Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2012年11月06日
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カテゴリ: 夢有無有
「旧約聖書」創世記序文・神の定義
 哲学的宗教として仏を定義する仏教(中論が代表格)を除いては、世界三大宗教の中では、神の存在に論理的な解析や証明は、後世の異端扱いをされる神学的哲学を除いては、一切見当たりません。旧約・新約聖書及びコーランに在っても神は始めに在りき存在で、その存在定義がなされていないので、神秘主義者や篤信者でない現実主義者と呼ばれる人には敬遠されているかもしれませんが、旧約・新約聖書及びコーランの根本とも云える創世記を俯瞰すれば、神の定義の実像が見えてくるかも知れません。ここで「はじめに神は天と地とを創造された」という語句に注目すると、物質世界、所謂大宇宙の創造前、ビッグバンの生成に神が関わり、宇宙生成から出てきた運動・時間・法則も神から出ているものであり、「永遠から、永遠まで」という旧約聖書の言葉も、宇宙内時間や法則を拘わらない、一般的な宇宙内時間を離れて、「時」を俯瞰する存在とみえます。それ故、過去・現在・未来を離れた「永遠の瞬間」に存在する絶対精神、それも霊的存在と捉えてることが伺えます。
 哲学的宗教として仏を定義する仏教からみれば、それは「有」として常住するものであり、絶対有を否定する立場からは認められるものではないでしょう。しかし、後世の大乗では「不滅の仏」を量産しており、其の立場からは「佛」の神格化が進み、仏の定義も曖昧化してきています。
 旧約聖書では天地創造の始め・創造の前、「地は形無く、空しく」かった。「形無く、空しく」エレミヤは「わたしは地を見たが、それは形がなく、またむなしかった。天をあおいだが、そこには光がなかった。人はひとりもおらず、空の鳥はみな飛び去っていた。わたしは見たが、豊かな地は荒れ地となり、そのすべての町は、主の前に、その激しい怒りの前に、破壊されていた。」
「闇が淵の表にあった」。淵=原始の海=テホーム。創造の前、地は混沌(カオス)であったとして、混沌(カオス)に存在性を与え、主の絶対意思に永遠性を付与しています。言い換えれば「始めに神ありき」であり、それを形而上であろうとなかろうと疑問をはさむなと言っているようです。これ等を前提にして創世記を読み進めないと、神の存在定義が気になり読破が挫折する危険性が浮かび上がってきます。創世記(Genesis、「モーセ五書」の一)は、古代ヘブライ語によるユダヤ教、キリスト教の聖典で、イスラム教の啓典である聖書(旧約聖書)の最初の書であり、正典の一つであり、現代宗教を語る上では欠かせません。

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最終更新日  2012年11月06日 07時15分40秒
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