Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

2012年10月12日
XML
カテゴリ: 夢有無有
「旧約聖書」聖王以降の王達28(列王記下)預言者エリシャ・万軍の主
 エリシャにイスラエルの王アハブの子ヨラムが、「私の父よ、私が打ち殺しましょうか」と言ったが、「打ち殺してはならない。貴方は捕虜とした者を剣と弓で打ち殺すのか。彼らにパンと水を与えて食事をさせ、彼らの主君のもとに行かせなさい。」と言われ、王は彼らのために大宴会を催し、彼らは食べて飲んだ後、自分たちの主君のもとに帰って行った。アラムの部隊は二度とイスラエルの地に来なかった筈であったが、そのアラムの王ベン・ハダテが全軍を召集し、攻め上って来て、サマリアを包囲します。サマリアは其の時大飢饉に見舞われていたが、それに包囲が加わって、驢馬の頭一つが銀八十シェケル、鳩の糞四分の一カブが五シェケルで売られるようになります。イスラエルの王が城壁の上を通って行くと、一人の女が彼に向かって叫んだ。「わが主君、王よ、救ってください。」、ヨラム王は言います「主が救ってくださらなければ、どのようにして私が貴女を救えよう。麦打ち場にあるものによってか、それとも酒ぶねにあるものによってか。」更に、「何があったのか」と尋ねると、彼女は「この女が私に、貴方の子供をください。今日その子を食べ、明日は私の子供を食べましょうと言うので、私たちは私の子供を煮て食べました。しかしその翌日、私がこの女に、貴方の子供をください。その子を食べましょうと言いますと、この女は自分の子供を隠してしまったのです。」王はこの女の話を聞いて、衣を裂いた。王は城壁の上を通っていたので、それが民に見えた。ヨラム王の肌着は粗布であった。王は言います「シャファトの子エリシャの首が今日も彼についているなら、神が幾重にも私を罰してくださるように。」。そのエリシャは自分の家に座り、長老たちも一緒に座っていた。王は彼に向けて人を遣わしたが、この使者が着く前に、彼は長老たちに言った。「分かりますか。あの人殺しは私の首をはねるために人を遣わしました。見よ、使者が来たら、戸を閉じ、戸のところでその人を押し返してください。その後に、彼の主君の足音が聞こえるではありませんか。」エリシャがまだ彼らと話しているうちに、使者が彼のところに下って来て言った。「この不幸は主によって引き起こされた。もはや主に何を期待できるのか。」エリシャは言った。「主の言葉を聞きなさい。主はこう言われる。「明日の今ごろ、サマリアの城門で上等の小麦粉一セアが一シェケル、大麦二セアが一シェケルで売られる。」」王の介添えをしていた侍従は神の人に答えた。「主が天に窓を造られたとしても、そんなことはなかろう。」エリシャは言った。「貴方は自分の目でそれを見る。だが、それを食べることはない。」。その頃、城門の入り口に重い皮膚病を患う者が四人いて、互いに言い合った。「どうして私たちは死ぬまでここに座っていられようか。町に入ろうと言ってみたところで、町は飢饉に見舞われていて、私たちはそこで死ぬだけだし、ここに座っていても死ぬだけだ。そうならアラムの陣営に投降しよう。もし彼らが生かしてくれるなら、私たちは生き延びることが出来る。もし私たちを殺すなら、死ぬまでのことだ。」夕暮れに、彼らはアラムの陣営に行こうと立ち上がったが、アラムの陣営の外れまで来たところ、そこにはだれもいなかった。主が戦車の音や軍馬の音や大軍の音をアラムの陣営に響き渡らせられたため、彼らは、「見よ、イスラエルの王が我々を攻めるためにヘト人の諸王やエジプトの諸王を買収したのだ」と言い合い、 夕暮れに立って逃げ去ったのです。彼らは天幕も馬もろばも捨て、陣営をそのままにして、命を惜しんで逃げ去ったのです。 重い皮膚病を患っている者たちは陣営の外れまで来て、一つの天幕に入り、飲み食いした後、銀、金、衣服を運び出して隠した。彼らはまた戻って来て他の天幕に入り、そこからも運び出して隠した。彼らは互いに言い合った。「私たちはこのようなことをしていてはならない。この日は良い知らせの日だ。私たちが黙って朝日が昇るまで待っているなら、罰を受けるだろう。さあ行って、王家の人々に知らせよう。」彼らは行って町の門衛を呼び、こう伝えた。「私たちはアラムの陣営に行って来ましたが、そこにはだれもいませんでした。そこには人の声もなく、ただ馬やろばがつながれたままで、天幕もそのままでした。」門衛たちは叫んで、この知らせを中の王家の人々に知らせた。夜中に王は起きて家臣たちに言った。「アラム軍が我々に対して計っていることを教えよう。我々が飢えているのを知って、彼らは陣営を出て野に隠れ、「イスラエル人が町から出て来たら、彼らを生け捕りにし、町に攻め入ろうと思っているのだ。」家臣の一人がそれにこう答えた。「ここに残っている馬の中から五頭を選び、それに人を乗せて偵察に送りましょう。彼らも、ここに残っているイスラエルのすべての民衆、また既に最期を遂げたイスラエルのすべての民衆と同じ運命にあるのです。」こうして、彼らが馬と二台の戦車を選ぶと、王は、「行って見てくるように」と命じて、アラムの軍勢の後を追わせた。彼らはアラム軍の後を追って、ヨルダンまで来たが、その道はどこもアラム軍が慌てて投げ捨てた衣類や武具で満ちていた。使いの者たちは帰って来てこのことを王に報告した。そこで民は出て行ってアラムの陣営で略奪をほしいままにし、主の言葉どおり上等の小麦粉一セアが一シェケル、大麦二セアが一シェケルで売られるようになります。王は自分の介添えをしていた例の侍従を城門の管理に当たらせたが、彼は城門で民に踏み倒されて死んだ。王が神の人のところに下って行ったときに、神の人が告げたとおりであった。神の人が王に、「明日の今ごろ、サマリアの城門で大麦二セアが一シェケル、上等の小麦粉一セアが一シェケルで売られるようになる」と言うと、その侍従は神の人に、「主が天に窓を造られたとしても、そんなことはなかろう」と答えたので、エリシャは、「貴方は自分の目でそれを見る。だが、それを食べることはない」と言った。それがそのとおりに実現し、彼は門で民に踏み倒されて死んでしまいます。
 前回の戦いでは、アラムの大軍はエリシャにその命を助けられました。イスラエルの王ヨラムもエリシャのことを「わが父」と呼んで尊敬しました。しかし、双方ともそこから学ぶことが無かった。人は基本的に、その場がよければそれでいい、今がよければそれでいいというオポチュニストなのです。今の利益のためならアラムのように、主の恵みを忘れて悪を行なうのです。
都合が悪くなればヨラムのように、主の恵みを忘れて怒るのです。私たちは、絶望は人の信仰を明らかに示します。此度の戦いでヨラムは「主があなたを救われないのなら」と言っていますが、彼は絶望の中で主が救わないことの皮肉として言っており、その怒りは子どもを食べる民の姿を見ることで頂点に達します。「これほどの状態になっているのに、主は何もしない。いや、主がこの禍を起こしているのだ」という感情を抱かせます。仮に、エリシャが悔い改めないイスラエルに対する裁きを宣告していたとするなら、尚更そのように思ったことでしょう。従って主への絶望は、主の預言者であるエリシャへと激しく向けられました。このようなときにこそ、その人の信仰がどのようなものであるのかが分かります。使者の「これ以上、何を私は主に期待しなければならないのか」と吐く言葉も、この絶望の状況中では致し方ないのかもしれません。

syria2 ブログランキング・にほんブログ村へ





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2012年10月12日 07時57分44秒
コメント(0) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

プロフィール

cap-hiro

cap-hiro

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

バックナンバー

2026年05月
2026年04月
2026年03月
2026年02月
2026年01月
2025年12月
2025年11月
2025年10月
2025年09月
2025年08月

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: