Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2012年07月11日
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カテゴリ: 夢有無有
「中国故事」管中窺豹
 王羲之は、書の芸術性を確固たらしめた普遍的存在として、書聖と称されていますが、末子の王献之も書を能くし、「献之は骨力は父に及ばざるも、すこぶる媚趣あり」、つまり艶っぽい美しさを秘めている書で、併せて二王(羲之が大王、献之が小王)の称をもって伝統派の基礎を形成し、後世の書の手本として、その及ぼした影響は絶大で、その書は日本においては奈良時代から手本とされてきました。その王献之の子供の時の話。或る日のこと、書生・居候といった連中が庭先の木の下にゴザを敷いて賭け事の真っ最中。献之はそれを見ていて、「南風競わず」即ち、小父さん景気悪いね、まあ、しっかりね、と言ったものだから、負けている居候がやりかえした。「この坊ちゃんもやっぱり管中窺豹で、豹のまだらの一個しか見えないんですかねえ。」つまり、管の穴から豹を覗いたって、斑の一つが見えるだけで、豹の全体はわからない。ちょっと今の形勢を見たくらいで、坊ちゃんなんかに俺の勝ち負けがわかってたまるもんかね、とやられてものだから、坊ちゃんたるもの怒って一言置いて去ります。「遠くは荀奉倩にはじ、近くは劉真長にはじよ。」何をいうか、親父の友達の劉真長なんか、博奕でもって桓温の悪逆を見抜いたんだぜと。立ち上がって着物の裾を払います。
 晉書巻八十の王羲之伝の「管中窺豹」から「一斑を見て全豹を知る(または卜す)」という視野が狭いことをいう諺が出来ます。同じような言葉としては「管を以て天を窺い、隙を以て文を見る」(『史記』扁鵲倉公列伝)「莞を以て天を窺い、蠡を以て海を測る」(『漢書』東方朔伝)等々、いずれも見識の小をいいますが、「管見」とか「管穴」とかも同じで、「葦のずいから天井覗く」ことですが、逆に「一箪を知って、全般を知る」と云った言葉もあり、「朝顔に、開花を聴いて、法を知る。(自作・愚策)」ことも在れば有るかも知れません。

王義之と献之1
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最終更新日  2012年07月11日 07時41分53秒
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