Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2012年08月15日
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カテゴリ: 夢有無有
「旧約聖書」聖王の行程8(ダビデの妻バテ・シェバを否定)
 ダビデの姦淫の罪と罰に明けくるう頃、ダビデに忠義と忠誠を誓うヨアブの率いるイスラエル軍は、アモン人の首都ラバを完全に包囲してダビデに伝令を送ります。 「ラバとその美しい港は、もう我々のものです。どうか御自身で残りの部隊を率いて、総仕上げをなさってください。 この勝利の栄冠を、私ではなく、陛下がお受けになりますようにと申します。そこでダビデは、残りの部隊を引き連れてラバへ乗り込み、町を占領します。 眼を見張るばかりのの夥しい戦利品が、エルサレムへと運び込まれました。 ダビデはラバの王の冠を取り、自らの頭上に戴きます。 冠は宝玉をちりばめた黄金製のもので、図り知れない値打ちものです。また、町の住民を奴隷として連れて来て、鋸、つるはし、斧などを使う労働に就かせ、煉瓦造り仕事に従事させました。 ラバだけでなく、アモン人の町すべてをも、彼は同様に扱いました。それらを終えて漸くダビデとイスラエル軍はエルサレムに帰還したのです。
 さて、マタイの福音書のキリストの系図にあるウリヤの妻とはバテ・シェバ其のひとです。聖書は彼女をダビデの妻とすることを認めません。あくまでも、ソロモンは、ダビデと人妻との不倫の末に出来た子であると聖書は伝えています。「ウリヤの妻」という記し方は、バテ・シェバの名を聖なるキリストの系図から排除するためでなのしょう。そもそも、事の始まりは、王の召しによって、生理の汚れをきよめるために彼女が行った水浴に事の発端があります。皮肉にも、彼女の律法に対する忠実と、王に対する忠誠とが結果的に彼女を忌むべき女にしてしまいました。これは一見不条理に見えます。しかし、本質的に言って、人はみな忌むべき罪人であると聖書は告げています。罪とは、人の言葉や行為のことを言っているのではありません。人の存在自体が罪なのです。たとえば、ダビデの姦淫において、仮にバテ・シェバに非がなかったとしても、彼女はそれでも神の御前においては生来汚れた、罪ある女であることにはは変わりありません。同様に、悪を働かず、律法に従っていても、それでも人はみな、神の前では等しく罪人なのです。まさに、人は誰でも呪われていると言っても良いでしょう。忌むべき女でありながらキリストの系図に記されているバテ・シェバを見る時、罪に汚れた忌まわしい自分と、その自分を贖う十字架の恵みはイエスの登場を待つしかありませんでしたが、猶、抵抗勢力はイエスの弟子にも見受けられるのです。此れは洋の東西を問わず由々しき問題であり、未だに完全な克服がされておりません。
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最終更新日  2012年08月15日 10時37分09秒
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