどんなに出世していただろうとまで言わしめます。
 その後、李広はかねてから望んでいた辺境の守備隊長を転々とし、この間にたてた手柄は数えきれませんが、世渡りのまずさが手伝って官位は進みませんでした。かえって将軍の真価を知り抜いていたのは敵の匈奴の方で「漢の飛将軍」の名をたてまつって、あえて李広の城塞だけには窺うことをしません。その匈奴ばかりでなく、我が物顔に山野を横行する虎も安全ではありません。草原のなかの石を虎と見誤って射た時などは、矢鏃が隠れるほど深く石に突き刺さり、近よってみて石であることがわかり、あらためて射た矢は今度は突き刺さらなかったと伝えられます。李広将軍は背が高く猿のように腕が長い「猿臂」であったので、彼が弓をよくしたのは天性のものだったのでしょう。

李広1
ブログランキング・にほんブログ村へ





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2012年07月04日 07時31分26秒
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

プロフィール

cap-hiro

cap-hiro

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

バックナンバー

2026年05月
2026年04月
2026年03月
2026年02月
2026年01月
2025年12月
2025年11月
2025年10月
2025年09月
2025年08月

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: